かつて悲劇の象徴となった墓標は、いまや地球を砕く最悪の牙と化していた。
血のバレンタイン――数百万の同胞が一瞬にして灰となった惨劇を生んだ無人コロニー「ユニウスセブン」。その巨大な質量体が長年の沈黙を破り、壊滅的な加速を伴って地球へ向かう落下の途についたという報は、全宙域を激震させた。
リリー・マルレーンのブリッジ。
戦術マップ上に赤く点滅する巨大な質量体と、その周囲に群がるザフトの破砕部隊、そして追撃するミネルバの反応を前に、重苦しい緊張が走る。
「……ハッ、またコロニー落としかい」
ソファーからゆっくりと立ち上がったシーマ・ガラハウは、冷めた眼光でメインモニターに映る死の巨塊を見つめ、紫色のかすんだ煙を細く吐き出した。
「宇宙世紀の阿呆どもと同じ真似を、ここの世界の連中も繰り返すってわけだ。怨念に狂ったテロリストどもが意図的に推進器を取り付けたんだろう。歴史ってのは、どうしてこうも下品で悪趣味な反復をするのかねぇ」
「司令、事態は極めて深刻です」
ナタル・バジルールが、まるで機関銃をぶっ放すかのような恐ろしい速度でコンソールを叩き、アメノミハシラおよびジャンク屋組合の裏ルートから高速で暗号データを展開していく。
「現場ではザフトの破砕部隊および新造艦ミネルバによる必死の破砕作業が続いていますが、別宙域の『ジェネシスα』周辺を巡っても不審な電子戦反応が多発しています。高度なデータ改竄、重度なウイルス散布による広域通信障害……間違いなく、先のアーモリーワン強奪事件の裏で暗躍していた特殊機体と同系統の『影』が、意図的に破砕作業を妨害し、地球への壊滅的な落下被害を確定させようと工作しています」
「ロンド・ミナ・サハクの動向はどうなっている?」
「アメノミハシラも事態を重大視しており、独自にMS部隊を出撃させて防衛および不審機の工作排除に動いている模様です。ですが……ユニウスセブンの落下そのものを完全に阻止するのは、物理計算上すでに不可能です。どれほど破砕しようと、破壊しきれなかった無数の巨塊が地球全土へ降り注ぎます」
「チッ……反吐が出るね」
シーマが不機嫌そうに吐き捨てたその時、ブリッジの優先暗号コンソールが甲高いアラート音を鳴らした。ナタルが即座に暗号キーを解除し、画面を解析する。
「……クライン派の地下潜伏組織からの緊急救援要請です」
ナタルが鋭い視線をシーマへ向けた。
「ユニウスセブン周辺の爆発とデブリ散乱に巻き込まれ、デブリ帯の深部で動力を喪失した民間避難船、および彼らの密航連絡艇数隻が完全に孤立しているとのこと。ザフト正規軍もミネルバも、コロニーの破砕作業と妨害勢力の排除に手一杯で、足元の民間艇に救命の手を回す余力はありません」
「クライン派ねぇ……あいつらもつくづく手のかかる綺麗事集団だねぇ。普段は大層な理想を並べるくせに、本当の地獄の底じゃ、あたしたちみたいな泥臭い裏道稼業に泣きついてきやがる」
シーマは口元を歪めて鼻を鳴らした。しかし、その瞳の奥には不敵で鋭い光が宿っていた。
「まあいいさね。貸しを一つつくっておけば、後でいくらでも利息を取って回収できる。断る理由もない……クララ!」
「は、はい! 司令!」
ブリッジの端で待機していた若きクララ軍曹が、弾かれたように背筋を伸ばして敬礼した。その瞳には、これから飛び込む地獄に対する隠しきれない緊張と動揺が揺れていた。
「クライン派からの救援要請だ。デブリ帯に取り残された民間船と孤立艇を救出しに行くよ。本日の救難・救護作戦の現場指揮は、お前に任せる。グロリアで出撃し、ゲルググ隊を率いて行きな」
「えっ……わたしが、ですか!? しかも、グロリアで……!?」
思いもよらぬ重任に言葉を失うクララに対し、傍らに立っていたデトローフが温かい苦笑を浮かべながら、保温ボトルから注ぎ立ての熱いコーヒーが入ったマグカップを差し出した。
「弱気になるな、クララ軍曹。新造機のリゲルはまだ調達・調整段階だが、お前が乗り込むグロリアの調整はベッカーが徹夜で完璧に仕上げて送り出している。高度なデータリンク機能と電子戦性能を持つグロリアなら、救援小隊の指揮機としてこれ以上の機体はない。……司令もあたしたちも、後ろでしっかり見ている。自分の判断で、目の前の命を拾ってこい」
クララは震える手でマグカップを受け取り、一口飲むと、ぐっと拳を握りしめた。
「……っ! 了解しました! クララ軍曹、グロリア出撃します! ゲルググ隊、救助優先目標を民間船および孤立艇に絞り、ただちに作戦を開始します!」
クララが力強く敬礼を返し、ブリッジのハッチを駆け抜けていった。
クララの搭乗するグロリアと、重厚な最新改修が施されたゲルググ3機で構成される救援小隊が「リリー・マルレーン」のリニアカタパルトから暗黒の宇宙へ飛び出していった瞬間、ブリッジ内の空気が一変した。
ナタルの目の色が、冷徹な参謀のそれから、戦場へ向かった若い部下たちを何としても生きて帰還させる「鬼」の形相へと切り替わる。
