シーマ艦隊にとって、戦闘そのものよりも厄介な問題が浮かび上がっていた。
この世界について、まだ知らないことが多すぎる。
それは、単に敵の機体や兵器の性能を知らないという話ではなかった。
誰が何を目的に戦っているのか。
どこまでが敵で、どこからが味方なのか。
そもそも、なぜこの戦争はこれほど長引いているのか。
宇宙世紀の戦争を知るシーマたちにとっても、コズミック・イラの情勢は理解しにくかった。
勢力が多すぎる。
国家と軍隊と思想集団が複雑に絡み合い、それぞれが別々の思惑で動いている。
さらに厄介なのは、昨日まで敵だった者が、今日は同じ目的のために並んでいることすらあることだった。
「……まず、頭の中を整理したほうがいいねぇ」
リリー・マルレーンの作戦室。
壁一面のモニターには、この世界の勢力図が表示されていた。
シーマ、デトローフ、ヴァルター、ベッカー。
そこへラクス、マリュー、ムウ、バルトフェルド、キラ、アスラン、そしてカガリも加わっている。
カガリはオーブに関する資料が表示されるまで、ほとんど口を挟まなかった。
キラが端末を操作しながら、必要な資料を順番に表示していく。
「まず、現在の戦争の中心にいるのが、ザフトと地球連合です」
画面に二つの勢力が表示される。
「ザフトはプラントの軍事組織。そして地球連合は、地球側の主要な軍事勢力です」
「プラントってのは?」
シーマが尋ねた。
「宇宙にあるコロニー群です。コーディネイターの人口が多く、現在はザフトが軍事力を持っています」
「なるほどねぇ」
シーマは画面を眺めた。
「つまり、宇宙側と地球側が戦争してる」
「大きく見れば、そうです」
キラは頷いた。
「でも、それだけでは説明できません」
画面が切り替わる。
次に表示されたのは、青い文字だった。
――ブルーコスモス。
「地球側には、反コーディネイター思想を掲げる勢力があります」
「ブルーコスモス、か」
バルトフェルドが口を開いた。
「地球連合そのものとは別だ。だが、政治や軍に大きな影響を与えている」
「思想が軍事組織にまで入り込んでるってわけかい」
シーマの声が低くなる。
「そういうことになります」
マリューが答えた。
「ただし、地球連合の人間すべてがブルーコスモスというわけではありません」
「ザフトも同じさ」
バルトフェルドが続ける。
「プラントの人間が全員、同じ考えを持っているわけじゃない」
「……結局、どこの世界でも同じか」
シーマは鼻を鳴らした。
「軍服や組織名だけで人間を判断するなってことだねぇ」
キラは頷いた。
「はい」
次に表示されたのは、オーブだった。
しかし、その表示には赤い警告が付いている。
「そして、オーブ」
マリューの表情が僅かに曇った。
「ここは、すでに大きく状況が変わっています」
「中立国、って話じゃなかったかい?」
「以前は」
マリューは短く答えた。
「ですが、もう過去の話です」
画面に映し出されたのは、戦火に包まれたオーブの映像だった。
シーマはしばらく黙ってそれを見ていた。
「……自分の国を守るために、国そのものを壊した」
「はい」
「随分と重い決断だねぇ」
その言葉に、カガリの肩が僅かに強張った。
「……守った、と言い切れるほど綺麗な話じゃない」
小さな声だった。
シーマがカガリを見る。
カガリは映像から目を逸らさなかった。
「国を残すために、国を壊したんだ。建物も、工場も、軍事施設も……たくさん失った」
一度、言葉が途切れる。
「それで助かった人間もいる。でも、失ったものだって戻ってこない」
シーマは何も言わなかった。
ただ、煙草を指先で弄びながらカガリを見ていた。
「……あんたが全部背負う話じゃないさ」
「でも、私の国のことだ」
「だからって、一人で抱え込んで国が戻ってくるわけじゃない」
シーマは画面へ視線を戻した。
「生き残った奴が、残ったものを使って立て直すしかない。それだけさ」
カガリはしばらく黙っていた。
「……そうだな」
短い返事だった。
それ以上、二人は何も言わなかった。
「人的被害も、施設の損失も大きい」
マリューが資料を切り替える。
「少なくとも、今のオーブを安定した軍事拠点や補給基地として考えるのは難しいでしょう」
シーマは地図へ視線を移した。
「……なるほどねぇ」
その言葉に、デトローフが反応する。
「補給面での問題ですな」
「そうさ」
シーマは指先で地図を叩いた。
「オーブが潰れたってことは、あの周辺を『いつでも使える場所』として考えちゃいけないってことだ」
「はい」
「なら、別の補給路を作る必要がある」
