アークエンジェルとの同行が始まってから、数時間が経過していた。四隻のシーマ艦隊は、白い艦の後方を一定距離で追従している。
近すぎず、遠すぎず。互いに相手を監視できる距離でありながら、いざという時には別々の航路へ逃げられる距離でもあった。
リリー・マルレーンのブリッジでは、航法士が前方の航路を監視し、オペレーターたちが断続的に入ってくる通信を処理している。その中で、一つだけ他とは明らかに毛色の違う通信が入った。
「隊長。アークエンジェルからデータ転送の準備が完了したとのことです」
「ようやく来たかい」
シーマは艦長席に腰を下ろしたまま、煙草をくゆらせた。
「内容は?」
「先ほど協議したCE規格関連のデータ一式。推進剤、蓄電池、MS用電装部品、各種消耗品の規格情報。それから、ザフトおよび地球連合軍の基本的な兵器規格についても含まれています」
「上出来じゃないか」
シーマは口元を吊り上げた。
「ベッカーに回しな。あいつが三日くらい寝なくなる程度には、たっぷり渡してやりな」
「すでに整備班へ転送しています」
「仕事が早いねぇ」
その時、別のオペレーターが声を上げた。
「隊長、アークエンジェルから追加通信です」
「今度はなんだい?」
「こちらから渡す予定のデータについて、確認したいことがあるそうです」
「繋ぎな」
通信が接続される。
『――シーマ司令、こちらマリュー・ラミアスです』
「どうしたんだい、艦長さん」
『先ほどお話しした技術情報の交換についてですが、こちらで受領したデータの中に、我々が確認したことのないMS用機器が多数含まれています』
「そりゃそうだろうねぇ」
『……あれは、すべて貴艦隊が使用しているものですか?』
「全部が現役ってわけじゃないさ。古い規格も混じってる」
シーマは煙を吐き出した。
「ただ、使えるものがあれば使う。それだけさ」
『なるほど……』
マリューの声に、わずかな困惑が混じる。
『それで、こちらから送ったデータについてですが』
「何か問題でも?」
『いえ。こちらの規格に合わせて機材を改修する場合、かなりの部分を新規に設計し直す必要があるのではないかと思いまして』
「その通りだよ」
シーマはあっさり答えた。
「だからこそ、そっちの規格を知りたいのさ」
『……なるほど』
「こっちの機械をそのままCEの機械にするつもりはない。逆に、そっちの部品をそのままこっちの艦に突っ込む気もない」
シーマは指先で煙草を回した。
「使えるところだけ拾って、噛み合わせる。それが現地改修ってもんさ」
『確かに……』
通信の向こうで、マリューが納得したように息を吐いた。
そこへ、別の声が入る。
『シーマ司令』
「また副長さんかい?」
『はい。ナタル・バジルールです』
「今度は何だい?」
『そちらから提供された艦艇用機器の仕様について、一つ確認があります』
「言ってみな」
『動力系の基本構造について、こちらに提供された情報が極端に少ないようですが』
シーマの目が細くなる。
「そりゃ当然だろう」
『……やはりですか』
「商売ってのは、お互いに必要なものを出し合うもんだ。自分の心臓まで売り渡すもんじゃない」
『了解しました』
ナタルの返答は早かった。
『こちらも同様の判断です』
「話が早くて助かるよ」
『ただ、外部接続規格と補助機器については、かなり詳細な情報が提供されています』
「そっちは使ってもらって構わない」
『ありがとうございます』
短い沈黙。
そしてナタルが続ける。
『……正直に申し上げます』
「なんだい?」
『貴艦隊の技術体系には、理解できない部分が多すぎます』
シーマが笑った。
「そりゃこっちも同じさ」
『そうでしょうね』
