ホープフルステークス当日の朝。
俺――日高悠真は、競バ場の関係者用調理室を借りてスペの朝食を仕上げていた。
白米に、鶏肉と根菜を柔らかく煮込んだスープ。少し甘めの卵焼きと温野菜を添え、デザートには消化のいい果物を少量用意する。
初めてのGⅠだからといって、特別な料理を食べさせるつもりはない。大事なレースの日ほど、身体が慣れている食材を普段どおりの量で食べるほうが、コンディションは安定する。
「おはよう、トレーナー!」
食堂へ入ってきたスペは、テーブルに並んだ料理を見るなり目を輝かせた。
「すごくいい匂い!」
「おはよう、スペ。よく眠れた?」
「うん! 昨日はちょっと緊張してなかなか寝られなかったけど、スズカさんが話を聞いてくれたから大丈夫だったよ」
一緒に入ってきたスズカが、穏やかな笑みを浮かべる。
「スペちゃん、昨日はずっと勝負服の話をしていたの」
「だ、だって初めてなんだよ! 届いた時からずっと着るの楽しみにしてたんだから!」
「そうね。何度も衣装ケースを開けようとしていたもの」
「本番まで我慢したほうが楽しみが増えるかなって思って……」
どうやら相当楽しみにしていたらしい。
「まずは朝ご飯を食べようか」
「うん! いただきます!」
スペは元気よく手を合わせ、すぐに卵焼きへ箸を伸ばした。
「美味しい!」
「慌てなくても料理は逃げないよ」
「分かってるんだけど、美味しいと早く次を食べたくなるの」
「今日はレース前なんだから、いつも以上によく噛んでね」
「はーい」
以前《太り気味》になってから、スペの食事内容は俺が管理している。無理に量を減らしたわけではなく、運動量に必要な栄養を確保したうえで、脂質や余計な糖分を抑え、食べる時間も含めて整えた。
その甲斐もあり、現在の体重は理想的な範囲で安定している。
朝食を綺麗に完食したスペが、名残惜しそうに空になった皿を見つめた。
「……おかわりは?」
「今日はなし」
「やっぱり?」
「その代わり、レースが終わったら人参ハンバーグを作るよ」
「大盛り?」
「普通盛り」
「勝ったら?」
「普通盛り」
「GⅠだよ?」
「GⅠでも普通盛り」
「むぅ……」
スペが不満そうに頬を膨らませる。
「その代わり、勝っても負けてもデザートは少し豪華にしてあげる」
「本当!?」
「うん。今日まで頑張ったご褒美だからね」
「じゃあ我慢する!」
現金なものだ。
そんなスペの頭を軽く撫でながら、システムで最終状態を確認する。
【スペシャルウィーク】
体調:絶好調
疲労:なし
故障:なし
体重:理想範囲
【バッドコンディション:なし】
スピード:B
スタミナ:B
パワー:B
根性:B
賢さ:B
芝適性:A
中距離適性:A
長距離適性:A
先行適性:A
差し適性:A
【保有スキル】
《集中力》
《末脚》
《栄養補給》
《中距離コーナー○》
《差し切り体勢》
調整は問題ない。
ジュニア期の今は、より高度なスキルを急いで覚えさせるのではなく、レースの基本となる下位スキルを一つずつ身につけてもらっている。
《集中力》でゲートへ対応し、《中距離コーナー○》でコーナリングの無駄を減らす。中盤では《栄養補給》で持久力を温存し、終盤に《差し切り体勢》から《末脚》へ繋げる。
まだ数は少ない。
それでも、今のスペには十分だ。
なお《栄養補給》は先行向きの技術だが、この世界のスキルは選択した作戦だけで完全に使用不能になるわけではない。対応する作戦適性がB以上あれば、その走り方を理解しているため、別の作戦でも身体操作の一部を応用できる。
スペは先行も差しもA。
今日の作戦は差しだが、《栄養補給》も問題なく使える。
「トレーナー?」
「どうしたの?」
「さっきから難しい顔してるよ?」
「最後の状態確認をしてただけ。体調は完璧だよ」
「本当?」
「ああ。今日までで一番いい状態に仕上がってる」
「じゃあ絶対勝てるね!」
「レースに絶対はないよ」
「うぅ……」
期待に満ちていた耳が少しだけ下がった。
俺はスペの両手を取る。
「でも、勝つためにできる準備は全部してきた」
