「ごちそうさまでした!」
母さんの振るうフライパンの圧に屈した俺達は、恐怖に震えながらも迅速に朝食を平らげた。
食器を片付けようと立ちあがろうとした時、向かいに座っていたユナが俺を見つめている事に気づいた。
「ねぇ、にぃに。今日ってアイちゃんと約束があったよね?」
「ん? ああ、そういえば薬草採取に付き合う約束をしてたな」
町をぐるりと囲う防壁。その外側に自生している薬草を集めるため、護衛兼荷物持ちとして俺に声がかかっていた。
「ねぇ、ユナもついていってもいい?」
「俺は別にいいけど……相変わらずユナはアイのことが好きなんだな」
「にぃに、アイちゃんへの思いは好きなんて言葉で表し切れないの! アイちゃんは、優しくて、美人で、誰かを助けたいって思いで始めたシスター見習いのお仕事もいつも一生懸命で、料理も凄く美味しくて、その上、誰に対しても分け隔てなく接してくれる天使みたいな人なんだよ!? 好きとかそんな単純な概念で語れる人じゃないんだよ! あんなに素敵な非の打ち所がない人と幼馴染になれた奇跡に、にぃにはもっと感謝すべきだよ! それこそ、毎日感謝の祈りを捧げるべきだと思うんだけど、ねぇ、どう思う!?」
「……あ、うん。そうだね……」
あまりのマシンガントークに、俺は思わず一歩引いてしまった。
俺に対しては日常的に辛辣な毒舌を吐き捨てる妹だが、アイーシャのことになると一転して知能が劇的に低下する。愛が重い。重すぎるよユナ。
ユナの変貌に気づいた母さんが、洗い物の手を止め、泡だらけのまま青ざめた顔でこちらに振り返った。
「アルスっ! ユナにアイーシャちゃんの話題を深掘りしたらダメだって、忘れたの!?」
「あ……っ! しまった、うっかりしてた……!」
そうだった。ユナの『アイちゃん語り』は一度スイッチが入ると満足するまで延々と喋り続ける。止めようとしても、普通のやり方では入り込む余地がない。
前回、同じ事件が起きた時は、父さんが一晩中話し相手を務め、そのまま翌日の衛兵勤務に向かうという地獄を味わったのだ。
食卓の端を見ると、父さんが遠い目をして紅茶をすすっていた。
「……アルス。今回も、僕だけ徹夜コースかい……?」
その背中からは、濃密な哀愁の念が溢れ出していた。哀れすぎるぞ父さん。
「ダメよあなた、弱気にならないで!」
母さんがピシッと父さんを励まし、それから冷徹な視線を俺に向けた。
「今回はアルスがやらかしたんだから、アルスが自分で納めなさい」
「えっ、俺!?」
(待て待て待て、どうやって納めればいいんだ!?)
極限の状態に俺の灰色の脳細胞が高速回転を始める。
甘いもので釣るか? いやダメだ、今のユナにとって甘い物<アイなのは明白。じゃあ「あ、アイが家に来たぞ!」と嘘を吐いて意識を逸らすか? いや、そんな雑な嘘を吐けば「アイちゃんの名前を使って嘘を吐くなんて万死に値する」と火に油を注ぎ、さらにヒートアップしてしまう!
思考の海を彷徨い、追い詰められた俺の頭の中で、電撃的なひらめきが走った。
(そうだ! これしかない……っ!)
俺は覚悟を決め、ユナに向かって勢い良く跪いた。
「ユナ! 俺を踏めぇぇぇーーーっ!!」
「ずいぶん悩んでた割に、結論がそれなのね……」
キッチンから母さんの引きつった声が聞こえる。
だが、そんなことはどうでもいい! 強烈な外部刺激でユナの思考回路を強制終了させるのだ!
踏めと命じられたユナは、心底嫌そうな顔を浮かべた。
「……気持ち悪い」
ぐしゃっ!!