「CIC、広域パッシブセンサー最大展開! デブリの飛来予測軌道をリアルタイムで計算・更新し、クララ機のグロリアへダイレクトで同期させろ! データリンクの遅延はコンマ一秒たりとも許さん!」
ナタルの指先がキーボードの上で残像を描くように激しく奔走する。かつてアークエンジルの副長として、そしてドミニオンの艦長として数々の死地を極限の指揮でくぐり抜けてきた彼女の真領分が、ここぞとばかりに爆発していた。
「通信手! クララ隊の各機に個別暗号周波数を割り当てろ! コロニー崩落の衝撃波や高濃度デブリで通信が途絶した瞬間、予備回線へミリ秒単位で自動切り替えだ!……クララ軍曹、聞こえるか! グロリアの広域レーダーに反応! 左斜め後方より直径五十メートルの岩塊が高速接近中! 救助作業を一旦中断し、三秒後に下へ退避しろ!」
『は、はいっ! 回避します! ゲルググ全機、高度を下げてデブリをやり過ごして!』
通信画面の向こうで、崩落する巨大なデブリ帯の中を必死に立ち回るクララたち。高密度のデブリ帯という過酷極まりない環境下、グロリアの優れた電子戦・通信機能をフルに活用し、ナタルの死力を尽くした正確無比なナビゲーションに支えられながら、クララは粘り強い指揮で孤立した船団へとアプローチしていく。
だが、その救難活動が軌道に乗りかけたその時、グロリアのコックピット内に不吉な警報アラートが荒々しく鳴り響いた。
『――警告! 未確認MS群、急速接近!』
「何……!?」
崩壊するコロニーの陰から滑り出してきたのは、正規軍の塗装を塗りつぶし、黒く凶悪な不気味さを纏ったザフト系の旧式MSの群れだった。それらは救護作業を行っている無抵抗の民間避難船と、それを庇うゲルググ隊へ向けて一斉に火器の照準を合わせる。
オープン回線に、熱狂と憎悪に狂った怒号が割り込んできた。
『退け、邪魔立てする愚か者どもめ! ユニウスセブンは我らプラントの無念の血! ナチュラルどもに神罰を下す聖なる不滅の槌だ! 救助などというぬるい欺瞞で、この血の審判を汚させるか!』
『そうだ! 命乞いをする軟弱な同胞も同罪だ! 砕けた血の涙とともに、地球へ墜ちて失せろ!』
荒れ狂うテロリストたちの絶叫が、通信ノイズを交えてクララの耳腔を刺す。
かつての血のバレンタインで愛する者や全てを奪われ、絶望の果てに世界そのものを道連れにして焼殺しようとする過激派の怨嗟。そのどろどろとした怨念の圧迫感に、一瞬クララの息が止まり、操作桿を握る手が激しく震えた。
(この人たちは……世界を燃やし尽くすことでしか、自分を許せないの……!?)
テロリストのジンがビームライフルを構え、まさに牽引ラインを取り付けようとしていた民間避難艇へ向けて引き金を引こうとする。
『死ねぇ! 聖戦の邪魔をする雑魚どもが!』
その瞬間、クララの脳裏を駆け巡ったのは、恐怖ではなく怒りだった。かつて自分たちの艦隊が血と泥を舐めながら救い上げてきた命の重み。そして、リリー・マルレーンのブリッジで自分たちを信じて背中を預けてくれているシーマやナタル、デトローフたちの姿。
「……ふざけないでっ!!」
クララは叫びとともにグロリアのスロットルを限界まで押し込んだ。
「ゲルググ隊、各機レスキューワイヤー解除! 鶴翼の陣で民間船を背後に隠せ! 2番機、3番機は両翼からクロスファイアで射撃支援! 敵の注意をすべてわたし(指揮機)へ引きつける!」
『クララ隊長! しかし敵の数が多すぎます!』
「ひるまないで! わたしたちが引いたら、あの民間人が全員犠牲になるのよ! 誰も死なせないって、ナタル少佐と約束したでしょ!」
グロリアの集中データリンク機能が真価を発揮する。ゲルググ全機の火器管制が一括同期され、クララの高度な戦術指揮のもと、重厚な装甲を持つゲルググ隊が一斉に散開。民間艇の前に鉄壁の防衛線を構築する。
グロリアは背部推進器を爆発的な閃光とともに噴射させ、デブリの隙間を縫うように鋭いアクロバティックな旋回を描いた。狙われた民間艇の前へと強引に割り込み、大型シールドを前に突き出して敵のビーム照射を正面から受ける
爆発的な熱量がシールドの表面をドロドロに削り飛ばすが、ベッカーが魂を込めて施した完璧な補強と耐熱加工がそれを食い止める。
『な……なんだと!? 旧式交じりの部隊が、一瞬で防衛陣形を組んだだと!?』
「あなたたちがどれだけ苦しかったか、どれだけの血を流したかなんて知らない! でも……! 今ここに生きて息をしている人たちを殺していい理由に、そんなものがなるもんか!」
ナタルからのリアルタイム支援データと完全に同期したクララは、グロリアのビームライフルを連射しながら、部下たちへ次々と的確な回避・撃破指示を飛ばしていく。
「2番機、左から回り込むジンの脚部スラスターを撃ち抜け! 3番機は右の巨大デブリの影! 敵の逃げ道を塞いで牽制射撃! 殺す必要はない、戦闘能力と機動力だけを奪いなさい!」
『了解!』
クララ率いるゲルググ隊の完璧に統率された弾幕が、襲い来るテロリストの機体を次々と足止めし、無力化していく。グロリアの精密な射撃は相手のコックピットを完璧に外し、推進器と武装だけをピンポイントで焼き切って宇宙に漂わせた。