よろしくお願いいたします。
数日間のシビアな駆け引きと突貫作業を経て、シーマ艦隊はオーブの領域内で一隻の艦と合流を果たした。
地球連合軍を離脱した強襲用宇宙巡洋艦――アークエンジェル。
リリー・マルレーンの格納庫では、見慣れない艦のクルーたちが行き交い、普段とは違う緊張感が漂っていた。
技術交流のためにオーブへ来たシーマ艦隊と、アラスカの地獄から逃れてきたアークエンジェル。
置かれた目的も立場も、それぞれ異なっている。
ただ、どちらも自分たちの意志とは関係のない場所で、戦争の狂気に振り回されてきたという一点だけは共通していた。
そんな格納庫の片隅で、整備班のベッカーが足を止めた。
その視線の先に、アークエンジェルから降りてくる少年の姿があった。
「キラ坊!」
大声に呼ばれ、キラが顔を上げる。
「ベッカーさん!」
ベッカーは持っていた工具を放り出すようにして、キラへ歩み寄った。
「生き延びてやがったか、この坊主! 本当によく生き延びた!」
「すみません……また心配をかけて」
「無事ならいいんだよ、無事ならな!」
ベッカーはそう言って、キラの背中を壊さんばかりに乱暴に叩く。
「ほら、飯はちゃんと食ってんのか!?」
「……はい」
「その顔じゃ信用できねぇな」
「ちゃんと食べてますよ」
「本当かぁ?」
そのやり取りを少し離れた場所から見ていたクララたちも、思わず笑みを浮かべる。
キラもまた、懐かしそうに笑っていた。
そこには、かつて彼を「連合のパイロット」と遠巻きに見ていた頃の空気はもうなかった。
フリーダムのパイロットでもない。
地球連合軍の元兵士でもない。
ただ、しばらく一緒に飯を食い、整備を手伝い、訓練をした「キラ」というひとりの少年として迎えられていた。
「……懐かしいですね」
「何がだ?」
「この感じです」
キラは賑やかな格納庫を見回した。
「みんな、何も変わってない」
「当たり前だろうが」
ベッカーは鼻を鳴らした。
「こっちは毎日機械相手に汗かいてんだ。お前がいなくなったくらいで、そう簡単に変わるかよ」
「……はい」
キラは小さく笑った。
その表情を、少し離れたところにいたマリュー・ラミアスが静かに見つめていた。
彼女が知っているキラは、戦場で何度も無理を重ね、何かに追い立てられるようにMSへ乗り込んでいた少年だった。
だが、今目の前にいるキラには、以前とは違う落ち着きがある。
「キラ君」
「……マリューさん」
マリューが歩み寄る。
「ずいぶん、雰囲気が変わったわね」
キラは少しだけ考えるように視線を落とした。
「……そうですか?」
「ええ」
「たぶん……ここにいる間、ずっと戦ってたわけじゃなかったからだと思います」
マリューは黙って続きを待つ。
「整備を手伝ったり、ご飯を食べたり。訓練したり……」
キラは格納庫の奥、見慣れた整備班の面々へ視線を向ける。
「普通に過ごしてました」
その言葉に、マリューは何も返さなかった。
ただ、小さく頷いた。
アークエンジェルに乗ってから、そんな時間がどれだけあっただろう。
戦って、逃げて、また戦う。
それだけが彼らの日常だった。
だからこそ、キラがここで得たものが何なのか、マリューには少しだけ分かった気がした。
だが、その再会の穏やかな空気は、長くは続かなかった。
士官室。
シーマはマリューと向かい合っていた。
机の上には、アラスカ攻防戦に関する資料が並べられている。
シーマは報告書へ目を落としたまま、低い声で尋ねた。
「……味方を巻き込んで、基地ごと吹っ飛ばしたってのかい?」
「はい……」
マリューは静かに答えた。
「味方の部隊を囮にしてザフトの大群を引きつけ、その間に基地の自爆装置を作動させる作戦でした」
「……ハッ」
シーマの目が冷たく細くなる。
「味方を……自分たちの兵隊を囮にして、丸焼きにしたってのかい?」
バンッ!