その返答に、シーマは少しだけ目を丸くした。
ナタルがそんな言葉を返してくるとは思っていなかったのだ。
『こちらから見れば、貴艦隊のMSは古い設計思想を持ちながら、部分的に我々のMSより高度な機構を備えています』
「へぇ」
『逆に、こちらの機体では当然となっている部分について、貴艦隊は未知の技術として扱っている』
「なるほどねぇ」
シーマは楽しそうに笑った。
「つまり、お互い様ってわけだ」
『そのようです』
そこで通信が一度途切れかけた。
だが、別の回線から声が入る。
『あの……シーマさん』
「ん?」
シーマが眉を上げる。
「今度は誰だい?」
『キラです』
「また坊やかい」
『すみません』
「謝るこたぁないさ。で何だい?」
『さっき送ってもらった交戦データを見ていたんですけど……』
「ほう」
『ガーベラ・テトラがイージスと戦った時の映像について、少し聞きたいことがあります』
「言ってみな」
『あの機体……ビーム兵器を使う時、かなり独特な動きをしていました』
シーマの目が細くなる。
「よく見てるじゃないか」
(戦闘中はだいぶ追い込まれてたはずなんだけどねぇ…随分視界が広いもんだ)
『ストライクの操縦をしていたので』
「なるほどねぇ」
シーマは背もたれに身体を預けた。
『あのビーム兵器って、ストライクのものとは少し違いますよね?』
「違うねぇ」
『どこが違うんですか?』
「企業秘密さ」
『……ですよね』
キラが苦笑した気配が伝わる。
「ただ、一つ教えてやるよ」
『はい』
「うちの機体は、敵を倒すためだけに武器を積んでるんじゃない」
『……?』
「生きて帰るために必要だから積んでるのさ」
キラが黙った。
シーマはそれ以上説明しなかった。
「そのうち、あんたにも分かるさ」
『……はい』
通信が切れた。
シーマは煙草を口元へ戻す。
「さて――」
その時だった。
「隊長!」
オペレーターの声がブリッジに響いた。
「前方に大規模な艦隊反応!」
「数は?」
「現時点で確認できるだけでも相当数。大型艦艇を中心に、かなりの規模です!」
「何だい、あれは?」
「艦隊規模です。識別信号を照合中」
「連合軍かい?」
「……照合一致。地球連合軍、第8艦隊です」
シーマは目を細めた。
スクリーンの向こう、暗い宇宙の彼方に、無数の光点が浮かび始めている。
「……来たねぇ」
シーマは煙草を灰皿へ置いた。
「艦長さん」
『はい』
「そろそろ取引の締め時だよ」
『……第8艦隊ですか』
「ああ」
『予定より早い……』
「そうかい」
シーマは前方を見据えた。
「だったら、あたしたちはここまでだ」
『待ってください』
「何だい?」
『まだ補給物資の引き渡しが完了していません』
「そっちは予定通り進めな」
『ですが――』
「艦隊同士で横並びになってからじゃ遅いんだよ」
シーマの声が鋭くなる。
「第8艦隊に、あたしたちの姿をまともに見せるつもりはない」
『……了解しました』
マリューの返答にも緊張が混じる。
「データはもう届いてる。あとは物資の受け渡しだけだ」
『分かりました』
「それと、艦長さん」
『はい』
「今回の取引、悪くなかったよ」
通信の向こうで、マリューが少し笑った。
『こちらも同感です』
「また何か必要になったら通信を寄越しな」
『はい』
「ただし――」
シーマは口元を吊り上げる。
「次はもっと高く買ってもらうよ」
『……覚えておきます。それでは』
おそらく苦笑したであろう顔が目に浮かんだ。
シーマは立ち上がった。
「デトローフ」
「はい」
「全艦に伝達。補給物資の受け渡しが終わり次第、予定通り離脱する」
「了解」
「アークエンジェルとは一定距離を保ったまま、別航路へ移る」
