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Side:姫野ユキ
……はぁ。
全く、面倒なクラスに当たってしまった。
まだ入学式が終わってから、そう時間も経っていない。それなのに、教室の中はすっかり賑やかになっていた。
―― 一之瀬帆波。
たぶん、このクラスの中心になるのは間違いなく、あの子だ。
「それでね、そのとき妹が――」
「えー、なにそれ。かわいい!」
気づけば、あちこちで会話が始まっている。昨日までなら名前すら知らなかった相手と、まるで昔からの友達みたいに笑い合っている。
和気藹々。このクラスを表すなら、たぶんこの言葉が一番近い。
……いや、早すぎない?まだ出会って一時間も経ってないんだけど。どうしてそんなに簡単に仲良くなれるのよ。
別に、私だって仲が悪いよりはいいと思う、クラスの雰囲気が悪くなれば、それはそれで面倒だし。
だから、まあ……いいんじゃない。私は積極的に混ざりたいとは思わないけど。でも、ある程度は付き合わないといけないか。
……はぁ、面倒くさい。
まあ、正直なところ、それだけならまだいい。
問題は、もう一つ。
席順だ。
私の席は窓際。後ろから二番目。かなりいい、人目も一通りも少ないし、日当たりもいいし、授業中に外を眺めることもできる。
珍しく運がいいと思った。
――思ったのに。
なんでよりによって、私の後ろにいるのよ。
……死神みたいな男が。
顔立ちだけなら、かなり整っている。そのせいか、さっきから何人かの女子が、ちらちら後ろを見ている。
「……かっこいい」
なんて信じられない、声まで聞こえてきた、趣味悪すぎない?。顔がいいからって、あれと仲良くなりたいと思う?私には全然理解できない。
吊り上がった目、ほとんど動かない表情、乱雑な黒髪。そして、制服の上からでも分かるくらい鍛えられた身体。
どう見ても普通じゃない。
しかも、教室に入ってきてから一度も喋らず、ただ周囲を見ている。何を見ているのかも分からない。誰か一人を見ているようにも見えるし、教室全体を見渡しているようにも見える。
さっき目が合ったときなんて、本当にぞっとした。
真っ黒な目。吸い込まれそうなくらい綺麗なのに、見ているだけで落ち着かない。まるで、すべて丸裸にされてしまったかのような奇妙な感覚。
……嫌な感じ。
幸い、向こうから話しかけてくる様子はない。私も、わざわざ関わるつもりはない、というか絶対に関わりたくない。周りも同じなのだろう、誰もあいつと目を合わせようとしない。……って、今こっち見たやつ、なんで私を見るのよ。生贄の羊でも見るみたいな目をしてるし。やめてよ、私は関係ないでしょ。あいつに関わるのなんて、絶対ごめんなんだから。
まあ、そのせいで近づいてくる人もいない。それだけは本当に助かる。……まあ、だからって、この不幸と釣り合っているとは到底思えないけど。
頼むから、誰も余計なことをしないでほしい。まあ、こんな分かりやすい地雷にわざわざ触る奴なんて、よっぽどの馬鹿か、お人好しに決まってる。そんな奴、いるわけが……。
……ちょっと待って、一之瀬。あんた、なんでこっちに来るの。嘘でしょ。
……私は空気、私は壁。勘弁してよ。あんたが何かに巻き込まれたら、この距離だと、どうせ私まで巻き込まれるんだから。
少なくとも席替えがないなら、三年間ずっとこの男が後ろにいることになるんだから。初日くらいは平穏を感じさせて欲しいんだけど。はぁ……そう考えるだけで、今からちょっと憂鬱になる。とはいえ、席が近いからって必ず何かが起こるわけじゃない。向こうだって私に興味があるわけじゃなさそうだし、必要以上に関わらなければ問題ないはず。そもそも、こんなに人がいるんだから、私がわざわざあいつと関わる必要なんてないでしょ。
……そう、関わらなければいいだけ。
変に話しかけたり、余計なことをしたりしなければ、三年間だって案外どうにかなる。たぶん。いや、きっとそう。そうじゃなきゃ困る。
まあ、面倒ごとなんて早々起こるわけ――。
「ご苦労なことだ。だが、余計な世話で、時間の無駄でしかない。貴様の悪癖のようだが……無様だな。まず助けるべきは誰であるか、分からないほど愚鈍ではないだろう」
……教室の空気が死んだ。
――はぁ?こいつ、今なんて言った?
