ダンジョンに愛を求めるのは間違っているだろうか 作:新グロモント
鉄の仮面を被った男、ボンドルドは、物陰からベル・クラネルとリリルカ・アーデを凝視していた。アイズ・ヴァレンシュタインと離別した後、彼は微かな音すら立てず二人を追跡し、この惨劇の跡へと辿り着いた。辺りには無数の魔石が星屑のように散らばり、凄絶な死闘の余韻を漂わせている。その傍らには、無惨にも命を落とした冒険者たちが、最早その名も知れぬ肉塊となって転がっていた。
遺体に刻まれた裂傷から、モンスターが直接の死因であることは疑いようもない。だが、その引き金を引いたのが目の前の少年たちであったとしても、狂気渦巻くこの迷宮においては何ら不思議なことではないのだ。
「これは困りましたね。主神より、彼に手を出すことは禁じられました。……彼からリリルカ・アーデが離れる隙がなければ、確保は難しい。やはり君は神に愛されている、ベル・クラネル」
事実、少年は神々に愛され過ぎていた。ボンドルドはこの結果に、納得の溜息を漏らすしかなかった。
ソーマ・ファミリア所属、リリルカ・アーデ。非常に皮肉なことに、彼女が地上へ帰還を果たす頃には、もはや帰るべき場所は消失しているだろう。“賢者の石”の件を皮切りに、ファミリアが積み上げてきた悪行の数々が白日の下に晒されたのだ。それはもはや闇派閥と呼ぶに相応しい惨状であり、主神は団員の行動に関心すら持たない。
団員たちは、完成品のソーマを手に入れる為、悪行で金銭を稼ぐ。その結果、毒酒によって壊され、中毒の泥沼に沈んでいた。この負のループから抜ける事はできない。
下界の人間を子供と呼び、慈しむべき立場にある神の派閥が、決して踏み越えてはならない一線を越えていた。
「私もソーマ・ファミリアの方に足を運びたかったのですが、残念です。後で回収品を確認するだけで満足することにしましょう」
リリルカの元にギルドの討伐隊が現れなかった理由は明白であった。一介のサポーターの末路など、現在進行形で起きている国家規模の激動に比べれば、塵芥にも等しいからだ。彼女は“賢者の石”を切り札に退団を願い出ていたが、酒造りの佳境という名目のもと、その処理は組織の崩壊を待つかのように先送りされていた。
つまり、酒造りファミリアの皮を被った闇派閥の手に、“賢者の石”が渡ったという事実。これにより、ソーマ・ファミリア掃討作戦が電撃的に開始された。ギルドの強権発動により、一級冒険者を抱える各派閥から、大義のためなら人殺しすら厭わぬ精鋭たちが駆り出されていた。
無償で動く者などこの街にはいない。ギルドは「2000万ヴァリス」という破格の報奨金を提示した。主神以外の皆殺しを命じられた執行者たちが、獲物を求めて解き放たれる。主神ソーマはアスクレピオス・ファミリアでの奉仕活動という名の管理下に置かれることになった。不変の特性を持つ神が合法的、かつ手近に手に入る好機に、四院長が狂喜乱舞したのは言うまでもない。
………
……
…
一方のベル・クラネルは、リリルカ・アーデの無事を心底から喜び、二人でダンジョン脱出の路を急いでいた。道中、襲い来るモンスターをベルは圧倒的な力で蹂躙していく。中層でも十分に通用する彼のステイタスは、迫る脅威を片手間になぎ払い、守られるリリルカの彼への好感度は既に限界を突破していた。
ダンジョンに出会いを求めているのかと問いたくなるほど、彼は王道の主人公を演じていた。
だが、そんな甘い時間は終焉を迎えようとしていた。
ダンジョンの外では、アドバイザーのエイナ・チュールが殺気すら孕んだ表情で待ち構えていた。彼女は二人を強引に引っ張り、ギルドの奥深くへと移送する。何が起きたか掴めぬ二人は、ダンジョンでの騒動がギルドに伝わり、心配してくれたのだと能天気な勘違いをしていた。
足早に応接室へと向かうエイナは、歩みを止めぬまま、氷のような声で説明を開始した。
「エイナさん、一体どうしたんですか」
