L4方面へ向かう航路に入ってから、数日が過ぎた。
シーマ艦隊は、アークエンジェル、クサナギ、エターナルと一定の距離を保ちながら航行を続けていた。進路上にあるのは、かつて遺伝子研究の拠点として機能していた廃棄コロニー――メンデル。戦争の余波を受けて放棄されたその場所は、まともな管理もされておらず、今ではほとんど人の寄りつかない宙域になっている。
だが、使い道がないわけではなかった。航路の途中で艦を止められ、機体の整備もできる。補給状況を確認し、今後の航路を検討する時間も取れる。そして何より、戦闘の続く宙域から一時的に距離を取れることが大きかった。
「メンデルを一時的な拠点にする、ということですな」
リリー・マルレーンの艦橋で、デトローフが航路図を確認しながら口を開いた。
「そういう話さ」
シーマは艦長席から正面モニターを眺めていた。
「長居はしないよ。あくまで足を止めるだけだ。補給と整備を済ませて、次の航路を決める。止まれる場所があるなら、使わない手はないからねぇ」
「廃棄コロニーとはいえ、ドックや一部の設備は残っているようです」
「使える設備が残ってりゃ上等だよ。新品の港なんざ、あたしらには必要ない。壊れてなきゃ使う。壊れてりゃ直す」
「いつものやり方ですな」
「そういうことさ」
シーマは煙草を咥え、火を点けた。白い煙をゆっくりと吐き出してから、航路図の先に表示されたメンデルへ目を向ける。
「それと、周辺の警戒はこっちでやる」
「三隻同盟は内部へ?」
「ああ。中で何を調べるかは、あっちの仕事だ。こっちは外を押さえる」
シーマの目が細くなる。
「こういう場所じゃ、施設そのものより周りのほうが厄介なんだよ。廃棄されたコロニーなんて、隠れる場所はいくらでもある。デブリ帯、放棄されたドック、破損した構造物、旧式の観測設備、使われていない航路……追っ手が来るなら、あたしならこういう場所を選ぶねぇ」
「伏兵を置くには都合がいい、と」
「そういうことさ」
シーマは煙草を灰皿へ置いた。
「だから、メンデルの中には入らない。外を押さえる。三隻が戻ってくるまで、何も寄せつけない」
「承知しました。補給艦と支援艦は?」
「距離を取らせる。防衛艦はこっちと一緒だ」
「了解しました」
デトローフが頷く。
シーマは椅子へ深く腰を下ろし、正面の暗い宇宙を見つめた。
「……せっかく拾った命だ。休める時に休ませてもらおうじゃないか」
それ以上は何も言わなかった。
――――――――――
メンデルへの接近に伴い、艦隊は減速を開始した。
「減速」
操艦士が復唱し、リリー・マルレーンの艦体が徐々に速度を落としていく。正面モニターの向こうで、これまで小さな点にしか見えなかったメンデルの姿が少しずつ大きくなり、その輪郭がはっきりしていった。
遠目には白く巨大なコロニーにしか見えなかったが、近づけば、その白さがすでに汚れていることが分かる。外壁の一部は剥がれ落ち、灯りの消えた区画がいくつも並び、放棄されたドックには大型艦を繋いでいたらしい係留設備が錆びついたまま残されている。その周囲には、破損した連絡設備や人工衛星の残骸、用途を失った構造物の破片が無数に漂っていた。
「……なるほどねぇ」
シーマが低く呟いた。
「何か?」
「いや。隠れるには悪くない」
デトローフが苦笑する。
「相変わらずですな」
「軍人なんて、そんなもんさ」
ほどなくして通信が入った。
『リリー・マルレーンへ。アークエンジェル、メンデルへの接近を開始します』
「了解」
『内部施設の確認後、今後の航路について協議します』
「こっちは予定通り外を見張る。中のことは任せるよ」
『お願いします』
通信が切れる。
シーマはモニターへ視線を戻した。アークエンジェルがメンデルへ向かい、その後ろをクサナギとエターナルが続いていく。三隻がコロニー側へ進入していくのを確認すると、シーマはすぐに指示を出した。
「リリー・マルレーン、外周へ。補給艦と支援艦は、もう少し離せ」
「防衛艦は?」
「こっちだ」
「了解」
