漆黒の宇宙空間で、リリー・マルレーンの広域通信コンソールが、小刻みで規則的な電子音を打ち鳴らしていた。
「……通信シグナル、再び捕捉。宙域全体を覆う原因不明の強力な電波障害……その隙間を縫うように、暗号化されていない指向性電波が流れています」
ヘッドホンを耳に押し当てた通信士が、慎重にダイヤルを調整する。
「拾える単語は『定期市』『回収船』『ジャンク屋組合』程度ですが……送信波形は同じ進路を取っています」
「位置を特定できるかい」
艦長席で煙草を咥えたシーマ・ガラハウが、低く尋ねた。傍らに立つ副官デトローフ・コッセルが、コンソールに表示された三角測量のデータを覗き込み、眉をひそめる。
「発信源は固定されたステーションやコロニーではありませんな。複数の大型船を中心とした……船団です」
「ほう。なるほどねぇ」
シーマは紫煙を細く吐き出し、獰猛な笑みを浮かべた。
「市場ごと宇宙を移動しているわけだ。道理で特定の宙域座標を洗っても出てこないわけさ」
行き場を失った放浪者が生き延びるための、闇の巡回市。いまのシーマ艦隊にとって、そこは唯一の「生命線」であり、同時に未知の危険が渦巻く巨大な賭け場でもあった。
「進路をその船団の予想航路へ向ける。ただし――」
シーマは煙草の灰を灰皿へ叩き落とし、鋭い視線を艦橋全体に向けた。
「砲門は全部閉じな。買い物しに来たんだ。武器を見せびらかす必要はない」
「了解。全艦、非戦形態へ移行します」
デトローフが手際よく全艦へ指示を飛ばす。旗艦リリー・マルレーンを筆頭とする四隻の艦隊は、スラスターの光を消し、まるで宇宙漂流物のように静かに、だが着実にジャンク屋船団へ向かって滑り出していった。
――「敵意は一切ありません」という、徹底的に計算された無防備の姿勢で。
数時間後。
デブリ帯を抜けた視界の先、巨大な廃船やコンテナ船を丸ごと数隻連結させたような、歪で巨大な集落船団――『ジャンク屋組合・定期市船団』が姿を現した。
その瞬間、リリー・マルレーンのブリッジに甲高い警告音が鳴り響く。
「――高出力レーダー被照射! 相手方から指向性通信が入ります!」
「繋ぎな」
スピーカーから、ダウナーだが軍人特有の硬さを残した男性のダミ声が吹き出した。
『……そこの未確認艦隊。こちらジャンク屋組合・第三治安維持船団だ。直ちに航行を停止しろ。……繰り返し通知する。貴艦らの艦影および熱源波形は、地球連合・ザフト両軍のデータベースに存在しない。速やかに『IFF』を送信されたし』
艦橋の空気が凍りついたように静まり返る。送れるIFFなど、このコズミック・イラの宇宙には存在しない。宇宙世紀のジオン公国軍のコードを送れば、「正体不明の危険な武装勢力」として一斉射撃を受けるのは目に見えていた。
デトローフが固い表情でシーマを見つめる。
「……どうします、艦長。偽造コードを出しますか」
「無駄だよ。そんな急ごしらえのウソなんざ、鉄くずと詐欺師の集まりであるジャンク屋に一番見破られやすいからねぇ」
シーマは咥え直した煙草の火をゆらゆらと揺らし、ふっと息を吹きかけた。
「……正直に行こうじゃないか」
通信マイクのスイッチを、自らの指で押し込む。
「――こちら所属なし。帰る場所をなくした流れ者さね」
『……は?』
通信の向こうで、相手の士官が呆気にとられたような声を漏らした。シーマは構わず、荒々しくも堂々とした口調で言葉を重ねる。
「物騒な物を取り出すつもりはないよ。……あたしたちはねぇ、あんたらから『部品』を買いたいだけなんだよ」
……沈黙。
通信回線の向こうからも、そしてリリー・マルレーンの艦橋からも、すべての音が消え去った。
「買い物を……したいだと?」
相手の通信士が、正気を疑うように呟く。
『ふざけるな! 所属不明の重巡洋艦を含む軍載艦隊が、丸腰の振りをして買い出しだと!? 冗談ならもっとマシなのを叩きつけろ!』
次の瞬間、モニターに警告表示が赤く点滅した。
