隠密補給基地の暗礁宙域ブロック、岩塊の陰に設定された死角ゾーン。
漆黒の宇宙に、改修を終えた二機のゲルググMと、重厚なカモフラージュ塗装が施されたガーベラ・テトラ・エフェメラルが静かに浮かんでいた。
「こちらクララ。バッテリー電圧、出力ともにグリーン。……やっぱり変な感覚です。アクセルを踏み込んだ時の、あの胃の裏を押し潰されるような全開のトルクが来ない」
機体ドッキングポートのモニター越しに、クララが苦笑混じりの声を漏らす。彼女の乗るゲルググMの胸部には、ザフトの主力機ジンから分捕った大容量バッテリーセルが強引に組み込まれていた。
「贅沢言うんじゃないよ」
通信の割り込み音とともに、リリー・マルレーンのブリッジからシーマの声が届く。
「撃てば減る電池の残量をチラチラ見ながら戦うのが、これからのあたしたちのスタイルだ。……デトローフ、手応えはどうだい?」
「悪くないですよ、司令」
別宙域でテスト機を操作していたデトローフが手元の数値を提示する。
「実体弾のマシンガンと実体刃に絞ったおかげで、バッテリー消費は想定の七割以下に抑えられています。推進器もプラズマ・スラスターへ換装したことで、水や水素の補給さえできれば航続距離は旧来以上だ。……タフでしぶとい、いい塩梅の作業用MSに仕上がってます」
「結構。……で、本命のイカサマの方はどうだい?」
シーマの視線の先――暗礁の陰で潜伏モードに入っているガーベラ・テトラ・エフェメラルが、ゆっくりとメインスラスターを微点火させた。
「ガーベラ改、起動テストに入ります」
パイロットシートのモニターに並ぶのは、C.E.規格に偽装されたダミーの電圧波形だ。外見上もスキャン回路上も、ただの「重装甲なバッテリー駆動機」にしか見えない。
だが、コクピット内部の真のマルチコンソールには、重鉛ブロックの封印を解かれた「ミノフスキー・イヨネスコ型核融合炉」の重厚な出力グラフが緑色に輝いていた。
「……オーバーライド、システム点火」
シーマの合図とともに、ガーベラ・テトラ・エフェメラルの背部大型ブースターから、鮮烈な青白色の噴炎が噴き出した。
C.E.のプラズマ推進とは根本的に異なる、大電力で熱核推進剤を超高速噴射するアフターバーナーの圧倒的な質量差。機体は物理法則を置き去りにするかのような爆発的な加速度で暗礁宙域を駆け抜け、瞬間的に凄まじいGがパイロットをシートへ押し付ける。
センサー上に描かれた制動軌道は、この世界の既存MSの運動性を遥かに凌駕していた。
「……恐ろしいな」
リリー・マルレーンのブリッジでそのデータを見つめていたナタル・バジルールが、微かに息を呑む。
「ニュートロンジャマーを完全に無視した、文字通りの異次元の推力だ。……だがシーマ司令、言った通りこの力を解き放つのは……」
「分かってるさね、大尉」
シーマは紫煙を薄く吹き出し、薄笑いを浮かべた。
「この牙を見せる時は、相手の息の根を止めて宇宙の塵にする時だけだ。……テスト終了。ドックへ戻るよ」
数時間後。士官用ミーティングルーム。
改修を終えたシーマとナタル、そしてデトローフの前に立っていたのは、赤いジャケットを羽織り、眼帯を付けた男――アンドリュー・バルトフェルドだった。傍らにはクライン派の技術幹部も控えている。
「やあ、無事にお色直しは終わったようだね、シーマ司令」
バルトフェルドは淹れたてのコーヒーをテーブルに置き、親しげに、しかし鋭い眼光を向けて笑いかけた。
「噂には聞いていたが、君たちの機体の内部構造……こちらの技術者たちが頭を抱えていたよ。理論上は動くはずがない異常な熱源回路があるとな。うまくジャンクパーツでカモフラージュしてくれたようだがね」
「ハッ、そいつは重小作人の知恵ってやつさ、砂漠の虎さん」
シーマは脚を組み、差し出されたコーヒーを見つめる。
「君の好みだとも」
「そりゃ上々だねぇ」
カップを傾けた後、煙草に火をつけた。
「あたしたちの不気味な愛機に詮索は無用だよ。それより……約束のお買い物リストと、ヤキン・ドゥーエの後のきな臭い土産話を聞かせてもらおうか」
ナタルが静かに端末を操作し、バルトフェルドの前にホログラムデータを展開する。
「我が艦隊の再編に伴う、C.E.規格の汎用バッテリーセル、実体弾薬、および生活物資の調達ルートです。クライン派のパイプを利用させてもらいたい」
