宇宙へ戻ったリリー・マルレーンは、ゆっくりと艦首を巡らせた。
眼下に広がっていた青い地球は、すでに艦の進行方向から遠ざかりつつある。
艦内では、地上戦を終えた安堵に浸る暇もなく、次の作業が始まっていた。
MSデッキには、焦げついたオイルと冷却液の匂いが充満している。
地上戦を終えたばかりの機体群が発する余熱のなか、ガーベラ・テトラとゲルググMの整備が急ピッチで進められていた。
地上戦用へ変更していた各機の装備を、再び宇宙戦用へ戻さなければならない。
ガーベラ・テトラの周囲には整備員が集まり、重力下で負荷のかかった関節駆動部やスラスターのシーリングを点検しながら、宇宙用大型スラスターや姿勢制御バーニアの接続を一つずつ確認していた。
ゲルググMも同じだった。
第一小隊の三機が整備架台に並び、その隣には第二小隊の三機が並んでいる。
地上戦で使用した補助推進器や追加装甲を取り外し、宇宙用の高機動スラスター・パックへ戻していく。
「急ぐんじゃねぇぞ!」
工具を片手にしたベッカーの怒声が、デッキいっぱいに響いた。
「宇宙へ戻ったからって、形だけ取り繕ってすぐ出撃する必要はねぇんだ!」
整備員たちへ向けて指を突きつける。
「地上で負荷のかかった関節駆動部、スラスターの接続部、配管の微細な漏れ……全部洗い出せ!」
「分かってます!」
「宇宙用の装備は、最後の一個まで確認しろ!」
ベッカーはゲルググMの脚部メインスラスターを指差した。
「一つでもおかしなところがあったら、そいつは絶対に出すな!」
そして、宇宙空間を指すように親指を立てる。
「宇宙じゃ、そのネジ一本の緩みが、そのまま命取りになるんだよ!」
「了解!」
作業員たちが一斉に返事を返す。
その様子を、少し離れた場所からキラが見ていた。
キラもまた、整備班の作業を手伝っていた。
ただし、今回キラが担当しているのは、スパナを握って機体そのものを整備する作業ではない。
オーブにいた頃から、すでに話し合っていた別の作業だった。
OSの更新。
そして、小隊内のデータリンク・システムの導入。
この二つについては、オーブでの技術交流の際に、キラからベッカーたちへの聞き取りがすでに行われていた。
CEのMSがどのように機体を制御しているのか。
パイロットの複雑な操縦入力を、機体側のプログラムがどのように最適化して処理するのか。
姿勢制御をどこまでOS側の自動補正に任せるのか。
そして、複数のMSが戦場で互いのセンサー情報を共有する方法。
必要な情報の確認と、シーマ艦隊側の機体へどう適用するかという設計思想のすり合わせは、すでに済んでいる。
今は、それを実際の機体へ組み込む段階だった。
「ここの制御系は、前に話したものと同じです」
キラが端末の画面を指差す。
そこには、ゲルググMの制御シーケンスが複雑に展開されていた。
ベッカーが隣から覗き込む。
「こいつか」
「はい」
「前に言ってた、CE側の制御補助を入れる部分だな」
「そうです」
キラは画面を切り替えた。
「ただ、ゲルググMの制御系を全部CE式にする必要はありません」
「ほう」
「むしろ、それをやったら問題が出ると思います」
キラは整備架台に固定されたゲルググMを見上げた。
「この機体は、もともとのUCの制御系でちゃんと完結して動いています」
「機械的な癖や、パイロットの慣れも含めて、それがこの機体の強みです」
「なら、何を変える?」
「パイロットが操縦するときの補助部分です」
キラは画面を切り替えた。
「姿勢制御や推進器の制御を一部OS側で自動補助して、急速旋回や慣性移動時の負荷を緩和する」
「CE側のMSに近い追従性を与えて、操縦のレスポンスを底上げします」
ベッカーが腕を組んだ。
「つまり、機体そのものを無理やりCEのMSに変えるんじゃねぇ」
「はい」
「操縦する人間と、機体との間をスムーズに合わせる」
「その通りです」
ベッカーは満足そうに頷いた。
