スペシャルウィークと駆けるウマ娘世界   作:yukey

4 / 4
第4話 メイクデビュー

 

「スペちゃん、朝よ」

 

「んん……あと五分だけ……」

 

「六時にトレーナーさんと会うのでしょう?」

 

「……トレーナー!」

 

 その一言を聞いた瞬間、布団の中でもぞもぞしていたスペが勢いよく跳ね起きた。寝ぼけ眼のまま枕元の時計へ手を伸ばし、表示された時刻を確認する。

 

 午前五時四十分。

 

「た、大変! 寝過ごしちゃった!」

 

「待ち合わせまで、まだ二十分あるわ」

 

「あっ……そっか」

 

 今にも部屋から飛び出しそうだったスペが、ようやく状況を理解して胸を撫で下ろす。その様子をベッド脇から見ていたスズカは、少しだけ楽しそうに笑った。

 

「スペちゃんは、本当にトレーナーさんのことが好きなのね」

 

「うん! 大好きだよ!」

 

「迷いなく答えるのね」

 

「だって、お兄ちゃんは私の一番大切な人だから」

 

 そこまで言ってから、制服へ着替えようとしていたスペの手が止まった。

 

 数秒遅れて自分の発言を理解したらしい。

 

「……スズカさん」

 

「なに?」

 

「今のこと、お兄ちゃんには言わないでね?」

 

「どうして?」

 

「自分で言うのは、ちょっと恥ずかしいから……」

 

 さっきまで元気よく立っていた耳が伏せられ、頬も分かりやすく赤くなる。スズカはそんなスペをしばらく見つめたあと、穏やかに微笑んだ。

 

「分かったわ。いつか、スペちゃん自身の口から伝えられるといいわね」

 

「う、うん。日本一になった時にちゃんと言うから!」

 

「日本一になった時?」

 

「昔からの約束があるの!」

 

 詳しい説明まで始めれば朝食の時間がなくなると思ったのか、スペはそこで会話を切り上げ、慌てて身支度を整え始めた。

 

「スズカさん、先に食堂行ってくるね!」

 

「走らないようにね」

 

「はーい!」

 

 返事だけは良かったが、廊下へ出た直後から足音が速くなっている。

 

 スズカは閉じた扉を見つめ、もう一度だけ小さく笑った。

 

     ◇

 

 午前六時。

 

 俺がトレーニングコースへ向かうと、少し離れた場所からスペが大きく手を振っていた。

 

「トレーナー、おはよう!」

 

「おはよう、スペ。よく眠れた?」

 

「うん! スズカさんと一緒だったから、思ってたより寂しくなかったよ」

 

「それならよかった」

 

「でも、電話を切ったあとは少しだけ寂しかった」

 

「少しだけ?」

 

「……本当は、もうちょっと」

 

 スペは少し照れながら俺の服の袖をつかんだ。まだ早朝で周囲にほとんど人がいないこともあり、昨日までより素直に甘えているらしい。

 

 俺はそんなスペの頭を軽く撫でた。

 

「今日も一日、一緒に頑張ろう」

 

「うん!」

 

 嬉しそうに頷いたスペと並び、朝の芝コースへ向かう。

 

 メイクデビューまで残り三週間。

 

 模擬レースでは勝つことができたものの、課題はかなり多かった。ゲートが開く音への反応、集団の中での位置取り、進路を選ぶ判断、そして自分から仕掛けるタイミング。

 

 スペには入学時点ですでに高い身体能力がある。

 

 しかし、それだけで勝ち続けられるほど競走の世界は単純ではない。むしろ今の段階なら、身体能力に頼れば勝ててしまうことが一番危険だった。

 

 だからこそ、デビュー前に最低限の競走技術は身につけておきたい。

 

「今日はゲート練習から始めよう」

 

「またあの中に入るんだね」

 

「怖い?」

 

「少しだけ。模擬レースの時、急に大きな音がしたから」

 

「怖いって感じるのは普通だよ。無理に平気なふりをしなくていい。その代わり、少しずつ慣れていこう」

 