「船団のカタパルトから熱源反応! 機動兵器が出撃してきます!」
「数は四! いずれも未知の機体です!」
集落船団のハッチから、無骨なジャンク屋仕様の作業用MSや警備用のジンが飛び出し、一斉にライフルや作業用トーチをリリー・マルレーンへ向けた。
格納庫のスピーカーからも、異変を伝える警報が響く。パイロットスーツに身を包んだクララ・ロッジが、慌ててゲルググMのタラップへ足をかけた。
「隊長! 敵MSが来ます! 出撃ですか!?」
「待て、クララ!」
ヴァルター・グリムが素早くその腕を掴んで制する。自らもヘルメットのバイザーを下げつつ、モニターの艦長指示を凝視した。
シーマからの命令は――『全機待機。絶対にハッチを開けるな』。
モニター越しに、油と汗にまみれた主任整備士ベッカーが、作業用ハンマーを握りしめながら天をあおぐように祈っていた。
「頼むから……頼むから誰も引き金を引かないでくれよ……! 一発でも撃ち合ったら、この交渉も俺たちの命も終わりなんだからな……!」
一触即発。
相手のジンがライフルの照準をリリー・マルレーンのブリッジへ合わせ、トリガーに指をかけた、まさにその瞬間だった。
一機のワーク・ジンが治安部隊の前へ強引に割って入った。
『――待て待て待てぇーーーッ!!』
指向性通信の全チャンネルに、割り込みの怒鳴り声が割り込んだ。耳を刺すような甲高さと、底抜けの明朗さを持った若者の声だ。
『待て待て! 相手は買い物したいって言ってるだけじゃねぇか!』
『な……なんだと!? 誰だお前は! ロウか!?』
治安船の士官が困惑した声を上げる。リリー・マルレーンのメインモニターに、一機のMSが強引に割り込んできた。
軍用ジンの武装を引っぺがし、肩や背中に巨大なウィンチと作業用クレーンアームを無理やり増設した、橙色と灰色の泥臭い機体――『ワーク・ジン』だった。
ワーク・ジンの外部スピーカーから、呆れたような男の声が宇宙へ響き渡る。
『砲門も閉じてるし、MSも出してねぇじゃねぇか! いきなり撃ち合おうとする奴があるかよ!』
『しかしロウ! あいつらはデータベースにない未知の軍艦だぞ!』
『怪しいのは分かる! でも買い物しに来たって言ってる客を追い返してどうすんだよ! 困ってるなら話を聞くのがジャンク屋の流儀だろ!』
その一言。
バカバカしいほど真っ直ぐで、何の裏もないその声一つで、宇宙空間を支配していた殺伐とした張り詰めが、拍子抜けするほど一瞬で霧散していった。
治安部隊の隊長が舌打ちした。
『……チッ。全機、そのまま待機だ』
リリー・マルレーンの艦橋で、デトローフが呆然とモニターを見つめる。
「……何者ですかな、あの男は。ジャンク屋の交渉人……でしょうか」
「ハッ……」
シーマは咥えた煙草を指でつまみ、心の底からおかしそうに鼻で笑った。
「交渉人? 違うねぇ。ただの……おめでたい『ジャンク屋の小僧』さね」
通信画面の向こうで、ワーク・ジンのコックピットから若者の声が再び響く。
『――おい! そこの怪しい軍艦の艦長さんよ!』
「なんだい、坊や」
シーマはマイクに向かって、少しだけトーンを落として答えた。
『買い物したいってのは本当だな!? 変なマネだけはするなよ? そしたら俺も止められなくなるからさ!』
「フフ……そいつは怖いやねぇ。安心していいよ、あたしたちはただの貧乏人だ。上等な資材と、ちょっとした技術の相談がしたいだけさね」
『よし! とりあえず話くらい聞いてもらえるよう俺が口利きしてやる!』
作業アームを取り付けたワーク・ジンが、まるで手招きするように巨大なアームを振る。
シーマは煙草の煙を天井へ吹き伸ばし、艦長席の背もたれにゆったりと体を預けた。
「……どうやら門前払いにはならずに済んだねぇ、デトローフ」
「……ええ。ですが、ここからが本当の『商売』ですな」
「ああ」
シーマの瞳に、不敵な光が戻っていた。
「さあて……この世界の流儀、たっぷり見せてもらおうじゃないか」