魔法少女育成計画「青」 ―La Pucelle: Alive Chronicles 4― 作:神谷萌
ディティック・ベル ──── 氷岡忍は、プリンセス・ライトニング、田中愛染と、プリンセス・デリュージ、青木奈美のアパートの前に来ていた。
「…………」
── 私のところもいい加減かと思ったけど……
築年数、内外装の古臭さで言えば、忍のアパートの方が上だ。だが、外壁の安っぽさとか、玄関扉のペラペラ感とか、いかにもThe安アパートといった感じが漂っている。
「…………」
忍はディティック・ベルに変身しようとして、やめた。
あんまりやりたいことではないが、賃貸物件は、ベルの魔法による情報の取得がやりやすい。
原則としては、賃貸の入居者についても、建物の持ち主同様、不利なことは喋らないようにはなっている。
例えば華乃邸だ。あの家は戸建だから、オーナー以外にも入居者世帯に不利なことはまず話さない。
ところが、集合住宅や雑居ビルなんかだと、入居者同士の利益相反が大なり小なり存在していることが珍しくない。そのため、秘密の閾値が下がっている場合が多いのだ。
ただ、今は愛染も奈美も自室にいる。彼女たちに見られたらとリスクを考えて、その場で実行することはやめた。
忍は、手帳を取り出しつつ、周囲を見渡す。最も至近の電柱を見る。
このような旧くからの住宅街の場合、GPSが一般化する以前、郵便などの配達の利便性向上・配達遅延抑制のために施行された、付近の住所を表示する“住居表示”の実施対象になっていることが多い。その街区表示板が、電柱に取り付けられているのもよくあることだ。
住居表示の対象外地域でも、電柱には配電会社など主たる利用者が管理するための電柱番号が必ず振られている。そして現在、それは一般人でもWeb上でその電柱の設置住所を検索することができる。
ちょうどアパートのすぐ横の電柱に、街区表示板が取り付けられているのを見つけた。
忍は、手帳のページに街区表示板の表記と、電柱番号を手早く書き込む。
手帳をしまうと、アパートの前を離れ、不自然には見えない程度の早歩きで、駅に取って返した。
稚奈と沙穂のアパートの最寄り駅。
2人は地階の改札を通り、階段を上がって、西口前の広場に出る。
「それじゃ、また明日っす」
「う、うん……」
沙穂は以前と同じように、フレンドリーに明るく言いつつ手を離して別れようとするが、稚奈の手の離れ方が、以前より名残惜しそうなものになっているように感じた。
「…………」
沙穂が稚奈を見ると、顔を少しだけ紅潮させつつ、はにかみながら僅かに俯いている。
沙穂は思考を巡らせる。
── こんな時、2代目なら……
「あっ、あのっ」
裏返りそうな詰まりがちの声で、沙穂は言う。
「な、何かあったらっていうか…………ち、稚奈が、プシュケが寂しかったら、よ、呼んでくれていいっすから!」
「沙穂……」
一瞬だけ、呆気にとられたような表情になって沙穂を見つめてしまった稚奈だが、すぐに笑顔になって、
「うん、ありがとう」
と、告げた。
「じゃあね」
「また、明日っす」
稚奈にはまだ、後ろ髪引かれるような様子があったが、沙穂とはそこで別れ、自宅アパートへの帰路についた。
── やっぱり、今日の私、なんか変だ……
稚奈は考える。朝に最初に沙穂を見たときからだ。その自身の変化は自覚している。沙穂の、姿を見るだけ、声を聞くだけ、少し近くに寄られただけで、この全てが心地よく、さほど露骨ではないが軽い性的興奮を伴った熱を帯び、心地よい。
それでいて、なぜか思考はぼんやりとせず、むしろ今までより冴えて感じる。
その変化は解った。問題は、なぜ突然そうなったか、だ。
3日間会わなかっただけでは、説明が安直すぎる気がする。
「…………」
稚奈が、そんなことを考えながら歩いているうちに、自宅アパートまでついてしまった。
真剣に現状を考えていたが、別に気分は悪くない。鼻歌まで出た。
ポケットから玄関の鍵を取り出し、シリンダー錠を解錠して、扉を開けて中に入る。