「うん」

 

 練習用ゲートへ移動し、最初は前後の扉を開いた状態で中へ入ってもらう。

 

「どう?」

 

「左右に壁があるから、ちょっと狭いかも」

 

「じゃあ、まずその感覚に慣れよう。目を閉じて深呼吸してみて」

 

 ゲートの外から声をかけると、スペは素直に目を閉じた。

 

「今はレースのことを考えなくていいよ。北海道で一緒に走ってた時を思い出して」

 

「北海道?」

 

「朝の牧草地を走って、丘の上まで競争しただろ?」

 

「うん。お兄ちゃん、いつも途中からすごく苦しそうだった」

 

「ウマ娘と真面目に競争してたからね」

 

「それでも毎日一緒に走ってくれたよね」

 

「俺も楽しかったから」

 

 会話を続けているうちに、スペの肩から徐々に力が抜けていった。忙しなく動いていた耳も落ち着き、ゲートの狭さを意識しすぎる様子もなくなる。

 

「大丈夫そう?」

 

「うん。トレーナーの声を聞いてると、怖くなくなる」

 

「じゃあ次は扉を閉めてみよう」

 

「分かった!」

 

 一度ゲートを閉じ、数秒待ってから開く。

 

 一回目は音に反応して上体が起き、一歩目が遅れた。

 

 二回目は早く出ようと意識しすぎて、肩へ余計な力が入った。

 

 そこで一度休憩を挟み、三回目。

 

「開く瞬間を当てようとしなくていいよ。呼吸を整えて、自分が動ける状態だけ作って待つ」

 

「開いたら?」

 

「音を聞いたら前へ出る。それだけ」

 

「うん」

 

 スペは深呼吸し、前を見た。

 

 ゲートが開く。

 

 今度は上体を起こすことなく、自然な一歩目から滑らかに加速した。

 

「今のは?」

 

「良かったよ。さっきよりずっと自然だった」

 

「もう一回!」

 

「焦らなくて大丈夫だよ」

 

「でも、上手くできた感覚を忘れたくないの」

 

 スペのやる気は十分すぎるほどある。

 

 ただし、同じ練習は多くやればいいものではない。集中力が落ちた状態で続ければ、せっかく身につきかけている正しい動きを崩す可能性もある。

 

「あと二回だけにしよう」

 

「五回は?」

 

「二回」

 

「じゃあ三回!」

 

「交渉しても二回だよ」

 

「むぅ……」

 

「終わったら一緒に朝ご飯を食べよう」

 

「二回で!」

 

「切り替えが早いなぁ」

 

 最後の二回。

 

 スペはどちらも落ち着いてゲートを飛び出した。

 

 すると、俺の視界に新しい表示が浮かぶ。

 

【スキルを習得しました】

 

【集中力】

 

【スタート時の出遅れを抑制します】

 

「スペ、今の感覚を覚えておいて」

 

「呼吸を整えて、ゲートが開く瞬間だけに集中するんだよね」

 

「そう。レースでも今と同じことができれば、模擬レースみたいな出遅れは減らせるはずだよ」

 

「これで一着に近づいた?」

 

「また一歩近づいたね」

 

「一歩ずつでも、ちゃんと日本一に近づいてるんだね」

 

「ああ。急ぐ必要はないよ」

 

 俺が持つ力を使えば、スペに習得可能な技術を次々と教えることもできる。

 

 けれど、それでは意味がない。

 

 ゲートで失敗したから《集中力》が必要だと理解した。

 

 最後の直線で追い抜く経験をしたから《末脚》を自分のものにできた。

 

 経験して、考えて、必要性を理解してから身につける。

 

 その積み重ねが、やがてスペ自身の走りになる。

 

     ◇

 

 三週間は、あっという間に過ぎた。

 

 メイクデビュー当日。

 

 競バ場の更衣室で、スペは白い体操着と短パンへ着替え、胸元に五番のゼッケンを取りつけていた。

 

