【⚠ 注意書き ⚠】
こちらは『白鯨伝説』の二次創作です。
幻視・恍惚状態といった症状を扱います。
また、性的な目的ではありませんが野郎どもの裸体描写があります。
これを読んで『危ない』『無理』と思われた方はブラウザバックしてください。
♢
【設定のねつ造】
わずかにキャラクターの設定を盛っています。
【オリジナルキャラクターの登場】
物語を進行させる上で、オリジナルキャラクターが登場します。
ただし原作キャラクターに深く関係するかと言われれば、そうでもありません。物語のしかけの一部です。
以上、『大丈夫!』という方のみ次のページへお進みください。
1、
「左舷、異常あり」
もじゃもじゃの赤毛を掻きむしりつつ、アカデミアスが急に報告してきた。
後ろで椅子に背を預けていたエイハブは『ン?』と間の抜けた声で応じる。
「何か当たったか?」
「そんな記録はないから、単純に故障かもしれません」
操舵室のモニタに航海記録がズラリと並ぶ。惑星モアドまで順調に行けば後二週間程度。
だが旅というのは不確定要素ばかりで、予定は未定が常。
「デュウ、左舷の状態を映してくれないか」
アカに言われ、デュウが左舷内部のCADを表示する。
真っ赤になっている箇所に問題があるらしい。
「熱疲労の可能性がある」
「どこかで冷却してやって、場合によっては予備と交換を」
デュウとアカがああでもないこうでもないと言い合う中、エイハブが割り込む。
「で、どうする? どこか軌道上に乗せンのか?」
二人は顔を見合わせると、船の全体図をメインモニタへ映し出して説明してくれる。
「周囲のシステムにも影響が出ています。修理する際、スペースデブリから機体や修理班を守護するシールド出力も普段より弱い……」
「ってことは?」
「どこか手ごろな惑星に降りる必要がある」
エイハブは面白くなさそうに椅子の背もたれにもたれかかった。
寄り道か、と。
そんな船長を放っておいて、アカとデュウがしばらく周囲の星を探知していた。
豆粒のような点がクローズアップされ、とある星が高画質で映し出される。
「『エバーグリーン』……公式記録で住民はいない。ここにしよう」
見る限りでは、青い海に緑の大地と理想的な星。
「珍しいな。こういうところは金持ちが買い取ってリゾートにでもするのに」
「大事故がありました」
アカがさらりと言う。
エイハブがその軽さに驚いていると、デュウが記録を読み上げてくれた。
「連邦太陽暦4568年……当時稼働中の核発電所が爆発。周囲は汚染され、立入禁止区域に指定。
後に生態系にも異常が見られたため、連邦より住民の強制退去命令が出された」
「……大丈夫か? ワケありじゃねえか」
「連邦による調査隊が数回入り、現在は核汚染がほぼ浄化済と記録にあります」
だが買手も見つからず、へんぴな星なのでそのままになっているというワケだ。
「わかった。着陸用意してくれ」
廃墟と化している宇宙ポートへ座標を定めると、船首が目標へとゆるりと向けられた。
♢
古びたポートへ降り立つと、豊かな自然に出迎えられた。
緑の青臭い香りが鼻腔をくすぐる。
エイハブは杖をつき、義足を引きずりながら眩しい陽のもとへ出た。
玉のような汗が吹き出し、眼帯の下をすべり落ちる。
「船長。あのチカチカしてるの、ナンだろう?」
ラッキーがひとつに括った金髪を揺らして無邪気に問いかけてきた。
早くモアドへ帰りたいだろうに文句を垂れることもない。基本的に良い奴……いや、良い娘だった。
「信号機じゃないか?」
「あんなにたくさん?」
「昔は車がたくさん通ってたんだろうよ」
エイハブの適当な答えにラッキーは『フーン』と軽く相づちを打つだけだった。
エバーグリーンは、かつての文明とむきだしの自然が溶け合っている。
見渡す限りの森に、ところどころ民家の屋根が覗いていた。その合間に例のなぜか稼働したままの信号機がぽつぽつと設置され、不規則な明滅を繰り返している。
「アカぁ、修理までどれくらいかかる?」
「急げば半日!」
冷却ファンのついたジャケットを着込んだアカが、既に左舷まで来ていた。
傍らに修理道具と予備パーツを手にしたデュウもいる。
黙々と作業に入る二人を横目にエイハブが呟く。
