[DQ3]へんげのつえIF-トロルのメイド 作:ばっどぼーい
王子との交流が続く一方で、ベルタはメイド仲間の間にも少しずつ居場所を得るようになっていた。
城へ来たばかりの頃、ほかのメイドたちはベルタを遠巻きにしていた。
背が高く、美人ではあるが、いつも眉間に皺を寄せ、声は低く、動作は乱暴だった。重い荷物を一人で運び、叱られても反省しているのか怒っているのか分からない顔をする。冗談を言えば真顔で聞き返し、誰かが肩へ触れれば反射的に腕をつかみかける。
親しくなりたいと思わせる要素は、ほとんどなかった。
それでも、毎日同じ部屋で眠り、同じ食堂で食べ、同じ失敗を叱られていれば、いつまでも他人ではいられない。
制服の紐を結べず悪戦苦闘していた頃に助けてくれたミレーヌ。
洗濯物を染めてしまったとき、一緒に夜まで洗い直してくれたロッテ。
裁縫のたびに針を折るベルタへ、怒らず何度も持ち方を教えたアンナ。
彼女たちはベルタの無愛想さにも慣れ、返事が短くとも会話をやめなかった。
「ベルタ、今日の夕食のお肉、少し余ったらしいわよ」
「そうか」
「欲しい?」
「欲しい」
「そう言うと思った」
「なぜ聞いた」
「一応よ、一応」
ミレーヌは笑い、ベルタの皿へ自分の分から一切れ肉を移した。
「お前は食べないのか」
「昨日、裁縫を代わってもらったから、そのお礼」
「礼ならもう聞いた」
「聞いただけでお腹は膨れないでしょう」
「俺は膨れる」
「ベルタは本当に食べるわねえ」
そこでベルタは、自分がまた一人称を間違えたことに気づいた。
以前なら周囲の顔色を窺ったものだが、今では誰も深く気にしなかった。地方によっては変わった言葉遣いもあるのだろうと、勝手に納得されているらしい。
「昔からの癖だ」
「はいはい。慌てるとすぐ俺になるものね」
ミレーヌは面白がって笑った。
自分の正体に繋がりかねない失言だった。
本来なら、もっと警戒すべきだった。
だが、ベルタはいつの間にか、この者たちは気づかないだろうと考えるようになっていた。
愚かな人間たちだ。
身元もはっきりしない女を疑いもせず、親しげに扱う。
ベルタが夜中にへんげのつえを取り出し、王を奪う機会を窺っているとも知らず、制服のほつれを直し、余った菓子を分け、仕事が終わればくだらない話を聞かせてくる。
あまりにも無防備だった。
だから利用できる。
味方だと思わせておけば、中央棟へ配属されたときにも余計な疑いを持たれずに済む。
ベルタはそう解釈していた。
ミレーヌが、休日の城下町で見かけた髪飾りについて語るのを聞いているときも。
アンナが、故郷にいる妹から届いた手紙を嬉しそうに読んでいるときも。
ロッテが失恋したと泣き、ベルタの膝へ顔を伏せてきたときも。
その背中を不器用に撫でながら、すべては潜入のためだと考えていた。
「そんな男、殴ってしまえ」
ベルタが言うと、ロッテは泣きながら笑った。
「ベルタなら本当に殴りそう」
「当然だ。泣かせた報いを受けさせる」
「駄目よ。騒ぎになって、ベルタまでお城を追い出されちゃう」
「俺が追い出される心配をするのか」
「するに決まってるでしょう。友達なんだから」
ベルタは返事ができず、黙ってロッテの背中を撫で続けた。
愚かだ。
本当に愚かだ。
自分が何者か知れば、泣くどころでは済まないというのに。
やがて、春も半ばを過ぎたある日の仕事終わりに、メイドたちは使用人寮の小さな談話室へ集まった。
その日はアンナの誕生日だった。
豪華な宴ではない。
厨房の者に頼んで焼いてもらった小さな菓子と、食堂から分けてもらった果実。それぞれが少しずつ貯めた金で買った髪留めが一つ。飲み物は薄い果実酒で、明日の勤務へ響かないよう一杯だけと決められていた。
それでも、アンナは目を潤ませるほど喜んだ。
「ありがとう。こんなに祝ってもらったの、久しぶり」
「泣くほどのものじゃないでしょう」
ミレーヌが言いながら、自分も少し目を赤くしていた。
「ほら、ベルタからも渡して」
ベルタは促され、布に包んだ小さな品を差し出した。
中身は針刺しだった。
城下町の店で見つけた、革張りの丈夫な品である。
