Fate/alter Seven Sight ――the First Sight―― 作:どっこちゃん
どうでしょうか?
(日曜日・深夜)
指されたのは私の背後の闇だった。
ビル屋上の馬鹿でかい看板の陰の辺りだ。いつから居たのだろうか、そこに、まるで幽鬼のように痩せ細った男がひとり、――居た。
ビクリ、と己の肩が跳ねるのがわかった。何時からいたのかわからなかった。私も気を抜いていたつもりはないのだが。
「フン。どうだ? 下手に策など弄さんでも、こういうのは待っておれば向こうから来るといったであろうが」
脇で揚々と勝ち誇るライダーに私は応えなかった。
不覚にも声がでなかったのだ。ただ、その闇の中から抜け出してきた男の異様さから目が離せなかった。
なぜなら、その存在が明らかに異質だったからだ。
先日対峙した、まるで研ぎ澄まされた流水の刃のようだったランサーや、粗暴な烈火の如きライダーでさえ、まだ神々しいまでの存在を感じさせる精気というものが確かにあったのだ。
なのに、あれはそういうものとはまるで違うモノのように見える。その居住まいとやせこけた総身が、まるで伽藍洞のしゃれこうべを思わせた。
「フン。さてそれでは、まだ見ぬ麗しの君に相まみえるよう、更なる手柄を立てねばなぁ!」
「……え、ちょっと」
呼び止めようとしたが、ライダーはまた無視して歩き出そうとするので、私は咄嗟に袖の辺りをつかんで止めた。
ダンプカー以上の馬力を感じたが、何とか止まってくれた。先の件で多少は私の話も聞く気になったらしい。
「フン。なんだ、こうなった以上、やる事は一つだろうが。……ッは!? まさか先の話がホラだなどとは言うまいな!」
「……いや、ちがうけど……何の情報もないのに」
「敵を前にしてなにを言い出すかとおもえば……フン。まあ、いいだろう、調べたいならさっさとやれ」
呆れたように言うライダーの言もこの場合わからなくはないのだが、それでも出来る限りのことはやってから戦闘に臨むべきである。
先にも述べたが、三画の令呪を宿し英霊をサーヴァントとして召喚したマスターにはサーヴァントの能力を透視する能力が備わるのだ。
私はライダーを始めてみたとき、この眼力でその破格の能力を看破し……糠喜びしたのだった。
……いや、そんなことを思い出して意気消沈している暇ではない。
私は意識を切り替えるのをイメージして一種のフィルターを視界にかけ、いまだにこちらを見たまま薄笑いを浮かべ続ける男を凝視した。
するとあの敵が間違いなくサーヴァントであることと、その異様な能力値が把握できた。
「……なに、これ……どうして」
「なんだ、あのひょろいのは見た目より強いのか? フン。とてもそうは見えんがなぁ」
ライダーは男から視線を外さぬまま、なんだか面白そうに聞いていきた。どうやら、戦い自体は面倒だが、いざ戦うならば敵が強いほうがうれしいらしい。
しかし現実はライダーの思惑のとおりには行かないようだった。
「……そうじゃなくて、逆。……殆どの数値が最低ランクに見える。……あんなに弱いサーヴァントいるわけ……」
「フンッ。なんだつまらん」
ライダーは心底落胆したような声でそう言って、今度こそ制止も聞かず、ずかずかと幽鬼の如き男に向かって行った。
私は何も言えなかったが、不安は逆に強まっていた。
この数値が本当なら、何かしら別の要素があるのではないか。事実そういうサーヴァントがいるらしいということは聞いている。
英霊同士の闘争とは単純に強いか弱いかだけで測れるものではないのだ。
あらためてサーヴァントと思われる男を見る。今度は内的な数値ではなく、外面的な面に目を向けたのだ。
しかし、やはりこれといって印象の無い男だった。
長身でも短躯でもない、細く骨ばった体。
身につけているものといえば、これまた特徴の無い、古風な薄汚れたシャツとズボン。履き潰したかのようなブーツを履き、腰に巻いた毛皮のベルトには鉈のような大き目のナイフを挿している。
それだけだ。とても英霊の装備とは思えない。だが、それがかえって私を不安にさせた。
力で来る相手ならいい。技巧や速度に信を置く手合いでも不安は無い。しかし、もしもアレが、それ以外の手段を用いる相手だとしたら……。
しかしそんな私の懸念をその辺の小石程度にも慮ることなく、ライダーは無手のまま幽鬼のような男の前に仁王立ちした。
男はまだへらへらと笑いをうかべているだけだ。
何をする気なのかと私が訝った、次の瞬間。不意に右手をたかだかと掲げ上げたライダーは、ただ力任せにそれを打ち下ろした。
十トントラックをフルスイングして高層ビルに叩きつけたような衝撃が辺りを襲い、私はいきなり虚空に拡散し、ばら撒かれた衝撃に尻餅をつきそうになった。
驚愕に眼をしばたたかせて見れば、もうもうと砂煙の立ち昇る場所に立つのはライダーだけで、その前にはあの痩身の男の姿がない。
はっとして、私は周囲を探った。
やはり敵もサーヴァント。今の一瞬でどこかに移動したのかと思ったのだ。しかし男の姿は何処にも見つからない。
私は周囲を気にしながらライダーに呼びかけようとしたが、とうのライダーはゆっくりとした所作で足許にあった何かをつかんだ。
今破砕された瓦礫だろうか? いや、そうではなかった。
私はようやく予想もしなかった事の顛末に気付いたのだ。
あの男はライダーの拳を避けたわけではなく、ただその場で棒立ちのままコンクリートの床面に
ライダーがそれを引き上げると、今度はまるで引き抜かれた大根のようにその男が姿を現した。
頭を鷲掴みされ、ぶらりと宙吊りになるその姿はどう見ても瀕死のそれにしか見えなかった。
ライダーはそんな事を気に留めた様子もなく、今度はそのぼろ雑巾のようになった敵を豪快に振りかぶり、屋上の床に投げつけた。
また先ほどと同じような衝撃が奔り、鉄骨などで頑強に補強されている筈のコンクリートにはクレーターのような大穴が穿たれた。
強かにバウンドした男は、その辺にゴミ屑のように転がった。
私はそろそろ不憫になってきてしまった。ライダーのやっている事は弱いものいじめでしかないように見えたのだ。
それに、これ以上ライダーが暴れるとこの真新しい高層ビルが早くも崩落の危機さえ迎えそうな勢いだ。
「……ライダー、もういいから……」
「なにを言っとる。フン。下がっていろ」
まだヤル気なのかと、さすがに抗議しようとした私の前で、――幽鬼のようなその男は、何事もないかのように立ち上がったのだ。
先ほどの違和感がまた頭をもたげ始めた。
「フフン。まあ、英霊の端くれならこのくらいのことはなぁ……」
だがライダーは心底嬉しそうにまた無手のままで歩み寄っていく。
そこで、――私は違和感の延長たる異変に気がついた。
向かってくるライダーに対し今度は男も前進して来た。そしてがっぷりと組み合った。
所謂手四つという状態だ。互いに向かい合い、両の掌を合わせて腕力を競い合う形。――それがすでに怪異だったのだ。
さっきまで、巨漢のライダーを遥かに見上げていた筈のあの男の背丈が今では対面するライダーと変わらないのだ。
体が巨大化しているというのだろうか?
