宇宙へ戻ってから数日が過ぎた。
L4方面へ向かう航路の途中で、シーマ艦隊は一度足を止め、次の行動に備えるための訓練を行うことになった。訓練宙域として選ばれたのは、廃棄されたコロニーの残骸が漂うデブリ帯である。視界を遮る巨大な構造物と無数の破片が複雑に絡み合い、正面から見れば何もないように見える空間であっても、センサーを通せば無数の障害物が潜んでいることが分かる。実戦を想定するには、これ以上ない場所だった。
今回、リリー・マルレーンから射出されるのはゲルググM六機とガーベラ・テトラ。そして、シーマ艦隊だけで行うこれまでの訓練とは違い、エターナルからジャスティスが参加することになっている。フリーダムとジャスティスの本格的な整備についてはエターナル側の設備を使用し、リリー・マルレーンはあくまでシーマ艦隊のMSを維持することを優先する。そのうえで今回の訓練を通じ、互いの機体性能だけではなく、どのような考え方で戦い、どのような判断を下すのかを知ることが目的だった。
出撃前のブリーフィングルームには、訓練に参加するパイロットたちが集まっていた。
シーマは全員を見回してから、煙草を指先で弄びながら口を開く。
「――訓練の目的を確認するよ。撃墜数は評価しない」
その言葉にクララが顔を上げた。
「じゃあ、何を?」
「帰還した機体の数さ」
シーマは即答した。
「敵を何機落としたかじゃない。最後まで何機が動ける状態で帰ってきたかを見る。敵を逃がしたって構わないし、撃墜できる機会があっても、追えば味方の隊列が崩れるなら追わなくていい。あたしが見たいのは、勝った奴じゃない。最後まで生きて帰ってきた奴の動きだよ」
その場にいたアスランが、静かにシーマを見た。
「かなり独特ですね」
「そうかい?」
「ザフトの訓練では、目標達成や敵機の撃破が重要視されます」
「だから、今日はそれを忘れてもらうのさ」
シーマはアスランへ視線を向ける。
「あんたたちの機体は強い。だからこそ、強い機体に頼りすぎると死ぬ。機体が強いから無理ができる。無理ができるから、無理をする。そのうちに自分の機体なら何とかしてくれると思い込んで、気づいた時には帰るための燃料も、味方を助ける余力もなくなってる。そんな戦い方じゃ、どれだけ敵を落としたって意味がないんだよ」
アスランは黙って聞いていた。
クララもまた、シーマの言葉を頭の中で反芻している。自分たちがこれまで積み重ねてきた戦い方とは違うわけではない。ただ、それを言葉にして突きつけられると、改めて重さが分かった。
シーマは煙草を灰皿へ押し付ける。
「じゃあ、宇宙へ出な」
カタパルトが開き、ゲルググMが一機ずつ射出されていく。最後に赤いガーベラ・テトラが静かに格納庫を離れ、少し遅れてエターナルからジャスティスが訓練宙域へ向かった。
デブリ帯へ入ると、六機のゲルググMはそれぞれ一定の距離を保ちながら散開した。
クララは操縦桿をわずかに動かし、機体の姿勢を調整する。以前なら、自分の機体のセンサーと目視だけで周囲を確認し、味方の位置については通信で確認するのが基本だった。しかし、今は違う。画面の端には僚機の位置が表示され、速度、進行方向、推進剤の残量、さらに各機から送られてくる敵影の情報までが一つの画面にまとめられている。
まだ導入段階のシステムで、表示も完全ではない。それでも、これまでとは明らかに違った。
「第一小隊、左側へ。第二小隊はそのまま。敵影が出ても追わないで」
『了解』
クララが隊列を整えた、その直後だった。
デブリの向こうから一条のビームが飛び込んできた。
クララは反射的に操縦桿を倒し、ゲルググMを横滑りさせる。ビームが装甲の脇を掠め、背後のデブリを赤く焼いた。
『敵機確認!』
デブリの隙間から姿を現したのはジャスティスだった。
その速度を見た瞬間、クララは息を呑む。
速い。
ゲルググMとは比較にならない。加速の立ち上がりも、姿勢制御も、機体そのものが別の生き物のようだった。
クララは反射的に追撃へ移ろうとした。
