Fate/alter Seven Sight ――the First Sight――   作:どっこちゃん

12 / 14
五章も長かったので小分けにしました。ちょっとは読みやすくなったでしょうか……


五章ー2

(金曜日・夜更け)

 

 

 日が落ち、また闇が夜の町並みの悉くを黒く覆い始めようとしている。すでにその諸所には薄墨のような霧が重苦しく停滞し、陰翳の境界をぼやかせているようだった。

 

 今宵の霧は禍々しく、どこか得体の知れないこの世の常ならざる場所から湧き起こっているようでさえあった。

 

 土・日を控えた週末の夜である。本当ならもっと活気があってもいいはずだが、この地方都市で怪奇殺人の噂がまことしやかに流れていることもあってか、夜の街を出歩く人間の姿はほとんどなかった。

 

 しかしたとえそうでなくとも、この重苦しい霧は、ただでさえ暗い夜の空間を殊更に平面的で無味乾燥なものへと変えていく。

 

 その扁平な空白(ブランク)が、人の脳裏に禍々しく醜悪な像を映し出すスクリーンとして作用し、人々は知らずに己で描いた暴魔の幻燈に恐れをなして足早に家路を急いでいるようであった。

 

 無辜の住人を自ずからそれぞれの寝屋に引き込ませるための措置か、それとも悪戯に人々の恐怖を煽り、怯えさせて楽しんでいるのか、その両方であったのかはさだかでない。

 

 しかし、兎角これを行っているのがあの男なのだということを、私はすでに確信していた。

 

 私は単身で無人の暗夜を疾走していく。無論二本ではなく自慢の四本足で、である。

 

 辺りは一面漆黒の闇と、所々にだまができているようにも見えるほど濃い霧の中だ。

たとえすぐそこに人がいたのだとしても脇をすり抜けた私を補足することはできなかっただろう。

 

 馳せるのは何も車両や人の足で踏みしめられた路面だけではない。ビルや鉄塔の壁面、電柱同士を繋ぐ電線も、今の私にとってはなだらかな地平と大差ないのだ。

 

 縦横無尽に夜を駆け回る私は一時として留まることはない。留まれば、それが致命的な隙になるからだ。

 

 今回は使い魔達の目は借りず、己の視力・張力を最大拡張させ、広汎な闇をくまなく見通す。まずは敵の姿を補足しなくては始まらない。

 

 あの後、寝床から跳ね起きた私は、すぐに戦略の構築にかかった。休息に時間をとられたのであまり猶予はなかったが、私は己の内面から沸き起こってくるような活力を確信していた。

 

 たとえ一点だけであっても、勝機が見えていたなら、戦える。

 

 そして時刻は夜の深奥を廻り、私は森から出て街中を疾走し始めた。あえて網の目のように走って、地形を確認していく。

 

 脳裏には先刻回想し、鮮明に焼き付けた古地図が浮かび上がっている。あやめの遺物だったものだ。それを現実の地形と照らし合わせて確認しながら奔る。

 

 私には確信があった。魔術師、夜鳴手錐人は絶対に自分からはあの森の中へは侵入してこない。

 そもそも、最初に訝るべきだったのだ。なぜあれほどの優勢に立っていた筈のキリヒトが森へ逃げ込んだくらいで私達を見逃したのか。

 

 それは、奴に森の中へ入りたくない理由があったからなのだ。

 

 考察を反芻しながら疾走する私の前に、淡い緑の光が湧き起こった。

 

 そして次の瞬間には、その光の袂には一人の洒脱な外套を羽織った紳士の姿があった。あまりにも忽然とその威容を現した怨敵を前に、しかし私はひるむことなくその人のものとも思えぬ眼を見据えた。

 

 今度こそ怖気づくことはない。今や、私がお前の領域の中にいるのではない。お前こそがすでに私の策略の中にいるのだ!

 

 意を決し、私は背を向けて走り出した。

 

 すると、また以前のように、当たり前のように私の前に敵の姿があった。が、私の動きのほうが早かった。

 

 私は先刻からそれを承知していたとしか思われないタイミングで、瞬く間に移動して現れた紳士の脇をすり抜けた。

 

「――ッ」

 

 紳士が僅かではあったがその鉄面皮を歪ませたのが垣間見えた。ヤツは「驚愕」している。どうして私が奴の出現場所を特定できたのかがわからず驚いたのだ。

 

 あとはその焼きまわしだ。赤い紳士は私の進行方向の先々に突如として姿をあらわすのだが、私にとってはそれも総て織り込み済みのことでしかない。近づきはすれど、決して奴の攻撃の届く範囲には入らない。

 

 なぜなら、私には敵の出現する場所があらかじめわかっているからだ。

 

 先日こそ絶望的なまでに神出鬼没とみえたヤツの「瞬間移動」も、ものの役には立たない。そしてそれは同時に私の推察が正しかったことを示している。

 

 濃い霧の帳の向こうに森が見えてきた。

 

 私はその奥まった闇の奥をめがけて全速力で滑走し、まるで飛び込み台からひどく疎遠に感じられる水面へ、今正に飛び込もうとするかのように、一気に跳躍した。

 

 私は後ろを見向きもしなかった。この直進経路ならヤツが私のフロントを取ることはできない。確信があったからだ。

 

 しかし、その瞬間、意に反して私の眼前には壁のような何かが忽然と立ち塞がっていた。

 セイバーだった。主の不調を見かねて助太刀に来たのだろうか?

 

 その巨大な樽のような体から野太い腕が伸びる。しかし、

 

 それくらいのことは、無論織り込み済みだ。

 

 私は叫んだ。――否、叫ぼうとした。

 

「……ライ」――

 

「待ちくたびれたぁ!」

 

 瞬間、怒号が響き渡り、それまで私の周囲にもいなかったはずの灼熱の靄の如き気配が実体化を果たし、私の前にいたセイバーの巨体を横合いから蹴り飛ばした。

 

 まるで大型車両同士が衝突したかのような衝撃は波状に刻まれ、周囲を覆っている濃い霧に円環の輪を波立たせた。

 

 セイバーも虚を突かれたのだろう。霊体化していたとはいえ、ライダーが私に並走していたなら今のように明後日の方角から奇襲を受けるはずもない。

 

 それもそのはず、ライダーは最初からこの森のとば口に潜んでいたのだ。こうなることを計算して、私は渋るライダーに待機を命じていたのだった。

 

「……ライダー」

 

「おう、なんだ?」

 

 脇に降り立って声を掛けると、喜色満面といった具合でライダーが応える。戦況の不利如何に関わらず、どうやらもう「待て」をしなくていいということが心底嬉しくてたまらないらしい。

 まったくこっちの気も知らないでいい気なものだ。

 

 しかし兎にも角にも、ここまでは計算通りだった。そして、

 

「……負けても、引き分けでも、駄目。――勝って!」

 

 私は意を決して言った。本当の勝負はここからなのだ。

 

 作戦の詳細はすでに伝えてある。あとは互いに最善を尽くすのみだ。するとライダーは盛大に鼻を鳴らした。

 

「フフンッ。前提以前の話だな。――いわれんでもこの俺様はな、生まれてよりこれまで、一騎打ちで遅れを取ったことなど、たぁだの一度も在りはせんのだぁ!」

 

 私はそれに頷き、疾く暗い森の奥を目指して駆け出した。

 

 ここからの光景は森を馳せる私が、この場所を見張れるように配置しておいた使い魔たちの視界を中継して見ているものである。

 

 私が森の中へ入った後、ライダーは今しがた自分で吹き飛ばしたセイバーと、私を追っていながら、案の定森の袂で足を止めた怪人紳士と対峙していた。

 

 ヤツはこう考えているのであろう。きっと私が、ライダー単体でならたとえ二体一でも勝機があると踏んで、戦力にならない自分をおとりにしてこの状況を作り出したのだろうと。

 

 そしてサーヴァント戦においては弱点にしかならない脆弱なマスターである私は、一路、キリヒトが追ってこれない(・・・・・・・)森の中へ逃げ込んだ。あとは総てを己のサーヴァントの戦線の総てを任せる――と。

 

 客観的に考えるなら、私もその策に賛同するかもしれない。この中で私は戦力と数えるには確かに脆弱すぎる。

 

 紳士はその考えを見透かすかのように、僅かに嘲笑の兆しを浮かべてセイバーに指示を出した。

 

「セイバー。あの娘を追え、ライダーの相手は私がやる」

 

 私はそれを聞いて更に己の推察に確信を強めた。やはり、キリヒトは自分で森の中には入ろうとしない。

 

「……どうしたセイバー」

 

 指示を受けたセイバーが動こうとしないためにキリヒトは再度声を掛けた。

 

 しかし、セイバーは無言でライダーを見ている。否、その視線はライダーが手にする武器にこそ、注がれている。

 

「貴様、なんのつもりだ?」

 

 声は今しがた己の問いを掛けたマスターではなく、睨み見据えるライダーへ向けてであった。

 

 キリヒトは何も言わず、己がサーヴァントの真意を測ろうとしているようであった。

 

 あれほどの怪物であっても、サーヴァントと結んでいるのはあくまで共闘関係であり、決して完全な主従関係ではないことが推察できた。実は、これもまた私の推察どおりだ。

 

 ライダーはわざとらしく咳払いをしてから、嘲るような調子でセイバーの声に応えた。

 

「フフン。なぁに、簡単なことよ。ここは一つ、貴殿のような猛者と同じ条件で遣り合ってみたいと思ってなぁ」

 

 実はこれを指示したのは私――なのだが、もうちょっと自然にやれないものだろうか?

