軋むドアの音とともに歩み寄ってくる足音。
「……具合はどうだい、元艦長さん」
煙草を咥えたシーマ・ガラハウが、パイロットスーツの上着を腰に巻きつけた姿でベッドの脇に腰掛けた。その肩には、激戦の過酷さを物語る包帯が痛々しく巻かれている。
「……シーマ……中佐……」
ナタルは乾いた声で呟き、弱々しく体を起こそうとした。だが、シーマの手がその肩を無造作に押し戻す。
「無駄な力は使いなさんな。あんたのいた船はもう跡形もないよ。綺麗さっぱり消滅だ」
「……ならば、なぜ……」
ナタルの瞳に、激しい葛藤の光が宿る。
「なぜ私を助けた! 私は地球連合の軍人だ! アークエンジェルや貴方達を追い詰め、あの地獄のような戦場へ部下を追いやった人間だぞ! 艦とともに死ぬのが……私の果たすべき責任だったはずだ!」
吐き出すようなナタルの叫び。軍人としての矜持、規律、そして命を落としていった部下たちへの贖罪――それら全てを否定された苦しみが、彼女の声を震わせる。
だが、シーマはフッと鼻で笑うと、紫煙をナタルの顔に向けて吹きかけた。
「ハッ……相変わらず頭の硬い女だねぇ」
「な……ッ、ゴホッ……!」
「責任、責任と……馬鹿の一つ覚えみたいに吐き捨ててさぁ」
シーマの目が、底冷えするような冷たさを帯びる。
「死んで責任が取れるなら、この宇宙に転がってる無数の骨どもは全員聖者かい? 死ねば許されると思ったら大間違いだよ。死ぬのはね……ただの『逃げ』さ」
「逃げ……だと!?」
「そうだよ!」
シーマは煙草を指で挟み、ナタルを鋭く指さした。
「筋を通そうとした奴、真面目に戦った奴から順番に死んでいって、ヘラヘラ笑ってる腹黒い悪党どもだけが生き残る。あたしはねぇ……昔から、そんな反吐が出るような光景を何度も何度も見せられてきたんだよ」
シーマの脳裏をよぎる、過酷な過去。裏切られ、捨て駒にされ、故郷を奪われた悲劇。
「あんたみたいな真っ直ぐな馬鹿が死んで、あの狂った理事のオッサンと同じ穴の狢にされるなんてのが、一番胸糞悪いんだよ。……だから引っ張り出した。文句があるかい?」
「……」
ナタルは言葉を失った。
目の前の女は、自分とはまるで違う。泥水をすすり、悪名を背負い、どれほど惨めに貶められようとも生き泥むことを選んできた「亡霊」だ。
その言葉には、教科書の規律や軍の教本など遥かに凌駕する、苛烈なまでの生への執着と重みがあった。
「……私は、これからどうすればいい……」
ナタルの声から棘が抜け、ぽつりと落とされた。
「軍籍も、帰るべき場所も、守るべき規範も……私にはもう何も残っていない……」
「ないなら、作ればいいじゃないか」
シーマは立ち上がり、ポケットから古びたライターを取り出して弄んだ。
「あんたの持ってる連合の知識、暗号、裏ルート……これからの時代、あたしたちみたいな流れ者が生き残るのには喉から手が出るほど欲しい『お宝』だ。タダで飯を食わせる気はないよ。しっかり働いてもらう」
「私に……軍を裏切れと?」
「裏切るも何も、ナタル・バジルール艦長はドミニオンと共に戦死したんだよ。名簿の上じゃあね」
シーマはニッと口元を歪め、不敵で、どこか救いのある笑みを浮かべた。
「これからはただの『ナタル』だ。軍人ごっこは終わりさ。……まあ、うちの船はやかましい部下ばかりでね。あんたみたいな仕切り屋が一人くらいいた方が、デトローフも助かるだろ」
部屋の扉が開き、顔に絆創膏を貼ったクララがスープの入ったトレイを持って入ってきた。
「あ、シーマさん。ナタルさん、お目覚めですか?」
「ああ。相変わらず頭がガチガチの堅物さんだがね」
「ふふ、でも無事でよかったです。……熱いスープ、置いておきますね。落ち着いたら召し上がってください」
クララが温かい笑みを向け、部屋を出ていく。
その背中を見送りながら、ナタルは小さく息を吐き出した。自分が今いる場所が、敵でも味方でもない、ただ「生き残るために集まった人々」の船なのだと、ようやく実感が湧いてくる。
「……呆れた人たちだな」
「何とでも言いな」
シーマは医務室のドアに手をかけ、振り返ることなく言った。
「ゆっくり休みな。……これからの宇宙は、今まで以上に血生臭くなる。死に損なったあたしたちが笑って酒を飲める場所を探すには、あんたのその硬い頭が必要なんだからね」
扉が閉まり、再び医務室に静寂が戻る。
ナタルはベッドの横に置かれた湯気の立つスープを見つめ、そっと胸の上に手を置いた。
脈打つ鼓動。
生きている。自分がまだ、この残酷で愛おしい世界に存在している。
「……感謝します……シーマ中佐」
誰にも聞こえないほどの小さな呟きを残し、ナタルは静かに目を閉じた。
——————————————
暗礁宙域の深部――かつて旧プラント建設時の資材置き場として使われ、現在は星雲の塵とデブリの影に完全に没している廃校寸前の密閉型資源衛星。
三隻同盟を陰で支えたラクス・クラインとその支持者から提供されたその補給基地こそが、傷ついたシーマ艦隊に用意された束の間の安息地だった。
岩塊の表面が観音開きに滑り出し、誘導信号の滑らかな青い光が漆黒の宇宙へ漏れ出す。