ベルタは裁縫を教わるたび、アンナが古く傷んだ針刺しを使っていることに気づいていた。
最初は、壊れれば新しいものを使えばよいと思った。
だが、アンナは自分の物をなかなか買わず、妹へ仕送りをしていると聞いた。
そのためベルタは、次の買い出しの際に、店先で何度も商品を見比べることになった。模様の派手な物は仕事場で目立つ。安物はすぐに傷む。最終的に選んだのが、飾り気はないが厚い革で作られた針刺しだった。
「これ、ベルタが選んでくれたの?」
「ほかに使い道がないだろう」
「そうじゃなくて、私が欲しがっていたのを覚えていたの?」
「目についただけだ」
アンナは嬉しそうに針刺しを胸元へ抱いた。
「大事に使うね」
「道具は使うためにある。大事にしすぎてしまっておくな」
「分かってるわよ」
周りから笑いが起こる。
ベルタは居心地が悪くなり、果実酒の入った杯へ口をつけた。
菓子が切り分けられ、他愛のない会話が続いた。
アンナが何歳になったのか。
子どもの頃は誕生日に何をしてもらったのか。
故郷ではどんな祝い方をするのか。
そのうち話題は、自然にほかの者の誕生日へ移っていった。
「次は誰だったかしら」
「私は夏の終わり」
「ロッテは秋だったわね」
「ええ。去年は仕事が忙しくて何もできなかったけど」
ミレーヌが不意にベルタを見た。
「そういえば、ベルタの誕生日っていつ?」
ベルタの手が止まった。
「誕生日?」
「生まれた日よ」
「それは分かる」
「一度も聞いてなかったでしょう。何月何日?」
ベルタは答えを持っていなかった。
自分がいつ生まれたのかなど知らない。
気づいたときには魔物の群れの中にいた。親がいたのか、卵から生まれたのか、それとも魔力の淀みから生じたのかさえ覚えていない。
魔物の軍勢に、誕生日を祝う習慣はなかった。
いつ生まれたかより、どれほど強いかが重要だった。
戦場で生き残れば食える。
敵を倒せば地位が上がる。
弱ければ死ぬ。
年に一度、自分が生まれたことを喜ばれるなど、考えたこともなかった。
「覚えていないの?」
アンナが尋ねた。
ベルタは周囲を見回した。
皆、こちらを待っている。
ここで知らないと答えれば、どうして自分の誕生日を知らないのかと聞かれるだろう。農家で育ったという設定にも不自然さが生じる。
何でもいい。
適当な日を言えばよい。
ベルタは窓の外を見た。
夜空には半月が浮かび、庭の木々が風に揺れている。
頭に浮かんだのは、来月の日付だった。
「……五月の十八日だ」
特に理由はなかった。
今日から遠すぎず、近すぎない。
十八という数字にも意味はない。かつて破壊した砦の数だったか、倒した兵士の数だったか、自分でも分からなかった。
「五月十八日ね」
ミレーヌが即座に繰り返した。
「もうすぐじゃない」
「祝うほどのことではない」
「自分の誕生日だからって遠慮しなくていいのよ」
「遠慮ではない。本当に必要ない」
「分かった分かった」
その軽い返事に、ベルタは少し安心した。
きっと、その場の話題として聞いただけだ。
一月もすれば忘れるだろう。
それ以上考えることなく、ベルタは残った菓子を口へ入れた。
五月十八日の朝。
ベルタはいつも通り鐘の前に目を覚ました。
同室のミレーヌとロッテは、すでに寝台からいなくなっていた。普段ならベルタより遅くまで眠っている二人なので、珍しいこともあるものだと思いながら制服へ着替える。
食堂へ行っても、二人の姿はなかった。
アンナもいない。
「遅刻か」
ベルタは呟き、自分の朝食を取った。
その日は朝から仕事が多かった。
客室の一部を急遽使うことになり、寝具の交換と掃除を頼まれた。ベルタは同僚の姿が少ないことを不審に思いながらも、任された仕事を終わらせた。
昼を過ぎても、特に何も起こらない。
やはり誕生日の話など忘れられたのだろう。
それでよかった。
もともと存在しない日だ。
自分が思いつきで口にしただけの、ただの数字にすぎない。
ベルタはそう思っていた。
仕事が終わり、使用人寮へ戻るよう班長から命じられたときも、翌日の準備でもあるのだろうと疑わなかった。
「談話室へ行きなさい」
「なぜです」
「いいから」
「まだ用具の点検が」