「相変わらず手際がいいな、元連合の優秀な将校さん」
バルトフェルドは苦笑しながら、手元の端末でデータを承認した。
「物資の手配は問題ない。ラクスの意向でもある。……だが、タダというわけにはいかないのは分かっているね? 地球圏の情勢は、ヤキン・ドゥーエが終わってさらに複雑化している」
バルトフェルドが画面を切り替えると、地球圏各地の勢力図が浮かび上がった。
「停戦条約の締結に向けて動いてはいるが、連合内部のファントムペインをはじめとする強硬派、そしてザフトのパトリック・ザラ派残党……双方が暗躍している。特に、ジャンク屋組合の補給線を脅かす野良の過激派どもが各宙域で横行していてね。表立って動けないラクス派としても頭の痛い種だ」
「……なるほどねぇ」
シーマの口元が底意地の悪い笑みに歪む。
「あたしたちに掃除屋をやれってワケかい。裏で物資を回してもらう見返りに、表に出せないゴミを泥棒のフリして片付ける……おあつらえ向きの仕事じゃないか」
「話が早くて助かるよ」
バルトフェルドはコーヒーを一口すすり、満足そうに頷いた。
「君たちの新しく生まれ変わったバッテリー仕掛けのジャンクMSなら、どこで暴れても誰の差し金か分からんからね。……お互い、この泥沼の世界で生き残るためのいいパートナーになれそうだ」
「パートナー、ねぇ……」
シーマは紫煙の向こうで目を細め、ナタルと視線を交わした。
コズミック・イラの闇に紛れ、宇宙世紀の遺物と泥臭い知恵を叩き込んだ二機の悪魔が、静かにその爪を研ぎ澄ませつつあった。
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出航した工廠艦リリー・マルレーンは、暗礁宙域の指定座標へと密かに航行していた。
ブリッジのホログラムモニターには、クライン派からもたらされた敵部隊のデータが投映されている。旧ザフト軍の強硬派残党。ヤキン・ドゥーエの停戦指示に従わず、強奪したジンやシグー数機で暗礁宙域を荒らし回り、民間船やジャンク屋の補給物資を掠奪している野良のテロリスト集団だ。
「……標的の残党部隊、前方三千に捕捉。機数はジンが四、シグーが一。民間貨物船を追い詰めています」
ナタルが冷静な声で状況を読み上げる。その隣で、シーマは煙草をくわえたまま椅子の背もたれに深々と身体を預けていた。
「ハッ、あんな落ちこぼれどもが威張ってられるのも今のうちさね。……出撃準備はできてるかい、ベッカー?」
「いつでもいいぜ、司令」
格納庫からの通信ラインで、整備主任のベッカーが応じる。
「クララとヴァルターのゲルググM二機を出します。改修後初の実戦テストです。バッテリー残量と実体弾の残弾を計算しながらの、泥臭い小競り合いと洒落込みましょう」
「言っておくが」ナタルが通信に割り込む。「ガーベラ・テトラ・エフェメラルは出さない。ゲルググ二機と実体弾のみで完結させろ」
「分かっていますよ、元大尉殿。……さあて、うちの電池仕掛けの木偶がどこまでやれるか見せてやりましょう」
漆黒の宇宙空間。追い詰められた民間貨物船へ向け、シグーの重斬刀が振り下ろされようとしたその瞬間、暗闇から連続する90ミリ実体弾が照射された。
「な、なんだ!? どこからの攻撃だ!」
シグーのパイロットが驚愕して反転する。暗礁の陰から躍り出たのは、角ばった独自のシルエットを持つ見慣れぬモノアイ機――ゲルググMだった。
「はいそこ、とろくさい動きをしないでください!」
クララの乗るゲルググMが、背部のプラズマ・スラスターを噴射して旋回。ザフト機に比べて重量感のある機体でありながら、卓越したパイロット技術と強化されたフレーム剛性により、最小限の制動でシグーの懐へと潜り込む。
「ビーム兵器じゃないだと!? 実体弾のマシンガンに……実体刃の剣!?」
ザフトのジンたちが慌ててビームライフルを構え、照射する。だが、後方に控えていたヴァルターのゲルググMがすかさず割り込み、強化された胸部装甲でビームの掠り傷を受け流しながら、正確な援護射撃を叩き込む。
「クララ、深追いするな! 俺たちが積んでいるのは重いバッテリーだ、慣性制御に無理をさせるな!」
「分かっています、ヴァルターさん! でも、ヘリウム3のあの加速感がないのは寂しいですけど……この泥臭い感じも悪くないですね!」