 

 いや、もしくはこの男、演技で挑発しているのではなく、本気でセイバーを嘲弄しているのかもしれない。それが逆にこの人を食ったような感を与えているのだろうか?

 

「……同じ条件、だと?」

 

 使い魔の目を通し、ひやひやものの内心でそれを見ている私の心配を余所に、セイバーは訝る様子もなく、ただ憮然とその言葉の真意を求めた。

 

「おう、そうだとも。フフン。互いに一振りの剣を手にして、小細工なしの一騎打ちをな!」

 

 そう、セイバーが注目していたのは今己の前に現れたライダーが、以前のように己の代名詞たる戟を持たず、腰に帯びていた大剣だけを抜いてこの場に現れたことだったのだ。

 

 そう、これはセイバーにしてみれば大問題(・・・)の筈だ。

 

「つまりわしは魔術も宝具を使わず、うぬは長柄も騎馬も持たず、あの念意の斬気も使わんというのか?」

 

「なんだ? 嫌か? これは失礼した。こっちの買い被りであったか。フフン。てっきり貴殿こそこの聖杯戦争なる凌ぎ合いにおいては初めて相まみえた誇り高き真の益荒男だと思っとったのだが、いやはや、残念無念この上ない……」

 

 その声を聞いたセイバーの大樽のような体が倍に膨れ上がったかのような錯覚が、使い魔たちの目を通してさえ感じられた。 

 

「乗せられるな、セイバー。策意あっての虚言だ」

 

 冷然とした紳士の言葉に、しかしセイバーはかぶりをふった。

 

「たとえそうであっても、ここで退くことはワシにはできぬ。戦士にとって、ここで勝負から逃げるは死にも勝る苦痛よ! どうしてもというなら令呪を使ってもらおう。それに、――うぬこそなにを手負いの小娘一人に何を怖気づいておるのだ。我がマスターでありたいなら、それらしい行動で示してもらおうか!」

 

「――――ならば、好きにしたまえ。そもそも言い争うようなことではないのだよ。これは他愛の無い些事なのだから」

 

 少し考えたあと、紳士はそう言って微笑し居住まいを正した。そして優雅な足取りで森の中へ踏み込む。

 

 それらを総て使い魔の視界で確認しながら、私はその言葉にガッツポーズをとりたくなった。ここまでは計算どおりだと、私は内心で呟いた。ここで令呪を使ってまで私を追わせるのはいくらなんでも割に合わないと思うだろう。

 

 当然だ。現在の聖杯戦争の趨勢は、未だ島原、シュタウフェンなどの大御所が静観を護っている状況なのだ。それを、こんなところで大事な令呪を消費はできまい。

 

 一方、マスターであるキリヒトの許しを得てセイバーはその後体を爆ぜさせるかのように吼えた。

 

「恩に着るぞ! マスターよ! もとより、この痴れ者はぜひとも我が剣の錆びにと思うておったわ!」

 

「フフン。そうこなくてはな! オレ様の方こそ、その髭面を血の泡に沈めたいと夢にまで見た次第でなぁ!」

 

 セイバーの発した覇気に呼応するかのように、ライダーは劣らぬ気を吐いて応えた。

互いに剣を取った二人のサーヴァントの間にはただ対峙しただけだというのにも関わらず、まるで大気が裂け、悲鳴を上げるかのような上昇気流が生まれ始めていた。

 

 そして――私は奔り続けていた。

 

 条件は整った。ここからが本番だ。追って来い。追って来い。……私は内心で繰り返しながら枝から枝へ猫というよりはムササビかマシラの如く跳躍を繰り返して森の中を進んでいく。足跡を残さないためだ。

 

 そして改めて用意した策の手順を順序だてて反芻し、確認した。最初の関門は突破した。しかし真に重要なのはここからだ。一手でも間違えれば、そこで終わりだ。ここからが私の本当の戦いになる。

 

 ライダーはうまくやってくれた。このとき、セイバーとキリヒトの立場が逆だと良くない。故に、私はライダーにセイバーを挑発するように指示したのだ。

 

 相手の出方次第だったのだが、ここでも私の推察は当たった。そも、あのセイバーが戦士としての作法や対面を何よりも重要視するだろうということは推測するのに難くなかった。

 

 真名まではわからないが、その外見から察するにあの剣士が所謂ヴァイキングであることは間違いない。

 

 ヴァイキング、ノルマンニ、或いはデーン人とも呼ばれる、北欧の海で伝説となった古代の海賊にして戦士たちだ。この国でも魔女と同じくらいメジャーになった存在だが、その実態を正確に捉えている人間は多くはないのではないだろうか。その点についても魔女と同じだ。

 

 とにかく、それが本当ならば、口汚く己を侮辱した手合いを安易に見過ごすことは絶対にないだろう、という私の読みは的中した。古代の戦場で生きた英霊は多かれ少なかれこういう側面があるのだろうと、私は考えたのだ。

 

 私のライダーを見ればその典型のような男だ。――いや、もしかしたら体面を考えて物事の理を投げ捨てるという未熟性を捨てられず、往々にして愚を犯すのは、そもそも男と言う生き物の持つ基本的な構造的欠陥なのかもしれない。

 

 なんにしろ、おかげで作戦は立てやすかったのは確かだ。

 

 私は考えながら山頂を目指してひた走る。体中の関節はそろそろ最初の悲鳴を上げ始めている。

 

 全力で魔力を燃焼させ全身を賦活化し続ける負荷と、そして、全身に纏わり突く鉛のような汚泥の如き感覚が私の体力を凄まじい勢いで削っていく。

 

 少しでも動きを止めたなら、一瞬で絡めとられる。あの、まるで城壁に追い立てられているかのような圧倒的な圧力(プレッシャー)に。

 

 周囲を包み込む暗闇は私の味方だったが、肺と喉を切り裂くような湿った冷気は決してそうではなかった。

 

 今は全身がエンジンのように活性化しているからいいが、そのうちにこの冷気は私の体力をごっそりと奪い始める。このまま走り続ければ、そのうちに私は動くことも出来なくなるだろう。

 

 ……弱気になるな。弱気になるな。息切れした肺を無理に押さえ込みながら、私は自分に言い聞かせる。そして己を鼓舞して走り続けながら、思考の内で確認していた。

 

 あの時、あやめに見せてもらった古代道の地図では、あの道は森の中へ一直線に伸びているはずだった。

 山中にある古代経路は、街の中心部から真東へ伸び、そこからさらに山の頂上にある島原神社まで一直線に続いている道だけだ。

 

 その遺跡道の線上でなければ、あいつは「瞬間移動」できない。

 

 そう、道だ。私はそれに気がついて、あの怪人があやめの見せてくれた古代遺跡道を利用しているのではないか言う推測を立てたのだった。

 

 あのとき、私はあやめの調べていたという古代道の成り立ちに、レイ・ラインや風水地相学的な呪術的な要素があると聞かされ、その裏に古代の魔術師の影を見たのだ。

 

 その時は思わず受け流してしまったが、もしも本当にこの街の経路が地脈を操作する目的で造られた魔術的な構築物だというなら、それを逆に流用することも出来るかもしれないということだ。

 

 無論、そんなことを普通なら思いつかないし、実行するのはもっと無謀だ。誰が作ったのかもわからない魔術師の遺跡を自在にコントロールするなど簡単なことではない。少なくとも数年から十数年の期間が必要になる。

 

 しかもこの地に根を張る魔術師でないなら、手間はさらに膨大になるだろう。その上島原やシュタウフェンに知られぬままそんな細工をすることなど不可能だ。

 

 そう、あの男、夜鳴手錐人を覗いては。

 

 奴は今までの百年にわたる聖杯戦争を戦いながら、この経路に気づき、それを流用する術を構築していたのだろう。

 奴が「試運転」と言っていたのはこのことだったのだ。

 

 そのとき、私のすぐ後ろに赤い影がよぎった。私は形振り構わずに跳んだ。

 

 私のふくらはぎを僅かに裂き、あの濡れ光る波動が私がいた場所の木々を薙ぎ倒した。

 

 怪人は獣のように牙を向いて微笑を浮かべながら私のすぐ後ろにつけていたのだ。あと一手、それで私を捉えられる。

 

 ヤツはそう考えていたのだろう。しかし次の瞬間に四方から矢が走り、そこにつながれていたテグスが怪人の動きを奪った。あの山小屋の中に残されていた廃材で仕掛けた即興の罠だった。

 

「――もう、終わりかな? 可憐なお嬢さん。狩猟は久しぶりで興が乗ってきたところなのだがね?」

 

 蜘蛛の巣にからめとられたかのように動きを止めた紳士は、それが何の痛痒でもないかのように穏やかな声音を発した。まるでこれは自分が完全な王手の前で一休みをしているのだとでも言いたげな声だった。

