Fate/alter Seven Sight ――the First Sight―― 作:どっこちゃん
(木曜日・夕方)
翌日の放課後、私は人気が少なくなるのを待って、あらかじめ調べてあった島原耀子の自宅へと向かった。今回はライダーを連れてである。
考えたのだが、やはり校舎の中ではじっくりと話をしにくいし、人目も多い。
それにあやめのことを話しているのを秋乃達に聞かれては、また余計な心配をかけることになるだろう。それでこのような運びとなったのだ。
島原の本家はここから山一つを隔てた山裾、周囲をこれまた複数の山に囲まれた山間部の集落地。通称「晦(つごもり)の里」にあるはずなので、無論仮住まいだろうとは思ってはいたのが、――はて?
ここは、なんと言おうものか、――「普通」だった。
いたって普通な民家だった。
笹ヶ谷市の東側、南北に弧を描くように足を伸ばす深い連峰の裾に、その家はあった。
至って普通の住宅だった。それでもかなりの年代ものであり、郊外の町外れだけあって、それなりに広そうではあったのだが、耀子のような人間が住むイメージではなかった。
私には島原の事情は知りようもなかったが、高級マンションのひとつやふたつどうとでもできるだけの資金と権力があるのは確かなはずなのだ。
はたして、ここは本当に彼女の居城なのだろうか? 当然、魔術師の工房とも、とても思えない。
呼び鈴を鳴らすと、ひとりの老婦人が対応した。何でも島原女史は、息子夫婦が仕事の関係で隣県に移ってしまい、本宅の敷地を持て余していたこの老夫婦のもとへ、自分から間借を申し込んで下宿しているらしかった。
今時珍しい話だと思えたが、老夫婦はそれをひどく喜んでいるようで、嬉しそうに耀子のことを話していた。
耀子はまだ帰宅していないようであったが、教え子たちからの信頼熱い耀子のもとへ生徒が来るというのはさして珍しくないことらしく、学生証を見せて彼女の教え子だと告げると、私もとくに怪しまれることもなく部屋に通された。
そこは彼女が使っている部屋とふすま一枚を隔てた簡素な部屋で、生徒たちが耀子を待つときはいつもここに通すのだという。
長年の人の生活が幾重にもその家屋の表層を磨いてきたかのようで、初めて入った場所だというのに、そこはひどく人の肌に馴染むような感覚があった。私もずっと洋館に育ってきた人間だが、こういう昔ながらの日本家屋というのも悪くないものだと思えた。
きっと彼女もこういう雰囲気が気に入ったのかもしれない。
しかし、さすがに地方旧家の息女が住まうにはなんとも質素なものだった。むしろあやめのマンションのような清楚なイメージのほうがまだそぐうように思える。
彼女はなぜこんな場所を選んだというのだろうか? ある種の違和感が拭えなかった。それとなく探ってみる必要があるかも知れない。
しばらくすると耀子は帰宅し、驚いた様子で待っていた私を自分の部屋に迎えいれてくれた。
「小高森さんが来るなんてはじめてよね。どうしたの? 今日は」
「……ええちょっと。……私も以外でした。耀子先生が住んでるのがこういうところだとは思わなくて」
あえて質問にも答えず、多少慇懃な物言いをしてみた。反応を見るためだ。今のところ、不審な様子は窺えない。
「そうね……みんな多少なりともそう言うんだけど……ずっと思ってたの。こんな所に住んでみたいって」
「……本家のお屋敷とは違うってことですか?」
そう言うと、少し驚いたように、彼女は少女のように大きめな瞳を揺らした。
「そっか、小高森さんはたしか……」
「……はい。晦の里(山向こう)で育ちましたんで、島原様のことはある程度知っています」
別に彼女も自分の生家がどういうところなのかを喧伝して歩くようなことはしていないのだろうから、生徒がそこまで知っているというケースも今まではなかったのかもしれない。
交通の便がよくなって山間の秘湯目当てに集まる観光客は多くなっても、笹ヶ谷の住民はあまり里との接点を持たない。
あそこはもともとある種の異界として認識されており、今でも島原やシュタウフェンの屋敷がある集落地の一角はこちらの街の住人には隔てられた場所なのだろう。
私がそこに住んでいるというと、少なからず何らかのリアクションが有るという程度に。
耀子女史もそういう反応にこそなれていたのだろうが、私のようなケースは確かにめずらしいのだろう。こちらで向こうの人間同士が会うというのはなかなかないことだ。