訳のわからなくなった私はもう一度マスターとしての透視力で男を見た。案の定、奴のステータスは今や先ほどとは全くの別モノになっていたのだ。
「フフンッ! そうこなくてはなぁ! 手柄の立て甲斐がないというものだ!!」
ライダーは今度こそ全力といった様相で敵の男に覆いかぶさった。巨漢のライダーに覆い被されて、肥大化したはずの男の五体が軋みを上げる。
ライダーの腕力の凄まじさがここからでもわかった。やはりアイツはとんでもないバケモノだ。戦闘の時だけは、心底心強い。
「フンッ。そうら、そらそらぁ! どうしたどうしたどう……?」
しかし、男はそれでも潰されることはなかった。
そのころには、もうライダーに押し負けることもなかった。組み合う間も男の体は巨大化を続けていたのだ。
それどころかその肉体には別の変化さえ起っていた。
体表は黒くごわごわとした毛皮で覆われはじめ、筋肉の起りはすでに人間のそれとは一線を画していた。
ヤツはもう人の形をしていなかった。
その身体には所謂、
今や、その体躯は先ほど見上げていた筈のライダーが子供に見えるほどにまで膨れ上がっていた。
異形の巨体は人のものとも思えぬ長い体毛に覆われ、野太い指の先には一本一本が鋭利に濡れ光る鉈のような鉤爪が伸びている。
耳まで避けた口腔には案の定、直視を躊躇させるほどの禍々しい牙が列を成している。
もはや二本足で立っていることが不思議なほどに変容したその姿は、しかし僅かに残っている人間らしさのせいでひどく奇怪でおぞましいものに見えた。
それが人の身体を獣の爪や牙で歪めたものだからなのか、勇壮な獣の形態を無様な人間の残滓で穢したからなのかは、わからなかった。
「ぬぅうううううッ!?」
ライダーの腕力はサーヴァントの間でも抜きん出たものなのだと言うことは想像に難くない。
だが、それでもライダーがそいつに押し勝つ姿は、このときばかりは想像できなかった。
さっきのお返しとばかりに、今度は獣人の男がライダーの身体を軽々と持ち上げた。
「くっ、この!」
ライダーも足掻いてはいたが、無駄だった。
そしてまたお返しだったのだろうか、先ほど己がやられたのと同じようにライダーを凄まじい勢いで足許にたたきつけた。
さすがに三度目だ。先ほどの私のいやな予感が当たってしまった。屋上は完全に崩れ、ビル全体に巨大な亀裂が入ってしまったのだ。
もはや驚愕を通り越して唖然とするほかない。
これがサーヴァント同士の戦いだというのだろうか? ただ素手で格闘するだけで足場とした頑強なビルが崩れ落ちるとは。
私は瓦解しかけている屋上の端で何とかもちこたえていた。
もう少しこいつらが暴れたら、今度こそこの高層ビルそのものが崩落してしまう。その上、さっきからの衝撃と爆音を聞きつけて、ビルの周りには人が集まってきている。ここにこれ以上長くとどまることも出来ない。
にもかかわらず、ライダーは叩きつけられた衝撃で下の階層まで落ちてしまったらしい。
拙いことになった。今の私は無防備な状態だ。今アイツに狙われたら……。
だが見ればあの獣人の姿がない。しばらく視界を巡らせて、やっと隣の、やや低い位置にある北側のビルの上にそれを見つけた。
今や人獣混在といった醜さはなくなり、美しく月光を弾く銀の毛並みがその存在の崇高さを物語っていた。
そこにいたのは完全に理性を失った存在。つまり完全な獣と化した伝説の具現だった。
私は、やっとあれがサーヴァントなのだと納得できたのだ。
――バーサーカー。人から理性を切り離すことで完成する狂気のサーヴァント。その意味で、あれは最も純真な狂戦士なのだ。
人狼とも呼ばれるその存在は、人類史のあらゆるところにその類似の伝説を見ることが出来る。
確かにそのような――獣人化現象――を経験したという英霊もいるはずだが、しかしあれはどこかそういう英霊とは違うもののように見受けられた。
だが、それ以上考えている暇はなかった。
獣はただ純真な飢えを満たすためだけに、その銀色の牙を剥き上げた。ライダーの居ない今、私には自衛がかなわない。
銀狼は一気に跳躍してきた。
見れば見るほどに心を奪われるほど美しい獣だった。
手向かうもなにもない。私に出来ることは奈落のような虚空へ身を投げ出すか、おとなしく巨獣の牙にかかるかの二択であった。
咄嗟の判断で虚空に身を晒そうとした瞬間、飛び上がった銀狼と私の間に灼熱の靄のようなものが現れ、銀に光る刃をふるってそれを叩き落した。
「ぅおのれぇぇぇぇぇ、やってくれたなっ! このケダモノめぇ!」
虚空へ身を投げ出した私をまたも手荷物の如く抱えたライダーは怒気を撒き散らすように吼えた。
銀色の獣は僅かに鮮血の筋を虚空に残し、また北側のビルの上に着地した。
「……というか、最初から素手じゃなくてそうしてれば良かったんじゃ……」
いや、言うまい。
今回は私も気を抜きすぎた。あの人狼の能力はあまりに突飛で予想外に過ぎた。
崩れかかったビルの屋上にいる私達と、ライダーに跳ね飛ばされてまた北側のビルにまでもどった巨獣。
当然の事ながらその間には下の道路まで何もない渓谷のような間が広がっている。
無論サーヴァントなら一息で飛び越えることも可能だろうが、この場合先手を打って空中で無防備を晒すよりも、後手に構えて待ちに徹するほうが有利になる。
位置関係としては私達のいるビルのほうが幾分高いのだが、屋上付近は今しがた生じた亀裂のせいでひどく不安定であった。
状況としては五分といったところだろう。ここは慎重に機を計らなくてはならない。
とはいえ、この場で戦闘に臨もうとしているのは完全な獣に変じたバーサーカーと基本的に物を熟慮しないライダーだ。
どう贔屓目に見ても、両者ともに理性的な判断が期待できるとは思えない。
理詰めの駆け引きなど論外だろう。
なんにしろ、とりあえずはまず私を安全なところへ降ろして欲しいところだったが、対峙する両サーヴァントの間にはそんなことを言い挿む余地はなさそうであった。
先日に見たランサーとの対峙の時とは決定的に違っていた。あの時の空気に私は烈火と止水の対立を夢想したが、これは今まさに爆ぜようとするダイナマイト同士の我慢比べであった。
どちらが爆発を堪えられるかを競う馬鹿げたチキンレース。
