その部屋は死んでいた。
空気はまるで瘴気を含んでいるが如く濁っており、壁は新築にもかかわらず薄いクリーム色に変色していた。
そしてその部屋に漂う臭気。もしも地獄や煉獄といったものが存在し、そこに通じる穴が開いたとしたらこのような匂いがするのではないか。そう思わせるこの世のものとは思えない匂いが漂っていた。
フローリングの床には焦げ跡が何か所も付き、灰が至る所に撒き散らせられていた。
そして何よりも悍ましいのは部屋の隅に積み上げられたゴミ袋。どのくらい以前からそこに置かれていたのかは想像すらしたくない。もう触れただけで匂いとか汚れとかが移りそう、そんな存在感を持ってそれはそこに鎮座していた。
家具の類は存在せず、片隅に敷きっぱなしの布団があるだけである。それも至る所が黒ずみ焦げ跡があり、もう何か月も万年床状態である事が容易に推測できる。
他にはその布団の横に瓶が置いてあるのくらいである。中には水と大量の吸い殻。これもしばらく中身が替えられた形跡はなく、周囲にはそれらが入り混じって熟成された臭気が漂っている。
部屋の中央には一人の人間?が俯せに倒れている。
薄汚れ雑巾のようになったTシャツ、汚れが何か所も付いたスウェット。もう何日も同じものを着続けているというのが明らかなその姿。
部屋の臭気の原因の一つがその人間であることは火を見るより明らかであった。
そして特筆すべきはその頭部であった。
普通の人間には存在しないものがそこには存在する。
それは猫の耳であった。
グレーの髪から飛び出たそれを覆う毛は同じグレー。
左耳の一部だけが黒い毛になっていた。
「う……」
そのまま部屋と一緒にゴミになっていくかと思われたソレは、最後の力を振り絞るかのように弱弱しく声を上げる。
「ヤ」
虫の音の如くか細いその声は我々に何を告げようというのか。
「ヤニが切れたにゃ」
まあ、全部ニャーの事なんですけどね。
皆様、初めまして。
吾輩は転生者である。今生の名を佐藤ヤニ子というにゃ。
気が付いたら猫耳美少女に生まれ変わってたのは自分でもびっくりだにゃ。
タバコ吸いながら寝た記憶があるので、多分肺ガンか肺気腫が原因と思うにゃ。決してタバコの火が布団に燃え移ったとかそんなことはないはず……。
で気が付けばこの姿。リアル美少女受肉、リ美肉とはこのことだにゃ。
まあ中身は三十台ヤニカスなんですけどね。
で成長するに従って徐々に記憶を取り戻してきたわけだけど、完全に前世を思い出したのが大体四歳くらいの時。それはいいんだけど同時にヤニの事も思い出してどうしても我慢できなくなったにゃ。
幸い親が喫煙者だったおかげでヤニは手の届くところにあったし。
そんなわけでプカプカ吸っていたのはいいけど、あまりにも減りが早いってことであっさりバレてしまったにゃ。
やっぱり一日三箱吸うのはまずかったにゃ。
バレた時は
「あ、コレ詰んだ」
と思ったけど、親の反応は意外なもので
「ヤニ子ちゃん、とうとう個性が表れたのね」
と、その晩はケーキでお祝いだったにゃ。
え?個性って何にゃ?
