リリー・マルレーンのブリッジに、一本の通信が入った。
「司令」
当直士官の声に、シーマが振り返る。
「何だい?」
「周辺宙域の戦況報告です」
シーマは端末を受け取り、表示された情報へ目を走らせた。
連合軍とザフトの戦闘が、再び大きく動き始めている。
そして、その戦火は少しずつオーブへ近づきつつあった。
「……そうかい」
シーマは端末を閉じ、胸ポケットから煙草を取り出す。
「こっちも、そろそろ呑気にしてられないってことかねぇ」
艦橋の窓の向こうには、何も変わらない静かな宇宙が広がっていた。
だが、その静寂が長く続かないことだけは、シーマにも分かっていた。
ほどなくして、オーブ本島――オノゴロ島の地下に設けられた極秘施設へ、シーマは呼び出された。
重苦しい空気の満ちた応接室。
そこには四人の姿があった。
代表首長ウズミ・ナラ・アスハ。
アークエンジェル艦長、マリュー・ラミアス。
そして、その傍らにはカガリ・ユラ・アスハ。
その三人を前に、紫煙の向こうから不敵な笑みを浮かべるシーマ・ガラハウがいた。
カガリはシーマをじっと見ていた。
以前、北アフリカで顔を合わせたことはある。
だが、こうして改めて向き合うと、やはり独特の威圧感があった。
軍人でありながら、どこの軍にも属さない。
それでいて、アークエンジェルやキラたちとも行動を共にしている。
カガリには、その立ち位置がまだ完全には理解できていなかった。
そんなカガリの視線に気づいたのか、シーマがちらりと目を向ける。
「……何だい?」
「いや……」
カガリは少しだけ言葉に詰まった。
「本当に、宇宙へ行くつもりなのかと思って」
「そのつもりさ」
シーマはあっさり答えた。
「あたしたちには、もう宇宙のほうが長居しやすいんでねぇ」
「……そうか」
カガリはそれ以上、何も言わなかった。
口火を切ったのはマリューだった。
「ウズミ様……連合軍から、正式な要求が届きました」
「中立の破棄と、即時降伏――であろう」
ウズミが静かに答える。
「はい。拒絶すれば、オーブへの侵攻は避けられません」
シーマは煙草を指先で弄びながら、二人のやり取りを黙って聞いていた。
やがてウズミが口を開く。
「そこで、そなたたちにひとつ提案がある」
厳かな視線がシーマへ向けられた。
「そなたらリリー・マルレーンも、アークエンジェル、クサナギと共に宇宙へ上がっていただきたい」
シーマの眉が僅かに動く。
「へぇ……」
煙草の煙を吐き出す。
「そいつはまた、思い切った話だねぇ。あたしたちを護衛に使いたいってわけかい?」
カガリが思わず口を挟む。
「父上……それでは、シーマたちまでオーブの戦いに巻き込むことになる」
ウズミは娘を見る。
「分かっている」
「だったら――」
「カガリ」
ウズミの声は静かだった。
「だからこそ、彼ら自身に選んでもらうのだ」
「そなたらをオーブ軍の指揮下に置くつもりはない」
「……ほう」
「アークエンジェルとクサナギを宇宙へ送り届ける。その過程で、可能な限り互いに助け合っていただきたい。しかし、それが終われば、そなたらには独立した勢力として、そのまま宇宙へ退避していただきたい」
シーマは黙ってウズミを見つめた。
「つまり?」
「オーブからの脱出のために、マスドライバーの使用、軌道データ、必要な燃料と物資を提供しよう」
ウズミは言葉を選ぶように続けた。
「そなたらがこの国に残れば、オーブへの攻撃に巻き込まれる。宇宙へ戻る意思があるのであれば、今が最後の機会になるだろう」
一見すれば、悪くない話だった。
シーマ艦隊が単独で地上から脱出するより、オーブの設備と補給を利用した方が生存率は高い。
だが――。
シーマの口元から、笑みが消えた。
「……話が上手すぎるねぇ、代表様」
「……」
「分かって言ってるんだろうね?」
シーマは煙草を灰皿へ押しつける。
