[DQ3]へんげのつえIF-トロルのメイド   作:ばっどぼーい

7 / 7
第7話 告白

 夜が深まるのを待って、ベルタは使用人寮を抜け出した。

 黒い外套を制服の上から羽織り、頭から深くフードを被る。手には布で包んだへんげのつえを握っていた。

 隣の寝台ではミレーヌが眠っている。

 部屋を出る直前、ベルタは一度だけ振り返った。

 このまま戻れないかもしれない。

 勇者たちに捕らえられるかもしれない。

 つえを渡したあとで正体を暴かれ、その場で討たれる可能性もある。

 それでも、誰にも別れを告げることはできなかった。

 何と言えばよいのか分からなかった。

 一年間ありがとう。

 自分は本当は魔物だった。

 王を殺し、この国を奪うために来た。

 だが、今はお前たちを死なせたくない。

 そんな言葉を、眠っている相手へ残す勇気はなかった。

 ベルタは音を立てずに扉を閉めた。

 城の外へ出ること自体は難しくなかった。

 長く城内で働いたことで、夜警がどの道を巡るかも、使用人用の小門がいつ開くかも知っている。

 本来なら王へ近づくために集めた知識だった。

 今夜は、王を守るために使っている。

 城下町は静かだった。

 昼には人と荷車で埋まる通りも、今は月明かりに照らされているだけである。店の戸は閉まり、住民たちは家の中で眠っている。

 パン屋の前を通ったとき、ベルタは足を止めかけた。

 明日の朝、店の娘はいつものようにパンを焼くだろう。

 ベルタちゃん、と呼ぶだろう。

 自分が戻らなければ、不思議に思うだろうか。

 だが、今は立ち止まれなかった。

 勇者一行が滞在している宿は、町の中央広場から少し外れたところにあった。

 すでに灯りの消えた窓も多いが、二階の一室だけはまだ明るい。明日から城内の調査を始めるため、打ち合わせでもしているのだろう。

 ベルタは裏口へ回った。

 宿の主人を起こさずに入る方法を探していると、二階から微かな話し声が聞こえた。

 窓が少し開いている。

 一瞬、壁を登ることも考えた。

 元の身体なら容易だった。

 しかし今の身体では、二階まで登るには足場が必要である。落ちれば騒ぎになる。

 結局ベルタは、正面から戸を叩いた。

 しばらくして、寝間着の上へ上着を羽織った宿の主人が現れた。

「こんな夜中に、どちら様で?」

「勇者たちへ用がある」

「明日にしてもらえませんかね」

「明日では遅い」

 低い声になりすぎたことに気づき、ベルタは少し声を和らげた。

「王国の安全に関わることです。どうか、取り次いでください」

 宿の主人は怪しんだものの、王国の安全という言葉に押され、二階へ上がっていった。

 間もなく、階段の上に勇者が姿を見せた。

 腰には剣を帯びている。

 その後ろには、仲間の戦士と賢者、魔法使いらしい者たちもいた。

 夜中の訪問者を警戒しているのだろう。全員、眠っていたとは思えないほど緊張した顔をしている。

「あなたが話をしたいという人ですか」

「ああ」

「顔を見せてください」

「それはできない」

 勇者の手が剣へ伸びた。

「なら、話だけ聞くわけにはいきません」

 ベルタは争うつもりがないことを示すため、ゆっくりと両手を上げた。

 右手には、布に包まれたつえがある。

「これを渡しに来た」

「何です?」

「へんげのつえだ」

 宿の空気が変わった。

 勇者たちは即座に武器を構えた。

 階下にいた宿の主人が、小さく悲鳴を上げて奥へ逃げていく。

「動かないでください」

 勇者が鋭く告げる。

「そのつえを床へ置いて、ゆっくり離れて」

 ベルタは言われた通り、床へつえを置いた。

 布がほどけ、宝玉のついた一本のつえが姿を現す。

 勇者の仲間である魔法使いが、警戒しながら近づいた。

 つえへ直接触れず、杖先で転がし、魔力を調べる。

「間違いないと思う。強い変化の魔力を感じる」

「では、本当にこれが」

 勇者はベルタへ視線を戻した。

「誰から手に入れたのです」

「答えられない」

「城へ潜んでいる魔物を知っているんですね」

「……知っている」

「どこにいます」

「それも言えない」

「あなたは、その魔物の仲間ですか」

 ベルタは沈黙した。

 勇者は剣を抜いた。

「私たちは、この国を守るために来ました。隠すなら、あなたも敵として扱います」

「それで構わない」

 ベルタは静かに言った。

「ただし、先に頼みを聞いてほしい」

「頼み?」

「魔王軍が、この国へ直接侵攻する可能性がある」

 勇者たちの顔から、さらに緊張が増した。

「いつです」

「分からない。だが、近いかもしれない」

「なぜそんなことを知っている?」

「魔物の計画が失敗しているからだ」

 ベルタはフードの中で拳を握った。

