「――っ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!?」
自らの叫び声で、俺は飛び起きた。
心臓は早鐘を打ち、全身から嫌な汗が吹き出している。
なぜか、胸が締め付けられるような焦燥感だけがこの身に残っている。
(……な、なんだ……これは……?)
何か、恐ろしい夢を見ていた気がする。しかし、思い出そうとすればするほど、霧がかかったかのようにぼやけていく。
漆黒、諦観、無力、翠玉。
そういったイメージが僅かに残っているが、その意味まで思い出すことはできなかった。
「……にぃに? 朝から何奇声あげてんの? 近所迷惑なんだけど」
すぐ横から、苦言を呈する声が聞こえた。
はっと、思考の渦から抜け出し周囲を見渡すと、そこは見慣れた俺の部屋だった。
そして、窓から差し込む太陽の光が、開けたばかりの俺の瞳孔を容赦なく焼き尽くす。
「うああっ!? め、目がー! めがーっ!?」
「はいはい、アホスアホス。朝からうるさいよ、まったく……」
妹のユナが、心底呆れたような目で俺を見下ろしていた。
俺より1つ年下の14歳。可愛らしい容姿をしているのに、口を開けばこの扱いである。
(……兄が朝から重病(?)に苦しんでいるというのに、心配の一言もないとは。そんな冷たい子に育てた覚えはないぞ)
俺の扱いに心の中で嘆いていると、ユナはフッと冷ややかな息を吐いた。
「育てられた覚えもないよ」
「俺の思考を読んだ……だと!?」
「読もうとして読んでないよ。にぃにのアホ面に全部書いてるんだもん」
「な……っ」
俺は自分の顔を両手で覆った。
まさか、俺の心の中が丸わかりになる程多種多様なアホ面パターンが搭載されていたとは。
15年目にして知る衝撃の事実である。
「……いや、待て。そもそも、俺が変な顔をしてたのは、変な夢を見てうなされてたからで……」
思わず、変顔をしていた言い訳を口にすると、ユナは何を当たり前のことをといった様子で肩をすくめた。
「変な夢を見てるのなんていつものことでしょ? 起こしにくる五回に八回は奇声あげてるよ?」
「回数おかしくない!?」
限界突破してる。朝に二回奇声を上げてる時があるのか。俺の睡眠環境は一体どれだけ劣悪なんだ。
「……てか、二回奇声あげてる時は一度目で起こしてくれてもいいんじゃないか? 起こさずに何してるんだよ?」
「なっ……! 別に何だっていいでしょアホにぃに! 変なこと言ってないで、起きたならさっさと降りてきてよね!」
なぜか怒り出して、パタパタと一階へと降りていってしまった。何か気に障ったんだろうか?
考えてもわからない。しかし、気難しい年頃だ、兄である俺が配慮してあげないといけないな。
そう結論づけた時、階下からユナと母さんの会話が微かに響いてきた。
『……ママぁ……』
『どうしたのユナ。またアルスに変なことされたの?』
「待て待て待て!!」
なんだその「また」って! 俺は何もしていないぞ!?
このままでは、風評被害で俺のイメージが下がってしまう。俺は慌ててベッドを跳び起き、着替えて1階の居間へと駆け降りた。
居間に入ると、朝食の香ばしい良い匂いが空腹感を刺激する。
キッチンでは母さんのエステルが、手際よくフライパンを振っている。降りてきた俺に気づき振り返ると、俺に胡乱げな目向けてくる。
「ようやく起きてきたわね、アルス。朝からユナに変なことしたらダメでしょ」
「失礼な。可愛い妹に変なことするわけないだろ」
「……変だって自覚がないのも困りものよね」
ハァ、と溜息をつく母さん。おいおい、俺は一応アンタの愛息子のはずなんだが。
「母さん、愛息子に対して変なんて酷すぎやしないか?」
「何を言ってるの。愛してるからこそ本当のことを教えてあげてるんじゃない」
「知りたくない現実を突きつけられた息子の身にもなってくれるかな!?」
「ふふ、元気そうで何よりだね、アルス」
食卓の席から、落ち着いた声が聞こえてきた。
父親のクライスだ。長年落ち着いた雰囲気を纏っている我が家の大黒柱である。
「おはよう、父さん」
「おはよう。今日は一段と起きるのが遅かったね。ユナから聞いたけど、何か悪い夢でも見たのかい?」
「あー……うん。なんか凄く後味の悪い夢だった気がするんだけど……内容はさっぱり覚えてないんだよね」
俺自身正確に覚えていないため、歯切れの悪い物言いとなったが、父さんは優しく目を細めた。
「そうか。まあ、無理もないかもしれないね。アルスも今日で15歳だ。無意識のうちに、不安があるのかもしれない」
「
