朱き蜉蝣の残光   作:ゆのじさん

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第33話

オーブ領内、モルゲンレーテの地下秘密施設。

 

シーマ艦隊の艦艇とMSの改修作業は、いよいよ佳境を迎えていた。

 

格納庫では、見慣れない宇宙世紀規格の重厚な部品と、オーブ製の繊細な電子機材が入り乱れ、両世界の整備兵たちが汗にまみれて作業を続けている。

 

その一方で。

 

シーマ艦隊の作業スペースからほど近い場所では、もう一つの作業が進められていた。

 

オーブの主力MS、M1アストレイ。

 

その狭いコクピットに収まり、ホログラムモニターへ表示されたOSの数値を睨んでいるのは、キラだった。

 

「……ここ、やっぱり遅れますね」

 

キラの指先が、端末のキーボードを滑るように動く。

 

「操縦者の入力を受けてから、姿勢制御に入るまでにほんの少しだけタイムラグがある」

 

「そこは何度も調整しているのですが……」

 

キャットウォークからコクピットを覗き込んでいたモルゲンレーテの技術者が、困ったように眉を寄せた。

 

「ナチュラルの方が操縦することを前提にしますと、事故を防ぐために、どうしても制御処理を安全側へ振らざるを得ません」

 

「だったら、安全にする場所を変えればいいと思います」

 

「え?」

 

キラは画面のプログラムコードを指差した。

 

「ここは操縦者の入力を補正しすぎています。これだと、パイロットの感覚に対して機体が勝手に動きを遅らせてしまう」

 

指先がいくつかの数値を修正していく。

 

「入力補正を少し減らして、その代わりスラスター側の姿勢制御で追従を補えば……」

 

シミュレーションを走らせる。

 

画面上のレスポンス波形が、大きく変化した。

 

「……ほら。これなら、かなり反応が良くなるはずです」

 

技術者が目を見張った。

 

「なるほど……これなら操縦感を損なわずに済みますね」

 

少し離れた作業台では、巨大な油圧レンチを担いでいたベッカーが呆れたように口を開いた。

 

「キラ坊、お前、自分のフリーダムだけじゃなくて、オーブの機体まで面倒見てんのか?」

 

キラがコクピットから顔を出す。

 

「M1は、まだ調整できるところがありますから。少しでもパイロットの負担を減らせるなら、その方がいいと思って」

 

「だからって、何でもかんでも手ぇ出すなよな。病み上がりなんだろ、お前」

 

「でも、できることなら……」

 

「……ったく」

 

ベッカーは一瞬黙り、手にした工具を肩へ担ぎ直した。

 

「手がかからなくなったと思ったら、今度は妙なところで頑固になりやがって」

 

「そうですか?」

 

「そうだよ」

 

ベッカーは大声を張り上げた。

 

「――おい、野郎ども! キラが書き換えた制御ブロックのテスト始めるぞ! 手ぇ動かせ!」

 

「了解!」

 

整備班から声が返る。

 

そのやり取りを、少し離れた上部キャットウォークからシーマが見下ろしていた。

 

工具を手に、技術者や職人たちと対等に議論するキラ。

 

ここへ来たばかりの頃とは、明らかに違っていた。

 

戦火の中で自我を殺しかけ、ただ保護されるだけだった少年。

 

だが今は、自分の知識と技術を使い、自分自身の判断で誰かを支えようとしている。

 

シーマは唇に煙草を咥えたまま、目を細めた。

 

「……随分とまあ、顔つきが変わったじゃないか」

 

隣で書類を抱えていたクララが振り返る。

 

「キラくんですか?」

 

「ああ」

 

シーマは紫煙を細く吐き出した。

 

「もう、あたしたちが守ってやるだけの坊やじゃないさね」

 

その日の夕刻。

 

リリー・マルレーン艦長室。

 

重厚な机の上には、オーブ側から提示された脱出作戦のホログラム図面が広がっていた。

 

クサナギ。

 

アークエンジェル。

 

そしてリリー・マルレーン。

 

三隻がほぼ同時にオーブのマスドライバーを使用し、大気圏外へ脱出する計画だった。

 

シーマは資料へ目を落とし、淡々と口を開いた。

 

「脱出そのものは問題ない。オーブの設備を使わせてもらえるんだ。ありがたく使わせてもらうさ」

 

向かいに座るデトローフが頷く。

 

「宇宙に向かうにあたり、ガーベラ・テトラ用の宇宙用装備も搬入完了しました。そちらは宇宙での最終試験を残すのみとなります。さらにキラ君から、艦隊の全MSのOSの改善について意見具申があるようです。現在、整備士の方で聞き取りと書類整備を行っています」

 

「あの坊やちょっと働きすぎだねぇ。書類はこっちに回しな。だけどこっちはこれから鉄火場なんだ。キラには生きて宇宙に上がってからにしろときつく言っておきな」 

 

「ただちに。…オーブに来てから、彼にも世話になりっぱなしですね」

 

