男だけが夜魔に狙われる世界で、夜魔と契約した少年が王になる話 作:mowさん
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―死んでいる。
そう確信するには十分な量の出血を前にして、思考が止まる。
何も考えられず、血に沈む少女をただ呆然と眺めていると…僅かに、呼吸音が聞こえた。
―いや、まだ生きている。
「……っ!大丈夫か!?」
我に返り、錆び付いた喉から声を捻り出す。
数度呼びかけを繰り返すと、少女の瞼がゆっくりと開いた。
「……」
血のように赤い瞳が俺を射抜く。吸い込まれるような深紅に、俺は思わず息を呑む。
血に塗れた少女が、咳き込みながら血を吐いた。
「………ゲホッ…ガハッ…」
「…!まずいな、出血が…」
兎にも角にも出血が酷すぎる。何とかしなければ命にかかわるが、医療器具など持ち合わせているわけもない。
数秒どうすべきか悩んだ末の苦肉の策として、着ていたブレザーを脱ぎ少女の傷口に当てる。
「…ッ」
「悪い、痛かったか。もうちょっと我慢してくれ」
傷口に当てたブレザーの袖を少女の腰に回して強く縛って固定し、傷口を圧迫。
だが、こんなもの気休めだ。早く医療施設で本格的な治療を受けさせなければ、この子は死ぬ。
「……お、い…」
「おい、無理して喋るな」
血が流れる口元から微かな声が届く。
俺の忠告を無視し、少女は言葉を続けた。
「…私は、大丈夫だ。無視して、逃げろ……」
「大丈夫な訳ねえだろ。いいから逃げるぞ。立てるか?…って流石に無理だよな。ほら、おぶってやるから乗れ」
そう言って少女に背中を向けるも、一向に動き出す気配がない。
何してんだ、と声を上げようとしたところで、背中越しに少女のか弱い声が届いた。
「なぜ……」
「あ?」
振り向くと、少女は訝し気な表情を見せていた。
「…なぜ、見ず知らずの私を助ける…?お前は……避難の最中だろう……?」
「なぜって……別に大した理由じゃない。それが俺の信念だからだ」
「は……?」
「俺は男だから…今まで散々助けられて、守られてきたんだ。だから俺も、今まで人に助けてもらった分、助けられるやつがいるなら助ける。見ず知らずだろうが関係ねえ。俺だって、見ず知らずの人達に守られて生きてきたんだからな」
「……」
俺の言葉を聞いた少女は、深紅の瞳を大きく見開く。
それを見て想いは伝わったと判断し、再び背中を少女に向けた。
「分かったら早く乗ってくれ」
「……ああ、すまない。手間を、かける…」
少女の軽い体重が背中に乗りかかってきた。ゆっくりと、傷口に負担をかけないように立ち上がり、出来るだけ体を揺らさないよう慎重に歩き出す。
不意に、背負った少女が小さく息を呑んだ。
「……お前は…まさか…」
なんだ?と問いかける間もなく、少女が続けた。
「…いや、なんでもない」
何だか煮え切らない言葉に、意図せず口調が強くなってしまう。
「遠慮すんな。言いたいことあるなら言えよ」
「………名前は?」
「椎名藍世」
「藍世…か」
「いきなり呼び捨てかよ。…お前の名前は?」
「……秘密、だ…」
「おいおい。恥ずかしがり屋…かよ……」
不意に、周囲の雰囲気が変わった。
世界が暗く感じる。まるで、空に薄い膜が張られたかのような―。
「…まずい……」
少女が呟く。
なにが…と疑問を浮かべてすぐに、少女の言葉の意味を理解した。
目の前の空間が歪む。
まるで、ミルクとコーヒーが混ざり合うかのように、空間が…境界が、溶け合っていく。
その異質な歪みから姿を現したのは、朧気な輪郭に包まれた1匹の異形。細長い体躯に、無数の足。至る所に存在する毒々しい棘と、1対の触角を持つ…まるで蜈蚣のような姿をした夜魔だった。
次いで、警報が周囲に鳴り響く。
『緊急警報。緊急警報』
『こちらは特異災害対策局です。本地区A-3地点において、夜魔の出現を確認しました』
『男性の皆さんは直ぐに、最寄りのシェルターへと避難してください』
『女性の皆さんは出現地点付近には近づかないでください。また、夜魔を見ても刺激せず、直ぐにその場を離れてください』
『繰り返します――』
放送が耳に入るが、内容は何も頭に入ってこない。
ただ、乾いた笑いを浮かべることしか出来なかった。
蜈蚣の頭部…触覚の傍にある赤い双眸が俺を捉えた。次の瞬間、鞭のようにしなる体躯から繰り出された攻撃が襲う。
「ッ!」
咄嗟に横に飛びのき、何とか攻撃を回避する。安堵も束の間、夜魔は回避されたことに驚くことすらせず、追撃を構え始めた。
「…おい。私を、降ろせ……」