 

「……へぇ? もっと焦ってるのかと思った。もう先回りができないから必死なんだと見てたんだけど?」

 

 あえて嘲るように応えると、紳士は、もはや人とは思えぬ形相で牙を剥き上げた。奇怪な笑みを浮かべた。それは獣というよりも昆虫か何かが得物を屈服させようと威嚇しているかのようにも思えた。

 

「やはり、私の魔術の摂理について感づいたようだな。しかし、それで互角に戦えるつもりなら――」

 

 凄まじいプレッシャーが弾けた。奴の五体から凄まじい密度の魔力が溢れている。なるほど、補給が受けられなくとも、まだサーヴァントと打ち合える程度の余力はあるといいたいらしい。

 

「少々、私を過小評価しすぎだな」

 

 キリヒトの身体を拘束していたテグスは一瞬にうちに燃やされ、断ち切られてしまった。

 

 そして紳士の手にするステッキからはカマイタチの如き波動が、そして空いた左手からは青白い光に濡れ光る火花がムチのように延び、周囲を跳ね回った。

 

 掘削された幹の香りと木々の表皮が焦げる臭いが立ちこめた。しかしそれらは私を害することはかなわなかった。

 

 ――これでいい。

 

 私は再び敵に背を向けて走り出した。追いすがったカマイタチの斬波がうなじを掠めたが気にすることなく加速した。

 

 そう、私はわざと追いつかせたのだ。瞬間移動のできなくなった状態でなら、スピードだけならこちらに分がある。

 

 あえて補足できる程度の速度で奴を引き連れてきたのは、罠にヤツを誘い込むためだったのだ。

 そして最初から、あんな子供だましの罠でどうこうできる相手でないことはわかっている。それでいいのだ。これは後の罠のための布石でしかないのだから。

 

 作戦の方針が決まってから、私はこの山中にいくつかの罠を仕掛けた。

 

 ヤツは私が痺れを切らして街中に出てくるのを待っている筈だったから、少なくとも数時間ほどは時間の猶予があった。奴が深夜にならなければ出歩かないのはわかっていたし、何よりヤツは自分から森に入り込んでくることはない。と重ねて確信していたからだ。

 

 プレッシャーはどんどん迫ってくるが、私は山頂を目指してジグザグに森の中を走り回った。

 いける! ヤツは私を補足しきれていない。ここでなら、この森の中でなら、私のほうに分があるのだ。私はそう言って強く己を鼓舞した。

 

 私はこの周囲の山々のことを良く知っている。師につれられて、よく森の中で魔術の修練に励んだものだ。私はそのときのことを思い出していた。

 

 師の故国もまた日本と同じように森林の多いところであったそうだが、今あるような森はもはや魔女が住まうにはふさわしくないのだという。

 

 そういう森は人が憩うのには都合がいいのかもしれないが、しかしそれでは魔女として生きるのに最も必要な自然物への畏敬を育むのには適さない。

 

 それが自然物崇拝を忌むものにとっては都合が良かったのだろう。キリスト教の支配が進むとともに、師の故国でも森林の伐採が進み、森はひどく明るくなってしまったという。

 

 明るくなってしまった故国の森は、まるで硝子や磁器のように光を弾き返してくるようで、中にいても人の域の中にいるようなものなのだそうだ。

 

『けれどこの森は違う、まるで光を吸い込むように、淡い陰翳をそこかしこに抱きながら、光が染み込んでいくように森をゆっくりと照らしていく。――昔、この地に着たばかりの頃、ろくでもない所に来たものだと嘆いたものだけれど、この森に出会えたことは幸運だった……』

 

 そう言って木々の魔名(まな)を唱え、しじまに横たわる陰影に名前をつけながら、嬉しそうに私の手を引いていた師のことを覚えている。

 

 普段あまり笑顔というものを人に見せない人だから、とても印象に残っているのだ。

 

 そうだ、そこで初めて、私は魔術とはただ恐ろしいだけものではないのだと知ったのだ。

 

 幼かった私は、昼間でも仄暗い空間に染み渡るような、広大な大気と大地の境界に陰と陽とを混ぜ返しながら、淡く存在する森の中で、まるで己とそれを取り巻く総てのものが互いに交じり合い呼応するかのような、魔術の根幹を学んでいたのだ。

 

 記憶に誘われるように、不意に認識できたのは闇に沈んだ不気味な森の姿でも、凍てつくような寒さでもない。それは森の芳香であった。

 

 生命に満たされた森の空気であった。

 

 それを体中に取り込み、馴染みのある感覚が私のが体にいきわたっていくのがわかった。

 

 そうだ、ここは私の場所だ。私の領域(テリトリー)なのだ。ここでなら、私は優位に立てる。

 

 私の息はもう切れてはいなかった。慣れ親しんだ記憶が私の焦燥を掻き消していた。

 

 息が整って幾許かの余裕を得た私は、走行を続けながらも色付きの軟膏を再び眼の周りに施し、視界域を切り替えた。

 

 私の目は先域に広がる暗く、雑多で、そして何処までも深く広がる闇を見据えながらも、同時に山のふもとに残してきた使い魔たちの眼が捕らえる情報を統合して、あたかもそこで行われている埒外なる煌刃の暴風を、眼前で行われているもののように視認した。

 

 

 使い魔たちは充分に距離を開けてそれを見ることに集中している。先にも言ったことだが、私は戦闘に使い魔を使わない。もとより横槍を入れられるような闘いではなく、そしてライダーもまたそれを望まないことはわかっている。私にできることは――そして成さねばならないことは、この決闘の趨勢から決して眼を離さぬことである。

 

 押されているのは、残念ながらライダーの方だった。方膝を突き、血を流して息を乱すその姿は、あまりにもこの巨漢に似合わず私はそれを予測していてさえ、それでも瞠目せざるを得なかった。

 

「……そろそろ白状したらどうだ? 貴様、何をたくらんでおる」

 

 膝を突いたライダーを見下ろすようにして、歩を進めてくるセイバーが訝るような声を上げた。ちなみに、猫にとって、もっとも敏感で重要な感覚器官は耳だといわれている。故に聴覚の感度は良好だった。

 使い魔たちは視界で捕らえたヴィジョンだけではなく、音声のほうもしっかりと拾ってくれているのだ。

 

「フン。何のことだ?」

 まるでダメージがないとでも言わんばかりに、ライダーはその長身をすっくと立ち上げた。未だその口角に余裕の笑みを浮かべてはいるが、その疲弊具合は火を見るより明らかだ。

 

 今のライダーは私からの魔力供給を最低限に抑え、戦闘に必要な殆どの魔力を己の貯蔵魔力だけで補っている状態だ。私がキリヒトに単身で向かうという戦略上、私がライダーに廻せる魔力はほとんどない。今も森の中を疾走するだけで消耗してしまう体たらくなのだから。

 

「得意の柄物はどうした? まさか言葉どおりにワシと同じように剣を取って条件を五分にしたいなどというのが本音ではあるまい。なにか策あってのことであろう」

 

「フン。そう思うなら、なぜそれに付き合っておるのだ? お得意の魔術なり宝具なり何なり使えばよかろう」

 

 今度はセイバーのほうが立派な髭に埋もれた貌を、牙を剥くように歪めた。どうやら笑っているらしい。

 

「まず、挑戦を受けた以上、敵が何をたくらもうと、正調なる勝負にてこれを撃破するのが戦士の流儀よ。――そしてなによりも、そうしたほうが面白かろうと思ってな、実を言えば、おぬしの策というやつに少々期待しておるのよ」

 

 問答の途中ではあったが、ライダーは隙あり、とばかりに斬りつけた。そのままトラックぐらいは両断できそうな斬撃ではあったが、やはりこの男の本調を知るだけにそれが精彩を欠いていると感じざるを得ない。

 

「――このままうぬ(・・)を斬り捨てるというのはどうにも面白みに欠けるのでな」

 

 セイバーはそれを容易に受け流し、反しで豪腕をふるった。刀身が躍動するかのように煌めき、その刀身に波打つ美しい波紋が夜気の中で蛇の如く生動した。

 

 うねる斬撃の炸裂に、ライダーの巨体は吹き飛ばされた。宙空に浮かされていた足裏が幾度か空を掻いてやっと地表を捕まえた。衝撃こそ吸収し切れなかったようだが、斬撃軌道だけはしっかりと読んで受け太刀していたらしい。

 

 打倒(ダウン)だけはかろうじて免れたライダーはここまで聞こえてきそうな歯軋りを掻き鳴らした。重ねられるダメージよりもセイバーの漏らした、己を格下と見なす言葉のほうがこの男にとっては耐え難いに違いない。 

 

「フン。生憎と、俺様には策など在りはせぬのよ! 策を弄するのは主の領分でな!」

 

 ライダーは吼え、次いで残像も残さぬような速度で巨体が掻き消えた。

 

「ならば、それはどちらも徒労に終わりそうだな。うぬは策なしではわしに勝てぬ。そして、うぬの主はどう策を弄しても、あの男には勝てぬぞ!」

 

 すると、セイバーのほうもその中身の詰った樽のような重々しげな体躯を、まるで重さなどないかのように跳躍させ、瞬間に姿を消した。

 

 ともに腕力にのみ頼って威力を振るうようなタイプの猛者と見えて、その武芸の練熟、戦士としての錬度も桁外れであった。

 

 そして、まるで断間のない斬撃音が周囲の万物を掻き毟るかのごとく振るわせた。私は使い魔たちに後退を指示した。そこは両者の剣域の範囲内かもしれないのだ。それに両者を補足すらできないのでは意味がない。

 

 そのとき、掠れて尾を引くかのようなライダーの怒声だけが、彼らの初動に遥かに遅れて聞こえてきた。

 

「フン。やってみなければ――わからんだろうがぁ!!」

 

 ――そうだっ、やってみなければわからない!