戦争の話をしていたはずだった。
だが、シーマが見ているのは戦場ではない。
その後ろだった。
弾薬。
推進剤。
食料。
医薬品。
機体部品。
そして、それらを運ぶ航路。
「戦争が終わるかどうかなんて、あたしたちには決められない」
シーマは淡々と言った。
「だったら、終わるまで生きていられるようにするしかない」
ベッカーが腕を組む。
「MSの部品もそうだな」
「そういうことさ」
「ゲルググMを動かせる部品が、どこで手に入るか」
「ガーベラも同じ」
ベッカーは画面を見ながら続けた。
「UCの部品なんざ、この世界じゃ正規の補給線からは出てこねぇ」
「だからCEの部品で代用する。そのための改修もした」
「だがこれからは、CE側の部品がどこで流通してるか知らなきゃならねぇ」
「……政治の話が、結局そこへ行くわけですか」
キラが苦笑した。
「戦争ってのはそういうもんさ」
シーマは煙草を咥えた。
「前線だけ見てたら、後ろから腹を空かせて死ぬ」
誰も反論しなかった。
画面が再び切り替わる。
今度はプラントの政治状況。
ラクスが静かに説明を始める。
「プラントにも、当然ながら様々な考えがあります」
「クライン派かい?」
「ええ」
ラクスは頷いた。
「ただし、クライン派と三隻同盟を同一視しないでください」
シーマの口元が僅かに緩む。
「それは分かってるよ」
ラクスを見る。
「あたしたちも、そっちに所属する気はない」
「もちろんですわ」
「利害が合えば手を組む」
「ええ」
「だが、あたしたちはあたしたちのまま」
「そのほうが、わたくしも安心します」
ラクスの返答に、シーマは少しだけ目を細めた。
その距離感は、悪くなかった。
クライン派。
三隻同盟。
そしてシーマ艦隊。
似ているようで、それぞれ立っている場所は違う。
思想で繋がる者。
目的で繋がる者。
生き残るために手を組む者。
シーマは、その違いを曖昧にするつもりはなかった。
「で、三隻同盟は?」
デトローフが尋ねる。
画面に、アークエンジェル、クサナギ、エターナルの三隻が表示される。
「現在、わたくしたちは共通する目的のために行動しています」
ラクスが答えた。
「戦争を終わらせること。そして、そのために必要な行動を共にすること」
「なるほどねぇ」
シーマは頷いた。
「でも、あたしたちは四隻目ってわけじゃない」
「ええ」
「それぞれ別の指揮系統を持つ」
「はい」
「なら、今の関係でいい」
シーマは煙草を灰皿へ押し付けた。
「必要な時に並んで戦う。それで十分さ」
その言葉に、マリューが頷いた。
「私も、そのほうがいいと思います」
「艦隊同士の距離を無理に近づける必要はない」
バルトフェルドが笑う。
「信頼っていうのは、くっついていれば生まれるものでもないからね」
「……あんた、たまにはまともなこと言うじゃないか」
「たまにとは失礼だな」
シーマが鼻で笑った。
少しだけ、空気が緩む。
キラが次の資料を表示した。
「それと、ジャンク屋です」
画面に複数の拠点情報が表示される。
「ロウ・ギュールたちのようなジャンク屋は、この世界ではかなり重要な存在です」
「軍人じゃないんだろ?」
ベッカーが尋ねる。
「はい」
「なのに、戦争に関わってる」
「戦争が起きれば、壊れた機械が出るからね」
キラが答える。
「壊れた機械を拾って、使えるものを直して、必要な人間に売る。それが彼らの仕事です」
ベッカーが口元を上げる。
「……気に入った」
「でしょうね」
マリューが笑った。
「俺たちと似たようなもんじゃねぇか」
「そうさ」
シーマも笑った。
「生きるために使えるものを拾う。使えるものがなきゃ、作る」
宇宙世紀から来た彼らにとって、それは妙に馴染みのある考え方だった。
画面が引き、現在の航路が表示される。
リリー・マルレーン。
アークエンジェル。
クサナギ。
エターナル。
そして、その周囲に表示される無数の航路と国家。
「……こうして見ると、厄介だねぇ」
シーマが呟いた。
「戦争してる奴らだけ見てちゃ駄目だ」
デトローフが頷く。
「各国の経済状況、港湾、補給拠点、ジャンク屋の活動範囲」
「それから、どこがどの勢力と繋がってるか」
「はい」
「どこか一つに頼り切るのも危険ですな」
「その通りさ」
シーマは椅子から立ち上がった。
「この世界で生きていくなら、戦場だけ見てちゃいけない」
地図を見る。
「どこで飯が食えるか」
「どこで燃料が手に入るか」
「どこなら部品を買えるか」
「どこへ行けば敵に見つかるか」
「そして――」
少しだけ間を置く。
「どこへ逃げれば、明日まで生きていられるか」