「全部?」
「うん。だから、結果を怖がる必要はない。自信を持って今のスペの走りをしてくればいい」
「……うん!」
スペも俺の手を握り返した。
「私、勝ってくる!」
◇
レース開始の二時間前。
俺はウマ娘用控室の前で、スペが勝負服へ着替え終わるのを待っていた。
ホープフルステークスは、スペにとって初めてのGⅠ。
これまでメイクデビューも芙蓉ステークスも、体操着とゼッケンで走ってきた。今日初めて、GⅠへ挑む競走ウマ娘だけが身につける自分専用の勝負服でレースへ出る。
しばらくすると、控室の扉がほんの少しだけ開いた。
「トレーナー……」
隙間からスペが顔だけを覗かせる。
「着替え終わった?」
「うん。でも……なんか急に恥ずかしくなってきた」
「無理に急がなくてもいいよ」
「最初にトレーナーに見てほしいって言ったから……ちゃんと見る?」
「もちろん」
スペは一度深呼吸すると、ゆっくり扉を開いた。
紫と白を基調とした勝負服。
胸元には大きなリボンが飾られ、白を中心としたスカートが身体の動きに合わせて柔らかく揺れる。普段の体操着とも制服ともまったく違い、今日からGⅠの舞台へ立つ一人の競走ウマ娘としての姿がそこにあった。
スペは両手を背中へ回しながら、落ち着かない様子で尻尾を動かしている。
「どう……かな?」
「すごく似合ってるよ」
「本当?」
「ああ。格好いいし、可愛い」
「可愛い……」
頬が一気に赤くなる。
「もう一回言ってほしいな」
「すごく可愛いよ、スペ」
「えへへ……」
恥ずかしそうに笑いながらも、嬉しいのは隠しきれないらしい。
「ねえ、トレーナー」
「どうしたの?」
「日本一になった時も、可愛いって言ってくれる?」
「もちろん」
「それじゃあ……お嫁さんになった時も?」
一瞬だけ言葉に詰まった。
幼い頃に交わした約束。
スペが日本一になった時、もう一度気持ちを聞かせてもらうことになっている。
あの頃の思いつきではなく、今でも本人が本気で覚えていることは、ここ数日のやり取りでも十分分かっていた。
「その時は、きっと今よりもっと可愛いと思うよ」
「……絶対勝つ」
「急に気合いが入ったね」
「早く日本一になりたくなったから!」
「今日一回勝ったら日本一ってわけじゃないよ?」
「分かってるよ! でも一歩は近づくでしょう?」
「それはそうだね」
スペは少し照れたまま俺へ近づいた。
「レースに行く前に、ちょっとだけいい?」
「ああ」
そのまま胸へ抱きついてくる。
せっかくの勝負服を乱さないよう注意しながら、俺も背中へそっと腕を回した。
「緊張してる?」
「少しだけ。でも、トレーナーにこうしてもらうと落ち着く」
「なら、落ち着くまでこのままでもいいよ」
「ううん。もう大丈夫」
しばらくして身体を離したスペは、先ほどまでの恥ずかしそうな顔ではなく、一人の競走ウマ娘としてまっすぐ俺を見上げた。
「行ってくるね、トレーナー」
「ああ。初めてのGⅠ、楽しんでおいで」
「うん!」
◇
GⅠ・ホープフルステークス。
芝二千メートル。
翌年のクラシック三冠を目指すジュニアウマ娘たちが集まる、年末の大舞台だ。
出走者は十六人。
その中で一番人気を集めているのは、すでに三戦三勝で重賞まで制しているクレセントロード。二戦二勝のスペも高く評価されているものの、重賞未経験ということもあり二番人気だった。
『各ウマ娘、ゲートへ向かいます!』
満員の観客席から、大きな歓声が降り注ぐ。
応援席にはスズカだけでなく、キング、エル、グラス、スカイといったクラスメイトたちの姿もあった。
「スペちゃん、頑張って」
スズカはいつもと変わらない穏やかな表情でコースを見つめている。
「初めてのGⅠだからといって、普段と違うことをする必要はありませんわ!」
「キング、スペちゃんより緊張しているように見えるデース!」
「わ、私は一流ですから、緊張などいたしません!」
「ですがキングちゃん、先ほどから尻尾が落ち着いていませんよ?」
「グラスさん!?」
指摘されたキングが慌てて尻尾を押さえる。