一之瀬がこの男に話しかけていたのは見ていた、最初の挨拶を無視していたのも知っている。それでもめげずに話しかける一之瀬もどうかと思うけど、無視した挙げ句に出てきた言葉がこれ?
……最悪。日本語のはずなのに、別の言語にしか聞こえない。空気を読まないとか、そういう次元じゃない。自分からわざわざ空気を壊しにいってるとしか思えない。
一之瀬も完全に固まっている。
まあ、そうなるよね。私だって同じ立場なら、何を言えばいいのか分からない。
「えっと……」
一之瀬が何とか言葉を探そうとした、そのときだった。
ガラガラ、と教室の扉が開く。
「はぁい、ごめんなさい。今からホームルームだから、一旦みんな自分の席に戻ってね~」
入ってきたのは、ライトブラウンのセミロングヘアの女性。
見るからに明るそうで、優しそうな人。……担任かな。当たりそうだし、今は助かった。これ以上、あの男の話を聞いていたくない。
みんながそれぞれの席へ戻っていく、一之瀬も少しだけ後ろを気にしていたけど、自分の席へ戻った。
……少なくとも、わざわざ教師に逆らう、不良はいないみたい。
――よかった。と思ったのも束の間。
「はぁい、それじゃ初めまして。私がこのクラスの担任を務めます、星野宮知恵で~す」
先生は自己紹介をしながら、最後に投げキッスまでしてみせた。
……うん。
外れかもしれない、ホントに今日はツイていない。まあ、先生に期待しても仕方ないか。担任と関わることもそんなにないだろうし。
「入学式が終わったばかりなのに申し訳ないんだけど、改めて学校の大切なルールを説明するから、よく聞いてね~」
先生が資料を配り始める、私はなるべく後ろを振り返らないようにしながら、前の席から回ってきた資料を受け渡す。
「まず、この学校はクラス替えがないので、三年間ここにいるメンバーが同じクラスで~す。ちゃんと仲良くしてね? あっ、席替えも基本ないからね~」
……。
嘘でしょ。3年間?私はゆっくり後ろを見た。
目が合った。
……最悪。
どうやら、そう思ったのは私だけじゃないらしい。何人かのクラスメイトも、ちらちらこっちを見ている。
……そんなに気になるなら、席、変わってあげようか?ほら、遠慮しなくていいから。……って、なんで目を逸らすのよ! さっきまでこっち見てたでしょ!
「そしてそして、全寮制で、なんと学校から出ることはできませ~ん。外部との連絡も基本できないからね」
入学前の資料でも思ったけど。……ほとんど監禁じゃないの?まあ、国立の学校だし、さすがに変なことにはならないと思うけど。
「でも安心して。学園にはあらゆる施設が揃っていて、生活に必要なものは入手できるし、映画館を筆頭に娯楽も充実しているから、十分楽しく暮らせるはずだよ~」
神社あるかな?お祓いしたいんだけど...
まぁ生活に困らないなら、それはいい。けど、このクラスの雰囲気を見る限り、このあと絶対にどこかへ遊びに行くことになるよね。
……面倒くさい。
「買い物は、この学生証端末に保有されているポイントで支払うよ。現金はだめだからね。そして、この学校では、あ・ら・ゆ・るものをこのポイントで買うことができます」
……へぇ。席替えの権利も買えないかな?無理か。
「そして、このポイントは毎月一日に君たちの端末に振り込まれまーす。1ポイントは1円換算で、もうすでにみんなの端末には、今月分の十万ポイントが振り込まれています!」
さすがに、教室がざわめいた。
十万円。高校生に渡す金額じゃないでしょ、家具とか生活費も込みなのかな。……まあ、何を買うかは後で考えよう。
「んふふ~、さすがにびっくりしちゃうよね。この学校は実力主義。入学した君たちには、それだけの価値があるって認められているの。だから、気にせず使っちゃっていいからね~」
……私は、そんなに立派な人間じゃないけど。少なくとも、自分に十万円の価値があるとは思えない。
「よし! 説明終わり! 何か質問ある人ー?」
誰も手を挙げない。
「……なさそうかな? じゃあ今日は終わりです! この後は自由だから、親睦を深めるなり自由にしてね。じゃあ先生は合コン……じゃなかった、友達と親睦を深めに行ってくる~!」
先生はそう言い残して、教室を出ていった。
……最後まで不安しかない先生だった。
すると、一之瀬が立ち上がった。
「えっと、せっかくだし……みんなで自己紹介しない?」
やっぱり。こういうこと言い出すと思った。一之瀬って、こういう場を放っておけないタイプなんだろうな。まだ入学したばかりなのに、もうクラス全員と仲良くなろうとしてるみたい。別に悪いことじゃないし、むしろこういう子がいる方がクラスとしては上手くいくんだろうけど……私としては、できれば静かにしていたい。
