ダンジョンに愛を求めるのは間違っているだろうか 作:新グロモント
迷宮都市オラリオにおいて、無償の愛を提供する「見境なき医師団」として名を馳せるアスクレピオス・ファミリア。その院長たちが自ら赴く無料回診が、今や都市の風物詩となっていた。スラム街の淀んだ空気から、歓楽街の喧騒、ギルドの厳格な廊下、そして活気溢れる商業街に至るまで、彼らの行く先々から消えていく。
一箇所で集中して行えば、たちまち人で溢れかえり暴動すら起きかねない。さらに言えば、地域ごとの「縄張り意識」も無視できない問題だ。住み分けを重んじる住人たちにとって、別の区画から余所者が流れ込んでくるのは、決して好ましい事態ではない。
彼らは病気や疫病の兆候をいち早く察知し、未然に防ぐ防波堤としての役割を完璧に遂行していた。鳥の嘴のようなマスクに黒いローブという、いささか胡散臭い——あるいは不気味とも言える異様な風体には目をつむれば、そこにあるのは世界最高峰の医術による無料検診と治療だ。都市の住人たちからの歓迎の声は、日増しに大きくなっていた。
回診先に明確な決まりはない。だが、セカンドオピニオンの重要性と情報の偏りを防ぐ観点から、毎回違う場所をそれぞれ分担するのが彼らの鉄則だった。そして今回、ボンドルドが担当する持ち回りは、欲望と享楽が渦巻く巨大な歓楽街「夜の街」であった。
数多の娼婦たちが身を寄せるこの地で、診察場所として広大なホームの玄関口を快く提供したのは【イシュタル・ファミリア】だ。白日の下、本来なら休息の時間であるはずの娼婦たちが、自らの健康を確かめるために色とりどりの衣装を揺らしながら長蛇の列をなしている。
診察は実に多岐にわたる。一般的な問診に始まり、熟練の指先による丁寧な触診、未知の遺物を用いた迅速な血液検査、そして細やかな歯科検診。さらには、この街の職業病ともいえる性感染症の有無を調べる高度な検査が、ボンドルドの厳格な管理下で淡々と進められていく。
ボンドルド率いる「祈手(アンブラハンズ)」たちも総出で当たり、数十人単位の患者を同時並行で捌いていく様は、まさに効率化の極致とも言える流れ作業であった。
「あぁぁっ! ぎ、ぎゃああああ!」
例えば、歯科検診で虫歯が見つかれば最後、拷問器具も真っ青な固定式の診察台に拘束され、即座に根管治療が開始される。歴戦の冒険者ですら、無慈悲に唸りを上げるドリルが歯を抉る痛みには抗えず、悶絶し、喉が枯れるほどの悲鳴を上げる。だが、美貌こそが命であり、身体こそが唯一の商売道具である彼女たちにとって、その劇薬のような痛みは再生への対価に過ぎない。この地獄を耐え抜けば、再び最高の状態で「仕事」に臨めるのだから。
かつて、【イシュタル・ファミリア】の幹部であるフリュネ・ジャミールが、麻酔なしでの虫歯治療を表情一つ変えずに完遂したという逸話がある。その際、彼女の「耐久」ステイタスが異常な上昇を見せたことから、戦闘娼婦(バーベラ)たちの間では「麻酔に頼るのは軟弱者の証」という、いささか歪んだ根性論が定着してしまっていた。
「おやおや、あちらのアイシャさんは麻酔なしで親知らずを抜いていますね。素晴らしい気合ですが……。プルシュカ、あれは悪い例ですから決して真似してはいけませんよ。麻酔は文明の利器、決して恥ずべきものではありません」
「勿論、分かっているわよ。パパ、あっちのお姉さんたちが呼んでいるからプルシュカちょっといってくるね」
Lv.3の二つ名持ち(ネームド)、アイシャ・ベルカ。彼女は一族の矜持と自らの胆力を示すため、あえて過酷な無麻酔治療を志願していた。脂汗を流し、苦痛に顔を歪ませながらも、唇を噛み締め悲鳴を一切漏らさないその姿は、確かに戦士としての気高さに満ちている。