シーマの手が激しくテーブルを叩いた。
灰皿が跳ね、煙草の火種が散る。
「上層部の都合で現場の兵隊を使い潰す……!」
低く吐き捨てるような声だった。
「毒ガスで殺して、今度は自爆に巻き込んで殺す……何一つ変わっちゃいないじゃないか」
シーマの指が、机の上の報告書を強く押さえつける。
「連合の上の連中も、あの腐れ果てた連中と同じじゃないか……!」
室内に重苦しい沈黙が落ちる。
マリューは何も言わなかった。
シーマの怒りが、単なる同情から来ているものではないことを理解していた。
自分もまた、組織の都合で利用され、最後には責任だけを背負わされた人間なのだ。
しばらくして、シーマは荒い息を吐きながら煙草を揉み消した。
「……マリュー艦長、失礼したねぇ」
「いいえ……」
マリューは首を横に振った。
「お気持ちは分かります」
シーマは冷えた目でマリューを見る。
「それで?」
「はい」
「アラスカを逃げ出して、オーブに身を寄せたあんたらは……これからどうするつもりだい?」
マリューは一瞬だけ言葉を選んだ。
「私たちは……自分たちの信じるもののために戦うつもりです」
「信じるもの、ねぇ」
「これ以上、無意味に人が死ぬのを見たくありません」
シーマは鼻を鳴らした。
「綺麗事さね」
マリューの表情がわずかに曇る。
だが、シーマは続けた。
「だが……命を捨て駒にされ続けるよりは、遥かにマシな生き方だ」
マリューは静かにシーマを見つめた。
「ありがとうございます」
「礼を言われるようなことは言ってないよ」
シーマは椅子へ背を預ける。
「ただ、あたしは自分の経験から言ってるだけさ」
しばしの沈黙が流れる。
やがてシーマが、ふと思い出したように尋ねた。
「……そういや、あの真面目くさった副長はどうしたんだい?」
「副長……?」
「ナタルだよ」
マリューの表情が微かに曇った。
「ナタル中尉は……アラスカの撤退時に、アークエンジェルを降艦しました」
「……そうかい」
「軍に残ることを選びました。今は本国へ戻って、別の艦の指揮を執っていると聞いています」
シーマはしばらく黙っていた。
「……あの女、最後まで軍人だったんだねぇ」
「……はい」
「ああいう奴ほど、命令を捨てるのは難しいのさ」
その言葉には、侮蔑よりもどこか苦い響きがあった。
シーマ自身も、かつては軍人だった。
命令に従い、その結果として何をしていたのかさえ知らされないまま、最後には責任を押しつけられた。
だからこそ、軍という組織から離れることが、誰にとっても簡単ではないことを知っている。
「……ところで」
マリューが口を開いた。
「シーマ艦隊は、オーブを信用しているんですか?」
シーマの眉がわずかに動く。
「いきなり妙なことを聞くねぇ」
「ギガフロートの件も……」
「信用しちゃいないよ」
即答だった。
マリューが目を見開く。
「ですが、技術交流を――」
「技術は技術さ」
シーマは淡々と答える。
「使えるものは使う。借りたものは返す。利害が合えば手を組む」
そして、煙草を指先で弄ぶ。
「だが、それと相手を丸ごと信用するのは別の話だよ」
「……」
「国ってのは、昨日まで味方だった人間を、今日には敵にすることもある」
シーマはマリューをまっすぐ見た。
「だから、あんたらも自分の目で見極めな」
マリューはしばらく黙っていたが、やがて頷いた。
「……分かりました」
シーマはそれ以上何も言わなかった。
立ち上がり、扉へ向かう。
「いいかい、マリュー艦長」
足を止め、振り返る。
「戦場じゃ、迷った奴から死んでいく」
マリューは黙って聞いている。
「あんたらがその綺麗事を突き通したいなら、二度と迷うんじゃないよ」
「……はい」
シーマはそれだけを聞くと、士官室を後にした。
廊下へ出ると、そこにはデトローフが待っていた。
「随分と長い話でしたな」
「ああ」
「アークエンジェルとは、今後どうされます?」
シーマは少し考える。
「別にどうもしないさ」
「……」
「向こうは向こう。あたしらはあたしらだよ」
そう言って歩き出す。
「ただねぇ」
シーマは足を止めずに続けた。
「似たような目に遭った連中が、また捨てられるってんなら……見て見ぬふりも寝覚めが悪い」
デトローフは何も言わなかった。
ただ、僅かに頷いた。
その頃、格納庫ではキラがアークエンジェルのクルーたちと話していた。
その姿を、シーマは通路の向こうから一瞬だけ見つめる。
以前なら、あの少年を「保護した患者」として見ていた。
今は違う。
あれは、もう自分の足で立っている。
だからこそ、引き留めるつもりもなかった。
「……まったく」
シーマは小さく鼻を鳴らした。
「勝手に大きくなりやがって」
そう呟くと、今度こそ自艦へ向かって歩き出した。
オーブという国を、シーマ艦隊はまだ信用していない。
アークエンジェルもまた、オーブに身を寄せたからといって、すべてを委ねたわけではない。
二つの艦は同じ宙域に身を置きながら、それぞれ別の道を歩いている。
ただひとつ共通しているのは――もう二度と、自分たちの命を誰かの都合で捨てるつもりはないということだった。