熱気が蜃気楼となって揺らぎ、鋭い砂粒を含んだ暴風が吹き荒れる北アフリカの砂漠。
大気圏突入という地獄の摩擦熱を削り出し、命からがら降り立ったアークエンジェルとシーマたちは、荒涼とした赤茶けた大地の上にその巨大な鋼鉄の躯体を横たえていた。
アークエンジェルの艦底からは、過負荷に悲鳴を上げた機関部から黒煙が立ち昇り、技術兵たちが汗と油に塗れながら不眠不休で応急修理に追われている。金属の打撃音と溶接の火花が、静寂な砂漠の空気を重く震わせていた。
そのタラップの傍らに、シーマは悠然と立っていた。
「――ここまでだ。契約は終わりさ」
シーマは細い指に挟んだ一本の煙草を唇から離し、ふっと紫煙を風に散らした。白く煙る視線の先には、艦のタラップを降りてきたマリュー・ラミアスとナタル・バジルールがいる。
「シーマ司令……」
マリューは胸の内に渦巻く複雑な感情を隠しきれず言葉を詰まらせたが、すぐに意を決したように深々と頭を下げた。
「大変な激戦の中、本艦をここまで護衛していただき、本当にありがとうございました。」
「こっちも、もらうもんはもらったからねぇ」
シーマは口元に薄い笑みを浮かべ、煙草の灰を指先で軽やかに弾いた。
「あたしたちは傭兵だ。金と約束分の仕事はした。これ以上あんたたちに付き合う義理も理由もない」
「契約が終了した以上、我々からあなた方を引き止める理由はありません」
ナタルが冷徹な表情で一歩前へ踏み出す。
「話が分かるじゃないか」
シーマがくすりと笑う。
ナタルはわずかに眉を寄せ、一拍置いてから静かに、噛み締めるように続けた。
「ですが――今回、我々を護衛していただいたことについては……感謝します」
「へぇ」
シーマが意外そうに眉を跳ね上げ、目を細める。
「随分と素直になったもんだねぇ、中尉さん」
「事実を申し上げただけです」
ナタルは背筋を正し、視線を逸らすことなく淡々と答えた。その声には、死線を共にした者へ送る固い敬意が滲んでいた。
「あなた方がいなければ、本艦はここまで辿り着けなかった。それについてまで否定するつもりはありません」
「……そうかい」
シーマは低く短く笑った。
「じゃあ、その言葉だけはありがたく受け取っておくよ」
シーマは靴底で煙草の火をじわじわと踏み消すと、踵を返して自艦リリー・マルレーンへと歩き出した。
「じゃあね、中尉さん。お互い、生きてたらまた会おうじゃないか」
こうして、アークエンジェルとシーマたちの命懸けの共同戦線は一旦、完全に終結した。
だが、アークエンジェルと袂を分かち、一本立ちしたシーマたちの前に立ちはだかる現実はあまりにも厳しかった。
「司令、艦の修理より先に食料と飲料水が尽きます」
リリー・マルレーンの暗いブリッジで、副官のデトローフが刻刻と減っていくホログラムの備蓄リストを前に、苦々しい表情で告げた。
「宇宙での長期間の漂流に加えて、大気圏突入時の消費が大きすぎました。アークエンジェルから譲り受けた物資を合わせても、この大世帯の腹を満たすには一週間も保ちません」
「……やれやれ。これだから生身の人間を養うのは骨が折れるねぇ」
シーマは洗っていない髪をざっくりとかき上げ、鬱陶しそうに深々と溜息を吐いた。
「こんなデカブツを街の近くまで持っていったら、買い出しどころか大騒ぎさね。あたしたちの存在がザフトや軍に割れたら厄介だしね。……よし」
「買い出しですか?」
「そうさ。少人数で近くの街へ行って、当面の食材と水をごっそり買い込んでくる。クララ、付き合いな」
「了解です、隊長!」