俺に背負われたままの少女が、息も絶え絶えに口を開いた。
「…ああ。わかった」
少女をゆっくりと地面に降ろすと、安堵したような表情を浮かべた。
「それで…いい。私がこいつを引きつける。その隙にお前だけでも…逃げろ……」
「あ、それは無理」
「は!?」
横たわっていた少女が思いっきり体を起こして目を見開いた。
なんだこいつ。さっきまで死にかけっぽかったくせに意外と元気あるな。
「馬鹿を言うな……!自分でも分かってるだろう?今避けれたのは……偶然だ…!」
「分かってる。次は死ぬだろうな」
「……な…」
少女は言葉を失い、乾いた声を零した。
そんな少女に対し、構うことなく言葉を続ける。
「俺を食えばコイツは満足する。食事の邪魔をしたりしなければ、お前が狙われることはないだろ。まあ一応、俺が食われてる間にそのへんの物陰に隠れとけ」
こんな重症人に自力で動いて隠れろ、なんていうのは少し酷かもしれないが…なんかいつの間にか血止まってるっぽいし、意外と喋れる元気あるし。何とかなるだろ。
「本気で言っているのか…!?……死ぬんだぞ!?」
「人を囮にして生き延びるくらいなら、囮になって死んだほうがマシだね」
そう言い放った瞬間、蜈蚣夜魔の攻撃が放たれた。先程以上の威力を持つであろう体当たりに、直感が囁く。
―死ぬ、と。
瞬間、時間が極限まで引き延ばされたような感覚に陥った。
迫りくる死を覚悟し、静かに瞼を閉じる。
しかし…いくら待てども、何も起きない。
痛みも、衝撃も、何も。
不思議に思い目を開けると―。
「がっ……はッ…!」
花火のように鮮血が爆ぜる。
視界を埋め尽くす赤の中で、銀色が微かに揺れた。
「え…」
予想もしていなかった光景に、小さく声が漏れた。
頭部に角を生やし、制服から黒いドレスへと装いを変えた銀髪の少女が…俺を庇い、夜魔の棘に腹を貫かれていた。
ーーー
…この光景を受け入れられない。
少女が俺を庇ったことも。
少女の腹を、夜魔の棘が貫通していることも。
そして何より少女の頭に、人間としては有り得ないものが―1対の角が生えていることも。
胃が搾り上げられているかのように気持ち悪い。グラグラと体が揺れて、平衡感覚が掴めない。
地面に倒れそうになる体を何とか持ちこたえて、嗄れた声で言葉を捻りだした。
「…おまえ…夜魔……なのか……?」
こんなの…聞くまでもないことは分かっている。けれど、俺の耳は少女の言葉に全神経を傾けていた。
理性では理解していても、まだ分からないと感情が叫ぶ。
だって、人型の夜魔なんて見たことも聞いたことも無い。ましてや…人を助ける夜魔なんて。
どうか間違いであってくれ…と、そんなことを願うも、
「……見れば…っ、わかるだろう…?……私は…夜魔だ…」
告げられた真実は残酷なものだった。
「本当に…?本当に夜魔、なのか?」
「……何度も言わせるな…角が生えた……人間なぞ、いるか……」
「…な、んで…」
受け入れられる訳がなかった。
さっきまで自分が命懸けで救おうとしていたのが、夜魔だという事実を。
人類の大敵が、自分の命を救ったという事実を。
フードプロセッサーで粉々にされたように、頭の中がグチャグチャになる中。気づけば俺はただ、涙を流しながら感情のままに叫んでいた。
「……なんで俺を助けたんだッ!夜魔なんだろ!?俺なんか…人間の男なんかただの食糧だろ!?なんで、そんなになってまで助けたんだよッ!」
「…ッ、別に…なんてことは、ない…。ただ…私の願い…を、叶えるため…だ……ッ……!」
歯を食いしばった少女…銀髪の夜魔は蜈蚣夜魔の体を掴み、それを凄まじい力で引きちぎった。真っ黒な液体が周囲に飛び散り、蜈蚣夜魔が金切り声を上げてのたうち回る。
「はぁ…はぁ…ぐぅッ…!」
銀髪の夜魔が自らの体に突き刺さった蜈蚣夜魔の断片を引き抜く。今まで以上に大量の血液が周囲に飛び散り、血を吐いて膝から崩れ落ちた。
貫かれた腹部から流れる鮮血が川となり、呆然と立ち尽くす俺の靴を濡らしたところで、微かな声が聞こえた。
「…………逃げ…ろ……」
血を吐きながら、夥しい量の血液を流しながら。
血の海に沈む夜魔は、今にも消えそうな声で続ける。
「わたしは…夜魔だ……助ける理由は……もう、ないだろう……?はやく……」
助ける理由。
ぼんやりとした頭で、その言葉が反響した。
―俺は、人を見捨てたくない。
今まで人に助けられて…守られて生きてきたから。
だから俺も…できるだけ沢山の人を助けたい。
―じゃあ、夜魔は?
夜魔は敵だ。
人を喰らう異形で、人類の大敵。
そう思って生きてきたし、今でもそれは変わらない。
―なら…目の前のコイツは?