まあ、ここで嫌だって言ったところで、一之瀬が困るだけだろうし、周りの空気も悪くなる。それに、最初から目立って変な奴だと思われるのも面倒だ。
……仕方ないか。
私は小さく息を吐いて、一之瀬の言葉に黙って耳を傾けた。
そうして、順番に生徒たちが立ち上がっていく。
名前。趣味。好きなもの。そんな簡単な自己紹介。
私も必要最低限だけで済ませることにした。
「姫野ユキです、……特に話すことないんだけど。まあ、普通に過ごせればいいかなって思ってます。あんまり人付き合い得意じゃないから、無理に話しかけなくても大丈夫、……よろしく」
それだけ言って、席に座る。
次の人が立ち上がる。そうするうちに遂に奴の番が来た。
「日向優慈だ」
短い。それだけで終わるかと思った。自己紹介なんてしない可能性も考えたけどそこまでひどくはないらしい。
……それでいい、余計なことを言わなければ、何も起きない。何も起こすな!
――そう思ったのに。
「先ほどから聞いていれば、随分と優れた者たちが揃っているようだな」
……? 褒められたの?
思わずそう思ってしまった。少なくとも、今までのこいつの言動を考えれば、これは珍しくまともなことを言っているように聞こえる。
教室も同じだったらしい。さっきまで張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ緩む。みんなも「なんだ、意外と普通に話せるじゃん」なんて思ったのかもしれない。
……まあ、私も一瞬だけそう思った。...悲しいことに、それが儚い期待だと知るのに時間はかからなかった。
「だが、まさかオレと対等であるつもりか。失礼にもほどがある、己の身の程というものを弁えるべきだ」
……。
数秒前まで和やかだった教室の空気がまた死んだ。教室の空気が何をしたというのだろう、完全に死体蹴りだ。
何なの、こいつ。自己紹介でクラス全員に喧嘩を売った。
しかも、本人は何とも思っていない、いや、むしろ当然のことのような顔を、いや表情は変わってないな....
……ほんとに最悪。
今まで会った人の中でも、かなり面倒な部類だ。
「これで満足か。失礼する」
日向はそれだけ言うと、何事もなかったように席へ戻った。
……え? 終わり?
自分から爆弾を投げておいて、そのまま帰るの? あまりにも堂々としているせいで、こっちがおかしいのかと思えてくる。普通、あれだけクラス全員に喧嘩を売るようなことを言ったら、少しくらい気まずそうにしたり、周りの反応を気にしたりするものでしょ。
でも、日向は何事もなかったように席へ戻っていく。
誰も何も言わない。というか、言えない。当たり前だけど。
「え、えっと……じゃあ、次の人、お願いしてもいいかな!」
一之瀬が慌てて場を繋いだ。
……すごい。
普通なら、あんなことを言われたら心が折れると思う。私だったら、たぶんその時点で自己紹介を続ける気なんてなくなる。でも一之瀬は、それでも何とかこの場を壊さないようにしている。
別に、自分が悪いわけでもないのに。
私は一之瀬のことを少しだけ見直した。こういうところは、素直にすごいと思う。まあ、だからといって仲良くしたいとは思わないけど。むしろ、ああいう面倒ごとに自分から首を突っ込む性格は、私には理解できない。
そうして、自己紹介が一通り終わる。
これでようやく終わったと思ったのに、すると、一之瀬がまた立ち上がった。
「ねえ、みんな。このあと時間あるよね?」
……嫌な予感しかしない。
「せっかく同じクラスになったんだし、みんなでカラオケとか行かない?」
……やっぱり。
案の定、何人かが嬉しそうに賛成する。まあ、こうなるよね。一之瀬があんな感じなんだから、誰かしら賛成するとは思っていた。
私も参加することになった。
別に行きたいわけじゃない。断るのも面倒だっただけ。それに、一之瀬の誘いを断ったら、たぶんまた気を遣わせる。そういうのも面倒だし、最初から変に距離を置くのも、それはそれで疲れる。
どうやら、日向以外はほとんど参加するらしい。
……まあ、あいつが来ないなら、その方が気楽だけど。そう思っていたのに、一之瀬はさっきの日向のことをまだ気にしているみたいだった。
「日向君、さっき私が何か気に障ること言っちゃったのかな……」
……違うでしょ。
どう考えても、あいつの性格が終わってるだけ。なんでそこで自分のせいにするのよ。
というか、あれだけ言われても相手のことを心配できるのは、もうどうかしてる。普通なら、二度と話しかけたくないと思うじゃないの?