 

 私はライダーと己への鼓舞をかねて内心で気を吐いた。ライダーは良くやってくれている。たのむから、もう少しでいい、もう少しだけ耐えて欲しい。そうすれば――。

 

 そのとき、全力疾走していたはずの私の背後で樹木が粉砕される音が響きわった。どうやら、目下の怨敵もこの展開にじれてきているらしい。

 

 木々を薙ぎ倒しながら追って来るキリヒト。乱打されるカマイタチと青白い熱線の相互放射は硬い木の幹を簡単に砕き薙ぎ払ってくる。しかしその攻撃は闇雲だ。暗い闇の中を縦横無尽に疾走する私を追いきれていない。

 

 即興の魔力感知で大方の場所は索敵できているのだろうが、しかし私は一時たりとも同じ場所に留まってはいないのだ。森の中で一匹の猫を追いかけることがどういうことかわかったであろう。

 

 雑木林、灌木の繁み、岩陰、あるいは一本の立ち木、一本の枝にさえ、私は己の身を隠匿できるのだ。

 

 事実。ヤツは私を見失っている。この森に誘い込んでからというもの、奴の弱体化は著しい。

 

 その変化比から推察するに、奴の魔術は笹ヶ谷市内にあるあの遺跡古代道を魔術的に使用することを基本として根本から改変されていたらしい。

 

 あの経路を通じて地脈から魔力を取り込むことができ、またその経路を使用して遺跡から遺跡の要点へと瞬間移動できる。

 更にあの遺跡内にある市街地で起きたことを遺跡の経路に流した己の魔力循環させることによって知覚できるセンサーとしても使用している。

 

 これらの機能から察するに、やはり奴の魔術はこの街の古代遺跡を利用することを前提として長い時間をかけて周到に用意されたものだと考えられる。

 

 しかし、今やそれらの機能も使用不能だ。ヤツはその頼みの綱から完全に引き離された。あとは……。

 

 しかしそこでキリヒトの声が聞こえてきた。声の調子は穏やかで、それゆえに底冷えするほどに空恐ろしい響きだった。

 その声音は明らかに魔の言霊を孕んでいた。

 

「何処にいるのかな? お嬢さん。近くにいるのだろうね?」

 

 私も動きを止めた。ヤツが完全に私を見失っていることは間違いない。でなければこんなことはしないはずだ。

 

 やはり、あの街の遺跡道から切り離されたヤツはその機能の大半を喪失している。それでもまだ魔術師としても能力には雲泥の差があるわけだが、それでも今の条件ならばまだ勝負にはなる。

 

 どれほど低い確率であっても勝機があるのだ。ならば後はその確率を少しずつ上げていけばいいだけだ。

 

 私はじっと動きを止めて気配を消すことにつとめた。

 

 長身が不意にはためき、闇の中でも血に濡れ光るようなてかり(・・・)を見せる外套が翻った。

 その手にしていたステッキの先から揺らめく陽炎のような波動が奔り、地面と硬い木々の表面を砂糖菓子かなにかのように容易に削り取った。

 

 今まで散々見せ付けられた「カマイタチ」だが、改めて見てみるとその威力は凄まじいものがある。

 たとえ闇雲であっても一度でもあれに当たればそれで総てが終わってしまう……。私は動きを止めたまま自分の心拍音を抑えることに努めていた。

 

 そこで再び、奴の声が聞こえてきた。

 

「昔はよくこうやって、狩りの真似ごとをしたものだよ。まだ幼かった頃の話だ。君にしてみれば、結構な大昔だろう」

 

 夜の山中では狐や狸のような小獣の歩く音でも、肝を抜くほど大きな音に聞こえるという。山中に泊り込んで狩りをした経験のあるものは昼間の森とは一線を画す森の一面を知るのだと聞いたものだが、それが私にも実感できた。

 

 夜の森は初めてではなかったが、その中で狩るか狩られるかの緊張感に身を任せるのは初めての経験だ。自分の心臓の音がこれほど大きく聞こえるものだとは思わなかった。

 

 声は続く。

 

「私はまだ魔術師ではなかったのだがね。兎、狐、鹿や猪……そういえば猫は初めてだったな。だが、狩りをする上で一番面白い獲物はなんだったかわかるかね?」

 

 響いてくる言霊は魔そのものであったが、しかしそこには何ら魔術的な作為は感じられなかった。この呼び掛けにはどんなに意味があるのか、私は訝りながら、耳を澄ました。

 

「成人してからは、その獲物ばかり追っていたよ。他の動物に比べて、動きはひどく鈍重だが、追い込まれると思わぬ反撃や、行動を起こす。追う側からしてみても、これがなかなかにスリリングでね」

 

 何かの準備をしているわけでもない。……一体何を狙っているのだろうか?

 

「最初はパトロンとして一部の貴族にその遊びを紹介したり、プロモートしたりしていたのだが、そのうちにもっと大手の以来が舞い込むようになったのだよ」

 

 ただ声の話術で私を追い詰めるつもりなのだろうか? だとしたら吉兆だ。最初から徹頭徹尾こちらの命を狙ってきたヤツがそんな手しか打てないのなら、今、奴はよほど手詰まりな証拠だ。あとは――

 

「あの時代、獲物はいくらでもいた。私は教会の走狗として人間狩りを楽しんだものだ。――そう君たち魔女を狩るための狩人としてね」

 

 ――息が、止まった。

 

「だから、私をここに誘い込んだことは、大きな間違いなのだよ。私は慣れているのだ。この暗い森の中で逃げ惑う獲物を狩ることにね。――ふむ、そこだな(・・・・)」

 

 穏やかであった口調が、一点その魔的な声にそぐうように、鋭利な響きを孕んだ。

 

「匂うぞ、恐怖のにおいだ」

 

 私ははっとして己の失策を悟った。私の鼻はそこでようやく己の体臭の変化を嗅ぎ分けたのだ。

 

 奴の感覚器官それ自体は常人のそれと変わらないはずだ。なぜならあの遺跡道をレーダー端末のように使う術をもっているからだ。

 

 だからこそヤツは他の突出した魔的感知能力の類を持ってはいない。そう考えていたのだが、しかし、ヤツにはそれ以外にも別種の感覚器官が備わっていたようだった。

 

 確かに、辺りには私の体から発せられる、ある種の感情によって湧き起こってくる忌避物質の匂いが漂っていた。

 

 人間だけではなく、生き物ならばたいていはこの物質を嗅ぎ分ける能力を持っている。互いに気の置けない人間同士が同じ空間に押し込められた場合などにおいて、意味も無く互いも拒絶しあうような匂い、もとい空気が停滞する感覚を感じることがあるだろう。

 

 人間は特にこの忌避物質を発しあって自分に近づくな、というようなメッセージを言外に発しているものなのだ。どんな生き物でもこれを知覚する能力を有る程度は備えているものだ。

 

 なぜならそれは、周囲にいる生物の状態の変化を、機敏に感じ取るための自然界で生きるための重要な感覚だからだ。

 

 そしてこの能力に非常に長け、獲物――特に人間の恐怖や恐れ、不安を嗅ぎ分けそれを無上の糧をとするのが魔獣やそれに類する魔物の習性なのだ。

 

 もっとも奴らのそれは危険を察知するためのものではなく、今まさに己の牙や爪にかからんとする獲物の恐怖を味わう(・・・)ためのおぞましい器官なのだ。

 

 ヤツは私が瞬間的に発した感情の臭いを嗅ぎつけたにちがいない。

 

 まさか一応は人の身でありながらヤツがそれを有しているとは思わなかった。ヤツが間違いなくあらゆる道を踏み外した外道なのだと言うことがよく解った。

 

 私を補足したキリヒトは、もはや逃がさぬとばかりに私めがけて一直線に突進してきた。

 

 ただし――ヤツは一つ勘違いをしている。私はただの一度も恐怖など抱いていなかった。

 

 手にしたステッキが振り上げられ――それが振り下ろされるより先に、その巨体の懐に飛び込んだ私の爪が奴の五体に連続で叩きつけられていた。

 

 私が発していたのは恐怖の匂いではない。その起源となる感情は「怒り」であった。

 

 ほんの一瞬ではあったが、突発的に湧き上がった活力に突き動かされた私の圧力はこの高位の魔術師を上回った。

 

 もはや無尽蔵の再生能力を削がれた燕尾服から、鮮血が舞った。

 

 しかし、それまでだ。私はすぐに体勢を反転させた。今のは怒りに任せたまぐれ当たりに過ぎない。逃げの一手に終始するとばかり思っていた私が逆に前に出てきたために、一時的にヤツが混乱しただけのことだ。

 

 そして、わかっていたことではあったが、全力で叩きつけた筈の魔爪が殆ど利いていない。こいつは単純な頑丈さでも騎士クラスのサーヴァント並だとでもいうのだろうか?