極限の苦痛が彼女の潜在能力を叩き起こしたのか、その全身からは金色の薄いオーラのような魔力が立ち上っている。それは、まるで一時的にランクアップしたかのような驚異的な「耐久」の輝きであった。
その光輝の正体が「レベルブースト」であることを、ボンドルドはまだ知らない。彼女はこの苦行に備え、事前に希少な支援魔法を自身に掛けてきていたのだ。まさしく、魔法の贅沢かつ間違った使い方であった。
一方、無事に診察を終えた娼婦たちは、父の傍らで健気に働くプルシュカを囲み、寄ってたかって可愛がっていた。「健気に頑張る子供の冒険者」という噂は、枕元の世間話として既に歓楽街に広まっており、彼女を知る者も多い。プルシュカは赤くなりながらも、姉のような娼婦たちに弄ばれ、笑顔を振りまいていた。
………
……
…
しかし、華やかな喧騒の裏で、この業界は常に深刻な衛生問題を抱えている。
特に深刻なのが、種族固有の疾患だ。例えば人狼(ウェアウルフ)の娼婦であれば、狂犬病対策のワクチン接種は必須事項。知識のない違法な娼婦たちが、自身が保菌者(キャリア)である自覚を持たぬまま客を取り、相手を不慮の死に至らしめるという悲劇は、この界隈では決して珍しい話ではなかった。
ボンドルドが次の患者を診察室に呼び込んだ。
「あの~、よろしくお願いいたします。お医者様」
「おや。狐人の方とは珍しいですね。そういった話は、他の者からも聞いていません。初診で間違いありませんか」
問診、触診、口腔内の確認。さらには時間をかけて微細な成分まで見逃さない血液検査。希少な狐人の症例を前に、ボンドルドの診察はいつになく執拗で、そして丁寧を極めていた。これが未知の医術的発見に繋がる可能性を考慮してのことだ。だが、期待に反して、彼女の身体から入院を要するような致命的な疾患が見つかることはなかった。
しかし、種族特有の問題はやはり残っていた。
「健康だと言っていただけて安心しました。……ですが先生、一つだけ、どうしても気になることがあるのです。私を買ってくださった旦那様たちが、皆、数日もしないうちに激しい体調不良を訴えられるのです。中には、それきり戻ってこられない方も……」
「……なるほど。『エキノコックス』で間違いありませんね。最近、『エキノコックス』患者が我々の医療院に運び込まれることが何度かありました。失礼ですが、その客たちの名前を分かる範囲で教えていただけますか? 我々の記録と照合すれば、因果関係ははっきりします」
運ばれてくる患者の多くは、原因に心当たりがあっても「娼婦から病を移された」という不名誉を隠すため、決して口を割ろうとしない。だが、ボンドルドはそれ以上追求しない。
「旦那様たちの名前は分かりません。皆さん、偽名を使われますので……。あの、その『エキノコックス』というのは何なのですか? やはり、私が……私が何か悪い病気を持っているのでしょうか?」
「端的に言えば、あなたの体内に潜む寄生虫が、他種族にとっての毒となっているのです。これは種族的な特性、いわば相性の問題であり、あなたが悪いわけではありません。希少な狐人であるがゆえの悲劇といえます。薬を処方しておきましょう。寄生虫が完全に排出されるまで、同性異性問わず粘膜接触は厳禁です。この件は私からイシュタル様にも進言しておきます。ところで、あなたのお名前は?」
春姫。彼女はそう名乗った。
◆◇◆◇