「……ほう。大したもんだねぇ、あの姫さんは」
リリー・マルレーンの艦橋で、シーマはモニターに映し出された広大な内部ドックを見上げて感嘆の声を漏らした。
「隠れ家としちゃ上等すぎる。補給物資どころか、工業用プラントとMSの整備ドックまで丸ごと一式揃ってやがるよ」
「クライン派の地下組織が独自に維持していた秘匿拠点だそうです」
隣に立つナタル・バジルールが、手元の端末に送られてきた暗号化データを確認しながら言った。すでに彼女はリリー・マルレーンのシステムとクライン派の提供データを照合し、艦隊の管理・参謀としての役割を自然にこなし始めている。
「水、空気、推進剤のろ過・精製設備は稼働中。さらに……最新規格の金属資材も一定量蓄積されています」
「至れり尽くせりじゃねぇか。あたしたちみたいなノラ犬に、ずいぶん大判振る舞いじゃないかい?」
「それだけ……シーマ司令たちが果たした役割を、ラクス様が高く評価しているということでしょう」
ナタルの静かな言葉に、シーマはフンと鼻を鳴らした。
「お世辞はいいよ。……まあ、貰えるものは病気以外なら何でも貰うさね!」
――――――――――――――――
ガラガラと音を立てて、リリー・マルレーンをはじめとする艦隊がドック内へ着底する。
人工重力が微弱に働き始めると同時に、ハッチが一斉に開かれ、待ち構えていた自動補給アームやクライン派の整備人員が出迎えた。
「うわぁ……! 見てください、シーマさん! 予備の冷却タンクも、弾薬もプロペラントも山積みですよ!」
格納庫から飛び出してきたクララが、積み上げられたコンテナ群を見て目を輝かせる。
転移以来、常に補給不足と物資のやりくりに頭を悩ませてきたシーマ艦隊の面々にとって、満たされた資材の山はどんな宝物よりも価値があった。
「浮かれるんじゃないよ、クララ」
シーマがパイロットスーツの胸元を緩めながら歩み寄ってくる。
「手に入ったのは資材だけじゃない。あたしたちがこれから『ただの泥棒』として追い回されずに生きていくための……時間と、新しい『身分』さ」
シーマはナタルへ視線を送った。
ナタルは頷き、広げたホログラム画面に新しいデータシートを表示させる。
「連合およびザフトのデータベース上で、我々の存在は完全に抹消、もしくは『ヤキン・ドゥーエ戦没』として処理を終えました」
「……で、あたしたちの新しいお名前は?」
「民間海洋・宇宙輸送組織『ガラハウ・レゾナンス』。本拠地はオーブ連邦神国領内の極秘民間ドックおよび、このL5暗礁宙域の集積所。名義上の代表は……デトローフ・コッセル氏です」
「ハッ! 艦長代理が社長かい! 似合ってるじゃないか!」
近くで作業指示を出していたデトローフが、苦笑しながら頭をかいた。
「勘弁してください、司令……いや、会長とお呼びすべきですかね?」
「バカ言うんじゃないよ!」
ドック内に高らかな笑い声が響く。
――――――――――――――――
作業が一段落した頃、ドックの司令部屋。
大型モニターに、遠くオーブの秘密ドックに身を寄せているアークエンジェルからの通信が繋がった。
画面に映し出されたのは、私服に着替えたマリュー・ラミアスと、穏やかな笑みを浮かべるラクス・クラインの姿だった。
『シーマ司令、無事に補給基地へ到達されたようで、安心いたしました』
ラクスの鈴を転がすような声。
「手厚いもてなし、感謝するよ姫さん。おかげでうちのボロ船も、もうしばらくは宇宙を泳げそうだ」
『いいえ……あなた方がヤキン・ドゥーエで差し伸べてくださった手は、世界を救うために不可欠なものでした。これでお礼が済んだなどとは思っておりません』
マリューが前に出て、画面越しに深く頭を下げた。
『バジルー……いえ、ナタル。無事で……本当によかった』
「……ラミアス艦長」
ナタルは背筋を伸ばし、軍隊式の敬礼を一瞬しかけ――そして、静かに手を下ろした。
「私はもう軍人でも艦長でもない。ただの……居場所のない生存者だ。……だが、あなたが無事でよかった」
『ええ。……私たちも、これからは戦いから離れ、自分たちの生活を始めます。でも……もしまた世界が間違った方向へ進みそうになった時は……』
「その時はその時さね」
シーマがマリューの言葉を遮るように笑った。
「あたしたちはしぶといからねぇ。どこかの暗闇で息を潜めて、美味い酒でも飲みながら世界の行く末を見物させてもらうよ。……キラによろしく言っときな」
『はい。……本当に、ありがとうございました』
通信が途切れ、モニターが暗転する。
シーマは窓の外へ視線を向けた。
ドックの照明に照らされる、傷ついたガーベラ・テトラ。メカニックたちがすでに取りつき、装甲の修復と、これからの「潜伏と運送」に適した民間改修の作業が始まっている。
「……さて」
シーマは煙草に火を点け、紫煙を吐き出した。
「ここからが本番さね。戦争が終わっても、あたしたちの泥臭い生き残りゲームは終わらないんだからさ」
「ええ」
隣に立つナタルが、どこか清々しい表情で静かに頷いた。
「お付き合いしましょう、シーマ司令。……私たちの、新しい明日のために」
まだSEED編終わりません