「第8艦隊との接触は?」
「避ける」
シーマは即答した。
「連合軍の大艦隊に、得体の知れないジャンク屋四隻を見せる必要なんざないからねぇ」
「しかし、連中の索敵圏に入る可能性は?」
シーマは一瞬だけ黙った。
スクリーンの向こうには、すでに第8艦隊と思われる艦影が広がり始めている。
「そりゃ仕方ないさ」
シーマは火のついていない煙草を指先で弄ぶ。
「見つからないようには動く。だが――」
口元に薄い笑みが浮かんだ。
「見つかった時まで、逃げ回るつもりはないよ」
「……よろしいのですか?」
「向こうが撃ってこない限りはねぇ」
シーマは前方を睨む。
「その時は、その時で話をするさ」
やがて、補給物資の受け渡しが完了した。
アークエンジェルとの距離が少しずつ開いていく。
四隻のシーマ艦隊は、第8艦隊の主航路を避けるように進路を変更した。
だが――。
「隊長!」
再び、オペレーターの声が響く。
「どうしたい?」
「右舷前方、第8艦隊所属と思われる艦艇から探知波! こちらを捕捉した可能性があります!」
デトローフが舌打ちする。
「やはり見つかったか」
「識別要求が来ています!」
ブリッジの空気が一気に張り詰めた。
シーマはスクリーンを見つめる。
無数の艦影の一角から、一隻の艦がこちらへ針路を変えつつあった。
「……ずいぶん早いお出ましだねぇ」
「隊長、どうします?」
シーマはしばらく黙っていた。
やがて、煙草を灰皿へ置く。
「通信を開きな」
「よろしいのですか?」
「逃げたって追われるだけさ」
シーマは椅子に腰を戻した。
「だったら、話をした方が早い」
通信回線が開く。
『――こちら地球連合軍、第8艦隊所属艦。そちらの艦隊に告ぐ』
聞き慣れない、しかし落ち着いた男の声だった。
『所属と航行目的を明らかにしてもらいたい』
シーマの眉がわずかに上がる。
「……なるほどねぇ」
声の主が誰なのか。
すぐには分からなかった。
だが、軍人としての落ち着きと、こちらを頭ごなしに敵と決めつけない慎重さだけは伝わってくる。
「こちら、ジャンク屋だよ」
シーマは淡々と答えた。
『ジャンク屋?』
「そうさ。そっちは大所帯、こっちはたった四隻。喧嘩を売るつもりなんざないよ」
『しかし、君たちの艦隊は先ほどアークエンジェルと行動を共にしていたと報告を受けている』
「よく見てるじゃないか」
『アークエンジェルから、君たちについて最低限の情報提供を受けている』
シーマはわずかに目を細めた。
マリューが先回りして説明してくれたらしい。
『君たちは、我々の艦隊との接触を望んでいないとも聞いている』
「その通りさ」
『ならば、なぜこちらの識別要求に応じた?』
「逃げたところで、あんたたちに追われるだけだろう?」
シーマは口元を吊り上げた。
「それなら、話のできるうちに話をつけた方がいい」
通信の向こうで、わずかな沈黙。
『……なるほど』
男の声が、少しだけ柔らかくなった。
『私は第8艦隊司令、ハルバートンだ』
シーマの目が細くなる。
「へぇ……」
デトローフが振り返った。
シーマは小さく笑った。
「随分と大物が出てきたじゃないか」
『君たちがアークエンジェルを援護したことは確認している』
「援護したんじゃない。あたしたちはあたしたちの都合で戦っただけさ」
『それでも結果として、アークエンジェルは生き残った』
「そういうことだねぇ」
『そして、君たちは第8艦隊への合流を望んでいない』
「あぁ。そのつもりはないよ」
『理由を聞いても?』
シーマは一瞬だけ黙った。
そして、煙草を指先で回す。
「簡単さ」
声に迷いはなかった。
「誰かの旗下に入る気がないんだよ」
通信の向こうが静かになる。
シーマは続けた。
