初めて書いた練習用の艦これ短編。ログインを長いことしなかった時の艦娘達の生活はどんなものかと言った内容です。でもこれ何番煎じのネタでしょうかね

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提督のいない執務室

 

 

 

「これで、よし」

 

 私は埃を被りつつあった司令官の机の掃除を終えて、ほうと一息吐いた。少しばかり汚れた台拭きを洗面器の中に入れて、一旦窓枠に置いておいた花瓶や電灯を置き直して、もう一度部屋を見回す。他にやり残した場所はないだろうか。床、掃除機もかけたから大丈夫。壁、目立つ汚れはないから軽く一拭きはした。椅子、異常無し。電の書いた掛け軸、まっすぐだ。箪笥、これも徹底的に拭いておいた。その上の長門型の模型を覆うケースに溜まった埃も除去しておいた。うん、これでいつでも司令官が帰って来ても大丈夫だ。

 

 開けられた窓の外に顔を向け、何気なく近付いて外を見る。鎮守府の港がそこにあって、作業用のクレーンが並び、少し遠くの岬には灯台が見える。桟橋の向こうには、釣り糸を垂らして魚釣りをしている島風と夕張の姿が見える。二人とも暇そうに欠伸をしていた。

 

 まぁ、仕方ない。ここ最近出撃なんてない。やれることがあるとすればせいぜい砲撃の自主トレくらいだ。出撃も演習も遠征も、提督の指示無しでする事は出来ない。最近はみんな鎮守府内の清掃や炊事の方がメインの任務になりつつあった。

 

 これでもそれなりな戦果をあげて来た鎮守府なのだが、今となってはその面影は薄れつつあり、暇そうな艦隊だけがここにある。

 

 そうなってしまうのも仕方ない。私たちは提督がいなければ何もできない。いや、してはいけないのだ。

 

 私たちの鎮守府に司令官が来なくなって、もう一か月が過ぎようとしていた。

 

 

 

 提督の居ない執務室

 

 

 

 掃除を終えた私は執務机に座り、司令官に届いた手紙を一枚一枚開封してチェックする。ほとんどが業務関係の手紙ばかりで、今日は定期的に送られる資材の数量に関する物と、先月分の消費資材の書類、その他装備品の解体報告などが中心。その他は必要のない書類やチラシである。

 

 手紙や報告書を整理が終わって、必要な物は引き出しの中に入れる。その次に要らない郵便物を必要のない書類を入れる箱を入れて次の仕事に入る。

 

 机の上に置かれた書類の束。束といっても十枚あるかないかの程度だったが、一応束ねられているから表現的には間違ってないと思う。紐を解いて、中身の確認。この鎮守府に所属している艦娘達の自主トレ用燃料、弾薬の使用許可申請書だった。

 机の一番上の引き出しを開けて、中から印鑑のセットを取り出して一枚一枚に「許可」の印を押していく。明日は主に軽巡組が演習する日だ。一応、曜日毎にローテーションを組んでいるから大体の消費の計算は簡単で済む。これが司令官が指揮していた全盛期になると、戦艦も空母も主力になる戦力は全て導入して出撃燃料、修復用の鋼材、弾薬に艦載機のボーキサイトの消費が一気に上がって、書類の整理が大変だった。漫画とかで見るような書類の山が本当に出来上がったくらいで、さすがの私でも嫌になるくらいには忙しかった。

 

 けど、その面影はすっかりない。五分も掛らないうちに作業が終わり、あとは受け取り予定の夕張にこれを渡せば今日の仕事は終了だ。今日中に取りに来ると言っていたからまぁのんびりしていいかなと思う。

 

 思えばこの鎮守府もそれなりに長い時間が過ぎた。私はここで建造された事を思い出す。

 

 私が生まれたのはこの鎮守府が出来て最初の方。まだ第一艦隊ですらまともな編成が出来ず、駆逐艦だけで編成されたなんとも心もとない艦隊だった。けど、その中には私の妹である「電」がいた。

 

 建造で生まれた私を見るなり、電は飛びついて来た。えぐえぐと泣きじゃくりながら、それでも嬉しそうに頬ずりしてきて、その時電が流していた涙の感触は今でもよく覚えている。人の形になって、初めて知った感情、というやつだ。

 

 そこから私は第一艦隊の一隻……いや、一人とでも言うべきだろうか。艦娘という存在になったのだからどちらでも間違いは無いだろうか。まぁいいさ。第一艦隊の一人として深海棲艦と戦う日々が続き、時折り秘書官を務めるようにもなり、その頻度は少しずつ増えていつの間にか私が一番長く司令官の秘書官を務めていた。

 

 ここの司令官はあまり表情を表に出さない人だが、それでも近くにいれば結構笑ったりする人で、私たちの事を大事にしてくれていた。仕事のストレスでよく不機嫌そうな顔になっているのを見かけたけど、それでも私たちが声をかければ笑ってくれた。私は、そんな司令官の顔を見るのが好きになっていった。

 

 と言っても、それは私だけの話じゃなかったけど。

 

―コンコン―

 

 執務室の扉がノックされる音。私が「どうぞ」と返事をすると、ガチャリとドアが開いてその向こうからこの鎮守府の第一艦隊主力である金剛が満面の笑みを浮かべて部屋に入ってきた。

 

「ヘーイ響ー! 元気にしてますカー!?」

 

 あと、言い忘れてた。私は暁型駆逐艦二番艦、響だよ。

 

「金剛。私は元気だけど、どうかした?」

「いやー、ティータイムの時間になったので誰かとお茶したくなったのデスが、姉妹たちはみんな都合が悪くて困っていたデス」

「なるほど。それで大抵私が居るここに来たんだね」

「Yes! さすが響ネー!」

 

 金剛とはそれなりに長い付き合いである。艦隊が主力として活躍できるようになってからは、よく同じ艦隊で出撃していたからそれなりに信頼もある。少なくとも暁型では一番のつもりだ。その証拠に私は他の戦艦、例えば長門さんとかには「さん」をつけたりしてるけど、金剛にだけは「金剛さん」ではなく、「金剛」と呼び捨てにしている。金剛を呼び捨てにしているのは多分駆逐艦の中では私だけだ。

 

「構わないよ。私もちょうど一人だったし」

「Oh yes! なーに飲みますカ? 色々ありますヨー!」

 

 と、金剛はティーパックの袋を私に見せて来る。よりどりみどり、いつもこんなに持ち歩いているのかと一瞬思ったけど、よく見れば左手に紅茶セットの入ったバスケットを持っていた。よほどお茶がしたかったのだろう。

