男だけが夜魔に狙われる世界で、夜魔と契約した少年が王になる話 作:mowさん
適当に書き進めていたオリジナル小説を供養
ちょくちょく更新していきます
人生が一変した、なんて。
言葉ではよく聞くけれど、実際に体験する人間は極稀だと思う。
俺だって、そんな体験するはずがないと思っていた。
―あの日までは。
極限まで引き伸ばされた時間の中で、花火のように鮮血が爆ぜる。
視界を埋め尽くす赤の中で、銀色が微かに揺れた。
あの日―。
死ぬはずだった俺を庇い、命を救ったのは。
人類の大敵であるはずの"夜魔"だった。
ーーー
「…んあ」
カーテンの隙間から差し込む朝日と、鳴り響く目覚ましの音。それらが、いつも通りの一日が始まったことを告げる。
「はあ〜」
朝が来てしまったことに深い深い溜息を零しながら、寝たいと叫んでいる体を無理やり叩き起こした。
重い体を引きずって、のそのそと身支度をしていると、扉からノック音とともに姉の声が聞こえてくる。
「藍世。まだ寝てるの?」
「起きてる。今行く」
丁度制服に着替え終えた俺は、リビングへと繋がる自室の扉を開いた。
「ご飯できてるよ。あ、食べる前に顔洗ってきてよ」
「わかってるよ」
キッチンでいそいそと動くスーツ姿の姉の声に従い、洗面所でバシャバシャと顔を洗う。
再びLDKに戻ると、既に姉が4人掛けのダイニングテーブルに並ぶ椅子に腰掛けていた。
欠伸をしながら、姉の対面の席に座る。
「早く食べなさい。遅刻するよ」
「うい」
テーブルに並ぶ朝食に舌鼓を打っていると、姉が焼き魚をつつきながら言う。
「今日は遅くなるんでしょ?」
「うん。文化祭の準備」
「何時くらいまでやるの?」
「文実が日没前には終わらせるって言ってたし、18時くらいじゃね」
「そう。じゃあちゃんと彩羽ちゃんと…あ」
姉は思い出したかのように言葉を止めた。
「そういえばあの子、今日は研修日だったわね」
「あ、そう。じゃあ―」
適当に帰ってくるわ。
そう言いかけた俺の末尾を奪って、姉が口を開く。
「じゃあ、終わったら連絡頂戴、迎えに行くから。絶対1人で帰っちゃダメよ」
「は、いや、別にいいって。姉ちゃんだって仕事あるでしょ。学校なんてすぐそこだし大丈夫だって」
「何言ってんの、ダメに決まってるでしょ。アンタ、昨日のニュース見てないの?」
「見てねえ」
「はあ…まったく。これ、見なさい」
姉がスマホの画面を操作すると、昨日のニュース記事を表示させてこちらへと見せつけてくる。
記事には、隣の地区の男性が夜魔に襲われ死亡した旨が記されていた。
「他人事だと思わないで。明日は我が身よ」
姉は真剣な表情で告げると、スマホをしまって続ける。
「とにかく、学校で待ってなさい。もし警報が出たらすぐ地下シェルターに避難するのよ。いい?」
「いや…」
「分かったよね?」
「……わかったよ」
凄まじい圧に押され、静かに頷く。
ちょっと怖いくらいだが、唯一の肉親を心配する気持ちは痛いほど伝わってきた。
「ごちそうさま」
いつの間にか、姉は食事を終えていた。相変わらずの早食いに、本当に噛んでんのか?と聞きたくなるほどだ。
今年もう25だろ。胃もたれとか大丈夫かよ。
「じゃあ私、シャワー浴びて寝るから。さっき言ったこと守ってよ」
「はいよ」
「じゃ、気を付けてね」
バタバタと忙しなく食器を片付けて、姉は浴室へと向かっていく。
それを見送り、再び朝食に箸を伸ばした。
ーーー
片道徒歩10分。
それが自宅と学校の距離だ。
自宅のマンションは駅前の好立地ということもあり、エントランスを出た先の通りには通勤・通学のため足早に歩く女性たちが多く見える。
そう、女性たちだ。男性の姿はほとんど…いや、全くといっていいほど見えない。