「それまで何か使えそうな物資がないか調べてみっか」
隣のラッキーへ目配せすると、ニコリと微笑まれた。
それで、かつての居住区まで陸用車を出そうとしたら——。
猛速度で車が飛び出てきた。
「うわっ!」
とっさにラッキーを抱えて避ける。
耳をつんざくようなブレーキ音。
「船長! 悪ィ悪ィ!」
スピードキングが車窓からにゅっと顔を出した。
「何やってんだ! 相談もなしに車を出すんじゃねえ!」
「いや煙が見えたから……」
「あん?」
エイハブが振り向くも、そんなものはない。抜けるような青空がひろがるばかりだ。
「ンなモンどこにも……」
「ホントだ! 船長、煙がのぼってるよ!」
ラッキーが急に大声をあげる。
車に乗っかっている連中も口々に言うので目を凝らした。
すると、うっすら夏空に白い線が揺らぎだす。
先ほどまでなかったハズなのにおかしい、とチクリとした違和感を覚えた。
「しっかし煙っつってもよ、そう急ぐほどのコトじゃァ……」
「船長、行こう! 人がいるかもしれないっ!!」
いつのまにかラッキーが車に乗って手を振っている。
どうにも確かめずにはいられない面々にエイハブは気圧された。
「待て待て。山火事かもしれねえしよく見てから」
「しゅっぱーつ!」
置いていかれる。
土煙に吹かれ、ケホケホと咳をした。
「ラッキーまでナンなんだ……おかしいぞアイツら……」
ひとりごちても仕方ないので、左舷の修理にあたる二人へ声をかける。
「おい、他の連中が車で出かけちまいやがった。後を追う」
「船長を置いてけぼりにするなんて珍しい」
アカがメガネの下の目を丸くした。
デュウも静かに修理にあたっており、修理班二人は普段どおりのようだ。
エイハブが内心ホッとしているとアカに唸られる。
「単独行動は辞めたほうがいい。デュウ、船長についていってやってくれるかい?」
「そしたらアカデミアスが単独に」
「ならねえ。俺がいる」
スキンヘッドの頭を抱え、船から姿を見せたのはドク。
『レディ・ウィスカー』号の医者で荒くれ者たちの傷を幾度も手当してきた。
「お前、残ってたのか?」
エイハブが尋ねると忌々しげに答えられる。
「部屋にこもっていたらガタガタ不時着して……」
「ははぁ、二日酔いだな」
『ヤブ医者』とからかえば『うるさい』と叱られた。
そうは言いつつ名乗り出たのも船員の安全のためだ。
「そういうワケだ。アカが修理する間、俺が機関室にいる。
何かあれば対処できる——故障ったって、メインエンジンも武装も使えるからな。
船長にはデュウがついていったほうがいい」
そう言われ、デュウが初めて手を止める。
実際ドクの言うとおりで、惑星探査用アンドロイドであるデュウが残った船員で戦闘能力が最も高い。
エイハブの背を預けるには適任だった。
デュウはアカへいくつか助言してから、左舷からヒラリと地面へ着地する。
栗色の長い髪と着古した外套がひるがえった。
「そんじゃ、行くか。せっかちどもを探しに」
呼びかければデュウが首を縦に振る。
二人で肩を並べて向かう途中、うずくまっている小さな背中を見かけた。
「ウーン……ウーン……」
「アトレ、何してんだこんなトコで」
齢十一歳のアトレはかつての機関長の忘れ形見。逆立つ赤毛の生意気盛りだが、今は青い顔で腹を抑えている。
「みんなが急いで車庫まで走ってくから追いつけなかったんだ」
「体調が悪いようだ」
デュウがアトレを起き上がらせる。
「『信号機がある』って騒いでるから見ようとしたのに、他の連中が壁になってよく見えなくて。
……まあ、いなくなってもあんまり見えなかったけど……」
「ちっこいからか?」
エイハブが茶々を入れると『ちがわい!』と噛みつかれた。
「それに煙って、ナンだ? 気になる!」
「お前も見てねえのか?」
「そんなのどこにもない。うえ、一回転したらまた気持ち悪くなってきた……」
口を抑えるアトレの背をデュウがさすってやっている。
やれやれと肩を落としたらデュウも報告してきた。
「船長。おれにも煙らしきものは見えない」
「デュウが言うならマジだな」
「アッ、ひいきだ!」
アトレに恨みがましく見られるが、この場でデュウほど信じられる存在はいない。
複数のセンサーによって多角的に判断する分、人間より認知の歪みが少ないからだ。