「それはこっちのセリフよ! はぁ……もう、どうしてこうなるの。ベルさん、今あなたの立場は絶望的に危ういわ。いい、基本的にあなたは聞かれたことにだけ答えて。それから、そのソーマ・ファミリアの子とは単なるサポーターと冒険者の関係、それ以上の深い繋がりはないと言い張りなさい。分かったわね」
「べ、ベル様。この人、怖いです……」
エイナ・チュールの瞳には、かつての慈愛は欠片もなかった。親の仇を射抜くような冷徹な視線が、リリルカの喉元に突きつけられる。ギルド職員として事態の核心を握る彼女は、愛弟子とも呼べるベルがこの泥沼に足を踏み入れていると知った瞬間、全身を焼くような焦燥に駆られた。彼女が掴んだ現実は、想像を絶するほどに残酷なものだった。
現在、正義の名の下にソーマ・ファミリアへの強襲が行われている。だがその実態は、“賢者の石”の奪還を建前に、合法的に人殺しを楽しもうとする狂人たちの宴だった。モンスターを討つより、人を殺める方が経験値は遥かに溜まる。
一歩間違えれば、ベルもその狂気の刃の標的になりかねない。生き残る唯一の道は、ソーマ・ファミリアとの縁を完全に断絶することだけだった。
「あなたはまだ状況が理解できていないようね。ソーマ・ファミリアは闇派閥として解体されることが決定したわ。今この瞬間も、拠点は潰されている。貴方が偶然ダンジョンにいたのは、幸運としか言いようがないわね」
「確かに、うちの者たちはソーマのためなら犯罪も厭わない人たちばかりです。報酬を掠め取る、サポーターを囮にする、ソーマ中毒者にして金をむしり取る、冒険者志望者を人買いに売る……でも、それくらいちょっとした悪事ですよね」
あまりに崩壊した倫理観の吐露に、エイナは言葉を失った。その背筋を、理解し難い異質さへの根源的な恐怖が走り抜ける。教育こそが重要と言われる所以がここにある。周囲が当たり前に行う悪行を、少し行儀が悪い程度の認識で済ませてしまっている。当然ながら、リリルカが口にした卑劣な行為の多くは、彼女自身も生き残るために手を染めてきたことだった。それは、生存のための絶対条件だったのだ。
レベルアップやステイタス更新では、倫理観や知性は向上しない。力だけが肥大化し、内面が置き去りにされる欠陥システム。今すぐにでも神たちは、この「恩恵(ファルナ)」に手を入れるべきだった。
「ベルさん、私は前から言っていたわよね。彼女とは距離を置くべきだと。警告したはずよ……」
「うっ……エイナさん、ごめん」
過去は変えられない。事態は既に最悪の局面を迎えていた。目的地である重厚な扉が開かれる。そこには椅子に座って頭を抱えるヘスティアと、その対面で悠然と沈黙を守る不気味な鉄仮面の男――ボンドルドが待ち構えていた。
机に置かれた請求書。“賢者の石”の捜索費用と諸々の迷惑料を含め、そこには「8,500万ヴァリス」という天文学的な数字が記されている。ボンドルドは指先で机を一定のリズムで叩きながら、仮面の奥の視線をベルに向けた。
「おやおや、随分と遅いお帰りですね。そのおかげで、ヘスティア様とは久しぶりにじっくり会話が出来ました。あまり主神を待たせるのは感心しませんよ、ベル・クラネル君、リリルカ・アーデさん」
「ベ、ベルくぅーーーん! 君ってやつは、どうしてこうも厄介な女ばかり引っ掛けてくるんだ! このボクという者がありながら! どこの馬の骨とも知れないサポーターに鼻の下を伸ばしたせいで、こっちは大惨事なんだぞ!」
リリルカ・アーデと接点のある冒険者は徹底的な洗礼を受けた。筆頭候補のベル・クラネルも例外ではない。彼の拠点は床板一枚に至るまで暴かれ、その間、ヘスティアも安全確保の名目でギルドに軟禁されていた。
ニーナ・タッカーから盗まれた“賢者の石”。その泥棒の主犯と共にいた少年。その異常な成長速度。これらを結びつけ、ベルが希少アイテムによって不当な力を得たのではないかと疑う者も少なくなかった。
ヘスティアの内心において、リリルカ・アーデなどニーナ・タッカーの足元にも及ばない。健気に手伝いをしてくれる可愛い子供から物を奪うなど、温厚な彼女であっても許し難い暴挙だ。
