湿った土の匂いと、壁の松明が放つ煤けた煙が立ち込めるダンジョンの通路。等間隔に揺らめく橙色の炎が、地下の静寂に長い影を落としていた。
その一本道を、しなやかな足取りで突き進む影。
黒い短毛に覆われた尖った立ち耳と、スマートで引き締まった体躯。ドーベルマンの血を引く獣人の女剣士『ライカ』だ。その身に纏うのは、黒く鞣された上質な革鎧。無駄を削ぎ落とした黒革は松明の光を鈍く跳ね返し、彼女の凛としたシルエットを際立たせている。
しかしその首元に光る、場違いな赤い印。
奴隷であることを示す、魔術によって刻まれた奴隷紋だ。
高く纏った装備の質だけを見れば何処かの貴族子飼いの存在かと勘ぐってしまうだろうが、その紋章が。そして何よりその耳が、彼女の身分が奴隷であることを証明する。
そんな、ライカの腰に吊るされたアーミングソード。
一握り半の柄と直線的な刃を持つ片手剣が、歩みに合わせてゆっくりと鞘と擦れ合う。
よく磨かれた刀身に映るのは、一頭のゴブリン。魔物と呼ばれる存在が、濁った目をギラつかせ、不潔な鉄くずの短剣を彼女に向け、卑屈な笑い声をあげていた。
「ギャギャギャッ!」
「……ご主人。」
「お願いできるかい?」
その言葉に反応し、彼女の耳がぴんと前を向く。真っ黒な瞳が捉えるのは、緑の小鬼。
次の瞬間、地面が抉られる。
爆発的な加速。一直線の通路を目にも留まらぬ速さで突き進み、あっという間に潰れる間合い。ゴブリンの顔に驚愕が浮かび、せめてもの抵抗として短剣を振ろうとするが……。
何の意味もない。
「ㇱ!」
鋭い呼気とともに振るわれる、一閃。
空中に浮かぶ、一筋の鉄色の軌跡。刃は抵抗らしい抵抗もなくゴブリンの首筋を穿ち、一気に反対側へと抜け切っていった。
「……ぎゃ?」
彼自身の身に何が起きたのか理解できぬまま、ゴブリンの首が宙を舞う。
そして徐々に光が薄れゆく魔物の瞳に映るのは、酷く攻撃的な笑みを浮かべた、彼女の姿。
おそらく、加速の勢いを全て先程の攻撃に使い切ったのだろう。まるで何もなかったかのようにその場にたたずむ彼女は、地面に倒れ伏す敵の胴体。そしてそこから噴き出す血に何の興味を抱かないまま、手に持つ剣の汚れを静かに振り払う。
「ん、っと。」
ゆっくりと剣を鞘に戻した彼女は、地面に転がるゴブリンの首へ。
そして緑色の皮膚に覆われたバケモノの頭髪を乱暴に掴み、目の高さに。
死してもなお驚愕に目を見開いたままの顔を覗き込み、立ち上る血の匂いに鼻腔をわずかにひくつかせながら、確実に死んだことを確認する。
そんな彼女はゆっくりと、今来た通路の方へと振り返り……
「ご主人ご主人! 見てこれ!!!」
「……とても綺麗な切り口ですね。力だけで断ち切るのではなく、しっかりと角度も考えている。流石かと。」
「だろ~!」
まるで褒めて貰ったのを喜ぶ子犬のように、笑みを浮かべるライカ。
うん、別人。
なにあの雰囲気の変わり様。明らかにゴブリンに対する殺意がマシマシだったというか、ちょっとだけ見えた目がマジで怖かったというか……。
あ、あれですか? なんか魔物に恨みある感じですか? だ、だったら事前に教えておいて欲しかったんですけど。あ、まだそれを話せるほど好感度稼げてない感じ? いやでもニコニコしながら生首見せてくれたし……。
(まだ二日目と考えれば……、良い方なんですかねぇ?)