 自分のことを語っている。

 それでも、最後の一線を越えることができない。

 私はその魔物だ。

 そう言えば、すべて終わる。

 だが口は動かなかった。

「へんげのつえは渡す。もう、王に成り代わる計画は実行できない」

 勇者は何も言わず、続きを待った。

「だから魔王軍は、別の手段を選ぶかもしれない。軍勢で攻め込めば、城だけでは済まない。町にも被害が出る」

「それを止めてほしいと?」

「ああ」

 ベルタは頭を下げた。

 人間へ向けて、これほど深く頭を下げたのは初めてだった。

「この国と共に戦ってくれ」

 勇者たちは顔を見合わせた。

「あなたの正体も、目的も分からない」

 賢者らしい女が言った。

「私たちが信用するとでも?」

「信用しなくていい」

 ベルタは顔を上げなかった。

「ただ、攻め込まれたときは戦ってくれ。この町を守ってほしい」

「なぜです」

 勇者が尋ねた。

「なぜ、あなたがそこまでこの国を守ろうとするのです」

 答えは分かっていた。

 王子が好きだから。

 仲間たちが好きだから。

 城下町が好きだから。

 自分をベルタと呼ぶ者たちを失いたくないから。

 だが、それを口にする資格が自分にあるのか分からなかった。

「……一年、ここにいた」

 ベルタはそれだけ答えた。

「それで、壊したくなくなった」

 勇者たちは黙った。

 誰も剣を下ろしてはいない。

 だが、すぐに襲いかかることもなかった。

「その魔物は」

 勇者が慎重に尋ねる。

「まだ城の中にいるのですか」

 ベルタは答えなかった。

「あなたは――」

「ベルタ」

 背後から声がした。

 ベルタの身体が凍りついた。

 その声を聞き間違えるはずがなかった。

 振り返る。

 宿の入口に、王子が立っていた。

 外套を羽織っているが、その下は寝間着に近い簡素な服だった。急いで城を出てきたのか、髪も整っていない。

「なぜ……」

 ベルタの喉から掠れた声が出た。

「なぜ、ここにいる」

「今日の夜、君と大事な話をしようと思っていた」

 王子はゆっくりと宿の中へ入った。

「部屋へ行ったら、ちょうど君が外へ出ていくところだった。呼び止めようとしたが、ずいぶん思いつめた様子だったから……悪いとは思ったが、ついてきた」

 ベルタは後ずさった。

 背中が壁へ当たる。

 フードの奥で、血の気が引いていく。

 聞かれた。

 どこから聞いていた。

 へんげのつえという言葉を。

 魔物の計画を。

 一年この国にいたという話を。

 すべて聞かれたのか。

「殿下」

 勇者が王子へ声をかける。

「この人をご存じなのですか」

「知っている」

 王子はベルタから目を離さなかった。

「城で働いているメイドだ」

 ベルタは胸元で外套を握り締めた。

「帰ってください」

「ベルタ」

「帰れ!」

 宿中へ響くほど大きな声が出た。

 勇者たちが身構える。

 王子は立ち止まったが、逃げなかった。

「来るな」

 ベルタは震えながら言った。

「俺を見るな」

「フードを取ってくれ」

「嫌だ」

「ベルタ」

「その名で呼ぶな!」

 声が裏返った。

 王子の表情が痛みを帯びる。

 ベルタは、もう何も隠せないと分かっていた。

 それでも、王子の口から決定的な言葉を聞きたくなかった。

 お前は誰だ。

 騙していたのか。

 父上を殺すつもりだったのか。

 この国を滅ぼすために近づいたのか。

 そう問われれば、否定できない。

 王子が向けてくれた信頼も、笑顔も、手袋も、すべて自分が奪ったものだったと認めなければならない。

「最初から、俺は……」

 ベルタは息を吸った。

「最初から、王を殺して、この国を奪うために――」

「知っていた」

 王子が言った。

 ベルタの言葉が止まった。

 宿の中が静まり返る。

「……何を」

「君が普通の人間ではないことを」

 ベルタは王子を見つめた。

 フードの影から見える顔は、理解できないものを前にしたように固まっている。

「嘘だ」

「嘘ではない」

「いつからだ」

「最初からではない。だが、かなり前から疑っていた」

 王子は、困ったように少し笑った。

「異様なほど力が強い」

「人間の男程度だ」

「人間の女性としては十分異様だ」

 ベルタは何も言えなかった。

「動作はひどくガサツで、言葉遣いもたびたび変わる。人間の生活習慣を何も知らなかった。女性の身体についてさえ知らなかったそうだな」

「誰から聞いた」

「城の噂は、意外とよく届く」

「噂好きなやつらめ……」

「農家で育ったと言う割に、作物の育て方も分からない。故郷の場所を尋ねれば、話すたび少しずつ変わる。父親は病気で死んだと言った翌月には、野盗に襲われたことになっていた」