 私は金剛の用意したティーパックから、アールグレイをチョイスする。金剛は満面の笑みを浮かべて「すぐに用意するデース!」とバスケットの中からティーカップと恐らく自身の手作りであろうクッキーの乗った皿を取り出すと、執務室備え付けのポッドへと歩み寄る。

 

「ところで響は今日何をしていたデスカー?」

「ん、執務室の掃除をしてたよ。ちょっと埃っぽくなってたから。それと明日の軽巡メンバーの自主トレ用の資材の認証」

「そう、デスか。いつもお疲れ様デスね」

 

 ほんの一瞬、金剛の声色が暗くなったのを感じた。本来なら司令官のやる仕事だ。一時期は金剛だって秘書官をやってそれを見て来ただろう。けど、その司令官が居ないと言うのは、艦娘にとっては結構不安になる物であって、金剛も例外ではないだろう。それでも、彼女はすぐにいつもの笑顔に戻る。辛いからこそ、彼女は笑顔でいようとする。それが金剛のいいところだ。

 金剛は提督が居なくなってからも艦隊の士気を保つためにいつも通りの姿で振舞う一役を買っている。おかげで最高とはいかない物の、他の艦娘は楽しそうにして居るし、金剛と同じように士気を上げるために頑張っている艦娘もいる。長門さんはよく駆逐艦のみんなを持ち上げたりしてじゃれあってるし、準鷹さんと龍驤さんがお互いの艦載機を使って航空ショーをやってみたり、他にも色々な事をやろうとしている艦娘は多い。この鎮守府が崩壊しないのも、そう言った心がけのおかげなのは間違いない。

 

 ただ、中には耐えられずに崩壊してしまった鎮守府もあると聞いたことがある。司令官が艦隊を放棄し、引退してしまった鎮守府は解体され、そこで働いていた艦娘たちも全員解体されてしまった、など。

 

「そんなことないよ。私は秘書官だし、これくらいのことは当然さ。それよりも金剛たちの方が良く頑張ってくれてるから、この鎮守府は保っていられるんだ。ありがとう」

「ノーノー、例には及ばないデース。響の仕事ぶり、ちゃーんと見てますヨー? 私の目からは逃れられないのネ!」

「参ったな。流石は100歳のおばあちゃん戦艦といったところだね」

「おばあちゃんじゃないわよ!」

「……口調、素になってる」

「Oh……今のは聞かなかったことにしてくださいネ……」

 

 恥ずかしそうに顔を背ける金剛の背中は、少しだけ縮こまっているように見えた。少しの沈黙が流れて、金剛が紅茶を淹れて持ってきてくれる。お礼を言って、軽く息を吹きかけながらまず一口。うん、Вкусный(フクースナ)。

 

「……ところで、響は提督のことどう思ってるデスか?」

「え」

 

 クッキーに向けて伸ばしていた手が思わず止まってしまう。金剛はにやにやとしながら私を見ている。これは人の反応を見てからかう人の顔だ。でもそれにしたって唐突な話だな。金剛だって司令官の事好きなくせに。

 

 でも、答えない理由は無い。恐らく金剛だって寂しいのだろう。司令官の事を話して、司令官の事を忘れたくないのかもしれない。ここだけの話、わたしだって第六駆逐隊と司令官の写った集合写真を自分用にもう一枚持っていたりするくらいだ。

 

「……そりゃあ、好きさ。金剛よりも長い付き合いだし」

「そうデスよねー。まぁ私だって提督へのLOVEは変わらないネ。でも、同じような心境の子はいっぱいいるデス」

「そうだね」

「……その子たちは、どう思ってるデスかね?」

 

 ああ、なるほど。金剛の聞きたい事は、きっとみんなの本音だろう。特に知りたいのはは司令官の信頼の厚い第一艦隊メンバーに違いない。司令官が最も多く使用した編成は、旗艦が私、駆逐艦『響』。続いて戦艦『金剛』、私の姉である駆逐艦『暁』、同じく駆逐艦『島風』、軽巡洋艦『夕張』、正規空母『瑞鶴』である。私たち以外のこの四人も、私と同じくらいに司令官に大きな信頼、いやそれ以上の物を抱いているのは知っていた。

 

 もちろん、他にも司令官に特別な感情を持っている艦娘は居る。けど、やはり付き合いの長さというのもある。私が思うに、司令官の事は想っていても、ある程度距離を置ける人こそが一番安定しているかもしれない。隼鷹や龍驤が一番いい例だ。あの二人はどちらかというと司令官の事は『上官』と見ている面が強いから、へこたれることは少ない。精神的な強さも大きく貢献しているだろう。

 

 けど、司令官に近づきすぎてしまった艦娘はそうはいかないかもしれない。今のところみんないつも通りになっているが、少なからず崩れ始めている子だっている。私は特に、暁の事が少し心配だった。

 

「暁ですカ。確かにあの子は意地っ張りで無理してるから、ハートのすり減りが激しそうネ」

「うん。最近ちょっとピリピリしてたりするから私はそこが不安かな。この前少し泣いてたみたいで、ちょっと声をかけたら『な、泣いてないわよ! レディなんだからこの程度で泣く訳ないでしょ!』って結構怖い顔で言われた」

「フーム、ここは何か案が欲しい所デスガ、一番いいのは提督が戻ってくる事だから私たちにはどうしようも出来ないネ。これはむず痒いデス」

 

 金剛は腕を組んで椅子の背もたれに体重をかける。なんだかんだでこの人は結構考えているからすごいと思う。当初こそ『提督ぅうううう!! カムバァアアック!!!』って言うかと思ったけど、そう言うのをあまり見たことは無い。

 

「んああ、そう言うのはベッドで布団に顔を埋めて叫んでマスよ。結構発散できますから、響もどうネ?」

「私は……まぁ、厳しくなったらそうするさ」

「響の方が、よっぽどレディねー」

 

 やれやれデス、と金剛は紅茶を口に入れる。それに釣られて私もまた一口入れて、クッキーをまた一枚手に取って食べると、第一艦隊メンバーひとりひとりの事を考える。

 

「……一度、話してみたほうがいいかな」

「そうデスね。今でも十分安定しているとは思いますが、聞いて越したことはないですし、もしかしたら艦隊をより良くまとめる方法が出てくるかもしれないネ。前に少し長門とも相談したデスが、同意見でした」

