ダンジョンに愛を求めるのは間違っているだろうか 作:新グロモント
ガネーシャ・ファミリア主催の神酒パーティー。
オラリオに在住する神達が招待され、神々は親交を深め、美酒美食を楽しむ。ファミリア同士の繋がりを強化し、円滑な運営をするうえでも非常に重要な催しだ。
その光輝溢れる宴の片隅で、場違いなほど重苦しい影を落としている男神がいた。主神アスクレピオス。医神として高潔な美貌を持つ彼だが、その双眸に宿るのは知性ではなく、底知れぬ摩耗と諦念だ。
「……胃が痛いな。神に内臓疾患などないはずなのだが」
彼は自嘲気味に呟き、杯の中の琥珀色の液体を見つめた。彼のファミリアは今やオラリオでも指折りの名声を誇っている。だが、その実態は、彼自身ですら制御不能に陥った異能の集団だ。各院長たちが「全てはアスクレピオス様の御心のままに」と嘯きながら繰り出す数々の奇跡と禁忌。
それらは人類を救う慈愛であると同時に、神の理を蹂躙する冒涜でもあった。彼らを野に放てば世界が壊れる。ゆえに、彼は「責任」という名の首輪を自ら嵌め、彼らの狂気を引き受け続けるしかない。それは救済者としての矜持ではなく、破滅を先延ばしにするだけの孤独な守銭奴に近い感覚だった。
「あら、相変わらず死相が見えるわね。アスクレピオス」
背後からかけられた声に、会場の温度が数度下がったかのような錯覚を覚える。振り返るまでもない。この場にいる全ての神が、その存在だけで跪きたくなるような圧倒的な「美」の権化。女神フレイヤが、音もなくそこに立っていた。銀色の髪がシャンデリアの光を反射し、その銀色の瞳は獲物を定める捕食者のように鋭く、妖しく光っている。
「……女神フレイヤ。キミの美しさは、毒を通り越して最早病の域だね。処方箋は持ち合わせていないが、用件は?」
アスクレピオスは防衛本能に近い警戒心を露わにした。この美神がわざわざ声をかけてくる時、それは「遊び」ではない。魂を焦がすほどの渇望が、その美しい皮殻の裏側で蠢いている時だ。
「無粋な男。けれど、その余裕のなさは嫌いじゃないわ。……少し、貴方の所の子供達が騒がしすぎるのよ。私の『視界』を汚さないでほしいの」
フレイヤの言葉に冷ややかな圧が混じる。彼女にとって、ベル・クラネルという存在はもはやただの興味の対象ではない。自らの神生を賭けてでも手に入れるべき、絶対的な「魂」の輝き。それを遮る者は、たとえ同じ神であっても赦しはしないという静かな狂気が滲んでいた。
「……指示はしていない。彼らは、医療という名の真理を追究しているだけだ。たとえそれが、女神(キミ)の箱庭を荒らすことになっても、私にそれを止める権利も力もない」
アスクレピオスは、本当に心当たりなどなかった。それに、知っていたとしても止められるような優しい連中ではない。彼等は、今でこそ正義側にいる。だが、闇派閥側の方がメリットが多くなれば、特に気にせずそちら側に行く可能性すらある。実際、闇派閥側とも繋がりがあり、医療行為などを行っている。医療行為において、敵味方を区別しないという医療の建前を本気で実践している。
よって、闇派閥側としても一目置かれるアスクレピオス・ファミリア。正義が勝っても、闇が勝っても困らないという、どちらに転んでも良いという非常に勝ち組の立場にいた。
「へぇ、そういう態度を取るのね。一か月ほど前だったかしら。貴方の所の子供達が総出で、オラリオから遥か遠くにあるエルピス島へ向かったそうじゃない。そこで、ある物を回収して帰ってきた。それが何なのか、私は知らないし聞くつもりもないけれど」
「……分かった。各院長には私から一言いっておこう。それで、誰に近づかないよう釘を刺せばいいんだ?」
アスクレピオス自身も言えるはずがない。
アスクレピオス自身、回収された「ブツ」の正体を口にできるはずもなかった。全ては冒険者のため、人類の発展のため。犠牲はつきものだが、既に犠牲になった者を利用するならば誰の血も流れない、と彼らは嘯く。
神への冒涜とも取れる行為だが、下界の民を人ならざる「冒険者」へと変えたのは神自身だ。ゆえに、神の視点からも彼らを非難しきれない矛盾がある。しかも、子供たちの決まり文句は「全てはアスクレピオス様の御心のままに」だ。
頭が痛い、などという次元ではない。
アスクレピオスは、彼らを受け入れた時点でもう引き返せない。地獄の淵を、狂気の子供たちと共に突き進むしか生き残る術はないのだ。
「聞き分けが良いわね。ベル・クラネル。……私のお気に入りなの」
「……もしかして、銀髪で赤い目をしていて、うちの眷属のプルシュカにどこか似ていて、不気味なほど澄んだ魂を持つ新米冒険者のことか?」
フレイヤは、自分のお気に入りが認知されていることに少しだけ微笑んだ。自分が見込んだ美しさが他者の目にも留まるのは、彼女にとって愉快なことだった。
「あげないわよ」
「いや、あれは……ボンドルドの親戚筋だぞ。出自を教えてやろうか?」
その一言は、フレイヤの心に思わぬ大ダメージを与えた。卒倒しそうになるのを気合で持ち直し、何事もなかったかのように平然を装う。だが、彼女の脳裏には、ベルが紫のラインが入った無機質な鉄仮面を被るという、最悪のビジョンが浮かんでいた。
「……いいわ。誰の親戚であっても、私のお気に入りであることに変わりはない。やっぱり私、貴方のことが嫌いだわ」
「そうかい。私は君のそういうところ、嫌いじゃないよ」
