出航の準備が静かに、しかし急ピッチで進められる中、ジャンク屋側の責任者がシーマの元へ駆け込んできた。
「シーマ司令、急な話なんだが……ギガフロートと縁の深い人物から、君たちへ直接の依頼が届いている」
「依頼……? この土壇場にかい?」
シーマは作業の手を止め、訝しげに眉をひそめた。責任者が提示した通信データには、とある人物の名が記されていた――マルキオ導師。盲目でありながら各勢力に強い影響力を持ち、ジャンク屋組合とも深い信頼関係を築いている高潔な人物である。
提示された依頼内容は二つ。
一つ、瀕死の重傷を負った青年、キラ・ヤマトをプラントまで安全に移送すること。
二つ、マルキオ導師自身もその途上に同行し、プラントへ赴くこと。
「……ハッ、あたしたちを無料の便利屋かタクシーにする気かい?」
シーマは吐き捨てるように鼻で笑った。アークエンジェルを降下させた時と同様、またしても面倒な厄介事が転がり込んできた形だ。
だが、仮設医療室で収容されたキラの状態を確認したクララたちが、重い面持ちで報告に戻ってきた。
「司令……キラくん、酷い状態です。肉体の損傷もそうですが、精神的にも極限まで消耗しています。このまま地上に置いたままじゃ、適切な治療も受けられずに命を落とします」
重傷者を戦火の絶えない地上に放置することの危険性は、戦場を生き抜いてきた兵士たちなら嫌というほど理解していた。
シーマは紫煙を細く吐き出しながら、冷徹に現状を計算する。
前戦での威力偵察により、連合軍の関心はこのギガフロートとマスドライバーに向けられた。自分たちがこの地に留まり続ける理由はもう無い。むしろ一刻も早く離脱することこそが、ギガフロートへの唯一の義理立てとなる。
問題は、いかにして宇宙へ帰るかだ。
「……それなら、うちのマスドライバーを使えばいい」
ジャンク屋の責任者が提案した。
「元よりギガフロートは移動可能な巨大施設だ。宇宙へ物資や舟艇を打ち上げる運用実績も十分にある。シーマ艦隊が自力で無理な大気圏離脱を試みるより、ここでマスドライバーを使って宇宙へ上がる方がはるかに安全だ。何より、マルキオ導師とキラ少年の移送にとっても都合が良いだろう」
シーマはしばらく無言でタバコをふかしていたが、やがてくっくと喉を鳴らして笑った。
「……なるほどねぇ。逃げるために使うんじゃない。出ていくために使うってわけかい」
「あなたたちは、こちらの安全まで考えてくれたんだ。せめてこのくらいのことはしないと、ほかの組合員にも示しがつかなくてね。許可は私が出す。ぜひ使ってくれ」
シーマ艦隊とジャンク屋組合の間には、正式な協力契約が存在する。さらにマルキオ導師からの正式な依頼という形を取ることで、ギガフロート側にとっても「契約に基づき、依頼遂行のためにマスドライバーの使用を許諾した」という明確な大義名分が立つ。
シーマ艦隊がギガフロートのマスドライバーを使用し、宇宙へ帰還する――その方針が決定した。
「デトローフ、宇宙に残った連中に連絡しな。合流するよ」
決定が下るや否や、シーマ艦隊内部は慌ただしい活気に包まれた。
激戦で傷ついたゲルググMの応急修理、地上戦で得られたガーベラ・テトラの運用データの整理とバックアップ。弾薬、食料、水、医薬品といった生存物資の搬入。そして何より、生命維持装置に繋がれたキラの慎重な搬入作業。
作業を見守っていたベッカーが、腕を組んで頭を抱えていた。
「宇宙へ戻るだけなら、射出シークエンスに乗ればいい。……問題はあのガーベラ・テトラだ。地上での戦闘データを集めれば集めるほど頭が痛くなるぜ。もしまた地上に降ろされるような事態になったら、あいつをどう運用する?」
「地上用改修計画の本格化、ですね」