「長門さんはなんて?」

「陸奥と一緒にほかの戦艦や空母に相談すると言ってましタ。響には第一艦隊のメンバーと話して欲しいデス。秘書官であり旗艦のYouが適任だと思いますヨ」

「そうだね……話してみるよ。ありがとう、金剛」

「礼には及ばないデース。むしろ私が頼んだのですから、お礼を言うのは私のほうですヨー?」

「ううん、恥ずかしい話なんだけど、することがなくて持て余してたんだ。要は暇つぶしになるのかな。聞こえはよくないけど、そうするしかないと思うから」

「いえいえ、今この状況を暇と言わないほうが難しいデスよー。やることがあるのはVery goodなことです」

「そうだね。わかった、行ってみるよ」

「Thank youね、響!」

 

 

 

 

 とは言った物の、さてどうやって話をしようかと私は模索する。金剛は紅茶セットを片づけて「Good luck~!」と言い残して去って、また私一人だけが執務室に残ってる。特に仕事は無いのだが、かと言って行く宛てもこれと言って無い。なんだかんだで執務室が一番落ち着く気がする。

 

 司令官の机の中から日誌を取り出す。この鎮守府が稼働を開始した時から今まで、欠かさず書かれたこの艦隊の記録である。初日は電、その次は司令官がと続いて、時折り私、金剛、赤城さんと続く。次第に私が書いた物がメインになって、分厚い一冊が終わろうとしていた。

 

 最近は日誌を読みかえすのがちょっとした楽しみでもある。自分が書いた物もあるけど、改めて読んでみるとこんな事をしていたのかとちょっと驚いたりする事もある。それでもって恥ずかしくなる。

 

 今私が見ているのは私たちの艦隊に初めて軽巡洋艦が着任した時の物だった。そのおかげで苦戦していた海域を突破し、盛大に盛り上がった。これで新しい海域へと進軍出来ると大いに喜んだ提督の事を綴っている。この日誌を書いたのは電だった。

 

 確かこの次が大変だった気がする。私もよく覚えている内容だ。なぜなら私がその日誌を書いたからだ。

 次のページを開く。秘書艦は私。最初は昨日の海域突破について書かれている。ここまでなら勝利という良い響きの話なのだが、問題はその次だった。

 

 司令官が、新しい戦力を求めて建造しすぎ、資材が底を尽いてしまっていたのだ。

 

 なぜこうなってしまったか。簡単な事で、戦艦や空母という戦力を求めて建造に没頭した結果だった。私たちよりも先に稼働を開始していた鎮守府によれば、より強力な戦艦長門、金剛、正規空母赤城、加賀、最速の駆逐艦島風などが建造可能、という情報を受け、司令官が熱くなって資材をつぎ込んだ結果である。

 

 当時の私の文章は、一言で言うなら『呆れた』という内容だった。遠征部隊が帰って来て補給が出来ない事に気付いた司令官は、頭を抱えてこの机の上に突っ伏していた。例えるなら有り金全部をFXで溶かした人の顔みたいだった。

 

 けど、成果はあった。この鎮守府初の戦艦である、金剛の建造に成功したのだ。そう、今私達第一艦隊主力の彼女である。

 

 少ない資源を使った甲斐があったと司令官は言ったけど、金剛の記念すべき試験航行で燃料、弾薬が完全に空っぽになって今度こそ司令官は机の上に轟沈した。遠征にも行けない私たちは、数日ほど暇な日常を送っていた。

 

 現に、そこから三日先の日誌は特に書く事が無く、少ない文章で終わっている。野良猫に餌をあげた、釣りをしたけど何も釣れなかった、司令官と鬼ごっこをした、など。ただ遊んでるだけの内容だ。

 

 でも、楽しかった。日誌を書いたみんなは揃えてそう記していた。

 

―コンコン―

 

「どうぞ」

 

 再びノックの音がして、顔を上げるついでに時計へと視線を向けると、もう一時間ほど時間が経過していた。もうこんなに経ったのか。そろそろ夕方に入りそうな時間だ。

 

 ドアが開いて視線を向けると、釣り座を肩に担いだ夕張が「お待たせ~」と言いながら中に入って来て、後ろからクーラーボックスを持った島風もひょっこりと顔を出して一緒に入ってきた。

 

「遅れてごめーん。軽巡の燃料弾薬の承認書受け取りに来たわ」

「特に待ってないから大丈夫だよ。はい、これ」

「ふむふむ拝借。……よし、助かるわ。これで装備の調整が上手くいきそうね」

「それなら良かった。ところで釣りの成果はあったかい?」

 

 と、私が聞くと夕張は「あー」と天を仰ぎ、島風はやれやれと両手を上げて私は成果を察した。

 

「甲斐性なしか」

「もうやんなっちゃうわ」

「夕張が下手なのよ、リール巻くの遅いし」

「島風は早すぎなのよ、そりゃあんなに早く巻いたら糸だって切れるし、魚にもばれるわよ。いっそ主砲撃ち込んだ方が早いんだけどな」

「それは全国の釣り人たちが許さないからダメだよ。あと司令官が居ないと実弾の使用は禁止ね」

「分かってるわよ。あーあ、早く帰ってこないかなー」

 

 執務室のソファーに夕張は突っ伏し、島風も向かい側のソファーに座って足をふらふらとさせる。やっぱり退屈なのだろう。司令官が居ないから島風に関してはスカートの中身が丸見えというレベルを超えている。もはやありがたみが無いなんて事を司令官が言っていたのを思い出す。

 

「ところで響は何してるのかしら?」

「ん、日誌の整理のついでに昔の記録を振り返っていたんだ」

「へー。まだ私が来る前の奴かしら」

「そうだね、夕張が来たのは今私が読んでる日誌の少し後だったかな」

「見せて見せてー」

 

 ソファーから立ち上がり、夕張は机の上に置かれた日誌に視線を降ろす。釣られて島風も覗きに来る。確かさっきの資材不足の時、まだ二人は着任していなかったから新鮮だろう。

 

「やだ、なにこれ。提督ったらこんなことしてたの?」

「うわー、これはひどい」

 

 カラカラと二人は稼働当初の日誌を見て笑う。次のページにはがっくりとうなだれる司令官を描いた電のイラストがあった。特別上手、という訳ではないけど、司令官の特徴をよくとらえている絵だった。

 

「電ちゃん上手ね~。提督って分かりやすいわ」

「なんかこの前もこんな感じじゃなかった?」

「大型建造の時だね」

「そうそう! 提督ったら大和型でなくて凹んでいたわね」

 