「ヘスティア様。こちらも忙しい身です。ベル・クラネル君の意思も尊重し、二つの道を用意しました。1つ目は、リリルカ・アーデなど知らないと切り捨てること。そうなれば賠償金は関係ない。君たちはいつも通りの日常に戻れる。2つ目は、彼女をヘスティア・ファミリアの眷属として迎え入れること。その場合、賠償金を全て背負って頂きます。彼女以外のソーマ・ファミリアは、全て消えますので、大丈夫でしょう」
「それって、後者にメリットがないじゃないか!!」
その通りだ。誰が好んで、歩く時限爆弾と天文学的な負債を同時に抱え込むというのか。前者を選び、リリルカを切り捨てれば、ベルの日常は守られる。だが、それはベル・クラネルという少年の魂を否定することに他ならなかった。彼は、損得という秤で命を測る人間ではない。
「神様。少しだけ我儘を言わせてください。僕は、リリを助けたい。だって、めぐりあわせが悪いだけで不幸になるなんてつらいじゃないですか。僕も神様に拾われなかったら同じ道をたどっていたかもしれない。だから、僕が助けられる人は助けたいんです」
「……なんて立派なんだ、ベル君。その言葉が、このタイミングでなかったら僕は泣いて喜んでいたよ。はぁ、惚れた弱みって辛いな。ボンドルド君、僕たち知らない仲じゃない。利息無しの分割払いでどうだい」
「おや。それだと、アスクレピオス・ファミリアに何のメリットもありません。出せるカードがない交渉ならば、受けられませんね。それに、ヘファイストス様に個人的な多額の借金があるはずです。それを合わせたら、我々にいつ返せるのですか?」
ヘスティアは、ヘファイストスの所に居候していたが怠惰すぎて追い出された過去がある。その後、炊き出しや孤児院を運営するアスクレピオス・ファミリアに世話になっていた時期があった。当然、裏ではヘファイストスが仕込んでいた。人に騙されやすい神友を案じ、面倒を見て欲しいと。そして、人がどれほど恐ろしいかを伝えるために一芝居打ったのが、例の『君のような勘のいい神様は嫌いだよ』事件だ。
当然、裏ではヘファイストスが仕込んでいた。人に騙されやすい神友が心配とのことで、面倒を見て欲しいと。そして、人がどれほど恐ろしいものが伝えるために、一芝居うったのが、例の『君のような勘のいい神様は嫌いだよ』事件だ。
「ぐぬぬぬ、じゃあどうしたいんだい。どうせ、君たちのことだ。本当の目的はお金じゃないんだろう」
「ヘファイストス様、ディオニュソス様、ミアハ様。この3神に口利き頂きたい。そして、彼らの最高の技術を我々の前で披露し、教授してもらえるように頼んで欲しいのです。もちろん、相応の対価は支払います。金では動かない彼らであっても、神友である貴方の頼みならば、その限りではないでしょう」
鍛冶、錬金、薬を司る神々。下界では神の力は禁じられているが、彼らはその技術力だけで、スキルを持つ冒険者の高みを凌駕する。それは即ち、下界で神が行う奇跡は、スキルを持たぬ人間でも再現し得るという証明だ。アスクレピオスの秘奥にまで片足を突っ込んでいる院長たち。彼らの底知れぬ知識欲は、止まることを知らない。
「……絶妙に僕が本気で頼み込めば、教えてくれそうな神を選ぶね。うーーーん」
「ヘスティア様、よく考えてください。神の技術が簡単に模倣できるはずもありません。ですが、一人の人間として神がどれほど高みに居るのかを知るのは罪でしょうか。それに、我々のような若輩者が盗み取れる程度の低い技術だとでも? それならば、申し訳ないことをしました」
「言ってくれるじゃないか、ボンドルド君。ボクの神友の技術力が低いだって? 目に物を見せてあげようじゃないか……僕の神友たちが!」
ファミリアの主神として、上手にこの場を纏めたと思っているヘスティア。だが、それでいい。お互い満足いく結果になってこそ良い取引だったと言える。
ヘスティアは、自己肯定感を高める。
ベル・クラネルは、リリルカ・アーデを救い。
リリルカ・アーデは、ヘスティア・ファミリアに拾われる。
ヘスティア・ファミリアとしては、莫大な賠償金が消え去るだけでなく臨時収入まで手に入る。
ベル君を幸せにするんだ!!
まだストーリーは崩壊していないはずだ。大丈夫。