サイクリングス・デスロード   作:らいおん@

2 / 2
第2話

 ロードバイクが好きだった。

 最初に乗ったのは五歳の時だ。親と一緒に行った自転車屋で、俺はそいつを見つけてしまった。

 他とは違う、細くて高くて尖ったフォルム。沢山の自転車が所狭しと並んだ店内で、一番高い位置に飾ってあったソレ。壁に貼ってあるデカいポスターではどこの誰かは分からないムキムキのお兄さんが、それに乗ってカッコよく空へと浮かび上がっていた。

 

 俺は一時間ぐらい泣きわめき、子供用のロードバイクを買ってもらった。

 それに乗るために、血だらけになった。三輪車しか乗ったことがなかったから。だから、補助輪を外すという難題に加え、バランスのとり辛いロードバイク特有の高い重心に慣れるのに、三週間と絆創膏2箱を費やした。

 それでも、乗ったその一瞬から、俺はロードバイクを買ってもらえてよかったと、心底親に感謝した。

 

 最初はロードバイクというもの自体が好きだった。

 他の自転車と違い、きらきらでピカピカで、強そうだったから。

 けれどそれに乗り、成長していく内に、好きなものがたくさん増えた。

 

 例えばそれは、どんなに疲れた時だって、ロードに跨ってちょっとサイクリングに行けば、楽しくなれるところとか。

 友達が見たことも来たこともないような場所に、自分一人の力で行って帰ってくることが出来ることとか。

 たまに出会う同じロードバイク乗りの人達と、ただ同種のものに乗っていると言うだけで仲良くなれることとか。

 

 レースが始まる前の、あの何とも言えない、ヒリついた空気とか。

 いつアクションをかけてまわりを出し抜こうかと考えている、集団内の雰囲気とか。

 先頭で誰もいない道を走り、観衆の声援を一手に受けている時とか。

 表彰台に乗って、握手をして。そんな時、笑顔を向けながらも、俺を悔しそうな目で見ている奴とか。

 

 そんな生活をしている内に、俺にとって、ロードバイクはなくてはならないものになった。

 

 俺にロードを教えてくれた父さんは、これは愛だと言った。

 そう、愛だ。俺はロードバイクを、ロードレースを、そこに関わる全ての人と物を愛してる。

 

 だが、愛だけでは人は生きていけないと、父さんは言った。

 お金を稼ぐ。社会的身分を手に入れる。大事な人を養う。周りの人を幸せにする。

 そういった生きるためにこなさなければならない沢山の課題が、愛の前に立ちはだかるのだと言われた。

 

 父さんは、昔、陸上競技の実業団に入っていたらしい。

 走ることを愛していて、ずっとこれで生きていきたいと思っていた。

 けれど勝てなかった。結果が残せなかった。

 一周400mのトラックこそが自分の世界だと信じていたはずなのに、そこに立つのが苦しくて仕方がなくなって、その空間で吸う空気が重くなって苦くなっていって、辞めるしかなかったのだと言った。

 

 だから俺は、結果を残さなければならない。

 それが出来なければ死ぬしかない。

 

 父さんは立派な人だったから、走るのを辞めても生きていけた。

 けれど俺は無理だ。ロードバイクから離れて生きていける自信がない。

 毎日乗りたいし、これ以外は考えられない。考えたくない。

 

 だから、結果を残さなければいけないんだ。

 ちゃんと胸を張って、ロードバイクで生きて良いのだと。

 そう誰かから認められて、初めて俺の人生はスタートできる。

 

 だから、俺は、俺は、どうしても、この大会で優勝しなきゃいけなくて――――

 

 

 

***

 

 

 

「――――ぁ……?」

 

 リノリウムの白い天井が、目に入った。

 

 どうやら眠っていたらしい。

 天井を見たまま、しばらくぼーっとする。意識の前後が嚙み合わない。

 というか、なんか、怠い。疲れてる。脳が止まっているような感じがする。

 

 視界を右にズラすと、テーブルに突っ伏して寝ている女がいた。

 女子高生だろうか。うちの学生服ではないな。

 ピンクのガーディガンと、それから長い金髪が目に入る。

 校則緩いところの人だろうか。っつーか金髪て。ギャルかよ。

 

 ギャル、怖いんだよな。

 うちの学校にはいないが、街中で見かけると結構怖い。

 理由は単純で、一度ロード中にトイレに行って帰ってきたら、俺のロードバイクに跨って写真を取られていたからだ。盗まれなかったから良いのだが、しかしアレがあってから、心のどこかでひっそり俺はギャルが怖くなっていた。

 

 そもそもなんでギャルと同室?