言われて見やればエイハブの視界からも先ほどうっすら見えたハズの煙が消えている。
「化かされたか?」
冷や汗をかきながらも、防衛反応なのか口の端がわずかに上がった。
2、
緑が廃墟を覆い、遺跡のような景色がどこまでも広がっていた。
かつての居住区はほぼ樹木に突き破られ、大地には太い根が迷路のように張り巡らされている。
取り回しの効く小型車であっても通れる道を探すのは手間だった。
「信号機、どこにでも生えてるな」
アトレの表現は的確だ。
木の根の間に設置され、比較的新しいのか白い塗装が剥がれきっていない。
「妙だな」
エイハブの感想にデュウも同意してくる。
「明らかに核爆発のあとで設置されている。——何のために?」
言いながらハンドルを切り、先に行っただろう船員たちの車を探す。
煙が見えたと言う方角からして間違ってはいないと思うが……。
やがて鬱蒼とした林を抜け、直に陽ざしが照りつけてくる。熱気で目の前が揺らぐほどの暑さ。
その先に、ポツンと建つ民家があった。近づくと木造で煙突がついている。
その前に見覚えのある車が停められていた。
デュウが付近で停車させ、三人で家まで歩いてゆく。
家の周囲は白い柵で囲まれていた。窓にはレースのカーテンがわずかに揺れている。
誰か住んでいる?
エイハブが首をかしげていると、デュウとアトレが家の裏へ回った。
追いかければ赤い軽トラックがある。二人は荷台に乗り上げ、荷を一つ一つ確認していた。
「浮き輪、ビーチサンダル、ラジカセ……」
「バカンスでも行くのか?」
デュウが機械的に読み上げるのにアトレが問いかける。
不可思議なのは、どれもホコリを被っているということ。
トラックの荷台に溜まった土埃を見ても数年は使われていない様子だった。
「これはいったい……」
エイハブがデュウと目を合わせていると、背後から声をかけられる。
「こんにちは。先ほどの方々とお知り合いかしら」
若い女の声。振り向くと、明るい茶髪をボブで切りそろえた女が立っている。
ワンピースにエプロンといかにも若奥さんといった感じだ。
「あ、ああ。こんにちは……」
挨拶を返しながらトラックから離れる。
デュウが目を皿のようにして見てきたが、家の住人を無視するワケにもいくまい。
「ヘルメットを被った小柄な野郎と、バカでかい男。ちょびヒゲ、しょうゆ顔、白い帽子のおっさん。
あと金髪のちっこいのを見かけませんでしたか?」
それぞれスピードキング、ババ、クック、ムッツ、ホワイトハット。
そしてラッキー。
車があったし、先ほどの口ぶりからして女性も知っているハズだ。
彼女は『ああ』とにこやかに応じた。
「やはりそうなのね。わたしは、コニー。この家まで遺品整理に来たの」
「遺品?」
「祖父の代のものが遺っていてね。それをこれまで放置していたから、大変でね」
聞きながらエイハブは後ろの二人がすっかり固まっていることに気づく。
視線だけやって挨拶するように促したが黙りこくったままだ。
こんなに礼儀知らずだったか? と訝しげに思っていたらコニーの後ろからゾロゾロと見知った面々がやってきた。
「海だ!」
「いや、違う。湖だ!」
「ドライブだ!」
「ヒョーッ、このCD流しながら行こうぜェ!」
やけにハイテンションで赤いトラックへ乗り込んでゆく。
デュウとアトレがいるのにもお構いナシ、だ。
「おいお前ら……」
エイハブにすら口を聞かなかったのを咎めようとしたら、ラジカセから爆音で音楽が流れはじめる。
チープなアレンジのアッパー系チューン。
「はいよ、詰めて詰めて〜」
ホワイトハットが先客の二人を奥へ追いやる。
その前に巨体のババがどっかと腰を下ろした。完全に出口を通せんぼされ、デュウがババの腕を引く。
「待ってくれ。おれたちは湖には行かな——」
「イタイ〜」
丸太のような腕を振り上げられるとデュウの体がわずかに浮いた。そのまま荷台へ突き飛ばされ、ノドから苦しげな息が漏れる。
『デュウ!』
アトレとエイハブがほぼ同時に呼んだ。
ババはというと、なかなか起き上がらないデュウと自分の手のひらとを交互に見てたじろいでいる。
「ババ! てめえ、何してんだ!」
エイハブはトラックへ駆け寄ろうとしたが、音楽をかき消すほどの轟音でエンジンが吹き上がった。