 ベルタは唇を噛んだ。

 その場を切り抜けるためだけに作った過去。

 自分でも覚えていないほど曖昧で、食い違いだらけの作り話。

「ならば」

 声が震えた。

「なぜ黙っていた」

 王子は答えなかった。

「なぜ、王へ報告しなかった!」

 ベルタはフードをつかみ、自分から脱ぎ捨てた。

 赤褐色の髪がこぼれる。

 宿の灯りに、青ざめた女の顔が晒された。

「俺が何者か分からなかったのだろう! 城へ何をしに来たのかも! 王族なら、国を守るなら、すぐ捕らえるべきだった!」

「ああ」

 王子は静かに答えた。

「そうするべきだった」

「なら、なぜだ!」

「君が好きだったからだ」

 ベルタは絶句した。

 勇者一行も、全員が言葉を失った。

 宿の奥から様子を窺っていた主人が、音を立てないよう扉の陰へ引っ込んだ。

 王子は自嘲するように笑った。

「国を守る王になりたいと言っておきながら、怪しい者を黙って城へ置いた。王子失格だな」

「何を、言っている」

「君が現れるのを待つのが楽しかった」

 王子は一歩、ベルタへ近づいた。

「仕事を褒めたとき、嬉しそうにするのを見るのが好きだった。私が話したことへ真剣に怒ったり、驚いたり、時には笑ったりする君が好きだった」

「俺は、お前を騙していた」

「知っている」

「父親を殺そうとした」

「それも今、聞いた」

「国を滅ぼすつもりだった!」

「だが、滅ぼさなかった」

「できなかっただけだ!」

「そして今、へんげのつえを勇者へ渡した」

 ベルタは歯を食いしばった。

「俺は魔物だぞ」

「君はベルタでもある」

「違う!」

「違わない」

 王子の声は強かった。

「一年間、城で働いたのは君だ。風車を作ったのも、仲間の誕生日に贈り物を選んだのも、パン屋の娘へ礼を言ったのも君だ」

「それは潜入のためで」

「最初は、そうだったのだろう」

「全部、嘘だった!」

「では、今ここで国を守ってくれと頼んだのも嘘なのか」

 ベルタは答えられなかった。

 王子はまた一歩近づいた。

 もう手を伸ばせば届く距離だった。

「ベルタ」

「来るな」

「怖いのか」

「黙れ」

「私は怖い」

 王子は言った。

「君が今夜いなくなるかもしれないと思った。二度と会えないかもしれないと思った」

「その方がよい」

「よくない」

「俺がいれば、国が危険になる」

「君がいなくても、魔王軍は来るかもしれない」

「ならば俺を殺せ! 魔物を捕らえたと示せば、侵攻を遅らせられるかもしれない!」

 王子の顔から、僅かな笑みが消えた。

「それはできない」

「国を守るのだろう!」

「君も守りたい」

「そんなことが許されると思うのか!」

「思わない」

 王子は苦しそうに息を吐いた。

「正しいとは思っていない。父上へ話せば叱責では済まないだろう。国民へ知られれば、王子としての資格を疑われる」

「なら――」

「それでも、君を見捨てることはできない」

 ベルタは王子を見つめた。

 この男は愚かだ。

 王族として、あまりにも愚かだった。

 怪しいと気づきながら黙っていた。

 敵かもしれない女を好きになった。

 国の安全より、個人的な感情を優先した。

 それを自分でも分かっている。

 分かっていながら、今もこちらへ手を伸ばしている。

「お前は……本当に、王子失格だ」

 ベルタの声が掠れた。

「ああ」

 王子は寂しそうに笑った。

「そうだな」

 その顔を見た瞬間、ベルタの中で何かが崩れた。

 一年間こらえてきたもの。

