ギガフロートにおけるシーマ艦隊の滞在は、思いのほか順調に滑り出していた。
連日、ギガフロートの技術者とベッカーたち整備班が肩を並べ、傷んだ艦載機や艦艇の修繕、物資の補給が進められている。同時に、コズミック・イラ独自の規格やOS構成、フェイズシフト装甲をはじめとする異世界の技術情報の収集も精力的に行われていた。
並行して、シーマはクライン派との情報交換の回線も維持していた。
大気圏突入という地獄の苛烈な局面において、アークエンジェルを救い出し地球へと降ろした一戦について、シーマ自身の認識は至ってシンプルだった。あの件は、地球連合ひいては、ハルバートンから仲介された『依頼』を受けて一仕事こなしただけに過ぎない。アークエンジェルという艦に特別な肩入れをしたわけでも、大義名分に目覚めたわけでもなかった。渡された報酬と、貸しを作ったという事実。それだけで完結した「ビジネス」だったはずだった。
一方、副官のデトローフやヴァルターらは、ギガフロート内に飛び交う情報を精力的にかき集めていた。
ザフトと地球連合の膠着状態、アークエンジェルが依然ザフトから追われる立場にあること、知っておくべき政治情勢。コズミック・イラの大まかな勢力図は、着実に彼らの手元に集まりつつあった。
だが、彼らはまだ気づいていなかった。
外部の世界が、当の「シーマ艦隊」をどのような目で見ているかまでは。
蒸し暑いギガフロートの裏通りにある、薄暗い情報屋の店。
薄煙の漂うカウンターの端で、シーマは咥えた煙草から細く紫煙を吐き出しながら、目の前の情報屋と向き合っていた。
「……で、地上に降りた後のザフトと連合の動きはそんな感じかい」
「ああ。だがね、シーマの姐さん」
情報屋の男は手元の端末を弄りながら、不敵な笑みを浮かべてシーマを見た。
「あんたら、最近ちょっと名前が出回ってるよ」
「名前……?」
シーマはタバコを指で挟んで止め、紫の瞳をわずかに細めた。情報屋は声を潜め、画面をシーマの方へ向けた。
「あの軌道上で、ザフトの追撃を跳ね返してアークエンジェルを地球へ降ろした正体不明の艦隊……。あいつらの経歴を洗えだの、コーディネイターなのかナチュラルなのかってな。あちこちで噂になってるぜ」
情報屋が差し出したデータには、各勢力の諜報網が拾い集めた暗号通信の断片が並んでいた。
ザフト側からは『アークエンジェルを護衛・支援した正体不明の未確認武装勢力』として警戒レベルが引き上げられている。
地球連合側からは『アークエンジェルと接触し、自軍の技術体系にない兵器を運用する独立部隊』として分析が進められていた。
さらには、クライン派をはじめとする各反体制組織や傭兵仲介業者からも、『世界情勢を揺るがしかねない独立戦力』としてその動向が熱い注視を浴び始めていた。
シーマは無言で画面を見つめ、静かにタバコを噛み締めた。
自分たちが思っていた以上に、その存在がコズミック・イラ全体へ強烈な波紋を広げている――その現実が、冷たく脳裏に突き刺さった。
居住区へ戻ったシーマは、デトローフを呼び出し、得た情報を机の上に広げた。
「あたしらは、依頼を受けて一仕事しただけのつもりだったんだがねぇ……」
シーマの苦々しい呟きに、資料を検分したデトローフが顔を強ばらせた。
「……つまり我々は、知らないうちに各勢力へその存在を強烈に知らしめてしまった、と?」
「そういうことさね」
シーマは椅子に深く背をもたれかけさせ、天井を仰いだ。
外から見れば、『正体不明の謎の艦隊が、歴史の表舞台に突然現れてアークエンジェルを降下させた』という大事件に他ならない。
「……アークエンジェルを助けたこと自体が間違っていたとは言わないよ。あの場では、あの艦を救って貸しを作るのが一番の得策だった」
シーマは吐き捨てるように言った。
「戦場じゃ正解だった。だがねぇ……戦場の外じゃ、別の意味を持っちまった」
目の前の敵を倒し、味方の艦を救い、生き残る――戦場での局地的な判断と、それが世界という大盤振る舞いの盤上でどう動くかという『政治的波紋』を、あまりにも切り離して考えすぎていた。
「司令の判断ミスなどでは――」
「かばう解釈はいらないよ、デトローフ」
シーマは手を振ってデトローフの言葉を遮った。