「アークエンジェルやクサナギと一緒に宇宙へ上がれば、あたしたちまでオーブと繋がってると見られる。連合からすりゃ、正体の知れない武装勢力がオーブ側に立ったように見えるだろうさ」
マリューが僅かに息を呑む。
「ザフトから見ても、ラクス・クラインやアークエンジェルと行動を共にした勢力として警戒される可能性がある」
シーマはウズミを真っ直ぐ見据えた。
「つまり、宇宙へ逃げたところで安全な場所が用意されるわけじゃない」
「……無論、承知の上だ」
ウズミの返答には迷いがなかった。
「そなたらに、その危険を押しつけることになる」
「だったら、何で頼む?」
「そなたたちなら、自らの判断で生き残る道を選ぶと思っているからだ」
シーマの眉が僅かに上がった。
「……買い被りだねぇ」
「そうでしょうか」
ウズミは静かに続ける。
「そなたたちは、これまでどの勢力にも属さず、それでも生き延びてこられた」
「……」
「オーブ軍として戦ってほしいのではない」
ウズミは明確に言った。
「誰かの指揮下に入る必要もない。ただ、そなたら自身が生き延びるために、この機会を利用していただきたいのだ」
部屋に沈黙が落ちた。
シーマは煙草を指先で弄びながら、しばらく考え込んだ。
やがて、短く笑う。
「なるほどねぇ」
それ以上は何も言わず、その場を後にした。
その夜。
リリー・マルレーンの艦長室。
シーマは薄暗い部屋で、一人、灰皿に煙草の灰を落としていた。
机の上には、ウズミから提示された護衛契約の概要が置かれている。
アークエンジェルとクサナギの大気圏突入を援護する。
それに合わせて、リリー・マルレーンもオーブを離脱する。
単純な仕事に見えた。
だが、その先に待っているものは単純ではない。
オーブに残れば、いずれ侵攻してくる連合軍とオーブ軍の戦闘に巻き込まれる。
かといって宇宙へ逃げれば、アークエンジェルとクサナギの護衛に加わった事実が残る。
連合から見れば、オーブに協力した武装勢力。
ザフトから見れば、ラクス・クライン一派の脱出を手助けした勢力。
どちらからも追われる理由ができる。
シーマは煙草を指先で転がした。
「……馬鹿な話だねぇ」
吐き出した煙が、天井へ向かってゆっくりと消えていく。
少し前までなら、迷う必要などなかった。
危険なら離れる。
利用されそうなら手を切る。
こちらに不利益しかないなら、どんな相手だろうと断る。
それが、シーマ艦隊がここまで生き延びてきたやり方だった。
「誰の駒にもならない……か」
自嘲するように呟く。
その言葉を守るだけなら、簡単だった。
ウズミの申し出を断ればいい。
オーブから出て、どこか戦争の手が届きにくい場所へ逃げればいい。
誰にも味方しない。
誰の戦争にも加担しない。
そうすれば、少なくとも自分から火の中へ飛び込む必要はない。
だが――。
シーマは机の上の契約書へ目を落とした。
「……それで、本当にいいのかねぇ」
答える者はいない。
頭に浮かんだのは、キラだった。
MSデッキでベッカーと工具を囲んでいた姿。
食堂で、まずいコーヒーに顔をしかめながら、それでも文句を言わずに飲んでいた姿。
そして、出発の直前に交わした言葉。
――シーマさんたちも、ちゃんと無事でいてください。
シーマは眉間に皺を寄せた。
「……余計なことを言ってくれたもんだよ」
あれは命令ではなかった。
取引でもない。
借りですらない。
ただ、自分たちの身を案じただけの言葉だった。
だからこそ、厄介だった。
シーマは椅子から立ち上がり、艦長室の窓へ歩み寄る。
そこから見えるオーブの夜景は静かだった。
この街のどこかにも、戦争とは関係なく今日を生きている人間がいる。
ギガフロートで出会った連中もそうだった。
ロウたちも。
オーブの民間人も。
そして、キラも。
「……あたしらは、随分と面倒な連中に肩入れしちまったもんだねぇ」
だが、そこでシーマは自分自身に問い直す。
肩入れしたのか?