 

 兎角、ヤツを怯ませた私は一路背を向けて逃げ出した。このまま真正面から戦って勝てる相手でないことは先刻承知している。

 

 ヤツが追って来る。どうやら、私が逃げ延びたことよりも、私が恐れを抱いていないことのほうが気に障ったらしい。背後から湧き起こってくる、まるで爆ぜるようなヒステリックな怒りの気配がありありと感じられる。

 

 それでいい、好都合だ。私は二番目の罠に誘導するつもりでヤツにこちらの居場所を知らせたのだから!

 

 まるで飛ぶようにして私を追ってきた怪人紳士はふと足を止めた。そこが行き止まりだったからだ。私はまたあえてヤツに追いつかせるように動き、ヤツをこの袋小路に誘い込んだのだ。

 

 そこは左右を剥き出しになった巨木の根が遮っている斜面で、おそらく以前は小川のようなものが流れていたのだろう。その水の流れが、この巨木の足元の土を長い時間をかけて削ったのだ。

 

 むろん、斜面を駆け上がるなり引き返すなりすればいい話だが、紳士はその場で足を止め、何かを探るようにじっと暗闇を見つめていた。

 

 奴の視力では私を捉えきれまい。今しがた利用された嗅覚も無駄だ。辺りには私の調合した軟膏が塗りつけてある。この強い香りのせいで嗅覚は殺されるはずだし、また魔力感知にしても軟膏がデコイの役割を果たして奴の感覚をことごとくを撹乱しているのだ。

 

 本来の魔術師にとっての意味合いとは違うがこれも結界だ。獣が己の存在を周囲の環境にしめすようにして成された私の結界であった。だからこそヤツは動きを止める。私はそう思ったからこそここに結界を張っておいたのだ。

 

 私は第二の罠の、その第一段階を発動させた。

 

 遥かな樹上の木組みの上に乗せられていた。材木や岩石が一気に落下してくる。

 

 並の人間や自家用車ぐらいなら圧死は免れぬほどの罠である筈だったが、それを察知した怪人紳士はあきれ返ったかのような遠慮がちな笑いをその口角に湛えた。

 

 ヤツにとっては、これも第一の罠とさして変わらぬ程度の痛痒でしかないと認識されたことだろう。無論、私とてこのような落石如きでことが成るとは思っていない。

 

 たとえ敵の瞬間移動が封じられていても、こんなものが当たらないのは承知の上だ。重要なのは上ではなく、――下なのだ。

 

 キリヒトに回避された石木は当然の如く足の下にあるぬかるんだ地表をしたたかに打った。途端、その周囲五メートル四方がぶち抜かれ、その上にいた錐人諸共深さ五六メートルはありそうな大穴の中へ落下していった。

 

 さらにその上に、山小屋に置き捨ててあったブルーシートが覆い被さるようにその穴を塞いだ。

 

「機穽」という言葉がある。

「罠」を総括する言葉として出てくるのだが、これは二つの構造の異なったものを含んで現した言葉であり、機とはばね仕掛けのはじき矢などのことで樹木や竹の弾力を利用する類の仕掛けをさし、これに対して穽とは字の如く孔を掘って動物を落とし入れる構造の仕掛けをさす。

 

 最初に私が仕掛けた仕掛け矢や、今しがた頭上から落石を起こしたものが前者であり、それをフェイントとして下の大穴に落としたのが後者に分類される罠ということになる。私はその両者を駆使して徹底的に敵を絡めとったのだ。

 

 この大穴についてだが、ここはもともと干上がりかけた小さな沼であった。ライダーの手があるとはいえ、斯様な大穴を穿っているような時間的猶予はなく、その上、以前に私が廃工場に偽装された境界に侵入した時のように魔術で空間を作っておくと言うのも、下策だ。

 

 そんなことをすれば、その場所に魔術を使用したのだということも、そして何をしようとしたのかも安易に知られてしまう。よって、私はこの沼地を選んだのだ。

 

 ここで少々話は逸れるが、私の大分属性は「土」と「水」の二重属性である。血が浅いわりには稀有な素質を持ったものだと師にも言われたものだが、それはさて置き。

 

 私の名前は「涅」と書いて「くろむ」と読むわけなのだが、実際に字としては「くろつち」と読み。これは水底にある黒土を表す。つまり土と水を混ぜ込んだ泥粘土の扱いが私には最も在っている魔術ということになるのである。

 

 私が軟膏や魔術薬の調合を専門的に習得しているのは、ここに由来するところが大きい。

 

 ちなみにその詳細属性は土塊の「偶像」即ち崇拝対象を指し、隠遁を旨とする魔術師にはあまり向かない属性だと言わざるを得ない。

 以前、師には真顔で新興宗教の巫女か芸能人にでもなったほうがまだ適正があるかも、などと言われた次第だ。

 

 ――話が逸れたが、要するにこのような湿地帯には私の魔力が通りやすいのだ。多少力を使ったが、この湿地帯を丸ごと自分に有利な地形に細工しなおすという芸当もうまくいった。

 

 不自然な魔力の流れもなく自然な形で地形を変えられた。それでも細工の跡は魔術の名残となって現れてしまうが、その点は問題なかった。

 

 それとは別の場所にもっと大きな囮を作ってやればよいのである。そう、下にできた空洞に敵を落とすための、頭上に仕掛けられた落石である。

 

 あとは空間の底に用意しておいた塵を設置した。これを舞い上がらせるのも落石の衝撃の作用だ。同時にその穴を青いビニールシートで塞いだ。穴の中ではその底に仕込んでおいた微細な粉塵が舞い上がっているはずだ。それは即席で調合した着火剤と粉塵だった。

 

 さて、ここで天井をふさがれ、飛沫となった粉塵で満たされた状態となった空洞内で火花を散らすと何が起るのだろうか?

 

 瞬間、蒼いビニールシートで塞がれていた筈の穴が、真っ赤な火を吹き上げた。

 

 ……こちらから着火する用意もあったのだが、ヤツは自ら火種を起こしたらしい。怒りが奴の目を曇らせたのだ。とはいえ、この闇の中で穴の中に充満していた粉塵に気付くというのは怒りに駆られていなかったとしても難しいことだっただろう。

 

 この現象は俗に粉塵爆発と呼ばれている。これは大気などの気体中にある一定濃度の粉塵が浮遊した状態で、火花などにより引火して爆発を起こす現象である。炭鉱などで石炭の微粉末によって起こるケースがその代表例であり、他にも微細な金属粉や小麦粉や砂糖のような食品でも爆発が起こることがあるという。

 

 あまり意味がないので科学的詳細は割愛するが、これを人為的に引き起こすにはいくつかの条件が必要になるため、私もかなり集中しての作業を要した。それでも上手く行くかは運任せだったのだが、どうやら予想以上の成果がもたらされたようだ。

 

 ――やったか? そう思い、その火柱を見つめて私は息を呑んだが、しかし敵は甘くなかったようだ。

 

 穴の中から這い出てくるキリヒトの姿があった。多少のダメージは認められるが、とても致命傷とは思われない。

 

 判ずると同時に私は再びキリヒトに背を向け駆け出した。

 

 私の脳裏に、まるでプリズムのように閃く光が映し出されたのはそのときだった。ライダーたちの戦いに変化が起ったのだ。

 

 

 一体どれほど打ち合ったというのだろう? ライダーの手にしていた大剣は、その中腹から砕け、その刃の破片が無明の闇の中にあってなお僅かな光彩をひらめかせて散華していく。

 

 素人目にも業物であることが察せられた剣ではあったが、さすがに幾千万にも及ぶ宝具との剣戟の衝撃には耐え切れなかったものと見える。

 

「……ここまでだな」

 

 不意に、セイバーは溜息交じりの簡潔な「終わり」を示唆した。

 

「フン。なんだ、面白いことを言うではないか? 俺としてはここからだと思うのだがな?」

 

 セイバーは髭に覆われた顎先を掻きながら心底つまらなそうな視線を片膝をついたライダーに向けた。

 

「その粘りだけは感服しないこともなのだがな、これ以上長引かせても、つまらんだけだ。もはやうぬの底は見えたわ」

 

「なんだと!?」

 

 セイバーの言はまるで呟くような素振りであったが、その声はよく響いてもれなく私達の耳に届いた。ライダーの顔がまるで鬼の如く顰められ、まるで責め苦にさらされているかのような鬼面を思わせるほどであった。

 

「使え」

 

「なに!?」

 

「それが嫌なら、うぬのお得意の殺気を飛ばしてみればいいといったのだ。無論ワシは魔術も宝具も使わん」

 

 総身を瘧のように振るわせながら、ライダーはゆらりと立ち上がった。そして天を仰ぎ、呟くように何かを口走った。

 

「そうか……この俺様を相手に……よくも、そんな……戯言を……ふふ、……フハハハッ……ここまで舐められるというのは、生前においても記憶にないな……」

 