――きっと、睨み合いは長くは続かない。どちらかが待ちきれなくなり、弾けるはずだ。どっちだ? いったいどっちが……。
その間、私は息をするのを忘れていた。
――先に動いたのはバーサーカーのほうだった。
しかし私の危惧と心労を余所に、銀の巨獣は一跳びで私達の遥か頭上を飛び越え、私達の立ち位置を挟んで反対側の、それも六車線もの幅広の往来を挟んだ先の南側のビルの上に充分な余裕をもって降り立った。
凄まじい跳躍力だった。唖然とする私達を尻目に、銀獣はそのままふさふさとした尻尾を振って振り返りもせず、そのまま走り去ってしまった。
「…………に、」
逃げられた? ……ということなのだろうか?
確かにこれ以上の戦闘を続ければどちらかが消滅していたことは確かだが、なぜか、妙に辻褄が会わない気がした。
ライダーに抱えられたまま、私は考えた。
そも、逃げるくらいならどうしていきなり私達の前に姿を現したのだ? なぜ勝てる確証もないのに敵に攻撃を仕掛けた?
つまり今のは、私達の戦力を測るのが目的であったとすればどうだろう? もしもそうなら事態は重大だ。あの敵を逃してはならない。
「……ライダー、今すぐっ」
――――いや、待て。そうじゃない、違うッ!
ある種の懸念が稲妻の如く私の脳裏を奔った。
なぜあのバーサーカーは実体化したまま逃げているのだ?
サーヴァントはいつでも霊体化して姿を消せるのだ、なぜそうしない? それは――私達に追われるのが目的だからではないのか?
そうだ、あれは私達に自分を
「わかっとるわ! フフン。ここで逃がしてなろうものか!」
すでにバーサーカーを追って動き出していたライダーへ、私は叫ぶように制止の言葉をかけた。
「……違うっ、逆! ライダー、逆に行って。北へ。……あの狼は追わなくていい。あれはわざわざ私達をあの方角へひきつけようとしてるの。
……わざわざ私達を飛び越えて。ただ逃げるつもりなら、あのまま反対に逃げればいい。つまりバーサーカーのマスターは自分のサーヴァントとは別の方角に逃げたということ!」
私はまくし立てた。つまり――そう、忍術に例えるならば、所謂獣遁の術というやつだ。
まずは己を発見しそうになった敵に此方から犬などの獣をけしかけ、あらぬ方向に逃げた獣に敵の注意を引き付けると同時に自分は犬の走る方向とは逆の方面に身を隠すのである。
つまり、あの人狼は今何かしらの事を起こそうとしているバーサーカーのマスターが近くにいた邪魔者、つまりは私達を遠ざけるために仕掛けた目晦ましなのだ。
故に今すぐに北側の繁華街に探索を始めれば、何らかの魔術を使用している最中の、それも無防備な状態の敵マスターを見つけられるかもしれないということだ。
これは、千載一遇のチャンスだといえる!
しかし、ライダーは方向転換をすることなく、南に向かったまま私を抱えてビルから飛び降りた。
「……ちょっ……ラ、ライ」
サーヴァントといえども飛行する能力は常備されていない。私達は重力に引かれるままに落下するしかない。
そこでライダーは持っていた戟を虚空に突き出した。しかし手掛かりになるような物は何処にもないのだ。
まさか――。私の背筋が最悪の予感を導き出した。
きっと、今朝最凶と出た私の運勢が最悪のピークに達したのはきっとこのときだったのではないかと思う。
「フン。――来たれ、我ぁが愛馬ああぁぁぁぁぁぁ――ッ!!」
掲げ上げた矛の先に添えられた月牙が流麗なる天月の光を反射したように煌めいた。
その三日月形の光が時空を超えた
私達の着地点にあった駐車場。そこに停めてあった煌びやかなボックス型の改造車両が、そのとき内側からめくれ上がるように粉砕された。
そしてその中から、真紅の巨大な騎影が砲弾の如く撃ち放たれ、落下してきた私達を受け止めて、そのまま尋常ならざる速度で疾走を始めた。
「なーにを言うとるんだ、主よ。フン。逃げ去ろうとする敵の背を前にして、それを追わずにいるかもわからぬ背後の伏兵を探すだと? なにをまどろっこしい。だいたいあれを追わなくては手柄の立てようがないではないか。
――フフン。いいか、あの犬を討ち取ったあかつきには褒美を忘れるでないぞ」
「……だか、ら、……そう、じゃ、なくてッ……」
それ以前の前提の話なのだ。そもそも、この聖杯戦争はサーヴァントではなく互いのマスターを狙うのが常道なのだ。
それができないから、サーヴァント同士の戦闘になるだけのこと。マスターを前にしてサーヴァントを追っても仕方がないのだ。
大体、追いかけてもすぐに霊体化して逃げてしまう。そうなるといくら追っても捕まえることはむずかしい。
しかし、疾走する騎馬のあまりの豪速に私の声は掻き消されてしまった。息も出来ずに自分が乗っている馬体の発するあまりの熱量におののくばかりであった。
まるで赤熱する蒸気機関のスタンピードであった。街行く人々には、その姿は人影でも騎影でもなく、ただ一陣の閃紅と映ったであろう。
これこそがこの男の
先夜、あのランサーとの立会いの折、介入をはたしてきた闖入者の魔術を一瞬で蹴散らしたのはこの猛馬の助太刀によるものだったのだ。
「ほーれ、いたぞ。あの犬っころめが! フフン。行くぞ相棒。戦場(いくさば)においての最速が誰なのか、はっきりと教えてやろうではないか!」
私の目には捉えられなかったが、ライダーには先を行くあの銀狼の後姿が見えているらしい。
そこで喜々とした怒号に応えるように嘶きを轟かせた真紅の馬体が、さらに加速したせいで私の抗議の声はそれっきり喉から出て行かなくなってしまった。
私に出来たのは、ただ必死になってボイラーのような馬の背にしがみついていることだけだった。
銀の尾を引く獣影はこちらを確認するように振り返り、そのまま近くのフェンスを飛び越えて線路に侵入した。
目算で軽く一トンはありそうな巨体が、まるで重さを感じさせることなく疾走して行く。
「ほう。――フフン。お誂え向きだな。ヤツめ、誘っておるわ」
線路のフェンスの前に一度停止してライダーはそう言った。
「……だから、最初からそういって……」
私はようやく息をついて声を出したのだが、
「違うわタワケ。囮だなどという意味ではない。
フン。ヤツは遊びたがっているようだな。さっきからわざと追いつかせるように、速度を緩めていちいちこちらを確認していよる」
