ダンジョンに愛を求めるのは間違っているだろうか 作:新グロモント
迷宮都市オラリオの冒険者業界には、「舐められたら終わり」という不文律がある。とりわけ武闘派を標榜するファミリアにおいてその傾向は顕著だが、それは医療系ファミリアにとっても例外ではない。むしろ、慈愛の裏側に狂気的な探究心を孕む彼らこそ、その聖域を侵した者に容赦はしないのだ。
アスクレピオス・ファミリアの幼き眷属、ニーナが所持していた”賢者の石”が盗難に遭った。単なる高額アイテムの紛失という枠には収まらない。もしこれが『闇派閥(イヴィルス)』の手に渡れば、オラリオ全土を揺るがす未曾有の災厄へと繋がる。末端価格などという尺度では測りきれない、戦略的危機であった。
事態を重く見たギルドとガネーシャ・ファミリアには即座に詳細が通達された。紛失ではなく、明白な悪意による盗難。水面下では既に各ファミリアの精鋭たちが動き出し、犯人の逃走経路は網の目のように絞り込まれつつあった。
アスクレピオス・ファミリアの本拠地、その奥深くに位置する大会議室。重苦しい空気の中に、四人の「院長」たちが集結していた。
「おやおやおや……。全く、子供から物を掠め取るような輩がいるとは。冒険者の民度も地に落ちたものです。ニーナさんが気づかぬうちに盗み出すとは、よほど手慣れた常習犯なのでしょうね」
「娘に怪我がなかったのは幸いでしたが、これは看過できませんね。現在、アレキサンダーに臭いを追わせています。犯人の確保、そこで……『再構成』まで、そう時間はかからないでしょう」
「我らアスクレピオスを敵に回して、ただで済むと思っているのかね? 愚鈍の極みだ。こんな低俗な案件のために私の研究時間を削がれるとは、万死に値するよ」
「僕はむしろ、そこまで浅ましくなれる人に興味があるな。ぜひ直接会って聞いてみたい。『良心の呵責』が、どのような化学反応を起こすのかをね」
定例会議以外でこの四人が顔を揃えるのは極めて異例だ。ボンドルド、ショウ・タッカー、涅マユリ、そしてフェイスレス。各々が独自の、そして禁忌に触れる医療技術を持つ。彼らはオラリオが誇るべき「天才」であり、同時に触れる者すべてを滅ぼす「天災」でもあった。その危険性は、主神アスクレピオスですら「手に負えぬ」と太鼓判を押すほどに。
現在、闇市を含め”賢者の石”が流通した形跡はない。犯人が未だにそれを抱え込み、息を潜めている可能性は高い。だが、売り手も買い手も命懸けの代物だ。確固たるコネクションと国外逃亡の算段がなければ、その石は手にした瞬間に『死の宣告』へと変わる。
単に死ぬだけならば、それは慈悲に等しい。
だが、「ただ死ぬ」だけで済ませないのが彼らの流儀だ。医療系ファミリアとして、貴重な検体を簡単に廃棄することは資源の無駄遣いに他ならない。よって、地下の実験場で「清算」が終わるまで、その命の最後の一滴までを研究に捧げてもらうことが全会一致で決定した。
犯人確保のため、各々が行動を開始した。
犯人探索にダンジョンへボンドルドが動く。
犯人探索にオラリオの街中へショウ・タッカーが動く。
犯人探索に闇派閥との調整へ涅・マユリが動く。
犯人探索にギルドとの調整へフェイスレスが動く。
未成年の子供に手を出した罪は決して軽くはない。
………
……
…
その頃、ベル・クラネルはリリルカ・アーデというサポーターの少女と縁を結んでいた。彼女の背負った悲惨な境遇に、かつての自分を重ね合わせる。裏切られてもなお、彼女の瞳の奥に助けを求める光を見出そうとするベルの善性は、この弱肉強食の都市においてあまりにも異質で、危うい輝きを放っていた。
めぐり合う神が悪かったせいで、今の状況になっている。だから、ヘスティア・ファミリアに移籍すれば全て解決すると彼は本気で思っていた。部分的には正しいだろう。だが、移籍した所で過去の罪が清算される訳では決してない。
善性の塊であるベル・クラネルは、それでも彼女に手を差し伸べた。救いたいと本気で思っている。例え、何度騙されたとしても彼女の手を取り救いたいと。
リリルカ・アーデは、これまで己の容姿や立ち回りを武器に、幾多の冒険者を「再起不能」にしてきた自負がある。だが、今、目の前の少年の濁りのない善意に、彼女自身の「良心」という名の古い回路が予期せぬ化学反応を起こしつつあった。世界が彼女に理不尽を強いたのに対し、ベル・クラネルという理不尽なまでの優しさが、彼女の閉ざされた心へ土足で踏み込んでいく。