 瞬間、不可視の念波がまるで巨人の分厚い戦斧か何かのような分不相応な存在感を持って虚空とアスファルトに幾重もの亀裂の筋を引いた。

 

「その殺気の刃、確かに厄介だ。さすがに初見なら面食らうと言うこともあろうが――」

 

 しかし、セイバーはいとも簡単にそれの間をすり抜けた。

 

「――慣れてしまえばどうということもない」

 

 そして殆ど柄だけになった剣を握るライダーに分厚い剣先を叩き込んだ。

 

 間一髪、巨体を朽木のように投げ出してそれを避けたライダーはまさしく虎のような身のこなしで体を反転させ、地を転がった。

 

 それに付いて廻るように黒ずんだ血の飛沫が飛散した。

 

 まさしく手負いの猛獣そのもの荒々しき体術であったが、さすがに精彩を欠いていることは否めない。致命傷こそないものの、ライダーの巨躯は徐々に淡い赤血の斑に滲み、満身創痍の状態であった。

 

「隠しようもない殺意の具現であるがゆえに、その刃の軌道は見切りやすい。効果としては単純に手数が増えるというだけのものでしかない。ならば話は簡単だ、その総ての刃を躱すつもりでいれば良いだけのことだからな」

 

 苛烈なる突きを放ったままのその姿勢で、数メートルほどの距離を置いたライダーに向けて油断なく切っ先を突きつけたセイバーは言った。

 

 もしも――、もしもライダーが全開で何のハンデも負っていない状態だったなら、こんなことになはならなかっただろう。総ては私の力不足が招いたことだった。

 

「所詮はこけおどしの目晦ましに過ぎん。これ以上の戦闘は無意味だ。潔く首を差し出すがいい。戦士の潔さを示せ」

 

 私は己の窮地も忘れてその言葉に対する怒りを持て余した。なぜであろうか。ライダーがこうして侮辱されるのがどうにも我慢できなかった。もとより侮辱されて当然の男だと言うのに。

 

 しかし、当のライダーは怒りに震えて暴走したりはしていなかった。

 

「フン。言ってくれるな。だぁが! 悪いが、この俺もその主も、諦めが悪いのが売りなものでな。そう簡単に――往生するつもりなぞないわ!!」

 

 四方に放たれた覇刃が濛々たる砂煙を巻き上げ、二人の猛者の姿を覆い隠した。

 

 私の五体には血よりも濃く、紅い炎が渦巻いた。そう言ってくれるのか。まだ、私のことを「諦めが悪い」と、まだ諦めていないといってくれるのか。

 

 その姿を捉えることが出来なくとも私には見えていた。ライダーの顔にはまだいつもの不敵な笑みが張り付いていたはずだ。この程度のことは総て承知のうえだといわんばかりの顔で。それがありありと想像できた。

 

 ――事実、そのとおりなのだ。私達にはまだそれぞれに最後の策がある。どれほどか細くとも、それを抱いている限り、心取り乱し自暴自棄になる必要などは何処にもない。後はその策に総てを懸けるだけだ。

 

 もしかしたら、そのときの私の顔にはライダーのような不敵な笑いが張り付いていたかもしれない。

  

「そんなに急いでどこへ行こうというのかね? お嬢さん」

 

「――――――ッ!」

 

 しかし、その先の趨勢を見届ける間もなく、私は足を止めた。遥か後方に置き去りにした筈の悪魔紳士の紅い影が、私の眼前に現れたのだ。

 

「残念だったな。……君はミスを犯した。恐怖に駆られて山頂と街を繋ぐこの遺跡道に近づきすぎたのだよ。

 確かにこの先、この山の山頂には島原の聖域がある。派手な戦闘は避けるべきだ。聖杯の召喚に必要とされてる場所だし、不戦を約束された場所でもある。そこに逃げ込めば何とかなると思っていたのだろうね。しかし、私はごめんこうむるよ。今島原に目をつけられるのは得策ではない」

 

 私は斜面を登るようにして飛び退き、距離を取って敷き詰められた石畳の上に悠然と立つヤツの姿をじっくりと見据えた。この怪物にも度重なる陥穽によってつけられたダメージが確かにあったはずだ。

 

 しかし今ではその肉体はおろか外装の僅かな破損ですら、完全に修復されてしまっている。

 

 キリヒトは私を追いながらこの遺跡道の存在を察知したのだろう。そしてまんまと見つけた遺跡道から魔力を取り込み体力を回復。さらには瞬間移動して今、私の前に現れたのだ。

 

 逆に私はすでに消耗の色合いが濃い。加えて、先ほどの罠はあの短時間で私に用意できた最上の罠だった。あれ以上大掛かりな罠を仕掛けるのは物理的に不可能だった。ヤツも当然それを察しているのだろう。

 

 私にはもうなんの打つ手もないのだと。

 

 事実として、その推察はほぼ正しい。できることなら先の粉塵爆発で決めておきたかった。確かに今の私にはほんの僅かの余力も残ってはいない。だが、私がこの場所へたどり着いたのは、決して恐怖に恐れおののき、我を忘れて己の行く先を見失ったからではない。

 

 急な石段の傾斜の下から、勝ち誇るように私を見上げ、異形の悪魔紳士は言った。

 

「敬意を表そう。君を半人前とみたのは早計だったと認めるしかなさそうだ。ここまで手こずるとは思っていなかったよ。君は私の記憶の中にある中でも最もしぶとかった魔女だ」

 

「……それは、どうも」

 

 言って、私はふらつきながら、観念したかのように、自らも暗い石段の上に歩み出た。我ながら、今にも崩れ落ちそうな糸の切れた人形のようだった。

 

 纏った外装は剥がれ落ち、蒼褪めた裸体はむき出しなっていた。もう余力がないことは傍から見ても一目瞭然であったことだろう。

 

 一方でキリヒトは自動修繕された衣装を悠然と整え、真新しい黒のステッキとシルクハットを何処からか新調した。そこでようやく己の身なりに納得がいったのか、満足気な息をはいて石段の上方にいる私を見据える。そして優雅な足取りで一歩を踏み出そうとした。

 

「……そこで、止まって」

 

 震えるような私の声に、再び洒脱な燕尾服姿となった紳士は驚いたように眉を上げ、そのあとで人のものとは思われぬ邪悪な笑みをその貌に湛えた。

 

「そう、怯える必要はないよ。可憐なお嬢さん。私にも慈悲というものはあるのだからね」

 

 舌なめずりをするように言って更に一歩足を踏み出した。

 

 私は足を引きずりながら、動いた。近づいて来るキリヒトに対してそのまま退がるのではなく、円の淵をなぞるように動いたのだ。逃げるのではなく、あくまで間合いをはかるように。

 

「……来ないで……!」

 

 そして舗装された階段の只中に立って、錐人を真っ直ぐに見下ろし、出来る限り感情を吐露しないように努めて叫んだ。

 

 長大な、白い石の敷き詰められた階段の上で、私達はちょうど階段の上と下でにらみ合うような形になった。

 

 そして私は手袋を外し、左手にある最後の令呪を見えるように掲げた。

 

 それを見上げた怪人は、その貌にまた喜色の色を重ねた。

 

「今更、空間転位でサーヴァントを呼ぶつもりなのかな? かまわんが、そうするならもっと早くやるべきだった。確かに未だ存命しているようだが、セイバーと戦い続けたライダーはすでに瀕死の状態だろう。役には立つまい。

 その上、君と私の間合いが致命的だ。これでは転位させられたライダーが状況を把握する頃にはもう君は死んでいると思うがね?」

 

「……やってみなければ、わからない!」 

 

 私は、最後の令呪を使用した。手の甲で熱が弾け、強大な魔力が解かれていく。

 

「そうかね? ――」

 

 瞬間、奴の姿が消失し、――攻撃は背後から来た。

 

 ヤツはこの遺跡道の、どの地点にでも瞬間移動できる。ヤツは私の上にいた。私は後ろを取られたのだ。

 

 もしも棒立ちしていたなら背骨を砕かれて致命傷を受けていただろう。しかし、そうはならなかった。

 

 私はその攻撃を予期していた。背後から来たそれをしっかりと受け止め、同時にその反動を利用して石段の外まで(・・・・・・)跳んでいたのだ。

 

 腕の何処かなのか、それとも別の場所なのか判然としなかったが、身体のあちこちから骨の折れるような音が聞こえてきた。

 凄まじい衝撃に見舞われてはいたが、――しかしそのときの私に恐怖は微塵も無かった。私は勝利を確信して、宙空で、聞こえるはずもない言葉を嘯いた。

 

「……その位置がいい。やっとその位置に来てくれた。この直線上にいて、そして下を向いていてくれれば、なお良い。……あとは隙を作るだけ。それなら、……絶対に当たるから」

 

 私を殺しきれなかった錐人は、そこで不可解そうな貌をした。私の呟きは聞こえていなかっただろう。

 

 それでも私の勝利を確信しきった目を見て、ヤツは咄嗟に己の致命的な失策に思い至ったのだろう。――そういう貌だった。

 