「おっはよう~!」
不意に元気な挨拶が聞こえ、背中に柔らかいものが触れた。
上半身を包む暖かい感触に、鼻腔を擽る甘い匂い。相変わらずな挨拶に、俺は思わず溜息を吐く。
「おい、いちいち引っ付くな。暑苦しい」
抱き着いてきた人物を振り解き、そちらに顔を向ける。
俺と同じ制服に身を包んだセミロングの黒髪が、笑顔と共に揺れた。
「へへ、ごめんごめん。おはよう藍世!今日も元気で何より!」
「お前は元気すぎるな、彩羽」
瑞原彩羽。
幼稚園からの幼馴染で、高校の同級生まで続く腐れ縁。幼少期から変わらず距離感が近く、直ぐにベタベタと引っ付いてくる。暑苦しいことこの上ない。
「ことあるごとに引っ付いてくるのをやめろ。次はセクハラで訴えるからな」
「またまた~。いつもそれ言ってるけど、本当に訴えたことなんかないじゃん」
何回目かも分からない脅し文句に返されるのは、何回聞いたか分からないヘラヘラとした返答。
そっちがその気ならいいだろう。俺にも考えがある。
「わかった。じゃあ次は姉ちゃんに言う」
「いやほんと勘弁してもらえませんかね?焼肉奢るんで」
「効きすぎだろ」
あまりにも早い変わり身に、流石の俺もドン引きである。
「弁護士より姉ちゃんのほうが怖いのかよ」
「当たり前じゃん。普段は優しいけど、あの人怒らせたらヤバいよ、ガチで」
「…確かに、すげえ圧を感じる時はあるけど」
「でしょ?仕事中はもっとヤバいから」
珍しく真面目なトーンで言う彩羽。どうやら、職場での姉は本当に凄まじいようだ。
よし…俺もあんま逆らわないでおこう。
「てか、早く行こ。遅刻しちゃうよ」
彩羽と共に、平坦な通学路を歩く。
女性とすれ違う度にチラリと目線を向けられる。だが、その瞳に劣情や好奇心は一切感じない。ただ、恐怖や警戒…といった感情だけが垣間見える。
「相変わらず失礼な目だよね」
隣の彩羽が呆れ半分、怒り半分といった声を上げた。
「大した護衛も無しなんだ。そういう目で見られても仕方ないだろ」
「…ねえ、それが分かってんなら大人しく護送なりしてもらえばいいじゃん。バスなら無料なんだし」
「それは嫌だ」
「はぁ…」
彩羽の口から、呆れたような…諦めたような溜息が零れた。
「全く、相変らず頑固だよね」
「それは自覚してる。…毎朝、護衛の真似事みたいなことさせて悪いな」
「謝るんじゃなくて感謝してよ。私のお陰で舞白さん説得できたんだから」
高校入学から護送バスを拒否し、三日三晩揉めた結果がこれだ。彩羽の言う通り、俺1人では許可は降りていないだろう。
本当、この件に関しては彩羽に頭が上がらない。
「ああ…ありがとな」
「どういたしまして。…って言っても私的には全然苦じゃないけどね。家も近いし、舞白さんの気持ちも分かるし。ぶっちゃけ私も心配だし」
「心配かけてたのか」
「ま、少しね」
「そうか…悪いな」
「あ、また謝ったね。次謝ったら訴えるから」
「バカか?無理に決まってんだろ。何罪だよ」
「え、謝罪」
「……」
渾身のネタが決まったといわんばかりに、クソムカつくドヤ顔を見せる彩羽。あまりのウザさに、先程まで抱えていた陰鬱とした気持ちが吹き飛んだ。
「誰が上手いこと言えっつったよ。あとそのウザい顔をやめろ」
「あ、上手いと思ったんだ?ふふん、私の勝ち。コーヒー牛乳奢りね」
「おいふざけんな。奢んねえからな」
いつもの調子を取り戻し、そんな下らない会話を続けながら通学路を歩いていると、道の先に焦った様子で立ち止まっているスーツ姿の女性が目に入る。
女性は困った表情で周囲を見渡しており、道に迷っているのは誰が見ても明らかだった。
「…悪い、先行っててくれ」
「え?あ、ちょ!待ってよ!」