隣に立つデトローフが静かに追認する。宇宙への帰還が迫るからこそ、逆に「二度目の地上戦」へ向けた備え――実弾兵器への全面換装や重量バランスの再計算――の必要性が強固に浮き彫りとなっていた。
「地上用と宇宙用で、装備を換装できるようにするか。いっちょやるしかねぇな」
発進準備が整う直前、シーマは艦内の応接区画でマルキオ導師と向かい合っていた。
ベッドに横たわるキラは依然として意識が戻らず、微かな呼吸音だけを人工呼吸器から響かせている。
「……それで、あたしたちに何をさせたいんだい?」
シーマはパイプ椅子に深く腰掛け、鋭い視線を盲目の導師に向けた。
マルキオ導師は穏やかな表情を崩さず、静かに語りかける。
「依頼を受けてくださり、ありがとうございます。戦闘艦での移送は過酷ですが、今の地上には彼を安全に治療できる場所がありません。プラントの高度医療と、彼を待つ者の元へ届けることが唯一の道なのです。そして私自身もまた、両陣営の調停のためにプラントへ向かわねばなりません」
「へぇ……。知っての通り、あたしたちはザフトのお仲間なんかじゃないよ。それどころか、どこの国にも属さない怪しげな傭兵さね」
「承知しています」
マルキオ導師は迷いなく答えた。
「だからこそ、お願いしているのです。特定の国家や軍の利害に縛られないあなた方だからこそ、この傷ついた魂を託すことができる」
シーマは紫の瞳をわずかに細め、揺さぶるように問いかけた。
「……あたしたちが『嫌だね』と断ったらどうする気だったんだい?」
「その時は、別の方法を探すまでです」
咎める風でもなく、執着する風でもない。導師のあまりにも静かな回答に、シーマは一瞬呆気にとられた。自らの利害のために自分たちを利用しようとする政治家や軍人どもとは、明らかに毛色が違う。
「……あんた、本当に変わった坊さんだねぇ」
シーマの口元にくすりと自嘲気味な笑みが浮かんだ。
断る理由は、もはやどこにもなかった。
ギガフロートを安全に離れること。
マルキオ導師をプラントへ送り届けること。
そして瀕死の少年を安全な場所へ移送すること。
自分たちの生存と仁義、そして提示された依頼の三つが見事に合致していた。
「……分かったよ」
シーマはタバコを揉み消し、立ち上がった。
「あんたと、その坊やをプラントまで送ってやるさね」
マルキオ導師は静かに深々と頭を下げる。
「ありがとうございます、シーマさん」
「礼には及ばないよ。こっちにも都合ってやつがあるんでねぇ」
シーマはひらひらと手を振り、背を向けた。
ドックでは、巨大なレールの上にシーマ艦隊の艦艇が固定され、マスドライバーの加速用電磁レールが青白い放電現象を起こし始めていた。
「最後に、もう一つデカい世話になるってわけかい」
ブリッジに立ったシーマは、正面のモニターに映るギガフロートの全景を見つめた。
「全艦、射出シークエンスへ移行! 推進系、最大出力用意!」
カウントダウンが響き渡り、巨大な電磁加速の衝撃が艦隊を包み込む。ギガフロートのレールを蹴ったシーマ艦隊は、圧倒的な加速とともに重力の振り子を振り払い、漆黒の空へと一直線に突き抜けていった。
地球の青い輪郭が遠ざかり、再び見慣れた無音の宇宙が眼前に広がる。
重傷の少年と謎めいた導師を乗せ、シーマ艦隊はプラント宙域へと舵を切る。
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シーマはリリー・マルレーンの医務室にいた。
ベッドには、未だ意識を取り戻さないキラ・ヤマト。
その傍らには、杖を手にしたマルキオ導師が座っている。
シーマは壁際の椅子に腰を下ろし、煙草を指先で弄びながら、眠り続けるキラを見た。
「……随分と長いこと眠ってるねぇ」
「ええ」
マルキオは静かに頷いた。
「肉体的な損傷だけではありません。精神的な疲労も相当に蓄積しているのでしょう」