作戦室が静まり返る。
それは、シーマ艦隊にとって決して大げさな話ではなかった。
彼らは、この世界に帰る場所を持っていない。
宇宙世紀へ戻る方法もない。
そして、元の世界で待っている仲間もいない。
ならば、この世界で生きるしかない。
そのためには、戦争の勝敗より先に、自分たちが生き残れる場所を知らなければならなかった。
「補給路の洗い出しを始めるよ」
シーマが言った。
「オーブは、もう安定した拠点として数えない」
「ジャンク屋との関係は維持する」
「三隻同盟とは情報を共有する。ただし、必要以上に依存しない」
「各国の情勢も追う」
「そして、ザフトと地球連合――両方の動きを見る」
デトローフが頷く。
「承知しました」
「敵だから見るんじゃない」
シーマは画面に映る二つの勢力を見た。
「戦場がどう動くかを知るために見るんだ」
「敵の敵が味方とは限らない」
「味方だから、いつまでも味方とも限らない」
ヴァルターが静かに言った。
「だから、逃げ道を作る」
シーマはヴァルターを見る。
「そういうことさ」
その時だった。
バルトフェルドが机の端に置かれていたポットを持ち上げた。
「しかし、こういう難しい話をすると喉が渇くな」
「またコーヒーかい?」
「こういう時こそ必要だろう」
シーマが呆れたように笑う。
「まったく……」
作戦室の隅には、いつの間にか簡単なコーヒーセットが用意されていた。
この艦に乗り込んでからというもの、コーヒーの好みだけは妙に細かくなっている。
デトローフはキリマンジャロ。
シーマはマンデリン。
バルトフェルドはブラジル。
ムウはニカラグア。
マリューはコスタリカにミルク。
ラクスはエチオピアのカフェモカ。
カガリはコロンビア。
アスランはブルーマウンテン。
そしてキラはモカ。
「キラ、あんた最近そればっかりだねぇ」
シーマがカップを見る。
「好きなんです」
「昔はもっと適当だったじゃないか」
ムウが笑う。
「こいつ、こうなったのは時期的にリリー・マルレーンに行ってからだよな」
「……リリー・マルレーンに来るまでは、こんなに日常的にコーヒーを飲む習慣なんてなかったんです」
キラは手元のカップを見つめた。
「デトローフさんが作業の合間に淹れてくれたブレンドを飲んでいるうちに、いつの間にか体になじんでしまって」
デトローフが顔を上げる。
「私のブレンドですか」
「はい。あれは飲みやすかったです」
「それなら、今度また作りましょう」
「お願いします」
シーマが呆れたように笑う。
「なんだい。すっかりこっちの人間になってきたじゃないか」
「そういうつもりはないんですけど……」
「無自覚なのが一番厄介なんだよ」
キラは苦笑した。
マリューが自分のカップへミルクを注ぐ。
「私は、これくらい入れないと飲めないんです」
ムウが横から覗き込む。
「それ、もうコーヒーよりミルクの味が強くないか?」
「いいんです」
「マリューらしいねぇ」
シーマが笑う。
「無理して苦いのを飲む必要なんてないさ」
「シーマさんはマンデリンですか」
ラクスが尋ねる。
「ああ」
「苦いものがお好きなんですね」
「甘ったるいのが性に合わないだけさ」
「なるほど」
ムウが感心したように頷いた。
「姐御の生き様そのものだな」
「ムウ、今度余計な口を叩くと、その酸っぱいコーヒーを鼻から飲ませるよ」
シーマが鋭い視線で睨みつける。
ラクスは自分のカフェモカを一口飲んだ。
シーマがそれを見て眉を上げる。
「……それ、あたしのと正反対じゃないかい?」
「そうかもしれません」
ラクスは楽しそうに笑う。
「でも、美味しいですよ」
「まあ、本人がいいならいいけどねぇ」
カガリがコロンビアのカップを手に取る。
「私はこれが好きだな」
「苦くないのか?」
アスランが尋ねる。
「苦いけど、飲みやすい」
「なるほど」
「何だよ」
「いや。もっと苦いのを選ぶと思っていた」
「私がどんな人間だと思ってるんだ!」
「そういうところじゃないか?」
アスランが答える。
「お前ら、コーヒー一杯で喧嘩するなよ」
ムウが笑い、アスランに話しかける。
「お前さんは?」
「ブルーマウンテンです」
カガリが会話に入る。
「……なんか、お前らしいな」
「どういう意味だ?」
「知らない」
カガリが笑う。
ムウが吹き出した。
「おいおい、アスラン。そこは反論しろよ」
「何をどう反論すればいいんですか」
「それもそうだな」
作戦室に小さな笑いが広がった。
デトローフは全員のカップを眺めながら、静かにポットを片付けていく。
「好みがこれだけ違うと、全員分を用意するだけで大変ですな」