 大型建造は結構な博打打ちであるのは周知の事実。しかも資材も特別多いと言う訳でもない私たちの鎮守府は一回大型建造しただけでも、しばらく潜水艦メンバーのオリョールクルージングのみの出撃になり、遠征組は交代でフル稼働となった。大和型が出ても資材が無いんじゃ運用できないんだけどな。

 

「あ、私が建造された日だわ!」

「確かこのときは島風狙いも誤算で来たんだったかな」

「なんかそう言うの聞くと複雑な気分ね」

「でも夕張は砲撃、雷撃、対潜にも幅広く対応できる点が重宝されてるから、結果としては大助かりだったよ」

「ドラム缶輸送はこりごりだけどね」

 

 46cm連装砲積みたいわ~。と、夕張は机に腕を組む形で突っ伏す。島風は次は次は~? と、数枚ほどページをめくる。資材が持ち直した後、私たちの出撃もようやく安定し始めていた。とはいっても、中々ハードな日常が続いていた。

 

 予期せぬ強敵によって艦隊の大半が中破、大破して入渠ドックが大変になったり。初めての空母、戦艦の建造成功に大騒ぎしたり、演習で練度の高い艦隊と戦って、ボロボロになって悔しい思いもした。

 けど、それでも私たちは毎日少しずつ、少しずつだけど強くなっていった。四連装酸素魚雷の登場は、特に軽巡や駆逐艦にとっては待望の装備だった。

 潜水艦で構成された敵艦隊がいる海域では、私たち駆逐艦の大きな活躍の場所だった。戦艦や空母は艦隊にはいたが、それでもメインは駆逐艦のみんなで圧倒的とも言える活躍ぶりで潜水艦を沈めて来た。自分で言うのは少しあれだけど、これでも駆逐艦の中では私が一番活躍したんだよ。

 

 その度に司令官は「よくやった!」と私の頭を撫でてくれた。最初は帽子越し、次は帽子を取って撫でて、次第に私はそれが心地よくて帽子を脱いだ状態で報告に行き、司令官も髪の毛がくしゃくしゃになるまで撫でてくれたりした。ちょっと恥ずかしいけど、悪い気分じゃない。いつの間にか私はMVPを取る度にそれが楽しみになっていた。まぁ、他の子たちにはちょっと悪かったかな。暁の不服そうな顔をよく覚えている。

 

「へー、響ってこの時から結構すごかったのねー」

「まあ、島風みたいに速度は出なくても、それなりにはカバーできるようにしてきたからね」

「でもやっぱり提督に褒められるのが良かったんでしょ?」

「……う、うるさいな」

 

 にやにやとする夕張と島風。まったく意地が悪い。私の事なんてみんな知ってるくせに。もちろん、私もこの二人の気持ちも知っている。けれど、ドロドロとした何かがある訳じゃない。ちょっと嫉妬したりするけど、それでもみんな大事な仲間だと言うのは理解しているから。

 

「他にどんな事があったのー?」

 

 と、島風はパラパラとページをめくって、適当なところで止めて中身を読んでみる。けど、止めたページが少しまずかった。

 

「あっ……」

 

 まだ島風が来ていない時。しかし夕張はその日付を見て察した。島風は一瞬何の事か分からなかったが、内容を見て自分の開いたページがまずかった事に気がついた。

 

 初めて、私たちの仲間が轟沈した日のことだった。私の、私たちの目の前で。

 

 大破進撃した仲間は、深海棲艦の雷撃であっさりと、そして力なく海の底に散って行った。とっさに握ろうとした私の手は空を掴み、次の瞬間にはもう海の底に沈んでいた。私より前にこの鎮守府に着任していた経験者なのに。海域突破に焦った司令官のミスだった。

 

 沈んだ姉妹艦の子たちは泣きながら提督のミスを責めていたのを私は扉越しに聞いていた。どうしてあんな無茶をさせたのか、どうして撤退する事を考えなかったのか、廊下に聞こえるほどの大きさだった。外にいた私は、入って止めるべきだったんだと思う。けど、入れなかった。

 

 姉妹を失う気持ちは、私だって知っていたから。みんな、みんな私だけを残して沈んでいった。私の中に眠る記憶がそれを知っている。だから一概に止める事が出来なかった。

 

 結局他の子たちがその場を収め、執務室は静かになる。その時になって私は執務室に入った。司令官はいつもと変わらない様子で職務を全うしていた。私は報告書を提出して、手伝うことは無いかと聞いた。特にない、と返事が来る。私は反応に困ったけど、ならここに居させてほしいと言った。

 

 司令官はしばらく間をおいたが、構わないと言って筆を走らせた。積み上がった報告書の山。普段なら私が手伝うべき量だ。それで何もないなんてことは無い。司令官はたぶん……いや、他の艦娘の誰よりもショックだったに違いない。

 

 それからして司令官は私に向けて「すまない」と言った。なぜ。何故私に言うのだろうか。理由は分からない。けど、私は何も言わずに司令官の側に寄り添った。その時、ようやく気付いた。

 

 司令官が泣いているのを見たのは、初めてだった。

 

『…………』

 

 少しだけ沈黙が流れる。私は何も言わずに日誌を閉じて、手をぱん、と叩いた。

 

「あまり気にしなくていいよ。もう前の事だし、ね」

「う、うん……」

 

 当時の日誌はこう記されていた。『戦友の心は私たちと共にある』と。私が書いた物だ。そのページは、ほんの少し濡れた跡が残っていた。司令官の涙だ。けど、それを知っているのは私だけだ。

 

「……提督、何で来ないのかしらね」

 

 夕張がぼそりと呟いた。島風は少し憂鬱そうに溜め息を吐く。考えている事は同じなのだろう。夕張は体を起して窓の外を見つめる。

 

「……二人は今この状況どう思ってる?」

「どうって……やっぱり早く帰って来て欲しいわ。新しい装備も作れないし、何よりみんなの事もあるわ」

「夕張自身はどう思ってる?」

「へ、私? そう、ね……はっきり言うならちょっと酷いかな。みんな提督が居ないと何もできないんだから。きっと理由はあると思う。けど、それでも……」

 

 納得がいかない、と言いたそうな顔になる。けど、彼女はそれ以上言おうとしなかった。たぶんそれは司令官の事を思っているから飲みこんだのだろう。その言葉を口にするのは今じゃないと言うことだ。

 

 夕張はそれ以上言おうとしない。またしばらく静かになるだろうか。そう思っていた矢先に、島風が口を開いた。

 

