アイの家を出て、俺たちは西門側へと向かって歩き出した。
毒消し草の群生地はこの町を囲む防壁を出て少し歩いた場所にある。
町からほとんど距離が離れておらず、衛兵の巡回ルートの範囲内でもあるため、成人していなくても外出許可は比較的取りやすい。
ただし、最低条件として『町周辺に出没する最下級の魔物を討伐した経験がある者』の同行が必要不可欠だ。
つまり、アイとユナが町の外に出るためには、護衛役としてこの俺が必要というわけだ。
二人に対して唯一優位に立てる為、俺は尊大な態度で口を開いた。
「ふっ、やっぱり俺がついていかないと何も始まらないみたいだな! やれやれ、世話の焼ける二人だ」
「……言い方に少し棘があるけれど、間違ってないだけに否定できないのが腹立たしいわね」
アイが悔しそうに僅かに顔をしかめる。だが、その横でユナが誇らしげな表情で、アイの手をギュッと握った。
「アイちゃんアイちゃん! ユナもこの前、一人でスライム退治できたんだよ!」
「そうなの? なら、アルスにわざわざついてきてもらう必要はなさそうね」
アイが心から嬉しそうに微笑んで言った。
……やばい、置いていかれる。そう直感した俺は、慌ててさっきまでの態度を翻した。
「アイ様! 前言撤回します! 本当に世話が焼けるのは俺の方でした! どうか、一緒に連れて行って面倒を見てください!」
「手がかかる兄の面倒まで見る余裕はないわね」
アイは満面の笑みで容赦なく切り捨ててきた。
いつの間にユナが魔物退治の実績を解除していたんだと驚いたが、よくよく考えたらユナも母さんに毎日しごかれている身だ。我が家において母さんの地獄の訓練から生還しているだけで、そこらの大人より遥かに武闘派と言える。最下級程度の魔物を簡単に倒せる位の実力があることを失念していた。
焦る俺の様子を見て、アイはいたずらっぽくクスリと笑った。
「ふふっ、冗談よ」
「えっ!? じゃあ、一生俺の面倒を見てくれるってこと!?」
「そこまでは言ってないわ。護衛としてとても頼りにしているという意味よ」
言葉と共に、アイは微塵も迷いのない、温かい眼差しで俺を直視してきた。
(うっ……)
不意打ちで投げかけられた、全幅の信頼に思わず顔が熱くなる。
なんという純粋さだろうか。日頃のバカなやりとりで薄汚れた俺の心が浄化されていくような感覚だ。
さすがはシスター見習い。恐るべし。
そんな俺の動揺を目敏く見ていたユナは、ニヤニヤと意地の悪い笑顔を浮かべながら顔を覗き込んできた。
「あれ〜? にぃに、顔が赤くなってるけど、もしかして照れてるの〜?」
「アイに飼われるヒモ生活を想像していた所にさっきの言葉だからな。己の浅ましさに照れていただけだ」
「……」
俺の正直すぎる言葉を聞いた瞬間、ユナの顔から表情が消えた。まさか、そんな愚かな将来を思い描いていたとは思っていなかったんだろう。本気で引いてる目だ。
だが、言い訳させて欲しい。俺の周りで、まともな感性の持ち主なんて父さんとアイくらいなんだ。その『まとも側』の人間から純粋な言葉をかけられた事で、自分の愚かさとのギャップに羞恥心が限界を越えた結果だ。
俺は自己評価を間違えてる妹へ哀れみの視線を向けた。
「妹よ、勘違いしてるみたいだけど、お前ももちろん『まともじゃない側』の人間だからな」
「にぃにに……言われた……? アイちゃん、お願いだからユナの頭を強く叩いて今の記憶を消して?」
「残念だけどユナ、そういう過激な発想が出るところは、そっくりだと思うわ。」
アイからの容赦のない同類判定という追撃により、ユナはその場に膝から崩れ落ちた。人の往来、道の真ん中でガックリと項垂れる妹を見下ろし、どんだけ俺と同類なのが嫌なんだよと呆れる。周りから注目を浴びてるから早く起きて欲しい。
――――――
「ようやく着いたわね。それほど距離があるわけでもないのに、なんだかすごく遠く感じたわ」
西門の前に到着すると、アイが少し疲れたように息を吐いた。
