リリー・マルレーンの格納庫には、まだ焦げた金属の臭いが残っていた。
整備班が忙しなく行き交っている。
ゲルググMの一機が吊り上げられ、機体下面を露出させていた。左腕部の装甲は大きく抉られ、内部フレームにも歪みが出ている。別の機体では脚部の油圧系統が外され、床には抜き取られた配管が並べられていた。
「二番機は?」
シーマが格納庫へ入ってくる。
「脚部の油圧系統が駄目です。交換部品が必要になります」
ハロルドが答えた。
「予備は?」
「あります。ただし、使えば次の補修で困ります」
「そうかい」
シーマは機体を見上げた。
「腕をやられたのは?」
「応急処置で動かせます。ただ、本格修理には時間がかかりますね」
「どのくらいだい?」
「二日」
ハロルドが少し考える。
「無理をすれば一日半。ただし、その場合は別の場所に皺寄せが来ます」
「無理はするな」
即答だった。
「壊れたものを急いで戻して、次の戦闘でまた壊す。そんな馬鹿な真似をする余裕はないよ」
「了解」
ハロルドが頷く。
シーマはそのまま格納庫の奥へ視線を向けた。
そこには、ガーベラ・テトラがあった。
装甲の一部が焦げている。
左肩には浅い傷。
推進器周辺にも熱による負荷の跡が残っていた。
だが、ゲルググMほどの損傷ではない。
「こいつは?」
「ガーベラですか?」
「そうさ」
「動かせます。今日中に点検を終えれば問題ありません」
「……そうかい」
シーマは短く息を吐いた。
あの三機。
フォビドゥン。
レイダー。
カラミティ。
あの連中を相手にして、それでも機体は戻ってきた。
だが、勝ったわけではない。
ただ、生き残っただけだ。
「司令」
ハロルドが声を掛ける。
「何だい?」
「今回の敵機ですが」
「……ああ」
「どうします?」
シーマは答えなかった。
「ゲルググMでは、まともに相手をするのは厳しいです」
「分かってるよ」
「ガーベラなら?」
シーマは少しだけ考える。
「一対一なら、まだやりようはある」
「三機同時なら?」
「……逃げるねぇ」
ハロルドが苦笑した。
「随分と正直ですね」
「正直で結構さ」
シーマは煙草へ火を点けた。
「勝てない相手と戦って、部下を殺すくらいなら、逃げた方がましだよ」
「了解です」
ハロルドは再び整備へ戻っていった。
シーマも格納庫を出る。
——————————————
艦橋。
デトローフが航路図を表示させていた。
「アークエンジェルから、先ほど通信がありました」
「何だって?」
「しばらくメンデル周辺を離れるそうです」
「そうかい」
シーマは艦長席へ腰を下ろした。
「ドミニオンは?」
「すでに離れています」
「ザフトは?」
「こちらも姿を消しています」
シーマは窓の外を見る。
メンデルは遠い。
白いコロニーが、静かに浮かんでいる。
「……全員、逃げ出したってわけかい」
「そういうことになりますな」
デトローフが航路図を切り替える。
「で、うちは?」
「決まってるだろ」
シーマは即答した。
「出るよ」
「どちらへ?」
「まず補給」
シーマは指先で航路図をなぞった。
「ゲルググMの修理部品も必要だ。推進剤も減ってる。弾薬も食ってる」
「了解」
「それから――」
シーマの指が止まった。
「次の仕事を探す」
デトローフが黙った。
それは、以前なら当たり前だった。
傭兵として依頼を探す。
報酬を得る。
補給する。
また戦う。
だが、今は違う。
この世界で自分たちがどう生きていくのか。
まだ、その答えは見つかっていない。
「……司令」
「何だい?」
「メンデルで、何か掴めたと思いますか?」
シーマは窓の外を見る。
「さあねぇ」
「何も?」
「何も、ってこともないさ」
煙草の煙を吐く。
「あそこにゃ、あたしたちが知らない何かがある。それだけは分かった」
「調べなくていいんですか?」