「……ならわかるでしょ。アレは……」
「フン。まぁ、乗ってやるのが筋だろうなぁ」
ライダーは実にうれしそうにそんなことを言った。
……いや、そうじゃなくて……。と、その言葉は声にならなかった。
一時停止したかと思われた馬体が、なんの予備動作もなく一気にトップスピードまで加速して線路に突入したからだ。
無論、フェンスは飛び越えるのでなく、まるで蜘蛛の巣ほどの障害でもないかのように破られた。
「……と、とにかく、そのレールだけは壊さないようにして」
私に辛うじて言えたのはそれだけであった。
これには自分自身でも何を言っているのかと思った。
この状況に私自身もかなり動揺している。……まあ、一応大事なことだ。線路のレールというのは思いのほかデリケートなものらしいし、そうでなくともこの英馬の燃え滾る破砕槌のような蹄に踏み荒らされたら、それこそ角砂糖のように粉砕されてしまうのは眼に見えている。
フェンス程度ならいざ知らず、レールを破壊してしまっては路線のダイヤグラムに多大な支障をきたしてしまうことだろう。
カラスが置石をした程度でも話題になるのだ。そこに巨大な蹄の跡がのこっていたら、またそれこそとんでもない都市伝説やワイドショーにネタを提供することになってしまう。
無論、儀式の管理者達によって擬装の策は施されるとは思うが、それでもそんな痕跡を無闇に残してしまうのは魔術師としては論外の仕儀だ。
なんとしても回避せねばならない。
「なんだなんだ。細かいことを言いおって。走りたいように走らせてやればいいではないか。フン。いいから黙っておれ、舌を噛むぞ」
「…………ッ!」
それ以上は本当に声もでなかった。
限界だと思っていた騎馬の加速が、一段ギアを上げたのだ。
もう内心で己の奉ずる神に願うしかなかった。私の説得がほんの少しでも通じていますようにと……。
そしてほどなくして、ようやく私も路線の上を軽やかに駆けて行く銀色の巨獣の影を捉えるに至った。
私の祈りが通じていたのか、主人の方はろくに言うこともきかない駄馬なのだが、その愛騎たるこの巨馬のほうは主人よりも話のわかる手合いのようで、私の言葉どおりレールを避けて走ってくれた。
後ろの巨馬鹿に比べればだいぶお利口さんのようだ。
強烈な揺れに四苦八苦しながらそう言ってやるとライダーは、
「フン? 確かに、妙に素直だな。おぬし、獣やらに好かれやすい性質なのか? こいつは気に入らない人間がいれば伏虎の如く噛み殺し、邪魔な人間がいれば虫けらよろしく蹴散らして道を闊歩するという稀代の猛馬なのだがなぁ」
……何気に怖いことを言ってくれる。文献にもそこまでは書いてなかったはずだ。
あまり気を許しすぎないほうがいいのだろうか? と考えていると、今度は馬のほうでそれに抗議するように嘶いた。
「わかった、わかった。余計なことは言わん、好きなように奔れ。……フフン。主よ、おぬしはだいぶ好かれたようだな」
……そうなのだろうか? 私も動物はまんべんなく好きな性質なのだが……。首を撫でてやると疾走しながら力強い嘶きがかえってきた。
初めて乗ったが、馬というのは結構表情豊かな動物のようだ。主人と同じで暴れん坊のようだが、少なくとも私には協力的なのが気に入った。
「……うん、いい仔だね」
お前と違ってな、とはあえて口にはださなかった。
「ヌハハハッ! 挨拶は済んだな。フフン。では、これより本腰を入れて行くこととしようか!」
障害物のない線路上で真紅と灰銀の騎影はどんどん加速し、すでに外界からは二筋の未確認飛行物体としか見受けられなかったに違いない。
その英霊たちの顕現たる豪速のなんという凄まじさだろうか、あまりに速すぎて私の体感ではどの程度の速度が出ているのかがはっきりしない。
私達の行く少し先の空間には、空気と紅い蒸気のようなものの境にうっすら膜のようなものが見えていた。
まるで炎に煽られる陽炎の薄膜のようであった。
おそらくあれが力場となって、凄まじい速度で移動するこの埒外の英馬の上にいる私達を大気の摩擦や外界の障害物から護っているのだろう。
これがなければ私は巻き上げられたちょっとした砂やそこら中に存在している大気の抵抗によってこの身を引き裂かれていることであろう。
もっとも、ライダーだけなら身一つで耐えられるのかもしれない。だとしたら、やはり私に気を使ってくれているらしい。
おかげで私もこの場所では暴風に煽られる程度の痛痒しか感じることがなかった。この場合、これは僥倖だというべきことなのだろう。よく気がきく馬である。
その頃には、私もそう思える程度にはこの超加速の領域に慣れてきて、口を聞くことも出来るようになっていた。
というか頑張って慣れないとそれだけで危険なのは依然として変わりがない。
吹き付ける風の中でようやく息を吸って、私は背後に聳え立つライダーに半ば叫ぶようにして言った。
「……ライダー。バーサーカーは、ここで討って! 取り逃がしては、ダメ!」
こんなところまで来てしまっては、もはや街の北側に逃げたと思われる敵マスターの捜索は不可能だろう。
ならばせめてここで確実にバーサーカーを討っておきたいところだ。
これまでの攻防で、どれほどの情報を敵に与えてしまったかわからない。にもかかわらず、こちらはバーサーカーのマスターの顔すら確認していないのだ。
せめてバーサーカーを討っておかなければ、こちらが一方的にアドバンテージを失うことになってしまう。
「フンッ! 言われるまでもない。もとよりその気だといっとろうが。大船に乗った気でおれい!」
ところがライダーはこの状況を本気で面白がっているらしく、高笑いしながら快哉を叫んでいるのだ。
と、そのとき一瞬、周囲の明度が落ちた。
そしてふいに前にいたはずのバーサーカーがいきなり私たちの眼前に姿を現した。私は驚愕するのに精一杯で反応すら出来なかったが、ライダーは当然のようにそれを戟で打ち落としていた。
いつの間にか私達は隣県との県境にある連峰を貫く形で通っている長いトンネルに入っていたのだ。
なんという速度だろうか。ここに来るまで物の数分だ。新幹線に乗ったときよりも明らかに速い。
それにしても、これまで逃げの一辺倒だったバーサーカーがなぜ今になっていきなり攻勢に切り替えたのだろうか?