艦隊が分かれる。補給艦と支援艦がメンデルから距離を取り、リリー・マルレーンと防衛艦はその外側を回るように航路を取った。
「センサー、広げな」
「通常航行艦まで拾いますが」
「構わないよ。怪しいものを見落とすよりましさ」
「了解」
センサーの走査範囲が広がっていく。メンデル外周から、そのさらに外側へ。デブリ帯、旧式の観測設備、放棄された人工衛星、漂流物、微細な金属片までが次々と画面に表示されていく。
「熱源、異常なし。推進剤噴射、なし。通信反応もありません」
ヴァルターが報告した。
「……今のところは、か」
「はい」
「なら、そのまま続けな」
シーマは煙草を咥え、火を点けた。
艦橋は静かだった。
静かすぎる。
だが、それを口にする者はいなかった。
戦場で長く生きていれば、静寂が何を意味するかくらい分かる。何もいないのか、それとも見えていないだけなのか。その違いを確かめるには、焦らずに待つしかない。
そして、その時だった。
「……司令」
オペレーターの声が変わった。
「何だい?」
「微弱な反応を検知しました」
シーマが顔を上げる。
「どこだい?」
「メンデル外周、二時方向。距離はまだ遠く、現時点では艦影を確定できません」
「熱源は?」
「……微弱ですが、あります」
「推進剤は?」
「断続的に検出」
シーマの目が細くなる。
「動いてるねぇ」
「はい」
「針路」
「現在、こちらへ接近中です」
「速度は?」
「こちらより速い」
艦橋の空気が変わった。
シーマは表示された反応をしばらく見つめてから、静かに言った。
「距離を取る」
「メンデルから?」
「そうさ。こいつが何者か分からないうちに、メンデルの鼻先で待つ馬鹿はいないよ」
「三隻を巻き込みますな」
「それもある。それに――」
シーマは煙草を灰皿へ押しつけた。
「相手がこっちを狙ってるなら、向こうの都合のいい場所で戦ってやる義理もない」
「了解」
リリー・マルレーンが進路を変更する。メンデルから離れるように艦首を振り、防衛艦もそれに続いた。
「補給艦と支援艦には?」
「予定通り離脱させています」
「よし」
シーマはモニターを見つめた。
反応は消えない。
むしろ、近づいてくる。
「……さて」
シーマが呟く。
「何を抱えてきた艦だい?」
その問いに答えるように、オペレーターの声が響いた。
「反応、増大!」
艦橋の全員が振り向く。
「前方、デブリ帯の向こうです!」
映像が切り替わった。
最初は何も見えなかった。暗闇の中をデブリが漂い、その向こうには星々が瞬いているだけだった。
だが、センサーが捉えた微かな光学情報を拡大していくと、やがてデブリの隙間から巨大な艦体が姿を現した。
白を基調とした巨大な艦体。
それまで確認してきたザフト艦とは明らかに違う。オーブの艦でもない。地球連合の既知の艦艇体系の中でも、これまでシーマ艦隊が直接目にしてきたものとは規模も構造も異なっていた。
「艦影、拡大」
巨大な艦体がモニターいっぱいに広がる。
「識別照合……」
オペレーターの声が固くなった。
「地球連合軍所属」
「艦級は?」
一拍の後、答えが返る。
「……アークエンジェル級」
シーマの目が細くなった。
「アークエンジェル級?」
「はい。艦名――ドミニオン」
「……なるほどねぇ」
シーマは新たな煙草を取り出しながら、正面モニターの巨大な艦影を見つめた。
「連合も、ずいぶんと景気のいいものを造ったじゃないか」
ドミニオンは、こちらへ向けて進んでいた。
「向こうもこちらを捕捉しました」
「通信来ます」
「繋ぎな」
ノイズが走り、その向こうから女の声が聞こえた。硬く、よく通る声だった。余計な感情を挟まず、必要な言葉だけを正確に並べる軍人の声。
『こちら、地球連合軍所属ドミニオン。そちらの艦に告ぐ。所属と航行目的を明らかにせよ』
シーマは眉を上げた。
「ずいぶんとお堅いねぇ」
通信回線を開く。
「こちらリリー・マルレーン。あたしらはシーマ艦隊だ」
『地球連合軍の艦艇ではないな』
「当たり前だろ。見りゃ分かるだろうに」
『貴艦はアークエンジェルと行動を共にしている』