しかし、今しがた垣間見えた動揺がそれについてのものなのかどうかはまだわからない。
「そうね、なら、余計におかしいと思うわよね? ……なんていったらいいのか、私の家は家族同士で顔を合わせることも多くなくて。特に私は家の大事なことなんかも知らされて無かったり……なんていうか、いつも蚊帳の外っていうのか……とにかく、ずっと一人だったの。
それで思ったのよ。あの大きなお屋敷にいる限り私はずっと一人なんじゃないかって。……だから、どこかで、一緒に住んでる人の顔が見えるお家に住みたかったの。だから、ここはとてもいいところだと思えて。本当に……」
独り言のように口走って、耀子は咄嗟に自分の唇に指先を添えた。そこまで言うつもりは無かったのだろう。
おそらくはそこまで話せる相手がいままではいなかったということなのではあるまいか。
島原の事を知らなければ、確かになんのことかわかるまい。
「ごめんなさい。変な愚痴まで聞かせちゃって……」
「……いえ、私こそ変なことを聞いてすみません」
今の彼女にはひどく動揺が見えた。しかしそれは私が懸念していたようなものではなかった。
しばし二人とも押し黙った。その根底にあるのはやはりあやめの死についての動揺なのではないだろうか?
「……そういえば、一昨日なんですけど、妹さんにあったんです。学校の帰りに」
私はそんなことをそれとなく言った。私としてもいきなりあやめのことについて聞くのは憚られたのだ。
「妹? ……夕子に会ったの?」
すると、それまで沈んでいた彼女の顔が、パッと光彩の明度を上げた。
「……はい、私がお世話になっているお屋敷のご子息と同級生だそうで、声を掛けられたんです」
「ふふ、もしかしてアズル君のこと?」
「…………耀子先生は知ってるんですか?」
これにはこちらのほうが多少驚かされた。彼女はにこやかに微笑んで続けた。
「私も、最近直に会ってはいないんだけど、あの子お付の人とは連絡を取ってるのよ。あの子、アズル君のことばかり気にしているらしいわ」
「……それは、ちょっと、驚きです」
そういえば、なぜあの二人が連れ立っていたのか、今まで訝りもしなかった。あの少女の圧倒的な存在感に気圧されて考えが及ばなかったのだ。
「どうだった? あの子は何か言ってた?」
しかし、今はそれを加味している暇はない。私は雑談しに来たわけではないのだ。
「……ただ、『健勝だと伝えてほしい』、とだけですけど」
「あの子らしいわね。折り目正しいって言うのか……私も昔はそうだったんだけど」
耀子は本当に嬉しそうに話していた。家族とは疎遠だとは言いながらも、歳の離れた妹のことは気にかけているらしい。
そして、その妹が規格外の魔術師の卵だとは夢にも思っていないようだった。どうやら、彼女が魔術とは無関係だと言うのは確定のようだ。
「……ごめんなさい、私ばっかり喋ってしまって……小高森さん、今日は何か聞きたいことがあったんじゃない?」
しばらく言葉を続けてから、耀子はそう訊いて来た。ようやく話を切り出せる程度まで空気が温まったと思ったのだろう。おそらく彼女に悩みを相談しに来る生徒や卒業生も多いのだろう。この手の問答の進め方にはいささか手馴れたような感を見せていた。
手間が省けたというものだ。おかげでこちらもスムーズに用件を切り出せる。
私は鞄をあけて中から文目の部屋からもってきた資料を取り出した。当初の目的であるあやめの事を問う気になったのだ。
「……あの日、妹さんに会った後、私の部屋にあやめさんが来たんです」
私は目を伏せたままそう言ったが、耀子が息を呑む音は聞こえていた。
「……先生には、私が一時的に引越しをしたって言うのは話しましたよね」
「――ええ」
息を詰まらせたように、耀子は言った。
「……その話をしたら、あやめさんは部屋の片付けの手伝いに来てくれたんです。昼間にはいいって言ったんですけど……」
耀子は言葉を無くしているようであった。私としてもかなり緊張せざるを得ない話だった。
虚言も何もないのだ。
私は今、彼女の死の原因の何割かを自分が担っているのだと素直に告白した事になる。私は言葉を続けた。
「……その日、彼女が忘れていったものなんです。こういうことは先生に教えてもらっていたと聞きました。……なのでこれを返そうと思ったんです。…………彼女には、もう返せませんから」