「今日は免除します」
妙に楽しそうな班長の態度へ不審を抱きながら、ベルタは談話室の扉を開けた。
「ベルタ、お誕生日おめでとう!」
声とともに、色紙を細く切って作った飾りが頭上から降ってきた。
ベルタは反射的に身構え、腰へ手を伸ばした。
もちろん、そこに武器はない。
目の前には、ミレーヌ、アンナ、ロッテをはじめ、同じ班のメイドたちが並んでいた。
机の上には、焼き菓子と果実、肉料理まで置かれている。小さな花瓶には庭で摘んだ花が挿され、壁には不揃いな文字で「ベルタ、おめでとう」と書かれた紙が貼られていた。
「……何だ、これは」
「何って、誕生日のお祝いよ」
ミレーヌが当然のように答えた。
「今日が五月十八日でしょう」
ベルタは何も言えなかった。
忘れていなかった。
一月前に何気なく口にした日を、この者たちは覚えていた。
「朝からいなかったのは、これを用意していたのか」
「仕事をさぼったわけじゃないわよ。ちゃんと班長に許可をもらって、早起きしたの」
「厨房の人たちも手伝ってくれたのよ」
「王子殿下からも預かり物があるわ」
「王子から?」
アンナが机の端に置かれた包みを差し出した。
中には、丈夫そうな革の手袋が入っていた。
薪や荷物を扱うことの多いベルタの手は、見た目こそへんげのつえによって美しく保たれていたが、手のひらには仕事でできた硬い皮があり、細かな傷も多い。
添えられた短い手紙には、簡潔な祝いの言葉とともに、これなら仕事中に手を傷めにくいだろうと書かれていた。
「殿下まで、なぜ」
「ベルタの誕生日だって話したら、ぜひ何か贈りたいって」
「勝手に話したのか」
「駄目だった?」
ミレーヌが少し不安そうな顔をした。
ベルタは手袋を見下ろした。
怒るべきなのだろうか。
偽の誕生日を王子へ伝えられ、祝われた。
潜入する者としては、余計な情報が広まることを警戒すべきだった。
だが、怒りは湧かなかった。
代わりに胸の奥へ、重く、熱いものが込み上げてきた。
「気に入らなかった?」
ロッテが尋ねる。
「こういうの、苦手だったかしら」
「ベルタ、固まってるわよ」
「驚いているだけでは?」
皆が心配そうにこちらを見ている。
ベルタは、この祝いが自分のためのものではないことを知っていた。
五月十八日は、本当の誕生日ではない。
農家の娘ベルタも存在しない。
家族を失って城へ働きに来た女も、料理と洗濯を得意としていた過去も、すべて嘘だ。
彼女たちが祝っている相手は、ベルタという架空の人間だった。
目の前にいるのは、本当は国を奪うために送り込まれた魔物だ。
王子からの手袋も、机に並んだ料理も、壁に貼られた不格好な文字も、自分には受け取る資格のないものだった。
「ベルタ?」
ミレーヌがもう一度呼んだ。
ベルタは顔を上げた。
「……お前達は、なぜ誕生日を祝う」
唐突な問いに、皆が顔を見合わせた。
アンナが考えながら答えた。
「その人が生まれてきた日だから、かしら」
「生まれただけだろう」
「生まれるって大変なことよ」
ロッテが言った。
「それに、一年無事に生きて、またその日を迎えられたってことでしょう」
「親しい人なら、生まれてきてくれてよかったとも思うわ」
ミレーヌは少し照れたように笑った。
「ベルタがここへ来てくれたから、重い仕事は助かるし、退屈しないし、いざというときは頼りになる。怒っているように見えて、本当に困ったら誰よりも手伝ってくれるし」
「怒っているように見える、ではなく、実際よく怒っているけどね」
アンナが付け加え、談話室に笑いが広がった。
「つまり、ベルタが生まれてきて、ここにいることを祝っているのよ」
ミレーヌはそう言った。
ベルタは手袋を握ったまま、動けなかった。
自分が生まれてきたことを喜ばれたのは、これが初めてだった。
力があるからでもない。
敵を倒したからでもない。
命令を成し遂げたからでもない。
ただ、ここにいるから。
ベルタとして働き、食事をし、話し、皆と同じ日々を過ごしてきたから。
その事実だけを祝われている。
「……愚かなやつらだ」
口から言葉が漏れた。
「え?」
「何でもない」
ベルタは慌てて顔を背けた。
目の奥が熱くなっていた。