違う。
少なくとも、自分ではそう思っていない。
ラクスたちの思想に賛同したわけではない。
オーブを信用したわけでもない。
連合を敵と決めたわけでも、ザフトを敵と決めたわけでもない。
ならば――。
「……なんでだい」
小さな声が漏れた。
なぜ、自分たちはここまで関わってしまったのか。
答えはすぐには出てこなかった。
シーマは目を閉じる。
マハル。
毒ガス。
命令。
責任。
そして、最後には誰も助けてくれなかった。
だからこそ、自分たちは決めた。
もう誰かの都合で人を殺さない。
もう誰かの命令で部下を捨てない。
自分たちの生き方は、自分たちで決める。
――そのはずだった。
「……だったら」
シーマは目を開いた。
「自分たちで決めるってんなら、見捨てるのも自分で決めなきゃならないってことかい」
そこに気づいた瞬間、胸の奥に重いものが落ちた。
「助ける義務なんざない」
誰に言うでもなく呟く。
「アークエンジェルも、クサナギも、ラクス・クラインも……あたしらの部下じゃない」
それは正しい。
少なくとも、司令としては正しい判断だった。
二百人近い人間の命を預かっている。
見ず知らずの人間のために、自分たちを危険へ晒す必要などない。
ましてや、これから連合とザフトの双方から追われる可能性がある。
「……それに」
シーマは煙草を一本取り出した。
火をつける。
「一度助けたら、次も助けなきゃならなくなる」
それが一番怖かった。
一度誰かを助ける。
そのために危険を冒す。
また誰かが困っている。
今度も助ける。
そうやって気づけば、いつの間にか誰かの戦争に巻き込まれている。
それは、かつての自分たちと何が違う。
「……あたしらは、もう二度と誰かの戦争の駒にはならない」
言葉にすると、それはひどく簡単だった。
だからこそ、シーマは苦笑した。
「だったら、ここで手を引くのが一番賢いんだろうさ」
煙草の煙が、また天井へ昇っていく。
長い沈黙が続いた。
やがてシーマは、ゆっくりと煙草を灰皿へ押しつける。
「……けどねぇ」
顔を上げる。
「それじゃ、あたしらがマハルでされたことと、何が違うんだい」
自分たちが捨てられたとき、上にいた連中は言った。
命令だった。
仕方なかった。
知らなかった。
自分たちには責任がない。
そうやって、人間を数字にした。
都合の悪い人間を切り捨てた。
そして今、自分たちの前にも同じ選択肢がある。
危険だから、関係ないから、知らないから。
切り捨てる理由はいくらでも作れる。
シーマは拳を握った。
「……あたしは、ああはなりたくないねぇ」
だからといって、全員を救えるわけでもない。
世界を変えるつもりもない。
そんな大それたことをする気はない。
ただ――。
「自分で見て、自分で決める」
シーマは立ち上がった。
「それがあたしらのやり方だったじゃないか」
ウズミの申し出を受ければ、危険は増える。
部下を危険に晒す。
連合にも、ザフトにも追われるかもしれない。
今まで築いてきた中立に近い立場も失う。
それでも。
それは誰かに命令された危険ではない。
誰かに利用された結果でもない。
自分たちで選んだ危険だ。
シーマは艦長室の扉へ向かう。
そして、最後に一度だけ机の上の契約書を振り返った。
「……借りを作った覚えはないんだけどねぇ」
口元がわずかに歪む。
「知っちまった連中を、見捨てるのも寝覚めが悪い」
扉が開く。
廊下へ出る直前、シーマは振り返らずに呟いた。
「……どうせ面倒を背負うなら、自分で選んだ面倒のほうがマシさ」
その足取りに、もう迷いはなかった。
ただしそれは、正しい道を選んだ者の歩みではない。
自分たちで選んだ結果なら、その先にどんな地獄が待っていても引き受ける。
それが、シーマ・ガラハウの選んだ生き方だった。
翌朝。
再びウズミの前に立ったシーマは、いつもの不敵な笑みを浮かべていた。
「いいよ。その話、乗ってやる」
ウズミが静かに頷く。
「受けてくれるか」
「ただし、勘違いするんじゃないよ」
シーマは人差し指を立てた。
「あたしらはオーブ軍になったわけじゃない。あんたの指揮下に入るつもりもない」
「承知した」
「アークエンジェルとクサナギを大気圏外まで送り届ける。その間は必要な範囲で手を貸す」
そして、指を一本ずつ折るように条件を並べた。
「その代わり、あたしたちの艦とMSに必要な補給物資を用意すること。マスドライバーの使用を認めること。宇宙へ上がった後に必要になる航路情報と識別コードも寄越してもらう」
「約束しよう」
ウズミは頷いた。
「必要な資材、補給物資、そして脱出に必要な情報を可能な限り提供する」
「結構」
シーマは煙草を咥えた。
「これで話はついたねぇ」
会談が終わり、部屋を出る。
廊下で待っていたデトローフが、並んで歩きながら低く問いかけた。
「……司令」
「何だい?」
「これで我々は、宇宙へ出ればさらに立場が難しくなりますな」
「そうだねぇ」
「連合にも、ザフトにも警戒されるでしょう」
「今さらじゃないか」
シーマは肩をすくめた。
「どっちにも尻尾を振らなかったんだ。嫌われるくらいは最初から覚悟してるさ」
デトローフは少しだけ黙った。
「……後悔はありませんか?」
シーマは足を止めなかった。
「ないねぇ」
短い答えだった。
「誰かの都合で戦場に放り込まれるより、自分で選んだ場所で生き残る方が、あたしらには性に合ってる」
その声に、迷いはなかった。
かつて誰かの命令によって戦場へ送り込まれ、最後には切り捨てられた女。
そのシーマが今度は、自分自身の意思で行き先を決めようとしている。
「行くよ、デトローフ。宇宙の連中にも、航路情報が手に入り次第共有だ」
「はっ」
シーマは口元を歪めた。
「そして野郎どもに伝えな」
「何と?」
「宇宙へ戻る準備を始めろってねぇ」
一拍置いて、煙草の煙を吐き出す。
「――あたしたちの新しい航海を始めるよ」