独自設定・独自解釈・オリジナルキャラクターを多く含み、原作とは異なる設定・展開があります。
また、文章の推敲・校正および表現の検討に生成AIを使用し、一部の提案文を本文に採用しています。
『みらい』が祝賀ムードの一方で海軍基地内は騒然としていた。夜勤をしている佑輝、長門、伊勢がいる執務室の扉が乱暴に開かれたと思いきや、武装兵がなだれ込んできたのである。
「何事だ。礼儀を知らないのか。」
佑輝は表情を変えることなく怒りを露わにした。しかし、それは相手には響かなかったようだった。
「高梨中佐以下艦娘二名を反逆罪で拘禁する。」
先頭の兵士が厳然として言った。
「何を証拠にそんなことを言っているんだ?」
「先ほど連絡があったのだ。志ノ方准将が『みらい』を率いて『あらかわ』を沈めたと。また、『かなた』に所属していた艦娘もみなそれに加担したのだ。故に、艦娘とその関係者は身分の潔白が証明されるまで拘禁せよとのお達しだ。」
「そんな暴論が通るとでも思っているのか。」
「通っているから言っている。大臣の御裁可を得たものだ。」
佑輝は黙った。やっていることは違法行為も甚だしいが、命令そのものは法的手続きを踏んだ命令らしい。
「提督、どうする?」
伊勢は今にも手が出そうになっていたが、長門は至って冷静で佑輝に質問したあと紅茶を飲んでいた。
「荒立てないほうがいい。素直に従うとしよう。」
佑輝、長門、伊勢は手錠をかけられ軍刑務所に移送された。
それは基地全体を飲み込んだ。明雄と川内たち、工廠の艦娘担当者と明石、病院にいた赤城たち、そして大将の橘にまで及んだ。
明雄の執務室には武装兵と共に紺野が来た。あまりの衝撃に明雄は顔いっぱいに驚愕を浮かべたが、川内はあからさまな敵意の視線を投げつけた。
「あなた、そっち側だったのね。志ノ方提督のストーカーやってたのは知ってたけど、まさかユダだとは思わなかったよ。」
紺野は苛立った。川内の態度と言葉が癇に障ったようだ。
「私はいつも先輩と同じ側にいるだけよ。」
「笑わせないでよ。あなたはいつも反対側にいたじゃない。そうじゃなかったらあの人は吹雪さんとくっついてないと思うけど。」
川内が言い終わると同時に銃声が部屋に響き、川内が座っていたソファに穴が空いた。
「口を縫い合わせるぞ。」
「そっちこそ、吹雪さんに何かしたら許さないから。」
川内は一歩も引かない。それが紺野をさらに苛立たせた。
「川内やめろ!やめてくれ。」
紺野がさらに発砲しようとしたため、明雄が叫んだ。
「ごめん。ちょっと熱くなっちゃった。」
川内は明雄に笑顔を作って謝った。内心の怒りは消えていないようだが、とりあえず最悪の事態は避けられた。川内に何かあれば今度は彼が暴発するところであった。
「紺野さん、本当に先輩がやったと思ってるのか?」
「私に取ってはどっちでもいいのよ。邪魔者を消せるなら真実かどうかなんて関係ないわ。」
海渡が戻ってきた際に、吹雪たち四人がついてきたのは彼女にとって非常に不快だったんだろうと今更ながらに気づいた。今までもなかなかに手段を選ばなかったが、今回は度が過ぎている。明雄は、そんな紺野にかける言葉を失った。
「川内、大人しくしておいてくれ。」
「わかってるよ。」
佑輝たちと同じように手錠がかけられ、彼らも刑務所に連行された。
大将である橘のところには大泉の助手の井手川がやってきた。橘はわずかに眉をひそめた。助手だとは知っていたがあまり面識がなく、ここに来るとしても大泉本人が来ると思っていたためだ。
「所長なら死にましたよ。志ノ方准将がやったそうです。」
それを察して井手川は頼んでもいないのに話した。
「そうか。あいつがやるってことは相当なやらかしをしたんだな。自業自得だろう。」
「そうでしょうね。」
井手川は淡々としていた。大泉に人望があるとも思っていないが、助手だというのに反応に情がなさすぎる。
「それで、その復讐というわけか。」
「全く。ただそういう命令ですので。」
「大臣からの命令で研究所の所長の助手が来るのか。」
「所長が生きていれば来ていませんよ。」
「なるほどな。」
やはりあの大臣は自分で決断できないらしい。井手川に大泉の代わりを頼んだというところか。
「拘禁しろ。礼を失することのないように。」
非直の艦娘も全員捕まり、『みらい』に乗っている艦娘以外は全て刑務所に入れられた。だが、唯一光政だけは見つからなかった。
海軍基地の状況を知らない海渡たちは港に進路を取っていたが、『かなた』との一件のことを考えて、一旦近海に潜航して状況を把握することにした。そうして半日ほどが経過して十一時を過ぎた頃、艦娘の監禁に関する通信を傍受して入港を断念した。
「飯と油はどうする?」
『みらい』乗員たちの共通の疑問と不安であった。海渡はしばし悩んで、迷惑を承知で三年過ごした故郷へ向かうことにした。
島の沖合では茂が孫たちと海釣りに興じていた。海渡や薫のおかげで近海ではめっきり深海棲艦を見なくなっていたため、こうした海のレジャーを楽しむ時間が増えていた。とはいえ、茂の意図としては孫に漁師への興味を持って欲しかったからだが、あまり成功してはいない。詩織は好奇心旺盛な性格で、海や漁だけに夢中になっているということはなかったのだ。
そこで、魚群探知機が異様な反応を示した。画面の一部が真っ白になり、クジラでも映ったのかと詩織とその友人たちは大騒ぎしたが、茂はそれを見て潜水艦であると即座に見抜いて、船を動かす準備を始めた。しかし、船が動く前に潜水艦が浮上を始め漁船の隣に姿を現した。茂は身構えたが、ハッチから出てきた人物を認めて警戒をといた。
「あれ雪奈ちゃんじゃない?」
ハッチから出てきた吹雪に詩織が気づいた。詩織は元気よく手を振って吹雪もそれに答えた。その後ろから北上、最上、と出てきて、最後に海渡が出てきたのを見て、茂は状況を察した。海渡が頭を下げての挨拶に軽く手を上げて対応し、茂は島の港まで漁船を走らせた。『みらい』は浮上した状態で漁船についていき、海渡たちが住んでいた建物の崖下に停泊した。
その後、海渡、吹雪、北上、最上、松葉で集落に行くことを決め、他の乗員には待機を命じた。周囲に何かあるわけではないのだが、艦から降りて周辺を散策することは許可した。
「ずいぶん物騒なもんに乗って帰ってきたな。」
「すいません。」
「まぁこっちこい。乗員も呼べ。陸にいるほうがいいだろ。」
茂がやたら手慣れていることに海渡はわずかに疑問に思ったが、素直に従った。中心部の公民館に案内され、少し懐かしい気分になりながら中に入ると、大部屋に座っている人物に度肝を抜かれた。
「よう海渡。遅かったな。」
「…なぜ元帥がここに?」
いつも通りの態度の光政がそこにいた。体が大きいあまり、隣にある酒瓶がおもちゃのように見える。
「ミツ、おれの分は残ってるんだろうな。」
「ありますとも。私を誰だと思ってるんです。」
「お前のでかい体には悩まされ続けたんだよ。少しは遠慮ってもんを知れ。」
茂は呆れたように光政を見やった。
「お知り合いだったのですか?」
「海渡、常識的に考えてだ、身元不明の人間の永住を許すと思うか?」
「…恐縮です。」
海渡は合点がいった。道理ですんなり受け入れられるわけだ。当時色々悩んでいたことが馬鹿馬鹿しくなった。
『みらい』に連絡を入れ、乗員に集落への移動を許可した。真白たちの対処を悩んだが、茂が「呼べ」というのでそれに従った。他の住人がどう思うか不安だったが、最終的に詩乃と詩織たちが一緒に遊び始めたのを見て胸を撫で下ろした。
海渡は『みらい』の幹部、吹雪、真白を公民館に集めて、光政や茂たちと今後の行動について話し合った。
「まず海軍の状況は非常にまずい。研究所のやつらが政府の威を借りて全員拘禁しやがった。お前らが反逆したってのが理由だ。」
光政が悪態をつきながら言った。「なるほど、そういう風に使ったか」と海渡は納得した。そして『かなた』と『あらかわ』に何があったのかを光政と茂に手短に説明した。
「可能性として考えうるのは、拘禁した艦娘たちを翔鶴たちのような材料にすることだ。これは極力避けたいが、現状の戦力ではどうにもならない。拘禁されている場所も完全に把握できなければ死者も出るだろう。」
「そのことだが海渡、あいつらは準備に最低でも十日はかかるって言ってたぞ。」
「よくそんな情報手に入れられましたね。」
「盗み聞きは得意でな。」
海渡は心の中で「その図体で?」と疑問が浮かんだが口には出さなかった。
「十日だと?ずいぶん時間をかけるのだな。」
真白が光政の話に疑問を呈した。不思議がっているというよりも不審に思っている。
「例の仕組みで艤装を改造するなら一日程度で済むだろう。そんなにかかるはずがない。」
「つまり、その十日は旗艦個体の準備にかかる時間というわけか。」
「そう見て間違いない。この前のものは完全に制御から外れていたから、新たに準備する必要があるだろう。当然、私や海渡の助力など得られるはずもないからな。」
部屋の中が少しざわついた。あんな怪物を作ろうとするなんて正気の沙汰ではない。
「真白、一つ聞きたいことがあるんだ。」
「なんだ?」
胸の中にある蟠りがある種の確信になりつつあった。海渡はそれを意を決して聞くことにした。
「『あらかわ』から出てきたやつ、黒い化物だけだっただろ。おれやレイみたいに人型のペアがいるんじゃないのか?」
「気づいたか。そうだ。あれは言わば艤装みたいなもので、あれ単一では生きられない。」
「じゃあそのペアはどこにいる?」
「様子を見る限り、中に埋め込まれてる可能性が一番高いな。」
「そうか。」
海渡はそういうパターンもあるか、と一人納得した。人為的にあれを作るとは、大泉の探究心には際限がなかったらしい。真白はやや思考したあと、海渡に事実を告げた。
「ちなみに、中身はお前も知っているやつだ。空母の艦娘がいただろう。」
「…」
海渡は返答できなかった。場も静まり返り、理解が追いついていない。
「今回は教えてくれるんだな。生きているのか?」
「ああ、死んだ個体じゃ艤装は動かない。」
吹雪は喜びを表情に出した。
「これで目標が一つ増えたわけだな。」
海渡はかろうじて表情が緩むのを防ぎ、独り言のように言った。
「鳳翔が死ぬ直前にレイが彼女を回収して大泉に渡したと見て良い。私はそこを見たわけじゃないが、あの後のレイはやたら上機嫌だったからな、大泉に褒められたか何かあったんだろうと思っていたが、まさかあんなことに加担しているとは予想外だった。」
それに触発されたのか、真白も同じように言った。こっちは海渡よりもより独り言に近かった。もしくは、さっさと吐露して忘れたかったのかもしれない。
「つまり十日間までに救助できなければ、誰かが旗艦個体にされた挙句艦娘全員が敵というわけだ。」
「そうだ。大泉の目論見が続いているならな。鳳翔の時と違って、意識がある状態で放り込まれるなど想像もしたくないが。」
真白でも恐怖することがあるのか、と少し意外に思い海渡は彼女を見た。それを察したのか即座に視線を外された。
「あとは、食料と燃料と武器だが。」
「私の家に来い。全部ある。」
真白の一言に場が沈黙し、視線が集中した。真白は予想外だったようで一瞬たじろいだ。
「…どのくらいかかる?」
「『みらい』の足なら二日から三日といったところだな。」
海渡は『みらい』に残っている物資の数を思い出して数秒計算した。
「しげさん、一日分だけ分けていただくことは可能ですか?」
「あとで十倍にして返せよ。」
茂は嫌な顔一つせず二つ返事で条件付きで快諾した。
「ありがとうございます。必ず要求どおりに返します。そこの元帥閣下が。」
「海渡、お前いい性格になったな。」
「どうも。誰かさんに扱かれましたのでね。」
光政はやや顔をしかめたが、実際のところ退役とはいえ彼の方が権力があるので、彼が準備する方が現実的だった。
「では、積み込みが完了次第出港する。解散。」
乗員たちが出ていく中、光政は海渡に声をかけた。
「死ぬなよ。」
「善処します。元帥はどうされますか?」
「ここにいるさ。もし何かあった時に私一人で済むようにな。」
「早まらないでくださいよ。」
「わかっている。」
光政は海渡の肩を叩いて出ていった。そして、海渡は吹雪と真白と合流した。
「鳳翔さんが生きているなんて、本当に良かったです。」
「まだわからないけどな。生きているだけ、なんてことにもなりかねないが、必ず助けよう。」
「はい!」
吹雪は顔に嬉しさを溢れさせた。一方で真白の表情は硬かった。
「お前に家があるとは、少し予想外だったよ。」
「家という表現は正確には合っていないかもしれないが、活動拠点だな。」
真白は軽く笑って海渡を見た。
「必ず来い。」
やや強めに念を押されたことに疑問を覚えたがすぐに忘れた。
海渡が公民館に向かった後、薫は合流する気になれず海渡たちが住んでいた家を訪れていた。九月も終わりだというのにまだ日差しは夏を残していて、外からぼんやりと家を眺めているだけでも汗をかきそうなほどだ。
家の前の畑は雑草が生い茂って野菜のほとんどは落ちて腐るか鳥や虫に食われたようだ。木造の平屋はツタ系の植物が覆っており、とても人が住めるような状況ではない。
「ここで男一人と女四人か、信じられないな。」
鼻で笑って扉に手をかける。力が少し必要だったが、問題なく開いた。埃が舞うのを見て反射的に鼻と口を押さえた。中は土足で荒らされていた以外は普通の家屋だ。居間のテーブルの上や台所に食事の痕跡が残っているのを見て、「そういえば大淀が強引に連行したんだったな」と思い出した。急に生活を投げ出すことになった海渡にわずかに同情した。他の部屋を見てもそれぞれに個室があったわけではなさそうで、プライバシーというものがないように見える。
「…こんなところで三年も。」
薫には考えられないことだった。ただ、それで海渡が彼女たちを侍らせていたとは微塵も想像できなかった。彼はそういうものとは無縁なのは同期の間では有名だったからだ。だから、薫は海渡が大淀や飛龍を連れている理由もそういうことではないことは十分わかっていたのである。しかし、感情が理解を拒絶した。そうでなければ、自分にできなかったことを彼は自然と出来たことになる。わかっていて彼に不純であることを期待した。
薫は縁側に座って海を眺めた。数メートル先は崖というなかなかにスリル満点な場所だが、どこまでも続く海と空は一切の邪魔なく交わっており、景色はなかなかに上々だった。気分が洗われる心地だったが、罪悪感は未だ残っている。
「もう潮時かもな。」
辞めるべきかもしれない。自分にはここが限界だ。そう思える。
「え、何?辞めちゃうの?」
背後から声が聞こえ、驚いて振り返ると翔鶴と瑞鶴が立っていた。
「なんでここに?」
「提督が入っていくのが見えたらついてきちゃった。」
自分しかいないと思ってぼやいていたのに、まさか聞かれていたとは。薫は海に顔を向けて恥ずかしさを誤魔化した。
「気持ちがいいねー、ここ。汚いけど。」
翔鶴と瑞鶴が薫の隣りに座った。薫とは違って二人の気分は晴れやかだった。
「提督、お辞めになるのですか?」
波と風が相変わらず音を立てているが、翔鶴の質問で一段音量が下がったように感じた。
「もう限界のような気がするんだ。海渡のように上手くやれないから。」
今までになく弱気な上官を見て二人は表情を締めた。想像よりも深刻そうで翔鶴と瑞鶴は言葉につまった。彼女の表情が儚げだったのが余計にそれを煽った。
「あいつはこんなところで暮らしていたからできるんだろうな。私にはとても真似できない。あれは天性のお節介だな。」
風が吹いて薫の髪が揺れた。いつもなら一つに縛っているところ、無気力からか最近は結んでおらず珍しい姿だった。
「そんなことないって。ずっと勝ててたんだよ?たまたま調子悪いときだってあるって。」
「だが、飛龍の件は完全に失敗した。私は自分のことしか考えていなかった。」
瑞鶴の励ましはあまり届かなかった。自分の後悔や失敗が先行し、他人の好意を受け取る余裕すらない。子供ならそのようなものかもしれないが、成人らしい振る舞いとは言えなかった。少なくとも翔鶴はそう感じざるを得なかった。
「提督、いい加減に前を向きましょう。もう過ぎたことです。反省は良いと思いますが、後悔はもう止めませんか。」
雰囲気に反して翔鶴は強い口調だった。薫も瑞鶴も翔鶴がそのようなことを言い出すとは思っておらず意外な顔を向けた。
「彼と提督は違うのですから真似する必要なんてないじゃないですか。提督は提督のやり方をやりましょう。」
「貴女たちに迷惑をかけすぎた。焦るあまりあんなやつに協力して、危うく死なせかけた。責任を取る必要がある。」
「次の時に取ってください。私たちはまだ貴女を見捨てていません。」
翔鶴は表情を崩さない。薫は気圧されたが彼女の意見の正しさを認めた。
「そうだな。少し考えるとしよう。時間はあることだしな。」
陰鬱な気分を吐き出すようにため息をついた。実際、彼女の指揮する艦娘は艤装を喪失しているため出撃できず時間を持て余しており、当然その指揮官たる彼女も手持ち無沙汰になっていた。やることがないからと言って脳が思考をやめることはないのだ。どうしたものかと少し考えて、気が進まないが海渡に相談することにした。彼女より階級が高いのは彼だけだったからだ。
要望通り一日分の食料と燃料を受け取り、『みらい』は島を出港した。その際、海渡たちに座標を教えた後「先に戻る」と言って真白たちは海中に姿を消した。時間が有限である以上迅速に行動する必要があった。そのため可能な限り潜航し、速力の維持に努めた。とはいえ戦闘も考慮せねばならず、常時最大速度というわけにもいかなかった。
海渡は艦内マイクを使って乗員全員に今後の予定を通達した。
「第一目標は燃料と食料の補給、そして武器の調達だ。現在向かっている座標にそれはある。それを成して初めて帰港しての救助が可能となる。そして第二目標は艦娘とその関係者の解放だ。これは上陸戦になる。細かい指示は後ほど出すが、知っておいてくれ。以上。」
マイクを切って椅子からやや崩れた。
「だらしないですよ。艦長。」
「こういうの苦手なんだよ。」
CICを苦笑が満たす中、海渡はため息をついた。そこへ薫が入ってきた。海渡はやや不機嫌になりつつ応対した。
「なんだ?」
「海渡、いや准将。相談がありまして。」
いつもの態度と異なることに不気味さを覚えつつ、何やら言いにくそうだったので場所を変えた。
「その、やることがなくてだな。何かないか?」
一瞬何かを企んでいるのではないかと疑ったが、かつてないほどにしおらしい態度だったためその可能性はなさそうだった。公民館で話している間に何があったのかは洞察出来なかったが、薫の感情は理解できた。手を動かしていないと負の思考に沈んで辛いのだ。海渡は顎を撫でながら思考して、とりあえず事務処理を任せることにした。艦長室まで共に行き、大雑把な作戦案を渡して細かい部分を詰めるように言った。ただ、海渡も少し困惑していて指示するというよりお願いといった体になった。
「ありがとう。助かる。」
それを言ったのは薫の方だった。違和感はあったが言いたい気持ちは理解できたので「頼む」とだけ言って部屋を出た。海渡がCICに戻る途中、翔鶴に会った。
「提督はどちらに?」
「艦長室で事務処理してるよ。やることないかって聞かれたからとりあえず思いついたものをやらせたんだが…。もしかして何か言ったのはお前か?」
「いいえ、私は何も?提督に用がありますので失礼しますね。」
翔鶴は笑みを浮かべて去っていった。あんなことがあった後でもちゃんと信頼されているようで海渡は安堵した。
その一連の様子を見ていた鈴谷と熊野は居住区に戻り、たまたまいた陸奥と大淀に事の次第を報告した。
「仲直りしたのならいいことじゃない。」
「ずっと険悪でしたからね。」
「でもなんかいい雰囲気になっちゃってたように見えたんすよ。なんか提督がいつもよりしおらしくて女の子みたいでしたよ。」
「急接近って感じでしたわ。」
「志ノ方提督に相談することに抵抗があっただけでしょうに。あんまり言うと吹雪さんに怒られますよ。」
大淀が釘を刺した直後、吹雪が入ってきた。表情はやや険しい。一瞬の無言の後に陸奥が聞いた。
「どうかしたの?」
「いえ、別に何でもないです。」
鈴谷と熊野は気まずくなった。聞こえていたと瞬時に気づいた。
「吹雪ちゃん、気にしないほうがいいわよ。この子たちずっとこんなんだし。この先は自由時間が減るでしょうから、もし不安なら今のうちに解決しておいてね。特に、戦闘に影響が出たら大変よ。」
「はい、わかってます。指揮官という仕事はそういうものですし。」
生真面目な吹雪に陸奥と大淀は微笑した。これはこの先も苦労しそうだ、と思った。年齢差だけではない。相手は一度結婚を経験した大人だ。その差は吹雪が思う以上に大きい。この齟齬は後々問題になりそうだ。吹雪は居住区での用事を済ませてさっさと出て行った。
「二人とも、少しは自重してくださいね。」
「すいませんでした。」
拠点に戻った真白たちは多少の疲労を残しつつ、海渡たちが来た時の準備を始めた。
「なんか、楽しいね。」
波留が言った。どのような状況であっても、やることがあるのはいいことなのだ。それは深海棲艦になっても変わらない。
「私たちには不要だが、物資が腐っていく状況は見てて歯がゆかった。ちょうどいい。」
「そうだね。でもこんなことになるなんて思ってなかったから、来るまでに間に合わないかも。」
「…その時は海渡たちにやらせよう。彼らが使う物資なのだからな。」
特に困っていなかったため片付けを後回しにしてきたツケが回ってきた。
「ねえシロ、さなちゃんはどうする?」
波留は控えめに聞いた。
「当然会わせる。彼女が望んでいる。」
「その後は?」
「彼女のやりたいようにやらせよう。どうせここからは出られないし、先も短い。」
真白の反応は非情のようにも思えたが、それが事実であった。
「…志ノ方さんに返せれば良かったんだけど。」
「私もそう思う。だが、私はどうすることもできない。あるいは、海渡が解決するかも知れないな。」
そう言い終わった後、波留は手を止めて真白を見た。少しして真白はそれに気づき、質問の視線を投げた。
「シロ、なんだか楽しそうだね。志ノ方さんのこと気になるの?」
「まさか本当に旗艦個体になるとは思わなかったのでな。あれは期待を裏切らない。まぁ期待する方としてはあまりにも上手くいきすぎて面白みにかけるが。」
鼻で笑いながら答える。
「そっか。」
波留は微笑みながら返した。そこへ詩乃が慌てた様子で走り込んできた。
「外にマコお姉ちゃんが!」
驚きと不快を合わせた顔が詩乃に浮かんでいる。真白は少しだけ不機嫌を顔に出して詩乃について外に出た。砂浜まで出ると、艤装をつけたマコがいた。三連装砲を咥えた頭が其々の腕に三つずつ生えている。詩乃は怖がって真白の後ろに隠れた。
「何用だ。ずいぶん物騒だな。」
「なぜあの人間に肩入れする?そっち側なのか?」
もはや敵意を隠そうとしないマコに辟易した。表情からは余裕の無さを感じる。
「私は私のやりたいようにやっているだけだ。敵味方の話ではない。」
「だがその所為で私も主任も割を食っている。主任は貴様に殺されたようなものだ。」
そこで意図を察した。そして下らないと言わんばかりに真白は鼻で笑った。
「なんだ?大泉が殺されたのがそんなに悔しいのか。あれは死んで当然だったろう。報いを受けた、それだけだ。」
マコは強い怒気を示して、右腕の主砲を真白に突きつけた。しかし真白は微動だにせず、視線を合わせ続けた。
「あの男を殺したら次は貴様だ。」
余裕を含んだ顔を浮かべたマコを、今度はより強く嘲った。
「お前には無理だ。」
「ふんっ。強がりも大概にしておけ。」
そう言ってマコは海中に消えた。
「カイトは大丈夫なのか?」
「大丈夫だ。そうでなければ困る。」
真白は詩乃の頭を撫でながら言った。ただ、マコの自信がどこから来ているのか、それが些か気になるのであった。
『みらい』は真白に教えられた座標まで残り百キロメートルのところで浮上して水上航行に移行した。潜水艦の難点として潜航していると水上の状況が把握できないという点があり、海渡を悩ませていた。今回のような上陸となると余計である。水上レーダーの範囲には何もないことは確認できたが、距離が心許ないため海渡自身が海上に出て周囲の確認にあたった。探知距離が六十キロメートルに到達したとき、それはいた。
「例のツインテールがいる。対水上戦闘用意。」
随伴艦もおらず移動もせずにそこに立っており不気味さを感じた。何かを企んでいることは明白だったが、そこまでの情報は得られなかった。
吹雪たちが海上に出て指示通りに陣形を組んで戦闘態勢に入る。徐々に距離を詰めて三十キロメートルまで迫った時、マコが吹雪たちに一直線に向かって動き出した。そして、飛龍とマコがほぼ同時に艦載機を出撃させ、航空戦に移行した。
「飛龍、相手は全て戦闘機だ。無理に突っ込まないほうが良い。」
「了解。」
気分が高揚しているのか飛龍からの返事は活発さが滲んでいた。声のトーンもいつもより高い。
「睦月ちゃん、如月ちゃん、大淀さんは私についてきてください。北上さんは射程に入り次第雷撃をお願いします。陸奥さんと最上さんは砲戦準備お願いします。」
吹雪の指示で全員が行動を開始する。吹雪は北上の射線から出るために北を迂回するように進み、それを確認して北上が計四十本の魚雷を発射した。数が多いせいで航跡で海が白く染められていく。吹雪たちもそれに少し遅れて魚雷を発射し十字に挟む形となった。
「砲撃戦お願いします。」
吹雪の合図で陸奥、最上、北上が射撃を開始し多数の砲弾をマコに浴びせにかかる。マコも同様に射撃を開始し、一射目はお互いに夾叉した。二射目、三射目と撃っていく内に陸奥とマコの双方が被弾したが、互いにかすり傷程度でおさまった。そこへちょうど魚雷が到達した。マコは副砲で魚雷を次々と対処したが、魚雷群は圧倒的数によってそれを強引に突破し襲いかかった。結果五本が命中してマコは足元を崩された。飛龍はそれを見逃さず、即座に雷撃機に攻撃を命令して魚雷を投下する。追加で三本が命中し、動きがわずかに止まった。吹雪はすかさず速力を上げてマコの懐に飛び込んだ。短剣を引き抜き、それをマコの胸部に突き立てる。