彩羽に一言告げ、女性の元へと向かう。先に行っててくれと伝えたはずなのだが、彩羽は小走りで俺の後を着いてきた。
「すみません、大丈夫ですか?道に迷っちゃいました?」
俺が声をかけると、スーツ姿の女性はこちらに顔を向け一瞬目を見開く。男が普通に外を歩いているのに驚いている様子だった。
しかし、わざわざその点に触れてくることはなく、申し訳なさそうな表情で事情を説明してくれる。
「あ、はい。実は…この街に来るのは初めてて、道に迷ってしまって…」
「なるほど。ちなみにどちらまで?」
「あ、えっと……ここです」
そう言って差し出してきたスマホの画面に映った地図を確認する。ここから徒歩5分程度の場所だった。
「ここなら知ってるので、良ければ案内しますよ」
「え、いいんですか?…じゃあ、お願いしてもいいですか?」
「もちろん」
女性を連れ立って目的地へと歩き出す。テクテクと歩いていると、隣の彩羽が耳元に口を近づけてくる。
「はぁ…相変わらずお人好しすぎ」
「別にいいだろ、俺の勝手だ」
「まあそうだけど…遅刻したら責任取ってよね」
「は?なんでだよ。先行けっつったろ」
意味分かんねえ。勝手に着いてきたのはお前だろ。
「バカ。アンタ置いて先行ったのが舞白さんにバレたらどうなると思う?ヤバいよマジで」
「…あー……」
そりゃ着いてくるわ。
何だか申し訳なくなり、居た堪れなく頰をかいた。
「あ、ここです」
いつの間にか目的地に到着していたようで。
女性から沢山の感謝の言葉を受け取り、その場を後にする。
時間を見ると遅刻ギリギリ。俺と彩羽は顔を見合せ、同時に口を開いた。
「よし、走るか」
「ったく、走るよ」
全力で地面を駆ける。
当然、俺よりも彩羽の方が走る速度は上。全速力で追走する。
彩羽の背中を気合いで追い続けること数分。ギリギリだが遅刻することなく高校へと到着することができた。昇降口で靴を履き替えて教室へと向かう道中、彩羽が思い出したように口を開く。
「あ、そうだ。研修日だから今日一緒に帰れないや。どうしよう、今日ちょっと遅くなるよね?」
「いや、大丈夫。姉ちゃんが迎えに来るってさ」
「あ、そうなんだ。じゃ安心だね」
「そっちこそ気を付けろよ。最近、夜魔の被害増えてるだろ」
「大丈夫。ちゃんと討魔官の先輩がついてるから。それに私、候補生の中でも将来有望って言われてるんだよ」
笑顔とピースを作りながら、そう宣う彩羽。
以前にも聞いた"将来有望宣言"ではあるが、普段のおちゃらけた様子しか知らない俺からすれば、眉唾な気がしてならない。
「そうは見えないけどな」
「失礼な。見てなよ?卒業して正式な討魔官になったら、藍世のことバッチリ守ったげるから」
「……ああ」
彩羽の言葉に、胸が軋む。
その痛みを誤魔化すため、無理やり口角を上げて笑みを浮かべた。
「そうだな。楽しみにしておくよ」
ーーー
文化祭の準備が終わり、帰宅時間。
さて、言いつけ通り姉に迎えの連絡をしようかとスマホを手に取ると、その姉から数件のメッセージが届いていた。
『ごめんなさい、急な仕事が入って迎えに行けなくなった』
『代わりをお願いしたけど、到着は19時くらいになるらしいから。それまで学校で待っててくれる?』
『絶対、1人で帰っちゃダメよ!いい!?』
「仕事…?珍しいな、こんな時間に」
スマホに表示された時計の時刻は、17:54。
姉の言いつけを守るのであれば、俺はあと1時間も学校で待たなければいけなくなった。
「はあ…まじか」
早く帰りたいが、1人で帰ったら後で姉に何と言われるか分からない。…大人しく待つか。
ポチポチとスマホをタップし『了解』と返信を送る。普段なら仕事中でもすぐ既読が付くのだが、今日は未読のまま。どうやら相当に忙しいらしい。