 次の瞬間、山の頂からふもとまでを一直線に伸びる長い石段を凄まじい熱と質量を持った何かが、紅い閃光の筋を残して直進して行った。背後からのそれに巻き込まれたキリヒトの身体は一瞬でバラバラに砕け散った。

 

 これこそが正真正銘、私の用意した本命の策だった。

 

 階段の上、山頂にある神社の鳥居の間には、一本の棒状のものがつきたててあった。その先端には艶やかな月の光を弾いて輝く鋼色の三日月が輝いている。

 

 私が使用した最後の令呪はライダーを呼ぶためのものではない。この階段の頂点につきたててあったライダーの宝具である戟の機能を、一時的にマスターであるわたしが使用できるようにするためだったのだ。

 

 そう、今ヤツを粉砕した紅き閃光は月牙の輝きによって召喚される英馬、赤兎馬による渾身の突進攻撃(チャージ・アタック)だったのだ。

 

 その威力はAランク相当の対軍宝具に相当する。いくらキリヒトが尋常でない頑強さを誇るとはいえ、直撃を受けてはひとたまりもあるまい。

 

 私は最初にヤツを遺跡道のもたらすアドバンテージから切り離した。次いで山中に仕掛けた罠で徐々に消耗させていく。そしてこの山中にある遺跡道はこの直線の石段だけ。追い詰められた私がここへ近づけば、ヤツは喜々としてこの道に躍り出るだろう。

 

 そして私にミスに付け込んだ気になって己の優位を確信する。私が狙ったのはその隙だ。

 

 いくら赤兎の攻撃がすばやくとも、いきなり撃って当たるものではない。気が付かれれば避けられてしまう。しかも私が英霊の宝具を使用するというのはそう何回もやれる芸当ではない。

 

 だから、最深の注意と最大の労を払ってでも、この瞬間に万全を帰さなければならなかったのだ。

 

 高い再生力をもつキリヒトを倒すには一撃で五体を吹き飛ばすしかない。それができるのはおそらくサーヴァントの宝具だけだ。

 

 しかし今ライダー自身はセイバーとの戦闘に身を投じておりこちらに加勢することはできない。いくらライダーでも魔力供給が滞っている状態でセイバーを相手取りながらキリヒトを粉砕するのは難しいだろう。

 

 故に、私は令呪を用いて自分自身が宝具を使用するという裏技を使ったのだ。それこそが私が用意した最大の策であった。

 

 どれほど頑強な魔術師であれ、命はないであろう。キリヒトの体はまるで巨大な蒸気機関車に轢殺されたかのような惨憺たる有様を呈していた。

 

 粉砕されたキリヒトの破片を見ながら、私は吹き飛ばされたその場でへたり込んだ。寸分の余裕も残ってはいなかった。息が吸えず、全身全霊で呼吸に精を出すというのは久しぶりの経験だ。

 

 もう、体の何処が負傷しているのかも定かではなかった。疲労のせいで痛みを正確に把握できないのだ。精神的疲労も凄まじいものがあり、すぐにでも眼を閉じて眠り込んでしまいたかった。

 

 しかし私は何とかして心身に鞭打ち、いまだ戦い続けているライダーの様子に視界を向けた。

 

 山中を走った一筋の閃光を見たセイバーが、目を剥いてそれを見上げた。

 

「な、なんだッ」

 

 声の調子は驚愕を通り越して狼狽に近かった。北海の豪勇らしくないことだが、それも仕方のないことかもしれない。当然、その瞬間にマスターの身に起った異常も感じ取っていたのであろう。

 

「コォォォォォォォォ、パァッ!!」

 

 それを機に、ライダーは裂帛(れっぱく)の気勢と共に「激昂」のスキルを発動し、残った総ての魔力を総身にめぐらし始めた。

 

「フン。これで、ようやく我慢の必要がなくなったな」

 

「――ッ! 貴様、何をした!?」

 

「何もしてはおらんといっただろう? フフン。オレ様にはなんの策もないとな。強いて言うなら、――そうだ。ずっと我慢しておったのよ。俺が受けた命は唯一つ。オレ様のマスターが貴様のマスターを倒すまでは大人しく貴様を引き止めておくようにというものだ。

 いやぁ、難儀したぞ。――それも、もう終わりというわけだ!!」

 

 この上なく不敵に笑んだライダーを、セイバーは豊かな髭に囲まれた面貌を真紅に染めて凝視した。

 

「なるほど、……まったく思っても見なかったことだが、マスターを失った以上ワシの勝ちはなくなったようだな。……だが、それで勝ち誇るは早すぎるぞ、たわけめが! この上は、この身に残された猶予を持ってうぬを下し、あの小娘を討ち取ってくれるわ!」

 

 それを聞いたライダーは快哉を叫ぶように呵々大笑した。

 

「ヌハハッ! 生き汚くて結構なことだ。誠に重畳! 此処にいたって意気消沈されてはこちらこそ不本意極まりないわ!」

 

 ライダーは中腹から折れ砕けて用を成さなくなった剣をセイバーに突きつけて大喝する。

 

「さあ、最後の大勝負と行くか、もはや貴様も出し惜しみの必要はないぞ。全力で来い。俺様も今度こそ渾身の一撃を見舞ってくれるわぁっ!!」

 

「――轟け、『舵竜輝咆剣(ドラグヴァンデル)』! あの下郎を粉砕せよ!」

 

 ライダーの言が轟くが早いか、セイバーはもはや問答は無用とばかりに己の宝具たる剣を執り成し、そこに最大限の魔力を注ぎ込み始めた。そして立て続けにその刃の腹にルーン文字を書き込んで行く。野太い指先がそこからは想像もできぬほどに繊細な躍動を見せ、光陵の紋となって平たい刀身の上で爆ぜ廻るように乱れ狂った。

 

「渇望せし、原初の炎(ニイド・ケン)――戦神の奔馬(ティール・エオー) 陽光の寄与(シゲル・ギューフ) 雷神の戦車(ソーン・ラド)――並べて群れとなし(エオロー)、災厄の豊穣を約束せん(イング・ハガル)」

 

 ――それらが剣の中の魔術機構によって、あっという間に最大値まで増幅されていくのである。

 今あのセイバーは、極限まで増幅された魔術を渾身の斬撃と共にライダーへと見舞うつもりなのだ。

 

 セイバーの構える刀身からはすでに馬鹿げた量の魔力が放電現象となって溢れだし、大気を引き裂き始めている。

 

 なんという剣であろうか。書き込まれたルーンの摂理と注ぎ込まれた魔力とを丸ごと倍々化してしまうかのような、出鱈目な機構はアレが魔術の条理から外れた「宝具」である事を如実に物語っている。

 

 もしもアレを叩きつけられれば、自然界においてさえ有り得べからざる規模の放熱と雷撃が見舞われる事になるだろう。正面から対峙するには、あまりにも危険だった。

それでも――わかってはいた。事此処に至って、この男に一切怯むところなどは一切ないのだと言うことが。

 

 それまで、この世の常ならざる豪勇たちの鬩ぎあいに過度の嗜虐を加えられていた空間そのものが、それまでとは桁の違う暴虐に晒され、悲鳴を上げていた。そして不意に訪れた一瞬の後、周囲はまるで凪いだ水面のように静まり、――――刹那!

 

「去れ、ライダーッ! 雷鳴と光陵の彼方へ!!」

 

 振り上げられた刀身から溢れ出した雷電はまるで津波のように当たり一帯を紫電の檻で包み込み、全身全霊の斬撃と共にライダーへ向かって集束した。

 

 己が必殺の剣を振るうセイバーの姿は、伝説の雷槌ミョルニールを振りかぶる北欧の戦神トールのそれに瓜二つであった。

 

 しかし万象を焼き焦がすはずの致命の余波には眼もくれず、魔人のごとき凶笑をたたえたライダーはセイバーの本命の斬撃が振るわれようとした刹那、それを真正面から受けるように踏み込んだ。

 

 その巨躯をあたかも塵芥の如く飲み込もうとした雷電から逃れえることはもはや何者にもなしえないことと思えた。にもかかわらず――

 

「フフン。馬鹿な髭ダルマめ! この俺様に正面から向かって勝てるわけがあるまい!」 

 

 出鱈目な確信を叫び、ライダーは雷撃の波濤となって押し寄せるセイバーを迎え撃つ。

 

「受けよ。我が宝具の真髄! 『飛将軍越――我、人中にぃ有りぃぃぃぃぃぃっ!!』」

 

 声と呼ぶにはあまりに規格外な爆音が巨漢の口腔から迸り、瞬間、余波とは比較にならぬ稲妻の群を解き放たんとしたセイバーを活目させた。

 

 それは決死の交差の合間、最大の一撃を放つとともに、ライダーの放つであろう覇刃を回避するはずの心積もりを崩されたからに違いない。

 

 セイバーの思考を考察するなら、ライダーの手は事ここに至ってあの覇刃以外には考えられない。いかに渾身の殺気が放たれようが、来るのがわかっていれば回避も可能であり、いざとなれば斬撃の合間に受け止めることも出来るはず。

 

 セイバーは一刹那のうちにそう考えたに違いない。それが最大の間違いだったのだ。

真名の開放と共にライダーが放ったのはこの男の念意の刃、その本来(・・)の形態であった。

 