勘ぐる内にも、暗いトンネル内に列を成して点在するオレンジ色のライト光にその灰色の体毛を染めながら、急旋回したバーサーカーはやおら音速のソニックブームを撒いて襲い掛かってくる。
まるで平面上で行われているドックファイトだった。その迫力はおそらく本物の戦闘機同士の鬩ぎあいにも匹敵するだろう。
すると、今度は壁面や天井を縦横無尽に駆け巡って多角的に巨大な爪や牙を見舞おうとしてくる。
その度にライダーは戟を振り乱してそれを弾き返すが、しかしその豪速の中で精緻なヒット&アウェイを繰り返すバーサーカーには反撃が届かない。
その激突毎に仄明るい剣戟の光がパッと咲き乱れ、私の目はその度に感光したフィルムのように閉ざされてしまう。
……前言撤回だ。この追走劇、もはや平面の攻防だけではすまないらしい。これは本物のドックファイトに等しかった。
ミサイルを積んでいないのがせめてもの気休めだ。
「フン。この場所ではちと分が悪いな。どうやら地の利は向こうにあるようだ。こちらはどうにも小回りがきかん。
……フン。せめて弓でもあれば話も違ってくるのだが」
「……物騒なこといわないで」
ライダーは不満そうにぼそり、とそんなとんでもないことを漏らした。
こいつが曰くところの「弓」がミサイル以下である保証は何処にもないのだ。下手にそんなものをぶっ放せば、このトンネルまでもがあの高層ビルのように崩落の危機を迎えるかもしれない。
守勢に立たされてよろめいたこちらを嘲笑うかのように、銀の閃光を播いた獣は加速した。
「チッ! それにしても犬頃のくせに生意気な!」
「……追いつけるよね?」
私は安っぽく愚痴を漏らすライダーではなく、私達を乗せて疾走する猛馬へ語りかけた。
すると、それに応えるかのような嘶きが轟き、馬体が限界の限界と思われたところから。また更に加速して行くのだ。もはや私にはこの英馬の力量は測りきれない。
ここで、これまでの攻防で私にも双方の戦力差、というよりも疾走における質の違いというものが、大まかにだが飲み込めてきた。
直線での移動速度はさすがにライダーに分がある。
故に一見前を行くバーサーカーを捉えることも容易であるかのように思えるのだが、しかしいざという時に攻撃が届かない。
というよりも翻弄されてしまうのだ。
簡単に言うなら旋回性能においてバーサーカーはこちらを上回っているということになる。
つまり急な方向転換や、速度を落とさぬままに前後左右への切り返しに大きな差がでてしまうということだ。
犬や猫といった肉食獣は膝を起点にして動く人間とは違い背骨と腰、つまりは全身のバネで方向転換をする。
その速度と能率は生半可な機動装置や人間の技巧では到底追いつかないものだ。
対して騎馬の旋回性能も無論のこと人間とは比べ物になるまいが、こちらはあくまでもその走行力の加速性能と持続性を人為的に追及し続けてきた結果であり、その点についてはあらゆる獣を凌駕することは明白だが、しかしこのように多角的な空間においての小回りについては、あのバーサーカーに一歩譲らざるを得ないようであった。
それに、私がレールを傷つけるな、といったことも影響が出ていないとは言いがたい。こちらの搭騎が全力で走ることができなくなっているのだ。
邪魔なものを総て粉砕しながら進むのが、本来のこの鋼の巨体の使い方なのだ。
せめてここが線路やトンネルではなく、広い平原だったなら追い詰めるのは簡単だったのかもしれない。……いや、この現代日本の起伏の多い地形ではそんなシチュエーションは望むべくもない。
無い物ねだりは無為の極みだ。この時、この場で、この状況で何とかするしかないのだ。
しかし相手はバーサーカーのはず、それがまさかそのように考慮したうえでこの経路を選んだとは思われない。
かといって、逃げの算段をつけていたバーサーカーのマスターがそこまで支持したとも考えにくい。
おそらくは獣特有の戦闘感覚のようなものが働いたのだろう。
そも、狼のような自然界のプレデターたちには、考えずとも戦闘において正解を引き寄せる直感のようなものが備わっているのだという。
どちらにしろ、私達は身動きの取れない枷をはめられた状態に陥っている。
「フン。コイツはちと、――面白くなってきたかもな?」
にもかかわらず、ライダーは余裕の表情を崩してはいない。
「……どうするつもり?」
何か策でもあるのかと私は訊いてみたが、
「そんなものはない。が、フフン。なくとも何とかなりそうではないか? 所詮敵は獣よ」
「…………」
などと無駄な問答に時間を費やしているあいだに、進行方向の先に小さな光が見えてきた。
このトンネルの終わりが近づいているのだ。開けた場所に出ればこちらの不利がある程度は解消される。
――それはつまり、バーサーカーの優位が消えるということだ。
ならば、その瞬間をあの獣の嗅覚が逃すはずがない。このトンネルが途切れる瞬間こそが勝負のときだ。
「……ライダー、具体案がないなら、私の指示を聞いて」
「フン? そちらには何か策があるというのか?」
ライダーはまた半信半疑といった眼を向けてきた。
「……あいつは多分、このトンネルの出口で仕掛けてくる」
「だろうな」
この点にはライダーも同意した。
もっともこいつの場合、論理的な思考からではなく、直感的な感覚でそうだと感じていたのだろう。