「そっちはそっちで、自分たちの戦争がある。こっちにはこっちの事情がある。余計な縄張り争いをするつもりはないさ」
『……筋は通っている』
「そいつはどうも」
『しかし、君たちはこの宙域について何も知らないのではないか?』
シーマの眉が動く。
『少なくとも、アークエンジェルから聞いた話では、君たちはここ最近の軍事勢力について十分な情報を持っていない』
「……よく喋る艦長さんだと思ったら、あんたもなかなか食えないねぇ」
シーマが笑う。
『お互い様だろう』
思いがけない返答に、ブリッジの空気が一瞬だけ緩んだ。
「ハッ……」
シーマは肩を揺らす。
「なるほど。こりゃ話くらいは聞いてみてもよさそうだ」
『では、少し話をしないか』
「いいさ」
シーマは前方のスクリーンを見た。
「ただし、そっちの艦隊に乗り込む気はないよ。通信越しで十分さ」
『承知した』
「それと、あたしたちの艦隊に近づきすぎないこと」
『分かった』
「話が早くて助かるよ、ハルバートン司令」
『こちらこそ、シーマ司令』
その名が通信回線を通じて返ってきた瞬間。
シーマはほんの僅かに目を細めた。
まだ、互いに何も知らない。
信用もない。
それでも――。
この男とは、少なくとも話ができそうだった。
その頃、整備区画ではベッカーが届いたデータを食い入るように見つめていた。
端末に並ぶCE規格、推進剤、バッテリー、MS用電装系、武器接続規格……そして、これまで見たことのない設計思想。
「……面白ぇじゃねぇか」
隣にいた整備兵が苦笑する。
「主任、また徹夜する気ですか?」
「馬鹿言え」
ベッカーは即答した。
「こんなもん見せられて寝られるか」
その顔には、久しぶりの職人らしい笑みが浮かんでいた。
同じ頃、アークエンジェルでもシーマ艦隊から送られてきたデータの解析が始まっていた。
ナタルはモニターに表示されたMSの構造図を見つめていた。
「……ザフトとも連合とも違う」
「はい」
隣でキラが答える。
「でも、変な感じがする」
「何がだ?」
「古い機体なのに……ちゃんと考えて作られてる」
ナタルは黙った。
確かにそうだった。洗練されているとは言い難いが、戦場で生き残るために必要なものが異様なほど明確に組み込まれている。
「……あの人たちは」
キラが呟く。
「勝つためだけに戦ってるんじゃないのかもしれない」
「どういう意味だ?」
「生き残るために、戦ってる」
ナタルは答えなかった。
ただ、先ほどの通信で聞いたシーマの声を思い出していた。
――生きて帰る。
その言葉が、妙に耳に残っている。
そして今。
アークエンジェルとシーマ艦隊は、すでに別々の航路へ分かれつつあった。
白い艦との同行は、ここで終わる。
技術情報。
補給物資。
そして、ほんの僅かな信頼。
短い時間だったが、この世界で生き残るための足掛かりは確かに手に入った。
だが――。
「隊長」
デトローフが声をかける。
「何だい?」
「第8艦隊から、先ほどの通信について続きが来ています」
シーマは前方のスクリーンへ目を向けた。
そこには、すでに遠ざかりつつある白い艦の姿と、その向こうに広がる巨大な艦隊が映っている。
「……そうかい」
シーマは煙草を口元へ運んだ。
アークエンジェルとは別れた。
だが、完全に一人になったわけじゃない。
むしろ――。
ここからが、この世界で生きていくための本当の始まりだった。
「ハルバートン司令、ときたもんだ」
シーマは小さく笑う。
「さて……どんな話を聞かせてもらえるかねぇ」
四隻の艦艇は、ゆっくりと航路を変えていく。
白い艦とは違う道へ。
そしてその先には、シーマ艦隊がまだ知らない、この世界の「地球」が待っていた。