 殺意の念波を実の刃の如く操るという術理は、この男にとっては副次的な使い方でしかなかったのだ。その宝具の真髄はかつて何万もの敵を単騎で怯ませ、後退させたこの豪勇の放つ比類なき存在とプレッシャーそのものなのだ。

 

 それは己を中心として全方位、あらゆる角度、あらゆる方面へ向けて波状拡散した殺気の乱舞。そこには一寸の隙間さえ存在しない。まさしく対軍宝具の位置にある規模の覇刃であった。

 

 今、英霊として受肉したライダーの殺気の念意は、そのすべてが余すことなく物理的破壊力を持ち、必殺の一撃をまるで雨か、否、あたかも刃の暴風雨の如く降り注いだのだ。

 

 無論、回避することも、受けることも不可能な真なる必殺の一撃である。

 

 瞬間、稲妻の波濤と斬刃の暴風が交錯した。

 

 炸裂した雷光が周囲を包み込んでいた闇を取り払い、使い魔たちの視界は一時的に断絶してしまった。

 

 少しの間だが、使い魔たちとの視界の中継が叶わなくなる。

 

 今の光景からは一刹那の内に行われた激突の結果はわからなかった。私は視界を途絶し、よろめきながら立ち上がった。

 

「……ライ……ダーッ」

 

 ライダーが勝ったにしろ、負けたにしろ、何時までも私がここにいるわけにはいかない。私の成すべきことは己のサーヴァント、否己の戦いの結末をこの眼で確認することだった。

 

 だが、そのとき私は背後で何かが蠢く物音に振り返った。

 

 

 そこに――――紅い案山子が、笑っていた。

 




 
 ステータス更新

 ライダー

真名:呂布 奉先

性別:男性

身長・体重:約2、3メートル 約五分の一トン

属性:混沌・中庸

筋力A+ 耐久B 敏捷B 魔力D 幸運B 宝具A

クラススキル

対魔力:E
 魔術に対する守り。無効化は出来ず、ダメージ数値を多少削減する。

騎乗:A+
 騎乗の才能。獣であるのならば幻獣・神獣のものまで乗りこなせる。
 ただし、竜種は該当しない。

保有スキル

野趣:A
 隠すことのできぬ野性。
 同ランクの「直観・勇猛・視野狭窄」の効果を併せ持つ複合スキル。
 (※視野狭窄:極限的な集中力。セービングスローが上昇し、本来回避できないはずの危険をも退けられる。反面、眼前の敵や一つの目的に囚われ、執着するあまりに大局的な視点を失う可能性がある。)

激昂:A
 精神と肉体の箍(たが)を外し、一時的に攻撃数値を倍化(+)できる能力。加えて対 峙する敵に精神的な重圧をかける効果もあるが、その間冷静な判断力は失われる。

矢避けの加護B
 飛び道具に対する防御。
 狙撃手を視界に納めている限り、どのような投擲武装だろうと肉眼で捉え、対処でき る。
 ただし超遠距離からの直接攻撃は該当せず、広範囲の全体攻撃にも該当しない。

宝具
『飛将軍越、我人中に有り!(ヒショウグンエツ・ワレジンチュウニアリ)』ランク:A 対軍宝具

 具現化した殺気の刃『覇刃』を全方位に向けて撒き散らす呂布の殲滅戦技。視界三百六十度。くまなく放射される刃の雨は多重旋回する極大のミキサーの如く、間合いにある万象を粉砕・撹拌して塵と化す。
 かつて単騎で一軍を怯ませ、震え上がらせた男の撒き散らすプレッシャーはもはや「本物と錯覚するほどの殺気の刃」を通り越し、実際に重さと切れ味を帯びるまでに至ったのだ。

『輝月的中・画悍方天戟(キゲツテキチュウ・エニエガケルホウテンゲキ)』ランク:C 対人宝具

 方天画戟とも。それ自体も十分に強力な宝具ではあるが、呂布の代名詞とされる兵装であることと、かつて轅門にて射撃の的とされた逸話から、その真の能力は無二の朋友である呂布の存在を遥か「英霊の座」にまで月牙の輝きによって知らしめ、時空の彼方から「英霊赤兎馬」を召喚するための「目印」の役目を果たす事である。

(※『紅騎風越、我馬中に有り!(コウキフウエツ・ワレバチュウニアリ)』ランク:A 対軍宝具
 宝具『煌月的中・画悍方天戟』の輝きによって召喚されし呂布の愛馬『赤兎馬』による突貫戦技。真紅に赤熱する灼熱の馬体は、例え単騎の走破のみで     あっても一軍を速やかに壊滅するほどの威力を誇る。)
 

 解説:というわけで、ついに明らかになったライダーの真名でした。いえ、バレバレでしたけどね(汗)

 『覇刃』はどっから出てきたんだといわれそうですが、いくつか元ネタがありまして、第一は『はじめの一歩』に出てきた「殺気のフェイント」ってヤツでした。
 まんまなんですが、こいつは「殺気でもって真に迫った攻撃を錯覚させる」という本当にフェイントだったのですが、じゃあ、これが実際に攻撃判定あったらもう無敵だろうなぁ、と思って不意に呂布のイメージと繋がったのです。

 そもそも呂布って『一歩』でいうところの鷹村とかブライアン・ホークみたいな「暴力の天才」と同類だったんじゃないかと考えたのですよ。
 それと、こんな能力があれば、本来一騎当千の英傑たちを一度に三人・六人とまとめて相手取れた理由にもなるんじゃねェかというのもあります。

 あと、名前的なイメージとしては、『ワンピース』に出てきたエルバフの巨人たち「ドリーとブロギー」が見せた「覇国」っていう技ですね。「海ごと斬った」っていうアレ。
 あくまでイメージなんですが、そんな感じで出来上がってしまいました。
 宝具としてはどうかと思わなくもないですが、まぁ、カッコよさ重点ってことで。
 
 


セイバー

真名:エギル・スカラグリームスソン(エギル・サガ)

性別:男性

身長・体重:188㎝ 140㎏

属性:秩序・中庸

筋力B 耐久A 敏捷C 魔力C+ 幸運C 宝具B

クラススキル

対魔力:B
 魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。 大魔術、儀礼呪法等を以ってしても、傷つけるのは難しい。
 
騎乗:B
 騎乗の才能。大抵の乗り物なら人並み以上に乗りこなせるが、魔獣・聖獣ランクの獣は乗りこなせない。特に船舶の操作に優れる。

保有スキル

勇猛:B
 威圧・混乱・幻惑といった精神干渉を無効化する能力。
 また、格闘ダメージを向上させる効果もある。

呪歌:A
 原初の声、オトノマピア。詩歌の詠唱、作詞等についての才能であり、声そのものに 魔的な効果が宿る。韻を踏み歌うことで魔術と同等の効果を発生させることが可能。
 エギルは戦士であると共に高名なスカルド詩人であるとも謳われている。
 
ルーン:C
 北欧の魔術刻印・ルーンの所持。

狼の紋章:D
 不死身の因子。
 人狼、或いは神狼や魔狼にまつわる逸話を持つ英霊にのみ与えられる特異スキル。精 神及び肉体における驚異的な回復力と耐久力を有し、また、低確率ではあるが一度確 定したダメージをも根本から覆してしまう場合もある。
 エギルの祖父クヴェルドウールヴは日が沈んだ後に狼に変身したと言われ、また彼ら の系譜にはその先祖にオーガがいたことが述べられている。

宝具:『舵竜輝咆剣(ドラグヴェンデル)』ランクB  種別:対人宝具 レンジ1~2

 エギルが父から譲られた剣。何代にもわたって受け継がれたヴァイキングの象徴ともいえる両刃の直剣である。
 剣の腹に書き込まれた(刻まれた)ルーンを瞬時に最大値(AないしA+程度)まで増幅して刀身から放つことができる、魔法剣としての機能がある。


詳細:中世アイスランドの高名な戦士であり、優れたスカルド(吟唱詩人)でもあった。今もアイスランドは人気のあるバイキングであるとされる。

解説:剣士として一流でありながら、魔術スキルも高い。バランス型のサーヴァント。基本的に苦手な分野はなく相性の悪い相手というのもないが、強いて言うならランサーのような魔術の通用しない相手や、ライダーのように強大な破壊力を持つ一転突破の能力を持つ相手には不覚を採る場合もある。

 宝具の元ネタは『ダイの大冒険』に出てくる。ロン・ベルク作の「ダイの剣」の鞘です。これは剣に魔法を付与し、鞘に収めるとライディンがギガデインへ、というように増幅されるという代物でした。
 ドラグヴァンデル自体、どんな能力があるのかわからなかったので、「魔法剣士」の持つ宝具というところから膨らませてみました。

 ヴァイキングの剣はルーン文字が彫り入れてあるのが普通であったので。エギルの場合は刀身の腹に指先を走らせ、ルーンを書き入れるという形になりました。このアクションも結構好きです。

 それと、エギルはもう一本「ナズ」という名剣を持っていたとされるのですが、このセイバーは空気を読んで一本しか持ってきてません。知名度の関係でね。
 ただ、――もしかしたら今後、意外な形で登場してくるかもしれません、期待してお待ちください。
  
 
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。