アメノミハシラ宙域での防衛戦を鮮やかに制したシーマ艦隊の戦果は、密かに、しかし確実に各勢力の情報網を駆け巡っていた。
「見事な鮮やかさだったな、クララ」
「リリー・マルレーン」の士官食堂。
ナタル・バジルールは温かい紅茶を口にし、向かいに座るクララへ視線を向けた。
「は、はい! グロリアの戦術データリンクの応答性も良好でしたし、後方のゲルググ隊との連携も想定通りでした。……ですが、宇宙と違って空気も重力もある地上での戦闘を思えば、まだまだ気を抜くことはできません」
クララの引き締まった表情に、ソファーで煙草をくわえたシーマがくすりと笑った。
「へっ……一度地上を経験しているだけあって、言うことが頼もしくなったじゃないかい。慢心がないのは良いことさね。……ミナ様からも新しい指令が届いたよ。あたしたちの次の戦場が決まった」
シーマが操作したモニターに映し出されたのは、地球――それも広大な太平洋の地図と、連日報じられるオーブ周辺の緊迫した情勢であった。
「地球か……」
ナタルが鋭い眼光を向ける。
「現在、オーブが地球連合との同盟を選択したことで、国内の理念派や将兵たちが激しく反発し、激しい混乱が続いている。さらに、地上に降りたザフトの最新鋭艦『ミネルバ』が連合軍との死闘を繰り広げている最中だ」
シーマが煙を吐き出しながら、不敵に目を細めた。
「ミナ様は、オーブ本国を見捨てたわけじゃないのさね。表面上はアメノミハシラで静観を決め込みつつも、裏では『連合の傀儡となった現体制』に抗う者たちへ手を差し伸べる……。あたしたちはそのための『動く手脚』ってわけだ」
ナタルが画面のデータを更新し、任務の要点を告げる。
「我々に与えられた新たな任務は、オーブ領海および周辺海域において、過激化する戦火から避難民や孤立した志ある者を収容・庇護すること。過酷な地上戦をくぐり抜けてきた我々の経験と、この艦隊の機動力がいよいよ試されることになる」
「了解しました!」
クララが背筋を伸ばして応える。
「地上での重力や空気抵抗、海の過酷さは身体に染みついています。朱きグロリアとともに、今度こそ戦火に巻き込まれる人々の確実な盾になって見せます!」
「よし、威勢がいいねぇ」
シーマは立ち上がると、豊満な胸を張り、紫色の髪をかき上げた。
「さて……再びあの青い重力の底へ降りる準備を始めるとしようかい。地球の連中にも、あたしたち『シーマ艦隊』の生き様ってやつを刻み込んでやるさね!」
数日後――。
大型輸送船に揺られ、シーマ艦隊の先遣部隊は再び青く輝く地球の太平洋上へと降下を果たした。
眼下に広がるのは、見渡す限りの群青色の海。
「……帰ってきたんだ、この海へ」
『ガーベラ・テトラ・グロリア』のコックピットの中で、クララはキャノピー越しに広がる雄大な景色を見つめた。
かつて泥臭く駆け抜けた地上の感触、重力と風の抵抗が、操縦桿を通じて克明に記憶を呼び覚ます。
『ボサッとするんじゃないよ、クララ!』
通信ウィンドウにシーマの凛々しい姿が映し出される。
『大気圏突入後の慣らし運転だ! グロリアの地上用ホバリング挙動と、データリンクの同期状態を確認するよ!』
「了解です、シーマ司令! グロリア、大気圏内ホバリングモード移行!」
朱き装甲を纏ったグロリアの背部スラスターが全開となり、青い海面を激しいしぶきが押し分ける。
かつて地上で培った操縦感覚と、鮮烈な朱の機体が秘める高い電子戦能力が完璧に融合し、風を切って滑らかに海面を滑走した。
その時――『リリー・マルレーン』地上通信班から緊急入電が飛び込んだ。
『警戒中の部隊より報告! 近隣海域にて戦闘発光を確認! 地球連合軍の沿岸警備部隊が、避難民を乗せた小型輸送船を『敵性協力者』とみなして臨検・攻撃を行っています!』
「チッ……相変わらず連合のバカどもは容赦がないねぇ!」
シーマが忌々しそうに吐き捨てる。
ナタルが即座に戦術指示を飛ばした。