 GⅠ以外では勝負服を着用しないため、今日の出走者も全員が同じ体操着姿だ。それでも模擬レースとは違い、今回は正式な競走として戦績へ記録される。

 

「ついに、本当のレースなんだね」

 

「緊張してる?」

 

「少し。でも、模擬レースの時よりは落ち着いてるよ」

 

 そう答えながらも、耳は周囲から聞こえる実況や観客の声へ忙しなく反応している。

 

 初めて訪れた本物の競バ場。

 

 大勢の観客。

 

 正式な出走者として与えられたゼッケン。

 

 緊張しないほうがおかしい。

 

 俺はスペの前へしゃがみ、靴や脚の状態を一つずつ確認する。

 

【スペシャルウィーク】

 

体調:絶好調

疲労:なし

故障:なし

 

スピード:B

スタミナ:B

パワー:B

根性:B

賢さ:B

 

芝適性:A

中距離適性:A

長距離適性:A

差し適性:A

先行適性:A

 

【保有スキル】

 

・末脚

・集中力

 

【メイクデビュー適応状態:良好】

 

「身体は問題なし。いつもどおり走れるよ」

 

「トレーナーがそう言ってくれると安心する」

 

「じゃあ、作戦を確認しようか」

 

「うん。スタートで慌てない。前に三人くらい置いて、その後ろを走る」

 

「今日は外側を意識しよう。模擬レースみたいに内で完全に囲まれるのを避けるために、多少距離を走っても進路を残す」

 

「最終コーナーの前には、外へ出られる場所を探す」

 

「そう。直線へ向いたら、周りより自分の走りに集中すること」

 

 スペは何度も頷きながら確認していく。

 

「ブライトフェザーって子が一番人気なんだよね?」

 

「先行から抜け出すのが上手いらしい。選抜試験でも良い時計を出してるし、模擬形式の走行経験も多い」

 

「強い?」

 

「うん。今のスペにとっては、良い相手だと思う」

 

 俺がそう答えると、スペの表情から少し緊張が消えた。

 

 代わりに競争を楽しみにしている時の顔になる。

 

「負けないよ」

 

「ああ」

 

「私、お兄ちゃんと日本一になるんだから。ここで止まってられないもん」

 

「だからこそ、今までやってきたことを全部出しておいで」

 

 俺は立ち上がり、スペの両手を握る。

 

「俺はゴールの近くで待ってる。結果を怖がらず、スペの今の走りをしてくればいい」

 

「うん!」

 

 スペは力強く返事をしたあと、一度だけ俺へ抱きついてきた。

 

「行ってくるね、トレーナー!」

 

「行ってらっしゃい、スペ」

 

     ◇

 

『各ウマ娘、ゲートへお入りください』

 

 十一人の新人ウマ娘が、順番にそれぞれのゲートへ収まっていく。

 

 スペは五番。

 

 事前評価一番人気のブライトフェザーは八番へ入った。

 

 観客席の一角には、今日のレースを見に来たスズカとクラスメイトたちの姿もある。

 

「スペちゃん、頑張って」

 

 スズカが静かに声援を送る。

 

「一流を目指すなら、メイクデビュー程度で躓いている場合ではありませんわ!」

 

「キングちゃん、それ応援なのかプレッシャーをかけてるのか分からないデース!」

 

「もちろん応援ですわ!」

 

「スペちゃんでしたら、きっと大丈夫ですよ」

 

 グラスは穏やかに微笑んでいる。

 

 セイウンスカイは芝コースを眺めながら、いつもの気の抜けた笑みを浮かべた。

 

「さてさて。オールBの期待馬が、本番ではどんな走りをするのかな」

 

 ゲート内のスペと目が合う。

 

 俺は胸の前へ手を置き、ゆっくり呼吸するよう合図した。

 

 スペが一度頷く。

 

 すべてのゲートが閉じた。

 

 そして。

 

『スタートしました!』

 

 十一人が一斉に芝へ飛び出す。

 

【集中力】

 