「しっかり掴まってなよォ!」
スピードキングが大張り切りでハンドルを切る。
「待て! デュウ、アトレーッ!」
「船長〜ッ」
アトレの悲痛な叫びに手を伸ばすも、あっという間に走り去ってしまった。
途方に暮れているとコニーに問われる。
「お見送りは済みましたか?」
今のどこを見れば、そんな平和な状況だと思えるのか。
エイハブはくぐもった声で言い返す。
「アレは拉致というんだ」
「あらあら、物騒なこと。でも皆さんお友だちなんでしょう?」
「友だちというか……同僚というか」
「それなら大丈夫ですよ。ねえ、よかったら中へいらして。先客もおられることだし」
「先客?」
「かわいらしいお嬢さん」
ハッとして、コニーへ顔を突き合わせる。
「ラッキーか?」
「あら、そんなお名前なのね。わたしたち、パイを焼こうと思って……」
「パイだぁ?」
行ってしまった連中と比べて呑気してる話題に素っ頓狂な声をあげてしまった。
だがコニーの笑みは崩れない。
「ええ。よかったら一緒に召し上がって」
出会った時から一ミリも変わらぬ微笑。
エイハブの長年の勘が『この女、何かおかしい』と告げていた。
だがラッキーのことは気がかりだ。スピードキングたち同様、煙を見たとたんに態度を豹変させていた。
いちど確認する必要がある。
エイハブは誘われるがまま、後をついていった。
3、
エイハブとはぐれてしまった。
デュウは半身を起こし、ガタゴトと揺れるトラックの荷台から遠のく廃墟を眺める。
屋根の吹き飛んだ家屋で室内も黒焦げだった。
発電所からは離れた区域のハズなので、長い年月の間に山火事にでも遭ったのだろうか……。
ノリのいい音楽に合わせ、おんぼろトラックがギシギシと軋む。
ババが巨体を考慮せずに踊っているからだ。
隣でホワイトハットも何かをすくい上げるような動きをしている。ネクタイを鼻にひっかけ、口をすぼめているのでどこかの伝統的な舞踊か。
寡黙なムッツは荷台の端でセラミック剣を肩にかけてうつむいていた。
それと病的な速度をゆるめぬスピードキングに、助手席で肩を揺らすクック。
デュウは思い思いに湖畔を目指す一行を冷めた目で観察していた。
すると、頭にふわりと何かを被せられる。
「これ、あったから! やるよ!」
アトレだった。麦わら帽子を見つけてきて、自分もちゃっかり被っている。
調子が良くなったのか運転中だと言うのに荷台をちょこまかして落ち着きがない。
だが周りと比べれば普段とそう変わりなく、唯一懸念すべき点はなかった。
二人で身を寄せ合い、荒い運転に耐える。
爆音の曲と曲との合間、どこかでセミが鳴くのが聴こえた。
「なぁ、デュウ……」
アトレが汗を服のすそで拭いながら喋りかけてきた。
「船長、変だったよな。いきなり話しはじめて……」
「ああ。正気ではなさそうだった」
「みんなもこんなだし、どーするよ」
デュウは肩をすくめる。
目の前で踊り狂い、後ろで猛スピードを出している人々は下世話な話題に夢中だ。
「あの奥さん! なかなかのグラマラスだったよなー!」
「一緒に湖に行きたかったー!」
「ビキニビキニ〜!」
「いや人妻には清楚なワンピース……腹のラインがたまらん」
「いっそスリングショット」
『それだァーッ!』
一斉に両手を挙げたが、スピードキングにはハンドルを握っていてほしい。トラックが大きく傾いた。
とっさにアトレを支える。
「もう少し速度を落としてくれないか」
デュウがスピードキングへ声をかけるものの口笛を吹かせて聞く耳持たない。
「ババ。あまり揺らさないで……」
「アーみずーみ! べっタイ、スズシータノシー」
「ホワイトハット……」
一人一人に声をかけても無視される。
意地悪という態度ではない。聞こえておらず、会話が成り立たないようだった。
ふと抱えていたアトレが身を揺すった。
「ン……またぶり返してきた」
青い顔で脂汗をかいている。額を拭ってやった。
「ひどい揺れだ。無理もない」
「そうじゃねェよ。おれだってエイハブ鯨捕りカンパニーの一員だ。スピードの荒い運転には慣れてらい」
それもそうか、とデュウも考え直す。
では、三半規管を鍛えられているアトレがこんなにも弱っている理由は?