優しいというよりは、お人好し。悪い子じゃないなんて嫌でも分かる。……だからこそ、面倒なんだけど。
そして、私たちはカラオケへ向かうため、教室を出た。
そのとき、一度だけ後ろを振り返る。日向の席は、もう空いていた。
……いつの間に?
さっきまで確かにいたはずなのに、気づいたときにはもういない。あいつ、本当に何なのよ。
私は前を向く。
これから三年間、このクラスで過ごすことになる。
……はぁ。
本当に、面倒なクラスに当たってしまった。
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Side:一ノ瀬 帆波
――初日のHR。あれから、少し時間が経った。
みんなでカラオケに行って、たくさん話をして、たくさん笑った。最初は少し緊張していたけれど、気がつけばそんなことも忘れてしまうくらい楽しくて、帰る頃にはみんなとの距離もずっと近くなったような気がする。
今はみんなと分かれ、一人で帰り道を歩いている。夕方になった空は、いつの間にか灰色の雲に覆われていて、さっきまでの明るさが嘘みたいに薄暗くなっていた。
それでも、今日一日のことを思い返すと、自然と頬が緩んでしまう。相手の話を聞いて、相槌を打つ。そんな当たり前のことをしているだけなのに、不思議なくらい楽しかった。
笑って、話して、また笑う。そんな時間が、こんなにも嬉しいものだったなんて、少し前の私ならきっと想像もできなかったと思う。
――ここなら。
ここなら、やり直せるかもしれない。そんなことを考えてしまう。
もちろん、過去が消えたわけじゃない。楽しい時間を過ごしていても、ふとした瞬間に思い出す。あの頃の自分がしてしまったことを。忘れたつもりでも、心の奥にはずっと残っていて、思い出すたびに胸の奥がきゅっと締め付けられる。
「……ふぅ」
私は小さく息を吐いた。
まだ、完全には受け入れられていない。きっと、これからも簡単には忘れられないし、何かの拍子に思い出して苦しくなることもあるだろう。
でも――だからこそ、ここで逃げたくなかった。
新しい友達を作る。新しい思い出を作る。
そうやって少しずつでも前に進んでいけば、いつか過去の自分と向き合える日が来るかもしれない。今すぐには無理でも、いつか笑って「あの頃は大変だったな」って言えるようになるかもしれない。
そんな未来を、少しだけ期待してしまう。
「……日向君」
ふと、あの男子の姿が頭に浮かんだ。
今日、教室で会ったばかりの男の子。
最初から最後まで、よく分からない人だった。
話しかけても拒絶されるし、自己紹介ではクラスのみんなにしか聞こえないような侮辱を平然と言っていた。あれだけのことを言っておいて、本人は何事もなかったような顔をしている。
そして、カラオケに誘おうとしたときには――。
気づいたときには、もういなくなっていた。みんなで楽しく過ごした。それ自体は嬉しかったし、今日という日が楽しかったことに変わりはない。
でも、どうしても引っかかっている。日向君だけが、その輪の中にいなかったことが。
もちろん、本人がいない以上、私にできることはなかったのかもしれない。無理に誘ったところで、きっとあの人なら断っただろうし、そもそも私たちと一緒にいたいと思っていたかどうかすら分からない。
それでも――。
――本当にできることはなかった?
胸の奥から、そんな疑問が浮かんでくる。
すぐに追いかければ、追いつけていたんじゃないだろうか?
もう少しだけ声をかけていれば、何か変わっていたんじゃないだろうか?
あの攻撃的な態度だって、もしかしたら私が余計なことを言ったからじゃないのか?