「提督って何やっても遅いからね。仕事も遅いし寝るのも遅いしお風呂もトイレも遅いからやになっちゃう。でもね」

 

 島風は立ち上がって、執務机の上に置かれた鎮守府全員の集合写真を手に取ると、少しだけ懐かしそうな顔で見つめた。

 

「何でもかんでも遅いけど、絶対約束は守ってくれる人だもん。言ったことは絶対に守る人だから、帰ってくるよ。いくら怒られても、ちゃんと私が謝ったら許してくれたし、負けてボロボロになって帰ってきても怒らないで私のこと心配してくれた。勝つよりも必ず帰ってこい。負けても怒らないからって。だから約束は破らないもん、提督は。だって…………だって、また来るって言ってたもん……」

 

 その顔は、喜怒哀楽全てが混じったような名状しがたい表情だった。私からしてみれば少しばかり微笑んでいるようにも見えたけど、本当の事は分からない。この状況なら島風が一番騒ぎまわりそうな気がしていたけど(実際最初は走りまわっていた)、しばらくすればすっかり大人しくなってしまった。最初こそ不安だったけど、一つ分かる事はある。たぶん島風は信じてるんだと思う。

 

「だから、帰ってきたら一番最初に言ってやるの。『おっそーい!!』ってね」

 

 にっこりと悪戯を考える子供みたいな顔だった。夕張はそれを見て「やれやれ」と言った顔になる。少し吹っ切れた顔だ。完全に納得いってないけど、もう少し待とうと言う感じだろう。

 

「そうね、私たちにできることは待つことしかないもんね。もし帰ってきたら資材が空っぽになるまで開発させてやるわ。響も付き合ってくれないかしら?」

「そうしたいには山々だけど、そんなことしたら後が大変だからこっちで制限を作らせてもらうよ」

「じゃあできるギリギリまでお願い。資材隠すなりしてあたかも空っぽになったように見せるドッキリとか」

「それなら面白そうだね。考えてみるよ」

 

 ふふ、と今度は夕張がいたずらを考える子供のような顔になる。実際いたずらなのだから間違っていないだろう。島風も「私もやるー!」と跳ね回っている。うん、きっとこの二人も大丈夫だ。

 

 それから気を取り直して、私たちは日誌を読みかえした。私にとっては懐かしく、二人にとっては新鮮な事ばかりで、少しばかり金剛に言われた事を忘れて私たちは読みふけっていた。

 

 

 

 

 気付けば時刻は夕方になっていた。司令官の私物の本を読んでいた私は時計の音で我に帰り、時計を見上げる。時刻は一七○○、もうこんな時間になってたのか。

 

 私は本を閉じて棚に戻すと、何気なく窓の外を見てみる。すると、茜色に染まりつつある空の中を、五機の烈風が見事な編隊を組んで鎮守府上空を旋回していた。近々艦載機での航空ショーをやるって空母組が言ってたからその練習だろう。こんなぎりぎりまでみんなを楽しませるためによくやってくれている。

 

 少し興味が湧いたから、執務室に置いてある司令官の双眼鏡を手にとって覗きこんでみる。あれは瑞鶴の所属部隊だ。となると本人が近くにいると思う。

 

 鎮守府湾内を探してみると、割と簡単に発見した。自慢の弓矢を携えて、瑞鶴は上空を飛行する自分の艦載機に厳しい目線を向けてる。かなり集中しているようだ。烈風は左右に急旋回し、中央の隊長機が一気に急上昇して螺旋状に回転を始める。鮮やかだ。今回はいつもに増して高難易度な技を用意している。ぜひとも完成形を見てみたい。

 

 双眼鏡から目を離して、散開した烈風が編隊を組み直して瑞鶴へと帰還するコースに乗る。瑞鶴は飛行甲板を腕に乗せて帰還する戦闘機たちを受け入れる体制を整えて、烈風たちは一機ずつ甲板へと降りたった。

 

 全機無事収容し、瑞鶴はやや疲れた面持ちでため息をつくと、私の視線に気が付いて軽く手を上げて会釈する。

 

 試しに無線機を手にとって瑞鶴に呼び掛けてみる。ついでだ、軽く聞いてみるの良いかもしれない。わざわざ来てもらうのもあれだし。

 

「こちら響、瑞鶴聞こえる?」

「んー、感度良好だよー。って言うかさっきの見られてたかな」

「最後の散開と着艦だけね」

「ならまだいいかな。今度の航空ショーはかなり難易度高い技を翔鶴姉の飛行隊とやるつもり」

「そっか。みんな楽しみにしてるよ。空母組のおかげでみんなやっていけてる」

「そう言ってもらえるとありがたいわ。でも、なんて言うか微妙に空気が重くなっているか何と言うか……」

 

 ああ、やっぱりか。鎮守府の空気が微妙に重くなってるのは瑞鶴も気付いていたか。伊達に第一艦隊で働いていないと言うことだろう。彼女はどう思っているのだろうか。

 

「瑞鶴は平気かい?」

「何が?」

「司令官が居ないの」

「あー……それね……何と言うか、居ないと色々面倒な事が起こった時、いつも以上に収拾がつきにくいとかそんな風に感じるかな」

「瑞鶴自身だよ。辛いとか寂しいとか、そんな感じ」

「うーわ、また微妙なとこ突いてくるなぁ……」

「第一艦隊みんなの大半には聞いたから、ここはひとつ聞いておくべきかと」

「なるほど……金剛辺りの差し金?」

 

 ズバリ、その通りだ。瑞鶴は第一艦隊については金剛に続いて二番目のベテランだ。察しがつくのも納得がいく。私としては話が早くなって助かる次第だ。

 

「流石と言うか、まぁその通りだね」

「だと思った。ま、第一艦隊のみんなには隠す事なんて出来ないもんね。そりゃあ寂しいし、居ないと面倒事起こった時色々あれだし、早く帰って来て欲しいよ」

 

 そう言う瑞鶴の声色は、私が聞いた限りでは彼女自信に問題はなさそうだった。古株にもなれば落ち着きが出ると言うことだろうか。けど、それも個人差だろう。私は一番不安な人物を思い出す。

 

「全く、どこほっつき歩いてるんだろうね」

「ほんと、全くだ。もし帰ってきたら間宮アイス全員分だ」

 

 それは地獄だ、と瑞鶴は大笑いする。私も釣られて笑みを浮かべ、窓枠に手を置いて司令官の事を思い出す。本当にいい人だ。私たちの事を大事にしてくれている。なのに、なぜ来ないのだろうか。私は悪い事をしてしまったのだろうか。