そう、この世界では15歳になると、誰もが『
剣技を極める者、魔法を操る者、あるいは生活に役立つ便利な力を得る者。
500年前に起きた、人類と魔族の戦争。人魔大戦で人類を勝利に導いた四英雄――勇者、剣聖、賢者、拳王たちも、このオラクルによって超常の力を得ていたという。
ちなみに、うちの母さんの
母さんのフライパン捌きが鮮やかなのも、この
普通のフライパンじゃ軽すぎるって、特殊な金属で作った特注品なんだとか。簡単に振るってるようで実は100kgもの重量があり、もはや凶悪な質量兵器にしか見えない。
「……母さんにとって、フライパンって調理器具じゃなくて鈍器だったんだね」
「相変わらずマイペースな子だ、心配は杞憂だったかな?」
「よく言われるけど、俺のどこがマイペースなのか、全く見当がつかないんだよね。一体俺の何を見て言ってるの? ……ところで、父さんはフライパンを鈍器として扱ってる母さんをどう思う?」
「そういうところじゃないかな? それと、僕が母さんに逆らえない理由を思い出させないでくれるかい?」
「え? もしかして、殴られたことあるの?」
(……あれで殴られてよく生きてたな)
ちなみに父さんの
いかに戦略を組み立てようが、物理で圧倒してくる『鈍器の覇者』の前には無力だったらしい。古傷が疼くのか、父さんは遠い目をしていた。母さんの尻に敷かれ、哀愁漂うその背中がすごく哀れだ。
――そんなことを考えていると、父さんがじとっとした目で俺を見てきた。
「アルス。……君は今、『父さんは母さんに頭が上がらない可哀想な男だ』とか失礼なことを考えていなかったかい?」
「なんで分かったの!? この家の人達は俺の思考を読むのが当たり前なのか!? まさか母さんも!?」
俺が叫ぶと、キッチンにいた母さんは何を今更といった表情で振り返った。
「当たり前よ。その顔で正気?」
「受け取り方によってはただのいじめだよ!?」
(というか、どう好意的に捉えても『アホ面だから顔を見れば考えてることが丸わかり』って前提で会話が進んでるなら、それはもういじめ一直線じゃないか……!?)
「アルス、顔がうるさいわよ。正直すぎるのも考えものよ、少しはポーカーフェイスというものを覚えなさい」
「……ふん! 言わせておけば! 俺だって本気を出せば、影を纏うクールでミステリアスな男になれるんだからな!」
胸を張って宣言すると、隣でスープを飲んでいたユナが「プッ」と鼻で笑った。
「顔がうるさくないにぃには、もはやにぃにじゃないよ。クールとか、絶対無理だから」
「笑うなユナ! 男はなぁ、15歳という人生の岐路を前にして劇的に変化するもんなんだよ! 蛹が蝶になるように、俺の中に眠る真の力が覚醒し、世界に潜む陰謀や悪意すらも一蹴するような大物になるかもしれないだろ!」
熱弁を振るう俺。
そう、誰も気づいていないだけだ。世界には抗いようのない運命のようなものが渦巻いている。俺の胸の中にある焦燥感は無意識でその事に気づいてるのかもしれない。もしかしたら、理不尽な現実に直面する前兆ーー
「カッコつけた顔で物思いに耽ってるのはいいけど、そろそろご飯食べなさいね」
母さんの冷ややかな声が、俺の壮大な思考をバッサリと切り捨てた。
「ママ、ほっときなよ。にぃに、絶賛厨二病真っ只中だから仕方ないんだよ」
「誰が現実と妄想の区別がつかないって!? 俺ほど現実と向き合ってる真面目な青少年はいないぞ!? ……ところで俺の聖剣(ほうき)はどこやったっけ?」
「ほら、もう手遅れでしょ?」
「手遅れって言うな!」
俺とユナがぎゃーぎゃーと不毛な言い合いを続けていると、カツン、と嫌な音が響いた。
恐る恐る音の発生源に目を向けると、母さんが油の馴染んだ重厚なフライパンを片手で構え、極上の笑顔を浮かべていた。
「はいはい。いつまでも頭の痛くなるやり取りをしてないで、いい加減ご飯を食べなさい? ……次にくだらないやり取りをしたら、『これ』だからね?」
にこやかな笑顔と、フライパンから放たれる圧倒的な威圧感。
「「ハイ、タベマス」」
言い争いを即座に辞め、二人揃ってガクガクと膝を振るわせる。
(くそっ……こんなに嬉しくない『次やったらこれだからね』が存在していいのか……!? 男の願望が詰まった甘いお仕置きかと思ったら、ガチの物理兵器じゃないか……!)
ふと横を見ると、父さんも顔を青くしてカタカタと震えながら、凄まじい速度でスープを口に運んでいた。トラウマを前にすると軍師のプライドは消え去るようだ。
俺たちは全員、余計な口を一切挟まず、ただ黙々と、非常に行儀よく朝食を食べ進めるのだった。