「おいユナ、お前のタイムロスのせいだぞ?」
「うぅ……ごめんねアイちゃん、ユナのせいで遅くなっちゃった……」
到着が遅れる原因となったユナが、肩を落として謝罪する。
「ううん、私こそユナに酷いことを言ってしまって……本当にごめんなさいね」
「遠回しに、俺に酷い事言ってるの気づいてる!?」
その発言は、俺と同類って言われるのが酷いことだって認めてるようなものだ。
いつの間にか、当たり前となっている前提にツッコミを入れつつ、俺達は門番の元へと向かった。
堅牢な西門の側で槍を手に立っていた男が、こちらに気づいて視線を向けてくる。
「ん? 隊長のところのガキじゃねぇか。今日は何の用だ?」
この人は門番のルークさん。漢気溢れるベテランの衛兵で、なにかと俺たちのことを気にかけてくれている。
「ルークさん、お疲れ様です。俺とユナ、アイーシャの三人で、毒消し草の群生地まで行きたいんですが、外出許可をもらえますか?」
「外出許可か……。お前なら隊長から聞いてるとは思うが、最近町の周辺でスライムやホーンラビットが増えてきててな。念の為警戒を強めてるんだ。」
ルークさんは少し眉間に皺を寄せ、慎重な表情を見せる。
「やっぱり、今の状況だと外に出るのは難しいですか?」
「んー……。いや、群生地までならさほど離れてねぇ。それに教官にしごかれてるお前の実力なら、最下級の魔物程度に後れをとることもねぇだろ。気をつけて行くなら許可してやるよ」
「ありがとうございます!」
母さんの悪名――もとい高名さがこんなところで役に立つとは。それだけ、母さんの教練が恐れられている証拠だ。
家を出る前に父さんも言っていたが、ルークさんの反応を見るに思った以上に魔物が増えているようだ。まぁ、最下級のスライムやホーンラビット程度なら、何体出ようが負ける気はしないが、
「許可したとはいえ、日が暮れる前には絶対に帰ってこいよ」
「わかりました、早めに戻ります!」
「よし。おい、門を開けろ!」
ルークさんが背後に声をかけると、部下が気合の入った声で応じた。
「はっ!」
ギギギッ……と重厚な音を立てながら巨大な西門が開き、外から澄んだ風が草木の香りを運んでくる。
俺達は、防壁の外へと踏み出した。
門を出て少し進んだところで、俺は街道から外れた草原に視線を向けた。
「……あぁ〜、確かにいるな」
遠目で草むらに揺れる影を捉え、ぽつりと呟く。
「目がいいのね。私にはここからじゃ見えないわ」
アイが目を凝らして同じ方向を見るが、彼女の視力ではまだ補足できないようだ。目を丸くして驚いている。
「ねぇにぃに、本当に大丈夫かな……?」
戦闘経験の少ないユナは、少し不安そうな面持ちで袖を引っ張ってきた。
「ルークさんが言ってた通り、スライムとホーンラビットだけだから大丈夫だよ。……ただ、毒消し草がある方向にいるから戦闘は避けられそうにないかな」
「そっか。ユナも足手まといにならないように頑張るね!」
「あぁ、無理のない範囲で頼むよ」
「……護衛をお願いしてる私が言うのもおかしいけど、絶対に無理だけはしないでね?」
俺達の身を案じて眉を寄せるアイに、俺は不安を和ませようとニッと笑ってみせた。
「まぁそう緊張するなよ、スライムに包まれた時のような気持ちで構えていればいいんだから」
「……それは、具体的にどういう感覚でいれば正解なのかしら?」
アイが本気で困惑した顔で質問してくる。隣ではユナが心底呆れた目で見てきた。
「はぁ、スライムに包まれたいなんて思う変態は、絶対ににぃにだけだからね?」
(えっ? スライムのぷにぷにした柔らかいボディにダイブした事ないの? 母親に抱っこされた時みたいな、得も言われぬ安心感があるのに……)
そこまで考えて、俺はハッと気づいた。
いや待てよ。母さんに抱っこされた場合、安心感より『怪力で骨を砕かれるかもしれない恐怖』の方が圧勝するか。この例えは、似て非なるどころか水と油だったな。
ガサッ!