そんな三人から少し離れたところでは、スカイが芝コースを眺めながらいつもの気の抜けた笑みを浮かべていた。
「さてさて。オールBの期待馬が、GⅠでも同じように走れるのかな」
軽い口調とは裏腹に、その視線はしっかりスペを追っている。
ゲートへ向かう途中、スペと目が合った。
俺は胸の前へ手を置き、ゆっくり深呼吸するよう合図する。
スペも頷き、八番ゲートへ入った。
一番人気のクレセントロードは三番。
十六人すべてが収まり、係員が離れていく。
観客のざわめきが遠くなったように感じられる、一瞬の静寂。
『スタートしました!』
十六のゲートが一斉に開いた。
【集中力】
スペは音へ動揺することなく、自然な一歩目から滑らかに加速した。
先頭争いへ無理に加わることはせず、周囲の位置を確認しながら七番手へ収まる。クレセントロードは三番手につけ、先頭の二人を見ながら理想的な位置でレースを進めていた。
「いいスタートだ」
先頭のウマ娘がやや速めのペースで集団を引っ張っていく。
スペは七番手ながら前との差を広げすぎず、外寄りの位置を確保していた。内側より多少余分な距離を走るものの、完全に囲まれて進路を失う危険は少ない。
最初のコーナー。
【中距離コーナー○】
スペが重心を滑らかに内側へ移し、速度をほとんど落とさず曲がっていく。
模擬レースの頃には、他のウマ娘が横にいるだけで身体が硬くなっていた。それが今は、周囲との距離を意識しながら自分の走りを保てている。
わずか一か月ほど。
それでも実戦を重ねるごとに、確実に成長していた。
◇
千メートルを通過。
序盤からやや速い流れだった影響で、前方を走っている何人かには早くも小さな疲労が見え始めた。
スペにも当然消耗はある。
ただし、慌てるほどではない。
【栄養補給】
腹部を安定させ、長く息を吐く。
肩と腕から余分な力を抜くことで呼吸のリズムが整い、僅かに乱れかけていた足取りも再び滑らかになった。
今日の作戦は差しだが、先行適性もAであるスペは、先行時に使う身体操作を理解している。そのため《栄養補給》の技術だけを差しの走りへ応用できる。
『第三コーナーへ入ります! ここでクレセントロードが前との差を詰めてきた!』
一番人気が動いた。
三番手から二番手へ上がり、さらに先頭との距離を縮める。
その判断に迷いがない。
周囲が仕掛けてから対応するのではなく、他の出走者が動く前に自分の勝ちやすい位置を確保している。
「やっぱり上手い」
重賞を含めて三戦三勝。
それだけの経験が、レース運びにも現れていた。
クレセントロードの動きを見た他のウマ娘たちも、一斉に速度を上げ始める。
スペの前には五人。
さらに外側から二人が上がってくる。
ここで動かなければ外の進路を塞がれる可能性が高い。
スペの耳が動いた。
ほぼ同時に、身体が外へ向かう。
「そう、それでいい」
こちらの声が届いたわけではない。
スペ自身が判断した。
外から上がってくる一人に完全に並ばれる前に僅かに速度を上げ、その前へ入って自分が使う進路を確保する。
メイクデビューの時よりさらに早い判断だった。
◇
『最終コーナーを回って直線! 先頭はクレセントロード!』
一番人気が絶好の形で抜け出した。
二番手との差はすぐに三バ身まで開き、他のウマ娘たちも必死に追う。
スペは六番手。
先頭までは、およそ八バ身。
満員の観客席からクレセントロードへの大歓声が響く。
それでもスペに焦りはなかった。
前方の位置を確認し、自分の外側にゴールまで続く進路が残っていることを確かめる。
残り三百メートル。
【差し切り体勢】
腰の位置が僅かに下がり、終盤の加速へ向けて全身の動きが切り替わった。
今まで無理に使わなかった脚を、ここから一気に解放していく。
一人を抜く。
さらにもう一人。
残り二百五十メートルを過ぎる頃には三番手まで上がり、クレセントロードとの差も徐々に縮まり始めていた。
『スペシャルウィークが来た! 大外から一気に追い込んできます!』
残り二百メートル。
差は四バ身。
