漆黒の暗黒に浮かび上がる、輝く結晶体――。
地球圏を脱出し、プラント宙域へと進路を取ったシーマ艦隊のメインモニターに、幾重にも連なる巨大な砂時計型のコロニー群が映し出された。
「……あれが、プラントか」
ブリッジのクルーから、思わずといった溜息が漏れた。
宇宙世紀の宙域を生きてきた彼らにとって、それはあまりにも異質な光景だった。開放型の密閉型島3層コロニーを見慣れた眼には、砂時計を上下に繋ぎ合わせたようなミラーと居住区の構造は、技術的なカルチャーショック以外の何物でもない。
「妙なもんだな。同じ宇宙に住んでるってのに、使ってる機械も建造物もまるで別物だ」
呆れ半分に呟いたのはベッカーだった。デトローフも腕を組みながらモニターのデータを分析する。
「MSの規格や関節駆動系、通信の暗号方式から艦艇の設計思想に至るまで、我々の知る宇宙技術とは完全に隔絶しています。……ですが」
「……中に住んでるのが人間だってことだけは、変わらないさね」
シーマはパイプ椅子の背もたれに身を預け、煙草の紫煙をゆっくりと天井へ逃がした。
その時、鋭いアラートがブリッジに鳴り響いた。
『警告! 未確認艦隊に告ぐ! 本宙域はザフトの管轄下である。直ちに所属と識別IDを開示せよ!』
暗号化された通信ではなく、オープン回線でのオープンな威嚇射撃のような通信。モニターには、哨戒行動中のザフト艦艇とジン数機の機影が捉えられていた。
「ハッ、相変わらず無礼な出迎えだねぇ」
シーマが冷ややかに笑うと、オペレーターが緊迫した声を上げた。
『ザフト軍より追加警告! 「貴艦内に地球連合軍MSのパイロット、キラ・ヤマトが収容されているとの情報がある。直ちに本機を拘束し、我が軍へ引き渡せ」……とのことです!』
シーマ艦隊の現状は、外部から見れば異常極まりない。
所属不明の謎の艦隊が、地球連合の最新鋭MSパイロットを乗せ、あろうことかザフトの本拠地であるプラントへ向かっているのだ。
デトローフがシーマに視線を送る。
「どうしますか、司令。応じますか?」
「冗談じゃないよ」
シーマは即座に吐き捨てた。
「回線を繋ぎな」
『回線、繋がりました』
シーマは通信機に向かい、低く、しかし相手を突っぱねるような威厳を込めて語りかけた。
「ザフトの諸君、大きな声を出すんじゃないよ。あたしたちはあんたらのお仲間でもなければ、連合の狗でもない。マルキオ導師から頼まれて、死にかけた坊やを運んでるだけさね」
『何だと……!?』
「それから、中にいる坊やのことだがね。あたしたちはあいつを捕虜として扱うつもりも、あんたらへの土産物にするつもりもない。何度も言うがマルキオ導師から頼まれて、死にかけた『患者』を運んでるだけだ。文句があるなら、その導師に直接言いな」
毅然とした一線を引く回答。
ザフトでも連合でもない。いかなる勢力の利害関係にも与しない「無所属の第三者」という立場を、シーマは明確に提示した。
過剰な干渉を突っぱねつつ、マルキオ導師の同行を楯に取ったことで、ザフトの哨戒部隊も迂闊に攻撃や強行査察へ移れず、通信の向こうで沈黙した。
(へぇ。やっぱりこの導師はプラントに顔が効くんだねぇ。両陣営の調停とかいってたから、ただもんじゃないとは思っていたが)
抑留に近い形での徐行進航が許可され、シーマ艦隊はゆっくりとプラントの居住区区画の側を通過していく。
展望ウィンドウ越しに、コロニー内部の映像が拡大して映し出された。
そこには、兵士たちの姿だけではなかった。
緑豊かな公園を走る子供たち。立ち並ぶ学校や高度医療を擁する病院。賑わう商業区画や、平穏に暮らす家族の姿。そして、そのすぐ隣に鎮座する巨大なMS工廠や軍事施設――。