その頃、アークエンジェル側でも物資調達のため、キラとカガリ、そして護衛兼監督としてナタルが街へと向かう準備を進めていた。
期せずして、同じ街、同じ市場へと両者は向かうこととなる。
オアシスの街バナディール。
日差しの強い市場は、水と食料を求める現地の人々と露天商の活気で溢れていた。スパイスと果実、そして人の汗の匂いが混ざり合う雑多な空気。
地元で買った簡素な衣服に着替え、大量の食糧缶と水タンクの手配を終えたシーマとクララ。
その途上、街のカフェのテラス席で、見覚えのある少年の姿が目に入った。
「あれ……ストライクの坊やかい?」
そこには、買い物途中に身分を隠して休憩していたキラ、カガリ、そして相変わらず厳しい表情を崩さないナタルの姿があった。
そして、そのテーブルに同席している男が一人。
黄色の派手なシャツにサングラス。挽きたてのコーヒーカップを手に、優雅に談笑している男――アンドリュー・バルトフェルド。
「おや」
バルトフェルドがふと視線を向け、シーマたちに気づいた。サングラスの奥の鋭い目が細められる。
「これはまた……意外な顔ぶれが街に紛れ込んでいるな」
シーマは懐から煙草を一本抜き出すと、くすりと笑いながら歩み寄った。
「あたしまで数に入れるのかい? 砂漠の虎さん」
「シーマさん……!?」
キラが驚愕して椅子を蹴破らんばかりに立ち上がる。ナタルも瞬時に身体を緊張させ、腰の銃に手を伸ばしかけたが、シーマは手でそれを制した。
「やめなよ中尉。こんな人目のある街中でドンパチ始める気かい?」
「……」
ナタルは屈辱そうに歯噛みしながら手を離した。
バルトフェルドは興味深そうにシーマを見つめ、空いている椅子を勧めた。
「宇宙でアークエンジェルを護衛していた傭兵艦隊の司令官が、こんなところで買い物とはね。ザフトの目と耳を盗むのも楽じゃないだろう?」
「宇宙じゃ新鮮な食料も水も買えないからねぇ」
シーマは空いた椅子に深く腰掛け、ライターの火を煙草に点けた。小さな炎が彼女の鋭い瞳を映し出す。
「あたしたちも胃袋を持った人間なんでね。腹が減っちゃ戦もできないのさ」
バルトフェルドはコーヒーを一口啜り、深く息を吐いた。熱い湯気が二人の間に立ち上る。
「戦争っていうのはね、ボクサーの試合みたいなものじゃないんだよ。どちらが正しいか、どちらに正義があるか……そんなものは勝った方が決めることだ。結局は、どっちが勝つか、それだけさ」
キラが言葉を詰まらせ、俯く。拳をぎゅっと握りしめる少年の葛藤。
その重苦しい沈黙の中に、シーマの冷ややかな声が低く落ちた。
「勝ったほうが正しい、なんてのは楽な話さねぇ」
バルトフェルドが視線をシーマに移す。
「ほう?」
「負けた側が何を失ったかまで、勝った側が背負ってくれるわけじゃないからねぇ」
シーマの目が、一瞬だけ遠い過去――自らの故郷や捨て去られた過去、虐殺の汚名を着せられたあの日を追うように暗く光った。
「勝った奴は自分の正義に酔いしれ、負けた奴はすべてを奪われて泥を啜る。……戦いなんてのは、ただの泥沼の押し付け合いさね」
バルトフェルドは煙草をくゆらせるシーマを凝視し、深く頷いた。
「君はずいぶん現実的だな」
「現実しか見てこなかったんでねぇ」
シーマはそっけなく答え、それ以上語ろうとはしなかった。
そのやり取りを、カガリは食い入るように見ていた。熱い眼差しの中に、隠しきれない反発と惑いが混ざり合う。
「あんた……軍人なんだろ? なのに地球連合にも、ザフトにもついていない……一体どこの軍なんだ?」