 

「……響もさ、あまり気にしちゃダメだよ」

「えっ……」

「あんたそう言う変なところで変な考え起こすタイプだからさ。ここの秘書艦なら、気にしすぎたらだめよ」

「…………まったく、敵わないな」

「正規空母舐めてもらったら困るよ」

 

 果たして偵察機でも飛ばして自分の事を伺っていたのだろうか。もしそうなら末恐ろしい事この上ない。第一艦隊で索敵レベルが一番高いのは伊達じゃないだろう。

 

「ま、私はみんなが大丈夫でいられるように頑張るよ。私自身は大丈夫だからさ、響は一番気になる奴の事を一番気にすれば?」

 

 そう言われて、私の頭の中を暁の横顔がかすめた。たぶん、一番厄介だろう。恐らくそれはこの鎮守府に所属している多くの艦娘が知ってることだろう。知らないのは本人くらいだ。

 

 だけど、今日はもう日が沈もうとしていた。私は一旦この調査に区切りを打つことにして、執務室の窓を閉める。そろそろ夕食の時間だ。もうこれと言って仕事は無いけど、使わなくなった書類の整理が残っているから食後も仕事だ。

 

 私は司令官の服が掛けてあるラックから自分の帽子を手に取ると、それを被って食堂へと向かった。

 

 

 

 

 夜。時刻は午後二一〇〇。日も落ちて随分経ったころ、窓の外の景色は闇に包まれて、作業を終えたクレーンの航空灯が怪しく点滅している。私はそれを横目にしながら、要らなくなった整理の処分に奮闘していた。要らなくなったと入っても、大事な艦隊の情報や艦娘の個人情報が書かれているから、しっかりとシュレッダーに入れて情報は処分しなければならない。

 

 過去の作戦の報告書に目を通して、重要な物が書いている物はシュレッダーに入れる。ギリギリと少し嫌な音を立てながら、紙は細切れにされて消えていく。この仕事は優先順位がかなり低いため、書類を収納する段ボール箱は大きく膨れ上がってる。この仕事も、終わるには少々時間が必要な様子だった。

 

 そうやって紙を振り分け、シュレッダーに入れてを繰り返すうちに、モーターの加熱で作動する自動停止スイッチが入って冷却しろと訴えかける。まったく、これでは作業効率もそんなに上がらない。動かす時間よりも冷却する時間の方が長い。いや、普通機械と言うのはそうあるべき物なんだろう。それは艦娘の艤装にも言えることだった。

 

 シュレッダーの事は一旦忘れて、私は処分する書類の仕分けに戻る。こう多いとせっかく片付けたのにまた掃除しなければならない。司令官が居たら、もう少し捗ったと思う。最初の方は談笑しながらやっていた。

 

 しばらく紙の分類を続け、シュレッダーの冷却が終わったランプが点灯して、要らない紙を放り込む。と、その時だった。

 

―ガチャリ―

 

 ドアが開く音がして、私は顔を上げる。ドアの前に、私の姉である暁が立っていた。

 

「どうしたんだい、暁。ドアのノックも無しに」

「…………」

「…………ま、入って」

 

 私がそう言うと、暁は少し俯いた状態で部屋に入る。明らかに不機嫌そうな、そんな感じの面持ちだった。その理由はもう、考える必要性を感じないほどだった。

 

「座って。お茶入れるから」

「うん」

 

 素直に暁は執務室のソファーに座り、私はそれを横目に見ながら急須にほうじ茶を入れ給湯機からお湯を出す。湯呑みを取り出して少し時間を置き、湯のみへと注ぎこむ。ほど良い湯気が立ちあがり、ほうじ茶の香りが広がった。

 

 暁の前にお茶を差し出すと、私も向かい合う形で座って自分の分のお茶を口に入れて本題に入った。

 

「で、どうかしたのかい?」

「…………響は、さっき何してたの?」

「見ての通り過去の書類の整理さ。優先順位が一番低いから、たっぷり積み上がってね。こんな日にでも整理しないとこの部屋も紙で埋もれちゃうし」

「……仕事熱心ね」

「秘書艦ならこれくらいは、ね」

 

 暁は、どこか納得のいかない表情でじっと湯呑みを見つめ続けていた。一体何をしにここに来たのか、話す気はないみたいだった。司令官が絡んでいるのは間違いない。けど、言わないと言う事は言いにくいことだろうか。それとも。

 

「……やっても、大して意味無いんじゃないのかしら?」

 

 少し皮肉を込めた感じに、暁は言う。けど、ここ最近はいつもそんな感じだったから私は特に苦もなく受け流して答える。

 

「司令官がいつでも帰っていいように備えはしておくものだよ」

「帰るって……いつの話よ……もう一カ月とっくに過ぎてるのよ」

「だからと言って、怠慢をしていたら怒られるさ。暁もいつも言ってるじゃないか、レディはいつでも仕事をこなす物だって」

「…………」

 

 暁は何も答えなかった。けど、なにか悔しそうに拳を作って、それはわずかに震えている。たぶん、今から私のする質問に、彼女は「嫌い」と答えるだろう。

 

「……暁は、司令官の事嫌いかい?」

「……嫌いよ。私たちの事放っておいて……あんな人知らないわ」

「待ち続けるのも、レディのたしなみなんじゃないのか?」

「そう思ってたわよ……でも、でもこんなに帰って来ないならこのまま来ないかもしれないじゃない!」

 

 暁は声を張り上げて、その声は執務室に響く。その目は今にも涙を流しそうで、しかしそれを必死にこらえている様子で、少しばかり見ていられないと思った。

 

「私だって、私だってそう思って、待とうと思って、でも、でも司令官は来なくてっ……来なくなって……うっ、それで、なんで……何で響はそんなに平気なのよ!!」

 

 バンッ、と暁は机に手を叩きつけて、湯呑みが震える。暁の目にはついに涙が浮かんで、声がひしゃげ始めていた。今までの我慢が、爆発しそうなのだろう。私は取りあえず冷静になだめようとする。

 

「信じてるからだよ。また帰ってくるって」

「さっきからそればかり、そんな確証どこにあるのよ!」

「確証なんてないさ。信じて待ってる、ただそれだけ」

「それだけって……それだけで響はそんなに耐えられるの!?」

「耐えられる。そして、私が耐えられないようじゃこの鎮守府もまとまりが無くなってしまう。折れる訳にはいかない」

 