すると、突然言葉を無くしていた耀子が身を乗り出してきた。
両肩をつかまれて、私は一瞬反撃を思い至ったが、
『止めろ、馬鹿者。早まるな』
というライダーの念が頭の中に響いて、私は成すがままに身を任せた。つまり、彼女には敵意も害意もないということなのだ。
「小高森さん!」
耀子は強い視線で私の目を真っ直ぐに見つめてきた。
「変に自分を責めては駄目よ。あなたには何の非もないんだから」
言葉には真摯に私を案じる意しか感じられなかった。彼女は本気でそう言っているのだ。
「……私が何をどういう風に思っても、同じことです。罪というほどのことではないのかもしれないし、責められることじゃないのかもしれないけど。
……全部が偶然なのだとしても、私はあの日の偶然の一部なのは間違いないんです。もしも私が……」
「もしも、なんていうのはやめさない。それにあやめさんはあなたのことをそんな風には思わないはずよ……」
そう言って、耀子は私の手から資料を受け取り、
「あやめさんもね、よくここに来てくれていたの。……この遺跡の研究ね、本当は別の生徒が興味を持って始めたいと言い出したことなの。それで、私が顧問になって郷土研究の同好会として設立したのよ。
最初、あやめさんには私が声を掛けたの。ただ勉強にも余裕がありそうだったし、何処のクラブにも所属してなかったからという理由でね。最初はちょっとした手伝いをして欲しいとだけ言ったの。
でもそのうち、彼女以外の生徒たちは顔をださなくなってしまって……でも逆に彼女はこの研究に興味を持つようになったみたいで」
耀子は私の手を取って話を続ける。その手がとても、温かかった。
「そうして、私の所にも良く来てくれるようになって、話すことも多くなったわ。彼女生徒でも教師でもあまり心を開いていなかったから……」
それについては解らなくもない。彼女は私や秋乃達のような近しい人間以外にはあまり心を開かなかった。
もっとも、彼女の場合、他の人間のほうが彼女に対して尻込みしてしまうのだろう。教師にしても、あまりに完璧な生徒には気後れするものなのかもしれない。
耀子はあらためて私を見つめた。
「それでね、あやめさんが一番話していたのは、あなたのことだったのよ」
「……私、ですか?」
慮外のことだった。いろいろな要素を差し引いても、やはりそれは慮外な言葉だった。
「……それなら、私だけじゃなくて……秋乃とか」
「もちろん、他の人たちのことも話していたわ。けど、一番彼女が気にかけていたのは貴方のことだった。彼女は言っていたわ。あなたに憧れてるって」
「……意味が……解りません」
言葉が出てこなかった。私が彼女より優れているところなんて何一つとしてない、……なかったのだから。
「私も詳しくは聞かなかったわ。でも彼女は貴方の生き方に憧れているといっていたの。あなたは何があってもぶれない生き方をいているって」
私は何も言えなくなった。
「多分、何でもできてしまうから、目標ってものが無かったんじゃないかしら……。あやめさんは、何でも簡単に物にできてしまうから、逆に何かに向かって進んでいくことができなかったのかもしれない。……だから、きっと……」
なんと応えていいのかわからなかった。何かで掠れたような声だけが無様に私の喉から漏れた。
「……そんなのは、嘘です……私は揺れてばかりです。そんなに真っ直ぐじゃない……」
耀子も涙をこらえるようにして言った。
「本当は……絶対に誰かに言っては駄目だと言われていたんだけど、でも、私はあなたにそれを伝えておくべきだと思ったの。ごめんなさいね。……けれど、彼女は、どんなことがあっても貴方を怨んだりはしないわ」
私は何も言わなかった。その話を否定することも肯定することも、どちらも同じくらいに辛いことのように思えた。
無論、それは黙っていても同じことだった。
しばしそう言って押し黙っていた。耀子は「すこし寒くなってきたわね」と言って型の古い灯油ストーブに火を入れた。
そこで私はかばんの中からあの厚紙の束を取り出した。今まで忘れていたのだ。こうなってはもう彼女への疑いはないに等しかったが、それならなおさらこれをもって帰るのも無意味だった。私は彼女にあの厚紙の束を見せた。
「あら、これは……あやめさん。本当に熱心だったのね。自宅だけじゃなくて持ち歩いてもいたなんて」
少しヘマをしたかと思った。資料と違い、あまり持ち歩くようなものではなかったのだろうか?