兵隊だけでなく、整備士も、医者も、技術者も、教師も、生活を営む全ての人間がそこにいた。
かつてギガフロートで「生き残った人間が、次を残せるようにする」と思い直したシーマの眼に、その光景が静かに焼き付いていく。
「……」
シーマは煙草を咥えたまま、しばし無言で窓の外を見つめていた。
「司令……?」
クララが懸念そうに声をかけると、シーマはフッと小さく自嘲気味な息を漏らした。
「……随分と、人が住んでるねぇ」
「プラントはコーディネイターの全人口を抱える巨大な生活基盤ですから」
「ハッ……こんなところで、あんな血みどろの戦争なんぞやってるのかい」
壮大な感動でも、同情でもない。
ただ、生活と戦争が背中合わせに存在するその歪な光景に対し、シーマらしい冷ややかな、けれどどこか重みのある呟きが零れ落ちた。
重苦しい沈黙がブリッジを支配しかけたその時。
ザフトの軍用回線とは異なる、高度に暗号化された特殊通信がリリー・マルレーンの受信機に直接割り込んできた。
『――シーマ・ガラハウ司令、ならびにシーマ艦隊へ』
静かだが、凛とした芯のある声がブリッジに響く。
「……何だい? ザフトの追っ手にしては妙じゃないか」
シーマが不機嫌そうに眉をひそめると、通信の主は静かに言葉を継いだ。
『ラクス・クラインの代理として、貴艦隊へ連絡しております。……お話ししたいことがございます』
「……ラクス・クライン?」
プラントの歌姫。その名を聞いた瞬間、シーマの目から僅かな笑みが消えた。
デトローフも顔を上げる。
「クライン派ですか」
「らしいねぇ」
シーマは通信機を睨みつけた。
「それで、何の用だい?」
『まず、キラ・ヤマトについてです』
その名に、シーマの眉が僅かに動いた。
『ザフト軍から、彼の身柄を要求する動きがあることは把握しております』
「だったら、あたしらの回答もわかりそうなもんだけどねぇ」
シーマは吐き捨てるように言った。
「あの坊やは患者だ。マルキオから託された以上、あたしたちが勝手に引き渡すつもりはないよ」
『承知しております』
「ほう?」
『ラクス・クラインも、キラ・ヤマトを軍事施設へ移送することには反対しております』
シーマは目を細めた。
『彼を安全な医療施設へ移してください。軍でも、政治でもない場所へ。軍はこちらで抑えます』
「……それが頼みかい?」
『はい』
「そいつは元々、そのつもりさね」
シーマは肩を竦めた。
「あの坊やをザフトに売り渡すくらいなら、最初からマルキオから預かっちゃいないよ」
『ありがとうございます』
「礼を言われるようなことじゃないよ。あたしらが引き受けた仕事だ」
淡々とした返答だった。
そこに、正義感を誇るような響きはない。
シーマ艦隊にとって、キラ・ヤマトを生かすことは、既に自分たちの責任になっている。
だからこそ――。
『……もう一つ、お願いがあります』
シーマの目が細くなった。
「ほら来た」
『ラクス・クライン本人を、このプラントから連れ出していただきたいのです』
ブリッジが静まり返った。
ヴァルターとクララが息を呑む。
デトローフも、すぐには言葉を返せなかった。
シーマだけが、通信機を睨んでいる。
やがて、低い声が落ちた。
「……歌姫様を?」
『はい』
「このプラントから?」
『はい』
「……あんた何を考えている?」
シーマの声から、温度が消えた。
「それは『救出』なんて綺麗な言葉で呼ぶ仕事じゃないよ」
『承知しております』
「ザフトの支配するプラントから、最高評議会議長の娘を連れ出す」
『はい』
「つまり、あたしたちに国家規模の喧嘩を売れってことだ」