 スペはゲートが開く音へ驚くことなく、自然な一歩目から滑らかに加速した。模擬レースの時に見られた上体の浮きもなく、周囲を気にしすぎて動きを乱すこともない。

 

「上手く出た」

 

 最初に前へ出たのは一番枠のウマ娘。

 

 そのすぐ後ろへブライトフェザーがつけ、スペは四番手を確保した。

 

 レース序盤のペースは極端には速くない。先頭も無理に飛ばさず、ブライトフェザーも二番手で落ち着いて走っている。

 

 スペは外から二頭目の位置を取り、周囲に余裕を残したまま四番手を維持していた。

 

 横から聞こえる足音にも。

 

 前から飛んでくる芝にも。

 

 もう必要以上には反応しない。

 

 たった一度の模擬レースでも、経験したことはきちんと身体に残っている。

 

「前回よりずっと余裕がありますね」

 

 近くにいた担当教官が呟く。

 

「一度経験してますからね」

 

 スペ自身が失敗から学んだ結果だ。

 

     ◇

 

 千メートルを通過。

 

 隊列には大きな変化がない。

 

 スペは四番手。

 

 呼吸も安定している。

 

 その一方で、前方を走っていたブライトフェザーが少しずつ先頭との差を詰め始めた。

 

 第三コーナー。

 

 半バ身。

 

 さらに前へ。

 

 最終コーナーへ入る直前には、ほとんど先頭へ並びかけている。

 

「やっぱり上手い」

 

 早すぎない。

 

 かといって、周囲が動き始めてから慌てて仕掛けるわけでもない。

 

 他のウマ娘より先に自分の進路を確保し、直線で前を塞がれない位置を取っている。

 

 今のスペにはない、実戦経験から生まれた上手さだった。

 

 スペはまだ四番手。

 

 前には三人。

 

 外側にも一人。

 

 このままコーナーへ入れば、模擬レースと同じように動く場所を失う可能性がある。

 

 その瞬間、スペが僅かに速度を上げた。

 

「気づいた」

 

 外側にいた一人が完全に並ぶ前に、そのウマ娘の前へ出る。

 

 まだ最適な動きではない。

 

 けれど、前回のように空間が空くのを待つのではなく、今回は自分から直線へ向けた進路を作った。

 

 それで十分だ。

 

 最終コーナーを抜ける。

 

『ブライトフェザーが先頭へ!』

 

 経験豊富な一番人気が、予定どおりの形で直線へ入った。

 

 後続との差は四バ身ほど。

 

 スペは三番手。

 

 前に一人残っている。

 

「スペ、ここからだよ」

 

 残り三百メートル。

 

 スペは前の一人を外から抜き、二番手へ上がった。

 

 それでも先頭のブライトフェザーまでは、およそ五バ身。

 

『五番スペシャルウィークが二番手へ上がった! しかしブライトフェザーとの差はまだ大きい!』

 

 ブライトフェザーも止まってはいない。

 

 先行から抜け出し、十分な脚を残したままゴールへ向かっている。

 

 普通なら、ここから追いつくのは簡単ではない。

 

 それでもスペには、まだ余力が残っていた。

 

【スペシャルウィーク】

 

残り体力:十分

筋肉疲労:小

呼吸:安定

 

【終盤出力余力:大】

 

 スペがゴールの方向へ顔を上げる。

 

 その視線の先に。

 

 俺がいる。

 

「おいで、スペ」

 

 聞こえなくても構わない。

 

 スペは一度深く息を吸い、腕の振りを変えた。

 

 肩の力を抜く。

 

 脚だけで地面を蹴ろうとせず。

 

 身体全体を前へ運ぶ。

 

 模擬レースのあと、自分のものにした最初のスキル。

 

【末脚】

 

 発動した瞬間、スペの走りが一段変わった。

 

『スペシャルウィークが伸びる! 外から一気に差を詰めてくる!』

 

 残り二百メートル。

 

 五バ身あった差が、三バ身まで縮まった。

 

「……来る!」

 