「それなら分かる」
「うちの連中の腕と癖を殺さずに済むな」
「はい」
キラはさらに別の画面を開いた。
そこには複数のゲルググMを示す光点が表示されている。
「それと、こっちです」
「データリンクか」
「はい」
キラは頷いた。
「これもオーブにいる時に話した内容を基にしています」
ベッカーが画面を見る。
「第一小隊と第二小隊、それぞれで情報をリアルタイム共有する」
「そうです」
「何を共有する?」
「各機の現在位置」
キラが項目を順に表示する。
「敵機の位置とベクトル情報」
「味方機の状態」
「推進剤の残量」
「残弾数と武装の状態」
「主要関節や装甲の損傷状況」
クララが横から画面を覗き込んだ。
「それを、全員が見られるんですか?」
「全部をそのまま全員に見せるわけじゃありません」
キラは首を横に振った。
「すべての情報がそのまま流れてきたら、戦場で情報過多になって、逆に判断できなくなります」
「じゃあ、どうするの?」
「小隊長機には、必要な情報を戦況マップとしてまとめて送ります」
キラはクララを見る。
「小隊長が小隊全体を俯瞰して把握できるようにするんです」
クララは画面を見つめた。
「つまり……私が小隊長なら、味方みんなの位置がひと目で分かる?」
「はい」
「誰かが死角から撃たれたことも?」
「敵の位置や射線を解析できれば、警告を出せます」
「推進剤が限界に近くなったことも?」
「一定値を切れば、自動で小隊長機へ警告が送られます」
クララは少しだけ目を見開いた。
「……それなら、誰を引かせて、誰にカバーに入らせるか、すごく指示を出しやすくなります」
「そこが目的です」
キラは頷いた。
「一機ずつが自分のセンサーと目視だけに頼って戦うより、小隊全体で情報を共有した方が、生き残れる可能性は高くなります」
ベッカーは腕を組んだまま、画面に流れるデータラインを見つめていた。
「一機を特別強くするんじゃねぇ」
「はい」
「小隊というチームそのものを強くする」
「そういうことです」
ベッカーは短く笑った。
「いかにもシーマ艦隊らしい改修だな」
「泥臭くて、一番生き残れるやり方だ」
その言葉に、キラも小さく笑った。
「僕も、そう思います」
作業はそこから本格的に始まった。
OSの更新用データを確認する。
既存の制御系との干渉をシミュレーションで調べる。
CE側の補助制御をどこまで組み込むかを微調整する。
そして、戦場の混乱下でも視界を妨げないよう、小隊内で共有する情報の優先順位を選定する。
まだ完成には遠い。
だが、導入そのものは確実に始まっていた。
シーマ艦隊のMSは、少しずつ、しかし確実に変わろうとしていた。
一機の英雄が敵を倒すためではない。
小隊全員で、生きて帰るために。
その頃。
リリー・マルレーンのブリッジでは、別の準備が進められていた。
前方のメインモニターには、二隻の艦影が映っている。
アークエンジェル。
クサナギ。
そして、その二隻と並ぶようにリリー・マルレーンが進んでいた。
三隻は一定の距離を保ちながら、静かに同じ宙域を航行している。
だが、まだ一つの艦隊として統合されたわけではない。
リリー・マルレーンは、どこまでもシーマ艦隊の旗艦だった。
そのことを、シーマは最初から明確にしていた。
「……随分と立派な並びになったもんだねぇ」
シーマがブリッジの強化ガラス越しに、並走する二隻を眺める。
デトローフが隣で静かに答えた。
「世間では、『三隻同盟』と呼ばれているようですな」
「そう呼ばれてるらしいねぇ」
シーマは煙草を咥えた。
「ただ、あたしらまで丸ごとあいつらの色に染まったと思われちゃ困るよ」
「ええ」
デトローフが頷いた。
「我々は我々です」
「誰の配下でもありません」
シーマは煙草を指先で弄んだ。
「……それを、向こうにも一度は確認しておこうかねぇ」
やがて、通信士から報告が入る。