「調べるさ」
デトローフが顔を上げる。
「ですが――」
「今じゃない」
シーマは淡々と言った。
「分からないものを分からないまま掘り返すほど、あたしらは暇じゃないんだよ」
「……なるほど」
「それに」
シーマは少しだけ笑った。
「あのコロニーにゃ、あたしらより先に嗅ぎ回ってる連中がいくらでもいる」
「ザフトや連合ですか」
「それだけじゃないだろうさ」
シーマは煙草を灰皿へ押しつけた。
「だったら、そいつらが何を見つけたのか。まずはそっちを見てからでも遅くない」
デトローフが頷く。
「了解しました」
艦橋に短い沈黙が落ちる。
「それと」
シーマが言った。
「クララを呼びな」
「クララを?」
「ああ」
少し間を置いて、シーマは続けた。
「今回のことについて、聞いておきたい」
——————————————
ほどなくして、クララが艦橋へやってきた。
「失礼します」
「来たねぇ」
シーマが振り返る。
「座りな」
「はい」
クララが席につく。
「怪我は?」
「大丈夫です。肩の火傷だけです」
「そうかい」
シーマはクララを見た。
「今日の戦闘、どうだった?」
「……何もできませんでした」
「そうじゃない」
シーマが遮る。
「敵のことを聞いてる」
クララは少し考えた。
「速かったです」
「他には?」
「……動きが、読めませんでした」
「読めない?」
「はい」
クララは拳を握る。
「普通なら、次にどう動くか予測できます。相手が逃げるなら追う。撃ってくるなら避ける。距離を取るならこちらも距離を取る。でも、あの三機は……」
「何だい?」
「自分から危険なところへ飛び込んできます」
シーマは黙って聞いている。
「撃たれることを怖がっていないみたいでした」
「そうだねぇ」
「だから、こちらの予測が全部外れる」
クララは俯いた。
「……怖かったです」
シーマは何も言わない。
「今まで、怖くても戦えました。でも、あの三機は違った」
クララは顔を上げた。
「戦うことそのものを楽しんでいるみたいで……」
「そうかい」
シーマは短く答えた。
「なら、覚えときな」
「はい」
「ああいう相手に、自分まで付き合うんじゃない」
クララが目を瞬く。
「相手が狂ってるなら、こっちまで狂ってやる必要はない」
「……はい」
「勝てないなら逃げる。逃げられないなら時間を稼ぐ。守るものがあるなら、それを優先する」
シーマはクララを見る。
「戦場で一番大事なのは、格好良く死ぬことじゃない」
「……生きて帰ること」
「そういうことさ」
クララが頷いた。
「それと」
シーマが続ける。
「次に会った時は、今日より少しだけ長く生き残れるようになりな」
「はい!」
クララが立ち上がる。
「失礼します!」
敬礼して、艦橋を出ていく。
扉が閉まる。
シーマはその背中を見送った。
「……若いねぇ」
デトローフが苦笑する。
「昔の司令みたいですな」
「よしな」
シーマが煙草を咥える。
「昔のあたしなら、今ごろ敵艦へ突っ込んでるよ」
「今は?」
「今は――」
火を点ける。
煙を一度吸い込む。
「部下を連れて帰る方が忙しいのさ」
艦橋の外。
リリー・マルレーンの推進器が、静かに点火する。
メンデルが、少しずつ遠ざかっていく。
シーマ艦隊は、再び航路へ入った。
何も知らないまま。
メンデルの奥で何が起きていたのかも。
あの三機が何者なのかも。
そして、この先で自分たちがどんな戦争へ巻き込まれていくのかも。
ただ一つだけ。
今回の戦闘で、シーマ艦隊は確かなものを得ていた。
この世界には。
自分たちが想像していた以上に、危険な連中がいる。
ならば。
生き残るためには、もっと強くならなければならない。
だがそれは、敵を倒すためではない。
帰るためでもない。
自分たちが、この世界で生きていくためだった。
ストック完全になくなりました