「どこの軍でもないさ」
シーマは肩をすくめた。
「必要な相手とは手を組む。必要がなくなりゃ離れる。それだけだよ」
「そんなのでいいのか!?」
カガリが感情を露わにして身を乗り出し、テーブルを叩いた。
「信念とか、守るべき国とか、そういうのはないのかよ!」
「いいも悪いも、生き残るためにはそうするしかないのさ」
シーマは静かにカガリを見つめ返した。その瞳には、甘えや理想論を一切許さない、極限の戦場を生き抜いてきた現実主義者の冷徹さがあった。
「国や信念で腹が膨れるかい? 死んだら信念も何もないんだよ、お嬢ちゃん。あたしたちは明日を生きるために銃を握ってる。それ以外の飾りはいらないのさ」
「くっ……」
反論しようとするカガリ。だが、ナタルが低く静かな声でそれを遮った。
「……一理ある」
「ナタル!?」
「彼女たちの生き方を肯定するわけではない。だが、戦場において生き残ること以上に切実な目的はないのも事実だ。正規軍であれ、傭兵であれな」
ナタルの厳格な言葉に、シーマはフッと鼻で笑った。
「言っておくがね中尉、あたしたちをあんたたちのルールで測ろうとしないでくれよ」
「分かっている。あなた方はただの『契約相手』だった。……それ以上でも、それ以下でもない」
ナタル、シーマ、キラ、カガリ、バルトフェルド。
それぞれの立場、それぞれの生き残るための思想が、テーブルの上で火花を散らすことなく、だが決定的に噛み合わないまま存在していた。
「さて……そろそろお暇させてもらうよ」
シーマは立ち上がり、携帯吸い殻入れに煙草の火を消して収めると、クララに目配せをした。大量の食料品を載せたカートが準備できている。
バルトフェルドもまた、静かに立ち上がった。
「良い時間だったよ、シーマ司令。次に会うときは……お互い、戦場かもしれないな」
「そうだねぇ」
シーマは背を向けたまま、ちらりと振り返って笑った。
「次に会うときゃ、敵かもしれないねぇ。あんたの首に懸賞金でもかかってれば、喜んで狙わせてもらうよ」
「それは困ったな。せっかく面白い女性と知り合えたというのに」
「だったら――」
シーマはジャケットの襟を正し、砂漠の風に髪をなびかせた。
「次も死なずに、しぶとく生き残りな」
「……善処しよう」
互いに武器を抜くことなく、視線だけで火花を散らした二人は、静かに逆の方向へと歩き出した。
キラとカガリ、アンドリュー、そしてナタルは、遠ざかっていくシーマの後ろ姿を黙って見送っていた。
「生き残る、か……」
キラは自分の掌をそっと見つめ、小さく呟いた。
その声を背中で聞きながら、シーマはクララへ視線を向ける。
「さて……食料は買った。次は寝床と修理場所だねぇ」
「はい」
クララが力強く頷く。
「以前、ロウさんから聞いた場所があります。ギガフロート……でしたよね?」
「ああ」
シーマは新しい煙草を咥えたまま、砂漠の遠い地平線の向こうへ目を向けた。
「地上で使える拠点があるって話だったねぇ」
「行ってみますか?」
「そうさ。艦を隠せる場所があるなら、当たってみる価値はある」
シーマは迷うことなく踵を返した。
「ロウの話がどこまで信用できるかは、行ってみりゃ分かるさ」
灼熱の風が吹き抜け、二人の裾を揺らす。
遠くでは、砂塵に霞んだ街の喧騒が何事もなかったかのように続いていた。
シーマたちは、アークエンジェルとは別の道を歩み始める。
向かう先は――ギガフロート。
そこに、自分たちがこの世界で生き残るための確かな足場があることを願いながら。