少年は守られるだけの存在だった、人型の夜魔と契約するまでは 作:mowさん
舞白は藍世の病室から退出するや否や、そそくさと足早に移動を始めた。病室から数十秒ほど移動し、彼女が辿り着いたのは廊下の角にある通話可能スペース。
こじんまりとしたスペースに到着した舞白はスマホを取り出すと、迷いない操作で電話をかける。3コールほど呼び出し音が鳴った後、舞白にとって聞き慣れた声が聞こえてきた。
『もしもしー。張間です』
「私よ」
『あ、お疲れ様です』
「急にごめんなさい。今大丈夫?」
『全然大丈夫ですよ。どうかされました?』
張間、と名乗った通話相手との定型的な挨拶も程々に、舞白は本題に入る。
「藍世が目を覚ましたわ」
『え、ほんとですか!?それは良かったです!』
張間の飛び跳ねそうなほど喜色を含んだ声音に、舞白の頬がつい緩んでしまう。
『藍世くん、体調は大丈夫そうでした?』
「少し怠そうにしてたけど検査で異常もなかったし、もうすぐ退院できるみたい」
『そうですか。じゃあ、ひとまず安心ですね』
「ええ。それで、話は変わるんだけど…」
舞白が要件を言い切る前に、張間が先回りして答えを発した。
『調査結果ですよね?舞白さんったらナイスタイミング。丁度さっき報告が届きましたよ』
「どうだった?」
『結論から言うと、当日の現場周辺地域における行方不明者や負傷者は0でした。夜魔が原因とされる緊急搬送も、地区内では藍世くんだけです』
「……そう。なら…」
『あの現場に残された血は誰の?って話になりますね』
藍世が倒れていた現場には無数の血痕と血塗れのブレザーが残されていたが、藍世自身はほぼ無傷。故に、他に被害者がいる可能性が高いと考え調査を依頼していたのだが……結果は空振り。逆に謎が深まってしまった。
「一応、血液の調査も依頼してみましょうか。あまり意味はないかもしれないけど」
血液の調査をしたところで個人の特定はできないだろうが、多少は手掛かりになるだろう。
『了解です。依頼しときますね』
「ええ、よろしく。それにしても例の報告書といい……なんかきな臭いわね」
『ですねー』
先日、作戦支援部から上がってきた未確認魂力反応に関する報告書。
稀に見られる、突如異能が覚醒した討魔隊未所属―通称、野良―の異能者…と言い切るにはあまりにも出力レベルが高い。
正体不明の血痕といい、何やら面倒事の匂いがプンプンと漂っていた。
『報告書のは結構面倒そうですねえ。突然覚醒した天才野良異能者……ってオチならいいんですけど』
「有り得ないわ」
舞白はそう言って、張間の言葉をバッサリと切り捨てた。
「出力レベルAってことは一級クラス。そんなのが野良に現れると思う?」
『ないですね。ただそうなると、じゃあの反応って一体何なの?って話になるんですけど』
「うーん………もしかしたら、アレじゃない?藍世は実は超天才男子で、突然変異で覚醒して夜魔を撃退した…みたいな」
舞白は冗談として、そんな荒唐無稽な話を口に出してみる。ちょっとは笑いが取れるかなー、と予想していたのだが、通話口から聞こえてきたのは心底……本当に心の底から呆れ果てたような声だった。
『……なんですかそれ、馬鹿なんですか?それとも激務で頭がおかしくなったとか?そんなこと天地がひっくり返っても有り得ませんから。それなら野良の天才異能者の方が1億倍可能性ありますよ。意味わかんないこと言ってないで真面目に考えてください』
「……真に受けないで、冗談よ。ていうか言いすぎじゃない?ねえ?」
冗談に対し真面目な答え―俗に言うマジレス―を返されるどころか、もはや暴言に近い厳しい言葉を吐かれた舞白は心に深いダメージを負う。
しかし、そんな彼女を慰める人間はこの場にはいない。真面目な会話―しかも仕事の―最中に下らない冗談を言った彼女の自業自得である。
そんな舞白を捨て置いて、そういえば…という声に続いて質問が飛んできた。
『藍世くんに話は聴けなかったんですか?目覚めたんですよね』
当日現場にいた藍世から話を聞ければ一気に謎が解ける……そう考えた張間の発言だったが―。
「一応、聴けたけれど……気を失ってて殆ど記憶がないみたい」
そう上手くはいかず。
張間は、小さく息を吐いた。