だが、その瞬間、画面の端に表示された僚機の情報が目に入った。一機がわずかに遅れている。別の一機は推進剤を予定以上に消費していた。ここでジャスティスを追えば、自分だけが前へ出ることになる。
クララは操縦桿を戻した。
「第一小隊、後退!」
『えっ?』
「追わない!」
クララは機体をデブリの陰へ滑り込ませる。ジャスティスが追撃に入ってくるが、クララは三機の位置を崩さない。アスランのジャスティスが一瞬だけ前へ出たところで、別のゲルググMが側面から牽制射撃を放った。
ジャスティスが素早く機体を反転させる。
そこへ、さらに別方向から一機が射線を通した。
アスランはビームを回避し、そのままデブリの陰へ身を隠した。
『……なるほど』
通信に、アスランの声が入る。
『追わないのか』
クララは答えなかった。
追えば、一瞬だけジャスティスに対して有利な位置を取れるかもしれない。だが、そのために小隊の隊列が崩れれば、その後の判断は遅れる。今の自分たちに必要なのは、目の前の一機を撃墜することではない。
敵を追い払ったあとも、六機全員が戦える状態を維持することだった。
『第一小隊、現位置を維持。第二小隊、後方警戒』
『了解』
その時、シーマから通信が入った。
『そのままでいいよ』
クララの肩から、わずかに力が抜ける。
『敵を逃がすのが嫌なら、次の戦場でまた会えばいい。追う必要がない時に追う奴は、自分から敵の懐へ飛び込んでいくようなもんさ』
『はい!』
そこから先も訓練は続いた。
ジャスティスは圧倒的な速度と加速性能を生かしてゲルググM隊を翻弄し、正面から見れば性能差は明らかだった。しかし、ゲルググM隊は一機で対抗しようとはしなかった。互いの位置を確認しながら進路を塞ぎ、敵の動きを限定し、危険な方向へ追い込まれそうになれば隊列そのものを動かして回避する。
ガーベラ・テトラも、正面からジャスティスを追い回すことはしなかった。
シーマは敵を撃墜するためではなく、味方が危険な位置へ入らないように動く。ジャスティスが突破しようとすればその進路を塞ぎ、ゲルググM隊が崩れそうになれば敵との間へ割り込む。一機で勝とうとするのではなく、六機が戦い続けられる空間を作る。
やがて終了信号が入った。
『そこまで。全機、帰投』
シーマの声が響く。
ゲルググMが一機ずつリリー・マルレーンへ戻り、ジャスティスはエターナルへ向けて離脱していった。
訓練終了から間もなく、MSデッキではすでに整備作業が始まっていた。
帰還したゲルググMが整備架台へ固定され、装甲には訓練用ペイント弾の痕がいくつも残っている。目立った損傷はない。だが、ベッカーはそれだけを見て作業を終えるような整備士ではなかった。
「右脚、開けろ」
整備員がハッチを開く。
ベッカーは内部を覗き込み、制御弁を指で示した。
「ここだ。レスポンスが左右で違う」
クララが近づく。
「壊れているんですか?」
「まだ壊れちゃいねぇ」
ベッカーは首を振った。
「だから面倒なんだよ。こういう小さなズレを放っておくと、本番で一気に出る。訓練で気づけるなら、訓練のうちに潰す。それが整備ってもんだ」
工具を差し込みながら、ベッカーはさらに続けた。
「今日の訓練で機体に無理をさせた奴がいるなら、ログに必ず残ってる。パイロットが大丈夫だと思ってても、機械のほうは嘘をつかねぇからな」
「……なるほど」
クララが頷く。
そこへ作業着姿のアスランが現れた。
「手伝います」
ベッカーが振り返る。
「お前さん、自分の機体は?」
「エターナルの整備班に任せています」
「そうかい」
ベッカーは少し考えてから、工具を一本放った。
「じゃあ、そこのカバーを外せ」
「はい」
アスランが工具を受け取り、ゲルググMの整備に加わる。クララが少し驚いた顔をすると、アスランは苦笑した。
「今日、こちらの機体と訓練しましたから。それに、ここで何をしているのか知りたい」
「殊勝なこった」
ベッカーが鼻を鳴らす。
しばらくして、アスランがボルトを回していると、ベッカーの声が飛んだ。
「違う。そこは先にこっちだ」
「すみません」
「力任せに回すな。ネジ山を潰したら余計な仕事が増える」
「はい」
クララは思わず笑った。
アスランが振り返る。
