朱き蜉蝣の残光   作:ゆのじさん

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第2話

リリー・マルレーンは、貴重なプロペラントの消費を極限まで抑えるため、慣性飛行のまま最低限の出力だけを維持していた。

 

艦内照明は半分以上が落とされ、主通路は薄暗い。無駄な電力を削ぎ落とした静寂の中、生命維持装置の循環ポンプだけが、規則正しい低い唸りを響かせていた。

 

転移してから、まだそれほど時間は経っていない。

 

自分たちがどこにいるのかも分からない。

 

周囲に友軍がいるのか、敵がいるのかすら分からない。

 

だからこそ、シーマ艦隊は不用意にミノフスキー粒子を散布していなかった。

 

宇宙世紀の艦隊にとって、ミノフスキー粒子散布は戦闘時の基本的な手段の一つだ。だが、ここが未知の宙域である以上、事情が違う。

 

粒子を撒けば、自分たちのレーダーや通信にも影響が出る。

 

相手がどのような索敵・通信手段を使っているのかも分からない以上、最初から自分たちの目と耳を塞ぐ必要はない。

 

少なくとも、敵が姿を見せるまでは。

 

艦橋では、通信士がヘッドホンを両手で耳に押し当てたまま、一時間以上も不快な雑音と向き合っていた。

 

ザッ……ザザ……ッ……

 

砂を噛むような電波障害のノイズが、延々と続いている。

 

「……変化なしです」

 

通信士が疲弊した声で首を振る。

 

シーマは煙草を咥えたまま、淡々と頷いた。

 

「そう簡単に尻尾は見せないだろうね」

 

副官のデトローフが、コンソールに映る仮の星図を見つめる。

 

どれだけ航法データを再演算させても、既知の自艦座標は算出できない。

 

未知の宇宙。

 

その冷酷な現実だけが、そこにあった。

 

「艦長」

 

航海長が視線を上げる。

 

「このまま漂流を続けますか」

 

「まさか」

 

シーマは艦長席からゆっくりと立ち上がった。

 

「動くよ。指をくわえて待ってたって、降ってくるのは餓死か窒息だけさね」

 

誰一人、反論しなかった。

 

それがこの艦隊の、生き残るための冷徹なルールだった。

 

「航路は」

 

「前方二百キロにデブリ帯を確認。熱源反応は微弱です」

 

メインモニターに光学映像が映し出される。

 

そこにあったのは、無数の残骸だった。

 

引きちぎられた装甲板。

 

折れ曲がった構造体。

 

浮遊するコンテナらしき金属の塊。

 

静かな宇宙の墓場だった。

 

「コロニーの残骸じゃありません」

 

航海長が眉をひそめる。

 

「材質も、構造材のトラス規格も連邦やジオンのそれとは異なります」

 

「映像、拡大」

 

漂流するコンテナが画面いっぱいにズームされる。

 

艦橋の後方で腕を組んでいたベッカーが、不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

「見たことねぇ形状だな……」

 

叩き上げの整備士らしい鋭い目つきだった。

 

「リベットの打ち方も配線のソケット規格も全部違う。ウチの工具じゃ噛み合わねぇぞ」

 

「つまり」

 

シーマが紫煙を細く吐き出す。

 

「この突拍子もない宇宙にも、物を造って戦う『人間』がいるって証拠さ」

 

その瞬間だった。

 

「――熱源反応!」

 

オペレーターの悲鳴に近い声が艦橋に響いた。

 

「デブリ帯の陰! 距離二千!」

 

「数は!」

 

「一! 単機です!」

 

全員の視線がメインモニターへ集中する。

 

暗く静まり返るデブリの隙間から、小さな光点がゆっくりと滑り出してきていた。

 

「艦艇ではありません……MSサイズ!」

 

艦橋の空気が一瞬で凍りつく。

 

「拡大しな」

 

シーマの低い命令で、荒い解像度の映像が引き伸ばされる。

 

デブリの影から滑り出してきたのは、見たこともないMSだった。

 

鳥類を思わせる大型の頭部。

 

単眼のセンサー。

 

太く張り出した肩部装甲。

 

背部に備えられた大型の可動式スラスター。

 

手にしているのは、無骨な実体弾ライフルらしき火器。

 

「識別……該当なし!」

 

「ジムの派生型ではありません!」

 

「ザクやドム、ゲルググのフレームともまるで違います!」

 

デトローフが低く呟いた。

 

「未知の機体……」

 