「待っていたぞ、吹雪!」
しかしそれは寸前に防がれた。右腕の艤装が素早く動いて横から短剣に噛みついたのだ。
「仲間のところに送ってやる!」
「あなたこそ!」
吹雪はもう一方の短剣をその頭に突き刺した。それに対しマコは左腕の艤装を勢いよく叩きつけた。吹雪は身を翻して躱したが、叩きつけられた衝撃で三メートルほど吹き飛び、宙で姿勢を制御して足で着水した。が、その瞬間に海中から飛び出してきた巨大な口が吹雪に噛みついてそのまま引きずり込んだ。
「提督!吹雪ちゃんが!」
「落ち着け。」
睦月の悲鳴を宥め、海渡はそれを意識の中で追い続けた。そして出現位置を予測し、睦月、如月、大淀に射撃命令を出した。他の艦娘たちにはマコへの攻撃を継続するよう命令し、睦月たちに介入させないようにした。そして予測通りの位置に飛び出したそれに三人は射撃を浴びせた。小口径とは言え多数の砲弾を背中に浴び、一瞬怯んだおかげで力が抜けて吹雪は脱出できた。一旦距離をとって呼吸を整えつつ主砲を構える。着弾による煙が流され姿が露わになると、見たことのある姿がそこにあった。背中に航空甲板を背負った『あらかわ』から出てきたそれである。
「鳳翔さん…。」
吹雪は歯ぎしりした。数秒吹雪とその化物の顔の向きが交差した後、それが大きく吠えた。それを合図に背中から航空機が発艦し、吹雪、睦月、如月、大淀に襲いかかる。吹雪は急ぎその場を離れて三人と合流し対空防御に徹したが、今までの航空機とは動きが全く違っていた。吹雪たちの対空砲を躱すのである。睦月たちはその動きに心底震え上がったが、吹雪はこの化物に鳳翔が使われていることを確信した。そして絶対に助けるという気持ちを再燃させた。とは言え、決意だけでどうにもできる状況ではなかった。対空砲を掻い潜って次々と爆撃と雷撃を敢行され、大淀が大破、如月が中破した。吹雪と睦月はかろうじて被弾を免れていたが時間の問題であることは明らかであった。
「大淀、如月は下がれ。援護する。」
海渡は命令を出すと同時に、『はるか』を海中から化物の背中に飛びかからせた。振りほどこうと海上を暴れ始めたが、そのおかげで航空機の統制が乱れ、吹雪と睦月はその隙に航空機を全て叩き落とすことに成功した。そのうちに『はるか』は投げ出されたが、組み付かせたおかげで海渡は新しい情報を得た。
「吹雪、鳳翔はあれの心臓部入っている。あいつの首の下当たりを浅く切って取り出すんだ。」
北上たちはマコとの砲戦の連続であった。敵への命中弾は増えているが、装甲が厚いせいなのか目に見えたダメージは与えられていないように見える。大口径主砲で狙われていては満足な射撃体勢を取れないこともあって、レールガンはほとんど当たらなくなっていて、最上の外装主砲は被弾を繰り返した結果破損したために仕方なく廃棄した。
それらの結果、マコに対する装備的優位性は失われつつあり、今までのような装備に頼ったやや強引な戦法ではなく昔ながらの堅実な砲雷撃戦となった。それを繰り返している中、飛龍の攻撃の一瞬の隙をつかれ、北上はマコに肉薄された。北上は咄嗟に装填が終わった発射管から魚雷を順次撃つ。しかし、マコはそれを高く跳躍して回避した。北上たちは例外なく驚愕した。
「吹雪だけの特権ではないぞ。」
マコは得意げな顔で北上に右腕を振り下ろした。北上は反応が遅れ完全な回避にならず、左半身の魚雷発射管を全て破壊された。さらに艤装の頭部が北上に顔を向けると、二基の三連装砲が一斉に火を吹いた。爆炎と共に砲弾が防御姿勢をとった北上に殺到し、背部の艤装と手に持った主砲を完全に破壊した。さらに砲弾が掠めた右腕、左足、左脇腹から出血し、炎で全身に火傷を負った。服装で守られた胴体は軽症だったが、露出していた両腕両足は真っ赤になった。
「ふー、五体満足で良かった。」
全身に酷い痛みを覚えても顔をしかめることなく不敵に笑ってみせる。そして即座に右半身の発射管から魚雷を撃った。マコがもう一度跳躍で回避を試みたが、一瞬間に合わず二本が命中して左腕の頭部が一つ吹き飛んだ。
「無理するなよ。」
海渡から通信が入る。ここで下がれと言わないのは、戦線を維持できなくなるとわかっているからである。海渡としてはできるだけ早く鳳翔を助けてすぐにでも援護したいところだった。
「ありがとね。」
北上もそれを十分わかっていたので、それを非情だとか酷いだとかは全く思わなかった。そこに陸奥と最上の射撃、飛龍の雷撃による追撃が殺到し、マコはそれを回避するために大きく距離をあけた。
「北上大丈夫?」
「ちょっと痛いかな。あいつ、なかなかやるね。」
北上は距離を取り、陸奥と最上は注意を自分たちに向けるために北上から距離を取るように動きながら射撃する。それを迎え撃つようにマコは回避運動しながら最上と陸奥に向かって主砲を斉射した。しかし、何度か撃ち合う間にマコが俯角を取らずに水平に射撃してきた。それは滑腔砲よろしく高速で飛翔し、陸奥と最上を掠めた。
「あっぶな。」
「あんな芸当もできるのね。」
一瞬冷や汗をかいたが、すぐに平静を取り戻して攻撃を再開した。しかし、そこでレーダー情報が乱れ始めた。
「ちょっと海渡さん、集中してよ。」
北上は魚雷を装填しつつ冗談めかして悪態をついたが、返答は深刻だった。
「待ってくれ、今戻す。」
その返答は息も絶え絶えだった。全員に緊張が走り、レーダーは一向に復旧する気配がない。
「何かありましたか?」
抑制した大淀の声が飛び、少しの間があって海渡が言った。
「すまない、被弾した。」
最上と陸奥を狙ったと思われた弾は、実は海渡を狙ったものであったことに気づいたのは彼が右脇腹を貫かれたときだった。彼自身も完全に意識の外であったため、無防備なところを貫通され海上を三回転がった。起き上がって怪我を確認すると、被弾部位から徐々に侵食が発生していた。
「まだ人間だったってことかな。」
驚くほど冷静に言ったが、その実それどころではなかった。上着を脱いで無理やり縛って止血をした。『みらい』を動かしたら必ずマコは彼らを狙う。そのため治療道具もない。海渡は三秒だけ考えたあと、自分が死ぬよりも早く戦闘を終わらせることを決めた。というよりもうそれしかないのだ。
「全員持ち場を離れるなよ。」
念のために忠告して次の命令を出す。
「吹雪、睦月、いいか、よく聞け。どうにか『はるか』で気を引きつけるから、その間に胸元飛び込んで鳳翔を出せ。」
「了解です。」
睦月からの返答には強がりの成分が濃かった。怖いだろうによく耐えてくれている。内心感謝した。
『はるか』に命令を出すと同時に化物から再度艦載機が飛び出して襲いかかった。『はるか』は吹雪と睦月を背負って海上を走り回り全ての攻撃を回避した。そして、次の航空攻撃がくる瞬間に飛んで化物に組み付いた。海渡の予定とはだいぶ違ったが、ここまできたらやるしかない。『はるか』が化物の喉元に噛みつき、行動を抑制したところを吹雪はすかさず飛び込んで胸の上部分を正確に薄く十字に切りつけた。表面の皮膚と筋肉が剥がれたところに全くためらうことなく右腕を突っ込んで中を探った。そして何か細いものに手が当たり、それを力強く引き上げると人の腕が出てきた。睦月もそこへ加勢し、さらに強く引くと鳳翔の頭が出てきた。ちゃんと腕と胴体が繋がっていることに心底安堵して、抱えるように引きずり出す。化物が悲鳴を上げて暴れ始めたが、『はるか』がそれをどうにか抑え込み耐えている。腰まで引き出したところで、艤装を繋ぐためのコネクタにケーブルが繋がっていることに気づいた。吹雪は一瞬だけ悩んだあとそれを力任せに引き抜き、鳳翔を完全に取り出すとついに化物は倒れ沈み始めた。
「鳳翔さん!しっかりしてください!」
声には答えない。ただ、浅く呼吸しているのは確認できた。生きている。今はそれだけでも十分だった。
「海渡さん、鳳翔さんの救助完了しました。」
「わかった。睦月、彼女を抱えて大淀たちのところに行け。吹雪は最上たちの加勢だ。『はるか』もな。」
海渡は腹部からさらに足の付け根くらいまでの感覚がなくなりつつあった。未だ自分の意識があることに驚きつつも、あと少しだけ持ってくれと祈った。
それを吹雪は知らなかったが、彼を早く治療する必要を感じていたために『はるか』の背に乗って急行し、ついにその慣性を利用して飛び出し、マコに空中から襲いかかった。それに対してマコは主砲と機銃による対空攻撃で応戦した。空中で体を捻って致命傷は避けつつ、被弾を免れないとなった時、咄嗟に主砲を投げつけて直撃を防いだ。それでも被弾は多数に及んだが、急所だけは無事に守りきって短剣を自由落下の力も合わせて振り下ろした。マコは回避が間に合わず右腕の主砲全てを真っ二つにされ大爆発を起こした。それでよろけたところに吹雪の回し蹴りが炸裂し、右腕が千切れ跳ぶと同時に横に大きくぶっ飛んだ。水切りする小石よろしく水上を何回も跳ね、最終的に止まった時には艤装の大半が破損して戦闘不能になった。
海渡はそれを確認し『みらい』を浮上させて大淀たちを収容させた。しかし彼自身は戻らなかった。まだレーダーが必要であったし、侵食されきったら最悪『みらい』の害となってしまうと考えていた。
吹雪たち五人はマコに近寄って主砲を向けた。彼女には抵抗の意思がないようで、脱力しているように見える。足元が徐々に沈み始めているのを見て、本当に終わった、と吹雪たちは認識できた。
「私の負けか。」
マコが呟く。表情には諦めも濃いが、どこか決意のようなものも見える。吹雪は短剣を握る力を強くした。
「主任、仇は取れませんでした。許してください。」
さらに独り言が続く。まさか懺悔するとは思っていなかったため、五人は驚いた。
「あんなやつに肩入れしたのが間違いだったんだよ。」
北上が吐き捨てるように言った。マコは一笑に付した。
「あんな人でも、好かれる時は好かれるのさ。お前にはわからないか。」
それはあまりにも予想外の言葉だった。北上でさえ言葉に詰まった。
「好きだったの?」
「どんなことであれ、必死に働く人間は好かれるものだろう。」
マコは明確に回答しなかった。
「もっと早く、止めさせることができたら、な。」
「なぜ協力したんですか。」
「主任が目標を達成したら、彼が解放されると思ったよ。お前たちのおかげで全て頓挫したが、それで良かったのかもしれない。主任がいないなら、生きている意味もない。」
切なさすらあった。吹雪は複雑な心境だった。マコは沈み続け海上に出ているのは胸から上だけになった。
「吹雪。」
「なんですか。」
「君は、私のようになるな。"できたら"じゃなくて"やれ"。後悔しないように。」
最後のマコの目には光が宿っていた。何かから解放されたような光が。
それが最後の言葉だった。確かに敵だったが、恨みだけで処理しきれない感情があった。
「吹雪、許してないよね?」
「まさか。許すわけないじゃないですか。」
金剛たちが殺されたことは一生忘れないし、許すなどありえない。ただ、同情しうるものはあった。
「愛する人のために、深海棲艦になって、人を殺して…。だとしたら、歪んだ愛なんじゃないの。」
飛龍が不同意気味に言った。確かにその通りだと思う。でももし、相手が必死になっててそれに取り憑かれていたとして、それを無理やりにでも止めることができるのだろうか。
「恋は盲目って言うじゃない。内容はさておき、夢中になっている人を止めるのは勇気がいりそうね。」
陸奥の言葉は程度の違いはあれ周りを納得させるものがあった。
こうして『はるか』乗員、金剛、龍驤、青葉、白雪、深雪、初雪の仇は消えた。ただ、吹雪たちの心には晴れない何かが残った。特に吹雪と最上には。愛するものを奪われるという感情は、想像したくないものだった。
結局、マコがいなくなったことで侵食作用は消え去り、残ったのは腹部の大きな怪我だけであったが、例のごとく『はるか』の"治療"で事なきを得た。
「便利ね。」
甲板で陸奥が呆れた様子で言った。心配するのが損であると言いたげである。
「羨ましいねえ。」
「あなたもやってもらえば?」
「やだ。」
北上は羨望の気持ちはあるようだが、実際に自分に置き換えるのは嫌なようである。が、『はるか』はそれを聞きつけたのか北上に顔を向けると飛びついてきて同じ目にあわせた。端から見れば猛獣に襲われているかのようだったが、十秒ほど一方的にじゃれつかれたあとの北上は海渡と同じように全快していた。
「次は絶対やだ。」
『みらい』は水上航行で移動していた。多数の怪我人が出たので艦内では対応できず、応急処置的に甲板での治療が行われた。
一番の問題は鳳翔だった。最後の戦闘で失った腕と足は深海棲艦と同じように真っ白なものに置き換わっていてややチグハグさを感じる。ただ、浅い呼吸は繰り返しているものの一向に目を覚まさないのであった。
「やっぱり無理やり抜いたのがまずかったんでしょうか。」
「可能性としてはなくもないが、それしか助ける方法はなかったんだし、今は考えないようにしよう。」
海渡のそれは完全な励ましにはならなかったが、事実であったため他の対処に専念することにした。そこへ真白が水上を歩いてきた。
「やっと終わったか。マコのやつは?」
「沈めました。」
「そうか。大泉の元に行けて、彼女も満足だろう。」
吹雪の短い返答に少しだけ感慨深そうに言った。
「マコ…さんは、大泉所長が好きだったんですか?」
「わからん。懐いてはいた。あんな男でも、何人かには純粋に好かれていた。当人はそういうものに無頓着故、何も起きなかったがな。気になるのか?」
「いえ、ただ、最後に"自分が止めることができたなら"って言ってました。」
「…最後に取り戻したか。お前達を観察していると、飽きなくていい。」
真白もまた、彼女に様々な感情を抱いているのだろうと、吹雪は察した。自分とはまた違ったものかもしれないが。
「ねえ真白さん、鳳翔さんが起きないんだけど、原因わかる?」
そこへ北上が駆け寄ってきた。真白は北上についていき、鳳翔を少しの間観察して言った。
「燃料切れだ。入れてやれ。」
「燃料?どういうこと?」
「鳳翔はもう深海棲艦になっている。私らは液体燃料で動くのでな。人間の食事とは別にそれが必要だ。」
死んでいるわけではないことに安堵しつつ、北上はさらに質問を重ねる。
「じゃあ艦娘用のやつを飲ませて上げればいいってこと?」
「やめておけ。体質に合わないと後々面倒だ。ディーゼルエンジンにガソリンを入れるようなものだ。」
「じゃあどうすんのさ。深海棲艦用の燃料なんてないよ。」
「海渡がいるだろう。」
言われた本人も周りも驚いた。
「こいつは完全にこちら側のくせに人間の特性をまだ持っている。ある意味で鳳翔と全く同じ状態だ。だからこいつが分けるのが一番事故が少ない。」
「どうやってだよ。」
「私が前にやってようにやればいい。」
「前?」
「覚えてないのか?東海岸沖でお前が頭痛に悩まされた時があっただろう。」
海渡は記憶の中を巡り、五秒程度かけてそれを見つけると、わずかに恥ずかしくなって咳払いをしたが、周りは誰一人として理解できていなかった。
「それ以外に方法はないのか?」
「あったら私もそうしている。」
海渡は「それもそうか。」と小さく独り言を言った。何やら悩んでいる海渡に真白はため息をついた。
「別に放っておいても死ぬわけじゃないが、人間としての食事は必要ということは理解しておけ。彼女がどれほどの間食事をしていないのか把握しているのか?」
そう言われてしまうと、羞恥心などどうでも良くなるのが彼だった。そんな理由で鳳翔の命を危険に晒すことはできない。
「力まずに分け与える意識でやればできる。」
「わかった。」
そう言って海渡は鳳翔の横に座って彼女を抱えて、真白が自分にやったように口を合わせた。体の中に意識を集中すると、何やら液体が溢れてきて、それを鳳翔の口にゆっくりと流し込んだ。それは周囲に大きな衝撃を与え、吹雪は気分が大きく盛り下がった。助けるためだと頭では分かっている。それでも胸の奥がざわつき、どうにも割り切れなかった。それが十秒程度続いた後、海渡が顔を離すと鳳翔がゆっくり目を開けた。ぼんやりと周りを見渡して以前の仲間たちを認めると、家に帰ってきたような気分になった。
「おかえり。」
「ただいま戻りました。」
海渡の言葉で鳳翔が目に涙を浮かべた。周りもそれを喜んだ。亡くなったと思っていた仲間が生きていたのだ。北上や最上が駆け寄って鳳翔を取り囲むと同時くらいに、海渡は急に息が詰まるような感覚に襲われた。呼吸を整えるために必死になっていると、真白が苛立ちを露わにしながら歩いてきた。
「馬鹿なのかお前は。求められるままに全部渡したらお前がガス欠するに決まっているだろうが。」
「それは先に言ってくれ。」
息も絶え絶えに反論した。吹雪が駆け寄って背中を擦ったが、改善することはなかった。
「吹雪、どけ。」
真白はそう言って吹雪を下がらせると、海渡を転がして仰向けにして上に乗り、押さえつけるように給油した。三秒ほどしてから真白は海渡を解放した。海渡は口の中に広がる油の味に吐き気を催しながらも、どうにか立ち上がった。吹雪はそれを見て、落ち込みを通り越してやや怒りに入っていた。
「吹雪ちゃん、ちゃんと躾けたほうがいいわよ。アレは。」
「はい。そうします。」
陸奥が吹雪に近寄って耳元で囁き、彼女はそれに同意した。とは言え、それも海渡らしいなと感じる吹雪であったし、自分を理由に鳳翔を助けないという選択肢は絶対に取ってほしくなかったため、少しずつ消化することにした。ただ一つ、私はまだなんだけどな、という不快感だけは残った。
指定された座標には島があったが、山が生えていると言ったほうが正しい印象である。海のド真ん中に約七百メートルの山が連なっており、その異様な雰囲気は近づくものを圧倒した。真白は島の北側にある僅かな平野部に案内した。とはいえそこは平野というよりも山の間の入江のような雰囲気で港はなく風化した桟橋だけが残っている。
「すごい場所だね。」
「こんなところに本当に物資があるんでしょうか。」
最上は桐野とともに甲板からその島を見上げていた。周囲がほぼ急峻な崖で構成されているせいで、近場ではもはや壁に見える。
『みらい』は浅瀬のギリギリに錨を下ろして停泊した。当然桟橋は使えないため内火艇の往復によって上陸を果たした。その入江の一番奥に人工物がある。コンクリートの壁と錆びた金属製の扉だ。
「海渡、何人か連れてついてこい。」
真白の指示に従い、補給科と船務科から計八名を選び共に同行させた。吹雪が付いていきたいというので、彼女も同行させた。扉を開けるとわずかに足元で光る明かりだけが頼りの薄暗い廊下が伸びている。足元は想像していたよりも綺麗だが、埃やら壁から剥がれ落ちた破片などが落ちていて安全とは言えなさそうである。それをしばらく進んだあと十字路になった。
「物資は左だ。進んだ先に倉庫がある。標識があるからすぐにわかるはずだ。そこにあるものは自由に持って行け。」
海渡は連れてきた乗員と共に向かおうとしたところ、真白に止められた。
「お前はこっちだ。見せたいものがある。」
一瞬考えて指示通りにした。乗員たちを向かわせて、海渡と吹雪が残った。吹雪をどうしても帰したいのか、真白は吹雪を睨みながら言った。
「吹雪、お前も向こうに行け。」
「…嫌です。」
「行け。」
「嫌です。」
真白と吹雪がお互いに譲らず埒が明かなくなった。
「吹雪がいるとまずいのか?」
「まずいな。後悔することになる。やめておけ。」
「嫌です。」
吹雪は頑なだった。最後の言葉と共に海渡の腕にしがみつき、態度でも付いていくことを示した。
「・・・私は忠告したぞ。何が起きても貴様自身の責任だからな。」
吹雪はもはや答えなかった。真白は十字路を直進していくつかの扉を過ぎた後、今までの扉の中で唯一給電されて明かりがついている扉の前で止まった。
「吹雪、これが最後の警告だ。お前は入らないほうがいい。」
真白はもう一度言った。これほどまでに警告するのは、一体何があるのだろうか。海渡はわずかに身震いした。
「私の答えは変わりません。」
「そうか。」
真白は呆れと諦めを混ぜた言葉を吐き出した。海渡も吹雪がなぜここまで頑なになっているのかわからなかった。吹雪自身もあまり自覚はなかったが、甲板での一通りの出来事が彼女に嫉妬心を植え付けており、海渡を一人にしたくないという気持ちが強かったのだ。
「海渡、自分で開けろ。」
「…わかった。」
鬼が出るか蛇が出るか、海渡はそのような気分だった。改めて見ると、この扉の周りだけ掃除が行き届いており、新築とは言わないまでも元の建物を想像できる程度には綺麗だった。海渡はドアノブに手をかけ、ゆっくりと開いた。中も同様に清掃されていて、廊下とはまるで印象が違う。部屋は二十畳ほどあり、左側の壁が機械で埋められていて、反対側は巨大な試験管が並んでおり液体で満たされていた。しかし、それら全ては海渡の視界に映っていなかった。彼の目に映っていたのは部屋の中央の車椅子に座る人物だけだった。後ろで車椅子を支えていた波留や隣に立っているやたら数の多い点滴と思しき装置も、彼は認識できていなかった。
「やっと来てくれたね。」
車椅子に座る人物が優しく話しかけた。表情はややこけて、髪も傷んでいたが、それが誰なのか一瞬で判別できた。
「早苗、どうして…。」
海渡は言葉に詰まった。何が起きているのか全く理解できなかった。ただただ、彼女が生きている。歓喜と感激が彼の感情に洪水のように流れこんだ。そして、事態は起きた。
海渡は無意識に吹雪から離れて早苗の元に歩き出そうとした。そして吹雪は咄嗟に腕にしがみついて止めた。海渡がそれに気づいて吹雪を見た時、彼女の顔に恐怖と後悔がはっきりと浮かんでいることに気づいた。
「貴女が吹雪ちゃん?」
「そうです。」
「お願いがあるんだけど、少しの間だけカイくんを返してもらえないかな?二人で話したいことがあるから。」
吹雪は返答できず黙っていた。その表情は恐怖で満たされていた。
「大丈夫。ちょっとだけだから。私はもう長くないから、最後に夫婦の時間がほしいんだ。お願い。」
早苗の表情はなおも優しい。しかし、それが吹雪には辛かった。
「わかりました。あの、外で待ってます。」
「わかった、気をつけてな。」
吹雪は涙を堪えて部屋を出た。
「カイくん、こっちに来て座って。」
早苗の言葉に従って車椅子の隣におかれた椅子に座った。
部屋を出た吹雪に背後から真白が声をかける。
「私は忠告したぞ。進んで入ったのはお前だ。」
「わかっています。」
吹雪は一瞬だけ足を止めて返事をしたあとまた歩き出した。歩きながら涙が止まらなかった。来た道を戻って最後の扉を開けて外に出る。ちょうど目の前に陸奥がいた。荷物の運搬を手伝っているようだ。
「ふ、吹雪ちゃんどうしたの?」
陸奥が動揺して話しかける。それほどまでにおかしな顔になっていただろうか。
「陸奥さん、一緒に来てくれませんか。一人では耐えられません。」
「ええ、いいわよ。」
陸奥は何も言わずに吹雪を連れてひと目のないところに移動した。上陸地点と扉の道からわずかに横に入れる場所があり、それが上陸地点とは別の海岸に通じていた。そこにはわずかに砂浜があり二人は手頃な岩に座った。陸奥が事情を聞く前に、吹雪は口を開いた。
「早苗さんが、海渡さんの奥さんがいました。」
「え?」
流石に陸奥も予想外で反応が遅れた。
「じゃあ今早苗ちゃんと会ってるの?」
「そうです。」
陸奥は掛ける言葉が見つからなかった。亡くなったと思っていた奥さんが生きていた。それは良いことだ。何も悪いことじゃない。だが、吹雪は素直に喜べないだろうということも想像できる。
「私は、私は最低です。海渡さんが奥さんに盗られると思って咄嗟に海渡さんの腕を掴みました。会えて嬉しいのをわかってるのに、それでも自分を選んでほしいと思ってしまいました。挙句、奥さんが長くないって話を聞いて、良かったって思っちゃったんです。」
吹雪は涙が止まらなかった。陸奥は口を開かず聞き続けた。
「私は、あの人の傍にいるべきじゃないんです。私は、私は…!」
部屋に入った時、吹雪には車椅子に座る人物が誰だかわからなかった。だが、その後見た海渡の顔で全てわかった。この人が、と。
そして、それを喜ぶことは微塵も出来なかった。恐怖だけが彼女を支配した。ここに来るまで海渡には様々あったが最終的に自分を選んでくれるという謎の自信があった。だからあまり気にならなかった。しかし今回だけは駄目だった。本能的に阻止したかった。海渡の幸福よりも自分を優先したことに腹が立ったし後悔した。彼の幸福を優先できなかった。
吹雪は激しい嗚咽を漏らした。言葉が出なかった。陸奥はそれを優しく抱きしめて背中を擦った。陸奥も言葉が見つからなかった。吹雪の気持ちも理解できるからだ。人間としてはそれが普通だろうが、本人はそれを後悔しているのだ。仕方ないなどという言葉は使ってはいけなかった。
乗員たちが物資の積み込みをしている間、鳳翔は桟橋の隣に座ってそれを眺めていた。手伝おうとしたところ、松葉に「病み上がりの女性に手伝わせるようじゃおしまいなのでね。」と丁重に断られた。それは他の艦娘も同じだったようでみな砂浜や岩場で遊んでいた。
「鳳翔さん、体調はどうですか?」
「ええ、もう大丈夫です。」
飛龍が隣まで来て彼女に話しかけた。左腕だけが真っ白になっておりやや異様な印象を受けるが、鳳翔の持つ柔らかい印象を覆すほどではなかった。
「鳳翔さん、あの時は本当に申し訳ありませんでした。」
鳳翔が見やると飛龍が姿勢と表情を正して深く頭を下げていた。その瞬間、彼女を庇って被弾した映像が頭の中で流れた。酷い痛みとみなが無事で良かったという安堵、そして、彼と別れることになる寂しさ。不思議と死ぬことへの恐怖はなかった。飛龍を恨む気持ちはなかった。そういうこともあるだろう、と思っていたから。