 ブライトフェザーも後ろから迫る足音へ気づき、さらに速度を上げる。

 

 それでも。

 

 スペの勢いは止まらない。

 

 二バ身。

 

 一バ身。

 

 残り百メートルで、ついにブライトフェザーの外へ並んだ。

 

「そんな……!」

 

「はあああああっ!」

 

 二人が並んだのは、ほんの僅かな時間だった。

 

 最後まで基礎体力を残していたスペが半歩前へ出ると、その差は一バ身、さらに二バ身へ広がっていく。

 

 ブライトフェザーも最後まで追った。

 

 それでも。

 

 差は縮まらない。

 

 スペシャルウィークが、そのまま先頭でゴール板を駆け抜けた。

 

『一着、五番スペシャルウィーク!』

 

『初めての公式戦を見事な末脚で制しました!』

 

『二着ブライトフェザーとの差は三バ身!』

 

 メイクデビュー。

 

 スペシャルウィーク。

 

 初戦。

 

 一着。

 

     ◇

 

「トレーナー!」

 

 ウイニングランを終えたスペが、こちらを見つけた瞬間に嬉しそうな笑顔を浮かべた。

 

「スペ、ゆっくりでいいよ!」

 

 そう言ったものの、聞く気はないらしい。

 

 勢いをある程度落としたところで、そのまま俺へ飛び込んでくる。

 

 俺は両腕でしっかり受け止めた。

 

「勝ったよ!」

 

「うん。おめでとう、スペ」

 

「メイクデビュー、一着だった!」

 

「最後まで本当に良い走りだったよ」

 

 嬉しそうに抱きつくスペの背中を撫でながら、同時に身体の状態を確認する。

 

【スペシャルウィーク】

 

メイクデビュー:一着

着差:三バ身

 

体調:好調

疲労:小

故障:なし

 

【公式戦初勝利】

 

【集中力:実戦使用成功】

 

【末脚:実戦使用成功】

 

 脚にも関節にも異常はない。

 

 純粋なレース後の疲労だけだった。

 

「スタート、上手にできてた?」

 

「模擬レースの時とは別人みたいだったよ。《集中力》もちゃんと使えてた」

 

「やった!」

 

「最後のコーナーでも、囲まれる前に外の位置を取ったね」

 

「模擬レースで前に出られなくなったの思い出したの。だから、今度は先に行こうって」

 

「それが大事なんだよ。俺が言ったからじゃなくて、スペ自身が前の経験を思い出して判断できた」

 

「私、自分でできた?」

 

「ああ」

 

 そう答えると、スペは嬉しそうに俺へ抱きつく力を強めた。

 

「ねえ、トレーナー」

 

「どうしたの?」

 

「私、日本一に近づいた?」

 

「ああ。今日は正式な一勝だから、大きな一歩だね」

 

「大きな一歩!」

 

 その言葉が相当嬉しかったらしい。

 

「じゃあ、いっぱい褒めて!」

 

「もちろん。スペは本当によく頑張ったよ」

 

 頭を撫でる。

 

「もっと!」

 

「スタートも落ち着いていたし、位置取りも模擬レースよりずっと良かった」

 

「もっと!」

 

「最後に五バ身あった差を追いついて、そのまま三バ身まで広げたのは本当にすごかったよ」

 

「もっと!」

 

「まだいる?」

 

「今日は一着だから!」

 

「じゃあ最後に一つ。最後まで諦めずに自分の走りをしたスペは、すごく格好良かったよ」

 

「えへへ……」

 

 ようやく満足したのか、スペの尻尾が大きく左右へ揺れた。

 

     ◇

 

「おめでとう、スペちゃん」

 

 少しして、観客席から降りてきたスズカたちも合流した。

 

「スズカさん!」

 

「最後の直線、とても素敵だったわ」

 

「ありがとう!」

 

「まあ、メイクデビューとしては悪くありませんでしたわね」

 

 キングが腕を組みながら歩いてくる。

 

「キングちゃんも応援してくれた?」

 