一方、その未知のMSもまた、デブリの影でピタリと動きを止めていた。

 

背部スラスターを微弱に吹かし、リリー・マルレーンを見つめている。

 

まるで、見たこともない巨大な獲物を慎重に観察するように。

 

重苦しい沈黙が、両者の間を流れた。

 

「……こちらへ向かってきます! 速度緩慢!」

 

「距離千五百!」

 

「千四百!」

 

「なおも接近!」

 

互いの姿が肉眼でも判別できる距離まで近付いていく。

 

相手は武器を構えてはいない。

 

だが、確かな意思を持って接近している。

 

「MS隊、第一戦闘配置」

 

シーマの声は、極限まで冷静だった。

 

「いいかい。こちらから絶対に手を出すんじゃないよ」

 

「艦長?」

 

「向こうだって様子見さ。貴重な弾薬とプロペラントを、正体不明の相手に無駄打ちする余裕がどこにあるんだい」

 

煙草を灰皿へ深く押し付け、シーマはギラリとした鋭い視線をモニターに向けた。

 

「だから撃つんじゃなくて、向こうから撃たせな」

 

同じ頃、薄暗い格納庫では整備兵たちが慌ただしく走り回っていた。

 

パイロットたちがハシゴを駆け上がっていく。

 

MS隊長のヴァルター・グリムは、耐圧ヘルメットを小脇に抱えたまま、薄く苦笑した。

 

「未知の敵、か……」

 

その表情に余裕はない。

 

だが、焦りもない。

 

数々の地獄を生き延びてきた熟練兵だけが持つ、静かな覚悟だった。

 

手近な若手パイロット――クララ・ロッジの緊張した肩を軽く叩く。

 

「欲張るなよ、クララ。生きて帰るのが最優先だ」

 

「は、はい! 隊長!」

 

その時――艦橋の通信コンソールがけたたましい警報を鳴らした。

 

「高出力指向性通信を受信! 強烈な電波妨害が混入しています!」

 

スピーカーから、耳を刺すような激しい雑音が吹き出した。

 

『――――ツ……こちら……哨戒隊……識別……応答……――』

 

まともな音声にはなっていない。

 

未知の電波障害の干渉により、シグナルは激しく歪んでいた。

 

そして次の瞬間。

 

デブリの向こうの未知の機体が、ゆっくりと――だが明確な敵意をもって、手にしていた大型ライフルをリリー・マルレーンへと持ち上げた。

 

艦橋の全員が息を呑む。

 

シーマ・ガラハウだけが、薄い唇の端を吊り上げた。

 

「さて……」

 

細められたその瞳に、修羅場を潜り抜けてきた女の光が宿る。

 

「奴さんはどう出るかねぇ」

 

両者は動かなかった。

 

漆黒の宇宙空間で、互いに互いを見据えたまま。

 

距離、およそ千二百。

 

敵MSのライフルは真っ直ぐこちらを捉えている。

 

だが、引き金はまだ引かれていない。

 

リリー・マルレーンの艦橋には、生唾を呑み込む音すら聞こえそうな重苦しい沈黙が流れていた。

 

「識別信号は」

 

「不明。こちらのIFFに一切反応しません」

 

「向こうも同じでしょうな」

 

デトローフが低く呟く。

 

シーマは咥えた煙草を噛み直し、紫煙の向こうで冷たく笑った。

 

「戦う気なら、とっくに撃ってるさね」

 

未知の機体は、背部スラスターを微弱に吹かし、ゆっくりと姿勢を変えた。

 

リリー・マルレーンを中心に、大きく弧を描くように移動を始める。

 

「……観察しています」

 

航海長がモニターを見つめたまま言う。

 

「向こうも、こちらの素性を測りかねているようです」

 

「当たり前さね」

 

シーマは鼻で笑った。

 

「あたしたちだって、あいつが何者か分かっちゃいないんだからねぇ」

 

互いに未知。

 

互いに暗闇。

 

だからこそ、互いの引き金は鉛のように重かった。

 

だが――その危うい均衡は、唐突に破られた。

 

「――熱源反応、急増!」

 

「艦長!」

 

「デブリ帯の奥から、新たな反応多数!」

 

メインモニターのレーダーマップに、光点が二つ、三つと増えていく。

 

「機動兵器、追加で二! 先ほどの機体と同型です!」

 

シーマの目が、ギラリと細くなった。

 

「本隊じゃなく……哨戒小隊か」

 