「次は気をつけてくださいね。」
言っておいておかしなことを言ったなと思った。自分が今生きていることが奇跡なのであり、そもそも二回起きようもない事象であるはずなのだ。
「はい。肝に銘じます。」
罪悪感からか飛龍は至って真面目に決意した。
「貴女が海渡さんの部隊に入るなんて、ちょっと驚きです。」
「海渡さんに”贖罪のために戦え”と言われまして。実際その通りだと思ったので転属させてもらいました。椎名提督には悪いことしちゃいましたけど。」
何となく想像できた。彼はそういう人だ。他人を責めることはほとんどない。いや、正確にはそれで何も解決しないならやらない。
「立派に戦えててすごいですね。」
鳳翔は素直な感想を漏らした。客観的に見てトラウマを引きずりそうなものだが、彼女は想像より強かったらしい。
「いえ、直後は病院でずっとうわ言を繰り返していただけでした。…又聞きですが。気がついたら海渡さんの執務室にいて、吹雪さんが一緒にやりましょうと言ってくれまして、ここにいます。」
「あの人達らしいですね。頑張ってください。」
「ありがとうございます。」
鳳翔は微笑んだ。今のところ『みらい』には空母の艦娘は四人いるが、艤装があるのは飛龍だけであるため彼女の責任は重いものだったが、それが気にならない程度には精神が安定したところまで来た。むしろ、ここに配属されてから技術的にも精神的にも鍛えられたような気がしていた。
「それで鳳翔さん、ちょっと気になってるんですけど、海渡さんからもらった燃料ってどんな味なんですか?やっぱり油?」
「あんまり覚えてないですね。気がついたら目の前にあの人がいただけでしたので。」
「そっか。そりゃそうですよね。変なこと聞いてすいません。」
飛龍は本当に聞きたいことをぼやかし、鳳翔は嘘をついた。考えれば考えるほど恥ずかしいものだった。実際のところ、最初の数回流された瞬間に意識は回復していて、体が疲労を引きずっていて反応が鈍くなっていただけだった。さらに、もう少し気づかないふりをしていてもいいかな、などと考えすぐに起きなかっただけのことであった。無意識に飛龍から視線を反らして海を見た。そこで真白が言っていた言葉が蘇った。
「求められるままに全部渡したらお前がガス欠するに決まっているだろうが。」
もしかして自分が狸寝入りしていることがバレていたのだろうか。そうだとしたら相当恥ずかしいことをした。努めて平静を装ったが、完全に押さえきれなかったようで顔に漏れた。そして飛龍はそれを見逃さなかった。
波留も部屋から出ていき、本当に二人だけになった。
「追わなくてよかったの?」
「…どういう意味?」
海渡は返答をぼかした。
「良くないと思うな。」
「ごめん。」
「いいの。ちゃんと謝りなさいよ。私を見た途端歩き出しちゃって、すごい心配だよ。」
返答できなかった。実際その通りだと思うが、謝ってどうこうなる問題のようには思えなかった。
「シロちゃんから話は聞いているよ。吹雪ちゃんとってもいい子なんだから、絶対幸せにしてあげてね。」
少し悩み、"シロちゃん"というのが真白のことであることに気づいた。そんなに見られていたのか、と考え込んだ。
「幸せか。とてもおれには資格があるとは思えないけど、ここまで面倒を見た責任は取るつもりだよ。」
弱音が続きそうだったためそこで話を切った。
「もう、そうじゃないっての。まぁいいけど。昔からそういうところ、変わらないね。その気もないくせに私に声をかけて、挙句私を惚れさせるなんて。普通に逆じゃない?」
「そんなこと言われてもなあ。」
海渡は苦笑するしかなかった。早苗は海渡の手を取って握った。とても弱々しい力で。海渡は優しく握り返した。
「会えて良かった。このまま死ぬのだけは絶対やだって思ってたから。」
「おれもだ。まさか、生きててくれたなんて。でもどうやって?」
早苗はやや自慢げになった。
「シロちゃんと波留ちゃんが助けてくれたんだ。本当は別の目的があったみたいだけどね。」
「…だろうな。」
大泉が『むーんらいと』を沈めた正確な理由は今のところ掴めていないが、少なくともこのような場所で生かすためではないということは決まっている。
「理由は聞いた?」
「詩乃ちゃんにせがまれたんだって。可哀想だから助けてあげてって。」
「そうか。…それで何か要求されなかった?」
「お、よくわかったね。取引したって。」
「タダで助けるような連中でもなさそうだから。」
海渡は真白を思い出しながら正直に言った。早苗は苦笑して「そうだね。」と返した。
「私が目を覚ましたのは事故があってから半年くらい経ったときなんだけどね、シロちゃんは旗艦個体?っていうのを自分で作りたがってたんだけど、私を使っていいよって言ったの。」
「…は?大丈夫だったの?」
「うん。"お前では素体にならない。"だって。」
息を吐いて胸を撫で下ろした。
「…待って。もしかしてそれでおれを差し出したの?」
「当たり。」
早苗は悪戯っぽい笑みを浮かべた。海渡は苦笑いしか出来なかった。
「まぁちょっと違うんだけどね。カイくんの話は前々からしてたんだけど、その時は特に差し出すとかはなかったの。ただ、カイくんが襲われて死にそうになったときあったでしょ?それを助けてほしいって頼んだら、"代わりに素体にするからな"って言われて承諾したんだ。怖かったけど、カイくんが長生きできるならその方がいいって思ったの。だめだった?」
当時の出来事を思い出してそういうことか、と腑に落ちた。
「全然。そのおかげで会えたわけだし。」
「ふふん。」
「結果そうなったってだけなのになんでそんなに偉そうなんだ。」
「先見の明ってやつ?」
「そうですか。」
互いに笑いあった。二人とも懐かしい気分だった。昔はこんな他愛もない話を、何時間でも続けていた。
「お父さんは元気?」
「ああ、ずっとね。最近また色々関わりが増えて大変だよ。」
「カイくんのこと気に入ってたからね。"おれの扱きに耐えるとはなかなかだな"って。」
「職権乱用しておいてよく言うわ。何回か死にかけたよ。」
「でもおかげで結婚できたよ。」
「…恥ずかしいから止めて。」
そうして二時間ほど話していた。そして、話が落ち着いた時に早苗は言った。
「吹雪ちゃんを呼んできてくれない?彼女とも話がしたいの。二人だけで。」
「あ、ああ、いいけど、いいのか?」
「うん。ちゃんとカイくんを返さなきゃ。」
海渡はそこで黙った。
「いつまでも私に引きずられちゃ駄目だよ。前を見て生きて。私は重しになりたくない。」
「わかってるよ。」
海渡は本音を言った。それはわかっている。海渡は自分を奮い立たせて部屋を出た。
海渡が吹雪を探していると、それを聞きつけて岩場から吹雪と陸奥が出てきた。吹雪は目元を真っ赤にしていた。
「吹雪、早苗が二人で話をしたいそうだ。行けるか?」
「はい。」
吹雪の返事は落ち着き払っていたが、それがどのような心理からくるものなのか海渡には判別できなかった。吹雪は海渡の横を抜けて中に入っていった。
「早苗ちゃんと話せた?」
「まぁそれなりに。」
海渡の返事が歯切れの悪いものだったので陸奥はやや表情をしかめたが、それを聞いても仕方ないと考えて追求はしなかった。
「吹雪は、その、大丈夫だったか?」
「あれを見てそう思うの?」
「全く。」
馬鹿な質問をした、と思った。
「あなた、ちゃんと吹雪、いや雪奈ちゃんと話した方がいいわよ。後悔するわ。絶対。」
「まぁそうだな。そうなんだが、何というか。正直今は難しい。」
「なんで?」
陸奥は不機嫌気味に聞いた。海渡は二つほど間を置いてから話した。
「何というか、色々起き過ぎて頭が追いついてないんだ。聞かないでくれ。」
そう言って海渡はその場を離れた。陸奥は海渡の心の内を洞察する術を持たなかった。ただ、こっちもこっちで安易な言葉を使うのは控えたほうが良さそうである。陸奥はそう思い、返答しなかった。
吹雪が部屋に入ると早苗が明るい笑顔を向けた。
「さっきは言いそびれちゃったけど、初めまして。志ノ方早苗です。」
「吹雪です。よろしくお願いします。」
そう言って促されて椅子に座る。早苗の自己紹介で海渡と同じ苗字がついていることにすら動揺した。二人は夫婦なのだ。何もおかしなことはない。それなのに動悸が止まらなかった。
「カイくんのこと、取っちゃってごめんね。でも、大丈夫だから返すね。ありがとう。」
「いえ。」
自分にそのような資格はない。貴女に嫉妬して、貴女の寿命が短いことを喜んでしまう自分に。
「私が言える立場じゃないけど、一つお願いがあるの。」
「何でしょうか?」
「カイくんを見捨てないであげてほしいの。吹雪ちゃんが嫌じゃなければ、ずっと一緒にいてあげて。あの人には貴女が必要だから。」
「そんなことないです。私は、そんなんじゃありません。」
そこでまた涙が出た。止めようとしたが、それで止まるようなものではなかった。
「私は、海渡さんに貴女のところに行ってほしくないって思ってしまいました。貴女の命が残り少ないって話を聞いて、反射的に喜んでしまいました。そんな私は、あの人の傍にいても幸せにはできません。きっとまたどこかで嫉妬して、あの人を困らせてしまいます。」
陸奥に話したことを同じように話した。ただ、陸奥の時は相談としてだったが、早苗には懺悔だった。到底許されるものではない。そう思った。
早苗はそれを聞いて驚いたあと、また優しい笑顔を作った。
「あの人はこんな娘にまで心底惚れさせるなんて、罪深いなあ。私も妬いちゃうよ。」
「何がですか?」
「私、そこまで考えたことなかったよ。そこまでカイくんを想ってるなんて、私より好きなのかも?」
早苗の言葉は予想外だった。怒られたり拒否されたり、ともかくそのような否定的な感情を向けられると思っていた。
「嫉妬するのもわかるし、反射的に喜んじゃうのもわかる。でも、そこから"私じゃ幸せにはできない"ってところまでは考えなかったよ。」
吹雪はどう返していいかわからず困惑した。早苗はそんな吹雪を見て「うんうん。」と一人で何か納得したように唸った。
「じゃあ、私がカイくんと会った時のこと話そうかな。吹雪ちゃんがあんまりカイくんのこと考えてるから、私も一つ自慢するね。」
どのような意味なのか吹雪には掴みかねた。吹雪の反応を待たずに早苗は話し始めた。
「最初に会ったのは、駅前のバーだったの。彼は友人たちと飲んでて、まぁ結構出来上がってたのかな?それで何かゲームをやって負けた罰として、カウンターで飲んでた私に声をかけてこいってなったらしいの。あの人酔ってたからなのかわからないんだけど、私のこと全然知らなかったらしくて、平然と話しかけてきてね。彼の友人たちはすっごい驚いてた。罰ゲームを提案したのは向こうなのに"やめろ"なんて言い出して笑っちゃったよ。」
早苗はとても楽しそうだった。吹雪はそれが純粋に羨ましかった。こんな風に海渡と過ごしていたことが。
「でもその後私も楽しくなっちゃって、最終的には朝まで飲んでさ。それで家に帰ったらお父さんがカンカンに怒っててもう大変。しかも友人と飲んでたって話をしたら、相手を探し出し始めてすごかったんだから。それでカイくんが見つかったんだけど、自分ところの部下だからって訓練で彼のことめちゃくちゃ扱いたの。"娘に手を出した罰だ"なんて言いながら当たり前のように職権乱用してて呆れちゃった。」
吹雪はその話を聞きながら光政を思い出した。あんな人に詰め寄られて扱かれたのかと思うと背筋が凍る。
「でもね、彼は弱音も文句も吐かず全部こなしたわ。あんまり理不尽だったから、カイくんに言ったのよ。"もう止めたら?"って。お父さんがやってたことって法律的にはアレだったから"然るべきところに相談しなよ"って言ったらなんて言ったと思う?」
問いかけられて吹雪は少し考えた。それを答える海渡を想像した。
「…早苗さんに迷惑がかかるから、ですか?」
「よくわかったね。やっぱり吹雪ちゃんの方がカイくんのこと見てるなー。」
早苗は驚きと喜びを同時に示した。吹雪は恥ずかしくなって俯いた。
「まぁそう言われてさ、びっくりして何がって聞いたの。そしたら、"自分の軽率さの所為で扱かれているだけで、貴女には関係のないことだ。ここで訴えて諸々起きたら、問題が大きくなって無関係の貴女に迷惑をかけてしまうから"ってね。馬鹿よね。でも、その時に気づいたの。"あ、私この人に惚れてる"って。ずるいよね。」
「そうですね。」
吹雪は同意の相槌をうった。吹雪も経験があるのだ。海渡を巻き込んだ時、彼は文句も弱音も吐かずにずっと自分たちのために尽くしてくれた。それがとても嬉しかった。きっとその頃から惹かれていたのだと思う。早苗のように。
「でもね、あの人の唯一の欠点というか気にいらないことがあってさ。付き合い始めたのは彼から言われたからなんだけど、その時の彼、私のこと好きじゃなかったね。」
意外な言葉に吹雪は驚いて言葉が出なかった。
「絶対義務感だったと思う。責任を取らないとって思ってたに違いないよ。彼には聞いてないけど、そんな雰囲気だった。」
「それで、OKしたんですか?」
「うん、だって悔しいでしょ?こっちだけ悩んでるのが。絶対悩ませてやるって思ったの。ま、最終的にそうなったから結果オーライなんだけどね。」
吹雪は乾いた笑いが出た。この人は強いな、そう思った。
「だから、吹雪ちゃんも悩ませてやって。あの人は愛が後から来るタイプだから。ちゃんと悩んでくれたし、ちゃんと好きになってくれた。最初はちょっと辛いかも知れないけどね。」
「はい。頑張ります。」
吹雪は笑顔で返した。
「あの、一緒に帰ることはできないんですか?」
そして、気になっていた話題に転じた。嫉妬していた自分が言うのもおかしな話だと思ったが、そう聞かずにはいられなかった。もし彼女が生きられるなら、海渡にとってその方がいいと思ったからだ。
「私ね、ここから動けないの。この後ろに繋がってる線が生命維持装置に繋がってて、これを抜いたら私の命は止まるの。しかも、ここの設備はもう古いから、線を抜かなかったとしてもいつかは止まるんだ。この話、あの人に言わないでね。自分で言いたいから。」「はい。」
どうすることもできないことに、吹雪は無力感と寂しさを覚えた。
「次は吹雪ちゃんの話聞かせてくれない?カイくんと会った時のこととか、今まであった楽しかったこととか、なるべく全部聞きたいな。」
「頑張ります。」
吹雪はなるべく丁寧に話した。早苗はそれを真剣に聞き、相槌を打ったり驚いたり苦笑したり様々だった。吹雪はそれがとても楽しかった。話すこともそうだが、海渡との思い出を遠慮なく全部話すことができ、共感してもらえるのは初めてだったからだ。そうして話す内に時間が過ぎていき、吹雪は心の整理がついていった。
その後、吹雪との話が終わったあと、遊撃部隊所属の艦娘と海渡が真白に呼ばれて部屋に入った。それを確認した後に早苗は自己紹介をした。そこで陸奥に気づいて話しかけた。
「あれ?由利ちゃんも艦娘になったの?カイくんのところにいるなんてなんか面白いね。」
「ほんとよね。世間の狭さを感じたわ。」
「こいつは希望してここに来たんだがな。」
海渡はため息交じりに言った。それを聞いた早苗は目を丸くしたが、陸奥の反応は何やら微妙そうであった。
「あらそうなの?気になった?」
「まあね。」
陸奥は得意げに返したが、顔を少し赤くしているように見えた。早苗の「気になった?」がどのような意味なのかは海渡にはわからなかった。
「みなさんに集まってもらったのは、見てほしいものがあるからなんです。ちょっと衝撃的な話だから、小さい子は聞かないほうが良いかも知れないけれど・・・。」
早苗は悩みつつ睦月と如月を見た。二人とも大丈夫と表情で返答した。
「そっか。怖くなったらいつでも出ていっていいからね。」
早苗がそう言うと、真白は壁のスイッチを操作した。すると天井から大きめのブラウン管テレビが降りてきた。それにビデオデッキの線を繋いだ。
「また懐かしいものを出したな。」
「海渡、これから見せるものはお前と吹雪、そして第一世代の艦娘に特に重要だ。お前らは最低限最後まで見ろ。」
その言葉で何を見せられるのか察しはついた。これはキツい内容になりそうだ。
「わかった。頼む。」
真白はビデオデッキにビデオテープを入れた。何秒かノイズが映った後、白衣を着た一人の男性が映った。若干若かったが、大泉だとわかった。
「1995年11月10日、脳内で声が響くと訴える少女が連れてこられた。水を異様に怖がっており、水を飲ませるのにも苦労している。上層部の命令で彼女を精密検査する。以上。」
そこで切れてそのまま次が再生された。
「1996年1月20日、検査の結果、体の構造には特に異常がないことを確認した。唯一脳波だけが強い乱れを示している。よくわからないが、アンテナの受信強度が異様に高い状態、と言えばいいのだろうか。その原因について調査する。」
そして、さらに次。
「1996年3月12日、彼女を海に連れ出して検査を実施。脳の反応は明らかに聴覚からの情報を処理しているように見えるが、私以下研究者には何も聞こえない。引き続き調査する。」
そして、次から急に雰囲気が一転した。
「1996年6月23日、擬似的に環境を再現した。狭いラボの中では完璧とは言えないが、彼女の反応を見るに及第点といったところ。調査を続行しつつ追加予算を申請する。」
その大泉の声は辛うじて聞き取れる程度のものだった。なぜなら、映像の中でずっと女性の悲鳴が入っていたからだ。思わずみな表情を歪めた。吹雪を含めて何人かは驚いて後ずさったが、吹雪だけは海渡が無意識に手を肩に回して支えたためにそうならなかった。吹雪は少し驚いて海渡を見た。彼はテレビから全く視線を外しておらず、その表情から彼の行動の真意をはかることは出来なかったが、腕から伝わる優しさだけで十分であった。吹雪はわずかに体を寄せて体重を預けた。甘えたい気持ちもあったし、このあとの映像への恐怖もあった。
「1997年1月29日、ついに彼女に聞こえている声の解析ができた。内容は周囲の人間の脳内の思考、と言えばいいのだろうか。ともかく水場の近くにいると彼女は周囲の人間の声が聞こえる。一体これは何なのか。調査する。」
「1997年3月3日、彼女の特定の環境における周囲の声が聞こえる現象は大いに有用であることがわかった。これを再現、ないし汎用化するための試験を行う。」
その映像は大泉が不敵な笑みを浮かべていた。そこからの映像は狂気を含み始めた。彼女の特殊能力とも言える何かを必死に機械での再現を試みているようだった。彼の言うところの試行錯誤が流され続けた。三回目の映像で最初に運ばれてきた女性が亡くなったことがわかったが、彼はそれに対して「耐久度の限界だった。」とだけ言って終わった。
「2001年6月19日、様々な条件の人間を試したが未だ成功せず。方針を転換し、機械に合わせた人間を作ることにする。被検体を五十体ほど作成し、試験する。長い道のりになるが、やむを得ない。」
そこで艦娘たちが異なるタイミングで吹雪を見た。吹雪はその音声を聞き、心臓が停止する感覚に襲われた。大泉に言われた言葉が頭を走り回る。事前に知っていた早苗は、どうか耐えてほしいと祈った。海渡は視線の先を変えることはなかったが、吹雪に回した腕の力を強くした。
「2001年7月9日、機械に艦船の破片を使うことで劇的に受信能力が高くなることがわかった。今後はこれの回収作業も並行する。」
「2002年1月12日、女性の方が適正が高いことが判明した。より厳選した個体十体に機械を埋め込みテストする。」
そこで真白はテレビを見る視線を鋭くした。忌まわしい記憶が彼女の中に浮かんだ。手術台の明るい光、研究者たちの好奇の目。それらが自分たちをぐるりと囲みどこにも逃げ場がない。
「2002年12月9日、人造個体の半数を喪失した。設計を確認する。」
その後の映像でさらに半数減り、その後で十体失い、と徐々に検体を失っていく報告が流れ、映像の中の彼にも焦りが浮かんでいた。そして、
「2005年11月15日、被検体三十五番が試験に成功した。体調は良好で精神も安定している。」
そこで映されていたのは、成功を喜ぶ大泉と容姿こそ幼いが明らかに吹雪の姿だった。吹雪は途端に息苦しくなった。わかってはいても、目の前でまざまざと見せつけられる様は精神を押しつぶすには十分だった。
そうして、その後は吹雪の成長が報告されていた。ただ、それは子どもの成長記録と言うよりも機械が学習していく様を残していると言った感じで、吹雪本人にはまるで言及がなかった。いくつか流れた後、大泉ではない別の研究者が映った。その背後は煤と炎が見え、研究者本人から血が滴っている。
「2010年、私たちはやりすぎた。みなの怒りを買った。ここはもうおしまいだ。私は今までの行いを悔いている。本当に、本当に馬鹿なことをした。」
そこで切れた。映像が完全に止まり、ビデオテープが吐き出された。
「深海棲艦も艦娘も全部アレの産物だったわけか。この後のは?」
海渡はため息をついて言った。概ね予想通りではあるが、予想よりも残酷だった。
「ない。これを境にここは放棄されたからな。」
真白は淡々と言った。それでも表情には微妙に怒りの成分が浮いている。
「誰かが襲ったってことね。ま、あんだけのことしてたらそうなるよね。」
「やったのは私たちだ。大部分は本土に引き上げていたようで目的は達せなかったが。」
自白を聞いてもさしたる驚きはなかった。全員が「そうだろうな」と思っていた。
「目的?」
「吹雪を回収することだ。完成品を奪ってあれが怒り狂うところを見たかったんだが、一足遅かった。」
真白は不敵に笑った。
「私は達成できなかったが、代わりにお前が成したな。」
「どうもそうらしいな。」
海渡は声に出さずに笑った。そこでようやく吹雪の肩を抱いていることに気づいて腕を離した。
「悪かった。痛くなかったか?」
海渡に問いかけられて吹雪は頷いた。その様子が違うことに気づいたのは陸奥と早苗だけだった。陸奥は理由までは知らなかったが、早苗はそれを知った上で何も言わなかった。海渡自身がそれを解決しなければ意味がないと知っていたからだ。
艦娘たちが映像の話をする中、海渡は副長の松葉に通信を入れ、物資の積み込み状況について聞いた。
「あと半日程度あれば完了しますよ。」
「じゃあ明日の終わりくらいにここを出る。全員に知らせてくれ。」
松葉から了解の返事をもらって通信を切った。それから艦娘たちにも同様に通達してそれまで自由時間とした。こんな場所で自由時間と言っても何ができるわけでもないだろうが、潜水艦の中にいるよりは良いだろう。みなそれぞれ部屋を出ていったが、吹雪と陸奥は残っていた。
「早苗ちゃん、ちょっと話さない?」
「いいよ。ちょっとと言わずいっぱい話そうよ。」
陸奥が早苗に話しかけた。
海渡は周りを見渡した後、真白に一つの質問をした。
「この施設は資料とか残ってないのか?」
「そこら中にあるぞ。荒らしまくったからな。」
「そうか。ありがとう。」
海渡はそれを聞いて部屋を出ていこうとした。そこへ吹雪が声をかけた。
「あの、私も一緒に。」
「いや、一人でいい。危ないから。」
明確な拒絶に吹雪は時が止まったように感じた。正直拒否されることは考えていなかった。いつものように快諾してくれるものと思っていた。海渡の背中が扉で見えなくなったあと、一つ間をおいて陸奥が言った。
「吹雪ちゃん、こっちにおいで。」
吹雪は促されるままに早苗の隣に来て椅子に座った。吹雪は見るからに意気消沈しており、陸奥と早苗はもちろん、真白ですら同情した。前者二人は個人的感情として、後者は戦闘への負の影響を考えた結果として。
「そういえば、吹雪って艦名なんだよね?本当の名前は何ていうの?」
早苗が雰囲気を変えるために敢えて別の話題を出した。吹雪はわずかに反応して「雪奈です。」と言った。そして、
「海渡さんにもらいました。」
と続けた。早苗は「やらかしたかな。」と思いつつ表情には出さずに
「素敵な名前ね。あの人意外とセンスあるじゃない。」
と明るく返した。
「アレは相当面倒な性格をしているな。よく結婚したものだ。」
真白が海渡が出ていった扉を見つめながら言った。
「私の時は死別した奥さんなんていなかったからね。私の所為で状況をややこしくしちゃってるだけだよ。」
「なるほど。悪い意味で状況と性格が噛み合ったか。」
真白は納得して頷いた。ただ、彼女自身はそれを解決する気はない。彼らの情事にはまるで興味がなかった。
「どうしたものかしらね。」
「私からは何も言えないな。言うだけこじらせることになるだろうし。」
年上たちが悩む中、吹雪は絶望の中から口を開いた。
「大丈夫です。私とあの人が解決しないといけないことなので。頑張ります。」
「そっか。」
早苗はあえて短く返した。自分が原因だとわかっていても、謝るべきではないのは理解していた。その上で、吹雪が諦める気がないことに心底安堵した。
海渡は吹雪たちと離れ一人で施設内で資料を探し回った。特に目的のものがあるわけではなく、基地に戻った際の報告に使えそうなものを集めておきたかったのだ。
海渡は近場から一つ一つ扉を開いて中を覗く。生活用の部屋だったり食堂だったりと、資料などと無縁な部屋もあったが、全体としては資料やバインダー、実験器具が置かれた部屋の数の方が多かった。
「これは時間がかかりそうだな。」
そう独り言を言った後、一番最初に見つけた資料が散乱している部屋に入った。電力が来ておらず部屋は真っ暗で扉から入る微光だけが頼りだった。海渡は内ポケットから懐中電灯を取り出し、それでどうにか資料の選別を始めた。とはいえ、大半が研究資料だったため、作業は難航した。そこで吹雪が六歳の時の資料が出てきて思わず手が止まった。
「最悪だな。」
海渡は自分の行動を思い出して自嘲した。曲がりなりにも好意を伝えた相手を置き去りにして、思わず早苗に歩み寄ろうとしたことを嫌悪した。吹雪に対する酷い裏切りだった。正式に交際しているわけでもないし、明確に応えを返したわけでもないが、海渡の心情はそれらを理由にして自分を正当化するなどできるはずもなかった。