 自分は魔物だという意地。

 ベルタは偽物だという恐怖。

 好かれる資格などないという諦め。

 すべてが、一度に形を失った。

 ベルタは王子の胸元をつかんだ。

 勇者たちが反射的に身構える。

 だが、ベルタは王子を殴らなかった。

 引き寄せた。

 額を胸へ押しつけ、そのまま両腕を背中へ回した。

 王子も、何も言わずベルタを抱き締めた。

 強くもなく、逃がすまいと拘束するようでもなく。

 ただ、そこにいることを確かめるような抱擁だった。

 ベルタの肩が震えた。

 涙が王子の服へ染み込んだ。

「俺は、お前を殺そうとした」

「うん」

「国を壊そうとした」

「うん」

「皆を騙した」

「うん」

「それでも、好きだと言うのか」

 王子の腕に力が入った。

「ああ」

 ベルタはそれ以上、何も言えなかった。

 王子も言わなかった。

 二人はただ抱き合った。

 宿の中には、ベルタの押し殺した嗚咽だけが響いていた。

 しばらくして、勇者の仲間である戦士が、気まずそうに小声で言った。

「……俺たち、外へ出た方がいいか?」

「つえを置いていくわけにはいかないでしょう」

 魔法使いが同じく小声で返す。

「しかし、これはどう見ても二人だけの場面では」

「我慢してください」

 賢者が真顔で言った。

「国の安全に関わる重要な証言の途中です」

「重要な証言は、今止まってないか?」

 勇者は剣を下ろしながら、深く息を吐いた。

「一応、聞いておくべきでしょうね」

 ベルタは王子の胸へ顔を埋めたまま、低く唸った。

「……忘れろ」

「無理です」

 勇者が答えた。

「全部聞きました」

「殺すぞ」

「今のあなたでは、たぶん私たち全員には勝てません」

「分かっている!」

 ベルタが顔を上げる。

 涙で目元を濡らしながら怒鳴る姿を見て、王子は思わず笑った。

「笑うな!」

「すまない。いつものベルタに戻った気がして」

「今すぐ離れろ!」

「嫌だ」

「お前は本当に――」

 ベルタは言い返そうとしたが、王子の腕がまだ背中へ回っていることに気づき、結局離れなかった。

 勇者一行は揃って視線の置き場に困っていた。

 床には、へんげのつえが置かれている。

 国を奪うために使われるはずだった道具。

 そのすぐそばで、王子と魔物は互いを抱き締めていた。

 勇者は額へ手を当てた。

「明日、陛下へ何と説明すればいいんでしょう」

「正直に話すしかないのでは」

「王子殿下が、国王暗殺を企てていた魔物の正体に感づきながら、好きだったので黙っていました、と?」

「事実です」

「言葉にすると、想像以上にひどいな」

 王子はベルタを抱いたまま答えた。

「私もそう思う」

「殿下は少し反省してください」

「十分している」

「その顔はしていません」

 王子の顔には、困難がすべて解決したわけでもないのに、安堵が浮かんでいた。

 ベルタはそれを見て、再び目を伏せた。

 明日になれば、王へすべてを話さなければならない。

 本当の姿を晒すことになる。

 許される保証などない。

 魔王軍が攻めてくる可能性も残っている。

 むしろ、戦いはこれから始まる。

 それでもベルタは、もう一人ではなかった。

 王子の胸元をつかむ手から、力を抜く。

「離れるな」

 ベルタは小さく言った。

「離れない」

 王子が答えた。

 勇者たちは、ますます気まずそうに黙り込んだ。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。