味方の到着を確認した未知の機体は、それまでの慎重さが嘘のように推進剤を叩き込み、一気に距離を詰め始めた。

 

「接近! 距離八百! 直進してきます!」

 

「MS隊、発進」

 

シーマの短い命令が下る。

 

「アイアイ!」

 

格納庫ではカタパルトの固定ロックが甲高く外され、ゲルググMが次々と射出位置へ就く。

 

MS隊長ヴァルター・グリムはコックピットへ身を滑り込ませ、慣れた手つきでチェックリストを叩いた。

 

サブモニターにリリー・マルレーンの巨躯が映る。

 

「全機チェック完了。……全機、散開!」

 

『二番機、了解!』

 

『三番機、了解!』

 

三機のゲルググMがリリー・マルレーンを庇うように飛び出し、宙空へ滑り出した。

 

その姿を捉えた敵機が、手にしていたライフルを構える。

 

「撃つ気です!」

 

「まだだ!」

 

艦橋でシーマが制する。

 

「向こうに先に引き金を引かせな!」

 

直後――閃光が暗黒の宇宙を激しく裂いた。

 

「敵機、発砲!」

 

次の瞬間、警報音とともに曳光弾がゲルググの脇を駆け抜ける。

 

76mm重突撃機銃の実体弾が、ヴァルター機の脇を掠めていった。

 

鮮烈な曳光弾の軌跡が一直線に伸び、後方のデブリへ激突して派手な火花を散らす。

 

「実体弾!」

 

「口径は小さめだが、連射速度が速い!」

 

「回避せよ!」

 

ヴァルターはスラスターを最小限に吹かし、機体の姿勢を変えた。

 

推進剤を節約しながら、長年の経験で培った姿勢制御を組み合わせる。

 

第二射、第三射。

 

銃弾が闇を切り裂き、ゲルググの周囲のデブリを粉砕していく。

 

『隊長! あの兵器、信じられない運動性です!』

 

後方でクララが叫ぶ。

 

「慌てるな、クララ!」

 

ヴァルターは通信越しに一喝した。

 

「敵の射撃は一直線だ! 軸をずらせ! 推進剤を節約しろ!」

 

熟練のパイロットたちが駆るゲルググMは、最小限の推進で姿勢を変えながら、銃弾の雨を滑り抜けていく。

 

だが――。

 

「右かっ!」

 

一瞬、追撃にきた二番機の射線と交差した。

 

激しい金属音が響き、一弾がヴァルター機の左肩装甲を削り取った。

 

高熱の火花が飛び散る。

 

『隊長っ!?』

 

「損傷軽微! 装甲が耐えてくれたか……!」

 

ヴァルターは安堵する暇もなく、90mmMMP-80マシンガンの照準を敵機の胸元へ重ねた。

 

「一番機、射撃!」

 

マズルフラッシュと共に、無数の90mm実体弾が宇宙を穿った。

 

敵機は驚くべき機動力で二発、三発と回避してみせたが――四発目がその右脚膝関節を、続く一弾が胴体中央へ吸い込まれた。

 

激しい火花と金属片が飛び散り、敵機の姿勢が大きく崩れる。

 

「装甲は抜ける……!」

 

ゲルググのコックピットでヴァルターが確信する。

 

その時だった。

 

『こちら二番機! 隊長、後方!!』

 

クララの悲鳴のような通信が割り込む。

 

デブリの影から、後発の二機が高速で飛び出してきた。

 

「挟み込む気か……! 散開!」

 

三機のゲルググMが瞬時に散る。

 

デブリ帯に乱射される銃弾。

 

破壊されたコンテナの破片が雨となって降り注ぐ。

 

艦橋ではオペレーターが悲鳴を交えて叫んでいた。

 

「敵二機、進路変更! 損傷機へ接近――」

 

「……違う! 反転しました! 離脱します!」

 

「広域指向性通信の継続発信を確認! データ送信を行っています!」

 

その報告を聞き、シーマの表情から冷やかしの色が消えた。

 

「……向こうのほうが判断が早かったか。やられたねぇ」

 

デトローフが苦い顔で振り返る。

 

「……長距離索敵と、データ収集の偵察行動ですか」

 

「ああ」

 

シーマは静かに頷き、灰皿に煙草を揉み消した。

 

「戦果なんざ二の次さ。あたしたちを見つけて、報告できりゃ仕事は終わりだったってわけだ」

 

敵に姿を見られ、その戦闘データと映像を送られた。

 

未知の宇宙において、自分たちの存在が敵対勢力に知られてしまったことを意味していた。

 