吹雪を連れてこなかったのは、一人で考える時間が欲しかったからでもあるが、結局一人で考えたところで独りよがりな結論にしかならないことに気づき、微妙な気分になった。
「…」
海渡は一度大きく深呼吸してから、意識的に作業に没頭し始めた。不要なものと報告すべきものと分けていき、その部屋は一時間程度で終わった。
そして、次の部屋、その次の部屋、と進めていったが、部屋の数は二十部屋を越え、単純に計算しても徹夜してようやく出港時刻に間に合うかもしれない程度だった。そのことに気づいて、海渡は咄嗟に、
「吹雪、そっち見てくれないか。」
と無意識に言った。が、もちろん部屋には海渡しかいない。それに数秒経ってから気づいて、海渡は項垂れた。
「本当に最悪だよ。」
もはや自分を呪った。
結局、吹雪に対する考えはまとまらなかった。ただ、一人になってみたところで、吹雪の存在が頭から消えるわけではないことだけは嫌というほど分かった。海渡はいくつかの部屋だけをまわるに留め、資料はそれなりに集めることができたが、海渡も気づいていなかった点が一つだけあった。それは、吹雪に関する資料は一つ残らず持ち帰る方に分類したことだ。結局このことに海渡が気づくことは最後までなかった。
その日の夜、早苗は背もたれを倒して横になりながら考え込んでいた。明日の海渡たちが出ていく時、自分はどうしようか、と。正確には以前から決めていたのだが、いざとなると怖くなるのだ。
「眠れないのか。」
真白が静かに声をかけた。
「貴女も?」
「そうだな。そんなところだ。」
真白は早苗の隣に座った。
「何を考えてるの?」
「それよりも先に早苗が何を考えているのか聞かせてくれ。私の考えはそれ次第だ。」
それを聞いて早苗は真白の思考を察した。大きく息を吸い込んで、吐き出した。
「明日カイくんが出るときに、電源を切ってもらおうかなって。ここで待つのはもう終わりにしたいんだ。生きていれば次会うことを考えちゃって生きるのが辛くなるから、幸せなままで終わりにしたいの。」
「そうか。」
真白はそう言って目を閉じた。彼女は何か噛みしめるように頷いて、口を開いた。
「では私の考えは無意味だな。早苗がそうするなら、私たちのやることは一つだ。ここで別れる。やつを監視していたのは完成を見届けたかったのもあるが、早苗に頼まれていたからだからな。お前が死ぬのであれば、もはや監視する意味もない。」
「あら?そうなの?でも、私が死んでも聞かせてほしいんだけど。」
それを聞いた真白は眉をしかめた。意図が掴めなかった。
「…どこにだ?お前は私のように深海棲艦にはなれないぞ。」
「私のお墓に毎年来てよ。」
「そこにお前はいないだろう。死体では音は聞けない。」
「でも心は届くよ。」
真白は押し黙った。早苗の言葉は一見うわ言のようで、妙な説得力があり、それに気圧された。
「これは貴女への最後のお願い。どうか、海渡くんを守ってほしい。これからもずっと。」
「…対価は?」
真白は聞いておいて本心ではないことに気づいた。気分としてはなぜか快諾するつもりだった。早苗への奇妙な恩が彼女の中にあった。
「彼の面白おかしい一生を見続けられるってのはどうかな?」
「まぁアレは見ていて退屈しないが…。」
一度承諾を避けた手前、真白は悩むふりをして時間をかけた。そして、
「まぁよかろう。」
用意していた言葉を発した。
「良かった。ありがとう。」
早苗は笑ってそう言った。真白はそれを見て、彼女が死ぬに際しできるだけ安らかに逝けるようにしてやりたい、と心から思った。
次の日のお昼前に物資の積み込みが完了し、『みらい』乗員たちは夕方の出港時間まで暇を持て余すことになった。自由時間と言われても何もない。どうしたものか、みながそう考えていた時、物資の中にビーチボールと砂遊び用の道具を見つけた者がいた。かなり古いが使えそうだ、そう判断した彼は皆が集まっていた砂浜にそれを持って行き「これどうでしょう?」と目の前に広げてみせた。
「でかした。」
一瞬の間の後、松葉がそう言ったことがきっかけとなり、いい大人たちによるビーチバレーと砂の城づくりが始まった。羞恥心から消極的だった面々も徐々にまじり始め、最終的にはその場にいたほとんどの者が参加していた。ここにいた研究員たちもこのように遊んだのだろうか、と思いを馳せる者もいた。
「皆さん元気ですね。」
大淀は吹雪と共に岩の影に座ってそれらを眺めていた。ビーチバレーは二人組のチームでやっていて、翔鶴型のペアが意外な才能を発揮して連勝を重ねていた。対する乗員の男たちは大人気なく全力だったが、なかなか勝てていない。
「戦いばっかりな上に潜水艦の中でしたから。」
吹雪は同意の相槌を打った。海渡は未だに施設の中で資料を読み漁っているらしく、それが気がかりであったがどうすることもできずにいた。「一人でいい」と言われたことに、今回は従うことにした。ふとビーチバレーから視線をずらすと、詩乃が波留や乗員たちと砂遊びしている。詩乃も真白や波留と同じように十五年前からいるはずだが、外見も精神も当時のままの幼児そのもので、乗員たちに教わりながら目をキラキラさせて城を作っていた。その隣で波留は乗員と詩乃が作った城に妙に真剣な顔で堀を掘っていた。
「敵同士だったのも過去ですね。」
吹雪が呟くと、大淀も砂遊びに視線を向けた。
「まさか深海棲艦と過ごす日が来るとは予想外でした。人間と同じように、結局は"人による"ということなんでしょう。」
その様子を見ながら、大淀は同意した。
「そういえば、志ノ方提督の旗艦個体の能力があれば、もう戦わなくて済むんでしょうか。」
大淀はふと思いついたことを言った。それは深海棲艦を相手取りたくないというより戦いそのものを避けたいという考えから出た。吹雪はそれを察したが、完全に同意できなかった。
「深海棲艦とはそうなるかもしれません。ただ、海渡さんや私に向けられる好奇の視線はすぐになくならないと思います。だから、しばらくは人間同士で揉めるような気がします。」
「嫌な状況ですね。…今も変わらないか。これから行く先がまさにそうですし。」
大淀は自分を棚に上げたが、吹雪は追求しなかった。大泉から解放された彼女は前よりも積極的に吹雪たちの仲間であろうとしていたのを理解していたので意味のないことだった。
「これで全部終わりにしたいです。」
吹雪の言葉に大淀は無言で頷く。彼女自身もそれで本当に解放される気がした。
一方のビーチバレーでは北上と最上が名乗りを上げて翔鶴ペアに挑んでいた。強化人間の組み合わせはずるいな、と吹雪は苦笑した。何回かの応酬の後、北上が熱くなりすぎた結果ボールを破裂させた。大きな音が鳴ったあと静寂が訪れ、何とも気まずい空気になった。
「やりすぎだよ。」
最上が呆れて言った。北上は唸った後に何か思いついたようで海岸で寝ている『はるか』に向きなおった。
「ねえ『はるか』ー。これ直せる?」
目はないものの眠そうな挙動と共に上体を起こしたそれは、北上が持っている潰れたボールを見た後に、ため息と同時に肩をすくめてもう一度寝た。どうもダメそうだ。
「あー、ごめん。」
北上の謝罪に対して、男たちは『みらい』から道具を持ち出してボールに応急処置を施した。前よりも張りはないが、バレーは継続できそうな程度には復帰した。
「次は気をつけろよ。」
「わかったってば。」
応急処置を施した乗員の一人が北上に言った。乗員がかなり真面目な表情をしていたので、吹雪は思わず笑ってしまった。そこまで真剣になっていたとは思っていなかった。
そうして再開され、出航予定時刻の二時間前までやっていた。終わった後で「意外と飽きないもんだな。」と全員が思った。
出航予定時刻まで一時間となり、海渡は早苗の部屋を訪れていた。彼は妻を連れて帰ることを当然だと思っていたため、彼女からここを離れることができないことを告げられると、思考を停止して脳内が空白になった。
「どうやっても?」
「どうやっても。」
無意味な質問だとわかっていて聞いた。海渡はそれでも何かを考え始め、早苗はやや呆れた。そういうところが好きではあったが、今はそのような場合でない。彼を待つもっと大勢の人がいて、それをおざなりにして自分一人を助けようとするのは、早苗の望むところではなかった。
「あの、海渡さん、もうそろそろ時間が。」
「ありがとう。先に行っててくれ。すぐ行く。」
そこへ吹雪が入ってきた。出航準備も終わり、いよいよという状態だ。
「雪奈ちゃんもここにいて。一緒にいてほしいから。」
早苗は覚悟を決めたような表情で吹雪を見た。事情を知っている吹雪は少しだけ息苦しくなったが素直に承諾して残った。
「吹雪に何か用があるのか?」
「…ねぇカイくん。最後のお願いがあるの。そこにレバーがあるでしょ?」
早苗が指さした先の機械に片手で降ろすタイプのレバーが付いていた。
「それを下げてほしいの。」
「…いやだ。」
それが何であるのか明言はされなかったが、海渡は察して拒絶した。
「どうして?」
「おれに、殺せと?」
「うん。」
海渡はどうにか言葉を絞って出したが、早苗はさも当然のような表情だった。
「ここで待つのはもうおしまいにしたいの。このままだとまたカイくんに会いたくなって、前よりもっともっと寂しくなって、つらいから。」
答えられなかった。いや、答えたくなかった。どのように回答しても状況が先に進んでしまう。海渡はそれを恐れた。
「いや、でも、また会えるならそれでも――」
「だめ、この建物の寿命に追われることになるから。そういう生き方はしたくない。」
早苗は相手の回答をねじ伏せて自分の意思を表明した。
「海渡さん、時間が…。」
吹雪は空気を壊すことを承知で海渡を急かした。少なくとも、わずかにでも理由があれば少しは気が楽になるかも、と思って背中を押したつもりだった。それが届いたのかどうかはわからなかった。ただ、彼が静かに泣いていることだけはわかった。
せっかく生きていたのに、なぜ殺さなければならないんだ。会えるわけもなかった妻に会えた。元気に話すこともできた。それは素晴らしい時間だった。それの終止符を、自分で打つとは。
「あ、そうそう。それを降ろしたら、私を抱きしめてほしいの。前にみたいにぎゅうって、壊れるくらい強く強く。」
早苗はできるだけ笑顔で言ったが、それでも、溢れる涙だけはどうにもできなかった。
「雪奈ちゃんごめんね。雪奈ちゃんに返したのに、最後のわがまま言っちゃった。」
「大丈夫です。好きなだけ言ってください。」
吹雪は本心から言った。彼女もまた涙が出た。
「早苗。」
「なに?」
「ありがとう。一緒に帰ろうな。」
「うん。」
最後の「うん」は精一杯声にしたつもりだったが、果たして言葉になっていただろうか。涙が溢れ、嗚咽が止まらない中での返答だった。海渡は決意を表情に表して、レバーに手をかけて、ゆっくりと下ろした。機械類の明かりが徐々に消えていき、早苗に繋がれている管を揺らしていた振動も弱くなっていた。
海渡は早苗の最後の願いを完璧に叶えた。できる限り強く抱きしめ続けた。早苗は久々の彼の温かさと匂いに強い安心感を覚えた。これだ。これが好きだった。
「カイくん、大好き。」
「おれも大好きだ。」
その後、早苗の口から感謝の言葉が繰り返され、少しずつ声が小さくなり、そして、聞こえなくなった。それでも海渡はすぐに彼女を解放しなかった。その温もりをずっと感じていた。
「吹雪、ごめん。少しだけ二人きりにさせてほしい。」
「はい。待ってます。」
「ありがとう。」
吹雪はそう言って部屋を出た。扉を閉めると同時に海渡の嗚咽が聞こえてきた。それを聞いて、吹雪も涙が止まらなくなった。
出航予定時刻が近づく中、海渡と吹雪はまだ『みらい』に戻っていなかった。乗員たちがそれぞれ別々の考えで心配していると、出航予定時刻の五分前になってようやく扉から出てきた。それに安堵していると、海渡が誰かを抱えていることに気づいた。抱えられている人物に最初に気づいたのは陸奥だった。彼女は内火艇から降りて海渡に走り寄った。
「早苗ちゃん、幸せそうね。」
駆け寄ったは良いがどのような言葉をかければいいか思いつかず、素直な感想を漏らした。海渡の腕に抱えられた早苗の顔はとても安らかで眠っているかのようだった。
「みんなのところに帰ろう。お義父さんも喜ぶ。」
「ええ、そうね。」
四人は内火艇に乗り込み『みらい』へ向かう。その途中、後ろから声が聞こえて振り返ると、巨大な黒い四足の化物が、真白、波留、詩乃を乗せて走り込んできた。海渡たちが思わず仰け反ると、それは海面を跳躍して『みらい』の甲板に着地した。『みらい』に乗り込んだ海渡は困惑を顔に出して聞いた。
「なんなんだ一体。」
「カイト、連れてけ!」
詩乃が元気よく手を上げて言った。
「…いいのか?」
海渡は真白と波留を見て聞いた。真白はわずかに笑い、波留は苦笑した。
「早苗の最後のお願いだからな。」
「…ありがとう。」
そうして『みらい』の乗員はさらに増え、艦娘、人間、深海棲艦、半分深海棲艦の艦娘、そして人間と深海棲艦の半々の艦長という多様な陣容となった。そして、その奇妙な組み合わせを嫌がる者は、もはや誰一人としていなかった。
『みらい』は再度、海軍基地へ進路を取った。島を出てから五日目の夕方である。
紺野と井手川は衛星画像から『みらい』が例の施設がある島に上陸したことを察知し、準備は完璧でないものの予定を前倒ししなければならないと決意した。同席していた国防大臣はついに何も言わなくなり、額に浮いた汗をハンカチで拭う作業に終始して、二人の意見に頷いていた。もはや反抗の意思は欠片もなく、政府側の人間として二人に唯唯諾諾と従うだけとなった。
そして、川内たちが刑務所に放り込まれてから八日目の朝、実行に移された。刑務所内が急に慌ただしくなり、終わりの見えない刑務所暮らしに終わりが来たのかと川内は期待した。しかし、すぐさままた不機嫌になった。扉を開けて武装兵が入ってきて移送の準備を始めたからだ。手錠をかけられて外に出ると、赤城と長門も同じ状況だった。刑務所から外に出ると小雨が降っており、気分をさらに暗くした。三人共に同じ車両に押し込まれて、走り出した。その車両が護送車ではなく装甲車だったことが憂鬱だった。
「今度はどこに連れて行かれるのやら。」
川内は含み笑いをした。明らかに状況は良くないが、それでも深刻な雰囲気が出ない彼女だった。
「素直に軍法会議というわけでもなさそうだな。」
長門にも余裕がある。達観しているのか諦めているのか、掴みづらい。
「提督たちも全員捕まったとなると、覆すのは簡単ではなさそうですね。」
赤城は真面目に対策を練っていた。他二人は諦めたわけではなかったが、特にそのようなことを考えてはいなかった。今のところ取れる方法としては隙を見て逃げ出す、くらいしかできないからだ。指揮官たちもまとめて捕まった以上、支援は期待できそうにない。それを見ていた無関係の人間が都合の良いように察知して動いてくれることがあれば話は別だが、そんな人間はいない。楽観的に見える二人でもそのくらいの現実は受け入れている。
「あんまり神頼みはしたくないけど、志ノ方提督が来るのを待つっての手かな。唯一捕まってないしね。」
川内のその発言を聞いた時、赤城はわずかに眉をしかめた。
「そんな他人任せでどうにかなる状況ですか。」
「可能性よ可能性。私たち三人が逃げたところでできることはたかが知れてるよ。誰が味方かもわからない上に後ろ盾もないしね。」
川内の指摘は正しい、赤城はそれを認めた。しかし、かといって手をこまねいているのは性に合わなかった。
「しかし、『かなた』だけ戻ってきましたよね?もし『みらい』が撃沈されていたら…。」
そこでふと奇異なことを思い出した。『かなた』を追っていった『みらい』は帰ってこなかったのだ。『かなた』がそれなりの損傷を受けていることは聞いたが、『みらい』に関する続報は一切ない。
「それはないと思うよ。もしそうなら紺野さんが言うよ。堂々と"吹雪を殺した"ってね。」
川内の言葉は、容易に想像できる言動だった。彼女の海渡への執着ぶりは異常という言葉では表せないものだった。
そうして二時間ほど揺られた後、目的地に到着したようで車両が完全に止まった。物々しい音を立てて後部が開き、三人は降ろされた。そして、目の前にある施設に入り貨物用と思われるエレベーターに乗せられた。武装兵の操作は見えなかったが、感覚的に降りていることがわかった。階層表示がない鉄の箱は彼女らの行先が見えない事態を暗示しているかのようだった。
そして終点に到着してドアが開くと目の前には巨大な空間が広がった。階層にして六階層はありそうな高さで、窓やガラスもない壁で包囲されている。壁も床も白いタイルのように見えるが、照明が弱い薄暗い中では判然としなかった。銃口を突きつけられながら歩いていくと先客が二人おり、四人の武装兵に囲まれている。
「無事だったか。」
「これを無事と言えるのかわからないけど、生きてるよ。」
その二人のうちの一人である明雄が川内を見つけて安堵の声を漏らした。もう一人の男性については川内も赤城も知らぬ人間であった。明雄の体躯の所為で小柄に見えるが、身長も体重も平均的な男性よりわずかに上といった見た目だ。だが、それよりも藍色の男着物を着ていることが目を引いた。こちらに気づいて振り返った顔は典型的な優男で丸メガネをかけている。
「なぜあなたが…。」
動揺を含んだ声でそれを発したのは長門だった。普段の彼女からは想像できないほど、悲壮感が顔に表れていた。それでも常人よりは無表情であったが。
「君が反逆罪で捕まったと言われてね。僕のところにも来たんだ。ちゃんと君と同じ陣営にいると認識されたことは、まあ良かったと言ったところかな。」
着物の男が柔らかい笑みを浮かべた。顔の印象通り過ぎる話し方と声の高さである。川内と赤城が疑問の視線を長門に投げると、彼女はそれに気づいて言った。
「夫だ。」
そういえば結婚していたな、と川内は思い出した。長門の性格から想像しうる夫の姿ではなかったので意外であった。しかし、それについて思考に耽られるほどの状況ではなかった。なぜ軍人でもなく長門以外に艦娘としての接点がない彼がここに連れてこられたのだろうか。そこで川内は一つの可能性に思い至った。明雄も上官としてではなく、恋仲だから連れてこられたのではないか。長門の夫までここにいることを考えれば、その可能性は高い。川内は心に澱が溜まっていくのを感じた。赤城は、自分が独り身であることにこの瞬間だけは幸福を感じた。男性陣はともかく、女性陣は嫌な予感しかしなかった。
その頃『みらい』はまたもや近海に潜み、情報を集めていた。しかし、川内たちが移送されたという情報が入り、さらに海渡の頭には異様なほど強い声が響き始めていた。もはや悠長に情報を集めている場合ではなかった。
「まだ完璧ではないが、それを待っていたら水泡に帰す。行くぞ。」
そこで"やるしかない"と言わなかったのは、能動的に作戦を実行するということを全員に知らせるためだった。深く考えたわけではなかったが、彼自身の感情が共有されているのは吹雪たち遊撃部隊に所属する少数であることを理解していたからだった。正義感だけで戦い続けるには、相当な覚悟が必要なのだ。
「まず、おれ、吹雪、大淀、『はるか』で囮として東海岸の研究所を強襲する。『みらい』が東海岸周辺にいると思わせ出てきたところで、『みらい』は基地に攻撃を仕掛けろ。内火艇と真白たちの艤装で揚陸して中枢と工廠を抑えるんだ。捕まっている橘大将以下艦娘関係軍人と艦娘たちの救助を最優先とせよ。」
「了解です。」
松葉の返答を合図に全員が慌ただしく動き始めた。
「北上、レールガン貸してくれ。」
「いいけど、撃てるの?」
「一応試射はしたから大丈夫だ。」
「お仕事早いねえ。ま、承ったよ。」
そう言って彼女は格納庫に向かった。
「頭痛は大丈夫ですか?」
吹雪は顔をしかめている海渡に声をかけた。
「正直微妙だが、仕方ない。」
海渡は声の発信元がこれから赴く研究所であると感覚で確信していた。その声は恨みというよりも助けを呼ぶものに近いものであり、今までのものとは全く違っていた。会議から今まで吹雪は彼の手を握っていた。もはや誰も言わない日常風景になりつつあった。しかしそれでも治まらないことに今回の異常性がある。吹雪の心配そうな視線を受けながらも格納庫に向かい『みらい』を浮上させた。カタパルトデッキが開くと同時に『はるか』は三人を載せて飛び出して海上を疾走した。それを確認した後、『みらい』は再潜航して機を待った。
海渡たちが向かってきていることはつゆ知らず、川内たちのもとに音を立てて歩いてくる者がいた。
「仲睦まじくてよろしいこと。ムカつくわ。ま、夫や恋人がいるくせに先輩に言い寄る阿婆擦れには丁度いい。」
もはや取り繕うこともしない紺野の姿があった。紺野は邪悪にも似た笑みを浮かべていた。その姿に、その場の全員が大なり小なり肝を冷やした。
「紺野さん、もう止めたらどうなんだ。そんなことをしているから先輩は君を見ないんじゃないのか。」
明雄は説得を試みていたが、あまりにも直球すぎる言葉は彼女を傷付けた。
「違う。あの人の周りに寄りつく虫に問題があるのよ。なんで私に問題があるみたいな言い方するわけ?あー、そうやって自慢するのね?じゃあ川内からやろうか。本物かどうか見せてもらおうじゃない。」
これは和解は不可能だな、と誰もが思った。そもそも期待はしていなかったが、わずかにだが成功してほしいと思っていたのだ。
「五番を出して。」
紺野がそう言うと、天井の一部が外れてクレーンのようなもので天井から何かが降ろされた。目の前に現れたそれは明らかに深海棲艦の特殊個体に随伴していた黒い化物だった。海渡の報告書で知識として知っていたが、実物を見るのは初めてであった。艤装もなく手錠もされていたが、習慣として川内たちは身構えた。
「一方的に嬲って遊ぼうって?趣味が悪いね。」
「貴女の新しい艤装よ。」
その場の誰もが理解できず脳が処理を止め、紺野の歪んだ笑顔が狂気の成分を色濃くした。艤装と呼ばれたそれの胸部が開き、ちょうど人一人が入れる空間が現れる。しかし、その中は内臓なのかよくわからない肉の塊が蠢いていて、明らかに二度と出られない構造だった。あまりの悍ましさに川内が後ずさると、紺野の合図でその肉の塊から六本の腕が高速で伸びて川内の頭と両手両足を掴んだ。
「プレゼントなんだから喜んで受け取りなさいよ!」
「嫌よ!」
腕が異様な力で川内を引き込もうとし、彼女はそれを踏ん張って耐えていたが明らかに時間の問題だった。
「紺野さん止めてくれ!彼女は関係ないだろ!」
武装兵に押さえつけられた明雄が叫ぶ。
「私は先輩が深海棲艦でも愛せてるわ。本物だからね。あなた達も本物かどうか見せてみなさいよ!」
紺野の高笑いが響く。
そこで僅かな地響きが起きる同時に天井の一部が落ちてきた。それは川内を引き込もうとする化物の右後ろに落ちて砕けたが、それには同じような化物が乗っていた。この瞬間、紺野や武装兵も含めた全ての人間の思考が止まった。
「ちょっと提督!慎重にやってくださいよ!」
「こんな吹き抜けがあるなんてわかるわけないだろ。先に教えてくれよ。」
「さすがの私もここは知りません。」
その声が海渡と大淀であると察した紺野は叫んだ。
「急ぎなさい!」
伸びていた腕がついに川内を持ち上げて中に取り込もうとする。それを見た『はるか』が狼のような遠吠えを上げると、それらの腕は川内を離して壺に入るタコのように体内に逃げ込んで動かなくなった。そしてすかさず『はるか』は尾を叩きつけてそれを潰した。
「吹雪、頼んだ。」
言うが早いか、吹雪が飛び出して武装兵たちを次々と倒した。咄嗟のことで武装兵の反応が遅れた所為で銃を構える暇もなかったようだ。そして、川内たちの手錠を破壊して解放した。海渡と大淀が彼らに駆け寄る中、『はるか』は紺野を押さえつけた。口元を見るだけでも分かるほどの憎悪を紺野に向け、今にも頭を噛みちぎりそうだった。
「『はるか』、まだ殺すな。」
海渡は念押しした。
「なぜこんなことをした?なぜ大泉に加担した?」
「虫を駆除するためですよ。先輩は優しいから嫌でも断らないから、私が代わりにやってあげるんです。」
「おれがいつそんなことを頼んだ?やめろ。」
「またまたあ、照れないで良いんですよ。」
完全に会話になっておらず吹雪と大淀は狂気を感じた。もはや妄想の世界に生きているようだった。
「殺せ。」
海渡がそう言うと『はるか』は力を込めたが、次の瞬間、『はるか』は吹き飛び床を転がったあと壁に叩きつけられた。
「先輩が深海棲艦になったって聞いて、私もならなきゃって思ったんですよ。その方がちゃんと夫婦っぽいでしょ?」
両目が赤く光り、皮膚には赤いひび割れが徐々に増え、ついには脱色し始めた。そして、左目に強い赤色の炎が上がった。
「私もお、旗艦個体になれたんです。お似合いじゃないですか。深海棲艦同士。」
「深海棲艦ってだけなら選ぶ相手には困ってないぞ。」
口ではそう言ったが、状況として全く余裕はなかった。海渡がレールガンを発射して紺野の右腿をちぎり飛ばすと、彼女は悲鳴を上げて転がり回った。その隙に全員に逃げるよう指示した。川内たちは明雄らとエレベーターに乗り、海渡たちは『はるか』を起こして入ってきた穴から飛び出した。その際、遠くで紺野が叫ぶ声が聞こえた。
「プロトタイプを出して!!」
海渡の脳内で助けを求める悲鳴がさらに大きくなった。
どうにか施設の地下から出て地上での合流を果たした海渡たちは、さっさと施設から脱出するべく移動手段の確保を急いだ。入口付近に止められている装甲車を発見し、それを拝借することにした。明雄と川内が作業する間、残りで周囲の警戒に当たった。その中でたまたま海渡は長門の夫である宗一郎の隣にいた。
「海渡さん、先ほどは助かりました。」
「いえ、まだです。ここを出てからにしましょう。…ってなぜ私の名前を?」
長門も川内も赤城もそう呼ぶことはないし、明雄に至っては先輩としか呼ばないことに気づいて彼は小首をかしげた。