この男は生前もそうやって生きてきたのだろう。策を弄するのではなく、行き当たりばったりの運任せ、己の勘任せの行動で、にもかかわらず神がかり的に事象の正解を引き当ててしまうのだ。
つまりあのバーサーカーが持つような、獣特有の直感、超感覚を、ライダーもまた備え持っているということである。
ライダーにとっては獣の行動はむしろ読みやすいに違いない。――つまるところ、同類なのだ。
行動様式が獣と一緒というのは人としていただけないが、結果が伴う以上安易に馬鹿にも出来ない。
そう考えると、なるほど昔の隣人たちもこの男扱いにはさぞかし頭を悩ませたことであろう。
余計なお世話かもしれないが、私にもその苦労が揚々と察せられた。
しかし言い換えれば、それはそこまでの能力なのだ。ライダーが単騎ならその野生の勘で何とかなるかも知れない。敵が十人や百人ならその勝負勘を利して相手を打ち崩せるかもしれない。しかしそこまでなのだ。
それ以上の規模の戦闘において必要なのはことの趨勢を見通す眼力や、知略、そして人々を導き、あるいは説き伏せ、あるいは魅了してしまう能力なのだ。
この男に欠けているのはそういう部分なのではないかと、不意に、そう思えた。
私は、改めてこの男の伝承に思いを馳せていた。
それは時間にすれば秒に満たない時間であっただろう。想いというよりもフラッシュバックのようなイメージ、一枚の絵か写真用なものだ。
この男は徹頭徹尾、ひとりだった。
その能力も、思想も、願望でさえ、他者と交わることがない。孤高なのだ。何処までも虎のように己の身一つで生きぬくこの男が数に頼みをおくあの時代の中原を制することができなかったのはある意味で順当な結果なのかもしれない。
おそらくあの歴史の ifをどれだけ繰り返しても、この男が頂点に立つことはないのかもしれない。
それでも、その事実がこの男の在り方に何の感傷も伴わないことが、なぜか実にこの男らしいと、私は感じたのだ。
ぼんやりと、唐突に湧き起こった刹那のイメージに私はそんなことを想っていた。
「……
「フン。わからんだろうが」
事実そうする気だったらしい。本当に考えなしの男だ。
実際に上手く行く可能性もなくはなさそうだが、しかしそのやり方には確実性がともなわない。
「フン。言っておくがな、このオレ様に妙な小細工をしろなどというなよ。そんな暇はないぞ」
小さかった出口の光は先ほどよりも口径を増していた。出口が近いのだ。
「……それでいい、小細工をするのは私。ただ、あんたは私が何をするのかを知っていればいい」
「フン?」
私は策の詳細をライダーに伝えた。
それほど難しい策ではない。口頭での説語の内にそのための準備もできた。
首の
触媒となる軟膏を玉の部分に塗りこみ、簡易的な魔術を施す。何秒も掛からない作業だ。
しかし上手くいけばあの獣の裏をかける。
「――なるほどな。フフン。いいだろう、やってみろ。良し、オレ様の合図を待て!」
ライダーも興が乗ったようで喜々として賛同した。
おそらく、こういうシンプルなやり方は嫌いではないのだろう。
この男は流儀がどうこうではなく、物事を簡潔なのか複雑なのかで判断しているきらいがある、と私は見ている。
それにしても、仮にもマスターに向かってその言い草はないのではないだろうか?
とはいえ、それを矯正することの労を想うととても取り組む気にはなれない。おそらく原子力潜水艦の馬力がひつようになるだろう。
私には荷が重そうだ。
危機的状況に瀕して感覚が凄まじく凝縮されているからなのか、それとも逆にあまりにも頑強なライダーの懐で危機感が弛緩しているからなのかはわからなかったが、そんなことを考えている間に、トンネルの出口はすぐそこまで迫ってきていた。
それまで、闇に溶け込むように息を顰めて並走していたバーサーカーがほぼ九十度近い角度で反転し、私達を、いや、明確に言うなら、もっとも脆弱な弱点である私自身を狙って仕掛けて来た。
「今だ!」
ライダーの耳を聾するような合図と共に、私は球状に丸めたリボンの鞠を迫り来る巨大な顎に向けて放った。
私の指から離れた刹那、それは鮮烈な火花を散らして煌々と燃え盛った。
それは相手を燃やし尽くすための火ではなく、周囲を照らすための光だった。要するに強い光を発するように設定した簡易式の焼夷照明弾なのである。
つまりは単なる眼くらましなわけだが、しかし安易に侮ることなかれ。
どんな超常存在であっても、暗闇の中でいきなり眼前に強烈な光が現れたなら、程度の違いこそあれ、僅かの時間、確実に視力に支障をきたす。
それはたとえ伝説の具現たるサーヴァントでも変わらぬことだ。むしろ暗視スコープ並みに夜目が利くとなれば、より有効な策といえるかもしれない。
何より、このタイミングでほんの僅か、瞬きほどの間であっても視力を失うというのは致命的であろう。
実際にバーサーカーがうろたえたかは私にはさだかではなかったが、ライダーのはなった戟の一撃はあらゆる懸念を丸ごと吹き飛ばし、その銀色の巨体をトンネルの外へ向けて数十メートルもの彼方へ血煙と共に
安易な策ではあったが、上手くはまってくれた。
私は先ほど、相手のマスターがバーサーカーを囮に使って遁走の手段としたことを「獣遁」の忍術に例えたが、そこで忍術には忍術ということでこの策がひらめいたのだった。