「ヴァルター!」

 

シーマは直接回線を開いた。

 

「これ以上、あの突っつき甲斐のない連中と付き合う必要はないよ!」

 

『了解!』

 

「全機後退! デブリ帯の奥へ潜り込み――!」

 

『スカル03、応答しろ!』

 

返答はなかった。

 

隊長機は損傷した僚機を一瞥し、短く命じる。

 

『任務は達成した。全機離脱』

 

二機のジンは即座に反転し、高速で宙域を離脱した。

 

「おや……」

 

シーマは小さく笑った。

 

「なんだい。土産を置いてくなんて気が利くねぇ」

 

モニターには、砕け散った敵MSの脚部、バックパック、ライフル、腕部といった無数の破片が映し出されていた。

 

ベッカーが身を乗り出す。

 

「あれだけありゃ十分だ」

 

「回収班を出しな。さっさと拾ってとんずらするよ!」

 

デブリの闇へ、リリー・マルレーンは静かに姿を消した。

 

回収した残骸はわずかだった。

 

だが、それはこの世界で初めて手にした財産だった。

 

戦うためではなく、生き残るために。

 

それが、シーマ艦隊が異世界で刻んだ、最初の戦いの記憶だった。

 

---

 

## 数時間後――ザフト軍・L4宙域監視基地

 

「哨戒隊スカル02より、緊急データ受信完了しました」

 

オペレーターが端末を操作し、士官へ報告する。

 

「L4宙域外縁部にて、所属不明の艦隊および機動兵器と接触」

 

「構成、艦艇四、MS三。IFF応答なし」

 

士官は険しい顔で眉をひそめた。

 

「所属不明のMSだと……? 写真はあるか?」

 

「ノイズ混じりですが、こちらになります」

 

メインモニターに、デブリの隙間を切り裂いて飛ぶゲルググMの後姿が映し出された。

 

巨大なシールド。

 

背部の丸みを帯びたスラスター。

 

そして無骨な実体弾マシンガン。

 

「……追跡は」

 

「敵機は極めて熟練した姿勢制御を行い、デブリ帯の深部へ潜伏。見失いました」

 

士官は腕を組み、深く息を吐いた。

 

「……索敵範囲を拡大しろ。この宙域に、我々の知らない武装勢力が潜んでいる」

 

————————————————————

 

【ZAFT情報部・内部分析報告書】

 

機密区分:C級(内部限定閲覧)

 

件名:L4宙域外縁部における所属不明武装勢力との遭遇報告

 

発信:第8艦隊所属 哨戒小隊「スカル02」

 

宛先:プラント国防事務局 情報解析課

 

【1. 接触日時・宙域】

 

・日時:C.E.71年 ○月○日

・宙域:L4宙域外縁・棄てられたデブリ帯エリア

 

【2. 確認戦力】

 

・艦艇:4隻

 (旗艦と思われる中型巡洋艦1、補給・支援艦等3)

 

・機動兵器:3機

 (人型MS形態)

 

【3. 機動兵器(MS)交戦特徴】

 

・頭部:単眼(モノアイ)式光学センサーと推定。

 

・兵装:90mm級の高速実体弾兵器を主兵装として使用。ビーム兵器の使用は確認されず。

 

・運動性:極めて高い。スラスター推進だけに頼らず、機体姿勢を細かく制御する高い操縦技術を確認。

 

・装甲:76mm重突撃機銃の直撃に対し、一部損壊に留まる。高い剛性を確認。

 

・照合:現行のZAFT、地球連合軍、オーブ連合首長国のいずれのデータベースとも不一致。

 

【4. 損害】

 

・哨戒機(ジン)1機喪失。

 

・搭乗パイロット1名の生存は絶望的。

 

・他機2機は交戦データの送信を完了し離脱。

 

【5. 総合評価・所見】

 

・現行主力MS(ジン)を撃破可能な火力・練度を有する。

 

・所属不明艦隊は、少なくともMS3機を運用可能。

 

・艦艇構成から一定の補給・整備能力を有すると推定。

 

・現時点で既知のいずれの国家・企業体にも属さない「第三の武装勢力」である可能性が極めて高い。

 

・当該勢力が使用するMSおよび艦艇の技術系統は、現行CE圏の兵器体系との一致点が極めて少ない。

 

**脅威度判定:【保留(要継続監視)】**

 

**備考:所属・目的・出現経路、いずれも不明。追加情報の収集を最優先とする。**

 

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