 秘書艦、と言う事は必然的に鎮守府をまとめる重要な役割を持つことになる。戦艦だろうが駆逐艦だろうが、経験が長ければそんなのは関係ない。私は今まで司令官の声に応えるためにまとめてきて、そしてこれからもそうするつもりだ。

 

「分かんない……分かんないわよ!」

 

 ガタンッ! 暁は身を乗り出して机に膝乗りする形で私のセーラー服の襟を掴んで揺さぶる。その際にテーブルの上に置いていた湯呑みがひっくり返り、ガチャンと大きな音を立てて床に転がる。

 

「私にはそう思える響が分からない!! 何で平気なの、なんで私よりも平気なの、なんで、なんで司令官と響はそんなに……そんなにっ……!」

 

 そこまで言うとぐっとこらえるような仕草でその先の言葉を抑えつけた。たぶん、それ以上を口に出すと暁自信の何かが崩れてしまうのだと知ってるからだ。

 

「な、何事デース!?」

「さっきの音なに、何が起きたの?」

 

 さっきの湯呑みが割れる音が聞こえたのだろう。金剛と瑞鶴がドアを勢い良く開けて飛び込み、私に飛びかかってる暁、そして私を見て一瞬理解に困った顔をしたが、ともかくこの状況を落ち着かせるべきだと暁を引き離そうとする。

 

「と、とにかく二人とも離れるデース!」

「暁、落ち着いて!」

「いやよ、離して! もうこんなの嫌なの……司令官は、司令官は私たちの事なんてもうどうでもいいのよ、司令官は私たちの事を捨てたのよ!」

「そんな事無いデス、提督は絶対に帰ってくるデスよ!」

「嘘よ! そんなの嘘よ! 嫌い、司令官もみんなも嫌い嫌い、あんな人嘘付きで裏切り者なのよ、大っきら―――」

 

―パンッ!―

 

 

 

 

 乾いた音が提督室の中に響いた。金剛は思わず目を見開き、瑞鶴はその音の原因を目にして呆然とし、暁は目を丸くして何が起きたのか理解できてなさそうな顔をしていた。

 

 じんわりと頬が熱くなり、じりじりと痛む。左頬にそっと手を当てる。おそるおそる暁は前を見て、その先には恐ろしく冷たい眼光で自分を睨みつける二番目の妹の姿。その目つきは雪よりもブリザードよりも冷たく、燃え上がる怒りではなく軽蔑を込めた液体窒素の様な怒りだった。

 

「……姉さん、今司令官の事なんて言った?」

「っ!」

「もう一度聞くよ。何て言った?」

「い、いや……その」

 

 その声の低さに、暁どころではなく金剛と瑞鶴でさえもぞっとした。響が暁の事を名前で呼ぶことなく、「姉さん」と呼ぶときは本当に甘えてるときともう一つある。言うまでもなく心の底から怒りに満ちている時だ。それも、本当に誰も止めることが出来ないレベルの怒り具合である。

 

 その恐ろしさに、暁は完全に固まってしまった。冗談抜きで失禁しそうなレベルであった。暁を押さえていた金剛は思わず一歩下がり、そのタイミングで響は机を回り込んで暁に詰め寄った。

 

「姉さんの言うことは分かる。私だって帰って来て欲しい。不満もある。けど、姉さんは今司令官の事を裏切り者だと言った。嘘付きな所は時たまあるのは認める。でもその言葉だけは絶対に許さない」

 

 暁は後悔していた。確かに少し冷静さを失いすぎていたかもしれない。レディと言うには非常にみっともない姿を晒していたと認めよう。しかし、その結果妹である響を本気で怒らせてしまった。こうなってしまったら、止められるのは提督か、戦艦クラスの艦娘二人で押さえつけるくらいしなければどうにもならない。

 

「ひ、響……落ち着くデス! 暁も思わずと言った所デスし、ここはクールダウンするネ!」

「そ、そうだよ、取りあえず落ち着いて! 誰でもカッとなることはあるし、ね!」

 

 金剛と瑞鶴がここまで止めるくらいである。その恐ろしさは姉である暁が一番知っているはずだった。

 

「…………もう夜も遅い。みんな自分の部屋に戻って」

「えっと……響」

「金剛、早めに。あとは私が片付けるから」

「……OKデース」

 

 金剛は瑞鶴と目を合わせると、暁を退避させるべく一緒に連れ出す。響はしばらくその場に立ち尽くし、誰もいなくなった後もしばらくわれた湯呑みを見降ろしていた。それから一つ溜め息をつくと、破片に気をつけながら湯呑みの破片を回収する。ちりとりを取り出し、箒で片付ける。ビニール袋を取り出して破片をその中に入れると、しっかりと口を縛った。

 

 それでも目に見えないほどの破片もあるかもしれないから掃除機を取りだす。コンセントを差し込んでスイッチを入れる。テーブルの周りを一周二周と回ってスイッチを切ると、元の場所に戻す。

 提督室のデスクの上の電気スタンドにスイッチを入れると、部屋の明かりを消し、残った仕事を片づけることにした

 

 

 

 

 消灯時間はとうに過ぎて、暁は金剛と瑞鶴に連れられて部屋から出ていき、また私の一人きりになる。まだやることは残っている。今日の日誌をつけるのが私の残された仕事である。これは欠かさずやっていることだ。

 机の上の筆縦から羽筆を取りだすと、日誌を取り出して日付を書き込み、大まかな業務内容を書き記し、続いて今日あったことを普通の日記のように書き記す。朝、昼、晩と書き記し、次第に私は今日あったことを口に出していた。

 

「今日は軽巡の演習を遠目に見て、瑞鶴が艦載機を使った航空ショーの訓練をしていたっと」

 

 思いだせる物を一つずつ思いだし、私は丁寧に綴っていく。艦娘のみんなが居る。でも司令官だけが居ない。いなきゃいけない彼が居ない。でも、それを補うだけ鎮守府はにぎやかだ。退屈しない。みんなが居る。寂しくない。

 

「大丈夫だよ……私は、大丈夫……」

 

 そう、大丈夫。今まで大丈夫だったからこれからも大丈夫。きっと大丈夫

 

―私だって、私だってそう思って、待とうと思って、でも、でも司令官は来なくてっ……来なくなって……うっ、それで、なんで……何で響はそんなに平気なのよ!!―

 

「大丈夫……大丈夫……」

 

 ぽたっ。生温かい液体が日誌にこぼれ落ちる。そのせいでまだ乾いていないインクがやや滲む。自分に言い聞かせるように口にしていた言葉がひしゃげていく。

 