小学校時代からの悪友に、この手の雑学に堪能な馬鹿がいて、ききたくもない話を長々とされた時のことを思い出したのだ。
私が使ったのは所謂「火遁」というやつである。
字の如く読めば火を使って逃げるための術であるが、今回は逃げるためではなく敵の虚を突くための手段として使用した。
遁とは逃げることの意であり、敵を倒す術ではない。
娯楽小説や少年漫画の類では火遁といいながら火炎で相手を焼き殺すような術として紹介されることも多いのだが、実際にはそんな術はあまり使われなかったらしい。
相手に火をつけるよりは、そこいらにある石なり何なりを投擲したほうが敵を倒すにはよほど効率的なのだ。
忍者とは無駄を廃し、事の能率化を優先する集団だったという。
この辺りの考え方は西洋における魔女術にも通用する概念であり、発生した文化や、またはその目的においても大きく隔てられている両者であるが、その手段や過程の部分において、どこか通ずるものがあるのでないかと私は考えている。
では、実際の火遁というやつはどのようなものであろうか。
私が説明を受けたのは二種類である。一つは街中や民家、集落の集まった場所で使用するものである。
近くに敵は潜伏している場合や、執拗な追跡にあっている場合、周囲の家屋などに派手に火の手をあげ、それに敵や追跡者の注意を引き付けてそのまま逃げ延びるか、もしくはその火事につられて集まってきた野次馬や人だかりを利用して身を隠す、というものである。
この例は追跡されながらも余裕のある場合の火遁であり、私が使ったのはもう一方のほうである。
これは周囲に人の気配がない場合、そして空にも月の見えない暗い夜を想定した場合である。
現代では新月の夜とはいえ全くの無明の世界というのは想像しにくいかもしれないが、近代に入るまで「夜」とはまさしくそういう世界だったのだ。
人類がガス灯や電灯でむやみやたらと夜を照らし始める以前、夜とは一条の月の光に縋らねば成らぬほどに闇に閉ざされた世界だったのだ。
古代において、どうして月が大地に恵みを育む太陽と並び賞されるほどに重宝されてきたのかがわかるだろう。
そんな真に暗い世界ですぐ後ろに追手を背負っている場合に、この遁走術は使用される。
月の無い夜を疾走する場合には敵もよほど夜目がきいていることであろう。その場合、咄嗟に追手の眼前に躍り出て予備動作もなく煌々とした炎を灯すのだ。
いきなり強い炎の光に眼を潰された敵は、それ以上の追跡が困難になるというわけである。
要するに眼くらましも使い方次第というわけだ。
とりわけ、今の策においてはそれが理想的な形で働いたといえる。
敵の意表を突くことのメリットは、少なからず驚愕と混乱を伴うということだ。バーサーカーはまだ余力があるかも知れないが、今は攻撃を受けたショックで判断の機を失っているだろう。
獣であるならなおさらだ。
今なら、この隙を逃さねば、確実に止めを刺すことができる!
「……ライダー、ぐずぐずしないで――」
しかし、ライダーは長柄の戟を大きく執り成して肩に担ぎ、高所から悠然と今しがた叩き伏せた怨敵を見下ろしている。
「……何してるの!? 早く止めを――」
私は気を急いてそういったが、ライダーは再び人獣混在といった形態となったバーサーカーを見据えている。
「フン。焦るな、ヤツは未だ力を残している。……これからだ」
「……ッ!??? だから、そうじゃないってッ」
そこでバーサーカーは徐々に人の姿に戻り、そのまま霊体化して夜気の中へ消え失せてしまった。
「……ああ、」
なんということだ、こうなるから急いで止めを刺せといっていたというのに!
「なんだ? ……逃げたのか?」
「……そりゃあ、逃げるでしょ。何で止めを刺さないのッ?」
「馬鹿を言うな、ヤツにはまだ余力が残っていたはずだ。なぜこんなところで逃げ出すのだ?」
――それを聞いて私は絶句した。
「…………私達は何をしてたんだっけ?」
「なんだ、今更とぼけるつもりではあるまいな。フン。我が望みをかなえるために敵の首級を挙げようとしていたのだろうが」
「……じゃあ、あのバーサーカーはなにをしようとしてたんだとおもう?」
「我らを誘い出し己の有利な状況に追い込んで仕留めるつもりだったのだろうな、まあ、あれだけ誘いをかけらたなら、フフン。乗ってやるのが筋というものだろう。
だから余計に不可解なのだ。なぜこんなところで逃げる?」
すげえ。…………こいつ、本気で私の話を無視していたんだ。というかもう全部忘れているのか?
「……私が何を言ったか覚えてる?」
「そうだな、約束は約束か。その美女に対面するのはまた今度の機会にしよう。フフン。敵を見つけた場合は、その者の姿だけを見せてくれるのだったな。いやあ、それでもいいな。それを心待ちにする間というのがまた心躍るというか……」
「……そうじゃなくて、あいつは自分のマスターを逃がすために私達を誘き出したんだって言ったの!」
「おう。はて? そういえばそんなことを」
さすがの私も本気で頭に血が上った。
「……だから、マスターを追えっていったでしょ? でも言うことをきかないでバーサーカーを追った。だから私は気を取り直してバーサーカーを倒してって言った! それはこうなることが眼に見えてたからでしょ?!