「ああいうタイプが一番厄介さ。報酬に何を渡したらいいか皆目見当がつかない」 

 

「そして残りの問題は、宇宙へ出た後ですな」

 

「ああ」

 

シーマの指先が、資料の一項目を軽く叩いた。

 

「アークエンジェルとクサナギと一緒に上がった時点で、あたしたちはただの『正体不明の船団』じゃなくなる」

 

「地球連合からも、ザフトからも、敵性勢力として警戒される可能性があります」

 

「分かってるよ」

 

返事は即座だった。

 

「だから、宇宙へ出た後の離脱航路を何通りか用意しておく。……デトローフ、牽制用の機雷とダミーの熱源は?」

 

「手配しております。予備航路も三つほど確保しました。」

 

「結構」

 

シーマは資料へ視線を戻した。

 

「万が一、追っ手が来たら?」

 

「交戦も想定しておくべきかと」

 

「正面から殴り合う必要はないさね」

 

シーマは口元を歪めた。

 

「いつも通り、逃げられるなら逃げる。追いつかれたら振り切る。それでも駄目なら、そこで初めて撃ち返しゃいい」

 

「……承知しました」

 

「勝てるかどうかじゃない」

 

シーマの声が低くなる。

 

「生きて帰れるかどうかさ」

 

そこへ、コーヒーを持ったクララが入ってきた。

 

「司令……」

 

「なんだい?」

 

「本当に……連合とザフトの両方から追われることになるんでしょうか」

 

シーマは少しだけ黙り、灰皿へ灰を落とした。

 

「可能性は高いねぇ」

 

「……それでも、やるんですね」

 

シーマはクララを見た。

 

「クララ」

 

「はい」

 

「あたしたちが、どこかの仲間になったわけじゃないことは分かってるね?」

 

「……はい」

 

「オーブとも、ラクス・クラインの連中とも同じさ」

 

シーマは煙草を指先で弄ぶ。

 

「頼まれた仕事を、あたしたちの都合と判断で引き受けただけだよ」

 

「……はい」

 

「誰かに言われたから死ぬんじゃない。自分で選んだんなら、その結果くらい自分で引き受ける」

 

クララは黙って聞いている。

 

「それが、あたしたちのやり方さね」

 

クララは小さく頷いた。

 

「……分かりました」

 

 

——————————————

 

 

 

一方、プラント。

 

ザフト最高評議会直属の軍事施設。

 

アスラン・ザラは、自室の端末に表示された調査報告書を無言で凝視していた。

 

そこに記された艦隊名を見た瞬間、眉がぴくりと動く。

 

「……シーマ艦隊?」

 

画面に踊るのは、オーブ領内で確認された異質な艦艇データ。

 

軍艦リリー・マルレーン。

 

そして、その周辺で目撃された未確認規格のモビルスーツ群。

 

アスランは椅子へ深く身体を沈めた。

 

その艦隊には、鮮明な記憶があった。

 

かつてイージスガンダムを駆っていた頃。

 

オーブ近海で遭遇し、短い交戦となった正体不明の勢力。

 

見慣れないフレーム構造。

 

規格外の速度を備えた謎の赤い機体。

 

そして何より――異様なまでに手慣れた、泥臭くも洗練された戦い方。

 

アスランは、当時の戦闘ログを記憶の中で手繰り寄せる。

 

(あの艦隊は……俺たちを無理に撃破しようとはしていなかった)

 

追撃できる場面でも無理に深追いせず、敵を殲滅することよりも自陣の損害を最小限に抑える。

 

戦闘そのものよりも、安全に離脱することを第一目的に置いた、徹底した合理的な運用。

 

「……あいつらは、最初から俺たちを殺すつもりで戦っていたわけじゃない」

 

だが、報告書の最新データは、新たな事実を突きつけていた。

 

「なぜ、あの艦隊がオーブにいる……? しかも、アークエンジェルやフリーダムと接触しているだと?」

 

アスランの表情が険しくなる。

 

報告書には、素っ気ない文面でこう記されていた。

 

――クライン派および反プラント勢力との関連性が疑われる。確認され次第、排除対象として指定。

 

だが、アスランの胸の奥では、強い違和感が渦巻いていた。

 

(あの連中は、ザフトを倒すために動いているんじゃない。連合のためでもない……。だったら、なぜリスクを冒してまでオーブに留まり、アークエンジェルと行動を共にしている?)

 

彼らは何を目的に、誰の命令で動いているのか。

 

いや。

 

そもそも――彼らは誰かの「命令」で動くような連中なのか?