『クララ軍曹! オーブ領海域境界へ向かい、難民船を保護せよ! 連合軍との無益な全面衝突は避けつつ、グロリアの圧倒的な機動力と牽制射撃で速やかに敵部隊を追い払う!』
「クララ、グロリア! 直ちに向かいます!!」
朱き機体が放つ力強い推進光が海面を蹴り、慣れ親しんだ地上の風を切って急加速する。
かつての地上戦で磨かれた経験と、仲間とともに育んだ固い絆――。
重力の底で繰り広げられる新たな戦火の中、朱き翼『グロリア』とクララは、弱き人々の命を救うため、迷いなく太平洋の波濤へと飛び込んでいった。
青く輝く太平洋の海面を切り裂き、朱き機体――『ガーベラ・テトラ・グロリア』が風を切る。
「敵機、視認! 地球連合軍の沿岸警備部隊……ウィンダム2機にディープフォビドゥン1機! 避難民の小型船へ照準を合わせています!」
コックピットの全周囲モニターに、波間に揺れる難民船と、それを包囲するように滞空する連合軍のモビルスーツ群が捉えられる。
『相手は臨検に応じない不審船だと言い張るつもりだろうよ。クララ! 難民船と敵機の間に割り込みな!』
「了解! グロリア、突入します!」
クララは操縦桿を押し込み、背部の高出力スラスターを全開させた。朱き機影は一瞬で海面すれすれの超低空を滑走し、避難民船の直前へと割り込む。
「そこまでです! これ以上の民間船への攻撃は容認できません!」
『なんだと!? どこの所属だ……赤…いや、朱色の機体!?』
動揺する連合軍パイロットに向け、クララはグロリアの広域電子戦システムを起動。強烈なジャミング波を照射し、敵機の照準ロックオンを強制解除させた。
『くっ、電子戦機か! かまうな、撃ち落とせ!』
ウィンダムがビームライフルを連射し、ディープフォビドゥンが海中へ潜航して誘導魚雷を放つ。
「宇宙と違って、空気抵抗と波の動きがある……! だけど、この感覚は知ってる!」
かつて地上で磨いた操縦技術が、クララの身体を直感的に動かす。
グロリアは朱き翼をなびかせるように鋭く横スライドし、ビームの束を紙一重で回避。同時に、海中から迫る魚雷の軌道を計算し、ビームライフルによる点火射撃で海面爆破を起こして相殺した。
『クララ軍曹、敵機データ同期完了!』
『リリー・マルレーン』のブリッジから、ナタルの冷静な声が響く。
『ディープフォビドゥンの水中ソナー領域を特定した。後方のリゲル隊が海面への牽制爆雷を投下する。クララは浮上した敵機を無力化しろ!』
「了解! ベッカーさんたちが作ってくれたリゲルの連携、見せてもらいます!」
後方から飛来した2機のリゲルが、海面に向けて音響爆雷を投下。強烈な衝撃波に耐えかねたディープフォビドゥンが海上に姿を現した瞬間、グロリアが超高機動で肉薄した。
「命までは奪いません……!」
グロリアのビームサーベルが一閃。
ディープフォビドゥンの背部推進ユニットと武装アームだけを的確に斬り飛ばし、戦闘不能に追い込む。
残るウィンダム2機も、グロリアとリゲル隊の寸分狂わぬデータリンク連携による牽制射撃で武器を弾き飛ばされ、パニックに陥って脱射・撤退を開始した。
「敵部隊、撤退していきます! 難民船の安全を確認しました!」
『見事な手際だ、クララ』
ナタルが深く頷く。
『これより難民船を「リリー・マルレーン」へ収容、傷病者の救護を開始する。アメノミハシラ直轄の庇護下に入ったことを提示し、安全宙域への移送ルートを確保しろ』
通信ウィンドウに、煙草の煙をくゆらせたシーマが映し出された。
『へっ、初陣にしては上出来じゃないかい。連合の鼻をあかして、弱者を救い出す……まさに「天空の宣言」の体現ってやつさね』
グロリアのコックピット内で、クララは操縦桿を握る手に優しく力を込めた。
朱き装甲に映える夕焼けの海を見つめながら、静かに、しかし確かな声でつぶやく。
「はい……! 誰も死なせない、誰も見捨てない。これが、わたしたちの戦い方です」
オーブ周辺海域の戦火が激しさを増す中、朱き翼『グロリア』と新生シーマ艦隊は、時代の渦中へとその存在感を刻み込んでいくのだった。