「あぐっ!?」
一切の躊躇なく、俺の後頭部へ踏み込みが炸裂し、そのまま床へ叩きつけられた。
「……普通に躊躇なく踏むのもどうかと思うんだけど……あ
たし、この子たちの育て方間違えたかしら?」
どん引きしている母さんの声が聞こえる。
さらに父さんが、俺の頭から響いた不穏な音に青ざめて尋ねてきた。
「……ア、アルス? 今の音、頭は無事かい……?」
(ふっ、心配性だな父さんは。いくらユナの踏みつけとはいえ、体重の軽い14歳の女の子だ。痛くも痒くも――)
そう思っていた俺の頬に、ぬるりと温かい液体が伝ってきた。
(……ん? なんだこの温かいの?)
見上げると、ユナはいつの間にかカカトの尖ったヒールを履いていた。なんで家の中でヒール履いてんだお前!? もしかしてこれ刺さってる!? ねぇ!? 刺さってる!?
パニックになりかけた俺に、母さんがにこやかに声をかけてきた。
「気のせいよ、アルス」
「なんだ、気のせいか!」
「ちょっと待ちなさいアルス、血が出てるよ!? 早く手当しないと!?」
焦る父さんに、俺は首をかしげて見せた。
「何言ってるの父さん? 気のせいだよ?」
「……僕の目がおかしいのかな……?」
父さんは自分の眼鏡を外し、目頭を押さえながら困惑していた。
まったく、父さんは本当に心配性だな。こんなアホみたいなやり取りで流血沙汰なんて起きるわけがないじゃないか。
なんだかんだで無事に(?)事態は収まり、片付けを終えた俺たちは玄関に立っていた。
「行ってきます、母さん」
「気をつけて行ってくるのよ。ユナ、アルスのことお願いね」
「任せて、ママ!」
ユナが胸を張る。俺はフッと口角を上げ、尊大な態度で腕を組んだ。
「ふっ……この俺の面倒を見る栄誉を、特別にユナに授けよう」
「ママ、やっぱりこいつどこかに捨ててきてもいい?」
「そこも含めて任せるわ」
「ちょっと待って!? 俺の生殺与奪の権をあっさり妹に譲渡しないで!?」
あまりにも酷い扱いに戦慄していると、父さんが椅子から立ち上がり歩み寄ってきた。
「二人とも、気をつけるんだよ。最近、町の周辺で魔物の数が少し増えているみたいだからね」
父さんはこの町――『ベルナール』の衛兵隊を仕切る隊長だ。防衛状況や町の情報には誰よりも詳しい。
ちなみに母さんはその衛兵たちの調練を担当している。俺も幼い頃から母さんに徹底的に叩き込まれてきたため、町の衛兵たちからは「隊長と鬼教官の息子」として、それなりに実力を認められていたりする。
「護身用に、剣を持っていくといい」
父さんが棚に立てかけていた一本の鉄剣を差し出してくれた。
「あらあなた、そう言うことを言ってると逆に襲われるらしいわよ? フラグ? だったかしら。むしろ靴を置いて素足で行かせたら?」
「どんな逆張り!? 足の裏血だらけになるわ!?」
母さんの突拍子もない提案を秒で却下し、俺は父さんから素直に剣を受け取って腰に差した。
「今のやり取りで魔物に襲われる可能性が減ったみたいだから、剣を持っていくのは多めに見るわ」
「どういう理論!?」
母さんの謎理論に頭を抱えていると、ユナが俺の服の裾を引っ張った。
「にぃに、早くして! アイちゃん待たせちゃうでしょ!」
「わかったわかった! それじゃ、行ってきます!」
こうして今度こそ、俺たちは賑やかな我が家を後にした。
家を出ると、活気ある町並みが広がっていた。
俺たちの住む町『ベルナール』。
人口3000人ほどの小さな町だが、周囲を頑丈な防壁がぐるりと囲んでいる。周囲に出没する魔物は基本的に最下級のスライムやホーンラビット程度で、非常に安全な地域だ。
王都への中継地としての役割も担っており、特産品の貿易も盛んなため、規模の割にはかなり発展していて居心地がいい町だ。
賑やかな大通りを歩きながら、ふと空を見上げる。
(うーむ、薬草の群生地は東門の外だったな。あそこの森は暗い上に足場が悪いからユナの手を引いてやらないと怖がるだろうな。……あ、そういえば東門の近くには美味しいケーキ屋さんがあったな……ついでに買って帰るか……)
のんびりとそんなことを考えながら歩いていた俺だったが、ふと近くの時計塔の針が目に入った瞬間、背筋に冷たいものが走った。
(……待てよ? そもそも朝起きるのが大幅に遅かったうえに、家でユナとバカなやり取りをして、さらにこうしてのんきに歩いていたせいで……アイとの約束の時間からめちゃくちゃ遅れてないか……!?)