腕の中の子どもを注意深く見ていると症状を訴えられた。
「さっき、信号機の光が見えた……チカチカして……目をつむっても光が追いかけてくるような」
「そのまま閉じているといい。刺激になる」
そっとアトレの目を手のひらで覆う。
「おお……デュウの手ひんやりしてて気持ちいい……」
とはいえまだ苦しそうだ。戻すかもしれない。
デュウはアトレの目をその辺にあったタオルで覆ってから、ババとホワイトハットの踊りをかいかぐり、ムッツのもとへにじり寄った。
「何か袋はないか? アトレが気分を悪くして……」
青白い顔を覗き込む。すると、カクンと頭を下げられた。
銀の被りものが陽光を反射している。
ムッツの薄い口から、か細い声でひたすらに何か唱えられていた。経のようだが支離滅裂でデュウの電子記憶にない言語の羅列。
うっすら笑っている。
それを見て、デュウは彼もまた
♢
エイハブがコニーに連れられて家へ入ると、キッチンでラッキーがエプロンをつけていた。大げさなフリルのついた少女趣味のデザイン。
コンロの前のテーブルで、ボウルの卵白を泡立てている。
顔をあげてエイハブを見つけると、明るい口調で話しかけてきた。
「船長。やっぱり、人がいた。コニーさんが料理していたんだって」
「そうみたいだな。で、お前さん何してる?」
「パイを焼いてる」
「なぜ……?」
ラッキーは笑顔で卵白を混ぜ続けていた。
「コニーさんが誘ってくれたから!」
メレンゲを作るにしては、いささかやりすぎのように思えるが……。
エイハブ自身は料理の心得がないので、コレが正解か自信がない。コニーの姿を探すがこつぜんと消えている。
「なあ、ラッキー。暑くないか?」
室内だというのに冷房もないのか暑い。遺品整理で長く留まるならアウトドア用の冷却ファンぐらい持ち込んでもいいハズだ。
エイハブはシャツの首元を緩める。
ラッキーはダラダラ汗を流しながらも楽しそうで、特に気にしていないようだった。
「レディ・ウィスカーに小型だが扇風機ぐらい余ってるハズだ。持ってきてやるよ」
「いいよそんなの! 平気だって!」
「でもよ……」
先ほど湖畔へデュウとアトレを拉致していった奴らもそうだが、ラッキーも様子がおかしい。
顔を真っ赤にしてまでパイを焼く必要がどこにある?
「コニーさんはどこに行ったんだ」
問い詰めようと姿を探す。
するとラッキーがキョトンとした顔で、
「さっきからそこにいるじゃないか」
「は?」
指摘され、エイハブは後ろを振り向く。
ピタリとほぼゼロ距離でコニーが立っていた。
ニコニコと見上げてくる。
「わたしが何か?」
エイハブは自分がそれなりの手練だと信じている。並大抵の男より腕っぷしが強く、背後だって簡単に取らせない。
だとしたらコニーは何だ? ただの若奥さんだとすれば、なぜ気づけなかった?