DKというか、ダイニングまでの通路に簡素なキッチンがついているタイプ、という点は、沙穂の1Kと大差ない。ガスコンロも45cm幅のスリム2口タイプだが、かろうじて魚焼きグリルはついている。他方で、給湯器はキッチンシンクの横に取り付けられている
背後で玄関の扉が閉まったところで、一旦鼻歌が途切れる。
「…………ご飯、炊こ……」
と、誰にともなくそう呟いた。
鼻歌が再開される。むしろ気分は妙にいい。
荷物をおろし、一旦部屋着のジャージに着替える。
中古炊飯器の蓋を開ける。象印NDAK-T10型。奇しくも?華乃邸の1升炊きのそれのサイズ違いだった。内釜を取り出す。
MAXZENの2ドア冷蔵庫の冷蔵室を開け、中のクリア米びつから3合半分を計って内釜に入れる。
それを、狭いシンクまで持っていって、ツーハンドル水栓の水の方を開けて、内釜に水を注ぎながら、米を研いでいく。
ある程度ザッザッと研いだところで、内釜の目盛りを見ながら、3合半分の水を入れた。
内釜をシンクから持ち上げて運び、炊飯器にセットして、蓋を閉める。
「…………」
そこで一旦、居室のパソコンの前まで行く。まずそのローデスクの上に置いてあるスマートフォンを手にとって、カウントダウンタイマーを15分に設定した。
それからパソコンの起動スイッチを押す。ノートパソコンではなくキューブケースの自作機だ。
賑やかしにポータブルラジオの電源を入れる。AIWA AR-MDS25型。短波の受信ができるワールドバンドラジオだが、今あっているのはFM79.5MHzだ。
その僅かな時間に、起動ドライブがSSDのパソコンはWindows11のログイン画面を表示した。
── 今日の報告書……
本格的に編集するのはまだ、と思いつつも、それを考えたところで、それまで機嫌良さ気だった稚奈の表情が、にわかに険しくなった。
ランユウィを見て発情しました。 ──── これも書くべきなのかどうしようか迷いどころだが、もっと重要なのはプリンセス・ライトニングの件だ。
死んだはずの人間が生きていた。 ──── いや、そんな単純な話ではない。姿形こそ同一だが、人格的にはどう見ても別人だった。
「…………」
何が起きているのか、稚奈にはわからないが、これは報告しておく必要がある事項だとは判断した。
そうやって、報告書の文面の案を考えているうちに、
ピピピピッ、ピピピピッ、ピピピピッ……
と、スマホのカウントダウンタイマーのタイムアップ音が鳴った。
稚奈は、立ち上がって一旦ダイニングに行き、テーブルの上の炊飯器の、アナログタイマーのダイヤルが“切”になっているのを、“入”へと動かす。まずオレンジ色の“保温”ランプが点いたが、ダイヤルの上のスイッチを押す。ランプが赤の“炊飯”へと移った。
居室に戻る。今度は報告書を書くためのツールを立ち上げた。
どう書いたものだろうと、キーボードを叩く手を時々止めたり、
「う~ん……」
と、唸ってしまったりしている間に、開けっ放しになっていた引き戸の向こうから、ご飯を炊く芳醇な匂いがしてきた。
やがて、パチン、と、炊飯器のスイッチが上がる音がした。
稚奈は、一旦そこまでをファイルに保存して、立ち上がり、ダイニングに移動する。
「おかずは豚の唐揚げにしようかな」
呟きつつ、冷蔵庫の冷凍室を開ける。
出来合いではなく、稚奈がグリルレンジで作って冷凍してあった豚コマの唐揚げを4個ほどお皿にとって、それをグリルレンジに入れて、今度は電子レンジモードにして、オートにし、スタートボタンを押した。
その間にまず、炊飯器を開けて中のご飯を一旦混ぜほぐしてから閉め、フリーズドライの野菜入インスタント味噌汁をお椀に取り出し、VE魔法瓶からお湯を注ぐ。
あたための終わった唐揚げをレンジから取り出し、ダイニングテーブルにまで持ってくる。
お茶碗にご飯をよそって、1人分の食卓の前に座る。
「いただきます」
稚奈は、そう言ってから、まず箸で味噌汁を軽くかき混ぜた後、豚コマ唐揚げをおかずに、ご飯をすすめ始めた。
─☆──☆──☆──☆─
名深市中宿、華乃邸。
ピーッピーッ……
ガステーブルの、魚焼きグリルのタイマーのお知らせ音がする。
グリルを開け、網に乗っているグリル用アルミトレーの中の開いたアジに、料理用のハケでたっぷりとタレを塗っていく。菜箸で引っくり返して、裏にも丁寧に。