『……その通りです』
シーマは鼻で笑った。
「随分と簡単に言ってくれるじゃないか」
『簡単なことだとは考えておりません』
「だったら、なおさらだよ」
シーマは煙草を灰皿へ押しつけた。
「どうしてあたしたちなんだい?」
『あなた方が、どの勢力にも属していないからです』
「……」
『ザフトにも、地球連合にも、オーブにも属さない。ナチュラルかコーディネイターかも定かでなく、誰かの命令で動く軍隊ではない』
その言葉に、シーマの表情が僅かに険しくなった。
「……随分と、あたしたちのことを調べてるじゃないか」
『必要なことでした』
「なるほどねぇ」
シーマは冷たく笑った。
「つまり、どこの旗にも属さない野良犬だから、使いやすいってわけだ」
『そういう意味ではありません』
「同じことさね」
短い沈黙が落ちた。
シーマの脳裏に、かつての光景が蘇る。
デラーズ。
ガトー。
連邦。
マハル。
毒ガス。
そして、自分たちを使い捨てた連中の顔。
正義だの大義だの、そんな言葉の後ろで、最後に泥を被るのはいつだって兵隊だった。
「……あたしらはねぇ」
シーマは静かに言った。
「誰かの都合で戦争を始めて、誰かの都合で死ぬのは、もう御免なんだよ」
『承知しております』
「だったら話は終わりだ」
シーマは即座に言い切った。
「断るよ」
クララが驚いたようにシーマを見る。
デトローフも黙って司令官の横顔を見つめていた。
通信の向こうから、僅かな沈黙が返る。
だが――。
『では、条件を提示させてください』
シーマの眉が動いた。
「……条件?」
『はい』
「聞こうじゃないか」
『今回の件を引き受けていただく対価として、シーマ艦隊が今後この世界で活動するために必要な物資、医療設備、艦艇・MSの補修部品、そして一定期間の補給拠点を提供します』
ブリッジの空気が変わった。
ベッカーが顔を上げる。
デトローフの視線が鋭くなる。
シーマはしばらく何も言わなかった。
「……金じゃないのかい?」
『金銭だけでは、あなた方にとって意味が薄いと判断しました』
「よく分かってるじゃないか」
シーマは煙草を指先で弄んだ。
艦艇は修理はしているが傷んでいる。
MSも部品の調達に苦労している。
UCの規格品は、この世界では簡単に手に入らない。
何より――。
このままでは、いつか必ず燃料も、食料も、医薬品も尽きる。
ギガフロートで手に入れた「居場所」は、まだ仮住まい。いやむしろ二度と戻れない算段のほうが高い。
艦隊が生き残り続けるには、この世界で継続的に物資を得る手段が必要だった。
それを、クライン派は提示している。
だが。
「……それで?」
シーマは冷たく聞いた。
「その代わり、あたしたちに何を要求する?」
『シーマ艦隊の所属をクライン派とすることは求めません』
「……」
『あなた方の指揮系統にも介入しません』
デトローフが僅かに目を見開いた。
『今回の救出に対する対価です。それ以上でも、それ以下でもありません』
シーマは黙った。
それは、シーマが最も警戒していた言葉だった。
誰かに救われれば、その借りは必ず鎖になる。
かつて自分たちがそうだったように。
だから、簡単には信用できない。
「……随分とこちらに都合のいい話だねぇ」
『そう思われるのも当然だと思います』
「違うね」
シーマはゆっくり首を振った。
「都合がいいんじゃない。怖いのさ」
クララがシーマを見る。
シーマは窓の外へ視線を向けた。
プラントの街並みが、静かに輝いている。
学校。
病院。
公園。
家。
そこを行き交う人々。
戦争とは無縁そうな、普通の生活。
だが、そのすぐ隣ではMSが造られている。