泣くという反応は知っている。
ロッテが失恋したときに見た。厨房で指を切った新人も泣いた。人間は痛いときや悲しいときに涙を流す。
だが、今は痛くも悲しくもなかった。
むしろ、これまで知らなかったほど胸が温かい。
それなのに涙が出そうになる理由が、ベルタには理解できなかった。
「泣いてる?」
「泣いていない」
「目が赤いわ」
「紙の屑が入っただけだ」
「両目に?」
「両目にだ」
ミレーヌたちは顔を見合わせ、誰からともなく笑った。
ただし、それ以上ベルタをからかうことはしなかった。
「ほら、座って。今日はベルタが主役なんだから」
「主役なら何をすればよい」
「何もしなくていいの。食べて、贈り物を受け取って、祝われればいいのよ」
「それは仕事ではないのか」
「違います」
「ならば難しいな」
「慣れればいいのよ。メイドの仕事だって慣れたでしょう?」
ベルタは席へ座らされた。
菓子を切り分けられ、果実酒の杯を持たされ、仲間たちから次々に贈り物を渡された。
新しい髪紐。
補修された裁縫箱。
冬に向けて編み始めたという厚手の靴下。
どれも高価な品ではなかった。
それでも、それぞれがベルタのことを考えて選び、あるいは作ったものだった。
「何か言うことは?」
アンナに促され、ベルタは皆を見回した。
言うべき言葉は知っている。
パン屋の娘に初めて言った言葉。
王子から果実水を受け取ったときの言葉。
城で何度も使うようになった、簡単な一言。
しかし今は、それを口にすることがひどく難しかった。
「……ありがとう」
やっと声にすると、皆が嬉しそうに笑った。
「どういたしまして」
「おめでとう、ベルタ」
「これからもよろしくね」
これからも。
その言葉が胸に刺さった。
ベルタの計画が成功すれば、今の関係に「これから」などない。
自分は王へ成り代わり、この国を恐怖で支配する。
そのとき、この者たちはどうなるのだろう。
ミレーヌは、王の命令に怯える。
ロッテは泣く。
アンナは妹への仕送りを続けられなくなるかもしれない。
自分を祝った者たちが、自分の作る国で苦しむ。
その未来が、初めてはっきりと顔を持って浮かんだ。
「さあ、ベルタ。菓子を切って」
「俺が切るのか」
「今日は主役だから、一番最初に」
渡されたナイフを見下ろす。
以前なら、獲物を解体するように一気に刃を入れていただろう。
ベルタは慎重に菓子の大きさを測り、全員へ均等に行き渡るよう切り分けた。
「ずいぶんきれいに切れるようになったじゃない」
「当然だ」
「最初はパンまで斜めに潰していたのに」
「昔の話をするな」
笑い声が響く。
ベルタも、少し遅れて笑った。
その夜、皆が眠ったあとも、ベルタはしばらく目を閉じられなかった。
寝台の下には、へんげのつえが隠されている。
手を伸ばせば届く。
この杖こそが、自分がここへ来た理由だった。
ベルタは布団から手を出し、寝台の下へ伸ばしかけた。
だが、途中で動きを止めた。
枕元には、王子から贈られた革の手袋が置かれていた。
隣の寝台では、ミレーヌが静かな寝息を立てている。
壁には、祝いの会から持ち帰った小さな紙飾りが一つ、制服の留め具へ結ばれていた。
ベルタは手を引き戻した。
「五月十八日」
誰にも聞こえない声で呟く。
本当は、何の意味もない日だった。
自分が生まれた日ではない。
ただ追及を逃れるため、思いつきで答えただけの日だ。
それでも今日、誰かが祝った。
ベルタが生まれてきたことを喜び、ここにいることへ感謝してくれた。
ならば、今日からこの日を誕生日にしてもよいのだろうか。
魔物として生まれた日ではなく。
ベルタという存在が、誰かに生まれてきてよかったと言われた日として。
そんな考えを抱いた自分が恐ろしくなり、ベルタは布団を頭まで引き上げた。
「俺はボストロールだ」
何度も繰り返してきた言葉を、小さく唱える。
けれど、その夜はいつものように心を落ち着かせてはくれなかった。
代わりに耳へ残ったのは、仲間たちの声だった。
お誕生日おめでとう。
生まれてきてくれてよかった。
これからもよろしく。
ベルタは目を閉じた。
枕元に置いた新しい手袋へ、指先だけを触れさせながら。