トレーにアルミホイルを被せ、グリルを再点火。下火を最弱、上火をそれよりほんの少しだけ強めに設定して、グリルを閉じる。
当然衣装と尻尾以外はラ・ピュセル姿の颯太がそれをやっている、その傍らで、華乃が大根と人参に火が通った鍋の中へ、わかめと切った豆腐を入れ、更にマルコメの『液みそ 健康みそ汁』を大さじで計って入れ、トロ火で加熱しながらお玉でゆっくりとかき混ぜる。
ピーッ……
グリルが再度の加熱を終えたところで、颯太はアルミトレーごとそれを取り出し、アジの蒲焼き
「味噌汁もよそっていいか?」
「あ、うん」
華乃に聞かれて、颯太は笑顔でそう答える。
颯太はアジの皿を、華乃は味噌汁のお椀を、それぞれ2人前ずつ持って、卓袱台が展開されている和室へ移動してくる。
卓袱台の上では、件の炊飯器がすでに炊飯を終え、混ぜほぐされた状態で保温していた。
その炊飯器から、2人のお茶碗に白いご飯がよそられて、食卓は完成する。
テレビが
「それじゃ」
「うん」
そう言って、2人は箸をとる。
「いただきます」
颯太は最初に、味噌汁に手を付けた。
「んー……あ、あんまり煮詰めてないのに大根と人参にも味が染みてる」
「自分なりに試してみた」
颯太の言葉に、華乃が答えた。
「試したって、どんなの?」
颯太が訊き返す。
「大根と人参を煮る時、途中で白味噌パウダーを入れてみた」
「あ、なるほどね。いい思いつきじゃない」
華乃の答えを聞いて、颯太は、納得しつつ、褒めるようにそう言った。
「……颯太の、この前のカレーのやり方を見て、応用してみた」
妙に気恥ずかしくなった様子で、華乃は思わず視線を逸してしまいながら、さらにそう答えた。
「あ、そうなんだ」
颯太の方も気恥ずかしさを感じて、こちらは苦笑した。
2人が、更に食を進めようとしたところへ────
ピリリリリ……
颯太のスマートフォンに着信があった。
「佳代ちゃん……ファニートリック? 何かあったのかな」
着信相手を見てそう呟きつつ、颯太は通話ボタンをタップした。
「もしもし?」
『あ、よかった、やっと出てくれた』
「え?」
電話越しの佳代の声に、颯太は惚けたような声を出す。
『さっきからかけてたんですけど、なかなか出てくれなくて』
「あ……ごめん、2人とも台所仕事してた」
『そうだったんですか…………って、そんな場合じゃないです! テレビ点けてますか!?』
佳代の口調が急に緊迫した。
「点けてるけど……」
『NHK、NHKにしてください!』
「NHK?」
佳代の言葉に反芻しつつ、颯太はテレビのリモコンを探そうと周囲をキョロキョロと見回しかけたが、先に華乃がリモコンを手にとって、1番ボタンを押してNHKに切り替えた。『ニュース7』の時間だったが────
『──── 県警は本日、
結屋美祢。魔法少女、ウェディンの本名だ。だが、ウェディンは“盤洞市の暗殺魔法少女事件”の際に、繰々姫やファニートリックと同じように、トコに魔法少女にされた存在だったが、事件の後は引退を選び、もはや魔法少女ではなくなっているはずだった。
「結屋さんが、どうして……」
テレビの伝える情報に、呆然としかけた颯太だったが、すぐに緊張した表情になり、
「── 佳代ちゃんはなにか知ってるの!?」
と、電話の向こうに問いただす。
華乃の表情も険しくなっていた。
『解りません! 実際には4月の6日頃には姿が見えなくなってて、付き合いの深い人間で探してたことぐらいしか……魔法少女絡みとは考えにくいと思うんですが、もうそれだけ排除して考えられなくて…………!』
佳代は不安そうな口調でまくし立ててきた。
「お、落ち着いて!」
颯太が、そう言って佳代を宥める横で、華乃が自分のスマートフォンを取り出し、ロックを外して電話帳を開く。
「ひょっとしたらだけど、今回の件と関係があるかもしれない」
華乃は呟くようにそう言いつつ、僅かに悩んでから赤星燈の携帯電話番号を選んで、発信をタップした。
─☆──☆──☆──☆─
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