『あちゃー…藍世くんもダメか。まあ仕方ないですねー。目を覚ましてくれただけでも万歳ですから』
「そうね。……本当に…本当に良かったわ」
『…先輩……』
意図せず、何やらしんみりとした空気になってしまった。舞白は咳払いを一つ挟み、雰囲気を元に戻すべく口を開く。
「んんっ……まあ、今のところ明確な手掛かりはないし、地道に調査するしかないわね」
『ですねー。あー…しばらくは寝不足かなーこりゃ』
「ま、頑張りましょ。ひとまずそっちに戻るわ」
『了解です。お待ちしてます』
舞白は通話を終了し、病院のエントランスへ向けて歩き始める。リノリウムの床を一定のリズムで鳴らしながら、これから始まる激務を想像して大きな溜息を吐いた。
ーーー
目が覚めてから5日。
本日で晴れて退院の運びとなった。
入院中は暇すぎて早く退院したいと思っていたはずが、いざ退院するとなると妙な寂しさを覚える。やはり一日中グダグダと寝ていられる生活は最高だった。
身支度を終え、ベッドに寝転がってグダグダしていると、不意に病室の扉が開いた。姉が迎えに来たのかと思い扉を見やると、そこに立っていたのは姉ではなく、見慣れない女性が2人。
長い黒髪を後ろで束ねた女性と金髪ショートの女性コンビはこちらを認めると、2人揃って胸元のポケットから手帳を取り出した。
「初めまして。私は特異災害対策局の神谷凛。そして…」
「同所属、城崎加奈」
黒髪の女性に続き、金髪の女性も簡潔に名乗る。
突然の来訪に困惑しながらも、俺は体を起こしてベッドの縁に腰掛け、会釈と自己紹介を返す。
「初めまして。椎名藍世です」
「…そう警戒しなくていい。君に危害を加えるつもりはない」
どうやら困惑や警戒といった内心が表に出ていたらしい。黒髪の女性―神谷…さんが宥めるような口調で言う。
「ただ少し事情を聴きに来ただけだ。…座っても?」
「…どうぞ」
神谷さんと、城崎さんがベッド横にある椅子に腰を下ろす。ふわりと、微かなタバコの匂いが鼻に届いた。
嗅ぎ慣れない香りに眉を顰める間もなく、神谷さんが口を開く。
「聴きたいのは、君が夜魔に襲われた日のことだ」
「…それなら姉に話しましたけど」
少しぶっきらぼうな言い方になってしまったが、神谷さんは気にする素振りを見せない。
「そうなんだが、もう少し詳しく聞きたくてね。申し訳ないが、話してもらえるかい?」
「まあ…いいっすよ」
何故また事情聴取を行うのかは分からない。
だがもし、姉に話した証言を怪しんでいるとしたら…ここで断れば更に疑惑が増すことになる。了承する以外に選択肢は無い。
大丈夫だ、焦ることはない。怪しまれることはあっても、俺が話さない限り真相がバレることは無い。内容に矛盾が無いようにだけ気を付ければいい。
「じゃあ、当日の流れを確認させてほしい。学校に夜魔が出現した君は、校内の地下シェルターに避難を試みるも、夜魔の妨害によって断念。最寄りのシェルターがある中学校へと向かった……ここまでは合ってる?」
「はい」
「そこから中学校へ向かう途中、夜魔と遭遇。そこで気を失い、気が付いたら病室だった。合ってるかな?」
「合ってます」
「じゃあ、少し質問していくよ。分かる範囲でいいから答えてほしい」
「…はい」
確認が終わり、遂に本格的な聴取に入るようだ。
…ここからが本番だ。気を引き締めろ。
「夜魔に遭遇したのは初めて?」
「初めてっす」
「誰に助けられたかは覚えてない?」
「はい。気絶して、気付いたらベッドの上でした」
「…本当に?」
訝しむような視線。
…やっぱり怪しまれてるか。だが、シラを切る以外にできることはない。
「はい。覚えてません」
「そうか」
納得したのか、していないのか。
神谷さんは静かに頷くと、質問を続けていく。
「襲ってきた夜魔はどんな見た目だった?」
「蜈蚣みたいな感じだったっす」
「大きさは?」
「えっと…長さでいうと5mくらい?」
その後も質問に答えていき、10個ほど回答が終わったタイミングで神谷さんが一息つく。
「よし、大体わかったよ。ありがとう」
「いえ」
「あ、最後に1つだけ質問いいかい?」
「どうぞ」
「避難の途中で、人型の夜魔を見なかった?」
不意に放たれた、これまでとは違った核心を突いた質問。
心臓が一際大きく跳ねた。