ここまでの相手なら、スペが追い上げ始めるとそのまま差が縮まった。
だが、クレセントロードは違う。
後方から迫るスペの気配に気づくと、そこからさらに速度を引き上げた。
「まだ伸びるのか」
一番人気は伊達ではない。
ジュニア期の段階ですでに自分の勝ち方を理解し、終盤へ使う脚まで残している。
今までスペが戦った相手の中で、間違いなく一番強い。
だからこそ、意味がある。
スペも、この一か月で成長してきた。
残り百五十メートル。
スペが一瞬だけゴール前へ視線を向ける。
そこに俺を見つけた。
「おいで、スペ!」
俺の声へ耳が向く。
【末脚】
腕の振りが大きくなり、身体全体が前へ押し出される。
《差し切り体勢》で加速の準備を整えたところへ《末脚》を重ねたことで、スペの速度がもう一段上がった。
『速い! スペシャルウィーク、さらに伸びる!』
四バ身あった差が、三バ身へ縮まる。
さらに二バ身。
クレセントロードも速度を保っているが、それ以上の勢いでスペが迫っていく。
残り百メートル。
一バ身。
「まだ来るの……!?」
クレセントロードが驚いたように外を見る。
その隣へスペが並んだ。
「負けない!」
二人の勝負服が並ぶ。
ここからは技術も位置取りも関係ない。
ゴールまで残った力を、誰が最後まで出し切れるか。
クレセントロードも歯を食いしばり、もう一度脚を伸ばした。重賞を勝ってきた意地を見せるように食らいつき、簡単にはスペを前へ行かせない。
スペも横を見る。
目の前にいるのは、初めて真正面から最後まで競り合ってくれる相手だった。
「私だって……!」
幼い頃から追い続けてきた夢を思い出す。
日本一になる。
その隣には、ずっと一緒に走ると約束した人がいる。
「トレーナーと、日本一になるんだから!」
残り五十メートルで、スペが半歩前へ出る。
クレセントロードも離れない。
二人とも最後まで速度を落とさないまま、ゴール板が迫る。
最後の数歩。
スペがさらに身体を前へ運んだ。
『スペシャルウィーク先頭! そのまま一着でゴール!!』
ゴールを越えた瞬間、競バ場を大歓声が包み込んだ。
『一着はスペシャルウィーク! 二着クレセントロードとの差は一バ身!』
『無敗の三連勝! 初めてのGⅠで見事に勝利を掴みました!』
スペシャルウィーク。
メイクデビュー。
芙蓉ステークス。
そしてホープフルステークス。
三戦三勝。
初めてのGⅠを制し、無敗のままジュニア期を締めくくった。
◇
レース後のウイニングライブを終えたスペは、俺の姿を見つけるなり満面の笑顔でこちらへ駆けてきた。
「トレーナー!」
「スペ、勝負服のまま走ったら転ぶよ」
「大丈夫!」
「そういう問題じゃないんだけどな」
止まるつもりがないことは分かったので、俺は両腕を広げて受け止める。
スペはそのまま勢いよく胸へ飛び込んできた。
「勝ったよ!」
「ああ。おめでとう、スペ」
「GⅠ、一着だった!」
「最後まで本当によく頑張ったね」
勝負服を乱さないように背中へ腕を回しながら、同時に身体の状態を確認する。
【スペシャルウィーク】
ホープフルステークス:一着
着差:一バ身
【ジュニア期】
メイクデビュー:一着
芙蓉ステークス:一着
ホープフルステークス:一着
【三戦三勝】
【GⅠ初制覇】
体調:好調
全身疲労:中
筋肉疲労:小
関節負担:小
故障:なし
【実戦使用】
《集中力》:成功
《中距離コーナー○》:成功
《栄養補給》:成功
《差し切り体勢》:成功
《末脚》:成功
【ジュニア期競走経験:大幅上昇】
レースだけでなくライブも終えた直後なので疲労はあるが、脚や関節に問題はない。施術と十分な休養を取れば、綺麗に回復できる範囲だった。
「最後までちゃんと見ててくれた?」
「もちろん。一度も目を離してないよ」
「私、格好良かった?」
「すごく格好良かった」
「可愛かった?」
「勝負服も含めて、すごく可愛かったよ」
「えへへ……」
スペは満足そうに俺の胸へ顔を埋めた。
「トレーナー」
「どうしたの?」
「ご褒美の人参ハンバーグ、楽しみにしてるね」
「普通盛りだよ」