「一緒に航行してるだけさ」
『同義だ』
「違うねぇ」
シーマの声が低くなる。
「あたしたちは、あんたらの敵じゃない」
『アークエンジェルは地球連合軍の敵だ』
「それは知ってるよ」
『ならば、貴艦も敵性勢力と判断する』
シーマは一瞬だけ黙った。
「……話が早すぎるんじゃないかい?」
『貴艦は武装している』
「軍艦だからねぇ」
『アークエンジェルと行動を共にしている』
「だから何だい?」
『そして現在、メンデル宙域に留まっている』
「外を見張ってるだけさ」
『何のために?』
「メンデルを使う連中がいるからだよ」
『誰を警戒している?』
「誰でもさ」
シーマは煙草を指先で弄んだ。
「そっちみたいなのも含めてねぇ」
通信の向こうで、僅かな沈黙があった。
『……退避を要求する』
「どこへ?」
『メンデル宙域外へ』
「それは困るねぇ」
『貴艦には拒否する理由があるのか』
「あるさ」
シーマは正面モニターのドミニオンを見据えた。
「あたしらは、メンデルの中へ入る気はない。アークエンジェルを援護するつもりもない。ただ、外で連中が戻ってくるまで見張ってる。それだけだ」
『貴艦がそう主張していることは理解した。しかし、こちらは貴艦を信用できない』
「……そうかい」
『正体不明の武装艦隊を、作戦宙域に留めておくことはできない。退避しろ』
「断る」
『ならば、敵性艦艇として排除する』
「待ちな」
シーマが遮った。
「あんたらが追ってるのはアークエンジェルだろ?」
『そうだ』
「なら、あたしらを相手にする意味がない」
『貴艦が妨害する可能性がある』
「また可能性かい」
シーマが鼻を鳴らした。
「便利な言葉だねぇ」
『軍事行動では、可能性を無視できない』
「それで味方を増やせるなら結構な話だ。でもねぇ――」
シーマは声を落とした。
「あんたが今やろうとしてるのは、敵を増やすことだよ」
『……』
「こっちは撃つ気がない。そっちがメンデルから離れれば、あたしらも追わない。アークエンジェルを追いたきゃ勝手に追えばいい。それでいいじゃないか」
『貴艦がアークエンジェルの退避を援護する可能性がある』
「だから、その可能性を確かめるために撃つってのかい?」
『必要ならば』
「……軍人ってのは難儀だねぇ」
シーマは少しだけ目を細めた。
「じゃあ、ひとつ聞くよ。あんたは、あたしらを沈めたいのかい?」
沈黙。
「違うだろ。あんたがやりたいのは任務だ。アークエンジェルを追う。その邪魔になるものを排除する。違うかい?」
『その通りだ』
「だったら、あたしらを沈める必要はない。どかせばいい。だから、どいてやる。ただし――」
シーマの目が鋭くなる。
「あんたらも、こっちを追うんじゃない。メンデルから引き離す。それだけで済む」
『それでは、貴艦が再びアークエンジェルと合流する可能性が残る』
「合流したって、あたしらはあたしらだ」
『信じろというのか』
「違う」
シーマは淡々と言った。
「信じなくていい。ただ、撃たないという選択肢があることを覚えときな」
『……貴艦は、ずいぶんと戦闘を避けたがる』
「避けてるんじゃない」
シーマの声が冷たくなる。
「必要のない戦闘をしないだけさ。部下を死なせる理由なんて、こっちにはいくらでもある。でも、死なせないで済む理由があるなら、そっちを選ぶ」
短い沈黙の後、ナタルが答えた。
『……理解した』
「そうかい」
『だが、任務は変わらない。アークエンジェルを確保する』
「分かってるよ」
『その障害となる艦艇は排除する』
「……あたしたちも障害ってわけかい」
『そう判断する』
シーマは小さく息を吐いた。
「残念だねぇ」
『何がだ』
「あんたとは、もう少し話ができると思ったんだけどねぇ。筋は通ってる。言ってることも分かる。だから余計に始末が悪い」
シーマはドミニオンを睨んだ。
「戦争ってのは、まともな人間同士でも殺し合いに持っていくからねぇ」
ナタルは答えなかった。
「最後に一つだけ言っとくよ。こっちはメンデルから離れる。そっちも、こっちを追わない。それで死人は出ない。簡単な話だろ?」