「でも、ちゃんと覚えてるんだろ?」
ムウが言う。
「当然です」
「へぇ」
「乗組員の好みを覚えておくのも、艦を預かる者の仕事です」
「……そういうところは、あんたらしいねぇ」
シーマが笑った。
マリューがミルクを少し足しながら、カップの中を眺める。
「不思議ですね」
「何がだい?」
「こうしていると、さっきまで戦争の話をしていたのが嘘みたいです」
コーヒーそのものが重要なわけではない。
ただ、こうして互いの好みを知っている。
誰が何を飲むのかを覚えている。
そういう小さな積み重ねが、いつの間にか人間同士の距離を縮めていた。
ほんの数日前まで、互いに警戒していた人間たちだった。
宇宙世紀とC.E。
旧式のMSと最新鋭機。
軍人と民間人。
正規兵と、どこにも属さない兵士たち。
それぞれの立場は違う。
「……まあ、そういうもんさ」
シーマは煙草を指先で弄ぶ。
「戦争してる時だけが、人間じゃないからねぇ」
ムウが静かに頷いた。
「それは、そうだな」
カガリもカップを持ったまま、少しだけ考えるように視線を落とした。
「国とか軍とか、そういう話ばかりしてると忘れそうになる」
「何をですか?」
ラクスが尋ねる。
「結局、その下にいるのは人間だってこと」
カガリは答えた。
シーマは黙って彼女を見る。
「……そういうことを忘れなきゃ、戦争なんてもっと早く終わるんだけどねぇ」
皮肉の混じった声だった。
誰も、それ以上は言わなかった。
やがてカップが空き始める。
それでも、同じテーブルでコーヒーの味を語れる程度には、距離が縮まり始めていた。
そして、その距離の変化は、戦場にも現れ始めていた。
キラとクララはデータリンクの改良について話し合う。
ベッカーはCE製部品の構造について整備班と議論する。
マリューとデトローフは補給物資と航路について情報を交換する。
ムウとバルトフェルドは、互いの戦場での経験について笑いながら話す。
ラクスは、シーマ艦隊が何を恐れ、何を守ろうとしているのかを静かに見ていた。
カガリは、オーブの資料を前にして時折黙り込む。
それでも、以前より少しだけ顔を上げるようになっていた。
アスランは、そんな仲間たちの中にいる自分を少し不思議に感じていた。
それは、まだ「一つの組織」ではない。
なる必要もない。
むしろ、それぞれが別々のままだからこそ、今の関係が成り立っている。
シーマ艦隊は三隻同盟の一部ではない。
クライン派でもない。
ザフトでも、地球連合でもない。
ただ、同じ戦場で生き残るために手を組んでいる。
そして――その中で少しずつ、人間同士の繋がりが生まれている。
それで十分だった。
その後も、シーマ艦隊はCE世界の情勢を調べ続けた。
分かったことは多かった。
だが、同時に分からないことも増えた。
ザフトと地球連合の戦争。
プラントの政治。
ブルーコスモスの思想。
オーブの立場。
クライン派の動向。
ジャンク屋の活動。
三隻同盟の行動。
そして、それぞれの国が抱える事情。
どれも、宇宙世紀の常識では測れない。
「……厄介な世界だねぇ」
シーマは情報端末を閉じた。
「何か一つ潰せば終わる戦争じゃない」
デトローフが頷く。
「だからこそ、次にどこへ向かうかが重要になります」
「そうだね」
シーマは航路図を見る。
「補給路も確認しなきゃならない。オーブ周辺だけに頼るわけにもいかない」
「ジャンク屋との関係も維持しておいたほうがいいでしょう」
「当然さ」
「それと――」
デトローフが別の資料を表示した。
「各国の情勢です」
地球には、オーブ以外にも複数の国家がある。
それぞれが戦争の影響を受け、軍備を増強し、経済と外交のバランスを変えている。
今すぐ戦場になる場所ばかりではない。
だが、だからこそ重要だった。
「戦争ってのは、前線だけ見てちゃ分からない」
シーマは資料を眺めながら言った。
「どこで何が売られてるか。どこが何を輸入してるか。どこの国が誰に兵器を流してるか」
「補給路を見るわけですな」
「そうさ」
「戦場に出てから考えてちゃ遅いんだよ」
シーマは椅子から立ち上がった。
「この世界で生きていくなら、戦争そのものより、戦争がどう動いてるかを知らなきゃならない」
それが、シーマ艦隊にとっての次の戦いだった。
MSを撃つことだけではない。
補給を確保する。
航路を確保する。
情勢を読む。
誰と組み、誰とは距離を取るのかを決める。
そして、何か起きた時に逃げられる場所を確保しておく。
それは華々しい戦闘ではない。
だが、シーマ艦隊が生き残るためには、戦場以上に重要な仕事だった。