「と、当然ですわ! 同じクラスなのですから、それくらいはします!」

 

「ありがとう、キングちゃん!」

 

「ちょ、ちょっと! 急に抱きつかないでくださる!?」

 

 スペに勢いよく抱きつかれ、キングが慌てる。

 

 その横ではエルが大きく笑っていた。

 

「スペ! 見事な勝利デース!」

 

「ありがとう、エルちゃん!」

 

「ですが、世界最強への道はまだまだ遠いデスよ!」

 

「うん。私ももっと強くなる!」

 

「その意気デース! いつかエルとも本気で勝負するデース!」

 

「楽しみにしてる!」

 

 グラスも二人のやり取りを見ながら微笑んだ。

 

「本当に良い走りでしたよ、スペちゃん。最後まで余裕を残せていたのも立派でした」

 

「ありがとう、グラスちゃん!」

 

「初戦から三バ身ねぇ」

 

 セイウンスカイはいつものように気の抜けた笑顔で、スペを眺めている。

 

「セイちゃんとも、いつか一緒に走れるかな?」

 

「どうだろうねぇ。でも、その時が来たらよろしく」

 

「うん!」

 

 口調は軽い。

 

 それでも。

 

 スカイの目は、先ほどのレースを思い返すようにスペを見ていた。

 

 キングも。

 

 グラスも。

 

 エルも。

 

 今は同じクラスの友達だ。

 

 けれど、いずれ。

 

 全員が。

 

 同じゴールを目指すライバルになる。

 

 スペも、それが嬉しいのだろう。

 

「みんなと走れるの、楽しみだなぁ」

 

「まだメイクデビューを一戦したばかりですわよ!」

 

「でも、いつか走るでしょう?」

 

「それは……まあ、そうでしょうけれど」

 

「じゃあ楽しみ!」

 

「本当に前向きですわね……」

 

 キングが呆れたように言うと、グラスとエルが笑った。

 

     ◇

 

「日高トレーナー」

 

 そんなやり取りをしていると、レース担当者から声をかけられた。

 

「スペシャルウィークの今後について、少し相談があります」

 

「はい」

 

 差し出された資料には、次に行われる芝二千メートルの一勝クラスが記載されていた。

 

「今日の内容なら、次は一勝クラスへ進んでも問題ないでしょう」

 

「二千メートル……」

 

 スペも俺の横から資料を覗き込む。

 

 千八百メートルから二百メートル延びる。

 

 今のスタミナなら距離そのものに不安はない。

 

 むしろ中距離でのレース経験を積む意味でも、悪くない選択肢だ。

 

「まずは一勝クラスを経験して、そこから先を考えたいと思います」

 

「分かりました」

 

 担当者が離れていく。

 

「次も走れるんだね」

 

「ああ。ただし、まず今日は休むこと」

 

「分かってるよ!」

 

「本当に?」

 

「……少しだけなら練習しても」

 

「今日は休み」

 

「はーい」

 

 模擬レースの時よりは、少し素直になった気がする。

 

「次も一着を取れるかな?」

 

「取れるように準備するんだよ」

 

「うん!」

 

 スペは資料をもう一度見てから、両拳を握った。

 

「次も勝つ。それで、もっともっと強くなる!」

 

 俺はそんなスペを見ながら、今日のレース内容を頭の中で整理していた。

 

 ゲート。

 

 改善。

 

 集団走行。

 

 改善。

 

 進路選択。

 

 まだ粗さはあるが、自分で考えて動けるようになった。

 

 そして。

 

 終盤の《末脚》。

 

 最大の長所は、やはり最後まで高い出力を残せる基礎能力だ。

 

 この強みを伸ばす。

 

 でも。

 

 それだけでは足りない。

 

 日本一を目指すなら。

 

 もっと多くの技術を身につける必要がある。

 

     ◇

 

 その日の夜。

 

 レース後の施術と食事を終え、寮へ戻ったスペから一本の電話がかかってきた。

 

『お兄ちゃん!』

 