そんなことを考え始めると、どんどん頭の中が止まらなくなっていく。せっかく楽しかったはずなのに、気づけばまた自分を責めている。
「……私、何やってるんだろう」
小さく呟いて、私は苦笑する。もう過ぎたことなのだから、気にしなくてもいい。そう思おうとしても、どうしても頭から離れない。
そんなことを考えながら歩いていると――。
「あ……」
見覚えのある背中が見えた。日向君だ。少し離れたところを、一人で歩いている。
私は足を止めた。
どうしよう、声をかけるべきだろうか。
自己紹介のこともあるし、正直に言えば少し怖い。あんなふうに、何の迷いもなく人を傷つけるような言葉を口にできる人と、二人きりで話すなんて初めてだ。
それでも、足は止まったままだった。
……やっぱり、ちゃんと話してみよう。
「……よし」
小さく息を吸って、歩み寄った。
「日向君!」
日向君が振り返る。
「一之瀬か」
「うん」
私はすぐに頭を下げた。
「ごめんね」
「何を言っている?」
相変わらずの無表情。声にも特に感情はない。
怒っているのかな?
「今日、みんなで遊びに行った時に、日向君を誘わなかったから」
「おまえには何も感じない。その謝罪は無意味だ」
淡々と、彼は返す。
「でも……」
うっ……やっぱり嫌われているのだろうか。
そんなつもりはなかったのに、こうして真正面から無意味だと言われると、胸の奥が少し痛くなる。でも、それ以上に気になったのは、彼が本当に何も感じていないように見えることだった。
「身の程を知れ。自己犠牲の献身の末路など似通ったものだ。或いは、破滅するのが目的か?」
「……」
その言葉に、私は何も返せなかった。
自己犠牲。献身。破滅。
どうして、そんな言葉が出てくるんだろう。
私がみんなと仲良くしたいと思うことが、そんなに悪いことなのかな。それとも――日向君には、私が何か無理をしているように見えているのだろうか。流石に違うよね......
やっぱり、表情も声のトーンも変わらないから、よく分からない。怒っているようにも、寂しがっているようにも見えない。ただ、本当にそう思っているだけみたいだった。
……この人は、本当に何を考えているんだろう。私なんかじゃ、彼のことを理解するのは難しいのかもしれない。それでも、さっきからずっと引っかかっている。
私が一方的に心配しているだけなのだろうか。それとも、日向君自身も何かを抱えているのだろうか。
分からない。
でも――。
私なんかじゃ、彼の助けになるのはやっぱり無理なのかな?
――いや、それでも!!
「ねえ、日向君」
少し怖いけど、尋ねる。
「私のこと、やっぱり嫌いなのかな?」
聞いてしまった。
本当は、答えを聞くのが怖かった。もし「そうだ」と言われたら、きっと私は傷つく。それでも、曖昧なままにしておく方が嫌だった。
「わかりきった答えだ。それに、どれほどの価値がある?」
「……」
やっぱり、否定はしない。嫌いなんだろうな……。やっぱり、胸の奥が少しだけ痛くなって、私は困ったように笑う。
でも、ここで引くわけにはいかなかった。前に進むって、このクラスでみんなと楽しい思い出を作るって、そう決めたから。その中には、日向君だって含まれている。
「もし私に思うところがあるなら、ちゃんと言ってほしいの。直せるところなら、頑張って直すから、正直に言ってほしい」
私は日向君を見る。......怖い。
何を言われるのか分からない。でも、それでも聞きたかった。
私が知らないうちに誰かを傷つけているのなら、直したい。せっかく新しい場所に来たのだから、今度こそ誰かを傷つけるようなことはしたくない。
日向君は、しばらく黙っていた。
その表情は何も変わらない。
怒っているのか、呆れているのか、それとも何も感じていないのか、相変わらず私には分からない。
ただ、黒い瞳だけが真っ直ぐに私を見ていた。
――そして。
「まさか自分を聖女や天使などと思っているのではないだろうな? そのような者に言えることなど限られるというのに、随分と酔狂なことだ」
「……」
淡々と紡がれる叱責。まるでこちらの反応など最初からどうでもいいかのように、日向君は言葉を続ける。
胸に刺さる。でも、受け入れよう。ここで逃げたら、また同じことを繰り返してしまう気がした。
「別にいいよ。私が変わり者でも」
少しだけ声が震えた。
それでも、私は日向君から目を逸らさない。
「私は天使や聖女みたいな素敵な人たちじゃないけど……でも、それでも、私は君と仲良くなりたいから……」
ほんの僅かな覚悟をもって、私は言う。言ってしまった。
やっぱり怖い。
それでも、これだけは譲りたくなかった。
すると、日向君はほんの少しだけ目を細めた。それが何を意味しているのか、私には分からない。
「――ならば答えるとしよう、一之瀬」
その声は、どこまでも静かだった。
「おまえは何故、いつまでもここにいる?」
「……え?」
「まさか、気づいていないわけではあるまい」
心臓が、どくん、と鳴った。
「早く転校届を出せ。とても見ていられん醜態だ。自らでその目を覆っているのだ……」
「……何を……」
意味が分からない。
いや――分かりたくない。
黒い瞳は私を捉えて離さない。
その淡々とした語り口は、まるで私自身を告発しているかのようだった。
「罪人であるおまえが救われることなどありはしない」
――言葉が出てこない。
なんで?