「あたしらは、昔からそうだった」
シーマはぽつりと言った。
「誰かに仕事を頼まれる。報酬を提示される。大義名分を聞かされる。そして、最後に死ぬのは現場の人間だ」
声に怒りはなかった。
だからこそ、重かった。
「また同じことになるんじゃないかってねぇ」
通信の向こうから、すぐには返事がなかった。
やがて、静かな声が返ってくる。
『……それを恐れているからこそ、ラクスはあなた方にお願いしたいのです』
「何だって?」
『命令ではなく、あなた方自身の意思で選んでほしい』
シーマは黙った。
綺麗事だ。
そう思う。
だが――。
窓の外を見る。
子供がいる。
病院がある。
誰かの家がある。
あの中にいる人間の大半は、戦争を始めたわけでもない。
ただ、そこで生きている。
シーマの脳裏に、ギガフロートで見た光景が重なった。
粗末な居住区。
傷だらけのMS。
寄せ集めの資材。
それでも、あそこで暮らす人間たちは笑っていた。
――生き残った人間が、次を残せるようにする。
あの時、自分で決めた。
誰かのために死ぬ場所ではなく。
誰かが生きていける場所を作ると。
「……ラクス・クラインを逃がせば、何が起こる?」
『ザフトから追われる可能性は極めて高くなります』
「クライン派は?」
『あなた方に危険が及ぶことを承知しています』
「それだけかい?」
『……いいえ』
一拍。
『ラクス・クライン、そして我々は、あなた方を見捨てません』
シーマは苦笑した。
「随分と大きく出たねぇ」
『彼女自身が、そう約束しています』
「約束、ねぇ……」
シーマは小さく笑った。
「約束なんてものは、破られるためにあるようなもんだよ」
その言葉に、クララが僅かに目を伏せる。
シーマはそれに気づいた。
そして――ほんの少しだけ表情を緩めた。
「……だけど」
シーマはプラントを見た。
「ここで死ぬ必要のない人間まで、戦争の都合で死ぬってんなら」
煙草を灰皿へ押しつける。
「それを見て見ぬふりして逃げるのも、寝覚めが悪い」
デトローフが静かに尋ねた。
「司令……引き受けるのですか?」
「まだ決めちゃいないよ」
シーマは即答した。
そして通信機へ向き直る。
「条件を詰める」
『……はい』
「まず、あたしたちの独立性には一切手を出さない」
『承知しました』
「提供する物資の量と期間、補給拠点の場所。全部書面で寄越しな」
『承知しました』
「それから、ラクス・クライン本人にも確認する」
『はい』
「本人が、自分の意思で逃げるってんなら――」
シーマは一度言葉を切った。
「その時は、仕事として引き受けてやるよ」
『ありがとうございます』
「まだ礼を言うんじゃないよ」
シーマは口角を僅かに上げた。
「話がまとまっただけさね」
『……失礼いたします』
通信が切れた。
ブリッジに静寂が戻る。
クララが恐る恐る口を開いた。
「司令……本当に、ラクス・クラインを?」
シーマはすぐには答えなかった。
メインモニターの向こうには、無数の光が浮かんでいる。
人が生きている光。
人が殺し合うための光。
その二つが、同じ場所に存在していた。
「……あたしらはねぇ」
シーマはジッポを鳴らした。
小さな炎が、暗いブリッジを照らす。
「もう、誰かの駒にはならない」
火を煙草へ移す。
紫煙がゆっくりと立ち上った。
「だからこそ、自分たちで選ぶんだよ」
シーマは窓の外を見た。
「助ける価値があると思ったなら――自分たちの意思で、助ける」
煙草を咥え、目を細める。
「さて……歌姫様との話し合いだねぇ」
その声には、まだ迷いが残っていた。
だが、その迷いから逃げるつもりもなかった。