薄気味悪さを覚え、表情筋が引きつった。
「い、いや……ラッキーだけが手を動かしているように見えて……」
「作り方、覚えたいんですって。ね、ラッキーさん」
コニーの言葉にラッキーが応じる。
「うん! パイ、作れるようになりたいんだ! 昔、食べさせてもらったことがあるから!」
本人が受け入れているのなら文句は言えなかった。
その後もコニーは一歩も動かず、ラッキーがパイ生地を混ぜるのを見ているだけ。
何かが絶対におかしい。エイハブはどうしようもない違和感を覚えながらも、その正体を突き止められずにいた。
この星に降りてから奇妙なことばかりだ。『煙が見えた』とのたまった連中は特に。
『そういえば』と、アトレに通信機を持たせていたことを思い出す。ズボンのポケットから取り出し、かけてみたが雑音しか聴こえない。
……無事だろうか?
ちらりとラッキーを見やると、パイ生地を練り上げて型に張りつけはじめている。
そろそろオーブンの出番だろうか。
エイハブは頃合いと見て切り出した。
「ラッキー。俺と一緒にアイツらを迎えに行こう。焼いている間までつきっきりじゃなくてもいいだろ」
おそらく誘拐犯たちは湖畔に到着しただろう。……その前に脱輪でもして事故を起こしている可能性もあるが。
どちらにせよ放っておけない。
だがラッキーは重石を入れながら、
「コレからフィリングを作るんだ。甘い、カスタードのやつを! リンゴも剥かなきゃ」
思わぬ返事に驚くエイハブ。
「そんなの後でいいから。俺と行こう」
「ええ、でも……」
つい言い方がきつくなってしまい、ラッキーに言葉を濁される。唇をキュッと引き結んでそれきりだ。
気まずい沈黙。
だがこうしている間にも事態は悪化しているかもしれない。
「なぁ、ラッキー。アイツら、様子が変なんだ。いつもバカやってるが加減は知っている。
だがさっき、ババがデュウを力任せに叩きつけた……」
「えっ? どういうこと?」
ラッキーが上ずった声で聞いてくる。
「デュウは無事?」
「わからねえ。そのままトラックで湖へ連れていかれた」
信じられない、といった表情のラッキー。
ババは心根が優しく、争いでもない限り乱暴はしない。まだ鯨捕り見習いになって日の浅い彼女も知っている。
きっとデュウもそれで気を許し、腕を引いた。
ババだって傷つけるつもりはなさそうだった。想定外の出来事に動揺していた。
力の制御が難しい状態にあるのだ——それは、ハンドルを握っていたスピードキングも同様だろう。
いくらスピード狂とはいえ、あんなガタついたトラックで暴走するなど普段ならありえない。
全員、奇妙な高揚に取り憑かれているようだった。
痺れを切らしてラッキーを急かす。
「デュウもだがアトレもアイツらと一緒なんだ。頼む……取り返しがつかなくなる前に連れ戻さねえと」
エイハブの懇願にラッキーはただ目を伏せた。
視線の先にはすっかり焼く準備の整ったパイ生地。ずっと大事そうに両手で抱えている。
ラッキーは、普段はワガママも文句も言わない。その娘がどうしてもここから離れがたそうにしている……。
訳は聞けなかった。言えるならとっくに言っているとわかっていたから。
だが明らかに危険な集団をこれ以上、野放しにはできまい。
さんざん迷った末、ラッキーの青い瞳を見据えて言った。
「わかった。無理強いはしない。できるだけ早く戻る……」
本当は不確かな状況下で置いていきたくはなかった。これほどパイ作りに固執するのも妙だし……。
しかしこの子は外の連中よりは落ち着いている。少々疑わしくはあるがそばに大人もいて、何より安全な室内にいる。
それでも後ろ髪引かれる思いだった。
伝わったのか無理な笑顔で応じられる。
「ありがとう、船長。ごめんなさい…………。
きっと、みんなが帰ってくるころにはパイも焼けているだろうから。囲んで食べよう」
本当にこの判断が正しいのかわからない。
視線をコニーへ移す。
「この子を頼みます」
彼女はエイハブのよそよそしい態度に気づいているのかいないのか、
「ええ、わかりました。湖畔は南西の方角をまっすぐですわ」
と、にこやかに窓の外を指し示した。
いやに日光が肌を焦がす。