そんな美少女サポーターに言われるがままに、ダンジョンの10Fまでやってきたベル・クラネル。彼のステータスならば、十分戦える場所になっている。冒険者として異次元の成長を見せる彼は、次々と強敵を薙ぎ払いまさに偉業を溜めていくばかりだ。
「おやおや、事前情報通りサポーターとしての実力は申し分なさそうですね。しかし、”賢者の石”は、持ち合わせていませんでしたか。少しお話をする必要がありそうですね。それにしても、ベル・クラネルは裏切られたというのにまだ彼女を信じている様子……主神からあまり手を出すなと言われましたが、このまま死なれては望まぬ結果でしょう。あちらの彼女は気が付いているようですから、敵意がない事を示すためにも姿を見せる必要がありますか」
10階層の岩壁に、重力を無視して音もなく貼り付いている漆黒の影――ボンドルド。彼の手首に備わった遺物武装『月に触れる(フォーカレス)』から放たれる粘着性の糸は、獲物を絡め取る蜘蛛の網。大型モンスターすら容易に吊り下げるその拘束力は、ボンドルドにとって、効率的かつ冷徹な三次元移動の手段に過ぎなかった。
音もなく地面に降り立ったボンドルドは、探索中であったアイズ・ヴァレンシュタインと対峙する。戦う意思がないことを示すように、彼は彼女の歩調に合わせ、静かにその隣を歩き始めた。
「プルシュカと同じだね」
「娘の兵装は私が作っています」
人との会話を不得手とするアイズだったが、ボンドルドの仮面から漏れる言葉は、不思議と彼女の脳内に直接染み渡るような明瞭さを持っていた。アイズが剣を閃かせ、舞うようにモンスターを断つ傍らで、ボンドルドは遺物兵装の質量をもって、襲いくる異形を無慈悲に粉砕していく。
「子供をダンジョンに行かせるのは危ない」
「『可愛い子には旅をさせよ』という言葉がありますが、私はそれ以上に『備え』を重視します。可能な限りの安全策を講じ、装備には持てる技術の粋を尽くしていますよ。親としての務めですから」
粉砕されたモンスターの残骸を一瞥し、アイズの中に一つの違和感が芽生えた。確かに、純粋な技量や武装の威力で押し通すことは可能だ。だが、この奇抜な装束を纏った男については、ロキ・ファミリアでも情報が回っていた。『レベル1、ステイタス未更新』。つまり、数値上は生まれたての雛と同じはずなのだ。
「今、どうやって殺したの?」
「『千人楔』という遺物兵装を身体に埋め込んでいます。常人でも、複数個埋め込めばそれなりの力をその身に宿すことができる。そう、初期ステータスの私であっても、10階層のモンスターを素手で殴り殺せるほどに」
「欲しい。いくら?」
「残念ながら非売品です。それに、これを使うには適合する特定のスキルが必要不可欠ですので、貴方には使いこなせない代物ですよ」
ボンドルドの武装群を十全に機能させるには、娘のプルシュカと同様、『アビス』に関連する特殊なレアスキルが必要となる。そんな浮世離れした会話を交わすうちに、ベルを包囲していたモンスターの群れはいつの間にか掃討されていた。
ナイフを持って逃走したリリルカを追うべく、ベルは大急ぎで階層の奥へと消えていった。ボンドルドもそれを追うべきであったが、隣でじっと、期待に満ちた(あるいは飢えた)眼差しを向けてくるアイズを無視することはできなかった。
「”豚汁”美味しかったって聞いた。私食べてない」
「それは光栄ですね。子供たちに料理を教える身として、その言葉は至上の喜びです。……ですが、あいにく今は手持ちの食材がありませんよ」
無言の圧力。高レベル冒険者が低レベル冒険者にカツアゲする悪い事例だ。
「本当に?」
「……おやおや。そこまで言われては断れませんね。些か刺激的な見た目の食材でよろしければ、今ここで調達しましょう」
ボンドルドは淀みのない所作で水辺へと歩を進め、迷いなくその右腕を深々と沈めた。飛沫すら上げぬ、恐ろしいほどに静かな挙動。直後、彼が引き揚げた「それ」を目にした瞬間、アイズの思考は白く塗りつぶされた。
ボンドルドの掌で蠢いているのは、無数の眼球らしき突起と、ぬらぬらとした半透明の触手が絡み合う、生理的嫌悪を誘う異形。アビスの深層より招かれた珍味『ハマシラマ』である。ドロリとした粘液を滴らせ、心臓のように脈動するその姿は、食材というよりは禁忌の呪物に近い。
「怯える必要はありません。外皮を塩揉みして余分な油を落とせば、中からは宝石のように澄んだ身が現れます。ひとたび口に含めば、脳を揺さぶるほどの芳醇な甘みと潮の香りが広がる……まさに深淵の祝福、至高の逸品ですよ」