初対面の頃から感じている、彼女と私の間に出来た見えない壁のようなもの。食事で好物らしい肉を出したことで薄れたソレだが、先ほどの『防具店』にて若干元に戻って来てしまっていた。
おそらく彼女が苦手なタイプであろう例の店主がいる場所に連れて行ってしまったこと、そしてかなり熱心に剣を確認していた所を私に見られたのが原因だろうが……。
(まぁ、自分が熱中しているところを他人に見られるのは恥ずかしいものがあるよね。)
前世の記憶にはなるが、自身も親に買ってもらったゲームで遊んでいる際。何故かこちらをずっと楽しそうに見ている親の視線には、気まずさを覚えたものだった。
今思えば何かに熱中する様子をただ微笑ましく見ていただけなのだろうが、これを理解できるまでかなりの時間がかかったものだ。……おそらく、私もあの時の親と同じ視線を送ってしまっていたのだろう。
とまぁそんなわけで。この“ダンジョン”にやってくるまで、私と彼女の間には少しだけ距離感というモノがあった。
(どうすれば元に戻れるかな、と考えていた所に……。これか。)
ライカの顔に浮かぶ、輝かしい笑顔。
その頬に光る、赤い返り血。
そして彼女の手に掴まれているのは……、ゴブリンの首級。
うん、この子。魔物ぶっ殺して機嫌直りましたね。はい。
「はいご主人! あげる!」
「あぁどうも。……これは、どう反応するのが正解なんでしょうね?」
何故かゴブリンの生首を手渡されてしまう。
つい受け取ってしまったが、ホントにどうすればいいのだろうか。返そうにも彼女は既にその場におらず、先ほど切り殺したゴブリンの胴体の方へと走って行ってしまった。漏れてしまったこちらの呟きも聞こえていなかったようで、本当にどうしようもない。
……今いるダンジョンは、よくあるゲームのソレに近しい。流石に撃破した直後に煙となって消えることは無いが、時間経過で『ダンジョンの床に取り込まれる』ことが確認されている。
まぁつまり、この生首も地面に置いておけば勝手に処理してもらえるんだけど……。もしかしてライカの一族って首級を大事に取っておく感じ? ほ、保管どうしよう。
「あ、ご主人! コイツの魔石ってどこー!」
「え? あぁ、胸中央です。私がするので周囲の警戒だけお願いしますね。」
「これぐらいアタシがやるぞ? ナイフ貸して!」
死んだゴブリンと目が合い、どうしようか解らなくなっていた時。解体用のナイフを取りにまた此方に戻って来るライカ。
この首をどうするのかと続けて聴こうとするが、すぐに私の腰にあったナイフを勝手に奪い取り、死体の方に戻って行ってしまった。……うんまぁ、折角の換金素材。ダンジョンに吸収されるよりも先に回収しないとですからね。うん。
(……なんかこっち見てる気がするな、このゴブリン。死んでるとは思うけど、この世界アンデットもいるからなぁ。切断面グロテスクだし、早く捨てたい。)
この世界におけるダンジョンは、言わば『燃料採掘地』という役割を持っている。
魔道具を始めとした便利な存在や、瞬時に回復できる魔法薬など。その多くの原料となっているのが『魔石』であり、魔物の心臓付近から採取できる特殊な素材だ。多くの冒険者がこれを換金するためにダンジョンに潜っていく、って感じ。
……前世の感覚で言うなら炭鉱夫が近いのかな? 事故が頻発する死が最も近い危険な職業。しかし奥に行けば行くほどより深い鉱脈。強力だが高く売れる魔石の持ち主に出会うことが出来る、みたいな。
「お! あったあった! ……でもちっさいな。」
「まぁ1階層のゴブリンですからね。そんなものでしょう。」
彼女の声をする方に視線を向けてみれば、ゴブリンの心臓から小指の爪サイズの小石を取り出す彼女。
真っ赤に光る万能物体、魔石ちゃんだ。ちなみにそのサイズで銅貨1枚くらい。現代換算で約100円だ。今回はライカが一撃で仕留めてくれたので全く時間はかからなかったが……。
対象を見つけるまでに、このダンジョンの中を結構歩き回ることになってしまった。第1階層という人が多く入って来る最初の場所なので、出現する魔物がどんどんと狩られていくのは解るのだが、時給換算したら色々と不味いことになりそうだ。労基どこ? ここ?