どうやらこの世界の人間は「個性」という物を持っていて、火を出したりコンクリ操ったり土操作したり色んな事ができるらしいにゃ。
喫煙所作るのに便利にゃ。
火吹ける人は有名人らしくヒーローとかいう自営業やってるらしいにゃ。
ニャーが不労所得で生活できるようになったらライター代わりになってくれるかと思ったけど残念にゃ。
あとニャーが猫耳持ってても妙な目で見られなかったのはそのせいかにゃ。公園でヤニ吸うようになってからはゴミを見るような目で見られるようににゃったけど。
でヤニ吸ってたら個性が出たと勘違いされた親に医者に連れていかれたにゃ。
どうしよう、ヤニ吸うのは前世の影響で、個性なんか欠片も出てないにゃ。そんな事今更言えるわけもないし……なんでこうなったにゃ。ニャーは何も悪いことしてないのに。
で焦りながらも車内でヤニ吸ってる間に、大きい病院に着いたにゃ。
医者は前世で行った事があるけど行くたびに「タバコ止めろ」しか言われないから、そのうち行かなくなったにゃ。ヤニカスも健康にするのが医者の務めにゃ。
で久々に行く病院だけど……喫煙所がないにゃ。敷地内禁煙ってどういう事にゃ。
世界がニャーに優しくないにゃ。
仕方ないので屋上で吸おうかと院内うろついてると、
暗い顔した緑のもじゃもじゃ
が向こうから歩いてきたにゃ。
懐かしいにゃ、前世の話だけどスロットで給料全部スッたA君や借りちゃいけない所からお金を借りたS君。FXで全財産溶かしたD君がちょうどあんな顔してたにゃ。
みんな消息聞かなくにゃったけど、どこかに転生できてるといいにゃ。性根は変わらないと思うから同じ末路辿りそうだけど。
で何か他人事とは思えにゃくなったので、似たような歳のよしみで話しかけてみたところ。
医者から「無個性」の宣告を受けたらしいにゃ。
正直下手な個性持ってても、それに振り回されて暴れるしか能がなくて刑務所出入りしているヴィランよりマシだと思うんだにゃ。
と言ったら夢がヒーローと言ってきたにゃ。あーそれは辛いかにゃ。
そういえばこの世界に馴染んで来た時気が付いたんにゃけど、この世界粗暴犯ばかりで知能犯ほとんど見かけないにゃ。前世での探偵みたいな事やるヒーローがいてもいいんじゃないかにゃ。
等の適当な助言をヤニ吸いながら適当にしてみたにゃ。どうせ失敗してもニャーの人生じゃにゃいし。
あと適当に勇気づけておくにゃ。
「そんなにヒーローになりたいのかにゃ」
「う、うん。無個性って言われた今もどうしてもあきらめきれなくて」
「ニャーの知ってる人に夢をあきらめずに何度も挑戦した人がいるにゃ。何度失敗しても何度裏切られてもその度にある事に挑戦したにゃ」
「え?その人って失敗するのが怖く……」
「その人はこう言っていたにゃ
だって僕は 『自分を信じている』 もん。
自分を信じて『夢』を追い続けていれば、夢はいつか必ず叶う!
って」
それを聞いたもじゃもじゃは急に泣き出した後、何かを決意するように手を握り締めたにゃ。
まあソレ言った人、ストーカー拗らせたあげくテロリストになったけど、それは言わなくていいにゃ。
まあ精神年齢三十代就労経験なしの人生の先輩として幸せのおすそ分けしておくにゃ。
「げぷっ」
っとハート形の煙を吹き付けてあげておいたにゃ。
「臭っ」
失礼なヤツにゃ。
あ、個性だけど
煙をゲップで吐き出した時に生えてきたらしいにゃ。
めでたしめでたしにゃ。
●
緑谷出久には原点が二つある。
一つはオールマイトにもらった言葉。
「君はヒーローになれる」
そしてもう一つは幼き頃に出会った天使の思い出。
それは自分が無個性だと判明し、絶望の淵に沈んでいた時の事。
「何を泣いているの?」
後ろからそんな自分に声をかけてくれた人がいた。
振り返ると頭に猫耳が付いた少女が佇んでいた。グレーの髪に白いワンピース。右手には……思い出そうとすると頭痛が走るけど、人形とか持っていた気がする。
その笑顔に思わず自分の境遇を話してしまう。
話を聞いた少女は儚げに微笑んで言葉を紡いだ。その今にも消え去りそうな幽けき笑顔は高校生になろうとしている今でも忘れる事が出来ない。(出久君の主観によります。思い出補正と妄想が多分に含まれているのにご注意ください)
そして少女は無個性でもヒーロー目指すという自分の夢を笑わず、考えれる限りのアドバイスをくれた。幼い日の事でいくつかは忘れてしまったけれど、それでも頭を使ったらという事を話してくれたのはきっと自分が死ぬまで忘れれないと思う。少女の美貌と共に。(出久君の主観によります。思い出補正と妄想が多分に含まれているのにご注意ください)
そして何より夢寐にも忘れやしないあの一言、
「だって僕は 『自分を信じている』 もん。自分を信じて『夢』を追い続けていれば、夢はいつか必ず叶う!」
それを聞いて先ほどとは違った涙が溢れてきたのは覚えている。
自分も夢を追っていいんだ!!
無個性でも夢を追っていいんだ!!
その言葉は自身の行く末を照らす光明のように感じられた。
そしてその後の記憶は途切れている。
確か女の子が右手に持ったものを口に近付けて……何か浴びてはいけないものを浴びせかけられて……
う、頭が……
そして彼は現在の問題へと目を向ける。
今日は雄英高校の入試の日。
「行ってきます」
そう母へ声をかけると、彼は前へ向かって歩き始めた。
彼が恩人の生態を知るまであと数か月。
胸に刻んだ言葉を発した人間がどういう類のものか知るのにさらに数日。
その幻想がぶち殺される日は近い。