「そりゃそうだろうさ」
シーマは鼻を鳴らした。
「まだ子供じゃないか。そんなのを戦場に放り込んで、MSなんぞに乗せて……」
ここで言葉を切る。
「……いや」
シーマはキラを見つめた。
「MSに乗せられた、ってのが正しいのかねぇ」
「……そうかもしれません」
「とんでもない話だよ」
煙草を咥える。
しかし火は点けなかった。
「……一つ、聞いていいかい」
シーマは眠るキラを見た。
「コーディネイターってのは、子供を作るのが難しいんだろう?」
「ええ」
「あれは、どの程度の話なんだい?」
「……正確な数字は、私から申し上げるべきではないでしょう」
「数字じゃなくていい」
シーマの声が低くなる。
「軍人に分かる言葉で教えてくれ」
マルキオはしばらく沈黙した。
「放っておけば、自然に人口を維持できなくなる可能性があります」
シーマの表情から笑みが消えた。
「……可能性?」
「ええ」
「つまり、死ぬ奴の数より、生まれてくる奴の数の方が少なくなる」
「単純化すれば、そういうことです」
シーマは眠るキラへ視線を向けた。
「それは……かなりまずいねぇ」
「ええ」
「どれくらい先の話だい?」
「それも一概には言えません」
「そういうところが一番怖いんだよ」
シーマは吐き捨てるように言った。
「明日滅びるなら、誰だって危機だと分かる。だが、十年、二十年、三十年かけてゆっくり減っていくなら、人間は『まだ大丈夫だ』って言い続ける」
マルキオは何も答えない。
「一世代で半分になるわけじゃない。だから気づきにくい。だが、少しずつ若い連中が減って、子供が減って、その子供たちが作る次の世代がさらに減る」
シーマの脳裏に、軍の補充計画が浮かんだ。
兵員。
輸送。
整備。
工廠。
食料。
居住区。
社会を維持するために必要な、膨大な人間。
「……人口ってのはねぇ」
シーマはゆっくりと言葉を続けた。
「兵隊だけの話じゃないんだよ」
「ええ」
「パイロットがいなくなる。整備士がいなくなる。医者も、技術者も、教師もいなくなる。子供を育てる親だって減る」
そこでシーマは眉をひそめた。
「国そのものが、少しずつ痩せていく」
「……その通りです」
「なのに」
シーマの声が鋭くなる。
「その状態で戦争してるのかい?」
マルキオは答えなかった。
「ナチュラルとコーディネイターが殺し合って、若い連中がどんどん死ぬ。しかもコーディネイターのほうは、ただでさえ次の世代を作るのが難しい」
シーマは眉間を押さえた。
「……馬鹿じゃないのかねぇ」
その言葉には怒りよりも、呆れが混じっていた。
「勝ったところで何が残る?」
「……」
「プラントが勝ったとして、コーディネイターが生き残ったとしてだ。その先で子供が増えないなら、結局はコーディネイターそのものが、少しずつ減っていくんじゃないのかい?」
マルキオは静かに頷いた。
「だからこそ、多くの人々がこの問題を恐れているのです」
「恐れてる?」
シーマの目が細くなる。
「じゃあ、なんで戦争なんかしてるんだい」
「人は、必ずしも自らの未来を見据えて行動できるわけではありません」
「……それは知ってるさ」
シーマは苦い顔で笑った。
「あたしだって、そうだったからねぇ」
デラーズ紛争。
コロニー落とし。
毒ガス。
そして、失った仲間たち。
あの戦争の最中、誰も「十年後の自分たち」を考えてはいなかった。
目の前の命令。
目の前の敵。
目の前の生存。
それだけだった。
「けどねぇ……」
シーマは再び眠るキラを見る。
「こっちの世界は、あたしらの世界より酷いかもしれない」
「……どういう意味でしょう?」
「戦争で人が死ぬのは、どこの世界でも同じさ」
シーマの視線がマルキオへ向く。
「でも、こっちは生き残った後の問題まで抱えてる」