「司令、エターナルから通信です」
「ラクスかい?」
「はい」
シーマは少し考えた。
「直接話すよ」
「了解」
通信が開く。
『シーマさん』
ラクスの声が響いた。
「何だい?」
『一度、直接お話ししておきたいことがあります』
「こっちも同じさ」
シーマは立ち上がった。
「エターナルへ行くよ」
ほどなくして、シーマとデトローフはシャトルへ乗り込んだ。
やがて、桃色を基調としたエターナルの艦体が視界へ入る。
艦内へ案内されると、出迎えたラクスの傍らにはマリューとバルトフェルドが立っていた。
「ようこそ、シーマさん」
「邪魔するよ」
シーマは周囲を一度見回した。
「さて」
「わざわざ呼び出したんだ」
「何の話か、聞かせてもらおうじゃないか」
ラクスが静かに頷いた。
「はい」
「私たちが今、どのような目的で行動しているのか」
「そして、シーマさんたちと今後どのような関係を築きたいのか」
「その二つについて、お話ししておきたいと思いました」
シーマは腕を組んだ。
「ちょうどいい」
「あたしも聞こうと思ってたところさ」
「三隻同盟ってのは、結局なんなんだい?」
マリューが答えた。
「簡単に言えば、地球連合にもザフトにも属さない戦力が、共通する目的のために協力している状態です」
「共通する目的?」
「戦争を止めることです」
シーマは黙った。
「……随分と大きく出たねぇ」
「そう思われますよね」
マリューは苦笑した。
「でも、私たちが戦っている理由は、どちらかの陣営を勝たせるためではありません」
バルトフェルドが続ける。
「ザフトを潰して終わりでもない」
「地球連合を勝たせれば終わる話でもない」
「戦争を続ける連中を止める」
「そして、これ以上無関係な人間が戦争に巻き込まれるのを減らす」
シーマの目が細くなる。
「……なるほどねぇ」
「だが、それじゃあ随分と曖昧じゃないかい?」
「ええ」
ラクスが答えた。
「私たちは、一つの国家でもありません」
「一つの軍隊でもありません」
「それぞれに、守りたいものがあります」
ラクスは静かに言葉を続けた。
「アークエンジェルには、アークエンジェルの事情があります」
「クサナギには、オーブとしての事情があります」
「そしてエターナルにも、私たち自身の事情があります」
「それでも、戦争を終わらせたいという一点では一致している」
シーマはラクスを見つめた。
「つまり、同じ旗を掲げてるわけじゃない」
「はい」
「同じ目的に向かって、それぞれが自分の判断で動いてる」
「その通りです」
シーマの口元が僅かに緩む。
「……そいつは、あたしらと似てるねぇ」
デトローフが静かに頷いた。
「我々も、誰かの命令で動くつもりはありません」
「必要なら協力する」
「それだけです」
ラクスが微笑む。
「だからこそ、私はシーマさんたちに三隻同盟へ正式に加わっていただこうとは考えていません」
シーマの眉が上がった。
「ほう?」
「シーマさんたちは、シーマさんたちのままでいてください」
「その上で、目的が一致する時には協力していただきたいのです」
「……随分と都合のいい話じゃないか」
バルトフェルドが笑う。
「お互い様だろう」
シーマが視線を向ける。
「どういう意味だい?」
「こちらだって、シーマ艦隊の判断で勝手に動かれる可能性はある」
「それでも、戦場で背中を預けられる相手なら、敵に回すよりずっといい」
「なるほどねぇ」
シーマは腕を組んだ。
「つまり、あたしらに所属しろとは言わない」
「ええ」
「そっちも、あたしらを指揮しようとはしない」
「はい」
「その代わり、目的が同じ時は一緒に戦う」
ラクスが頷いた。
「それが、私たちの望む関係です」
シーマはしばらく黙っていた。
そして、僅かに笑った。
「……悪くない。歌姫様もウチのやり方がわかってきたねぇ」
「ただし、一つだけ条件がある」
ラクスが首を傾げる。
「何でしょう?」
「借りは返してもらうよ」