「はいご主人! 思ったより弱かったし、頑張れば結構狩れるんじゃないか!? この装備品の値段くらいは……」
「あ~。それはちょっと厳しいかもですね。」
「……そうなのか?」
顔を傾げながら、そう聞いてくる彼女。
一瞬だけ不安に近い感情が目の奥に宿ったのが見えたが……。現状、金銭的な問題は起きていない。
この前も言ったが、自身は現在両親の支援を受けながら生活している。
衣食住の全てを握られている状況であり、単身での脱出も不可能な感じではあるのだが、その不自由の対価として結構な支援を貰っている感じだ。実際彼女を買った時の資金も、その装備品を購入した資金も、両親の財布から出ている。これだけ聞けば単なるごくつぶしでしかないのだが……。まぁそこは置いておくとしよう。真剣に考えたら色々情けなくて死にたくなってくるし。
ともかく、ダンジョンで稼いだ金を当てにしなくても問題ないだけの資金はある。
けれどその内実を彼女に公開するのは少々問題がありまして……。
(実はライカの値段よりも、彼女が身に着けてる装備品の値段の方が高いのは……。ちょっと言えそうにないですね、はい。)
その行動や発言を観察していれば理解できるが、ライカは未だこの国の貨幣経済。
もっと言えばこの町の物価に対する知識を十分に持ってないことが推測できる。
彼女の実家が北部平原のどこにあったのかは未だ聞き取れていないのだが、他国であることは確か。そこからずっと奴隷生活を続けていたとなれば、この国に対する物価などの知識が不足しているのも、そうおかしな話ではないだろう。
(まぁ、つまり。)
彼女の値段が銀貨5枚、現代円換算で約5万円だったこと。
そしていま彼女が身に着けている装備品の合計金額がかなり割引されて金貨1枚。約100万円だったことは、おそらく墓まで持って行くべき情報だ。
……この国、ホント人の命が安いんだよね。
「と、魔石の話でしたね。今ライカが倒してくれたのはあまり強い魔物では無かったので、それだけ倒して稼ぐのは少々骨が折れるでしょう。稼ぐのならもっと下層に行くべきですね。」
「そうなのか、ちょっと残念。……でも下に行けば行くほど強いのが出てくるんだろ! じゃぁソレ一杯倒せば!」
「いけるかも、ですね。」
一撃で倒せるから簡単に稼げるかも! という表情をしていた彼女だったが、想定が外れ少ししょんぼりした表情に。しかし未だ未探索領域も多いこのダンジョン、その下層に潜むまだ見ぬ強敵を思い浮かべ、テンションが上がって来たのだろう。とても良い笑みを浮かべてくれる。
……偶にこちらに対する壁が見え隠れすることもあるが、戦闘狂の気があるのは事実な様で。
機嫌が直ったことに少し安堵しながら、“今後”のことを少し考える。
(彼女の魔物討伐が軌道に乗れば……。両親の支援に頼らなくてもよくなる、かもしれない。)
既にライカにも軽く話しているが、この 『ダンジョン攻略パーティ』は徐々に拡大させていくつもりだ。
確かに2人。実質戦闘員1人でもある程度は潜れるだろうが、いずれ人手が足りず進めなくなるのは目に見えている。それが奴隷になるのか、もしくは一般の冒険者。ダンジョン攻略者に協力を仰ぐのかは解らないが、今後人員が増えるのは確かだ。
そして人手が増えれば……、より奥のダンジョンへ。より大きくて純度の高い魔石。高く売れる魔石をより多く、継続的に手に入れることができるかもしれない。
(つまり、両親に抑えられている衣食住、そして金銭的支援。そこから抜け出し“自立”が出来る様になるかもしれない。)
言ってしまえば、『ダンジョン攻略を行う企業』。起業への道だ。
完全に私はサポート側に回り、ライカ達が挙げて来た魔石を外部に売り払ったり、彼女たちの装備の点検などを行う役割を熟す。後は生じた利益を彼女たちに分配し、私もおこぼれに預かる。この関係を構築することが出来れば、両親の影響から抜け出す。皇位継承戦から逃げ出すことが出来るかもしれない。
勿論、実際にダンジョン攻略を行う彼女達の協力が不可欠ではあるが……。
(経済的自立は、しておきたいよねぇ。)
もしかすると私が死ぬまで崩壊することは無いかもしれないが、この国の状況はかなり悪い。