恐ろしい事実に気づき、一気に血の気が引いていく。
どうする!? どんな言い訳をすればアイは許してくれるんだ!?
「にぃに、着いたよ!」
焦りで冷や汗をダラダラ流している間に、アイーシャの家の前に到着してしまった。
ユナが躊躇なくドアの叩き金をカンカンと鳴らす。
(うわあああ言い訳が思い浮かばない!! 初手で靴を舐めれば許してもらえるか!?)
切羽詰まった俺は、隣のユナにコソッと尋ねた。
「なあユナ、靴を舐める時の正しい作法ってどんなだっけ?」
「えっ!? アイちゃんに何するつもり!? てか、そんな気持ち悪い作法なんてないよ!?」
ユナが目を丸くしてドン引きする。
(しまった!! ユナには遅刻してることを伝えてなかった!!)
もしユナに「アイちゃんとの約束に遅刻した」なんてバレたらどうなる?
「アイちゃんの時間を奪うなんてありえない!」と激怒され、さっき母さんに言っていたように、俺は本当にどこかの森へ投げ捨てられるかもしれない……!
(ユナにバレずに、アイに許してもらう言い訳をする……!? 難易度が跳ね上がりすぎだろ!!)
俺が本気で命の危険を感じて震えていると、ギィと音を立ててドアが開いた。
「『時間通りに来るなんて珍しいじゃない』。今日は槍でも降るのかしら?」
顔を出したアイーシャは落ち着いた様子でそう言うと、クスクスと微笑んだ。
そして、ユナから見えない角度でそっと人差し指を一本立てて見せる。
(『貸し一ね』――!!)
女神……! 本物の女神がここにいた……!!
俺が焦っていることを雰囲気で察し、ユナにバレない形で形で完璧な助け舟を出してくれたのだ。俺はその貸しを謹んで受け入れ、心の中で深い謝罪と感謝の念をアイーシャに捧げた。
「アイちゃん! 来ちゃった!」
「ユナ、来てくれたのね。嬉しいわ」
「えへへ、いきなり押しかけちゃって迷惑じゃなかった?」
「ううん、全然。来てくれて助かるわ」
アイーシャに優しく微笑みかけられ、パッと顔を輝かせるユナ。
(嬉しそうな顔だこと……まあ、最近のアイは教会のシスター見習いとして手伝いを始めてから、遊ぶ機会が減ってたからな。ユナももっと一緒に居たかったんだろう)
家では滅多に見れないユナの微笑ましい光景に目を細めつつ、俺はパンッと手を叩いた。
「よし、じゃあ早速薬草を取りに行くか!」
「アルス。ごめんなさい、そのことなんだけど、薬草じゃなくて『毒消し草』に変更してもいいかしら?」
「え? 薬草じゃなくていいのか?」
「ええ。アルスが来る少し前に、神父様から『薬草はついさっきたくさん手に入ったから、できれば毒消し草を集めて欲しい』って頼まれてしまって……」
「なるほど、了解だ。それじゃあ、毒消し草を取りに行こうか」
毒消し草の群生地は薬草の生える東門とは正反対の場所だ。
俺たちは目的地を西門へと変更し、晴れやかな朝の光の中を歩き始めるのだった。