 

「アスラン・ザラ特務隊員、出撃準備だ」

 

通信機から呼び出しが入った。

 

アスランは我に返る。

 

椅子から立ち上がると、最新型MSが待つ秘密格納庫へと向かった。

 

ドックの中央に佇んでいるのは、紅蓮の装甲を纏った核エンジン搭載型MS――『ジャスティス』

 

「……これが、俺の新しい力……」

 

コクピットを見上げながら、アスランの胸には割り切れない感情が渦巻いていた。

 

ラクス・クラインはプラントを去り、逆賊として追われている。

 

そして自分自身もまた、父親であるパトリック・ザラの命令をただ信じて戦うことに、限界を感じ始めていた。

 

(ただ命じられたから戦うのか? それとも――)

 

アスランの脳裏に、あのシーマ艦隊の計算され尽くした離脱行動が焼き付いて離れない。

 

「あの連中は……自分たちの意志で戦場を選んでいるというのか……?」

 

その問いの答えを得ぬまま、アスランはジャスティスのコクピットへ足を踏み入れた。

 

 

——————————————

 

 

 

オーブ、オノゴロ島。

 

決戦の前夜。

 

リリー・マルレーンの格納庫では、深夜まで最終点検が続いていた。

 

M1アストレイのOS改修を終えたキラが、汗を拭いながらデータ端末を閉じる。

 

「これなら、初めて搭乗するパイロットでも、機体に振り回されにくくなると思います」

 

オーブ側の整備責任者が頭を下げた。

 

「感謝する、キラ殿。これで一人でも多くの若者が生きて戻れる」

 

「……はい」

 

キラは深く頷いた。

 

作業を終えて歩き出す。

 

すると、通路の物陰から両手に飲み物を持ったクララが姿を現した。

 

「キラくん、はいこれ」

 

「あ、クララさんありがとうございます。」

 

「……宇宙に出たら、また戦闘になるのかな」

 

キラは一瞬だけ視線を落とした。

 

「……そうかもしれません」

 

「怖くない?」

 

「怖いです」

 

キラは素直に答えた。

 

けれど、その瞳にはかつてのような絶望はなかった。

 

「でも……今度は、誰かに言われたから戦うわけじゃないです」

 

クララが黙ってキラを見る。

 

「守りたいものがありますから」

 

キラは少しだけ笑った。

 

「一緒に、生きて帰りたい人たちもいます」

 

クララは柔らかく目を細めた。

 

「そっか」

 

そして、小さく頷く。

 

「……うん。そうだね」

 

格納庫の影。

 

キャットウォークの手すりに寄りかかり、シーマはそのやり取りを静かに聞いていた。

 

胸ポケットから取り出した煙草には火をつけず、指先で弄ぶ。

 

「……フン」

 

小さく鼻を鳴らす。

 

「青臭いこと言っちゃってさ」

 

だが、その口元には僅かな笑みが浮かんでいた。

 

『艦内警報――全員、第一配置につけ。大気圏離脱作戦開始まで、あと三十分』

 

艦内に重低音のスピーカー音が響き渡る。

 

シーマは、指先で弄んでいた煙草を胸ポケットへ戻した。

 

そして、威風堂々とした足取りでブリッジへ向かう。

 

重厚な防音扉が開き、艦長席へ腰を下ろした。

 

「デトローフ、各機の状況は?」

 

「ガーベラ・テトラ、ゲルググM全機、出撃準備完了。機関、プロペラントともに異常ありません」

 

シーマはモニターへ目を向けた。

 

そこに映し出されているのは、オーブ上空の静かな空だった。

 

だが、その向こう側では、すでに連合軍が動き始めている。

 

やがて、この静けさも終わる。

 

「……さて」

 

シーマはゆっくりと煙草を取り出し、火を点けた。

 

紫煙がブリッジへ細く流れていく。

 

「向こうさんも、黙って逃がしてくれるほど甘くはないだろうさ」

 

デトローフが静かに頷く。

 

「でしょうな」

 

「だったら、やることは一つだ」

 

シーマは艦長席へ深く身を預け、正面のモニターを睨みつける。

 

「マスドライバーが使えるところまで、時間を稼ぐ」

 

短い言葉だった。

 

だが、その声には一切の迷いがなかった。

 

「アークエンジェルとクサナギを上げる。あたしたちも、その隙に上がる」

 

シーマは煙草を指先で弾いた。

 

「連合の連中を皆殺しにする必要なんざない。足止めして、振り切って、こっちが逃げ切れりゃそれでいい」

 

「了解しました、司令」

 

ブリッジの各員が一斉に持ち場へ向き直る。

 

その瞬間、遠方監視センサーが新たな反応を捉えた。

 

「司令!」

 

オペレーターの声が響く。

 

「連合軍部隊、接近!」

 

シーマはモニターへ目を向けた。

 

その瞳に、戦場を生き抜いてきた女の鋭い光が戻る。

 

「……来たかい」

 

紫煙をゆっくりと吐き出す。

 

「野郎ども、仕事の時間だよ」

 

シーマは艦長席から立ち上がった。

 

「あたしたちが宇宙へ逃げる時間を、きっちり稼いでもらおうじゃないか」

 

リリー・マルレーンの艦内に、戦闘配置を告げる警報が鳴り響いた。

 

オーブの空を覆い始めた戦火の中で、シーマ艦隊もまた、自分たちが生きて宇宙へ逃げるための戦いへと身を投じていく。

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