「見通しが甘かったのさ、あたしがね。自分の甘さを認めなきゃ、次は本当に足をすくわれる」
自らの判断の隙を、シーマは誤魔化すことなくきっぱりと受け入れた。
夜。
仮設居住区の一室。静まり返った暗闇の中で、シーマは一人、窓辺に腰掛けてタバコをふかしていた。
赤く揺らぐ火種が、暗がりの中でシーマの横顔を仄かに照らし出す。
「……余計な名前を売っちまったねぇ」
ぽつりと漏れた独り言。
宇宙で故郷を奪われ、裏切りと汚名を着せられて生きてきた自分たち。目立たず、陰に潜み、泥を啜りながら生き残ることこそがシーマ艦隊の流儀だったはずだった。それが今や、異世界の中央でスポットライトを浴びる羽目になっている。
「……だからって、あの艦を見捨てりゃよかったなんて話でもないさね」
シーマはすぐに自嘲気味に息を吐き出し、首を振った。
あの時、助けを求める手を取り、生き残るための取引をした。その選択自体に後悔はない。後悔などという甘っちょろい感情は、とうの昔に捨てるか焼き払ってきた。
悔やむべきは選択そのものではなく、選択がもたらす『波紋の大きさ』を見誤った自分の眼力のなさだ。
立ち上る一筋の煙を見つめながら、シーマは静かに腹を括った。
「……次からは、名前が売れることまで考えて動くしかないねぇ」
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ほぼ同時刻、ギガフロートの仮設整備作業所。潮風と油の匂いが立ち込める室内で、シーマ艦隊の技術班と幹部たちがコーヒーを片手に大型モニターを囲んでいた。
画面に映し出されているのは、ジャンク屋組合から提供されたコズミック・イラ製モビルスーツの構造図面と、これまでの短い滞在で得られた交戦・稼働データの解析結果である。
集まっているのはデトローフ、整備班を束ねるエンジニアのベッカー、そしてヴァルターたちだった。
「……なぁ、ベッカー。一つ聞いていいか?」
腕を組み、不機嫌そうに画面を睨んでいたヴァルターが口を開いた。
「この世界のMS、核融合炉を載せてないんだろう? 基本はバッテリー駆動だ」
「ああ、ストライクやジンも含めて、ほとんどが大型バッテリー運用だな」
「なのに何だこの戦闘力は。推進力もOSの追従性も、果てはビーム兵器まで振り回している。俺の感覚じゃどうにも納得がいかない。どうやってこれだけのエネルギーを内部でやり繰りしてるんだ?」
ヴァルターの素朴な疑問に、ベッカーは苦笑した。
「化学バッテリーのエネルギー密度が、こちらの世界とは比べものにならんほど高いんだろう。だが……だからこそ、だ」
ベッカーは声を少し潜め、周囲の面々を見回した。
「……これ以上、C.E.側にこっちの動力系を見せるのはやめた方がいい」
一同の表情が引き締まる。
「うちの機体には、UCの技術体系そのものが詰まっている。核融合炉やミノフスキー物理学、メガ粒子砲の縮小展開技術……万が一、融合炉の構造やエネルギー供給系までC.E.側に見せれば、技術の出所を芋づる式に探られる」
「……なるほどな」
デトローフが顎に手を当てて頷いた。
「アークエンジェルと情報交換を行った際、機体の動力系や内部機構の核心部分を提示しなかったのは英断だったというわけか」
「ああ。あの時突っ込まれずに済んだのは命拾いだったな」
ベッカーは小さく息を吐き、次のデータをモニターに表示させた。
「もう一つ問題がある。ミノフスキー粒子の存在だ」
「……説明できるわけがないな」
ヴァルターが静かにつぶやく。
「うちの艦隊が使っているレーダー、通信、各種ビーム兵器の原理を説明しようとすれば、必ずミノフスキー粒子の話に行き着く。この世界には存在しない物質の原理を説明するなど、藪を突いて蛇を出すだけだ」
「その通りだ」とベッカーは頷く。「だから技術班としては、UCの技術をそのままC.E.側へ持ち込んで見せびらかすのではなく、C.E.側の技術だけで代替できる部分を探す方向へ舵を切る」
「つまり、郷に入っては郷に従え、か」
「特に重力下……地上戦となると事情が変わる」
ベッカーの言葉に、ヴァルターが嫌そうな顔をした。
「ガーベラ・テトラの件か」