一方、それから数日後のダンジョン。5Fの中枢でいつも通り探索を続けていたプルシュカとニーナは、前方から血相を変えて走ってくる冒険者の一団に遭遇した。彼らは二人とすれ違う際、一瞬だけ罪悪感に苛まれたように視線を逸らし、脱兎のごとく地上へと駆け抜けていく。
その不自然な挙動だけで、二人は全てを察した。怪物進呈(パス・パレード)――モンスターを他人に押し付けて逃げる、冒険者の禁忌。だが、本来この5層に、そこまでの恐怖を抱かせる魔物は存在しないはずだった。不穏な地響きが、迷宮の壁を震わせる。
「もう、嫌になっちゃうわね。パパたちに言われて、しっかり『商売』の仁義を通していたつもりだったのに。ねえ、ニーナちゃん」
「……プルシュカちゃん。来るよ、すごく強いのが」
盾を構えるプルシュカの役割は明確だ。命に代えても後衛のニーナを死守すること。ニーナの魔法という「絶対的な殲滅力」を叩き込まない限り、この窮地を脱する術はない。
通路の奥から姿を現したのは、見るも悍ましい「強化種ミノタウロス」であった。本来、それはフレイヤ・ファミリアがベル・クラネルの試練として用意した駒の一つ. 最強の冒険者オッタルによる厳格な誘導下にあるはずの「災厄」だった。
だが、あろうことかオッタルが厠(かわや)へと立ち去った、そのわずかな隙を突いてミノタウロスが暴走。導かれるように、この5層へと迷い込んでいたのだ。
「強化種ミノタウロス!? なんでこんなモンスターがここに……! ニーナちゃんだけ逃がしても、道中で他のモンスターに挟まれたらおしまいね。ここでやるしかないわ!」
「プルシュカちゃん、20秒……20秒だけ耐えて! 完全詠唱に『賢者の石』を最大稼働させてブーストをかける。それで、多分いけるから!」
巨躯を揺らし迫る暴力の化身と、小さな子供たち。Lv.1の初期ステータスなど、その咆哮一つで吹き飛びかねない微々たるものだ。だが、彼女たちは生き残ってきた。その身体には不相応なほど強力な、深淵の装備を身に纏っても最弱の冒険者であるという事実は変わらない。
ゆえに、相手が強化種であろうと、やるべきことはいつもと同じだ。倒さねば、死ぬ。ただ、それだけ。
「パパたちに無理をいって冒険者をやっているんだから、プルシュカ達は負けないんだから!!」
………
……
…
後に厠から戻り、戦場の跡地で変わり果てた強化種ミノタウロスを見つけた時、オッタルは戦慄することになる。レベルやスキルといった「神の恩恵(ファルナ)」など、所詮は飾りに過ぎないのだと、彼は思い知らされることになる。
「戦闘が成り立っている。これでは、新しい獲物が必要か」
強化種ミノタウロスの猛攻を防ぐプルシュカは、その凄まじい反動で吹き飛ばされる。だが、腕に仕込んだ遺物「月に触れる(フォーカレス)」を即座に起動。反動を殺すどころか、それを推進力へと変換して再び正面から突っ込む。
並の武器では、彼女たちの両親が手掛けた二人の装備を破壊する事など叶わない。圧倒的な装備スペックで格上の暴力を受け流し、自身の非力さを「隙のなさ」という武器に変える戦い方。さらにプルシュカは、父から与えられたエリクサーを惜しみなく服用し、即死ダメージでない限りゾンビのように立ち上がり続けた。
ボンドルドがカッショウガシラより抽出して生成した毒武器でチクチクと確実にダメージを蓄積させ、ニーナがレベル2相当に匹敵する火魔法で焼き尽くした。
強化種ミノタウロスが魔石に変えられるのを確認して、オッタルは足早にそこを去っていく。フレイヤの神命を果たすため、次なるミノタウロスを探しに向かう。
オッタルさん、ソロでダンジョンに潜る弊害に気が付くの巻。
アニメで言いうと8話あたりのお話です。