バルトフェルドが笑った。
「それはお互い様だな」
シーマも笑う。
「そういうことさ」
マリューが少しだけ表情を和らげた。
「では、これからもよろしくお願いします」
「ああ」
シーマは頷いた。
「こっちこそ、よろしく頼むよ」
そこでシーマは、ふとラクスへ視線を向けた。
「ところで、もう一つ聞きたいんだけどねぇ」
「はい?」
「これから、あんたたちは何をするつもりなんだい?」
ラクスの表情が少しだけ真剣になる。
「まずは、戦争を止めるための戦力を整えます」
「そして、両軍の戦闘が激しくなる場所へ介入する」
「必要であれば、民間人を救出する」
「そして、戦争を利用している者たちの思惑を明らかにする」
シーマは静かに聞いていた。
「……簡単じゃないねぇ」
「はい」
「むしろ、これからが本番でしょう」
「そうでしょうね」
シーマは少し考えた。
「なら、あたしらにも都合がいい」
ラクスが僅かに目を見開く。
「私たちはこの世界で生き残らなきゃならない」
「そのためには、これからも色んな場所で戦うことになる」
「だったら、戦争そのものが長引かない方がいい」
ラクスが静かに微笑む。
「それも、シーマさんたちにとっての理由なのですね」
「ああ」
シーマは肩を竦めた。
「正義だの理想だのは、あたしには荷が重いんでねぇ」
「ただ、生きて帰れる場所を残したいだけさ」
その言葉に、ラクスは一瞬だけ黙った。
「……それは、とても大切なことだと思います」
シーマはそれ以上答えなかった。
ただ、少しだけ目を細める。
「さて」
「話は分かった」
「三隻同盟が何なのかも、これから何をするつもりなのかもねぇ」
「それなら、あたしらはあたしらで動くよ」
「必要な時には声を掛けな」
ラクスが頷く。
「はい」
「こちらからも、お願いします」
シーマは踵を返した。
「行くよ、デトローフ」
「はい」
エターナルを離れるシャトルへ向かう二人の背中を、ラクスたちは見送った。
その後ろ姿を眺めながら、バルトフェルドが呟く。
「……あれで、かなり気に入ってるんじゃないか?」
マリューが苦笑する。
「そうなんでしょうか?」
「たぶんな」
一方、シャトルへ戻ったシーマは、窓の外に浮かぶエターナルを眺めていた。
「……悪くない連中だねぇ」
デトローフが微笑む。
「そうおっしゃると思っていました」
「勘違いするんじゃないよ」
シーマは鼻を鳴らした。
「仲間になったわけじゃない」
「ええ」
「ただ――」
シーマは窓の外へ視線を戻した。
「同じ方向を向いてる間くらいは、隣を走ってやってもいい」
シャトルは、静かにリリー・マルレーンへ向けて加速していった。
リリー・マルレーンへ戻ったシーマを、ベッカーが待っていた。
「話は終わったか、司令」
「ああ」
「どうだった?」
「悪くない話だったよ」
シーマはブリッジへ向かいながら答える。
「三隻同盟とやらは、あたしらを組み込む気はないそうさ」
「それで?」
「必要な時だけ、隣で戦う」
ベッカーが鼻を鳴らした。
「なら、いつも通りじゃねぇか」
「そういうことさ」
シーマは笑った。
「ただ、今までよりは少しだけ隣が賑やかになる」
ブリッジのメインモニターには、アークエンジェル、クサナギ、エターナルの三隻が映っている。
その後方には、リリー・マルレーンが続いていた。
四隻は、一定の距離を保ちながら同じ宙域を進んでいく。
それでも、リリー・マルレーンの艦首が向いている方向を決めるのは、シーマだった。
誰かの命令ではない。
誰かに与えられた使命でもない。
自分たちが生き残るために。
そして、この世界で新しく築こうとしている居場所を守るために。
シーマ艦隊は、自分たちの意思でその航路を選んでいた。
同じ戦場に立つ。
必要な時には、互いに背中を預ける。
だが、それぞれの判断と責任は、それぞれが背負う。
それが、この世界でシーマ艦隊が選び取った、新しい関係だった。