雑談をしながら歩いてるうちに、魔物の近くまで来ていたようだ。
思考を切り替え、俺は静かに腰の鉄剣を抜いた。
前方、音がした草むらから飛び出したのはスライム一体と、鋭い一角を持つホーンラビットが一体。
距離はおよそ三メートル
(――ふッ!)
地を蹴り、一足飛びで間合いに踏み込む。
スライムが反応するより速く、上段から斜め下へと剣を振り下ろし、身体を切り裂いた。核を破壊されたスライムは形を保てず液体へと戻る。
剣を振り切った隙を突こうと、斜め後方からホーンラビットが突進してきた。
だか、俺は踏み込んだ右脚を軸にして身体を高速回転させる。突進の軌道を最小限の動きでかわし、空中に死に体となって浮いたホーンラビットの首筋へ、回転の勢いを乗せた鋭い一閃を叩き込んだ。
ストン、と軽い音を立ててホーンラビットが地面に落ちる。
「よし、終わりだな」
剣の血振るいを済ませてから、鞘に納め振り返る。
「いつ見ても、鮮やかな手際ね」
アイが小さく拍手しながら掛け値なしの賞賛をくれた。
「う〜ん……やっぱりにぃにって、剣を構えてる時と普段のおバカな感じの差が激しいよね」
ユナが首をコテンとかしげながら呟く。
「そんなに普段とギャップがあるか?」
「あるよ〜。にぃには息さえしてなければかっこいいのにね」
「黙るだけじゃ足りませんかね!?」
普通は、こういう時って『黙っていればかっこいいのに』だろ。息をするという生命活動がかっこよさの足枷になるとか、俺の背負った業が深すぎるんじゃないか。
過去の行いは悪くないはずなんだけど……。いや、待てよ。もしかして八歳の時に父さんの眼鏡からレンズを外した件とか、九歳の時に母さんのメイスを持とうとして倒れて床に大穴開けた件とか、十歳の時に――。
思い当たる節が百件を超えたあたりで、アイの透き通った声が聞こえてきた。
「アルス、目的地に着いたわよ」
数えきれない過去の過ちから目を逸らし、視線を前に向ける。
目の前には、一面の幻想的な光景が広がっていた。
「……いつ来ても、この景色には圧倒されるな」
毒消し草の群生地。
『草』という名がついてはいるが、毒に有効な成分が含まれているのは花の部分だ。花が咲くこの短い季節に採取して乾燥させておかなければ、患者を治療することができなくなる。
成分の影響なのか、毒消し草の花びらは半透明になっていて、太陽の光を反射し淡く七色に輝いている。まるで光の絨毯が広げられているかのようだ。
「こんなに綺麗な花を摘んでしまうのは、少し心が痛むわね……」
アイが愛おしそうに花を見つめながらぽつりと漏らす。
「でも、このお花がないと困る人がいっぱいでちゃうもんね」
「えぇ、分かっているわ。だからこそ感謝を込めて、必要な分だけ採取しましょう」
アイはユナの言葉に頷き、持参した籠を抱え直した。
「アイ、どれくらい必要なんだ?」
「今年は百五十本よ」
「百五十本!? 去年に採取した時よりかなり多くないか?」
驚きに声を漏らす。去年の倍近い数だ。
「えぇ。去年の秋頃に毒を受けた方が多くて、教会の蓄えが底をついてしまったの。神父様もそのことをかなり気にされていたわ」
「あぁ〜そういえば、去年は次から次に怪我人が運ばれてたな……。しかし、百五十本となると、少し急がないと日が暮れそうだな」