「……何か?」
「いえ。アスランさんでも怒られるんだなって」
「俺だって何でもできるわけじゃない」
ベッカーが笑う。
「当たり前だろうが」
アスランも少しだけ笑った。
整備の手を止めず、ベッカーが口を開く。
「お前さんたちは、機体の整備は専門の連中に任せるのか?」
「基本的には」
「俺たちは違う」
ベッカーはゲルググMの内部を見ながら言った。
「自分の乗る機体がどういう状態なのか、パイロットにも分かっていてもらわなきゃ困る。異常が出た時、最初に気づくのは乗ってる奴だからな。機械の音がいつもと違う、操縦桿の感触が違う、スラスターの吹き方が違う。そういうのは、整備班が外から見て分かるもんじゃねぇ」
アスランが手を止める。
「……なるほど」
「だから、乗る奴も機体を知れ。強い機体に乗ってるなら、なおさらだ」
アスランは苦笑した。
「耳が痛いですね」
その頃、別の場所ではキラが訓練データの解析を進めていた。
シーマが隣に立ち、モニターに表示された軌跡を眺める。そこには訓練中のジャスティスとゲルググM各機の動きが重ねて表示されていた。
「どうだい?」
「かなり面白い結果が出ています」
キラが画面を操作する。
「ジャスティスは、やっぱり圧倒的です。速度も加速も、ゲルググMとは比較になりません。ただ、クララが追わなかったことで、結果的に小隊全体の位置関係は崩れませんでした」
「それが何になる?」
「次の判断が早くなります」
キラはデータを指した。
「一機が敵を追いかけると、その機体だけじゃなく、小隊全体の位置がずれます。隊列を戻すために時間が必要になる。その間に別の敵が来たら、対応できない」
「だから、勝てる場面でも追わない」
「はい」
キラは頷いた。
「敵を倒すことより、小隊全体の判断を崩さないことを優先する」
シーマは黙って画面を見つめた。
「結局、昔からやってることと同じじゃないか」
「でも、今はデータリンクがあります」
キラが画面を切り替える。
「昔は、誰かが声を上げて知らせるしかなかった。でも今は、システムが先に教えてくれる」
「……なるほどねぇ」
シーマは煙草を指先で弄んだ。
「人間の勘を捨てるんじゃない。その勘を使うための情報を増やす」
「そうです」
シーマの口元が僅かに緩む。
「いいじゃないか」
夕方になる頃には、MSデッキに集まる人間も増えていた。
整備を終えた者、訓練記録を確認する者、まだ機体の調整を続ける者。それぞれが思い思いに作業をしていたが、ベッカーが工具を置いたことで、その場に区切りがついた。
「今日はここまでだ」
クララが振り返る。
「まだやるんですか?」
「やるに決まってんだろ」
ベッカーはぶっきらぼうに答えた。
「だが、腹が減ってちゃ頭も回らん」
食堂へ向かう。
リリー・マルレーンの食堂は、訓練を終えた人間たちで普段より騒がしかった。配給用のスープとパン、それに整備班が勝手に追加した保存肉がテーブルへ並んでいる。戦艦の食堂として決して豪華ではないが、誰も文句は言わない。むしろ、一日中機体と向き合っていた人間たちにとっては、腹を満たして身体を休められることのほうが重要だった。
ベッカーが向かいに座ったアスランを指差す。
「で? 今日の訓練で、一番きつかったのはどこだ?」
アスランは少し考えてから答えた。
「……ゲルググMの動きですね」
「ほう」
「性能差そのものより、動き方が予想と違いました」
クララが顔を上げる。
「予想と違う?」
「ええ。普通なら、あの性能差ならもっと個々に散開してくると思っていました」
「それじゃ死ぬからね」
離れた席からシーマが口を挟んだ。
「一機ずつじゃ、あんな化け物相手にゃ保たないさ」
クララは苦笑した。
「でも、私も途中で何度か追いかけそうになりました」
「三回だ」
低い声がした。
少し離れた席で黙って食事をしていたヴァルターが、カップを置いていた。
「……三回?」
「三回、隊列を崩しかけた」
ヴァルターは淡々と続ける。
「一度目はジャスティスが右へ抜けた時。二度目はデブリの陰へ入った時。三度目は最後の牽制射撃のあとだ」
クララは気まずそうに視線を落とした。