「GⅠ勝ったのに?」
「デザートは豪華にするって約束したでしょう?」
「じゃあ我慢する!」
「本当に食べ物には素直だね」
顔を上げたスペが楽しそうに笑う。
「それと、もう一つお願いしていい?」
「何かな?」
「少しだけ、このままでいてほしい」
「ああ。いいよ」
周囲には関係者が大勢いる。
それでも、今日くらいはいいだろう。
スペは初めてのGⅠを勝った。
幼い頃から目指してきた日本一へ、本当に大きな一歩を踏み出したのだから。
「ねえ、トレーナー」
「うん?」
「私、もっと強くなるよ」
スペが俺の服を握りながら、少しだけ顔を上げる。
「皐月賞も、日本ダービーも、菊花賞も勝ちたい」
翌年待っている、クラシック三冠。
「それからジャパンカップも、有マ記念も。強い子がいっぱい出るレースで勝って、日本一になる!」
「ずいぶん大きな目標だね」
「日本一になるんだから、それくらい勝たないと!」
迷いのない瞳だった。
北海道で初めて夢を語った幼い頃と同じようで、それでも今は確かに一人のGⅠウマ娘として自信を持った目をしている。
「ああ。一緒に全部目指そう」
「うん!」
「ただし、今日はもう走らないこと」
「分かってるよ!」
「まず施術して、そのあとは人参ハンバーグ」
「やった!」
初GⅠを勝った直後だというのに、食事の話で同じくらい喜べるのもスペらしかった。
◇
ホープフルステークスから数日後。
冬休みを目前に控えた教室では、早くも翌年のクラシック戦線についての話題が飛び交っていた。
「スペシャルウィーク」
昼休み。
キングがスペの机の前へ立ち、腕を組んだ。
「ホープフルステークスの勝利、お見事でしたわ」
「ありがとう、キングちゃん!」
「ですが、あなたばかりに良い格好をさせるつもりはありません」
「え?」
キングが一枚の出走予定表を机へ置いた。
記載されているのはGⅡ・弥生賞。
クラシック三冠第一戦となる皐月賞と同じ中山芝二千メートルで行われる、重要な前哨戦だ。
「私も弥生賞へ出走しますわ」
「キングちゃんも?」
「当然です。一流を目指す私がクラシック戦線へ進む以上、避ける理由などありませんもの」
スペの顔がみるみる明るくなる。
「それじゃあ、初めて一緒に走れるんだね!」
「どうしてそんなに嬉しそうなんですの?」
「だって、ずっと走ってみたかったから!」
「私はあなたに勝つつもりで言っているのですけれど!?」
「私も負けるつもりないよ!」
「なら結構ですわ!」
二人が楽しそうに睨み合っていると、横から伸びてきた手が出走予定表の端を軽く押さえた。
「いやぁ、面白そうな話してるねぇ」
「セイちゃん?」
いつの間にか近くへ来ていたセイウンスカイが、予定表を覗き込みながら笑っている。
「実は私も、弥生賞に出る予定なんだよね」
「スカイさんまで!?」
キングの声が思わず大きくなる。
「ホープフルステークスを勝ったスペちゃんに、一流を目指すキング。それから、のんびり走りたい私」
「最後だけ絶対嘘ですわよね?」
「いやいや、私はいつでものんびりだよ?」
「セイちゃん、走ってる時は全然のんびりしてなさそうだけど」
「スペちゃんまでひどいなぁ」
スカイは口では軽く返しながらも、その目は普段とは違っていた。
「でもまあ、同じクラシックを目指すなら、一度くらい誰が一番速いか試してみるのも悪くないでしょう?」
その視線に宿っているのは、紛れもない勝負師の色。
スペもそれを感じ取ったのか、嬉しそうに笑う。
「うん! 私、二人にも絶対負けないよ!」
「その言葉、後悔させて差し上げますわ!」
「じゃあ、春を楽しみにしておこうかな」
ホープフルステークスを制し、ジュニア期を無敗で終えたスペシャルウィーク。
しかし、日本一への道はまだ始まったばかりだ。
春になれば、これまで同じ教室で笑い合ってきた仲間たちも、本気で一着を奪いに来る。
キングヘイロー。
セイウンスカイ。
そしてスペシャルウィーク。
黄金世代による最初の本格対決は、クラシック三冠へ続く弥生賞で幕を開けようとしていた。