 っつーかここどこだよ。訳が分からん。

 深呼吸をし、ベッドから起き上がろうとして――なんだか右腕に引っかかるものを感じ、そちらを見る。

 

 チューブがつながっていた。

 これ、アレだ。点滴チューブ。熱中症で倒れた友達の見舞いに行ったときに見たことがある。

 それが、刺さっている。どこに? 俺の腕に。なんでだ? んーーー? 分からん。

 

 というか、チューブはそれだけではなかった。

 胸の上あたりと、腹から、伸びている。あと多分、下半身の――俺の大事なところにも、ある。

 なん…………なんだこれ? っつーか、腹? 腹。いや、あるわ。腹になんか刺さってる。左手でサスサスしてみるも、管のようなものは腹の中央あたりから生えているのが確認できる。

 

 こわ……。

 え、なんだこれ。点滴って腕じゃないのか? 次点で口とか鼻だろ。そっちがなくてなんで胸とか腹に繋がってんの? 怖すぎる。

 引き抜いて……引き抜いたらダメだよな。じゃあ俺どうすんの? トイレ行きたくなったらチューブと、それからチューブの先にある変なデカい機械と一緒に行かないとダメか? こんなつれションしたくねえぞ。

 

 どうしたもんか。

 ヤバすぎる現状にちょっと冷静になってきた。っつーかここ病院だよな。白いし、ベッドでかいし、点滴あるし。なんで俺はここに……?

 

 疑問ばかりが浮かぶ中、もぞもぞと視界の端でギャルが動いた。

 

「んー…………え?」

「?」

「ヤバ。え、嘘。起きてるんですけど。超ウケる」

 

 俺は、俺を見て驚くギャルに対し言った。

 「勝手にウケんな。っつーかお前誰だよ」

 そう、言ったつもりだった。

 

 しかし、喉が引っ掛かって、声が出なかった。

 焦る。こんなの初めてだ。思ったように口が動かない。喉が震えない。当たり前のようにやっていた声を出すという行為が、どう頑張っても、行えない。

 あうあうあう、と、自分が出したとは思えない声モドキが漏れる。声にならない。壊れた楽器より尚、酷い。

 

 そんな俺を見て、ギャルが手元に持っていたものを押した。

 ピーーーと細い音がなる。ボタンだ。何のボタンだろう。そういえば、うちの妹が防犯ブザーを買ったな。試しに鳴らしてみたが、あれは凄まじい音だった。ということは、防犯ブザーではないか。

 

「えーっとぉ……小鳥遊だとウチと一緒か。トバリさん、でしたっけ?」

「ぁう……」

「あ、ごめんごめん。声出ないんですよね? 大丈夫っす! えーっと……起きた時、起きた時……あぁ、叔母さんに連絡しないとか」

 

 訳の分からない独り言をつぶやきながら、手元の手帳をせわしなく捲るギャル。

 彼女はスマートフォンを少し叩いた後、椅子を俺のベッドの枕元まで寄せてくると、言った。

 

「えー……落ち着いてください。焦ることはありません」

「あなたにお話があります。いいですね?」

「どうか、落ち着いて聞いてくださいね。落ち着いて、落ち着いて」

「あなたはずっと、こーま……こーまって何? 昏睡状態か。昏睡状態、でした!」

 

 …………。

 …………?

 

 ギャルが何を言っているのか、全く分からない。

 全く分からないままに、ギャルは続けて言った。

 

 

 

「あなたが眠っていたのは……9年です」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。