「まずいよ! 遅くなったら門番さんに怒られちゃうよ!」
ユナが少し焦ったように袖をまくり上げる。
「そうね、手分けして急ぎましょう!」
各自五十本を目処に作業に取り掛かる。万が一の魔物の襲撃に備え、お互いに声が届く距離を保ちながら、手際よく花を摘んでいく。
十本ほど積んだところで、隣のアイが手を動かしながら徐に俺の方を見てきた。
「ねえ、アルス。作業しながらで構わないのだけれど……一つ尋ねてもいいかしら?」
「ん? どうした改まって」
「大したことではないの。ただ、アルスは将来何をしていきたいと考えているのかなって思って」
「ふ〜ん、普段はおバカなにぃにがどんな未来を考えてるのか、ユナもちょっと興味あるかも」
アイの反対側で採取していたユナも興味深そうに顔を上げる。
さらっと『大したことない』『おバカ』と言われたことに地味に傷ついたが、アイに悪気がないのは分かっている。もちろんユナは悪意まみれだ。
ただ、ほんの少しだけ意地悪をしたくなり、俺は大袈裟に胸を張って見せた。
「そうだな……まだ
言葉に合わせてバカっぽい決めポーズも作ってみせる。
程よくツッコミが来ると思ってたんだけど……返ってきたのは完全な静寂だった。
ユナはまるで蛆虫を見るかのような冷ややかな目で俺を凝視し、アイに至っては冗談と受け取れず、もはや血の気が引いて青ざめていた。
(……えっ、引かれ方の癖が強くない!?)
「……そう、ね。アルスの意志は否定しないわ。……いつか叶うといいわね」
アイは無理やり笑顔を作り、言葉を選びながら慎重に絞り出していた。
「にぃに……現実って言葉知ってる? ……あ、そっか、もうにぃにには帰ってこられない遥か遠くの世界になっちゃったんだね……」
「勝手に現実から不法出国させるんじゃねぇよ!? 冗談に決まってるだろ!」
二人の冗談の通じなさに思わずセルフツッコミを入れてしまった。
アホなやりとりをしつつも、手だけは動かしてたため、作業は順調に進み百五十本の採取もまもなく終わりを迎えていた。
ちらりとアイの方を見ると、彼女はなぜか腑に落ちたような、妙にすっきりした様子で残りの花を摘んでいる。さっきのバカみたいな回答で何を納得されたのか、逆に自分の普段評価が心配になってきた。
「これでちょうど百五十本ね。二人ともお疲れ様、戻りましょうか」
アイが籠いっぱいに収まった七色の花を見て、嬉しそうに微笑む。
「最初の魔物だけで、後は何事もなく終わってよかったね!」
「……俺の尊厳はズタズタだけどな」
「それは自業自得だよ」
ユナにクスクスと笑われながらあしらわれる。ため息をついて立ちあがろうとした――その時だった。
―――――ズズズゥゥンッッ!!!!
地響きと共に、空気を振動させるほどの轟音が、町の方角から響き渡った。
「「きゃっ……!?」」「なっ……!?」
木々から鳥達が一斉に飛び立ち、遠くの防壁のさらに向こうから煙のようなものが立ち上るのがかすかに見える。
「ねぇ、なに今の音……!?」
「町の方から聞こえたわ! アルス、一体なにが起きてるの……!?」
「俺にもわからん……だが、ただ事じゃないぞ!」
異様な雰囲気に、俺達の顔から完全に冗談が消え去った。
俺達は籠を抱え直し、弾かれたように町へと向かって走り出した。