なんで!?
知っているの!?
そんな人、いるわけがない。
知っているはずがない。
私は何も話していない。
この学校に来てからだって、誰にも話していない。
なのに――どうして?
「……っ」
焦りと恐怖で思考がまとまらない。
何を言われたのか理解したくないのに、頭の中ではその言葉だけが何度も繰り返される。
罪人。
救われることなどない。
その言葉が、昔からずっと心の奥底に押し込めていたものを無理やり引きずり出してくる。
表情が固まる。まるで石のように、身体が動かない。
心臓が痛い。鷲掴みにされたかのように締め付けられて、息を吸うことさえ苦しくなっていく。
頭から血が引いていくような感覚がして、手足には寒気が走った。
全身から冷や汗が止まらない。
違う。
違う違う。
そんなはずない。
誰も知らないはずだった。
新しい場所なら、やり直せると思っていた。
過去のことを知っている人なんて、ここにはいないと思っていた。
なのに――。
「……っ、は……」
呼吸がうまくできない。
目の前にいる日向君の姿が、ぼんやりと滲んでいく。
何か言わなきゃ。違うって言わなきゃ。
でも、声が出ない。喉が張り付いたみたいに動かなかった。
何分そうしていたのだろう。少なくとも私には、まるで永遠のように感じられた。
時間の感覚さえ、もう分からない。
ただ、頭の中で同じ言葉だけが繰り返される。
――罪人。
――救われることなどない。
そして、そうしているうちに、視界が少しずつ暗くなっていく。
周囲の景色が遠ざかっていくような感覚。
音も、何もかもがぼやけていく。
最後に頭の中に浮かんだのは、昔の自分だった。
忘れたかった。
忘れてはいけないと思っていた。
なのに――。
どうして。どうして、この人は知っているの?
視界が、真っ暗に沈んでいく。
(ごめんなさい……ごめんなさい……)
背中に感じる板の硬さと、わずかに擦れる布の感触で目が覚める。ぼやけた視界が戻った時、ハッとして目を覚ます。どうやらベンチのようだ…あたりを見ればすっかり日は落ち、もう夜になっている。かけられているこれは....制服?
「起きたか....随分と寝ていたようだが、身の程をしるといい、おまえの献身はみるに耐えない」
声が聞こえる....えっ!日向君!!
ハッとなり顔を横に向けると、そこには、日向君がいた。Tシャツなのを見るにこれは彼の制服のようだ。
少し冷静になった気がする、寝たのが良かったのだろうか。
「これ、日向君のだよね?運んでくれたの?」
少し驚きながらも尋ねる?
「そうか、オレ以外に他の者が見えるか、どうやらまだ休息が必要なようだ...楽にしてやろう」
こちらへ延びる手
「にゃ!!いやいや大丈夫!大丈夫だから、もうばっちりだよ!」
その手に慌てて制服を返す。
「そうか」
そうして、彼は黙り、元の位置に戻る。
彼は何者なんだろうか、さすがに地元に彼みたいな人がいるなんて聞いたことはない、私が学校にいない間に転校してきたなら知ってるはずはないし、生徒たちの親戚?いや日向なんて苗字の人は事務員さんも含めて誰もいなかった。全員名前を憶えていたから間違いないはず。
......それに行動もよくわからない、言葉で他人を傷つけたかと思えば、こうして助けてきたりもする。
考えれば考えるほど彼のことが分からない。でも今やるべきことは決まってる。
「あの、ありがとう!」
理由は彼にあるかもしれないけれど、こうして面倒を見てくれたのは彼なのだから、やはり感謝はするべきなのだ。
「無用だ...それに…」
彼が続けようとしたのを手で遮る。
「関係ないよ、助けてくれたんだからお礼を言うのは当然でしょ?だから大人しく、受け取ってね」
「...理解に苦しむ在り方だ、だが、承知した、お前の感謝を頂戴する」
全く嬉しそうではないけれど、まぁ、よし!意外と彼、押しに弱いのかな?