「……それはなんなんですか?」
「これはね……」
語られた話からすると、この厚紙の束はこの地域一体の立体模型の部品なのだという。
何でも、この山間部事態の正確な模型を作るために一万分の一の縮尺の地図を何百枚も使い、それを等高線をずらしながら厚紙に貼り付けて切り抜き、それを順に重ねていくと、地形の立体図が出来上がるのだそうだ。
断片的な厚紙の束ではわかるもののわからなかったのだが、言われて見るとなるほどと思える。しかしこれはまた地道な作業だ。私がそう言うと、耀子はだから皆で手分けをして持ちまわりにしていたのだという。
ただ、あやめは自分に割り振られた部分をすでに終え、遅れている生徒の分を率先して手伝っていたのだという。
何でも、この地域の古代道を調べているうちに、彼女たちは何処か、この辺りの地形そのものがおかしいのではないかということに気付いたのだという。
専門的な話は私には解からなかったが、この辺りの地形そのものが人工の物のように思えるのだという。
しかも更におかしいのはそう考え始めると、いったい、
そこまで言って耀子は横道に逸れてごめんなさいと言って、言葉を切った。
しばし沈黙が降りて、彼女がぽそりと言った。
「でも、彼女らしくないわね。あの娘が忘れ物なんて初めて聞いたわ」
また少し動揺した。その一点だけは私の作った虚構だったからだ。しかし応えはつまることなく出た。
「……ちょっと、遅くまで話し込んでしまって……」
「そう、あやめさん、そんなにはしゃぐほど楽しかったのね……」
「……」
確かにあの日の彼女は楽しそうだった。
忘れ物こそしなかったけれど、本当に彼女が、わたしをそういう風に思って本心から喜んでくれていたのだとしたら。
そう考えることでやっと心が軽くなった気がした。それらしい情報は得られなかったけれど、ここに来てよかった。と私は思った。
それからも話は続き、結局私は夕食までご馳走になることになってしまった。
相談に来た生徒はみんなそうしているとのことで、老夫婦も迷惑そうな顔一つせず対応してくれた。
卒業生にまで人気があるのが分かる気がした。この空気は、なんとも居心地が良いように思える。私にまでそう思えるのだから、よっぽどのことだ。
こんな人が、魔術師であるとは思えなかった。むしろ魔道の家門に生を受けた人間がこのように生きていけることが感動的ですらあった。自分でも妙だが、私は彼女を疑ったことを恥じてさえいた。
ちなみに夕食をご馳走になっている最中、霊体化したままのライダーは怨めしげな念を送り続けてきたのだが、この場合は仕方がないだろう。よしんば、最初からこの男を保護者か何かだと偽ってこの席に着かせたのだとしても、こんな大食漢の腹を満たせるような食料はこの家にはないに違いない。
かといってこの漢が殊勝におとなしくしているはずも無く『少しは気を利かせろ』、などと念を送ってくるので、『こちらの台詞だ』と応えてやるとそれ以来何を語りかけても応えなくなった。どうやらまた拗ねてそっぽを向いたらしい。
夕食が終わると、すでに夕日が朱の色を失いかけていた。耀子女史は私を自宅の部屋まで送ると言い出した。
危険かとも考えたのだが、今はライダーも居るのだし、問題はないと判断してその言葉にしたがうことにした。
考えてもみれば、教師としてはこんな状況でまたもや生徒を一人だけで帰らせることは憚られるのだろう。何よりあんな話の後だ、彼女の性格なら、なおさらであろう。私はそのまま耀子の車に乗り込んだ。
結局のところ、調査としてだけみるならここは空振りだった。今後の闘いを優位にするようなものはなにも得られなかった。後は別の線から夜鳴手錐人の情報を探っていかなければならないだろう。
――それでも、私の気持ちはすっきりしていた。問題は何も解決していないが、耀子と話せたことで気はほぐれたようだった。
『しかし、結局、大した収穫はなかったようだな』
『……焦りは禁物。……それに、悪いことばかりでもなかった』