「どうしたの?」

 

『今日のレース、もう一回褒めて!』

 

「昼にいっぱい褒めたでしょう?」

 

『電話でも聞きたい!』

 

「そこまで?」

 

『だって初勝利だもん!』

 

 どうやら一日中嬉しかったらしい。

 

「じゃあ、改めて。メイクデビュー一着、おめでとう」

 

『えへへ……ありがとう!』

 

「スタートも上手だったし、前回の失敗から自分で考えて走れたのも良かったよ」

 

『うん!』

 

「それと、三バ身差で勝ったからって油断しないこと」

 

『そこも言うの?』

 

「大事だからね」

 

『はーい』

 

 少し不満そうな声になったあと、すぐ元へ戻る。

 

『でもね、今日走って思ったの』

 

「何を?」

 

『もっとレースしたい』

 

 その声は。

 

 純粋に。

 

 楽しそうだった。

 

『前の子を追いかけて、追いついて、抜いた時、すっごく楽しかった。観客のみんなが応援してくれたのも嬉しかったし、最後にお兄ちゃんが待っててくれたのも嬉しかった』

 

「そっか」

 

『私、やっぱり日本一になりたい』

 

 それは。

 

 ずっと前から聞いてきた夢。

 

 でも。

 

 今日。

 

 初めて公式戦を走ったことで。

 

 少しだけ。

 

 その意味が変わったのかもしれない。

 

「なれるよ」

 

『本当?』

 

「そのために俺がいる」

 

『うん!』

 

「一緒に一つずつ勝っていこう」

 

『約束だよ』

 

「ああ。約束」

 

 電話の向こうで、嬉しそうな声が聞こえる。

 

 メイクデビュー。

 

 一着。

 

 スペシャルウィークの公式記録に、初めて一つの勝利が刻まれた。

 

 日本一への道は、まだ始まったばかりだ。

 

 それでも。

 

 確かに。

 

 俺たちは。

 

 その最初の一歩を踏み出した。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

競馬ミリしらウマ娘ファンがウマ娘化されていないモブ(?)ウマ娘に転生したので、頑張って百合ハーレムを作ろうとする話(作者:雅媛)(原作:ウマ娘プリティーダービー)

 ウマ娘に転生したから百合ハーレムを築きたい競馬ミリしら民のお話。▼ なお、名前はディープインパクトという。


総合評価:2344/評価:7.84/連載:20話/更新日時:2026年04月04日(土) 11:39 小説情報

【未完】そのトレーナー、パチンカスにつき(作者:ぽこちー)(原作:ウマ娘プリティーダービー)

▼【更新停止中】▼その男は、ウマ娘の全てを見通す“神の目”を持っていた。▼脚質、能力、適性、トレーニングの成否に至るまで、あらゆる情報を数値として読み取ることができる。▼人々は彼を、“神の目を持つ神童”と呼んだ。▼やがて男はトレセン学園のトレーナーとなり、その力で数多のウマ娘を勝利へ導いていく。▼そして、男は新たな才能を開花させた。▼その才能を目にした人々は…


総合評価:2565/評価:7.42/未完:29話/更新日時:2026年05月09日(土) 22:30 小説情報

5連続出走だ! ダービー!!(作者:首領ドラコ)(原作:ウマ娘プリティーダービー)

転生トレーナーがサイレンススズカを5連続出走させる話。2022年のウマ娘に囚われているトレーナー達へ捧ぐ。


総合評価:18700/評価:8.23/完結:29話/更新日時:2026年06月30日(火) 22:00 小説情報

六眼と無下限持って生まれたけど何か世界観が違う(作者:杏鷲)(原作:僕のヒーローアカデミア)

呪力もなければ呪霊もいない世界で生まれた転生者が、高額納税者ランキングに名前を刻むためにヒーローを目指す話。▼───なお、その肉体は常に魔王に狙われているものとする。


総合評価:15576/評価:8.34/連載:16話/更新日時:2026年08月10日(月) 07:00 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>