……サーヴァントが単体なら、いつでも霊体化して逃げられるんだから、だから霊体化して逃げる前に、混乱しているうちに止めを刺せっていったのに……」
我ながら、おそらく誰かと面と向かってここまで怒鳴り散らしたのはこれが初めての経験である。
しかし、当のライダーは何処吹く風といった様子で、あいかわらずニヤニヤしている。
どうやらその頭の中には褒美のことしかないらしい。
「フフン。なんだなんだ、やるからには絶対勝て、という意味ではなかったのか」
…………つまり、こういうことらしい。
結論として、ライダーは私の話を聞いてはおらず、聞く気もなく、これからも聞こうというつもりもない、ということだ。
もう呆れ返るばかりで、私の怒気はどこかに消えていってしまった。もとより怒って怒鳴り散らすのは苦手だ。
ずっと怒っているのは疲れるし、怒ったほうばかりが損をするような気がする。ずっと怒りを維持するなんて私には向いていないし、似合わない。
「フン。それにしてもつまらん相手だったな。……ふむ?! これがほんとの「尻尾を巻いて」逃げおった、というやつか?」
「………………いや、別に上手くもないから」
私が心を痛めるまで声を張り上げたというのに、どうやらこの巨馬鹿は大した痛痒も感じていないらしく、つまらないことを言って懐にいる私にどや顔を見せてくる始末である。
私は深く嘆息した。それしかなかった。今の私にできることはそれだけだった。
「ヌハハハ、まあ、落ち込んでも始まるまい。次に期待しようではないか、なあ?」
そして、そう言ってまた豪快に笑うライダーをぼんやり見上げて、私は思った。
きっと、私如きが怒鳴ろうが何をわめこうが同じことなのだ。おそらく、この男は生前,こういう経験をつみまくっているのだということが察せられた。
一体、これまでに何人の、何十何百の人間がこの男を叱ろうとし、正そうとし、或いは諭そうとし、また導こうと声を嗄らして叫んできたのだろうか。
そしておそらく、――それらは全部無駄に終わったのだ。なぜか、そのイメージがありありと脳裏に焼きついたような気がした。
どうしようもないということを無理やり悟らされたような気分だ。
「フン。なんだ、急に悄然としおって。おぬしはアレだ、せっかく愛らしい顔をしとるのだからもっと笑えといっただろうが。なあ、お前もそう思うだろう?」
陽気な巨馬鹿の言に巨馬が軽快な鳴き声で応えた。私はその豪笑と嘶きの間で小さな肩を落とすことしかできなかった。
結局、この日はそのままの帰宅を余儀なくされてしまった。
近隣住民には深夜の線路を縦横無尽に滑走した銀と真紅の閃光を随所で目撃されたことだろうが、私にはその隠蔽に努める余力は残っていなかった。
目撃者が謎の発光現象として理解してくれることを祈るしかない。
バーサーカーに対してはしてやったという気もしなくはないのだが、何故かライダーの馬鹿さ加減に打ちのめされて、打倒されたのは私であるような気がしてならない。
そして今更ながらに確信していた。
私の聖杯戦争においてもっとも強大な難関とは、この馬鹿を御することなのではないのかと。
ステータス更新
ライダー
真名:
性別:男性
身長・体重:約2、3メートル 約五分の一トン
属性:混沌・中庸
筋力A+ 耐久B 敏捷B 魔力D 幸運B 宝具A
クラススキル
対魔力:E
魔術に対する守り。無効化は出来ず、ダメージ数値を多少削減する。
騎乗:A+
騎乗の才能。獣であるのならば幻獣・神獣のものまで乗りこなせる。
ただし、竜種は該当しない。
保有スキル
野趣:A
隠すことのできぬ野性味。
同ランクの「直観・勇猛・視野狭窄」の効果を併せ持つ複合スキル。
(視野狭窄:極限的な集中力。セービングスローが上昇し、本来回避できないはずの危険をも退けられる。反面、眼前の敵や一つの目的に囚われ、執着するあまりに大局的な視点を失う可能性がある。)
激昂:A
精神と肉体の箍(たが)を外し、一時的に攻撃数値を倍化(+)できる能力。加えて対峙する敵に精神的な重圧をかける効果もあるが、その間冷静な判断力は失われる。
矢避けの加護B
飛び道具に対する防御。
狙撃手を視界に納めている限り、どのような投擲武装だろうと肉眼で捉え、対処できる。
ただし超遠距離からの直接攻撃は該当せず、広範囲の全体攻撃にも該当しない。
宝具:『輝月的中・画悍方天戟(キゲツテキチュウ・エニエガケルホウテンゲキ)』
ランク:C対人宝具
方天画戟とも。それ自体も十分に強力な宝具ではあるが、呂布の代名詞とされる兵装であることと、かつて轅門にて射撃の的とされた逸話から、その真の能力は無二の朋友である呂布の存在を遥か「英霊の座」にまで月牙の輝きによって知らしめ、時空の彼方から「英霊赤兎馬」を召喚するための「目印」の役目を果たす事である。
「赤兎馬」ステータス
性別:超雄
身長・体重:やたらとデカイ・とにかくオモイ
属性:混沌・善
筋力A+ 耐久A+ 敏捷A++ 魔力E 幸運E 宝具A+
保有スキル
対騎乗:C+
騎乗者に対する拒否権。同ランク以下の騎乗を無効化し、騎乗者を轢殺する。
超雄:EX
漢らしさ。魔術や呪術と言った物理干渉以外の攻撃を一切受け付けず、無視することが出来る。しかし、その反面自らも物理干渉以外の攻撃手段を持ちえず、飛行することもできない。
赤影:A+
アフターバーナー。己を砲弾のごとく射出して空を「飛翔」することが可能。すべての障害物を吹き飛ばす。
備考
ライダーのステータス更新です。
改めて赤兎馬は半端ないな……。多分こいつが最強のサーヴァントに違いない。
ライダー自身の真名を隠しておく必要はあるのだろうか……。バレバレだけど一応ね。
バーサーカー
真名:
性別:男性
身長・体重:172~700㎝ 38㎏~3000㎏
属性:混沌・狂
筋力E~ 耐久E+~ 敏捷E~ 魔力E~ 幸運E~ 宝具E~
クラススキル
狂化:E~A
変身能力を得たことで通常時はかろうじて正気を保てるが、宝具の使用と共に狂化のランクは上昇し、最終的には理性を完全に無くし一匹の獣になる。
保有スキル
攻性思考:A
常に絶えることのない飢餓感が攻撃性を増大させ、外部からの精神干渉を阻害する。加えて、五感または直感などの知覚能力が鋭敏化する。
狼の紋章:B
不死身の因子。人狼、或いは神狼や魔狼にまつわる逸話を持つ英霊にのみ与えられる特異スキル。
精神及び肉体における驚異的な耐久力と治癒力が付与され、またごく低い確率ではあるが、時として致命に至るほどの傷を受けた場合でもそれを克服し、蘇生する可能性がある。その判定に成功した場合、そのダメージは行動に支障のないレベルまで改善される。
宝具:
備考
バーサーカー。いきなり変則的な輩ですが、結構好きなサーヴァントです。
どうでしょうか?