…あと1時間か。
学校で1時間時間を潰すとなると、存外難しいものがある。例えば、優等生なんかは自習室で勉強をして過ごすんだろうが、俺はそういうタイプではない。
「あ、そうだ」
そこで、時間を潰しやすい場所を1つ思い出した。
階段を上った3階、その廊下をずっと進んだ先。若干ジメっとした空気が漂っている(気がする)校舎の角に存在するのが、目当ての場所たる図書室だ。
少し立て付けの悪い扉を開けて入室すると、図書委員であろう女子生徒が貸出カウンター内で文庫本を読み耽っていた。彼女はこちらを一瞥するも、すぐさま文庫本に目を落とした。
お目当ての本棚へ向かって歩を進める。歩いている間に周りを見渡してみるも、人の気配がない。どうやら、俺以外に利用者はいないようだった。
「お、あったあった」
目的の一画へと到着する。そこには恋愛漫画からバトル漫画まで、古今東西ありとあらゆるジャンルの漫画が詰め込まれた4段の本棚がいくつか存在していた。
人気のない図書室の一画に存在する、知る人ぞ知る秘密のスポットだ。
漫画の大群を前に、ウキウキしながら選定を進めていく。数分の吟味の後に何冊かを手に取ったタイミングで、けたたましいサイレンが鳴り響いた。
『緊急警報。緊急警報』
『こちらは特異災害対策局です。本地区B-8地点において、夜魔の出現を確認しました』
『男性の皆さんは直ぐに、最寄りのシェルターへと避難してください』
『女性の皆さんは出現地点付近には近づかないでください。また、夜魔を見ても刺激せず、直ぐにその場を離れてください』
『繰り返します――』
久しく聞いていなかった警報に、一瞬頭が真っ白になった。思わず手に持っていた漫画を床に落としてしまう。
そんな俺の思考を現実に戻したのは、貸出カウンター内の図書委員だった。
「ちょっと!警報聞こえてないの!?B-8地点っていったら―」
言葉を遮るように、窓の外から大きな破壊音が聞こえた。よほど近くで発生したようで、音の衝撃で窓ガラスがガタガタと音を立てる。
「…っ!話してる暇はないわね。ほら、行くわよ」
図書委員の女子は混乱する俺の手を取ると、女子とは思えない力で俺の手を引き、勢い良く図書室を飛び出した。
名も知らぬ図書委員に手を引かれながら必死に足を動かしていると、ようやく思考がまとまってきた。全力疾走によって上がる息を何とか抑えつつ口を開く。
「…混乱してた。助かった」
「礼なら後。今は逃げることだけ考えて」
「…地下シェルターの入り口は…」
「職員室近くの階段。もうすぐよ」
図書室が3階の西側に位置するのに対し、職員室は1階の東側。真逆の位置関係だが、そこまで遠い距離ではない。
階段を駆け下り、1階へ到着。あとは数十メートル程の廊下を突っ切ればいい。
前を行く女子の背を追うように、必死で足を動かす。廊下の先に職員室…そして、地下シェルターへと続く階段を目視した瞬間。
職員室の壁、廊下の天井、その周辺のすべてが凄まじい勢いで破壊された。
「……!?」
「なっ……!」
大きく開いた壁の穴から現れたのは、体長5メートルは優に超えるであろう巨大さを持つ、虎に似た体躯を持つ夜魔。
黒く象られた全身は、体表から立ち上る湯気のようなもので輪郭が揺らいでいる。しかし、四肢の先にある爪に、長く鋭い漆黒の牙、巨大な体の奥で揺れている刃のような尾。これらの殺傷能力は疑いようもない。
そして、頭部で燃ゆる赤黒い目は…確実に、俺のことを覗いていた。
「っ!…あと少し…!」
図書委員が歯噛みする。
シェルターまではあと十数メートル、10秒…いや5秒もあれば辿り着いたはずだったのだが、今ではその希望は潰えた。
