HL——二日目
異界人が人間の隣に立ち並び道路を歩く。
ゴキブリが寿司を握り、ビーフシチューに人間が食われ、巨大なボーリング球に当たってピンみたいに人々が吹っ飛んでいく。
銀行では爆発が起こり、コンビニでも爆発が起こり、そこらへんの通行人の頭も気軽に爆発する。
そんなこの世の終わりのような光景に周囲の住人は目もくれず平然と歩きながら談笑を交えていた。
まさしく異常が日常になった都市。いやなってしまった、と言った方がいいのか。
「イかれてるなぁ」
ボクはそんな群衆の中でポツリと呟きながら歩き続けていた。
本当になんなんだこの街は。今すぐ封鎖したほうがいい。そのほうが人類のためだ。
紙面上ではないしっかりとした肉眼で見れば見るほど、この街の異質さが如実に現れているのがわかる。
あちらこちらを人間とは見た目も大きさも違う異界人が歩き回っている姿を見るのは、どう足掻いても気持ち悪いの感想しか出てこない。
ザップと同じ感想になってしまうのはとっっっても嫌だが、それでも彼がHLに初めて来た頃のことを考えると同情してしまった。
今のボクの最も優先されるべき目標はとりあえずこの街から出ること。ただそれだけだ。保護されるのはボクの素性を考えれば不可能に近いし、保護されたとしても実験動物として扱われるのは目に見えている。
運が悪いことに、ボクは旧NYの地形を知らない。知らないので、どこから出られるのかがわからない。
もし知っていたとしても地形すら日常的に変化する魔境に生まれ変わったこの街では意味のないことだとは思うけど。
確かお偉い人たちの監視下にあるあの赤い大きな橋を渡れば向こう岸に行けるんだったよね?
あのでっかい川はよくわからない蛸足がうじゃうじゃいて危険だった気がする。アメリカ軍の艦隊が一振りで沈むぐらい。
いやそもそも生身で出れるのか?
ボクは着衣水泳をしたこともないし、トライアスロンの経験もないため、あの川を泳いで隣の州に行こうという根性論的結論には至っていない。
「……こんなことになるんだったらもっと原作を読んでおけばよかったな」
作品は普通に好きだしアニメとかも何度もリピートしていたのだが、流石に五年以上経てば全てを覚えるのは不可能だ。というか内容が中学生には難しすぎてノリと雰囲気だけで楽しんで難しい言葉は全部すっ飛ばしていた記憶がある。こんなことになるんだったらDVDも買っておくべきだった。
「どうしよぉ?」
無理だよ。自分の好きな作品に転生って二次創作ものじゃ結構あったけど、なんでよりによって
こんな人の命がスーパーの特売より安い世界になんて来るもんじゃないよ。ほんとうに。
まあそんな世界は隣の本棚を探せば高確率で見つかったりするのだけど。
いや、こんなことを考えてる場合じゃない。
とりあえずすぐにこの街を出よう。金は外でも稼げる。姿も人間と同じだから問題ない。
転生特典とやらなのか、この体のおかげなのか、英語は普通に聞き取れるし喋れる。日本で普通に勉強していたおかげで読み書きもできる。
うん、そうだ。悪いことばかりじゃないんだ。だからさっさとこの街を——
「あふぇ?」
気づけば左半身が消えていた。
「——は?」
痛い。
おぼつかない手つきで触ろうとしても、届くのは空だけ。
思考が追いつかない。いや、半脳がついていないのか?
無くなった部分を触れば、まるで犬の噛んだ後みたいだ。
血のような赤がべったりと手のひらにくっついている。いや、これ血だな。なはは。
どこかから聞こえる音声放送が、右耳から入ってくる。
右脳がそれを受け止めて、無い左脳が血液と一緒に情報を吐き出す。
『ご覧ください!次元侵食異界配合獣”ちわわ”です!人間界と異界との友好関係を結ぶため、特殊な遺伝子改良を施されたペットが野に放たられ街の人々を喰い荒らしていきます!その被害者数はすでに200を超えているのだとか!そーですねー、グァバラさん』
『はぁい』
『異界配合獣は本来の肉体の性質を増幅させ、凶暴化させます。あの身軽でこじんまりとしたキュートでプリティーな名前をした愛くるしい愛玩動物が音速猿並みの速度で迫ってくるのです!そーですねー、グァバラさん』
『はぁい』
なん……ちわわ?ちわわって。なんだ、っけ。
痛い。痛い。痛い。
体が倒れ、思考が鈍る。そして、
ボクの身体は何事もなかったように、再生した。
消えたはずの右上半身が赤く発熱していた脳と共に冷える。布がえぐれて真っ白の肌が露出した。
思考がふと引き戻される。脳みそが復活したのだ。
「…………そっか、もう、人間じゃ無いんだ」
いや何を悲観してるんだ。むしろラッキーじゃないか、もし人間のままだったらボクは死んでいたのだから。
音速を超える速度で移動する害獣はもうその場にはいなかった。
ふと地面を見れば、ボクと同じようにあのよくわからない『ちわわ』に身体を食われ痛みに悶えながら血を出している人たちがたくさんいる。
血だ。血がたっぷりある。真っ赤な、真っ赤な、真っ赤な、真っ赤な、真っ赤な、
「っ」
ふと伸ばしていた手を押さえて、ボクはすぐにその場から走り去っていた。
なんだなんだ、
人の死体を見て食欲が湧くのは違うだろ。ボクはまだ、心まで化け物になったつもりはないぞ。
急いで落ちていたジャケットを広い、身体を隠す。噛み跡はもうどこにもなかった。それどころか、崩れていたブカブカのシャツすらも元通り。
ああ、そうだ。これだけ聞けば何もデメリットのない素晴らしい身体だ。完全無欠と言ってもいい。ボクは確かな不死身になったのだ。
しかし、それはこの街を除く
奈落に落ちれば、ずっと死ねないまま永遠を彷徨うことになるだろう。
13王の一人に見つかれば、壊れない玩具として扱われるかもしれない。
もし、他の
そしてライブラに見つかれば……ボクは、
ボクはあの場所でおそらく人を殺している。記憶はないけれど。多分、いやきっとそうに違いない。
罪悪感がないわけではないが、流石に憶えていないことにまで気が回せるほどお人好しではないのだ、ボクは。
仮に違ったとしても吸血鬼をみすみすと見逃すほど彼らは甘くはない。
戦闘に慣れていないボクはきっと有無を言わされる前に、転化したあの
そうだ。ボクはまだ死にたくない。死にたくはないのだ。理由などない。
痛い思いも苦しい思いもできるだけ避けて生きていきたい。
ただ漠然とした生存欲求だけがボクを突き動かす。
どれほど他人に迷惑をかけようとも、無責任なほどにボクは生に執着していた。
「うん。行こう」
止まっていた足がまた動き始める。
そして——ボクはダイアンズダイナーと書かれた看板のあるハンバーガーショップで外を見ていた一人の少年と目が合った。
彼はボクを知らず、ボクは彼を知っている。いや、ある意味では彼もボクを知っているだろう。もしくは今知った、という方が適切か。
少年の名前はレオナルド・ウォッチ。ライブラ構成員の一人であり、神々の義眼保有者。そして——
「……ホーリーシット」
咄嗟の出来事に気が動転したボクは身体を180度回転させ、みっともなく転げながら逃げ去ってしまった。
この時、助けを求めることができていたらきっとあんなコトにはなっていなかったろうに