「ああ、私を覚えていらっしゃらないのですね。会ったのは二回だけですし、二回とも忙しそうでしたので無理もありませんね。」
二回という数字に既視感を覚え、恐る恐る口を開く。
「…もしかして、ご親族の方ですか?」
「由利、いえ、陸奥の兄の宗一郎と申します。」
宗一郎は相変わらず優しい顔と声で、責める気は微塵も感じさせない口調で話す。
「それは大変失礼いたしました。ご無礼をお許しください。」
「いえ、伯父上の前では仕方ないことです。特に結婚式ではね。」
「おっしゃるとおりです。正直あまり記憶がなくてですね。」
「ずいぶん緊張していらしたのを覚えていますよ。」
海渡は恥ずかしくなった。自分がどのように映っていたのか気になるところであったが、墓穴を掘ることは確実であったためそれ以上は踏み込まなかった。
「由利はしっかり任務をこなせているでしょうか?何分昔から色々お節介焼きなところがありまして、迷惑をかけていないかと少し不安でして。早苗さんのご主人であれば尚更。」
「存分に役立ってくれています。何も心配はいりません。」
なおも柔和な態度を崩さない宗一郎に、海渡は感謝を込めて答えた。
そこで突如、建物から一階層分はありそうな太さの黒い腕が伸びてきて海渡を鷲掴みにした。
「海渡さん!ご無事ですか!」
「逃げてください!」
そのまま腕は彼を海の方に放り投げ、建物の中に戻っていった。そして、建物の天井を破壊して頭が三つ出てきた。それらは全て黒い頭で目がない。
「大淀さん!『はるか』さん!」
吹雪は二人を呼び、急いで海渡が投げられた方向へ走っていった。そこでちょうど装甲車のエンジンがかかった。
「私たちも急ぎましょう。」
赤城がそう言ってドアを開けた。明雄が運転席、赤城と川内が後部座席に乗り込んだが、長門はやや離れた場所を見ていたため出遅れた。その後ろから武装兵が飛び出してきて、持っていたカービンで長門を狙って正確に三回撃った。直撃を免れぬ弾道だったが、間に入った宗一郎に全て防がれた。発砲回数と同じ、三回の金属音を立てて。
「なんだ貴様は!」
最も驚愕したのは武装兵であった。宗一郎は懐から出した鉄扇で飛翔する銃弾を全て弾いたのだ。
「肇、早く乗りなさい。」
「わかった。」
長門は一目散に装甲車まで走り、宗一郎もそれに続いた。後ろからさらに三回射撃されたが、これも宗一郎は防いだ。明雄は運転席から半身乗り出し、援護射撃を加えて武装兵を怯ませ、長門と宗一郎が乗ったことを確認してアクセルペダルを踏み込んで何とか脱出に成功した。
「な、長門さんの旦那さんって人間ですか?」
「失礼な。ちゃんと人間だ。」
赤城の声は渇望を含有しており、長門もそれを察知して顔を赤くしつつ答えた。
「とてもお強いのですね。どちらで学ばれたのですか?」
「いえ、何も。ただ妻を守るのは夫の役目ですので、努力の賜物と言ったところでしょうか。」
明雄の称賛に対して宗一郎は謙虚に返し表情は相変わらず柔らかった。そのやり取りに興奮を覚えたのは、後部座席に座った三人の女性の方だった。
「…私も精進せねばいけませんな。」
明雄の内心は、驚きよりも決意の成分の方が多かった。その独り言を聞いていた川内は、一人誇らしさと嬉しさを感じた。
海渡からの連絡を受け『みらい』は基地への揚陸を開始した。内火艇と真白の艤装に分乗して一気に乗り込んで各所の制圧にかかった。うろついていた武装兵との戦闘はあったが、軟禁状態にあった海軍の人間たちとは何も起こらなかった。海渡や松葉の想定と違って海軍本体は今回の一件にほぼ無関係だったらしく、みな素直に指示に従い、中には協力的な者すらいた。もちろん諜報員の可能性があったので、同行させるなどという愚は犯さなかった。そして、艦娘が収監されている刑務所を特定して突入し、彼女らが移送される前に制圧が完了した。ここも職員たちが無抵抗だったためにあっけなく陥落した。
艦娘を脱出させる中、北上と最上は明石を探し出して言った。
「艤装を直して。海渡さんが戦ってるから。」
そして彼女の返事を聞くこともなく彼女と艤装を工廠に運んだ。
「鳳翔さん生きてたんですか!?良かったです!」
連れてこられた明石の目の前に左腕を白くした鳳翔がいて、明石は歓喜の涙を流して抱きついた。それが一分ほど続いた後、明石は満足した様子で離れて言った。
「さすがに鳳翔さんのはないんですが、新しい艤装、用意してありますよ。」
自慢げに言うと、遊撃部隊の面々を倉庫の一角に案内した。そこには新品の艤装が八つ置かれている。一見すると以前と変わらないものもあれば、禍々しい見た目のものまである。特に北上の艤装はその最たるものだった。リボルバー銃に使われるシリンダーが艤装から六つも生えているではないか。
「なにこれ?」
「回転式魚雷発射管です。五連装を六基搭載して、さらに予備装填装置も突けたので、二十秒の間に六十本流せます。」
「面白そうだけど、誰と戦う気なのよ。」
さすがの北上も呆れた。
「でも今回は役に立ちそうね。海渡さん、超絶化物と戦ってるみたいだから。」
「あと、おまけの機能もあります。詳しくは説明書を読んでください。」
「ういうい。」
各々が自分に与えられた艤装を確認する中、薫が佑輝を連れて工廠にやってきた。わずかに焦りが見られる。
「海渡の情報聞いたぞ。どうする?」
「行くしかないっしょ。」
北上はそう言ったが、この基地から完全に撤収するわけにもいかず対応方法に悩んだ。『みらい』を出すには乗員たちを戻さないといけないが、それではこの基地を監視する者がいなくなる。
「『いずみ』を出す。まだ修理中だが、可変翼機を満載して出せば、艦娘の移送も手早くできる。」
薫は断言したが、そのような権力が彼女にあるとは思えなかった北上は懐疑的だった。
「俺も協力しよう。」
佑輝も同意して二人で工廠を去った。北上は他の遊撃部隊員を呼んで全てを説明した。少しの間があって、
「よし、じゃあそうしようか。」
と最上が言って、それが行動に移された。
海上に放り投げられた海渡は何回か転がった後に立ち上がって建物を見た。土埃を上げて崩壊し始めているが、何が起きたのかは把握できずにいた。
「海渡さん大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。頭は痛いがな。」
そこへ艤装をつけた吹雪と大淀、そして『はるか』が来た。相変わらず止まない悲鳴は距離を縮めているように感じていて、土埃の中から聞こえるような気がしていた。しばらく眺めていると、それを割いて砲弾が飛翔して海渡たちに殺到した。十八の弾は運よく当たらずに手前に落ちたが、それによって射撃した本人の姿が露わになった。
深海棲艦の艤装の基本的特徴の黒い見た目と筋肉が隆起した体であったが、十メートルは優に超える体躯と三つの頭と二本の尾、二本の腕、そして腕に三つずつ装備された三連装砲塔という、過去見てきたものとは比較にならないほどの怪物がそこにいた。そしてその胸部には紺野が上半身だけを露出して埋まっている。三人は言葉を失ってただそれに憐れみの視線を向けていた。
「私も艤装があるんですよ。先輩と一緒ですね。」
金属音が混じった声で紺野が笑う。
「お前、頭おかしいよ。」
海渡はため息交じりに言った。もはや会話するのも馬鹿馬鹿しい。巨体を揺らして地上を歩き、そして海面に降り立った。その瞬間、海渡の頭の悲鳴は急激に強くなった。
「原因はこいつか。」
海渡は確信したが、なぜ恨みではなく悲鳴なのかはわからなかった。しかし、ふと思いついて彼は聞いた。
「お前のそれ、何を使った?」
「何って役立たずを役に立てるようにしたんですよ?失敗作も死んだやつもみんなみんな。」
あまりにも悍ましい発言だった。三者三様に顔を絶望に歪めた。大泉の意思なのか紺野の意思なのかは判断がつかないところであったが、どちらにせよ破壊したほうが良いのは明らかだった。
「お前も、お前も!すぐに役立たせてやる。」
吹雪と大淀を指して紺野は叫んだ。そして腕についた主砲が連射された。狙って撃つというよりとにかく指向して撃つといった具合でひたすらに砲弾の雨を降らせた。
吹雪と大淀はそれを察して即座に回避運動に入った。狙いが大雑把すぎるせいで海渡の探知能力でもどこを狙っているのかわからず、具体的な指示はできなかった。しかし、二人はそれに頼らずとも回避し続けた。二人とも合間を縫って主砲を撃つが、命中してもまるで効果がない。紺野は怯みもせず何もなかったかのように撃ち続けた。そこで戦法を変えて魚雷を発射した。それが紺野に向かって走っていくが、彼女は気づいていないのか意に介していないのか全く回避しなかった。そして全て直撃した。水柱が多数上がって紺野を包んだが、それが収まったあとにいたのは無傷の彼女だった。
「やっぱり役立たずなんだなあ。」
すかさず海渡は腕の主砲を狙ってレールガンを撃ったが高い金属音を立てて弾かれた。
「化物すぎるな。」
海渡は嘆息した。そしてもう一度射撃した。今度は紺野本体を狙ったが、巨大な腕によって防がれた。海渡はそれを見て「そこはダメージが入りそうだな。」と考えた。どうにか陽動してそこをがら空きにできれば、と考えたときだった。
「死ね。」
紺野の言葉と共に三つの頭が口を開いた。口内が光り始めてそれが徐々に大きくなっていく。そして、それが解き放たれ吹雪、大淀、『はるか』に襲いかかった。三本の光の筋が光速を思わせる速度で迫り、回避に失敗した部位を切断した。吹雪は右半身の機銃と魚雷発射管が爆散し、大淀は背負っている格納庫を全損した。『はるか』は右腕がなくなり海上を転がった。
「先輩、こんなことしてくれる人いませんよ?特に、そこの小娘達には未来永劫ね。」
「いらねぇよ。」
まさか光学兵器を搭載しているとは予想外だった。海渡の能力で探知したとして、伝えるころにはもう被弾している。
「吹雪、大淀、一旦下がるぞ。おれたちだけでは分が悪すぎる。」
「しかし、何か弱点を見つけないことには集まっても戦えませんよ。」
「大丈夫だ。紺野本体ならダメージが期待できる。あまり確証はないが、全員集めてから撹乱してそこを突けば、殺れる。」
二人はそれを了解して後退を開始した。『はるか』もどうにか起き上がり、それに従う。
「逃げるな役立たず共が!」
紺野が叫ぶ。今度は艤装の肋骨付近から六本の突起物が飛び出し、それが槍のように伸びて吹雪に襲いかかった。吹雪はそれを跳躍、急停止、急発進で回避し続けたが、一度躱した一本がそのまま高空で伸びた後、逆落としのように頭上から吹雪に迫った。吹雪はそれを間一髪で回避したが、その一瞬の隙をつかれて横から伸びた二本が艤装の煙突を貫通し引き裂いた。吹雪はその衝撃で吹き飛び海面に叩きつけられた。大破し、主機も完全に破壊されて航行不能になった。海渡は反射的に吹雪に向かって走り始めた。
吹雪の元に先に到着した紺野は海面に転がる彼女を見て歪んだ幸福に包まれていた。
「やっと。やっとだ。ずっとずっと目障りだったんだよ。人形風情が人間様に盾突きやがって。」
その喜びようはクリスマスプレゼントをもらった子供のようだが、可愛げは微塵もない。吹雪は起き上がったが主機が止まっていては体は動かなかった。尻もちをついた状態で紺野を見上げる。
「貴女のそれは、愛じゃないです。」
「…なんだって?」
死を覚悟した吹雪は、恐怖心よりも悲哀の感情の方が強かった。
「私は見ました。海渡さんと早苗さんが見せてくれました。貴女にはそれが出来ないから、海渡さんと一緒になれません。」
「…あの阿婆擦れ生きていたの?せっかく殺したのに。海の底で死んでおくべきだったろうに!」
紺野には全く自覚がなかったが、それは完全な自白だった。それを聞いた吹雪は、撃発した。
「あなたが奪ったのか!!」
「奪ったのはそっちだろうが!消えろ!」
紺野が感情に任せて艤装の腕を吹雪目がけて振り下ろした。吹雪に恐怖はなかった。それを目を瞑らずに見つめていた。
「雪奈!!」
その声と同時に吹雪は押し飛ばされた。吹雪はわずかに浮いてさらに転がった。起き上がると先程までいたところに海渡が転がっていて、間一髪紺野の腕を避けたようだが即座に掴まれてしまっていた。
「なんでそんなやつを庇うんですか?もう死にますよ?」
紺野は困惑と怒りで声が震えているように聞こえる。が、海渡はそれを無視した。
「『はるか』、吹雪と大淀を連れて下がれ。あと少しで援軍が来る。持ちこたえろ。」
それを聞いた『はるか』は失った右腕を庇いつつ、二人を背に乗せて走っていった。紺野はもう一度槍を伸ばしたが、海渡はその根本にレールガンを撃ち込み阻止した。そしてそれは紺野の初めての損傷となった。弾が表皮を貫いて内部を傷付けた。予想していなかった痛みに艤装が叫びを上げて思わず海渡を手放した。海渡は着水したあと距離をとって弾を再装填した。
「提督も下がってください!一人でどうにかできる相手じゃないですよ!」
「だめだ。下がったら吹雪が殺される。」
返答に含まれる海渡の意思は固く、説得は無駄であることが明らかだった。
「おれはまだ探知できるから、お前らよりは長生きできるさ。心配するな。」
「海渡さんだめです。死んじゃいます。お願いだから一緒に逃げてください。」
「断る。君が死ぬところは見たくない。」
「私もですよ!」
吹雪は訴えた。しかしその叫びに海渡は返答しなかった。
「あと五分だ。あと五分で北上たちが来る。いいな。」
そこで通信は切れた。
紺野が痛みから復帰して艤装が平静を取り戻すと、吹雪たちは補足不能な距離まで逃げ遂せていた。
「なぜ、なぜわかってくれないんです?私が先輩を一番想っているのに!」
紺野が艤装の腕を伸ばして海渡を掴もうとする。しかし、その思考は完全に読まれていた。海渡は迫る腕をひらりと躱し、その勢いのままレールガンを撃ち込む。砲弾は再び腕に阻まれたものの、その動きは一度目より明らかに鈍い。
「お前のこれはただの暴力だろう。努力の方向が間違ってるんだよ。なぜ自分を高めるのではなく他者を貶めるんだ。」
彼女の精神をより不安定にすることで動きを抑えられる可能性を考え、それを実行した。
「私がいつそんなことをしましたか?あの女や吹雪のことを言っているなら先輩こそ事実を見たほうがいいです。あれは先輩を惑わせる虫ですよ。」
今度は左右の腕が交互に海面を薙いだ。海渡はそのたびに跳躍して紙一重でかわし、着地の合間にレールガンへ次弾を装填する。
「おれのことを考えているくせに早苗も吹雪も人間じゃないと。ふざけた話だな。」
海渡は通信機のスイッチを切り替え、受信のみにした。この会話を吹雪に聞かせたくなかったからだ。だが失敗した。実は先程攻撃を避けた際にレールガンの銃床が衝突して既に受信だけになっていたことに気づかなかったのだ。そのため、海渡の操作によって全体送信になってしまっていた。
「先輩、強がらなくていいですよ?本当はあんな小娘どうでもいいんでしょ?ね?本心から愛してないんでしょう?人形だって知って愛想つかしたの、わかりますよ?」
紺野の音声も通信機にのって全体に飛んだ。吹雪や大淀だけでなく、現場に急行していた北上たち、『いずみ』と『みらい』の乗員全てに。
この紺野の発言は海渡を撃発させるのに十分であったが、もはや相手にすることをやめた。
「お前は殺す。大泉やお前の所為で吹雪たちをひどく傷付けた。あの子達に大人の欲望の尻拭いをさせるわけにはいかない。」
「なんで?どうして?私だけが先輩を幸せにできるんですよ。全部知ってるんですよ?」
聴覚の情報を遮断した。もう紺野の言葉を聞いていると気が滅入って仕方がないのだ。
「それにだ、お前はおれの警告を無視した。だから殺す。」
「…警告?何の話ですか?まさか『かなた』で言ってたやつですか?あの"おれの吹雪"とか言っちゃったやつですか?」
紺野は困惑を露わにして次に大笑いした。それも呼吸が辛くなるほどに。ひとしきり笑い終えると、今度は紺野の怒りが撃発した。
「あんなもの、何の意味があるっていうんですか!やっぱりあの害虫は駆除すべきなんだ!そんなもの、守る必要ないですよ。」
海渡は大きくため息をついた。海渡の左目に鮮やかな緑色の炎が上がった。
「男に二言はないんだ。」
言い終わるより早く、海渡はレールガンを放った。不意を突かれた紺野は防御が間に合わず、砲弾が本体の右腕を吹き飛ばす。それでも悲鳴はない。痛がる素振りすら見せなかった。
「じゃあ、先輩と十分殺し愛をしてから、あの虫を潰すことにします。私の愛を、受け取ってくださいね?」
三つの頭が同時に吠えると、艤装がさらに変形した。二本だった腕が六本へ増殖し、一斉に海渡へ襲いかかる。
海渡と紺野の通信を聞いた者たちの心情は様々であったが、「紺野を倒さなければ終わりだ。」という認識だけは共通していた。薫が手配した輸送機から艦娘たちは順次飛び降り作戦海域に着水した。遊撃部隊はもちろん、長門、赤城、川内を除く水上打撃部隊、空母機動部隊、水雷戦隊が投入されるという総力戦の様相を呈していた。周辺海域の防衛任務も重要ではあったが、本土のすぐ隣に巨大な怪物が出現したとあってはそれどころではなかった。
「行ってくるね。」
「光佳留さん、どうかお気をつけて。」
そのような会話はこの絶望的状況において聞いたものの気持ちを多少和らげた。もっとも、これからあの戦場へ恋人を送り出す心境を思えば、同情を禁じ得なかったが。
戦場で吹雪たちを見つけた明石は荷物と共にそこに降りた。海渡の囮が功を奏し、二人と一匹は敵射程の外への退避に成功していた。
「二人とも無事、というわけでもなさそうだね。」
「死ななければ無事ですよ。」
明石の蒼白な顔に対して吹雪は笑顔で言った。二人の艤装の状況を見て驚かない者はいないだろう。
「新しい艤装を持ってきました。順番に換装します。」
いつもなら周囲を茶化す明石にも、今は冗談を口にする余裕がなかった。一刻も早く二人の生存性を上げなければならない。損傷そのものは吹雪の方が激しいが、大淀なら短時間で換装を終えて戦線へ戻せる。そう判断した明石は彼女を優先し、自らの艤装を臨時ドックとして交換作業を開始した。
「紺野提督は一体何があったんですか?通信もすごいことになってましたけど。」
「私にもわかりません。ただ、もう取り返しのつかないところまで来たことだけは明白です。倒すしかないです。」
「まぁ、でしょうね。」
吹雪の声には怒りと憐れみの両方が入っていたが、慈悲と同情は一ミリグラムもなかった。
「長門さんたちの状況はわかる?」
「今輸送機を向かわせているって。しばらくしたら合流できるよ。」
熟練兵である三人の参戦は必須だった。これだけの数を出してもなお倒せるのかどうか、吹雪と大淀には確信が持てなかった。
「吹雪、聞こえるか?真白だ。」
「聞こえます。今どちらに?」
「『いずみ』の甲板だ。我々は陸上型の艤装なのでな。海域に到着次第航空機を出す。アレの存在はこちらとしても脅威だ。アレが本当に旗艦個体だとしたら、全て奪われかねない。」
いつもと違い彼女の話し方にはあまり余裕が感じられない。吹雪は事の重大さを改めて痛感した。
「海渡はまだ一人で戦っているのか?」
「はい。」
吹雪は苦痛を覚えながら返答した。
「馬鹿が。」
真白は舌打ちしながら答えた。その話し方は罵るというよりも心配で呆れているという方が近かったように聞こえた。そこで大淀の換装作業が完了した。
「背中の格納庫、半分くらい対艦ロケットポッドになってるから上手く使って。」
「そんなものいつの間に作ったの?」
「やればできるのよ。一品物だから、壊れたらおしまいだからね。」
「ありがとう。吹雪さん、先行きます。」
「お願いします。私もすぐ行きます。」
大淀は言い終えるなり全速力で戦場へ向かった。明石もすぐに吹雪の換装へ取り掛かる。しかし、こちらは損傷が酷い。歪んだ艤装を丁寧に取り外すところから始める必要があった。
「吹雪さん、被弾する時はエグい受け方しますよね。」
「これで二回目ですね。」
通信機から遊撃部隊が戦闘に入ったことが流れてきた。吹雪は緊張した面持ちでそれを聞き、先程までの戦闘で得られた情報を伝えた。
「みなさん、聞こえますか?艤装の方はほとんどダメージを受け付けません。ですが、人間の部分と胸の周辺は弾が通るようなので、そこを狙ってください。あと、それの三つの頭の口が光った時はとにかく逃げてください。光学兵器を撃ってきます。」
「なにそれ化物じゃん。」
「了解。吹雪、すぐ来てよ。」
「今換装してますから待ってください。」
最上は冗談めいて急かしたが、吹雪にその冗談の成分はあまり届かなかった。
「海渡さんはどんな状況ですか?」
「今敵の目の前で戦ってます。もうちょっとで援護できます。」
鳳翔が答えた。すでに艦載機は上空へ展開していたが、攻撃には移れない。海渡が紺野の眼前で回避を続けている以上、爆撃も雷撃も巻き込む危険があった。万が一にも海渡へ当てれば、すべてが終わる。艦載機は上空を旋回して機会を待つしかなかった。その直後、紺野の悲鳴にも似た通信が流れた。
「もうこれでおしまいにしましょう、ね?」
その声が終わった直後、一度だけ聞いた光学兵器の射撃音が響き、遠くで巨大な水柱が立つのが見えた。水分がビームによって蒸発したのか、そこだけ霧が広がった。そして、『はるか』が事切れたように倒れた。
「海渡さんの状況は!?」
吹雪は声を荒げた。誰からも返答がなかった。
最前線で海渡が被弾するさまを見ていた睦月と如月は戦慄のあまり体が動かなくなった。敵が巨大であることも要因の一つだったであろうが、怪獣よろしく三つの頭がビームを撃ち、彼女らの指揮官を粉微塵にしかけたことが最たる原因だった。海渡は右腕と右足が切断された上、水蒸気爆発により高く打ち上げられ睦月と如月の後方へ、数十メートルの高さから叩きつけられ完全に沈黙した。
「海渡さんの状況は!?」
吹雪からの通信が聞こえたが、脳が処理を拒否した。それはその場の全員がそうだった。いち早く復帰したのは最上だった。
「睦月と如月は海渡さんを回収して明石のところまで戻って!今すぐ!」
叫びに近い命令が飛び、全員が我に返った。睦月と如月が命令を忠実に実行した。
「私のものだ!」
紺野が怒りの声を上げて睦月と如月に襲いかかる。それを最上は横合いから新しい主砲を一斉に叩き込んだ。以前よりはるかに重い砲撃が巨体を殴りつける。それでも紺野はほとんど揺らない。
「邪魔をするな。」
だが、紺野が振り返って目標を変えるほどには効果があったらしい。それだけで十分だった。最上はすぐさま高速で距離を取り、追撃の砲火から逃れる。六本に増えた腕には三連装砲が並び、計五十四門もの砲弾が機関銃のように海面を叩いた。幸い狙いは粗い。訓練を積んだ艦娘とは精度が違う――もっとも、一発でも直撃すれば話は別だ。
そこへ陸奥が割り込み、主砲弾を浴びせた。続けて鳳翔と飛龍も航空攻撃を開始する。最上はすぐに挟撃を指示した。左舷から最上と陸奥、右舷から鳳翔、飛龍、北上。砲撃と雷撃を交互に浴びせ、紺野の意識を振り回す。その隙を大淀は逃さなかった。十五連装対艦ロケットが一斉に火を噴き、紺野本体へ殺到する。全弾命中し、頭部の一部が欠け、焦げた皮膚から血が流れた。だが、機能を停止するまでには至らなかった。
「遅くなったな、戦艦長門、援護に入る!」
そこへ通信が入り、他の部隊が到着したことを告げた。赤城たちの航空隊が続けざまに攻撃をしかけ、もはや紺野は身動きが取れなくなりつつあった。動き出す瞬間に長門以下五隻の戦艦から狙い撃ちされ、行動停止を余儀なくされる。
「赤城さんも蒼龍も傷は大丈夫なんですか?」
「そんなこと言ってる場合じゃなさそうですからね。」
飛龍の心配を義務感で退ける。傷は癒えていないが、動ける以上戦わなければ機動部隊の名折れである。さらに真白や波留の航空機が到着し、紺野の頭上から投弾して文字通り爆弾の雨を降らせた。赤城たち空母よりも圧倒的な数の暴力を見せつける。それらの攻撃の末、ようやく紺野の艤装にも損傷が発生し始め、いくつかの主砲が破損して表皮を貫いて肉が露出した。そして、ようやく紺野は止まった。膝から崩れ落ち、手を海面について自重を支えた。
「まだだ。」
真白が冷淡に言った。彼女たちは第二次攻撃隊を進発させて追撃を加えようとした。全員がそれに倣い、攻撃態勢を取る。
「こんな、こんなことが、この、害虫共があああ!!」
紺野は叫び、起き上がった。艤装の背面が大きく開き、大量の航空機が飛び出した。コウモリの群れのようなそれは、レーダーで計測不能なほどの数で空そのものを覆い尽くし、赤城や真白たちの航空機を特攻によって次々と撃墜した。最終的に千を超える数が上空を列を成して飛び回る光景が広がった。
「平伏シろ!!私コソが旗艦ダ!!」
もはや声が完全に人間から逸脱した。左目の赤い炎がより強く燃え、叫びが衝撃波となり海上を走っていく。紺野を中心に白波が円を描いて艦娘たちの後ろへ過ぎ去っていった。不可解な現象だったが、考えている暇はない。最上たちは一斉に再度攻撃態勢を取り、攻撃を加えた。しかし、失敗した。生き残った赤城の航空機が遊撃部隊に迫り攻撃を開始したからだ。全員が翔鶴達が操られた時のことを思い出し瞬時に回避行動に入る。
「でももう遅いよ。」
最上は攻撃態勢を取った。が、今度は背中から長門からの砲弾が直撃した。それによりロケットポッドが誘爆して艤装の半分が吹き飛び背中を焼いた。
「痛ったぁ。忘れてた。」
最上は頭を掻いて誤魔化したが、背中には焼けるような痛みが走っていた。状況は絶望的だった。北上、大淀、陸奥、鳳翔、飛龍も似たような状況で、前面から紺野、後方から長門たち戦艦や三隈や川内を始めとした巡洋艦からの砲撃にさらされ、その合間に赤城、蒼龍、翔鶴、瑞鶴の航空機が飛来する。
「なぜ、なゼ貴様らハ私の物にならないンダ!」
その中でも最上たちは自らの意思で動いていた。離れた位置にいる吹雪、睦月、如月、明石も同様で、この頃ちょうど海渡を吹雪と明石に届けたところだった。なぜ影響を受けないのか、自分たちでもわからなかったので、幸運に感謝しておくことにした。しかし、予想外のものが影響を受けていた。