「……見てたんですか」
「見ていた」
「でも、追ってないですよね?」
「途中で止まった」
ヴァルターはそれだけ言った。
「それは、シーマ司令の指示があったからです」
「それでも止まれたのは、お前さん自身だ」
クララが顔を上げる。
ヴァルターの表情はいつも通りだった。責めているわけでもない。ただ、見たものを事実として並べているだけだった。
「小隊長なら、敵を見つけた時より、敵を見失った時の方が重要になる」
「……見失った時?」
「そうだ」
ヴァルターはクララを見る。
「敵を追うことに集中すると、小隊の位置が見えなくなる。今日、お前は一度だけ僚機の位置を確認するのが遅れた。その時、第二小隊との距離が開いた」
クララは黙って聞いていた。
「もし実戦だったら、そこを狙われる」
短い言葉だった。
だが、クララには十分だった。
「……気をつけます」
「気をつけるだけじゃ足りない」
ヴァルターは淡々と言う。
「見る順番を決めろ」
「見る順番?」
「敵。味方。自分の機体」
ヴァルターが指を一本ずつ立てる。
「敵だけを見るな。敵を見たら、次に味方を見る。味方を見たら、自分が戦える状態かを見る。それを癖にしろ」
クララは真剣に頷いた。
「分かりました」
ベッカーが横から口を挟む。
「その癖が身につくまで、俺たちは機体のログを見てやる。無茶した動きは全部残るからな」
「……二人とも厳しいですね」
クララが小さくぼやく。
「当たり前だ」
ヴァルターは即答した。
「死ぬよりはいい」
クララは一瞬だけ黙り、それから少しだけ笑った。
「……はい」
その様子を見ていたアスランが、静かに口を開く。
「俺も、同じだと思います」
クララが振り向いた。
「え?」
「今日の訓練で、俺も一度、追い過ぎました」
「アスランさんが?」
「ええ。ジャスティスの性能なら追えると思ってしまった」
ヴァルターがアスランへ視線を向ける。
「それも同じだ」
「……はい」
「速い機体ほど、追えると思う」
「その通りです」
「だから危ない」
アスランは黙って頷いた。
その空気をベッカーの豪快な笑い声が吹き飛ばした。
「なんだ、最新鋭機のパイロット様も同じ穴のムジナじゃねぇか」
「……返す言葉がありません」
「へっ、そういう素直な奴は嫌いじゃねぇぞ」
食堂に笑い声が広がった。
訓練中には張り詰めていた空気が、ここではすっかり消えている。誰かが失敗すれば指摘され、からかわれる。それでも、その失敗を笑って終わらせることはない。次の訓練ではどう直すか、機体側では何を確認するか、自然と話がそこへ繋がっていく。
「……いい部隊ですね」
アスランがぽつりと言った。
ベッカーが眉を上げる。
「何がだ?」
「こういうところです」
アスランは周囲を見回した。
整備班とパイロットが同じテーブルで飯を食い、誰かが訓練で失敗すれば笑われる。それでも、その失敗は必ず次の整備や訓練へ反映される。
「距離が近い」
「そりゃそうだ」
ベッカーが肉を口へ放り込む。
「明日も同じ機体に乗る奴らだぞ」
「……ザフトでは、少し違いました」
「軍隊なんだから当たり前だろ」
「ええ」
アスランは苦笑した。
「でも、少し羨ましいと思います」
その言葉にクララが目を丸くした。
「アスランさんでも、そういうこと思うんですね」
「俺を何だと思ってるんだ?」
「もっと……なんでも一人でできる人なのかと」
「それは誤解だ」
横からキラが口を挟んだ。
「アスラン、一人だと結構無茶するから」
「キラ」
「本当のことだろ」
「お前にだけは言われたくない」
「僕だって最近は気をつけてるよ」
「それ、本人が言うと余計に信用できないな」
また笑い声が上がった。
その向こうでは、別の卓でデトローフがコーヒーを淹れていた。濃い色の液体がカップへ注がれ、香りが食堂へ広がる。その匂いに気づいたバルトフェルドが顔を上げる。
「……おや。ずいぶんいい香りじゃないか」
デトローフが顔を上げた。
「どこの豆かな?」
「キリマンジャロです」
「なるほど」
バルトフェルドが自分のカップを見る。
「俺のはブラジルだ」