ヴァルターのゲルググMがマシンガンをゼロ距離で叩き込み、ジンの一機を粉砕。続けてクララがコズミック・イラ製の重斬刀を振るい、別のジンの関節部を的確に叩き切る。
バッテリー駆動ゆえにジェネレーターの余剰出力による強引な押し込みはできない。しかし、ジオンベテラン兵ならではの「最小限のエネルギー消費で敵の急所を突く」集団連携戦術の前に、戦いに焦るザフト残党はあっという間に翻弄されていった。
「バ、バケモノか! どこから現れたジャンク屋の工作機だ!?」
残ったシグーが恐怖に駆られ、最大推力で離脱を図る。
「逃がしませんよ!」
クララが追撃しようとした瞬間、コクピットのコンソールに警告音が鳴り響いた。
【WARNING: BATTERY CAPACITY 35%】
「くっ……! やっぱりビームを避けるためにスラスターを使いすぎました! 電池が底を突きそうです!」
「深追いはやめろ、クララ!」ヴァルターが叫ぶ。「こちらの動きが鈍れば逆転される!」
「すみません、あと一歩だったのですが……!」
シグーは暗礁宙域の奥深くへと加速し、通信機に手をかけていた。救援を呼ぶか、あるいはこの謎の機体のデータを本隊へ送信しようとしている。
『――落ち着きな、二人とも』
通信ノイズの向こうから、シーマの低く冷ややかな声が響いた。
『ナタル。「目撃者を一人も残さず消滅させる」……この条件なら、文句はないねぇ?』
ブリッジで腕を組んでいたナタルは、一瞬だけ瞳を細め、静かに頷いた。
「……わかりました。ただし、点火時間は三十秒。全システムをオーバーロードさせ、即座に離脱してください」
『フッ……聞いたかい、エフェメラル』
リリー・マルレーンのカタパルトデッキ。
ガーベラ・テトラ・エフェメラルがカタパルトから射出される。
漆黒と深紅の偽装塗装を施されたガーベラ・テトラ・エフェメラルのコクピットで、シーマがコンソールの封印コードを解除する。
ダミーのバッテリー回路が遮断され、胸部の「超小型ミノフスキー・イヨネスコ型核融合炉」に高濃度デウテリウムと温存されたヘリウム3が注入された。
――ギィィィィン……!
重厚な駆動音が空間を振動させる。ニュートロンジャマーの満ちるコズミック・イラの宇宙で、現存する最後の「宇宙世紀の太陽」が点火した。
「……お遊びは終わりさね」
背部のアフターバーナーが爆発的な青白色の噴炎を上げ、機体は「束の間の残光」となって加速した。逃走するシグーのパイロットが振り返った時には、すでに目の前に「悪魔の顔」が迫っていた。
「な――ニュートロンジャマー下で、この推力と……この熱源反応はなんなんだあああ!?」
絶叫するシグーのコクピットへ、ガーベラ・テトラ・エフェメラルの110ミリ機関砲とビームライフルが叩き込まれる。
ニュートロンジャマーを嘲笑うかのような連続照射。シグーは回避行動すら取れず、一瞬で分解され、爆炎とともに宇宙の闇へと消え去った。
「……オーバーライド停止。冷却開始」
戦闘時間、わずか22.8秒。
シーマが即座に核融合炉をアイドリング状態へ落とすと、ガーベラ・テトラ・エフェメラルは再び静かな「バッテリー機体」の仮面を被り、暗礁の陰へと滑り込んだ。
残されたのは、敵機の残骸と、救出された民間貨物船の茫然自失とした通信だけだった。
「……見事な手際です」
リリー・マルレーンのブリッジに戻ったシーマに対し、ナタルが静かに言った。
「センサー波形は完全に消去。敵機の通信データも送信前に途絶しました。これで私たちの宇宙世紀の牙を知る者は、この宙域に一人もいません」
「ハッ、冷や冷やさせてくれるさね。たった二十秒足らずで、貴重なヘリウム3がいくら吹き飛んだと思ってんだい」
シーマは苦笑しながら紫煙を吐き出したが、その瞳には満足げな色が浮かんでいた。
「だが……これで分かったろう? 普段はバッテリーで粘り強く戦い、ここぞで一気に首を跳ねる。……これが、この腐ったコズミック・イラの世界であたしたちが生き残るやり方さね」
救援された民間船からは、クライン派を通じて大量のバッテリーセルと実体弾薬、そして新鮮な食料がシーマ艦隊へともたらされた。
コズミック・イラの暗闇の中、宇宙世紀の遺志を秘めた「泥仕掛けの悪魔たち」は、確かな一歩を踏み出したのだった。