「お姉ちゃん、頭が、痛い、痛いよ。」
『いずみ』の甲板で詩乃が悶え苦しんだ。波留がどうにか出来ないかと宥めていると、突如詩乃が波留に飛びついて首を強く締めた。
「詩乃、どうして…。」
波留は言葉を絞り出して詩乃の顔を見ると、瞳に赤い炎が揺蕩っている。
「詩乃、止めるんだ!」
それに気づいて真白は叫び、間に入ろうとした時背後から強く殴られて甲板を転がった。相手は自分の艤装だった。それがさらに真白に飛びつき巨大な口を開けて噛みつこうとする。
「私がわからないのか!」
真白の言葉は届かない。彼女の艤装はまるで反応を示さなかった。真白は困惑の極致にいた。旗艦個体同士が指揮権を奪い合うことなど過去に例がなかった。感情が乏しい彼女でも焦燥感に焼かれた。対処方法が浮かばなかったからだ。そして、彼女たちの航空機は根こそぎ奪われ、最上たち遊撃部隊に降り注いだ。
そんな時、吹雪から通信が入った。
「真白さん、海渡さんが危ないんです。燃料を入れに来れますか?」
吹雪の声にはわずかに涙の成分があったが、それを理解するだけの余裕は今の真白にはない。
「無理だ。艤装の指揮権を奪われた。波留も詩乃も、手一杯だ。」
艤装の噛みつきを反らしてどうにか拘束から脱したが、依然として状況は悪い。艤装が主砲を真白へ向けた。一発。二発。真白はどうにか躱す。だが三発目は別方向から飛んできた。衝撃に弾き飛ばされ、艦橋の外壁へ叩きつけられる。視界の端で、波留の艤装から硝煙が上がっていた。起き上がろうとしても、もう体が動かなかった。
「全部全部、私ノ物ダ。」
紺野の声が頭に響く。ついに真白の思考にすら影響が出始め、体の指揮権すら奪われ始めた。真白は心の中で早苗に謝罪した。もはや最後の謝罪の機会に違いなかった。そして体の中に別人が住み始めた。それは存在を強め、主張を強くしていく。
しかし、そこで声が消えた。体が自由に動くことに気づき、酷い痛みはあったが何とか立ち上がって波留と詩乃を見た。彼女たちも解放されてお互いに安堵していた。艤装も我に返ったようでぼんやりした様子だ。
「助かったのか?」
真白は二人に駆け寄ると、そこでいつもと様子が違うことに驚いた。二人の左目から鮮やかな緑の炎が小さく燃えている。
「波留も詩乃も左目どうした?」
「いや、シロちゃんも…。」
どうやら自分にも出ていることに指摘されて気づいた。困惑しているところに遠くから遠吠えが響いた。
海渡が吹雪と明石の元に届けられた時、通信は悲惨そのものだった。以前の時と違い、意識すらも支配しようとするそれは艦娘同士の殺し合いを誘発し、支配されない最上たちを必ず沈めようとする恐ろしい状況だった。
「吹雪ちゃん、どうすれば…。」
遊撃部隊についてきて鍛えられた睦月と如月も困惑と恐怖に飲まれ、自分たちで解決策を考えることすら放棄しているように見えた。吹雪も無意識的に同意した。この惨状を解決しうるものがあるのだろうか。あるいは、海渡ならそれができるかもしれない。今までの経験から彼に縋るしかないようにも思える。それは睦月も如月も明石も思うところだった。
目の前で右腕と右足を失い全く動かない海渡を抱きかかえ、どうすればよいのか考えてある光景を思い出した。真白が言っていた燃料だ。それに縋る思いで真白に通信を入れた。
「真白さん、海渡さんが危ないんです。燃料を入れに来れますか?」
「無理だ。艤装の指揮権を奪われた。波留も詩乃も、手一杯だ。」
その返答は残酷だった。真白たちすらも奪われる。海渡の次に深海棲艦に詳しく状況を打破できる可能性が高そうな彼女ですら太刀打ちできない。吹雪は絶望に沈んだ。睦月は声を上げて泣き、如月と明石も黙ったまま涙を流す。誰もが同じ現実を理解していた。このままでは死ぬ。それでも、吹雪は海渡の頬に落ちた自分の涙を見て、ふと思い直した。まだ何かできるかもしれない。
吹雪は大破した前の艤装から燃料を出して海渡の口にゆっくりと流し込もうとする。しかし、口の中になかなか入らず、わずかに入っても全く反応がない。そこで、吹雪は燃料を自分の口に含み口移しした。明石は絶句した。あまりにも危険すぎたからだ。普通の人間が化石燃料を口に入れて体を壊さないわけがないのだ。しかし口には出さなかった。吹雪の覚悟の表情がそれを口にすることをためらわせた。
吹雪は海渡の口をこじ開け、燃料を少しずつ流し込む。反応はない。それでも飲み込んではいるらしい。ならば続けるしかない。何度も繰り返すうち、口に含み直す時間すら惜しくなった。吹雪は残った燃料を一気に飲み干し、鳥が雛へ餌を与えるように吐き戻して流し込んだ。
「愛だ…。」
明石はそれを見て無意識に口から漏らした。いつもの茶化すような気分ではなく、まさしく本物を見て驚嘆した。そのとき、明石は吹雪の右目に炎が灯っていることに気づいた。緑と青のグラデーションを持つ炎が燃えていることに。給油に最初に反応したのは『はるか』だった。最初にわずかに動いた後に勢いよく立ち上がった。そして吹雪が行為を終えて顔を離したところに『はるか』が寄ってきて海渡を舐め始めた。いつものように海渡の体が元通りになったが、色だけは戻らず右腕と右足は白くなった。それに満足したように『はるか』がいつもよりも大きな遠吠えをした。それが海面を走り、戦場の全ての者に届いた。
「海渡さん、起きてください。みんな待ってます。お願いだから。」
なかなか反応を示さない海渡に吹雪は話しかけた。最後は涙の所為で言葉にならなかったように思える。それに答えるように海渡はゆっくりと目を開けた。焦点が定まらず虚ろな表情だったが、吹雪を見つけると急速に意識を回復した。
「無事で良かった。」
海渡の一言目はそれだった。ここでも他人の身を案じている。吹雪はその変わらなさは嬉しくもあったが、それと同時に呆れた。
「わかったって。悪かったよ。」
それが吹雪の表情に出ており、海渡はそれを察して謝った。そこで吹雪の右目の炎に気づいたが何も言わなかった。最後まで巻き込んでしまったな、と海渡は内心ため息をついて立ち上がった。睦月、如月、明石も同じように右目に火を宿している。ただ、その色は吹雪と微妙に異なって青色だった。
「明石、『はるか』の右腕を直してくれ。十分もてばいい。」
海渡の発言を聞いて、睦月と如月は「そんなことできるのだろうか」と疑問に思ったが、明石は一つ間を置いて言った。
「任せてください!」
自信に満ちた笑顔だった。
「よし、行くぞ。」
海渡の炎に青色が混じり、吹雪と同じ青と緑の混色となった。
全ての戦場で変化が起きた。艦娘たちは自分の制御を取り戻し戦闘をやめた。艤装の大半が破壊され、焼け落ち、体は血だらけになりながら、解放されたことを心の底から涙を流しながら喜んだ。左目に緑色の炎が宿ったこと以外は。
最前線では紺野の航空機が次々と海面に落ち始めたことで状況の変化を察した。紺野は混乱し叫びを上げたが、もう一度指揮権を取り戻すことはなかった。
「私ノ、先輩ガアアア!」
とは言え状況は悪かった。誰一人として無事な者はおらず、武装の大半は破損して航空機は全滅。ただ生きているだけに等しかった。それでも彼女らが希望を持ちえたのはレーダーに『はるか』が映ったからだ。以前よりもさらに早い速度で接近してくるそれは、途中で北上、最上、鳳翔を拾い上げて背中に乗せた。
「海渡さん無事だったのね。」
「はい。良かったです。」
北上の嬉しそうな声に、先に乗っていた吹雪が笑顔で答える。
「いいか四人ともよく聞け。武器がない以上、次で決着をつける。そのためにはあいつの光学兵器が邪魔だ。吹雪以外の三人で組み付いて首を黙らせろ。お前らならできる。『はるか』がそこまで案内する。」
海渡の明瞭な声の通信が入る。四人とも今まで以上に高揚するのを感じた。
「了解!」
一斉に了承の返事をした。
「貴様ラさえいなケレバ!」
紺野の叫びとともに、三つの巨大な口が開いた。奥で光が膨れ上がる。それでも『はるか』は速度を緩めない。背中を隆起させてVLSを展開すると、三発の対艦ミサイルを放った。それぞれが光を蓄える口内へ飛び込み、ほぼ同時に炸裂する。紺野がよろめいた。その隙に『はるか』の背中から三本の首が伸びる。頭部はカタパルトへ変形し、北上、最上、鳳翔を乗せ、三人を空へ撃ち出す。紺野が態勢を立て直した時には、もう遅かった。三人はそれぞれ三つの頭へ着地していた。北上と最上は拳を後頭部へ叩き込み、そのまま首の骨を掴んでねじ切る。鳳翔も上顎を掴み、力任せに頭をねじ切った。
「ヤメロォ!」
多数の腕が彼女らに迫って掴み、艤装ごと握りつぶして海面に捨てた。かろうじて生きていたが、艤装は完全に死んだようで全員が沈み始めた。しかし恐怖も絶望もない。これで本当に終わらせる、今までで最も強い決意が彼女たちを支えた。
北上たちに気を取られている隙に『はるか』が組み付いて紺野の頭を噛み砕こうとする。しかし間一髪のところで腕が伸びてきて『はるか』を掴んだ。紺野がさらに腕を伸ばして『はるか』を拘束した時、吹雪が『はるか』の背後から飛び出した。
「みんなの、早苗さんの仇!!」
吹雪は右手の錨を全力で振り下ろした。紺野が咄嗟に左腕を掲げる。だが、止まらない。錨は腕ごと頭部へ食い込み、そのまま紺野の体を艤装から引きずり出した。勢い余った吹雪は着水に失敗し、海面を何度も転がる。紺野の艤装は六本の腕を力なく垂らした。巨体がゆっくりと後ろへ傾く。轟音とともに海面へ倒れ込み、そのまま沈み始めた。
「吹雪、おめでとう。」
北上が肩で息をしながら言う。尻もちをついて腰と足が水に浸かっている。そしてそれはさらに胸に達した。
「だめです。一緒に帰りましょう。」
吹雪は北上の右腕を掴んだが、沈む速度は変わらなかった。最上や鳳翔も同じ状態で、もはや免れぬ運命のようだった。しかし、そこに『はるか』が到着するや否や、背中に生えた頭を伸ばし沈みゆく三人を容易く持ち上げた。
「『はるか』には艦娘を修理する設備もあっただろ。忘れたのか。」
睦月たちに連れられて海渡が合流し、さらに陸奥、大淀、飛龍もやってきた。そこで全員の右目に青い炎があることに気づいた。
「何がどうなってるんだ?」
海渡は艦娘たちの目に宿る炎を見て言った。そこへさらに真白、波留、詩乃の三人が真白の艤装に乗ってきた。そちらの三人は左目に緑色の炎が燃えている。真白は全員を見渡したあと、大笑いした。あまりにも予想外の行動に全員が奇異の視線を向けている。笑いが落ち着いた頃、柔らかい表情で海渡に言った。
「吹雪と絶対に離れるんじゃないぞ。」
この場で二人だけは他と違って混色の炎を宿していた。海渡はそれで何となく察した。
「わかっているよ。」
海渡はそう返してわずかに笑う。そして、全員の顔に笑みと幸福が戻ってきた。戦いは、終わった。
十月も半ばを過ぎ、長く続いた一連の事件にもようやく幕が下りようとしていた。。研究所は閉鎖されて職員一人一人経歴の洗い出しがなされ、大泉と紺野の計画に関わりがあった者は軒並み逮捕された。意外なことに事実を知らぬまま協力させられていたものは一人もいなかったらしく、逮捕された全員が積極性の度合いは違えど知っていて協力していたことが判明した。海軍の人事にも手が入れられたが、研究所ほどの大事にはならず些細なもので終わった。国防大臣を始めとする政府内における協力者にも捜査の手が伸び、政府内の約半数の政治家が辞職する事態となった。
艦娘たちは一人の例外もなく精密検査を受けた。戦場で宿した炎は消えたものの、そのようなものが出た上で「体調は問題ないです。」という本人たちの主張が受け入れられることはなかったからだ。結果として怪我はあるものの異常な症状や変化は見つからず、必要な者は入院してそうでないものは即日解放された。吹雪は燃料を飲み込んだ所為でやや長めに検査されていたが、問題が見つからずに終わり自由の身となった。そして、そのまま海渡が入院している部屋に飛び込み、彼の三日の入院期間中離れることがなかった。看護師たちから持て囃されたが、その殆どは「可愛らしい娘」という認識でありその所為で吹雪はややヘソを曲げた。だが、海渡が立場を明確にしていない以上吹雪は何も言わなかった。ただ退院したあとで必ず返答をもらうつもりでいる。必殺の一言を隠しながら。
海渡にとってある意味でその入院生活が最後の長期休暇であった。彼はやることが山積みだった。早苗のこと、施設で入手した情報の扱い、それに伴って発生する様々な行事や責任、対応など、挙げればキリがない。ともかく退院した後に真っ先に着手したのは早苗を光政に返すことだった。彼は光政を工廠で修理中の『みらい』の格納庫に案内して早苗に対面させた。顔が痩せ、髪に艶が失われていてもそこにいるのは確かに彼の娘だった。案内したあと、彼は『みらい』乗員に対して「元帥が出てくるまで乗らぬこと」と厳命し、乗っているものには一旦降りてもらった。光政が降りてきたのはそれから一時間半ほど過ぎてからだった。出てきた彼は海渡の前まで来て頭を下げた。
「海渡、感謝してもしきれん。まさかまた早苗に会えるとは思っていなかった。恩に着る。」
「私も無事に帰すことができて満足です。お義母さんにもよろしくお伝えください。」
「ああ。日程が決まったら連絡する。お前も必ず来い。」
「ええ、もちろん。」
彼は一瞬、「元夫である自分がやるべきだろうか」とも考えた。しかし四年という歳月を経た今、自分が出しゃばることでもないと思い直し、早苗の火葬や納骨は光政と彼の妻である桜に任せた。
工廠から出ていく義理の父の背中はわずかに哀愁を漂わせていたが、同時に何か晴れやかな雰囲気もあり、海渡は安堵した。これで一つ区切りをつけられる。
また、海渡は早苗の件で真白たちを光政に紹介した。事故後の四年間、早苗と一緒にいた彼女らから話を聞きたいだろうと思ったからであり、光政は少し考えたあとそれを受け入れた。ただ、退役元帥には個室があろうはずもないので、海渡の執務室が会場となった。陸奥も同席して全員にお茶を配って座ると、光政が
「早苗が世話になった。本当に感謝する。」
と巨体を折って礼を言うところから始まった。真白と波留が会話する中、詩乃は光政の体の大きさにわずかに恐怖を覚えていたようだった。真白はこのような会話が苦手だったので、それを雰囲気として出して波留が応対するように誘導した。波留はそれを察知して、いつも通りのややおどおどした口調で早苗のことを話した。それを波留と話している光政は笑ったり喜んだりと表情と感情の変化が激しかったが、最終的に懐かしい気持ちで涙を流したようだ。
それと並行し、真白たちがいた施設の資料とビデオテープは、吹雪に関するものは除いてまとめて橘に丸投げした。そこまで色々悩んでいたが、最終的には、
「四年前の贖罪をしてもらうか。」
などと上官への不敬な感情により対応を決めた。橘はそれを知ってか知らずかあからさまに否定的な態度をとったが渋々受け取った。
「お前、最後にこんな重い宿題を上司に残すとは、敬意が足りないにもほどがあるぞ。」
「小官の手に余る代物ですのでね、早く肩の荷を下ろしたいのです。」
実際内容が内容なだけに大将に委ねるというのは正しいのだが、それでもこの海渡という男が半年の間に彼の仕事を増やし続けたことは疑いようがなかったために、不平の一つでも言いたくなるのである。
その後、海渡は基地内の焼却炉にて、橘に渡さなかった資料を一枚一枚丁寧に放り込んで全て灰にした。完全に安全になったわけではないが、これで吹雪への心配ごとが一つ減った。
そうして海渡は抱えた荷物を次々とおろし続け、十月最終週の始めには三つとなっていた。一つは、早苗の火葬と納骨への同席、一つは、明石への確認、そして最後の一つは、吹雪の件である。准将という立場と一人の男という立場の双方で責任を取る必要があるのだ。特に、吹雪の誕生日とした十一月十五日までには全ての決着をつけておきたかった。
そうして予定を逆算して自分の中で期日を決めると、早速執務室で大淀に一つ頼み事をした。それを聞いた大淀は懐疑的な目を海渡に向けた。
「それは、本当なのですか?明石が?」
「おそらく。嫌ならおれがやるからいい。ただ、君の方が付き合いは長いだろうし、上官より友人の方が話しやすいかと思ったんだが、どうだろう?」
「…わかりました。」
大淀は少し考えた末、引き受けることにした。そして、明石に予定を聞いて次の日の十五時に基地の外で会う約束をした。
次の日、大淀は予定通り十五時に公園の海沿いの遊歩道にいた。十一月に入り日が短くなってきた所為で既に夕方の雰囲気が空を包んでいる。やや雲が多い晴れた空は今の気分にはあまり合わなかった。明石に話を伝えた後、それがどのような結果をもたらすのかわからない。
「大淀お待たせー。修理依頼が多すぎて区切りつけるの手こずっちゃって。」
明石が来たのは十分ほど遅れてからだった。事前に遅れる連絡をもらっていて、正直なところ話すタイミングが先延ばしになったことに安堵を覚えていた。しかし、その時は来た。
「ごめんなさい急に。」
「ううん。話ってなに?改まっちゃってどうしたの?」
大淀はわずかに躊躇った。明石の明るい表情を見ているのがつらい。しかし、請け負った以上やるしかない。
「あの、私たちの新しい艤装、なんで用意したのかなって思って。」
「何となく?遊撃部隊の皆さんってすごい戦ってくれるから情報を取れて良いなーって。」
変わらず明るい表情で話す明石に対して、大淀の表情には影が落ちていた。明石はそれを察したようだが、自分からは何も言わない。
「…コンテナの中身、知ってましたよね?」
「…」
大淀は思わず直球を投げた。そして直視するのが怖くなってやや俯いた。明石の表情から明るさがゆっくりと消えた。なるべく海渡の名前を出さないようにした結果だった。「提督から聞いた」なんて言うくらいなら自分で受けるべきじゃない。
「『ゆきなみ』と『あさぎり』の積み込みも貴女が担当だったって聞きました。でも、提督の執務室に来て愚痴を言った時、そんなこと一言もいいませんでしたよね?貴女なら、きっと言うだろうから。」
「・・・いつから気づいてたの?」
大淀が顔を上げて明石を見ると、彼女の頬を涙が伝っている。
「執務室に来た時です。あの時、『ゆきなみ』と『あさぎり』の件は大体調べ終わってましたので。」
「そっか。」
明石は海の方に向き直って手すりに体を預けた。彼女の頬を伝う涙が大きくなり、日がそれを照らして輝いている。
「コンテナの中身は知らなかったよ。これは本当。でも、積み込み先の二隻で異変が起きたって聞いた時真っ先にアレが浮かんだ。それで急に怖くなったんだけど、誰にも言えなかったんだよね。吹雪さんのこととか大淀のこととか海渡さんのこととか聞いてたら、どんどん自分のしたことが恐ろしくなってきて。もし私が気づいたことに気づかれたらまずいって思ってなるべく考えないようにしてたの。」
明石の声に嗚咽が混じり始める。涙はさらに増えた。
「でも、『あらかわ』に積み込む荷物が届いて私が指名された時、もう駄目だって思った。全部バレてるってすっごく怖くなった。だから素直に積み込んだんだけど、・・・悪いことが起きるってわかってて載せたのが耐えられなかった。だから、大淀たちに愚痴を言いに行ったんだ。直接言うのは怖かったから気づいてくれって祈ってたんだけど、海渡さんは期待を裏切らないね。」
「艤装は、その贖罪ですか?」
「うん。もし何かあったとしたら、私の所為だからせめてって思って。あんまりにもタイミング良すぎてバレちゃうかなって思ったけど、最初からバレてたなら言えば良かったな。」
ついには声に出して泣いた。
「私、人殺しだよ。『あらかわ』の人たち、みんな私の所為で。」
大淀は言葉に悩んだ。このような時の対処方法はわからなかった。彼女の人生においてそのようなことは一回もなかったのだ。それでも友人のために言葉をかけてあげたいと考えた。
「だからこそ、それを償うために今を生きて、精一杯やることをやりましょう?」
「うん、そうだね。頑張る。」
上手い言い方ではなかったが、伝えたいことは明石にも届いたようだった。明石は大淀に抱きつき、堰を切ったように泣き始める。大淀もその体を抱き返すと、自分まで涙が溢れた。しばらくして顔を上げた明石は、来た時よりもどこか晴れやかに見えた。
「ありがと。泣いたらすっきりした。」
「たまには相談してください。その、友達ですから。」
「うん。」
明石は笑った。橙色に染まりつつある日差しが彼女を包み、笑顔と合わせた幻想的な雰囲気が大淀の記憶に強く残った。
大淀が執務室に戻ってくると、海渡が一人で書類と向き合っていた。紺野の一件について、報告書の作成や経緯の説明に追われており、これもその一環だった。時刻は十八時を回ったところで、皆帰ったようだ。
「明石の様子はどうだった?」
海渡は大淀が入ってきたことに気づいて作業を中断し、視線を向ける。
「提督のおっしゃるとおりでした。話したおかげで少しは楽になったみたいです。」
「それは良かった。すまないな。」
「いえ、むしろ感謝しています。私でもそういう風に役に立てるんだなってわかったので。」
「そうか。」
大淀は海渡たちと過ごしたことで確実に自分が変わっていることを認識していた。以前の自分なら考えられないほど積極的になり、その都度楽しんだり悩んだりしているのは海渡や吹雪に会う前にはなかったことだった。
「提督は、いつもあのように気づくのですか?」
「いやまさか、たまたまだよ。」
海渡は湯呑に口をつけてから返す。大淀には、半分以上冗談で言っているように聞こえた。
「まぁでも、お節介だろうな。どうも吹雪達といた時の癖が抜けない。ここではほとんど艦娘個人に干渉しないようだから。」
その通りだと、大淀は思う。他の提督たちはそのようなことはしない。明雄にはややその傾向があるが、それでも心配性程度で済むもので、個人の悩みを解決するようなことはしない。改めて、大淀は海渡を不思議な人だと思った。自分も彼のその不思議さに助けられて今があるのであり、感謝してもしきれないものがある。
「でも、それで助かっている人がいるんですから、いいじゃありませんか。」
「今がそうでもこの先はどうなるやら。首の突っ込み過ぎは良くないからな。」
「そうですね。」
大淀は微笑んだ。そこへノックと共に鳳翔が入ってきた。珍しく私服で紙切れのようなものを持っている。
「あ、えっと、お邪魔でしたか?」
「いや、どうした?」
鳳翔は躊躇っているようだったが、大淀にはそれが何なのかわからなかった。
「外で話そうか。」
「お願いします。」
しかし、海渡は察したようで執務室を出て鳳翔が後に続いた。
「何かあったか?」
「あの、これを。」
廊下に出て周りに人がいないことを確認してから海渡は鳳翔に話しかけた。すると、手に持っていた紙をそっと差し出してきた。それは、一通の手紙だった。海渡はわずかに首を傾げた後、その意味を理解した。そして、どう返したものかと考え込んだ。
「あとで構いませんので、お返事をいただけると嬉しいです。」
「わかった。」
鳳翔はそのまま一礼して去っていった。海渡はため息を一つした。「律儀だな」と「やっぱりか」が同時に頭をよぎり、海渡はしばらく手紙を見つめた。海渡はそれを内ポケットにしまって執務室に戻った。
「どうでした?」
「任務の予定を聞かれたよ。休みをいつ取ろうか悩んでるらしい。」
海渡は嘘をついた。大淀は少し考えたあとに「そうでしたか」と言って話題を終わらせた。その後海渡はまた椅子に座って書類と格闘を始めたが、鳳翔に呼ばれる前と後で明らかに考え込む回数が増えた。大淀はそれを認識していたが、その意味までは掴めなかった。
次の日、海渡は執務室で手紙のことを片隅に置きつつ、報告書の内容に悩んでいた。実際に主導した研究員に直接聞けばいいだろうことをわざわざ海渡に報告させるような内容で頭が痛かった。首謀者と思われる大泉も紺野も死んでいるため、事件の殆どに絡んでいる彼に報告書を書かせるのは完全な的外れとは言えなかったが、海渡からすれば「終わった後まで関与したくない」以外に回答がなかった。そこへ光政がやってきて一つの紙束を出した。
「納骨式の案内だ。」
光政は相変わらず体に合う椅子がないため床に座り、海渡はその隣のソファで紙束を読んだ。
「ありがとうございます。やっと、あの墓が無人じゃなくなるんですね。」
「そうだ。やっとな。家内もお前に会いたがっている。」
「…わかりました。」
海渡は桜に会うことにやや抵抗があった。彼女はとても人当たりが良く専業主婦の鑑とも言える人だった。メガネをかけた小柄な女性で、早苗との性格と雰囲気の差に驚き「娘が父親に似るというのは本当なのだな」と思った記憶がある。抵抗があるのは、早苗の葬式以降一度も会っていなかったためである。海渡は早苗の死を自分の責任だと思っていたこともあり、顔を合わせづらかった。ただ、今回はそうも言っていられなかった。今回は彼女に会う理由があるのだ。
「最近忙しそうだな。」
「色々と後処理が続いています。全くなんだってこんなことを。」
ため息混じりに漏らす。戦う仕事が好きというわけでもないが、かといって直接自分に関係のない書類を書かされるのも不愉快だった。
「吹雪たちの面倒を引き受けたツケだな。」
光政は鼻で笑った。
「にしても利子がありすぎます。そもそも責任は向こうなのに。」
「向こうも頭が軒並みいなくなったんだ。下手したらお前が一番詳しい可能性もあるぞ。」
「それは何というか、最悪です。」
先ほどよりもさらに大きなため息をついた。
「まぁ頑張れ。それで遅れたら承知せんぞ。」
「わかってますって。」
光政はそう言って部屋を出ていった。海渡はもらった案内の日程を確認して脳内のスケジュールと照らし合わせた。
「誕生日にはギリギリ間に合うか。」
計算結果を口から出して自分を落ち着かせる。吹雪と約束しているわけではないため、彼一人が勝手にそう思っているだけだが、何かとそういうことを気にしてしまう質だった。
「おはようございます。」