耀子の運転する車中、私は念話で霊体化したままのライダーと意志の疎通をはかっていた。
『そのようだな。昨夜よりも随分顔色が良い。フフンッ。その恩師に感謝するがいいぞ』
ごもっともだと思えたが、あいかわらずなぜそんなに高いところから物を言えるのかが不思議ではあった。大体どうやって私の顔が見えるのかと問うと、『見なくてもわかる、足下は解りにくいようでいて、実のところは事の外単純なようだからな。フンッ』などといわれてしまった。
別に否定もしないが、コイツにいわれるとなぜかすごく腹正しい。
しばらくすると外には煙ったような濃い霧が立ち込めはじめた。
「変ね。随分と冷えこんできたみたい。まだそんな季節じゃないのに」
見れば、フロントガラスまでもが白く曇っていた。見通しが利かないためか車は速度をやや落とした。生徒を乗せている手前、万が一にでも事故があってはならないと考えたのだろう。
「ごめんなさいね。少し時間がかかるかも」
それから私のほうに向かってそういった。彼女も生来から真面目な性格なのだろう。
「……気にしないでください。急ぐ必要はないので」
『おい、なにやらおかしいぞ』
霊体のままのライダーから発せられる剣呑な波動に私は感応する。
『……分かってる。ライダー、何かあったら――』
次の瞬間だった。いきなりの突風が横殴りに叩きつけて車体を緩く揺さぶったかと思った刹那、窓の外、その光景のすべてが真っ白に埋め尽くされてしまったのだ。
『いかん! 触れるな!』
いったい何が、と不可解な現象を訝り窓に手を伸ばした私を、それだけでひっ迫の程が分かるライダーの念波が押し留めた。
次いで悲鳴。運転席にいた耀子が悲痛な声を上げたのだ。
見れば、その細い指先から血が滴っている。今しがたの私と同様にフロントガラスに触れたのだろう。それが、よもや人の指から皮膚を剥ぎ取るほどに急激に凍結していようとは。
パニックに陥りそうになっている耀子にかけようとした声は、しかし滞ってしまった。それまで自走を続けていたのか、或いは慣性によって移動し続けていただけなのか、とにかく前進し続けていた車体が何かに激突したかのように急停止したのだ。
凡その予想はついた。急激に冷凍された車体が、ついには完全に凍結され、地面に縫い取られたのだろう。
すでに車内も人の限界を超えた超低温の空気が席捲し始めていた。もはや息が出来ない。このままでは肺そのものが凍ってしまう。
『……ライダー早く私達と外に――』
『まて、外の冷気はこことは段違いだ。出れば足下でも即死だ』
急いでライダーに指示を出すが――時すでに遅し。状況はもはや詰めの段階まで差し迫っていたようだ。そして案の定刹那の間すら置かずに凄まじい圧力が車上に打ち込まれた。
車体が悲鳴を上げる。そろそろ車体を覆いつくそうとしていたはずの氷柱群も盛大に砕け、その破片がダイヤモンド・ダストよろしく澄んだ超低温の空気に散華していく。
その煌めきの戸張の向こうに、私は愕然としてある物を見ていた。
砕氷に満たされた空間にまるで切り裂かれたような跡が断続的に現れ、なにかしらの紋を作り出していくのだ。
私には、今度こそそれがなんなのか解かった。そこに刻まれていたのはルーン魔術の刻印であった。
ライダーがランサーと戦った夜、横槍を入れてきた魔術師と同じものだとわかった。
今まさに冗談の如く煎餅の真似事に興じようとしていた車体の中、超圧縮された感覚で、私はそこまで考えた。
だが考えられたのはそこまでだ。それ以上思考に耽溺していたのはでは、このままでは車ごとつぶされて終わりだ。
思考に先んじて、私の手の甲から烈火の様な熱が弾けた。
すでに実体化して止む無しとばかりに私を抱え車外に飛び出そうとしていたライダーの身体に強制的な力が加わり、押し留めた。
不可解な己の五体の挙動にうなりを漏らしながら、ライダーの体は機械的に動き、すでにヘしゃげて身動きすら困難となった車内から私と耀子の身体を抱えてその姿を掻き消した。