「だいじょ……ぶ……」

 

 そこまで言って、そこまで書いて私は動けなくなった。筆を握る手が震える。体の奥から何かがこみ上がる。ずっと、ずっと我慢していた物が押し寄せる。どうにかして続きを書こうとしても、手が震えて文字にならない。鼻の中が湿っていく。何とかしてすすりあげる。

 

「だいじょうぶ……なわけ、ない……!!」

 

 思わず、私は羽筆を投げつけた。無均質な音が部屋の中に小さく響いて消える。ずっとずっと我慢してきた。司令官が居ないこの鎮守府を守ってきた。きっと帰ってくる、絶対帰ってくる。でも、でも私だって不安だ。ずっと不安だった。我慢してたのだ。暁姉さんの気持ちだって知ってる。

 

「なんでっ……なんで帰って来ないのさ……私は待ってるよ、ずっと待ってるよ。なのに……なのに!!」

 

 拳を堅く握る。我慢していた物がついに限界を迎えて巨大な津波になって私の中に押し寄せる。止まらない。止められない。司令官、あなたが帰ってこないからだ。

 

「司令官の……司令官のばかっ……!」

 

 最後の抵抗。自分の感情を押し殺そうと息を飲む。でも、それは逆効果だった。涙も、鼻水も、全く止まらない。顔が熱い、目から溢れる涙は留まる事を知らない。どうして帰って来ないの、疲れたから? だったら旅行に行ってもいいんだよ。ちゃんといつ帰ってくるかも教えてさ。それとも仕事が嫌になった? だったら私が司令官の仕事、やれるだけ手伝うからさ。もうちょっとがんばろ? それとも本当に私たちの……私の事、嫌いになった?

 

 今ここで思い切り叫びたい。もしも私の声が届くならいくらでも叫んでやる。でも叶わない。もう爆発寸前だ。でも、最後の抵抗をさせてもらう。とっさに服の袖に口を当てて、私は思い切り叫んだ。

 

「司令官の、ばかぁああああああーーーーーーーっっ!!!!」

 

 はやく、早く帰って来てよ、司令官……。

 

 

 

 

「……んっ」

 

 ふと、気がつけば部屋が明るくなっていた。回復する聴覚の奥から、雀の鳴く声が聞こえる。ああそうか。私ははっきり思いだした。あの後泣き疲れて眠ってしまったのだろう。目元には散々泣き腫らした痕が残っていて、声が枯れて上手く声が出せそうにない。やたらと喉が渇いていた。

 

「……あれ?」

 

 と、私は体に違和感があることに気がつく。背中がちょっとだけ重たい。何かが掛けられている。それを握って確認してみると、提督の着ている白い軍服の上着だった。誰かが風邪をひかないようにしてくれたのだろうか。

 

 でも、次の瞬間に私はそうではないと言うことに気づかされる。頭の上に誰かの手が置かれる感触。その手は私の知っている大きな手。とても安らげる、ただ一つの手だった。

 

「起きたか、響」

 

 そんな馬鹿な。思わずはっとして顔を見上げる。一人の男性。ああきっと夢だ。夢に違いない。とても心地の良い夢を見ているだけなんだ。

 

 その先に居る上着を脱いだ一人の男性。私の、私たちの信頼するただ一人の方。私たちの鎮守府の司令官、提督がそこに居た。

 

 夢だろうか。たった一秒もない時間で、何回もそんな事を思った。けど、二秒たった所でその考えも消えた。夢ならそれでも良い。夢なら覚めないで欲しい。私の体は理性を全てかなぐり捨てて机に足を掛け、みっともない格好で飛びだし、そして司令官に思いきり飛び付いた。彼は、間違いなく体温を持った本物だった。

 

「お、おい響!」

「司令官っ……しれいっ、かん!」

「な、泣いてるのか……」

「誰のっ、せいだと……おもっで!!」

 

 ああ、この匂い。私の大好きな司令官の匂い。私の小さな体がすっぽりと入ってしまうほど大きい、頼れる胸板。帰って来てくれた。

 

「待ってた……ずっと、ずっど!」

「……ごめんな、待たせて」

「遅い…おぞいっ!」

 

 枯れたと思っていた涙が再び押し寄せる。でも、今度は気持ちのいい涙だ。いくらでも泣いてやろう。ただし、嗚咽混じりになってしまった私のダミ声だけはとてつもなくみっともなかった。

 いや、それだけじゃないだろう。私の顔は今や涙と鼻水で埋め尽くされ、前が見えないほどだった。ティッシュの代わりに、私は司令官の服に自分の顔を押しつけて無理矢理拭う。汚れるなんてクレームは受け付けない、あなたのせいなのだから。

 

 

 

 

 

 騒ぎを聞きつけた金剛が提督室に飛び込み、やや遅れて夕張、島風、瑞鶴、暁の順番で駆けつける。そして、みんなが提督の帰還を知り、喜んだ。金剛としては一つくらい文句を言って、それから精一杯のラブをぶつけてやりたかったが、今は一番頑張った彼女の至福の時だ。もう少しだけ待っておこう。

 

 島風が「提督、おっそーい!」と響と同じく飛びつこうとしてそれを夕張に止められる。実際夕張だって飛び付きたかったのだが、後で新しい兵器開発にこってり付き合ってもらうことで許すことにした。

 瑞鶴が彩雲を飛ばして寝ている全艦娘に提督帰還の報告を出す。さて、全空母組をかき集めて盛大な帰還航空ショーでも開こうと考える。

 

 暁は自分以上に大量の涙を流している響を見て、響は自分以上に辛かったのだと知って昨晩の自分を恥じた。そして、響の言うとおり本当に司令官は帰って来た。姉の威厳丸つぶれだ、どうしてくれよう。まぁ、後でたっぷり司令官に文句を言って、今回は素直に甘えることにした。

 

 全員が、後でたっぷりと提督に着けを払ってもらおうと思った。だが、今はもうちょっとだけ、ここまで鎮守府を守り、強く振舞っていた秘書官、響の情けない姿を見守ることにしようと決めた。今青葉が居ないのが非常に残念だ。

 

 響は、空気を読んで黙って見ているだけに徹している仲間たちに感謝した。やや気恥かしい気はするが、もうこの際どうでもいい。今は、今だけはこうしていたい。もうちょっとだけ、自分の愛した司令官の鼓動を感じていたい。

 

 まだ上手く口を動かすことはできなかったが、響は精一杯の声で口を開いた。

 

 Добро пожаловать……司令官。

 


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