少し間を開けて、私は語りだす。
「もう夜になっちゃったから、さっきのやつ手短に言うね。転校は……あはは、ちょっと無理かな。私の家、実はあんまりお金なくてね……ここ以外の学校は厳しいんだよね」
できるだけ明るく言ってみる。
さっきまであんなことを言われていたのに、今こうして普通に話している自分が少し不思議だった。怖かったし、今でもあの言葉が頭から離れない。でも、だからといって何もかも投げ出すつもりはなかった。
「そうか」
彼はそれだけ呟いた。
「……」
やっぱり、何考えてるのかわかんないや……、こういう人のことを分かる人って、いるのかな?
そんなことを考えながら、私は少しだけ笑う。
「私ね、Bクラスのみんなと仲良く卒業するのが目標なんだ。たくさんおしゃべりして、たくさん遊んで、たくさん楽しい思い出を作って、そうしていくうちに、過去を受け入れられるんじゃないかと思うから……」
口にしてみると、やっぱり少し恥ずかしい。
こんなこと、改めて人に話すようなことじゃない気もする。でも、これが今の私の本当の気持ちだった。
過去を消したいわけじゃない。なかったことにしたいわけでもない。ただ、いつかちゃんと向き合えるようになりたい。そのためにも、今度こそ大切なものを作ってみたい。
「だから、私の目標を手伝ってくれない?……日向君」
少しだけ緊張しながら、彼を見る。
返事を待つ間、遠くから鳥のさえずりが聞こえてきた。
静かな夜の中では、その小さな声さえ妙にはっきりと聞こえる。そのせいで、日向君が何も言わない時間が余計に長く感じられた。
「……自ら苦難の道を選ぶか。随分と殊勝な心構えだ。滑稽というしかない。悪いが、期待するだけ無駄だな。オレは勝手に動かせてもらう」
「……そっか」
やっぱり、断られた。分かっていたような気もするけど、実際に言われると少しだけ残念だった。
日向君はそれだけ言うと、立ち上がる。
もう話は終わり。そういうことらしい。
「もう……分かった。今はそれでいいよ……」
私は少しだけ苦笑する。
「でも、困った時は言ってね。絶対に助けるんだから!」
すっと、立ち去っていく彼の背中に言い放つ。日向君は振り返らない。そのまま、何も言わずに歩いていく。
「……ほんと、変な人」
私は小さく呟いた。日向君のことは正直怖いし、よく分からないことも多い。何を考えているのかも分からないし、どうしてあんなに人を突き放すのかも分からない。それなのに、こうして私を助けてくれたりもする。
だから、今の私には彼のことを理解することなんて、とてもできそうにない。
それでも――。
まずは、大きな一歩を踏み出せたはずだと思う。
……うん。そう思いたい。
今日は、ちゃんと日向君と話すことができた。怖かったけど、自分から逃げずに向き合うこともできた。それだけでも、今の私にとっては十分なことなのかもしれない。
だから、いつか。
いつか日向君にも、私たちのことを認めてもらいたい。
そして――。
いつか彼自身に、言わせてみせる。
――最高の仲間たちだった、と。
私は、この学校での小さな、けれど、とても大切な目標に向けて、改めて覚悟を決める。
過去を変えることはできない。でも、これからを変えることならできる。だったら私は、この場所で前に進んでいこう。
たとえ、隣にいるのがとんでもなく変な人だったとしても。
「……頑張ろう」
そう呟いて、私は夜の道を歩き始めた。
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Side:日向 優慈
……最高のクラスに当たったようだ。祖父母を筆頭に、相も変わらずオレは周りの者に恵まれている。こうして考えてみれば、これほど人に恵まれている人生もそう多くはないだろう。……幸運というほかないな。
高円寺と同じクラスになれなかったのは残念だが、それを差し引いても、このクラスは一之瀬、前の席の姫野を筆頭に、心地良い者ばかりだ。姫野には少し悪いことをしていたかもしれん。あれだけの監視カメラを見れば、さすがに少し気が立つ。無意識に殺気が漏れていた可能性もあるが……まあ、あの程度なら問題はなかったのだろう。本人も特に何か言っていたわけではない。
あとはそうだな。個人的には、自己紹介で失敗したことが悔やまれる。まさか、あの後に皆で遊びに行っていたとは思わなかった。とはいえ、久しぶりの自己紹介だったからな。気恥ずかしさ故逃げるように去ってしまったのは必然だっただろう。
