艦内放送が短く鳴り、非常配置解除のブザーが甲高く響いた。その音を合図に、張り詰めていた空気が少しだけ緩む。だが、安堵した者は誰一人としていなかった。
リリー・マルレーンの狭隘な通路では、整備兵たちが火花を散らしながら破断した一次冷却配管を溶接し、衛生兵は担架を押して負傷者を医療区画へ運んでいく。壁面には消え切らない焦げ跡と焦臭。床には消火剤の白い粉末が、まるで打ち捨てられた雪のように残っていた。
戦闘は終わった。
しかし、艦はまだ戦場の中にいた。
シーマ・ガラハウは艦橋へ向かう道すがら、その光景を黙って眺めていた。誰も弱音を吐かない。吐いたところで、直る傷も増えるプロペラントも一つとしてないことを知っているからだ。
艦橋の自動扉が横滑りに開く。中では慌ただしい報告が飛び交っていた。
「熱核融合炉、冷却系応急修理完了! ですが出力は七割が限界です!」
「第三ブロック、防壁閉鎖を維持! 居住区画の気密復旧には時間がかかります!」
「MSデッキより! ゲルググ二番機、三番機は修復可能。ですが一番機はプロペラントタンクの丸ごと交換が必要です!」
シーマは煙草を咥え、静かに艦長席へ腰を下ろした。
「……被害をまとめな」
低い一言で、騒がしかった艦橋が静まり返る。副官のデトローフが手元のデータ端末へ視線を落とした。
「……人的被害。重傷六、軽傷二十三。死亡者……なし」
その報告に、艦橋の空気がわずかに和らぐ。
死人が出ていない。
この地獄のような状況下で、それだけが唯一の救いだった。
「補給は」
「真水、現状の制限配給で二十四日分。食料三十一日分。MS用プロペラントは残量六十八パーセント。実弾兵装は九割残っています」
シーマはライターの火をつけ、紫煙を大きく吐き出した。
「交換部品は」
その問いには、誰もすぐには答えなかった。代わりに、艦橋後方の通信ハッチが無骨な音を立てて開く。
「部品なんざ、あるわけねぇだろ」
油と焦げ臭さにまみれた作業服姿の男が入ってきた。主任整備士、ハロルド・ベッカーだった。
「冷却配管は継ぎ接ぎだ。バルブも限界、ポンプも悲鳴を上げてる。今ある資材で騙し騙し動かすことはできるがね、それも長くは持たんぞ」
「どれくらいだい」
「何もしなけりゃ一週間」
ベッカーは汚れたタオルで額の汗を拭い、肩をすくめた。
「部品を共食いさせれば二週間。他艦から部品を剥げば一か月ってとこだな」
シーマは紫煙の向こうで、冷たく、だが確かな意思を込めて言った。
「一か月も動けりゃ……アタシたちが生き残るには十分すぎる時間さね」
その時だった。
「――艦長!」
広域通信担当のオペレーターが弾かれたように顔を上げた。
「どうした」
「広域受信機が……妙な波形を拾っています!」
「自然放射かね。未知の宙域だ、デブリの電波散乱だろ」
「わかりません。ですが、この波形には明確な規則性があります!」
航海長も画面を覗き込み、眉をひそめる。
「この宙域の自然現象では説明がつきません。何らかの意図的な送信パターンです」
艦橋に再び緊張が走る。
未知の敵か、それとも――。
「拾えるだけ拾いな」
シーマは即座に命じた。
「ノイズ除去、ゲイン最大! 増幅します!」
通信士がダイヤルを慎重に回す。スピーカーから砂嵐のような雑音が艦橋へ流れ出した。
ザザ……ザ……ッ……
重苦しい静寂の中、ノイズだけが響く。誰も口を開かず、息を殺して耳を澄ませた。やがて――その不快な雑音の奥底から、掠れた電子音声が微かに浮かび上がった。
『……回収……』
通信士が息を呑む。
「今……人の声が……!」
再び激しいノイズ。そして、途切れ途切れに、だがはっきりと。
『……積荷……』
『……ジャ……ンク……』
プチリ、と通信が途絶えた。艦橋は静まり返る。
デトローフがゆっくりとシーマの方へ顔を向けた。
「……人工通信、でしょうか。我々の知る暗号コードでも、連邦やジオンの規格でもありませんが……」
シーマは短くなった煙草を灰皿へ押し付けた。そして、獰猛な肉食獣のように口元だけで歪んだ笑みを浮かべる。
「何がどうなってんのかさっぱり分からないけどねぇ」
シーマは新たな煙草を咥える。その瞳には、さっきまでの「漂流者」としての焦燥は消えていた。
「この突拍子もない宇宙にも……突っつき甲斐のあるカモは、ちゃんといるらしいじゃないか」
その一言で、艦橋を包んでいた暗い空気が一変する。
未知の宇宙。帰る場所はもうない。だが――生き残るための足がかりは、確かにそこに存在していた。