フレイヤはその場を立ち去る。
フレイヤが立ち去った後、アスクレピオスは残りの酒を一気に煽り、早々に帰路に就くことにした。この場に集う神々のうち、彼のように他言無用な闇を抱える者は少なくない。そんな彼らが少しでも多くの心労を抱え、等しく苦しむことを、彼は心の底から願っていた。
◇◆◇◆
夜の帳が下り切る前、紺碧の空が白み始める早朝。
迷宮都市オラリオのメインストリートには、既に多くの冒険者たちの足音が響き渡っていた。重厚な鎧が擦れる音、鋭い武器が鞘に納まる金属音、そして迷宮(ダンジョン)へと向かう者たちの高揚と緊張が入り混じった熱気が、冷ややかな朝の空気を震わせている。
その雑踏の中に、ひときわ異彩を放つ一団があった。アスクレピオス・ファミリアのプルシュカとニーナだ。二人はいつものように経験値を稼ぐべく、万全の武装と準備を整えていた。だが、背負っているのは冒険の必需品だけではない。本来なら二人だけで向かう予定だった今回の探索には、ある「副業」が追加されていた。朝食を抜き、空腹を抱えてダンジョンへ潜る冒険者たちに、出来立ての”豚汁”を売りさばくという奇妙なミッション。そのために用意された巨大な寸胴鍋や木炭、大量の具材が、小さな彼女たちの体躯には不釣り合いなほどの大荷物となって積み上がっていた。
よって、新たにサポーターを雇用する。そのサポーターの名は…
「リリルカ・アーデです。本日のサポート、精一杯務めさせていただきます。……よろしくお願いしますね、プルシュカ様、ニーナ様」
大きな背負い袋を器用に背負い、ぺこりと頭を下げたのは、新たに雇用された小人族(パルム)の少女だった。その瞳には、一見すると献身的なサポーターとしての光が宿っているが、その奥底には、自分たちよりもさらに幼く、かつ「金持ち」の気配を隠しきれない二人に対する複雑な計算が透けて見えていた。
「えへへ、様だって! リリ、そんなにかしこまらなくていいよ。プルシュカ達の方が年下なんだから。でも、ボクたちが雇い主だから、えーっと……『さん』は付けて呼んでほしいな!」
プルシュカが天真爛漫な笑みを浮かべて返すと、隣のニーナもこっくりと頷く。リリと呼ばれた少女は、一瞬だけ呆気にとられたような顔をしたが、すぐに商売用の完璧な微笑みに戻した。彼女にとって、この「純粋すぎるカモ」たちの振る舞いは、ある意味でどんな魔物よりも調子を狂わせるものだった。
かくして、見た目には「幼女三人組」という極めて場違いなパーティが、魔境の深淵へと足を踏み入れた。そして始まったのは、戦闘ではなく炊き出しだった。ダンジョンの薄暗い通路に、味噌と根菜、そして豚肉の脂が溶け出す香ばしい匂いが漂う。殺伐とした迷宮の空気とは絶望的にミスマッチなその光景は、しかし飢えた冒険者たちにとっては救いの神に見えた。一杯わずか5ヴァリス。手間と材料費を考えれば、慈善事業を通り越して完全な赤字である。湯気を上げる器を受け取る冒険者たちは、呆れ半分、感謝半分といった複雑な表情で、このシュールな光景を胃袋に流し込んでいった。
利益など最初から求めていない。この「豚汁販売」の本質は、周知による安全の確保だ。アスクレピオス・ファミリアの子供たちが美味しい食事を配っているという事実を広めることで、無法な冒険者からの不意の攻撃を抑止する。そうして全ての豚汁を売り切った時、ようやく彼女たちの本当の「冒険」が幕を開けるのだ。
リリルカ・アーデの働きは完璧だった。荷物の管理、索敵、そして二人の奔放な行動への控えめな、しかし的確な制止。経験豊富な彼女は、サポーターとしてだけでなく、この世間知らずな子供たちの「監督役」としてもこれ以上ないほど適任に見えた。
だが、リリの内面は静かに揺れていた。世の中には、清廉な善意だけで動く者ばかりではない。ましてやこのダンジョンという法外の地では、第三者の悪意など呼吸するようにそこら中に転がっている。リリはそれを嫌というほど知っていた。そして、目の前の子供たちがその事実を全く理解していないことも。
プルシュカとニーナが身にまとっている装備は、その一つ一つがオラリオの相場を根底から覆すような、総額数億ヴァリス相当の超高性能な代物だ。指輪一つ、小刀一本を奪うだけで、一介の冒険者なら一生遊んで暮らせる富が手に入る。ダンジョンでの死亡事故など珍しくもない。この二人を闇に葬り、全てを掠め取って逃げると考えた事は、探索中に何度もあった。
しかし――。豚汁をよそいながら楽しげに笑い合う彼女たちの無垢な横顔を前に、リリの指先は震えた。非情な「略奪者」になり切るには、彼女たちの魂はあまりにも眩しすぎたのだ。
丸一日の活動を終え、夕闇の中でパーティは解散した。心地よい疲労感と共に帰宅したニーナは、自室で装備を外している最中、奇妙な違和感に手を止めた。指先にあるはずの感触が、一つ足りない。先ほどまで右手の薬指にはまっていた、淡い光を放つ「賢者の石」を加工した指輪――父親であるショウ・タッカー謹製品。いつの間にか失われていることに気が付いた。それがただの紛失なのか、あるいは「誰か」の手によるものなのか。静まり返った部屋の中で、ニーナは自分の指を見つめたまま、言葉を失っていた。
リリルカ・アーデの未来は何処に…。
きっと、ベル君が救ってくれるよね。
アスクレピオス様のイメージはFGO基準でお願いします。