「そうだ。宇宙ならいざ知らず、地上でのビーム兵器運用は大気による拡散や冷却、出力維持の問題がつきまとう。何より、戦闘中にビームを撃ちまくれば、技術解析されてミノフスキー技術の露呈につながるリスクが高まる」
「ミノフスキー粒子……もっと言えば、既に使ったビームについては今さらどうしようもない」
ベッカーは腕を組み、モニターを睨んだ。
「だが、これからは対策を考えなきゃならん」
「……要するに、地上戦じゃガーベラも実弾主体で考えなきゃならん、と?」
「そうなる」
ベッカーが頭を抱えた。
ガーベラ・テトラは極限まで軽量化された高機動機だ。実弾兵器を運用の主軸に据えるとなれば、重量増加、射撃時の反動制御、そして何より有限な弾薬の搭載量と補給の問題をゼロから考え直さなければならない。
「……だったら、武器だけC.E.製にすればいいのでは?」
これまで黙ってデータを見ていた技術班の一人が、一歩踏み込んだ提案を出した。
「機体フレームやメインジェネレーターそのものをC.E.製に改修する必要はありません。UC製の優秀な機体骨格とフレームはそのまま維持し、携行火器、マガジン、ミサイル、予備弾薬、一部のセンサーや補助装備だけをC.E.規格へ寄せるんです」
「現地調達か!」
ベッカーの目が光った。
「そうすれば、弾薬や予備パーツをジャンク屋経由で手に入れられる。うちみたいな補給線がない孤立艦隊にとっちゃ、喉から手が出るほど欲しいメリットだ」
「だがな、口で言うほど簡単じゃないぞ」
すかさずベッカー自身が釘を刺した。
「C.E.製のライフルを持たせるだけなら、マニピュレーターの形状を削って引っかければ済む。だが、問題は『引き金が引けるか』じゃなく『ちゃんと扱えるか』だ」
ベッカーは指を折り曲げながら列挙する。
「C.E.製MSとUC製MSじゃ、アクチュエーターの伝達速度、姿勢制御のプログラミング、反動のいなし方、トリガー制御、照準補正、武器認識……果てはOSとのデータ接続方法まで根本から違う」
「……つまり、武器を変えるなら機体制御側にも手を入れる必要があると」
デトローフの確認に、ベッカーが強く頷いた。
「その通り。例えば、C.E.製の高口径アサルトライフルを構えて撃った瞬間、UC側のメイン制御系がそれを『未認証の未知の装備』として処理したらどうなる?」
「……照準補正がズレるか、最悪の場合、射撃反動の姿勢制御が追いつかずに自機がバランスを崩すな」
「そうだ。だから今現在進めている『UC・CE統合運用OS』の改修計画が不可欠になる。武器制御系からOS、アクチュエーター、機体姿勢制御に至るまで、C.E.製武装を正しく『自国の兵器』として認識させるための橋渡しをするんだ」
話を聞いていたデトローフが、腕を組んで深い溜息を吐いた。
「性能面のメリットも大きいが、それ以上にコストの問題だな」
「だな」とヴァルター。「うちらが持ってきたUC製の弾薬や予備部品は、減る一方の超高級品だ。撃つたびに『金塊』を撒き散らしてるようなもんだからな。C.E.製の武器ならジャンク屋を通して安価に弾薬を仕入れられる。補給費を劇的に下げられるのは、うちの財布にとっても救いだよ」
「まったくです。シーマ司令の胃の痛む種が一つ減る」
デトローフが頷くと、ベッカーが資料の束をパタンと閉じ、天井を見上げた。
「……問題は、これをいつまでに形にするかだな」
デトローフが尋ねる。
「隊長への報告は?」
「まだするな」
「なぜです?」
「『C.E.製の武器を使えば弾薬代を大幅に抑えられる可能性があります』ってところまで分かってて、何も手を付けずに報告してみろ」
ベッカーが一拍置き、嫌なものを思い出すように眉間を寄せた。
「……シーマ司令にどやされる」
静寂。
デトローフは真顔で、ゆっくりと深く頷いた。
「……それは確かに。『で、いつから使えるんだい!?』と怒号が飛ぶ姿が容易に目に浮かびますね」
「だろ? だから、少なくともプロトタイプのOS改修とテスト射撃の目処が立ってからだ」
横で成り行きを見ていたヴァルターが、冷や汗を拭いながら短く吐き捨てた。
「……早めにやれ」
仮設作業所に、小さく、しかし切実な沈黙が落ちた。
誰も反論しなかった。