そこへ鳳翔が入ってきた。海渡は紙束を閉じて鳳翔に視線を向ける。
「おはよう。一人か?」
「…はい。」
海渡の質問が単に言葉通りの意味ではないことを知っていた鳳翔は返答に間が必要だった。
「今日、仕事が終わった後、予定がないなら少し外に出ないか?」
「はい。構いません。」
海渡はもらった手紙の内容を頭の中で二回反復する。あまり待たせるべきでないということと予定が全体的に詰まっていることから、今日返答することに決めていた。海渡の中では答えが決まっていたため逡巡するということはなかったが、伝え方についてはまだ悩んでいた。
「おはようー。鳳翔さん早いね。」
「おはようございます。何となくです。」
そこから最上、北上と続いて入ってきて十分後にはいつもの面々が揃って今日の予定を確認した。海渡も鳳翔も一旦手紙のことは忘れて、予定をこなすことに集中した。
日が沈み始めた頃、海渡は執務室で吹雪とともに大量の書類を片付けていた。夕方には一度全ての仕事を終えて小休止まで取っていたのだが、終業間際になって各所を回ってきた書類が大量に追加され、海渡を心底うんざりさせていた。それでも吹雪の補助のおかげで何とか終業までには片付き、海渡は机に突っ伏した。
「やっと終わった。マジで勘弁してくれ。」
「お疲れ様でした。」
「ほんとにな。吹雪もお疲れ。おかげで早く終わったよ。ありがとう。もう今日は上がっていいぞ。」
「はい。では失礼します。」
吹雪は色々と海渡に聞きたいことがあったが、何となくそのような雰囲気ではない気がしたので止めた。早苗の納骨が終わってからの方が、海渡も決心が付きやすいだろうと思い、ずっと我慢していた。吹雪はこのような時にさっさと言ってしまう方が得意ではあったが、今回ばかりは勝算が高い時を狙うことを決めていた。しかし、扉を開けて退室しようとした際に、目の前にいつもよりわずかに化粧をした私服の鳳翔が立っていたことで感情が揺らいだ。
「どうしたんですか?」
「ちょっと海渡さんに御用がありまして。」
吹雪は努めて冷静に言ったつもりだったが、鳳翔には効果がなかったようだ。ただ、鳳翔にとっても今だけは吹雪と顔を合わせたくなかったため、心情としては似たりよったりだった。
「私は先に失礼します。お疲れ様です。」
「お疲れ様です。」
吹雪は一礼してその場を離れたが、鳳翔の表情が頭に焼き付いて離れない。気づけば心臓が激しく脈打ち、急激な焦燥感が込み上げてきた。
自室に戻る途中、吹雪は私服の赤城と加賀に会った。二人ともこれから部屋に戻る途中だと言う。加賀が吹雪の表情にただならぬ物を感じてその理由を聞いた。
「鳳翔さんが海渡さんに会うところに鉢合わせして、それで。」
赤城は理解できなかったが、加賀は即座に理解した。実は加賀は鳳翔が飾り気のある私服で移動しているところを見ていたのだ。
「鳳翔さんは今どちらに?」
「執務室です。」
加賀は鳳翔の覚悟を見た気がした。ただ、そこで廊下を歩いてくる二人を見つけ、加賀は吹雪と赤城を引っ張って木の陰に隠れた。息をすましていると、目の前を二人が通り過ぎていった。どうやら基地の外に行くらしいと察した加賀は、少し思案して後をつけることにした。
「盗み見るなんて悪いですよ。」
「吹雪さんは気にならないのですか?私は行きますよ。」
吹雪は迷ったが、加賀の決意は硬かった。そして指摘通り吹雪は気になり過ぎていたため、加賀の提案に従った。ただ、制服では目立ちすぎるため一旦部屋に戻って着替えることにした。吹雪や加賀と違い、赤城は深刻に考えていなかったが「せっかくだから」という理由で付いていくことにした。
海渡と鳳翔の二人の後を百メートルほど離れてついていく。
「なんだか楽しいですね。」
「赤城さん、ちょっと静かに。」
何も考えていないのか子供っぽい反応をする同僚を宥めつつゆっくりと移動する。そうする内に二人は区画を二つほど挟んだ先の公園に入っていった。海渡たちがキッチンカーで温かい飲み物を買ってベンチに座るのを見つつ、加賀と赤城はその後ろの林の中に隠れた。そこへ吹雪が合流した。
「さすがにこの時間帯は寒いですね。」
「そうだな。もう十一月か。早かったな。季節を感じる間もなかった。」
海渡たちのこの半年は壮絶なものだった。特に八月から十月の頭までは怒涛と言って良い目まぐるしさで状況が変わっていった。今にして思うとよくも生き残ったな、と海渡は思う。
「また海渡さんに会えるとは思っていませんでした。あのまま死ぬのだと思いましたし、そのつもりでしたから。」
後の言葉は死ぬ直前の言葉を言っているのだと、海渡は即座に理解した。
「おれもだ。とにかく生きていてくれて本当に良かった。」
海渡は同意の言葉を出したが、それは前半の言葉に対するものであって後半の言葉に対するものではなかった。それが鳳翔に伝わったかどうか、海渡にはわからなかった。そして少しの間の後に、鳳翔は切り出した。
「手紙、読んで頂けました?」
「ああ、読んだよ。」
海渡は短く返答した。それ以外に言いようがなかったのだ。あまり変な期待を持たせたくなかった。
「私が貴方に会えたのは、結婚生活の様々なことに対する天からの贖罪なのだと思いました。私の努力一つ一つに答えてくれて、本当に幸せでした。」
鳳翔は行儀よくベンチに座ったまま、視線も正面に向けながら話した。
「別に意識したわけじゃない。こっちも生きるのに必死だっただけだ。出来なかったことを他人でどうにか埋めようとした。」
海渡も目を合わせようとしなかった。周りからは奇異なカップルのように見えていた。
「海渡さんは、今幸せですか?」
「幸せだよ。」
亡くなったと思っていた鳳翔が生きていて、吹雪達のしがらみも解決し、早苗も帰ってきた。心の蟠りが消えて晴れやかな気分ではある。それが幸せというのかどうかはわからなかった。結局、早苗は亡くなったのだから。ただ、それをこの場で論ずるべきではないのは明白だった。だから、多少嘘になるかもしれないが、海渡はそう答えた。
「私もです。でも、もう一歩踏み込みたいのです。」
そう言って鳳翔は立ち上がって海渡の前で彼に向き直った。海渡は思わず息をのんだ。星空を背景にした彼女は今までにないほど妖艶な雰囲気を纏っていた。薄く化粧を施した顔には小さな笑みが浮かび、頬はわずかに紅潮している。手を体の前で柔らかく組む姿は大人だからこそ醸し出せるおしとやかさも感じさせる。
「ずっと、お慕いしておりました。海渡さん、私と結婚してください。」
鳳翔は体を折って大きく頭を下げた。腰まであるポニーテールが揺れて地面につく。
「ありがとう。でもそれには応えられない。すまない。」
海渡は座ったまま彼女に視線を向けながら言った。鳳翔は頭をゆっくりと上げた。その表情は決意に満ちているように見える。
「理由を聞かせてくれませんか?」
「おれは、翔子さんのことをそういう風に考えられない。」
わずかに間を置いてから本音を言った。鳳翔は女性として素晴らしいと思うし、家庭人として理想と呼ぶべきものがある。だが、海渡の感情はそれに強く惹かれなかった。
「…雪奈さんは、そう考えられるのですか?」
海渡は予想外に急所を突かれた。それと同時に、彼らの後ろで盗み聞きしている三人にも衝撃を与えた。吹雪は、それに対する海渡の返答が気になり、より聞き耳を立てた。
「関係ないだろ。」
「なぜ私では駄目で、彼女なら良いのですか?」
海渡は話を逸らそうとしたが、鳳翔は許してくれなかった。彼女の表情に本気を見出し、海渡は追い詰められた。
「どうしてそこまで彼女を気にするんだ。」
「自分が選ばれず他人が選ばれるのですから、その差を気にして当然ではないですか?」
「…そうかもな。」
やや考えて海渡は同意した。彼自身がそのような経験をしたことはないが、その感情は理解できた。
「嫉妬深くてごめんなさい。でも、どうしても知りたいのです。私の方が歳も近いですし、彼女はまだ子供じゃないですか。どうして駄目なんですか。」
「年齢は関係ない。」
「では何が関係あるのですか?」
「何もないさ。ただ、惹かれたのが雪奈ってだけだ。ただ、それだけだ。翔子さんもそうじゃないのか。」
それを聞き、鳳翔は悔しさと同時に少しの満足感があった。これが聞きたかった。言葉で明確にしてほしかったのだ。海渡が曖昧にしていることに甘えて一方的に期待を寄せる自分が嫌だった。
「ええ、そうです。」
鳳翔は同意した。自分もそうだ。なぜ好きなのかというものに自分も解答は出せない。
「…一人で帰れそうか?」
「はい。」
話は終わった。鳳翔も落ち着いたようで、海渡は立ち上がってその場を去ろうとした。その瞬間後ろから抱きつかれた。小柄な体から伸びる細い腕が彼の体を捕まえている。
「…ごめんなさい。貴方を取られたくない。」
鳳翔の声に海渡は胸が締め付けられた。だが、答えは変わらない。
「ありがとう。ごめんな。」
鳳翔の心には悲しさと同時に解放されたような感情が広がった。元々受け入れてもらえるとは思っていなかった。だが、曲がりなりにも一度想いを告白したことを清算したかったのだ。あわよくば受け入れて欲しかったが、明確な答えをもらえた鳳翔は充足感に満たされた。
海渡は優しく鳳翔を離して、今度こそ歩いてその場から離れた。その途中で加賀たちの横を通り、彼女に話しかけた。
「盗み聞きなんて趣味が悪いな。」
「すいません。気づいていたのですか?」
「最初からな。上手くやるなら赤城の気配は消させたほうがいいぞ。」
赤城が苦笑いして頭をかいた。
「提督は、鳳翔さんに申し訳ないと思わないのですか。」
「妥協で付き合うほうが失礼だと思うぞ。嘘をつくのはおれは嫌だよ。」
加賀の睨むような表情に対して、海渡は特に感情を含むことなく冷淡に返した。加賀もわかってはいたが、言わずにはいられなかった。
「まあいい。おれは帰る。明日からまた忙しいんでな。」
早苗の納骨式に出るための準備をしなければならなかった。また、海渡には別の目的があったため、長期滞在の予定がありそれに対する心身の準備も必要だった。そこで吹雪と目が合った。海渡はごく自然に笑みを作って、
「一緒に帰るか?」
と声をかけた。
「はい。」
吹雪は快く応じた。そうして二人は連れ立って帰路についた。
鳳翔が一人でベンチに座り飲み物を飲んで心を落ち着けていると、赤城と加賀がやってきた。二人とも心配そうな顔をしている。
「あら?どうしたのですか?…もしかして、見ちゃいました?」
鳳翔は言っている途中で気づき、困った表情を作った。
「はい、すいません。志ノ方提督とご一緒のところを見かけて気になりまして。」
「そうでしたか。恥ずかしいところをお見せしてしまいましたね。」
加賀の申し訳なさそうな言葉に鳳翔がいつものように微笑む。ただ、今回ばかりはその笑みにわずかな儚さが混じっているように見えた。
「鳳翔さんは、あれで良かったのですか?」
「はい。言いたいことは言いましたから。海渡さんにはご迷惑だったでしょうけれど。」
鳳翔は「また甘えてしまったな」と思う。この際だからと、胸の内にあったことを一つ残らず口にした。海渡を困らせたことは申し訳なく思っている。それでも、どんなに小さなものでも蟠りとして残したくなかった。
赤城と加賀は、鳳翔の言葉がわかるようなわからないような半々の状態だった。自分の恋が叶わなかったのに、これほど清々しさを感じさせるのは一体なぜなのだろうか。
「赤城さんにも加賀さんにもわかる日がきっと来ますよ。そして、いっぱい悩んでくださいね。」
鳳翔はそれを察して優しい笑顔を作って言った。二人はやや困惑したが、「はい。」と明瞭に返事をした。
「私、お腹が空いちゃいました。少し付き合ってくれませんか?」
二人は先程よりも明確に元気に了承の返事をした。
翌日から海渡は一週間の休暇に入った。早苗の納骨式へ参加するためである。しかし、その前に一つだけ済ませておきたいことがあった。前日の帰りに吹雪と約束を取り付け、日が昇ったばかりの時間に彼女の部屋を訪れた。
「朝早くからごめんな。行く前に一言言っておきたくて。」
「はい、なんでしょうか。」
吹雪はやや事務的に返答したが、内心は興奮で浮ついていた。
「今までずっと待たせて悪かった。帰ってきたら必ず返事するから、もう少しだけ待っててほしい。」
「はい。必ず聞かせてくださいね。」
吹雪の声は上ずっていた。内心の昂りが声にも反映されていた。海渡は頬を赤くした吹雪の頭をそっと撫でてから部屋を出た。
そうして電車とバスを使って移動し、早苗の納骨式への参加のために光政の家にいた。家の前に集まる人の中に宗一郎、長門、陸奥もいて、海渡としては奇妙な気分になった。
「何というか、本当に親族だったんだな。」
「今更何を言っているの。」
「まぁそうなんだが。」
そんな会話を陸奥とした後に宗一郎と長門に挨拶をしていると、家の中から光政が出てきた。
「おお、やっと来たか。中に入れ。」
遅刻どころか集合の二時間前に着いた海渡だが、もっと早く来れば良かったな、と反省した。案内されて中に入ると光政の妻の桜がいた。
「お久しぶりです、お義母様。大変遅れましたが、早苗と共に戻りました。」
海渡は深々と頭を下げた。温和な雰囲気の彼女の心情が全く読めない彼は、正直なところ彼女を恐れている面があった。
「お久しぶりです、海渡さん。早苗のこと、本当にありがとうございました。あの娘はとても良い夫を持ちました。まさか、もう一度早苗に会えるとは思っていませんでしたから。」
相変わらず優しい。
「いえ、私は彼女を守れませんでした。良い夫などと、とても。」
「四年前も、同じ事を言っていましたね。また御自分を追い詰めるのですか?」
表情は変わらないが、海渡は刺される思いだった。もはや海渡の癖になっており、それが出てしまった。海渡は返答に詰まった。
「先に逝った早苗を悲しませないように、お願いしますね。」
「はい。」
わかっている。早苗は今の自分を見て喜んだりはしない。桜に再度念を押された。
「じゃあ海渡、また後でな。」
光政は一言言って桜と共に中へ戻ろうとする。
「すいません、お義父さん、終わった後でお話があります。時間を作っていただくことは可能ですか?」
「・・・明日ならいいぞ。」
光政の反応はやや遅れ、表情はわずかに険しくなった。
「ありがとうございます。では一旦失礼します。」
海渡はもう一度頭を下げて出ていった。
「素晴らしい人ですね。私たちの承諾なんて不要でしょうに。」
「ふん、いけすかん。」
いずれ来ると思っていた時が来た。二人はそう察した。早苗が戻った時から桜はこうなる可能性を考えていたが、光政が気づいたのはそれよりずっと後だった。そして、光政はそれにあまり乗り気でない自分自身に苛立っていた。
納骨式は、一度葬式を済ませていることもあって簡素なものになった。ただし、それはあくまで光政の家系としては、という意味である。親族だけでもそれなりの人数が集まり、終わるまでには一日近い時間を要した。みな、早苗が帰ってきたことを喜び、人によってはやっと納骨できた墓石に話しかけていた。海渡と同じように誰も眠っていない墓に悲しさを覚えていたものが大勢いたのだ。海渡は夫ということで光政と一緒に人々を出迎える側にいた。一人一人に挨拶し「連れ帰ってきてくれてありがとう。」と礼を言われて心が震えるのを感じた。早苗が愛されていたことを改めて感じ、そうだろうなという納得感とそのような人間を死なせた罪悪感が、挨拶をする度に彼にのしかかった。
「これは罰だな。」
彼は心の中で呟いた。早苗と話したことである種の区切りがついたと思っていたが、精神の深い部分ではそうでないことを否応なく理解させられた。
そうして納骨式が終わったのは日が沈んでからだった。参列者のほとんどが帰り、家に残ったのは近い親族のみとなった。海渡も参列者が帰ったのを見届けると、光政と桜に声をかけた。
「では、また明日来ます。」
そうして、海渡は駅前のホテルに戻った。それを見送った光政と桜は居間に戻りこたつに腰を下ろした。光政は不機嫌が態度に出ており座ると同時に家が揺れた。
「明日なにかあるの?」
「話があるんだとよ。」
先に居間にいた陸奥の質問に光政は不機嫌に返した。不機嫌の理由が全くわからず陸奥が眉をひそめると、桜が説明した。
「好きな人ができたのね。それで私たちに了承をもらいたいのじゃないかしら。」
「なるほどね。海渡さんらしいわ。それでなんで伯父様は不機嫌なのかしら。」
「これが不快じゃないことがあるか?早苗と結婚しておいて、不埒もんが。」
「伯父様、私が言うことじゃないかも知れないけど、海渡さんを縛ったら早苗ちゃんが悲しむわよ。あの人には前を向いててほしいって言っていたもの。」
「いちいち言われんでもわかっとるわ。」
光政は居心地が悪くなり居間を出た。陸奥はそれを見てため息をついた。
「伯母様いいの?」
「しばらく放っておきましょう。あの人頑固だから。それに、海渡さんの覚悟もどれほどのものか確認したいですし。」
相変わらず温和な表情で辛辣な事を言う。これは苦労しそうだ、と陸奥は内心同情した。しかし、海渡も真面目過ぎる、と思う。死別なのだから、誰に許しをもらう必要もないはずなのに。
「私も来ていいかしら?」
「いいけれど、どうするの?」
桜はわずかに困ったような表情になる。陸奥はやや意地悪な笑みを作った。
「あの人、私の上官なの。ちょっと野次馬してみようかなって。」
「あまり変なことしないようにね。上官相手にそんなこと、失礼なんだから。」
「わかってるわ。」
最終的には光政が許可することになるだろうことはわかってはいるが、あの様子の光政をどう説得するのか気になるところであった。
次の日、海渡が家を訪れると昨日から機嫌が治っていない光政が出迎えた。
「海渡、家に上げる前に一つ確認がある。」
「なんでしょうか?」
「話の内容はなんだ?」
海渡は返答に悩んだ。海渡は返答に悩んだ。内容ではなく、どう伝えれば話を聞いてもらえるだろうか、ということに。ただこのまま無言で考え続けるわけにも行かず、
「別の人との結婚の許可を頂きたいのですが。」
と光政たちの予想通りの内容を飾ることなく言った。光政は露骨に鼻白み、海渡を追い出した。扉を閉められてしまってはどうすることもできず、もう一度呼び鈴をならすが光政からの返答はない。玄関前で途方に暮れていると、桜が出てきて言った。
「すいませんね、海渡さん。主人がご迷惑をおかけして。」
「こちらこそ手前勝手なことを言って申し訳ありません。」
「今日はもう出てこないでしょうから、明日また来てもらってもいいかしら?」
「はい、そのつもりです。」
そう言って海渡は一礼して踵を返した。悩みながら戻っていると、反対側から陸奥が来て声をかけられた。
「駄目だったみたいね。」
様子を察して同情気味に言う。
「まぁ二つ返事なんて期待していなかったがな。早苗との結婚を申し込んだ時も似たようなもんだったから、この程度は覚悟してるさ。」
「少し話す?来た意味なくなっちゃったし。」
「そうだな。というか野次馬は止めてくれ。そんな良い話じゃない。」
海渡は困惑を顔に出した。
「人の新しい門出を祝うのは良いことだと思うけれど。」
「なんで知っているんだよ。」
「伯母様に聞いたの。」
「…そうですか。」
桜には察されているとわかっていたためあまり驚きはなかったが、それが陸奥にまで伝わっているのはあまり良い気分ではなかった。しかし、責める気にもなれず喉まで来た不平を飲み込んだ。
二人は近場のバス停の椅子に座った。次のバスが来るのは夕方で、まだ当分来ない。待つ客も当然おらず、都合がいい。
「早苗ちゃんの時はどうだったの?」
「最終的に早苗がお義父さんと喧嘩して強引に承諾させたな。"お前じゃ早苗を幸せにできん"って言われて唸ってたら、早苗が怒って"私は幸せにしてほしいんじゃなくて一緒に幸せになりたいの"って言いながらお義父さんに食って掛かってもう大変だった。」
「すごいわね。」
陸奥は予想よりも壮絶で驚いたが、早苗の様子は容易に想像できる。父譲りの頑固で負けず嫌いなところがモロに出ている。
「今にしてみれば不甲斐ない限りだ。おれがちゃんと返答できていればな。」
海渡は苦笑した。
「でもその方があなた達らしいわ。」
「そうだな。」
今度ばかりは自身の力で解決しろ、ということなのだろうか。海渡は思案を巡らせた。
「ちょっと早苗のところに行ってくる。」
「相談?」
「願掛けかな。」
海渡が立ち上がると同時に陸奥も立ち上がった。
「私も行くわ。」
「なぜ?」
「私は貴方を応援したいの。」
「ああ、まぁ、ありがとう。」
陸奥の真意がわからず困惑気味に礼を言った。十分ほど寺まで歩き、階段を登る。ヒールを履いているせいでふらついた陸奥の手を咄嗟にとって、そのまま登りきった。相変わらずここの階段は優しくないな、と海渡は見下ろしながら言った。
「ありがと。でも止めたほうがいいわ。」
「わかってるが、もう癖だな。反射的に出てしまった。」
海渡は自嘲気味にため息をついた。
「雪奈ちゃんが泣くわよ。」
「いいや、あれは自分にもっとやれとせがむタイプだ。」
「…そうかも。」
海渡は早苗の墓の前に着くとしゃがんで十秒ほど手を合わせて、立ち上がった。
「納骨されても、声は聞こえないか。」
「そりゃあね。でも、貴方はいつか聞こえるかもしれないわね。」
陸奥の真意を理解しつつため息が出た。いらん声ばかり聞こえるくせして聞きたいものは聞こえない。役に立たないなとわずかに苛立った。
「雪奈は聞こえたのかな。」
海渡はふと思いつきを漏らした。手を合わせて目を瞑って会話する、と教えてそれを真似している吹雪を思い出す。
「来たことあるの?」
「前に一回だけな。お義父さんに言われて一緒に来たんだ。拉致されたのはその帰りだったな。」
「嫌なこと思い出させちゃったわね。」
「気にするな。もう全て終わったことだ。」
そう、全部終わった。ただ一つ、吹雪との関係を残して。だからそれにも答えを出し、次へ進みたかった。
十一月の冷たい風が吹いた。昼間でもあまり優しくないそれは、早苗がやや乱暴に背中を押しているようにも感じる。
「また明日だな。」
陸奥を送ってからホテルに戻った。
その次の日も門前払いをくらい、結局敷居を跨げたのは四日目のことだった。海渡としてはまさに今日までに帰るつもりでいた。この日が吹雪の誕生日であるからだ。吹雪にもそう伝えて出てきたが、完全に見込みが甘かったと反省した。基地にいないことを心配するだろうな、と思いつつも諦めるわけには行かず、再三粘った結果ようやく話し合いの機会を勝ち取った。ただ、まだ出発地点に立ったにすぎず、この先も険しい道のりであることは明白だった。海渡は覚悟を決めて襟を正した。
桜に案内されて客間に入ると、正面奥に光政があぐらをかいて座っていた。相変わらずでかいなと思いつつ、海渡はその前に正座した。桜も光政の隣に座り、いよいよだ、と海渡はより気を引き締めた。
「改めて聞くが、何しに来た?」
「…結婚を考えている相手がいます。」
海渡は一度言葉を切り、頭を下げた。
「そのことを、お義父さんとお義母さんに認めていただきたくて来ました。」
桜は表情を変えなかったが、光政は露骨に嫌そうな顔をした。実際のところ死別している以上、海渡が再婚するために光政や桜の許可を得る必要はない。しかしそれでも、海渡は義理を通す必要があった。そうでなければ早苗に申し訳が立たない。
「早苗を裏切るのか。」
光政は鼻で笑った。海渡の心の中にわずかに残っていた罪悪感を的確に掘り起こした。海渡は内から這い上がってくる後悔の感情を抑え込む。
「違います。これ以上彼女を呪いにしたくないのです。」
「結婚したのだからそれが当然ではないのか?貴様が引き止めていれば娘は生きていた。その責を負い続けるのが役目だろう。」
その言葉はさらに傷を深くえぐった。海渡もそう思っている。しかし、早苗はそれを望んでいない。再会して彼女に直接言われた言葉が刻まれている。それと同時に、徐々に怒りが湧いてきた。
「おっしゃるとおりです。ですが、もうこれ以上早苗を悲しませたくありません。彼女との最後の約束を守るためにも。」
「口だけなら何とでも言えるな。」
なぜこの義理の父はこれほど逆撫でしてくるのだろうか。以前と言っていることが違うではないか。粗探しをされているような気分になり、海渡は怒りを抑えるのにも意識を割かなければならなくなった。
陸奥はいつの間にか義務めいたものを覚え、この日も光政の家にいた。客間から聞こえる声は、内容は判然としないがどうも難航しているようだった。
「伯父様本当に頑固ね。」
陸奥が数えている時間だけでも三時間は経っている。思わずため息が出た。
「おや、由利も来ていたのか。」
そこへ宗一郎が入ってきた。いつも通りの着物姿と典型的優男の顔をしている。これが銃弾を弾いた男だと聞けば普通は耳を疑うところだが、妹としては「まぁ、そのくらいはやるだろう」としか思わない。この兄は、実の父や伯父、それぞれの妻たちから寄せられる期待にことごとく応えてきた。とにかく万能だった。男児に恵まれなかった光政からの期待も大きかったが、実子ではないという線引きは光政の中にもちゃんとあったらしく、成長するにつれて干渉は減っていったようだった。
「ああ、兄さん。どうしたの?」
「肇から海渡さんがどうなっているか見てきてほしいと言われてね。昨日までに帰る予定だったそうだから、みんなが心配しているそうだよ。」
「まぁ、四日間も門前払いされるとは思わないでしょうね。」
二人は苦笑した。宗一郎にも客間の声が聞こえていて、
「まだ終わりそうにないね。」
とやや困惑した表情をした。
「伯父様、何がそんなに嫌なのかしら。」
「おや、わからないのかい?」
宗一郎が意外そうな顔をした。いつもの察しの良い妹ならわかっているものだと思っていたのだ。
「兄さんはわかるの?」
「もちろん。」
「教えて?」
「自分で考えてごらん。ちょっと難しいかも知れないけど、伯父上らしい理由だよ。」
「焦らすわね。兄さんが言うなら、ちょっと考えるわ。」