何故か…俺を助けた。
自分も重症だったくせに、身を挺して人間の俺を庇った。
俺を喰らおうとすらせず、自分の命を捨てる覚悟で―。
「…ッ」
気付けば、体が動いていた。
血溜まりに伏せる夜魔に近づき、その小さな手を取ると、夜魔は驚愕に目を剥いた。
「…なにを…?」
「肩、掴まれ。逃げるぞ」
体を引きちぎられた蜈蚣夜魔は未だ叫び声を上げながらのたうち回っている。逃げるなら今しかない。
「な……は?」
呆気に取られている夜魔の体を起こし、肩を貸して無理矢理立たせる。
ドクドクと脈打つ腹部の傷から流れ出る血が、俺の制服を真っ赤に染めた。
ゆっくりと歩き始めたところで、夜魔が呆れたような声で呟く。
「…はっ……夜魔を助ける人間…か。初めて見た……ぞ……」
「お互い様だな。俺も人間を助ける夜魔なんか初めてだ」
俺の言葉に、夜魔はフッと息を漏らした。
「……いいのか?このままでは……お前も……死ぬぞ」
「いいさ。お前を見捨てるくらいなら」
こいつが夜魔だろうが何だろうが、こいつは俺を命懸けで助けた。その事実があれば助ける理由には十分。ここでコイツを見捨てたら、俺はきっと死ぬほど後悔する。
―死ぬほど後悔するくらいなら、後悔せずに死んでやる。
我ながら本当にバカだとは思うが、自分の心に嘘は吐けなかった。
「……やはり、お前なら………」
夜魔がそう呟いたところで、背後から聞こえていた蜈蚣夜魔の叫び声が止んだ。首を捻って肩越しに背後を見ると、蜈蚣夜魔がこちらを睨みつけているのが見えた。
「…ここまでか」
僅か先の未来に訪れるであろう死に覚悟を決め、小さく息を呑んだところで、
「……賭けれるか?」
夜魔がそんな意味不明なことを口に出した。
「は?何だよいきなり」
思わず聞き返すと、夜魔は顔をこちらに向けた。真剣な眼差しが俺を射抜く。
「このままでは、2人とも死ぬ」
「そう…だな」
「だが1つだけ……生き延びる方法がある」
「なっ…!?おい!早く言えよ!」
思わず荒くなってしまった口調で問い詰めるも、夜魔の表情は変わらない。
「…方法があるなら早く教えろ」
「……私たちの…魂を契約する」
「契約……?」
それを聞いてもあまりピンと来ず、首を傾げて聞き返す。
「そうだ、契約だ…。それが成功すれば、お前は戦う力を得る。だが、成功するかは賭けだ。失敗すれば……2人とも死ぬ。もし仮に成功したとしても……お前はもう…普通の人間ではいられなくなる。それでも―」
「やる」
俺が即答すると、夜魔は眉間に皺を寄せながら声を上げた。
「…おま……もう少し迷ったりしたらどうなんだ…?私がお前を騙そうとしてる…とか、そういうことは考えないのか…?」
「俺を命懸けで助けたくせに?有り得ないだろ」
ここで騙すつもりなら、最初から俺を庇う必要なんかない。
コイツの行動が、コイツの言葉を信頼する根拠だ。
「だが…失敗すれば―」
「関係ねえよ」
失敗すれば死ぬだとか、普通の人間じゃいられなくなるだとか。
そんなのを聞いたところで何も変わらない。
とうに、俺の答えは決まっている。
「それが2人で助かる唯一の方法ってんなら、やる以外に選択肢はないだろ」
「……その言葉、偽りはないな」
「勿論」
「そうか。なら…」
「あ、ちょっとタンマ」
「…なんだ?」
俺の静止に夜魔は不服そうな顔を浮かべた。ジロリと、こちらを睨みつけてくる。
「そんな睨むな。契約の前に名前くらい聞かせろよ」
「…断る」
「断るな」
なんなのこいつ。名前くらい別にいいだろ、減るもんじゃねえし。
名前を言っちゃいけない、とかいうルールでもあんのか?ヴォル〇モートなんか?
「契約が成功したら…教えてやる」
結局教えんなら別に今でもいいだろ、と言いたい気持ちは山々だが、いちいち突っかかってたらキリがない。
「…はあ…もうそれでいいや。じゃ、さっさとしようぜ」
「ああ。覚悟はいいな?」
「とっくに」
俺の言葉を聞いた夜魔は静かに微笑み、告げる。
「…ならば、お前の魂」
―私が貰い受ける。
夜魔はそう言い放ち、俺の胸に手を添える。
次の瞬間、色白の細い腕が俺の胸の中へと勢いよく沈んだ。
「かッ!…はッ!」
体の芯が震えるような衝撃に息を吐く。
形容しがたい不思議な違和感と共に、全身が浮遊感に包まれた。
そして……指先が俺の中の"何か"に触れた瞬間―。
「―ッ!」
体の奥の奥……命そのものが震えたような激しい衝撃と共に、世界から音が消えた。
全てがスローモーションの視界で、自分の鼓動だけが聴こえる。
朦朧とする意識の中、どこからともなく響く優しい声を聴いた。
―やはり、私の目に狂いはなかったようだ。
―我が王の器よ。
瞬間、光が満ち。
魂が震えた。
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