奴隷を始めとした、いつ爆発するか解らない爆弾がいたるところに存在するのだ。その爆心地から距離を取り、奴隷たちから『コイツは殺さなくていい』と思われるためにも、典型的な貴族である両親との関係は、早いとこ切っておきたい。
それに、このまま両親の言うことに従っているとマジで皇帝が近づいてきそうで凄く鬱である。
今はまだ、空想することしか出来ないが……。
金稼ぎの手段だったり、両親から逃げだす手段だったり。二人から少し距離を取れている今のうちに、色々と用意しておいた方が良いのかもしれない。恩を仇で返す行為なのは重々承知しているが、沈む泥船に乗り続けるほどの覚悟は、私にはない。
「ご主人、はいこれ!」
「あぁ、どうも。」
そんなことを考えながら、わざわざライカが手渡してくれる魔石を貰い、背負っていた鞄の中に放り込んでいく。
(……傍から見たら酷い絵面だろうな、コレ。少なくとも“同郷”の人には見せられない奴。)
現在の私達の“パーティ編成”。
前衛で剣士を務めるライカと、実質荷物持ちの私で構成されている。
前世の価値観を持つ者からすれば『未成年の女の子前に立たせて自分は後ろから見てるだけって何?』と激しく叱責されるだろうが……。い、一応。一応、理にはかなっているのだ。
(どうやら彼女の剣のスタイルは、脚力を生かした直線型。まっすぐ敵に走って行って突撃する感じ。)
今日出会ったゴブリンが全て即死しているためその先彼女がどう動くかは解らないのだが、最初の一撃を酷く重要視していることは、見て取れた。まぁ早い話、彼女はどんどんと前に突撃していくタイプなのだ。私が何か行動を起こすよりも早く動き、敵に攻撃しちゃうタイプ。
そ、そんなのにインドア派はついていけませんって……!
(だからまぁ、今の方が良いというか。全部一撃で終わるなら私が荷物持ちした方がいいというか。戦えない奴は後ろにいた方がいいというか……。)
護身用に実家から持ってきた槍を背負ってはいるし、背負って来た鞄には多種多様なアイテムを完備している。けれど私がこれを使って魔物を相手に出来るとは思えないし、戦闘は全てライカに任せた方が格段に速く、そして安全に魔物を倒すことが出来るだろう。
ま、まぁ、そんな感じなので。お許しいただけると……!
「さ、さぁライカ。この調子でもう少しダンジョンを見学していきましょうか。第一階層ではゴブリン程度しか出ないそうなので、退屈かもしれませんが……。急ぐものでもありません。一歩一歩踏みしめて来ましょう。」
「おう、ご主人! ……でも弱すぎて飽きてきそうだから、もっと下行きたいぞ。」
「……では、下に行く階段を見つかれば。少しだけ覗いてから帰りましょうか。今日の目的は“様子見”ですしね?」
「ほんと!? やった!!!」
そう言うと、嬉しそうに飛び跳ねる彼女。
見てて可愛らしいというか、色々と揺れてるので目に毒と言うか。まぁとりあえず、喜んでそうなので良しとしておこう。……好感度稼げてるかな?
「……ところでご主人。なんでさっきからずっと魔物の首持ってるの?」
「あ、要らないのね。」
〇ダンジョン
誰でも潜れて稼げる素敵な職場!(なお死亡率)
この世界のエネルギーに位置する『魔石』を採掘できる『炭鉱』のようなもの。ゲームのように階層ごとに景色が違ったり、10階層ごとにボスが居たり、偶にレアなモンスターが出たり、階層に見合わない敵も居たりする。その他定期的に内部が変化する(不思議のダンジョンシステム)などの特徴があるが、国家からすれば『炭鉱』で間違いない。
その有用性からほとんどの国家が周辺地域を直轄としており、主人公であるエドたちが所属する帝国も例に漏れない。また内部の魔物を放置しすぎると勝手に外に出てくるという問題もあるため、国家レベルのパワーが無ければ管理が難しいということもその理由の一つである。
下に進めば進むほど強い敵が出てくるが、時たま宝箱のようなボーナス存在を発見することもある。装備だったり素材だったりが手に入り、こちらも下に行くほどランクが上がる模様。どうやら最下層にはすべての願いを叶えるお宝が眠っているそうだが……。
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また、ルーキー日間1位ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。