陸奥にとって兄の助言や問題はいつも深い意味を持っていた。そのため、こう言われた時はそれに素直に従うことにしていた。
「ちょっと早苗ちゃんのところ行ってくる。」
「行ってらっしゃい。」
陸奥は立ち上がって家を出た。外は小春日和で気持ちがいい。山のほとんどは紅葉していて、場所によっては葉が落ちて冬の訪れを感じさせる。寺に到着し、海渡に支えてもらったことを思い出しつつ階段を登っていく。そこで早苗の墓石の前に誰かいることに気づいた。しゃがんでじっと祈っているようにも見える。同じ高さまで登った時、その人物が陸奥に気づいて目が合った。
「吹雪ちゃん、どうしてここに?」
「海渡さんが帰ってこなくて、それで心配で。でも、光政さんのお家も知らないので、とりあえずここまで来たんです。」
吹雪の表情は、心配という言葉では足りないほど深刻だった。。
「今伯父様と大切な話をしているわ。」
その内容については察していたが、あえて言わなかった。それは吹雪自身が知るべきだろうと考えた。
「良かったです。てっきりまた何かあったらと思って焦っちゃいました。」
「納骨式に出るだけなんだから、そんな…、いや、まぁそうね。」
前回の墓参りの帰りに拉致されたという話を途中で思い出して言い直した。
「それに、以前海渡さんが自殺未遂したって光政さんに聞いて、それで怖くなって。」
「…なんで言っちゃうのかしら。」
陸奥はため息をついた。
「ふぶ、いや、雪奈ちゃん、一緒に来て。海渡さんのところに連れてってあげる。」
「お願いします。」
今吹雪が来たことは僥倖かもしれない。陸奥は吹雪を連れて小走りで家に戻った。
家に戻るとまだ客間から声が聞こえることに陸奥はさすがにうんざりした。そんなに何を話しているのだろうか。
「由利の兄の宗一郎です。研究所では大変お世話になりました。」
「いえ、みなさんが無事で何よりです。吹雪、いえ、雪奈といいます。よろしくお願いします。」
宗一郎は研究所にて一瞬しか会っていない吹雪をしっかり覚えていて、改めて礼を言った。逆に吹雪は覚えていなかったのだが、宗一郎の気遣いで思い出した。
「海渡さんの部下、なのかな?」
宗一郎が意味深に言う。
「将来の奥さんよ。」
それを察して陸奥が応じる。
「それは、おめでとうございます。」
「い、いえ、まだです。」
吹雪は急激に恥ずかしくなって俯いた。そこで"まだ"という表現を使ったことに、宗一郎と陸奥は聞き逃さなかった。それは口癖から出たのか、既定路線としての言葉なのかは難しいところだったが、今の海渡の状況を見るに後者だろうなと結論づけた。宗一郎は軽く微笑んだあと、表情を真剣に戻して吹雪に言った。
「海渡さんと結婚するのは、正直大変だと思います。彼は期待されすぎているし、ご両親もご兄弟もいないと聞いています。それに、伯父上の相手もしなければならない。。特別な力を持っていることは聞いていますが、それとは別に彼の状況は特殊過ぎる。誰も経験したことのないものでしょう。早苗さんの時の比ではありません。それについていく覚悟はありますか?」
それは試験のように思えた。なぜ甥の彼がそのようなことをするのか、陸奥には一瞬理解しかねたが、これが多方から期待され続けた唯一の男児の責任なのだろうか。
「はい。できております。」
吹雪も表情を直してはっきりと強く答えた。それを見た宗一郎は何か納得したようにまた柔らかい表情に戻った。
「訂正しろ!!」
そこで客間から海渡の大声が聞こえた。
「断る、事実だろうが。それが嘘だと貴様に言えるのか?」
光政の返答もそれに負けず劣らず大きい。三人は客間の手前まで来て聞き耳を立てた。
「あの小娘が真剣にお前を好いているわけないだろ。親に向ける敬愛を勘違いしているんじゃないのか?」
「あんたに雪奈の何がわかるんだ。ついこの間会ったくせに。」
「常識的に考えてものを言っているんだ。」
どうも自分のことで揉めているらしいと吹雪は気づいた。中へ入ろうか悩んでいると陸奥に制止された。
「ふん、あれが成長して改めて考え直した時にお前がどんな顔をするのか見ものだな。その時何と弁解する?」
「そんなことにはならないと言ってるだろうが。」
「口だけなら何とでも言えると何回言ったら理解するのだこの阿呆が!」
「そっちだってなぜおれたちを信用できないんだ?そんなんだから早苗と喧嘩ばかりだったんだろ。」
海渡も光政も感情に任せて冷静ではなかった。最後の一言は光政を爆発させ、ついには手が出た。海渡は圧倒的な力で殴りつけられ、縁側を越えて窓を破壊し中庭に転がった。吹雪たちの目の前を一瞬で通り過ぎたため、何が起きたのか把握するまで数秒かかった。
「貴様もう一遍言ってみろ!」
「早苗と喧嘩ばかりだったって言ったんだよ。」
光政は裸足のまま中庭に降り、海渡との殴り合いに発展した。体格差がありすぎるせいで一方的ではあったが、海渡もそれなりに善戦していた。
「雪奈ちゃん、助けたら駄目よ。」
「で、でも。」
陸奥に制止され困惑する。見ていられなかった。だが、海渡は自力で解決することを望んでいる。それを知っている陸奥は吹雪を行かせるわけにはいかなかった。そこへ桜が来た。
「あなたが雪奈さん?」
「初めまして。雪奈です。」
「桜です。ずいぶん可愛らしい奥様なのね。おいくつなの?」
「えっと、十五、いや十六です。」
今日が誕生日だということを思い出して訂正した。
「確かに、あの人が心配するのもわかるわ。海渡さんのこと、心から愛していらして?」
「はい。海渡さんを私にください。」
桜はある意味では無意味な質問と自覚した上で言った。まさしく口だけなら、というものだが、今日ここに来ていることがそれだけではないことを証明しているように感じたのだ。桜は数秒吹雪の目を見つめた。吹雪もそれから逃げずに視線を返した。
「海渡さんのこと、よろしくお願いしますね。あの子、真面目すぎるからちょっと心配で。」
その言葉は実の子供に向けたような言い方だった。それを聞いた陸奥は真理を知ったような気分になった。宗一郎の方は「やはり」と言った感じで全く動じていない。
「はい、任せてください。」
力強い吹雪の返答を聞いたあと、桜は草履を履いて中庭に降りて光政の向こう脛をしたたかに蹴り飛ばした。全員が呆気にとられている間に光政の巨体が倒れてうずくまった。
「あなた、もう止しなさい。良い大人が情けないですよ。正直に言ったらどうなんですか。寂しいって。」
その言葉は宗一郎以外に衝撃を与えた。光政は押し黙った。それが、桜の言葉が事実であることを証明した。
「海渡さん、あの人のわがままに付き合ってくれてありがとうございます。これは秘密なのだけれど、貴方達の結婚式の前日にね、あの人お酒に酔いながら息子ができることを心から喜んでたわ。私があの人に息子を持たせてあげられなかった分まで、あなたに背負わせてしまって、本当に申し訳ないことをしました。どうか、あの人ともども許していただけないかしら。」
そう言って桜は上体を起こして息を切らしている海渡に頭を深く下げた。
「許すも何も、お恨みしたことは一瞬たりともありません。だからどうか謝らないでください。私はお二人が義理の親だということを誇りに思っています。いつもご迷惑をおかけして、お礼の言いようもありません。」
海渡は体の至るところに傷を作り出血していたが、どうにか立ち上がり頭を下げた。光政が痛みから復帰して立ち上がると、やや後ろめたさを表情に出しつつ海渡に言う。
「その、すまなかった。」
宗一郎はそれを見て「どこまでも素直じゃないな」と苦笑した。
「いえ、構いません。雪奈との結婚の件、認めて頂けますか?」
「そんなもの今更聞くな。良いに決まっているだろ。」
光政はバツが悪そうに家の中に戻っていった。
「あの人、姻族関係終了届を出されてると思っているんでしょうね。」
「そうでしたか。」
海渡は少しだけ納得した。
「出しませんよ。恩を仇で返すような真似はしたくありませんので。」
「そうでしょうね。海渡さんならそう言うと思っていました。今後ともあの人をよろしくお願いしますね。」
「はい。謹んで。」
予定より二日ほど遅れたが、そうして海渡の目的は達成された。桜が家に戻ると入れ違いで陸奥が来た。
「無茶するわね。でも、いきなり結婚の話は驚いたわ。」
「今更交際の選択肢はないだろう。とりあえず、早く帰らないと。雪奈たちが待ってる。」
痛みで表情を歪めつつ、海渡は言った。
「じゃあ早く治療してもらいなさい。」
そう言って陸奥は一歩下がった。その後ろから吹雪が出てきた。海渡はあまりの事態に言葉を失った。全部聞かれただけでなく見られたのか。
「その、おかえりなさい。」
「ただいま。」
お互いに何を言えばいいのかわからず、おかしな会話になったが、それが一番合っているような気がした。
海渡は治療を受けたあと、吹雪と二人で早苗の墓石の前にいた。二人とも早苗に内心で祈り、話しかけ、報告した。
「声は聞こえたか?」
「いいえ。でも、前と違ってここに早苗さんがいるような気がします。」
吹雪はにこやかに言った。
「帰りましょう。みなさんが心配していますよ。」
「そうだな。」
二人は墓地を出て寺の前を通り過ぎ、正面の石段まで来た。
「吹雪。」
「はい。」
海渡は一連の用事が終わった安心感からぼんやりしていたが、最後の一つを忘れていることに気づいた。あまりにも自然に行動している吹雪に甘えているな、と反省した。
「どうしてここに来たんだ?」
海渡は何となくいきなり切り出すのが恥ずかしくなってクッションを一つ挟んだ。
「貴方が心配だったんです。帰ってきてくれないから。」
「ごめん。」
吹雪の笑顔が眩しい。
「ねえ、海渡さん。」
「なんだ?」
「"男に二言はない"んですよね?」
吹雪は、言う必要がないとわかっていたが、あえて言ってみたいと思ったのだ。それによって、今まさに応えてほしいと伝えたかったから。
海渡は「聞かれていたのか」と驚いて目を丸くした。そして一つの間をおいて微笑んだ。
「その、雪奈。」
「はい。」
「おれと結婚してほしい。」
海渡は一息に言い切った。風が吹いて二人の間を通り過ぎる。吹雪は即答しなかった。早苗から聞いた「義務感だった」という言葉が頭をよぎり、ほんの一瞬だけ自分の答えを確かめた。だが、答えは最初から決まっていた。早苗と同じように「それでもいい」と思っていた。これから先、彼の感情をそうではなくしていけばいい。ただ一瞬だけ自問する時間が欲しかった。そして、あらかじめ決めていた回答を可能な限り明瞭に口に出した。
「はい、喜んで。ずっと待ってました。」
吹雪はとびっきりの笑顔を作った。嬉しさのあまりわずかに涙が出た。海渡は無言で吹雪を引き寄せ、強く抱いた。吹雪も同じように海渡を抱きしめた。そして、自然に口づけをした。しばらくして、海渡は吹雪を離した。
「今日は味しないですね。」
「まぁいつも油の味がしたら嫌過ぎる。よく口に含んだもんだよ。」
「生きていて欲しかったんです。伝わりました?」
吹雪は拗ねたような顔をした。海渡は申し訳なさを感じた。
「ああ、しっかりね。」
そう言ってもう一度優しく唇を重ねた。
「今度こそ帰ろう。」
「はい。」
二人は前に来た時よりもずっと優しい力で手を繋いで石段を降りた。吹雪は人生で初めて姓をもらった。
基地への帰路の途中で、海渡は予め買っておいた誕生日プレゼントを吹雪に渡した。それは紺のダッフルコートだった。
「そういえばちゃんとした冬用のコートなかったな。」
プレゼントに悩んでいる際にそれを思い出したのだ。本土に来てからは市街地などに出かける頻度が圧倒的に増えたため、それなりの服装が必要になっていた。特に吹雪達若い女性には。
「今着てもいいですか?」
「いいけど、季節に合うかな。」
寒いとは言え十一月中旬であり、まだ多少の厚着で過ごせる気温であるため厚いコートは少し浮くように感じたが、彼女には関係がないようだった。
「似合いますか?」
「ああ、とっても。」
吹雪は腕を広げ、その場でくるりと回って見せた。浮かれすぎだなと思うものの注意できない海渡だった。
そうして基地に着いたのは日が暮れてからだった。二人が執務室に戻ると、いつの間にか大規模な模様替えをしていたようで、全く違う部屋に迷い込んだのかと思い海渡は部屋の番号を二度見した。
「何やってんだ?」
「あ、海渡さんおかえり。吹雪の誕生日だからパーティしようってなってその準備してるんだよ。」
最上が答える。明らかに浮かれている。さらに彼女の奥で北上、鳳翔、大淀、飛龍、睦月、如月が様々準備していて、さらにその横で明石、真白、波留、詩乃が何やら作っている。
「それにしてもやりすぎじゃないか?」
「だって、それだけじゃないでしょ?」
そう言って最上は吹雪を見た。
「はい!」
吹雪は元気よく返答した。海渡は最上たちの行動に呆れたが、吹雪が満足げであったので何も言わなかった。
「やっとか。待ちくたびれたぞ。」
そこへ真白が歩み寄った。二本の角の間に輪飾りが乗せられていて、海渡は悩んだ末無視することにした。
「まぁ色々時間がかかってな。」
それを聞き、真白は一笑して明石たちの中に戻っていき、詩乃に折り紙で作ったメダルを贈呈されていた。
「あの、海渡さん。おめでとうございます。」
そこでまた別の方向から話しかけられた。海渡が顔を向けると鳳翔が立っていた。見慣れた陰りのない優しい笑顔に海渡は安堵した。
「ありがとう。」
海渡も微笑んで返した。
「吹雪さんもおめでとうございます。」
「ありがとうございます!」
吹雪も屈託のない笑顔で返す。変に遠慮するのは逆に失礼だと、吹雪は理解していた。
その後も祝福されつつ吹雪も準備に参加し、十八時過ぎ頃に開始となった。明かりを消してハッピーバースデーを歌い、ろうそくの火を消す、という型通りの事を終えた頃、陸奥が参加した。
吹雪は主役の洗礼として様々質問攻めにあった。彼女は恥ずかしがりながらも正直に返し、時に過去の話になったときは北上、最上、鳳翔も聞かれる側になり大いに盛り上がっていた。それを横目に見ながら、年長者たる海渡と真白は、執務室の窓の外に自らの艤装を呼び出し、その上に座っていた。流石に寒いため二人は各々コートを羽織っていた。
「結局、『むーんらいと』を沈めたのは大泉の私利私欲だったということか。」
やや独り言に近い形で言った。だが、真白も自分への問いかけだと理解しており、少しの間をおいてから返した。
「あれは被検体を欲しがっていた。早苗を除いてほとんどはそうなっただろう。紺野とかいうやつの艤装、おそらく――」
真白は濁した。言い切る必要はないと判断したからだが、単にその悍ましさを口にしたくなかっただけかもしれない。
「早苗がもらったと言っていたチケット、出処は紺野だったらしい。あの時に調べておけばあんなことにはならずに済んだのにな。」
「だが、結局あの船が沈むことは変わらん。早苗が助かったとして、大勢の家族は帰ってこない。」
そう言って真白はオレンジジュースを飲み干した。彼女が意外にも感傷に浸っていることに海渡は驚いたが、それを察して真白は力なく笑った。
「元人間でもその程度の感情は湧くさ。あれが沈むさまを見た時、私たちの誰一人として喜んだ者はいなかった。レイもマコも悲壮感が強かったよ。それでも、彼女たちは信じていたんだろうな。」
寂しげな言葉とは裏腹に、執務室の中はさらに盛り上がってアルコール飲料を開け始めたらしく、わずかに酒気が漂ってきた。
「柄にもないことを言ったが、全て終わった。結果はどうあれ、解放されたことは確かだ。お前のおかげでな。感謝する。」
真白は執務室内で艦娘たちに混じって楽しんでいる波留と詩乃を眺めた。彼女たちがあんなに笑っているのはいつぶりだろうか、少しの間記憶を遊泳した。
「話題は変わるが、紺野との戦闘中にお前と吹雪に同色の炎が出たのは覚えているな?客観的に見て、彼女も旗艦個体となった可能性が非常に高い。」
真白は空になったコップを弄びながら言った。海渡は吹雪が身体検査で何ら問題がなかったことを思い出しつつも彼女に聞いた。
「吹雪が変質する可能性は?」
「わからん。理由もな。艦娘が旗艦個体になるなど聞いたことも見たこともない。だが、彼女だけは艦娘として作られた肉体だからな、そういう点で関連はあるかもしれない。もしくは、お前の影響、ということもあるか。」
「そうか。」
海渡は執務室の中の吹雪を見た。みなと盛り上がっているさまは普通の女の子に見え、思わず微笑む。だが、真白に言われたことは忘れないようにしておかなければ、と強く記憶に留めた。
「もう一点、これはもはや呪いの類かもしれないが、お前らはお互いに旗艦として認識している可能性がある。旗艦個体同士の結びつきも初めて見たが、とにかく絶対に離れるなよ。最悪精神が壊れて死ぬ。」
「肝に銘じるよ。」
離れる気は毛頭ないが、真白が言いたいのはそういう意味ではないのだろう。とにかく、これまで以上に彼女の体調には気を配る必要がある。
その後、パーティはお開きになったが、みな酒気を帯びていて陸奥と飛龍以外は明らかに酔っていた。特に未成年である駆逐艦娘たちはトイレに駆け込むようなことはなかったが呂律は回っておらず足もふらついていた。海渡は大きくため息をついたあと、成人たちを叱りつけて睦月と如月を官舎まで運ぶよう命令した。
「大淀、お前がいてこんなことになるとは思わなかったよ。」
「申し訳ありません。」
言った方も言われた方もあまり真剣ではなかった。特に、大淀が雰囲気と酒の両方に酔って表情を緩めていては真剣に叱れなかった。「たまにハメを外すくらいはいいか」などと甘いことを考えていた所為だろう。
最終的に全員を帰らせたあと吹雪をソファに寝かせてコートをかけた後に部屋をしばらく換気し、酒の匂いが消えたことを確認してから吹雪を抱えて帰った。
なお、朝一番に執務室に来た海渡は、酒の匂いが残っていることにげんなりしつつ窓を開けた。昨晩は酒気に満たされた部屋にいたせいで、匂いが消えたのではなく鼻が慣れただけだったのだと気付かされた。
紺野が起こした大規模な事件は、十月末に反乱事件という名称が定着した。これは完全に私的なものだったが、大泉との利害の一致により海軍及び艦娘を完全掌握しようと企んだものとして認定され、それが”反乱”とされた。
この反乱事件の後から年末までは、深海棲艦は鳴りを潜めてほとんど観測されなくなった。完全に消えたわけではないが、反乱事件の前よりは大人しいもので規模は三割から四割程度の小規模なものだけだった。定常的な護衛任務を除いて出撃の機会が減ったことと年の瀬という要素が合わさり、艦娘部隊は全体的に平和な時間が流れ、みな久しぶりに穏やかな日常を送っていた。着任以来初めての平和な師走、平和なクリスマス、平和な大晦日。みなが思い思いに楽しんだが、例年と大きく異なったことが一つだけあった。それは「やりたいことはやろう。」という意思が非常に強かったことだ。
反乱の際、大半の艦娘は艤装どころか意識すらも乗っ取られかけ死に瀕したことで、生きていることを当たり前だと思わなくなったからだろう。しばらくぶりに家族に会ったり、行きたいところへ旅行したり、好きな人に想いを伝えたり。海渡たち指揮官は、あまりにも自由すぎる行動にため息が漏れたが、咎めることはなかった。できるときにやれるのが生きているものの特権なのだ。
そうして年末になった。例年は五人で過ごしていた海渡たちも、今年は別々に過ごしていた。吹雪に気を使ったということもあったが、もう何年ぶりかもわからない、友人と年末を過ごすという行事に興奮気味であった。
北上は大井と木曾と年明けと同時に初詣に行き、そのまま徹夜して日の出を見に行った。
最上は桐野の部屋で年越しした後、彼の部屋で朝まで寝てから三隈、鈴谷、熊野と初詣に行った。桐野は最上のことを両親に伝えるために実家に帰り、家族と過ごした。
鳳翔も赤城や加賀たちと年末年始を過ごしていた。その際、年越しそばと御節を赤城たちに教えながら一緒に作り、主婦力の高さを称賛された。正月休みが明けた後それが話題になり、密かに料理を習う艦娘が増えたらしい。
彼女たちの行動に海渡はわずかに寂しさを感じたが、それ以上にかつて無いほどに人間らしく年末年始を過ごせている彼女たちに心の底から嬉しくなった。ようやく日常を取り戻せたと、実感した。
そして、吹雪は海渡と過ごしていた。ただ、海渡に待機命令が出たために大晦日だと言うのに執務室にいた。二人とも多少の不満はあったが、どうせ行く先もないためそこまで気にしてはいなかった。
「なんか、私たちらしいですね。」
「そうかもな。」
二人は並んでソファに座り、ホットココアを飲みながらゆっくりと過ごしていた。あと三十分で年が明ける。
「今年は色々ありすぎたな。今年は色々ありすぎたな。君にも何度も無茶をさせた。」
「いいんですよ。こうして生きて一緒にいられるんですから。」
「そうだな。」
吹雪はしたり顔で海渡に凭れ掛かる。海渡は無意識に彼女の頭を撫でた。そうして特に会話をせずに静かに時間が過ぎていく。海渡が飲み終えたことを確認すると、吹雪は海渡の膝に頭を乗せて顔を彼のお腹に埋めた。
「寝そう。」
「どうぞ。」
そう言われて吹雪は少し頬を膨らませた。
「年越しは一緒にしたいです。」
「じゃあ直前に起こすよ。」
時間を見るとあと十分だった。さすがにこの時間では寝ない、と不服な顔をしたが、その五分後には船を漕いでいた。瞼がうっすらと閉じては開けてを繰り返す。その様子を見て海渡は微笑んだ。
「寝てない!寝てないです!」
そして一分前にどうにか起きた。それは本人の努力の賜物というべきものだったが、如何せん説得力はなかった。
「はいはい。」
海渡は苦笑した。そして、日付が変わり、年が明けた。
「明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します。」
「明けましておめでとう。こちらこそよろしくお願いします。」
お互いにソファに座りながら頭を下げた。
「待機って朝まででしたよね?日の出も見ませんか?」
「いいよ。それまで寝てたら?」
海渡自身は一応待機ということなので起きていなければならなかったが、吹雪の方はどう見ても起きていられなさそうなので、そう提案した。吹雪はまた不満を顔に出したが、
「そうさせてもらいます。」
と言って彼の膝にまた頭を乗せた。自分でも起きていられる自信が皆無であった。そして、一分もしないうちに寝た。その際、無意識に海渡の手を掴んで。
そうして日の出までの間、海渡は吹雪を膝に乗せたまま本を読んで過ごした。途中でコートを取り出して吹雪にかけた以外は、ほとんどその場を動かなかった。時折、吹雪から寝息混じりの声が漏れる。それが聞こえるたび、海渡は彼女を愛おしく感じた。
そして、窓の外に東雲の空が広がり始めた頃、海渡は吹雪を起こした。明らかに寝足りないといった表情だったが、共に日の出を見る楽しみが再燃してすぐに覚醒した。二人は連れ立って外に出て、東の海を見た。まだ姿は見せていないが、水平線の向こうに存在を感じる。
吹雪は少し寒さを感じて海渡の右腕にしがみつく。海渡から借りたコートはやや大きく、手が袖から完全に出なかった。今更ながら、職場でやりたい放題していることに少し恥ずかしくなった。
「去年とはだいぶ違ってるな。」
海渡は独り言のように呟いた。去年は島で五人で日の出を見た。その時の気分は「去年は何事もなく終えられた。今年もそうであるように。」という祈りに近いものだったが、今年は全く違っていた。様々あったが、去年の同じ時よりもずっと希望と多幸感が多かった。
「今年は、去年よりもずっと幸せです。ずっとずっと。」
「そうだな。」
そして、朝日が水平線から顔を覗かせ、徐々に世界を照らし始めた。やがて光が二人を完全に包むと、年が改まったことを実感した。
「今年もよろしく、雪奈。」
「はい、こちらこそです。海渡さん。」
それと同じ頃、真白、波留、詩乃は、海渡に教えられた早苗の墓に来ていた。わずかに白んだ空がもうすぐ夜明けを知らせている。真白たちは墓の前で手を合わせたが、海渡たちの時と同様に声は聞こえなかった。それでも何となく手を合わせたのは、人間の時の癖なのか、それとも早苗の「心は届くよ」という言葉をどこか信じているからなのか、判別出来なかった。
彼女たちも毎年日の出を見ていた。それは深海棲艦になってからずっと続けていた習慣で、彼女たちの中で珍しく人間らしい行動だったかも知れない。海渡についてきたため、いつもの場所で見ることはできない都合半ば諦めていたが、海渡に
「いいところがあるぞ。おれがまだ早苗といたときに毎年行っていた場所だ。」
と教えられた。それ自体はあまり興味がなかったが「早苗の墓がある」と聞き、素直に従った。
お寺は山の高い位置にあり遠くまでよく見える。景色の素晴らしさについては真白も認めた。そういえば、このような山に登って農村を見渡すなど人生で初めてかもしれない。案外悪くないな、と内心感嘆した。
「すごい綺麗。」
波留が小さく漏らした。真白は無言で、詩乃は頭を何度も振って、同意した。
「そう言えば、シロ、一ついい忘れてたことがあるの。」
「なんだ?」
「その、たぶん、私、志ノ方さんのこと旗艦認定してる気がする。艤装が『はるか』にすごい懐いているの。」
波留はたどたどしく言った。彼女自身も困惑しているようで、どう処理してよいか悩んでいるようだった。
「安心しろ。私もだ。紺野の一件からどうも乱されているな。」
真白には自覚があった。旗艦認定されることは過去何度かあったが、認定する側になったことは一度たりともなかった。と、いうより、旗艦個体同士が影響を与え合うなど彼女の経験からすればあり得ないことだった。海渡と吹雪の組み合わせはあらゆる意味で前例がなく、予測不能で、それが彼女を高揚させた。
「早苗と約束した所為なのか。いずれわかることだろう。今年は、面白くなるぞ。」
「そうだね。」
「楽しみ!」
太陽が山の稜線から顔を出し、彼女たちを光で包んだ。深海棲艦になってから初めて、三人は晴れやかな気分で日の出を迎えた。第三の人生が始まろうとしていた。