積み上がった瓦礫によって、シェルターに続く階段が塞がってしまっている。この夜魔をやり過ごし、瓦礫を超えてシェルターへ向かうのはどう考えても不可能だ。
「くそ…」
今にも襲い掛かってきそうな夜魔を前に、口の端からそんな言葉が漏れていた。
このままじゃ2人とも―と、そこまで考えたところで、図書委員が静かに告げた。
「貴方は引き返して別のシェルターに逃げて。この近くだと、第二中学校にもシェルターがある」
「は…」
一瞬、思考が止まった。
凍ったように動かない喉から無理矢理言葉を絞り出す。
「…アンタはどうすんだよ!ここに残って…俺を逃がして代わりに死ぬ気かよ!?」
俺の怒声とは対象的に、図書委員は落ち着いた声音で答える。
「死ぬ気?バカ言わないで。私がここに残るのは死ぬためじゃない」
「何言って…危な―ッ!」
俺たちに向けて夜魔が勢いよく襲い掛かってきた。
飛びかかってくる夜魔の爪が体を貫く寸前、図書委員が大きく体を翻し、強烈な回し蹴りを夜魔の側頭部に叩き込んだ。
「え…?」
「あっぶな。いきなり襲い掛かってくんじゃないわよ」
そんなことを呟きながら、図書委員は自らの制服の内ポケットをゴソゴソと漁り出す。数秒後、あったあった、と呟きながら内ポケットから取り出したのは、黒を基調にした手帳。
その表面には、八咫鏡をモチーフにした徽章が記されていた。
「―討魔官候補生、天宮詩音よ」
名乗りを上げた図書委員―改め天宮詩音は俺を一瞥すると、直ぐさま夜魔へと視線を戻す。夜魔は蹴られた衝撃で数メートル後退したものの、依然として鋭い殺意と眼光をこちらへと向けてきている。だが、先程のように迂闊に飛び込んでくることはなく、こちらの様子を見るように唸り声を上げた。
「……候補生だったのか」
二転三転する状況を前にして、何とか声を絞り出す。
この高校に彩羽以外の…2人目の候補生がいるとは知らなかった。
「そう、こう見えてもね。ただ…アンタを守りながら戦う自信はないから。さっさと逃げてくれない?」
夜魔に目を向けたまま、背中越しに告げる天宮。
その背からは、確かな力強さと覚悟を感じる。
―また、守られるのか。
―また、俺には何もできないのか。
心の奥がズキンと痛み、音を立てる。
だが、どんなに心苦しくても、この場で俺にできることは何もない。
「……わかった。頼むから、死なないでくれよ」
俺には、こんな気休めにもならない言葉を吐くことしかできない。自分が嫌になりそうだった。
「アンタは男なんだから、自分の心配だけしてなさい。分かったら早く逃げて」
「ああ…!」
天宮に背を向け、全速で走り出す。
守られてばかりの無力な自分が情けなくて涙が出そうだ。けれど、泣いている暇はない。
靴を履きかえることすらせず、上履きのまま昇降口から外に飛び出し、最寄りのシェルター…第二中学校に続く最短の道のりを、ただ走る。
大通りを突っ切り、住宅街の路地へと足を踏み入れたタイミングで、視界の端に鮮やかな赤を見た。
「なん…だ?」
足を止めそちらを見やると、薄暗い路地裏の細道。小さな街灯の下で、塀にもたれかかる少女の姿があった。
腰まで届く白銀の髪を持つ少女の周囲が、恐ろしいほど真っ赤に染まっているのが遠目から見えた。
―血だ。
踵を返し倒れている少女へと向かう。
そして少女の状態を間近で見て、全身の血の気が引いた。
少女の腹部にある巨大な裂傷、何か鋭い刃物で斬られたような傷口から、夥しいほどの血液が流れ出ている。
「…っ」
目の前で人が死にかけている。
…いや、もう死んでいるかもしれない。
俺は言葉を失って、ただその場に立ち尽くした。
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