『……』
「どうだい?」
『警告する。直ちにメンデル宙域から退避しなさい』
シーマは目を細めた。
『従わない場合、敵性艦艇として排除する』
「……そうかい」
シーマは通信を切ろうとした。
その瞬間、艦橋に警報が鳴り響いた。
「司令!」
「何だい!」
「ドミニオン、主砲展開!」
シーマの目が見開かれる。
正面モニターの向こうで、ドミニオンの砲塔が旋回し、こちらへ照準を合わせていく。
「……馬鹿だねぇ」
シーマは呟いた。
「そこまで話して、撃つかい」
次の瞬間、閃光が走った。
「回避!」
艦体が大きく揺れ、直後に警報が重なった。
「左舷外装、損傷!」
「主機は!」
「健在!」
「よし!」
シーマは艦長席の手すりを掴んで身体を支え、床へ落ちた煙草へ一瞬だけ視線を落とした。拾わなかった。
「全艦、戦闘配置!」
「了解!」
「MS隊、出すよ!」
「ドミニオンを撃沈しますか?」
デトローフの問いに、シーマは即座に答えた。
「馬鹿言うんじゃない。目的を忘れるな」
モニターの向こうで、ドミニオンが再び砲撃姿勢を取っている。
「こいつを沈めるんじゃない。メンデルから引き離す。それだけだ」
「了解!」
「クララには伝えたかい?」
「はい。出撃準備完了です」
「よし。ゲルググM隊は敵MSをこっちへ寄せるな。艦隊から離せ。ガーベラはあたしが出る」
「司令自ら?」
「話をつける相手がいるんでねぇ」
シーマは踵を返した。
「今度は、通信だけじゃ済まないみたいだからね」
リリー・マルレーンのMSデッキでは、格納庫の照明が切り替わり、整備員たちが一斉に動き始めていた。ゲルググMの各部が固定状態から解放され、推進剤や武装の最終確認が行われる。その奥では、赤い機体が静かに発進準備を整えていた。
「ゲルググM、発進準備!」
「推進剤確認!」
「ビーム・ライフル装填!」
次々と確認の声が飛び交う。
やがてカタパルトの先端に、赤い機体が姿を現した。
AGX-04。
ガーベラ・テトラ。
シーマ専用機。
『司令』
クララから通信が入る。
『こちらクララ。出ます』
「聞いてるよ」
『任務は?』
「敵MSを引き離す。ドミニオンそのものには深入りするんじゃない」
『了解』
「撃墜できそうでも追うんじゃないよ」
『……はい』
「生きて帰ってこい」
『はい!』
シーマはコクピットへ滑り込んだ。ハッチが閉じ、各種モニターが順番に起動していく。正面にはドミニオン、その向こうにはメンデルが浮かんでいる。
「さて……」
操縦桿を握る。
「新型艦の艦長さん。あんたがそこまで仕事熱心なら――」
カタパルトが開いた。
「こっちも、仕事をさせてもらうよ」
『ガーベラ・テトラ、発進!』
赤い機体が宇宙へ飛び出した。
直後、ドミニオンから砲撃が飛来する。シーマは機体を横滑りさせ、ビームがガーベラ・テトラの脇を掠めるように通過していく。そのまま機体を反転させると、背後からゲルググM隊が展開し、それぞれがドミニオンから距離を取るように散開していった。
「よし」
シーマはドミニオンを見据えた。
ガーベラ・テトラが加速する。
「――あの艦長に、戦争ってのがどれだけ面倒臭いものか教えてやるよ」
――――――――――
その頃、メンデル内部では、外で発生した微かな振動が廃棄された施設の奥へと伝わっていた。
「……何か始まった?」
マリューが振り返る。
「外周で交戦を確認」
「相手は?」
「地球連合軍艦艇」
一拍置いて、マリューの表情が険しくなる。
「……アークエンジェル級?」
「はい」
その直後、別の端末が警告音を上げた。
「艦長!」
「何?」
「内部で、不審な反応!」
全員が振り返る。
外では、シーマ艦隊がドミニオンをメンデルから引き離そうとしている。その一方で、メンデルの奥深く、誰もいないはずの施設では、長い間停止していたはずの何かが、ゆっくりと動き始めていた。
それが何なのか。
まだ、誰にも分からない。
ただ一つだけ確かなのは――シーマたちが外で敵を引き受けている間に、メンデルの内部では別の戦争が始まろうとしていることだった。