仮面越しに漏れるその声は、愛娘に絵本を読み聞かせる父親のように慈愛に満ちていた。しかし、その背後に渦巻く気配は、絶対的な死と狂気が混じり合った濃密な闇。アイズは、本能が鳴らす警鐘と、それを凌駕する食への執着の間で激しく葛藤した。
アイズは、本能が鳴らす警鐘と、それを上回る食への執着の間で激しく葛藤していた。これまでに見たどんなモンスターよりもおぞましい。だというのに、ボンドルドの澱みない確信に満ちた言葉が、彼女の知的好奇心――いや、食欲の深層を刺激する。
「……それ、本当に、美味しいの?」
「えぇ、勿論」
剣姫としての威厳は霧散し、アイズの瞳には抗いがたい期待の光が宿っていた。ボンドルドは満足げに肩を揺らすと、流麗な手捌きで『ハマシラマ』を調理し始める。その異様な光景は、後にアイズが10階層を通るたび、水辺にあの「動く珍味」が潜んでいないか無意識に視線を走らせるようになるという、奇妙な執着の始まりとなった。
「美味しい」
「それは良かったです」
差し出された「それ」を、まるで小動物のように夢中で頬張るアイズ。オラリオ最強の一角が、未知の珍味に骨抜きにされる様子を、ボンドルドはただ静かに見守っていた。
そして、アイズは一つの真理に到達した。この男の持つ遺物兵装や、それらを扱う特殊なスキルさえあれば、ダンジョンは単なる戦場から「無尽蔵の食材庫」へと変貌する。ボンドルドの娘、プルシュカが共にいれば、大規模遠征における食糧事情は劇的に改善され、さらに未知の美味への扉がいつでも開かれることになるのだ。
だが、アイズとて無慈悲ではない。レベル1、しかもステイタス未更新の幼子を中層以下の激戦区へ連れて行く危険性は重々承知している。彼女の中で、食欲と倫理観、そして「強さ」への執着が激しく火花を散らした末、一つの提案を口にした。
「プルシュカのステイタス更新をして」
「お断りします。レベルやステータスなど、所詮は『器』を飾る数値に過ぎません。人は、神の恩恵に縋らずとも、自らの意志と技術で深淵を歩むことができる。それに、現在のプルシュカにとって、ステータス更新はむしろ『成長の阻害』になりかねません」
強さに貪欲なアイズ。レベルアップやステイタス更新が必ず強さに繋がると思い込んでいる。確かに、肉体から魂へ比重を移す事で強くなれるのは事実だ。だからこそ、ボンドルドの物言いに疑問を感じる。
「どういう事?」
「おや、不可解ですか? では、この世界の『経験値(エクセリア)』の仕組みを考えてみてください。レベル1の初心者がミノタウロスを討伐すれば、それは紛れもない『偉業』として莫大な経験値をもたらしますよね?」
アイズが深く頷く。本来、レベル2以上でなければ太刀打ちできない相手を格下が倒す。それこそがランクアップの必須条件だ。
「偉業だね。……あっ」
「察しが良いですね。プルシュカやニーナは、一線級の装備と遺物により、その気になればレベル1のまま中層の魔物を狩り続けている。彼女たちにとっては、出会う敵すべてが『偉業』の対象なのです。神の帳簿(ステイタス)を更新せず、レベル1という『ボーナス期間』を極限まで維持することで、魂に蓄積される経験の純度と密度を限界まで高める。そして、これ以上は器が保たないという瞬間に一気に解放する……。そうすることで、通常の冒険者とは比較にならないほど強固な『基礎値』を持った怪物が誕生するのです。これが、私の提唱する『高効率育成論』ですよ」
「……だから、あの子たちにそんな強力な装備を。最初から、普通の『レベル1』として扱っていないんだ」
「えぇ。これは秘匿事項ですよ? 相応の装備と保護なしに真似をすれば、ただの無謀な自殺志願者を増やすだけですから。彼女たちは、私が用意した最高の環境で、最高の経験を積み上げている最中なのです」
アイズの中でボンドルドの頼れる度合いが、急上昇する。
「それだと、貴方は何年ステイタス更新してないの? さっきのモンスターを倒したのだって偉業に…」
「
20年。神の力に頼らず、ただ自らの狂気と探究心だけで積み上げた歳月。アイズは、自分ならその果てしない停滞に耐えられず、どこかで妥協してしまっただろうと確信した。目の前の男が立っているのは、数値では測りきれない、自制と献身の果てにある「深淵」。ボンドルドは、アイズの戸惑いすら慈しむように、静かに、どこまでも穏やかに微笑んだ。
リリルカ・アーデさんは、ソーマ・ファミリア所属。
非営利の医療系ファミリアであるアスクレピオス・ファミリアとの戦争勃発だ。
明日は仕事なので、更新予定がありませぬ。
久しくお待ちください。
PS:ダンまち視聴しながら執筆を進行中。