「そうですか」
「……飲み比べるか?」
デトローフが少しだけ目を細める。
「構いませんが、勝敗をつけるものではないでしょう」
「コーヒーに勝敗をつける男は嫌われるよ」
いつの間にか近くに来ていたシーマが言った。
バルトフェルドが笑う。
「おや、司令。そういうことを言う割には、あんたもこだわるじゃないか。マンデリンだっけ?」
「あたしのはあたしのだよ」
「なるほど。つまり一番面倒なのがそこか」
「聞こえてるよ、砂漠の虎」
「それは失礼」
バルトフェルドは楽しそうに笑った。
その横でアスランがカップを見つめている。
「……そんなに違うものなんですか?」
キラが答える。
「人によっては、かなり」
「シーマさんは?」
「うるさいくらい違うって言うと思う」
「キラ坊」
「ごめんなさい」
シーマは呆れたように煙を吐いた。
「まったく……」
だが、その声に苛立ちはなかった。
食堂には、再び笑い声が広がった。
戦場では、誰もがそれぞれの名前と階級と役割を背負っている。艦長は艦長として、パイロットはパイロットとして、整備士は整備士として、それぞれに与えられた仕事を果たさなければならない。だが、ここでは違った。
整備士も、パイロットも、艦長も、別の世界から来た少年も、同じテーブルを囲み、同じ飯を食い、同じコーヒーの味についてくだらない言い争いをしている。
それだけのことだった。
けれど、シーマ艦隊にとっては、そういう時間こそが大切だった。
戦場で背中を預けられる相手は、戦場だけで作るものではない。機体の整備を任せ、食事を共にし、くだらないことで笑い、時には失敗を指摘される。そうした何でもない時間を積み重ねて、初めて「こいつなら任せられる」という感覚が生まれる。
シーマは少し離れた場所から、その光景を眺めていた。
デトローフが隣へ立つ。
「楽しそうですな」
「そうかい?」
「ええ」
シーマは答えず、煙草へ火をつけた。
食堂の向こうでは、ベッカーがアスランに整備の手順を説明している。クララはキラにデータリンクの表示について質問し、バルトフェルドはデトローフのコーヒーを勝手に試飲して、デトローフが文句を言っていた。
「……悪くないねぇ」
シーマが呟く。
「何がです?」
「こういうのさ」
それ以上、説明はしなかった。
デトローフも聞き返さなかった。
リリー・マルレーンの食堂には、しばらく笑い声が響いていた。
やがて食事が終わり、人が少しずつ散っていっても、艦内から完全に気配が消えることはなかった。MSデッキではキラがデータリンクのログを確認し、整備架台ではベッカーたちがゲルググMの細かな調整を続けている。クララは今日の訓練記録を繰り返し見返し、アスランは初めて触れたシーマ艦隊の整備現場と、そこで見た戦い方を思い返していた。
強い機体だから生き残れるわけではない。
速いから帰ってこられるわけでもない。
誰か一人が勝つことより、全員が帰ってくることを優先する。そのために機体を直し、情報を共有し、互いの弱点を補う。
それは、アスランがこれまで知っていたMS戦とは少し違っていた。
だが――悪くない。
そう思えた。
宇宙の外では、四隻の艦が一定の距離を保ちながら航行している。まだ、それぞれの艦はそれぞれの艦だった。それぞれに指揮系統があり、守るものがあり、譲れないものもある。
だが、その距離は少しずつ変わり始めていた。
まだ、誰もそれを同盟とは呼ばない。
誰も、仲間だとは言わない。
ただ、一緒に訓練をし、互いの機体を知り、互いの整備を知り、同じ食卓で飯を食った。
それだけだった。
それだけの積み重ねが、いつか戦場で生死を分ける。
リリー・マルレーンは、静かな宇宙を進んでいた。
MSデッキでは、まだ整備の音がしている。食堂では、誰かの笑い声が聞こえていた。
どちらも、戦争には必要のない音だった。
だが――シーマ艦隊にとっては、必要な音だった。
明日もまた、ここへ帰ってくるために。
そして、帰ってきた場所を、明日も同じように残しておくために。
リリー・マルレーンは、暗い宇宙を静かに進んでいった。
感想や投票、お気に入りありがとうございます。