まあ、それについては今更考えても仕方がない。むしろ、それ以上に色々と収穫があった。
教室も含め、異様な数の監視カメラが気になったため、敷地内を一通り確認したが、この学校が学年ごと、さらにクラスごとに明確な差をつけているのは間違いなさそうだ。学食やコンビニにある0ポイントの商品を利用している生徒のクラスを照らし合わせれば、この学校が生徒の能力を基準にして、Aクラスから優秀な者を割り当てていることもほぼ間違いないだろう。
入学時点で既にクラスの格差がある。ならば、その差を維持するだけで終わるはずがない。
それに、学校側は明らかにクラス同士を競争させているようだ。各クラスの生徒たちが他者へ向ける感情を見れば分かる。競争心というには、少しばかり恨みが混じりすぎている。単なる成績争いで、あれほどの感情が生まれるとは考えにくい。
……意図的に争わせているのだろうな。
あれは一日や二日で生まれるものではない。長年積み重ねてきた環境があってこそ生まれる感情だ。つまり、この学校は生徒同士を競わせるための仕組みを、用意している可能性が高い。
蟲毒のような場所だ。間違っても、気分がいいとは言えない。
だが、転校という選択肢がある以上、オレから言うことは特にない。ここにいることを選んだ以上、その選択に見合った覚悟を持つべきだからな。
……競争か。
仮にも学校というシステムである以上、おそらく定期的な試験という形で競わせているのだろう。学力試験だけではない。身体能力、判断力、協調性……そういったものまで含めて、何らかの形で生徒同士を競わせる仕組みがあるはずだ。一年の他のクラスも軽く見たが能力は高くても、素行が悪ければ下に落とされている。ならば、この学校は総合力を重視していると見て間違いはないだろう。
だが、気になるのは……上級生の席だな。
おそらく優秀であろう2―A及び3―Aであっても、席の数は上限である40より少なかった。2年が一人、3年が二人。
この数字を偶然と見るには、少し不自然だ。
ならば、おそらく1年の間に、それがいつなのかはまだ分からないが、各クラスから確実に一人を退学させる試験があるはずだ。
流石に最後の月だと思いたい。
だが、今のところは推論ばかりだ。ならば最悪を想定しておくべきだろう。退学者が出る時期が早ければ早いほど、こちらも早く動かなければならない。
……一之瀬と約束したからな。
そう、一之瀬だ。
流石に驚いた。今時、あれほどの善人がいるとは思わなかった。生きとし生けるものすべては尊いものだが、あれほど他者を優先する者は流石に初めて出会った。
この学校で、誰一人欠けることなく、皆で楽しく卒業する。
口にするだけなら簡単だ。だが、実際にはAクラスを目指すことよりもよほど難しい目標だろう。それを自分のためではなく、他者のために掲げるとはな。
……やはり、天使や聖女などという言葉でも相応しくない。
あれほどの罪悪感に押し潰されそうになっていたというのに、それでも自分より他者を優先する。自分を責め続けることに慣れてしまったような危うさすらあるのに、それでも他者のために手を伸ばそうとする。
あの在り方は、とても真似できそうにない。
だからこそ、放っておくわけにもいかない。
役に立たないかもしれないが、オレにできる範囲で手伝うと言った以上、最善を尽くさなければならないだろう。言葉にした以上、それを違えるのは好ましくない。
独自行動の許可を得られたのは幸いだった。これなら、オレのようなものが一之瀬たちの輪に無理に入る必要もない。必要な時に必要なことだけをすればいい。
……我ながら、随分と都合のいい話だ。だが、オレにはこの方が向いている。
個人的には、この学校での3年間の目標が得られたことが一番の収穫だったな。
この学校の仕組みを調べること。ポイントを得ること。そして、退学者が出る可能性があるなら、それを防ぐこと。
やることは多い。
だが、まずはポイントを得ていこう。格闘技系の部活が中心になるだろうが……ポイントを強奪するのは、さすがに気が引ける。
とはいえ、郷に入っては郷に従えともいう。
相手が望んで勝負を挑んでくるのであれば、こちらも遠慮する必要はないだろう。むしろ、胸を借りるつもりで挑ませてもらおう。
こちらが得るものがあるのなら、相手にも得るものがある。
そう考えれば、何も悪いことではない。
……さて。
明日から忙しくなりそうだ