マルキオの表情が僅かに曇った。
「戦争で若者を殺す」
一つ。
「出生率が下がる」
二つ。
「それでも対立は続く」
三つ。
「……これを何十年も続けたら、どうなる?」
答えは簡単だった。
シーマ自身が、もう分かっている。
「コーディネイターそのものが、少しずつ消えていくんじゃないのかい」
「……可能性は否定できません」
シーマは目を伏せた。
「それが一番怖いねぇ」
「戦争そのものよりも?」
「ああ」
即答だった。
「戦争なら終わる可能性がある」
シーマは静かに言った。
「停戦もできる。講和もできる。負けたって生き残った連中がいれば、やり直せる」
だが、と続ける。
「生まれてこない人間は、取り戻せない」
その言葉に、部屋の空気が沈んだ。
「死んだ兵隊なら、墓を作れる。名前も残せる」
シーマはキラを見た。
「けど、生まれるはずだった子供は……誰にも名前を呼ばれない」
マルキオは静かに目を閉じた。
「……厳しいお言葉ですね」
「現実的な話をしてるだけさ」
シーマは立ち上がった。
「それに、あたしはコーディネイターじゃない」
自嘲するように笑う。
「だからこそ、少し外から見えるんだろうさ」
「外から?」
「コーディネイターは自分たちの優秀さを証明したい。ナチュラルは自分たちが劣っていると思われたくない」
シーマは肩を竦める。
「そんな意地の張り合いをしてる間に、両方とも若い連中を戦場へ送り込んでる」
そして、低く吐き捨てた。
「馬鹿馬鹿しいにも程がある」
しばらく沈黙が続いた。
「……マルキオ導師」
「はい」
「あたしには、この世界の政治も宗教も分からない」
「ええ」
「だけどねぇ」
シーマの顔から、いつもの軽薄な笑みが消えていた。
「コーディネイターが本当にそんな問題を抱えてるなら、あんたたちはもっと必死になって止めなきゃいけないんじゃないのかい」
マルキオは静かに答えた。
「だから私は、争いを止めたいのです」
「それだけじゃ足りない」
「……」
「戦争を止めるだけじゃない」
シーマは窓の外を見る。
ギガフロート。
そこには、自分たちと同じように戦争から逃げてきた人間たちがいる。
「生き残った人間が、ちゃんと次を残せる場所を作らなきゃいけない」
マルキオがシーマを見る。
「あなたは……」
「勘違いするんじゃないよ」
シーマは振り返った。
「あたしはコーディネイターを救おうなんて殊勝なことを言ってるんじゃない」
「では?」
「死にたくない奴ってやつを、生き残らせたいだけさ」
そして少しだけ笑った。
「コーディネイターだろうが、ナチュラルだろうが関係ないねぇ」
その言葉に、マルキオは静かに頷いた。
「……それは、とても大切なことだと思います」
「そうかい?」
「ええ」
「なら、覚えときな」
シーマは扉へ向かう。
「この世界、思ってたよりずっと危ないよ」
扉の前で足を止める。
「戦争が終わらなきゃ人が死ぬ」
そして振り返る。
「戦争が終わっても、何もしなきゃ人が減る」
シーマの目が鋭く光った。
「だったら――」
短い沈黙。
「生き残った連中が、次を残せるようにするしかないだろう?」
そう言い残して、シーマは医務室を出た瞬間、大きなため息をついた。
(戦争だけなら、向こうの世界も負けちゃいない。けど……こっちは、戦争が終わった後まで首を絞めてくるのかい)
残されたマルキオは、眠り続けるキラへ視線を戻した。
少年は何も知らない。
自分がなぜ戦わされ、なぜ傷つき、そしてなぜ今、見知らぬ艦の医務室で眠っているのか。
ただ、眠っている。
その姿を見つめながら、マルキオは静かに目を伏せた。
この世界が抱えている問題を、まだ誰も知らない。
そして――
シーマたち自身もまた、これからその問題に否応なく巻き込まれていくことを知らなかった。