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Side:神崎 隆二
俺は今、一人プールサイドに立ち、その様子を眺めていた。目の前に広がる水面は、ほとんど波立っていない。授業が始まる前ということもあり、まだ誰も水に入っておらず、井から降り注ぐ白い照明が水面に反射し、僅かに揺れるたび、青白い光がプールの底へと伸びては崩れていく。
入学式から、一週間経ち、クラスの中でグループも固まりつつあり、入学当初特有の浮ついた気持ちは落ち着いてきたように思える。概ねクラスメイトの雰囲気は良好であり、理想的なクラスと言ってもよいのではないだろうか?
俺も例に漏れず何人かと遊びに行くほどの仲へと至っている。だが、正直なところ俺自身、ここまで馴染むのが早いとは思っていなかった。勉学と武道に励んできたせいか、あまりコミュニケーションは得意ではなかったからな.....
それにしても、まだ暖かくなってきたとはいえ、少し肌寒さを感じるにもかかわらず、プールの授業というのも如何なものだとは思っていたが、ここまでの施設をみれば、ここまで早い理由も少しは伺い知れる。
一般的な学校のプールとは明らかに規模が違う施設だった。高い天井の下に、長く伸びた競泳用プールが設置されており、何本ものレーンが一直線に並んでいる。スタート台も本格的な競技用のものが備えられ、壁面には大型のデジタルタイマーまで設置されていた。観覧用のスペースまで用意されており、プールサイドも広い。屋内プールであり、空調が効いているため、外の気温とは無縁で暑がりなものや寒がりなものでも快適に利用できるだろう。
ここまで恵まれた環境だ、水泳部の者は泣いて喜び、部活動に励むだろう。まぁここ以外の部活道も施設は充実しているため、皆似たような状態であるかもしれないがな。
さて、仲が良くなったとはいえ、一緒に着替えるというのも少し気恥ずかしかった故に早く来たのだが、どうにも先客がいるようだ......
そんなことを考えていると後ろから声を掛けられる。
「1番乗りかい、随分と早い身支度だったけど、そんなに楽しみだったのかな?」
灰色のマッシュヘアでまとめ、いつも掛けている眼鏡の代わりにゴーグルを身に着けた、温和そうな男がが俺に話しかけている。
「浜口か、この年で着替えを共にするのは少し気恥ずかしくてな。それに俺が一番ではないぞ。」
そういい、プールサイドの端で、俺が来る前から、そして今もなお準備運動に励んでいる男を指で指し示す。
整った顔、白い肌に黒髪はコントラストを感じさせ、鍛え上げられた肉体は、がっしりとしながら彫刻のように一切の無駄がなく強さと美しさを同時に感じさせる。けれど、感情の欠落したその表情で美しさを薄気味悪さへと反転してしまった、そのような不可思議な男だ。
「ん、そうなのかい?……あぁ、彼か」
俺を含め、女子男子を問わず仲が良く人気者である、この男がここまで微妙そうな顔をするのも少し面白い。
まぁそれも無理もない。指を刺した先にいるのはこのクラス唯一の問題児と言っていい......日向優慈だ。
奴自身がなにか暴力事件を起こしたわけでもなく、いや、まぁ似たような噂は聞いたのだが......それはともかく、先生に呼び出されたりも......うむ、確か理事長室に呼び出されたという噂もあったか?
いや、なんにしろ、噂止まりであり、奴自身が本当に何かをしたというのは見たこともない。容姿もこの学年だと上位に入るであろう、そんな男であるにもかかわらず、浜口ですらあのような顔をするその理由は......
「日向くん、もう少しこちらに歩み寄ってくれたらいいんだけどね……」
「その通りと言いたいが、ここ1週間の様子を見るに、どうにかなるとはとても思えんがな」
浜口は優しい故か、かなり柔らかい言い方をしているが、実際のところ、やつのコミュニケーション能力は俺など比較にすらならないほどひどい。端的に言ってしまえば口が悪すぎる、その中身も上から目線かつ一方的なものであり、今も頑張って仲良くしようとする一之瀬以外に関わるものはいないと断言できてしまう。
その一之瀬への態度もひどいものであり、俺や浜口はまだ好感度の高い方だろう、大方のクラスメイトは嫌いよりの嫌い。一之瀬と仲が良い、或いは好きなものは視界にも入れたくないと公言するほどの嫌われっぷりだ。
一之瀬への態度から嫌われることもあるが、一之瀬がいなかったら学級崩壊が間違いなかったことを考えると果たしてどちらが良かったのやら。ただ、日向という問題児のせいか他のクラスメイトは一之瀬を気遣い、クラスメイト同士の交流を積極的に行っていた。俺はそのおかげで助かった口だ、あいつに感謝しなければいけないこともあるかもしれない。
そんなことを言っていると続々と、クラスメイトが更衣室から現れる。女子はまだ準備に時間がかかるのか、現れたのは男子だけだが。
「おっ、神崎と浜口じゃねーか、なんだよ?お前らそんなに女子の水着が待ちきれなかったのか~?まぁ気持ちはよーくわかるぜ」
紫髪を七三に分け、オールバックと合わせた、爽やかで人当たりの良い印象、人によってはチャラいなどと思うかもしれない、そんな男に話しかけられる。
「僕は、着替えるのが早かっただけだよ」
「俺もそうだな」
流石に何人にも理由を説明するのは億劫ゆえに浜口に便乗する。
「え~ほんとかよー、俺なんかよ楽しみすぎて、午前中は授業に集中できなかったってのに」
「それは、どうかと思うよ渡辺くん……」
「浜口の言う通りだ、というかそれが理由か、やけにボーっとしているとは思っていたが」
確かに、年頃の男子だ、浮つく気持ちも理解できるがな、とはいえそれで学業がおろそかになるのはいただけない。にしてもあの授業中の雰囲気で浮つけるとは案外大物かもしれん。
俺と浜口の言葉に慌てて、渡辺は慌てて弁明する。
「分かってる、分かってるって、一之瀬にも注意されたしな。てかよぉ、それで言うと教師たちが一切注意してこないのも不思議だよな。Dクラスなんかやりたい放題だって聞いたけどよ?放任主義ここに極まれりって感じだぜ」
そのセリフに俺と浜口は、思わず互いに顔を見合わせる。
前に浜口や一之瀬などと話したことだ。この学校はやはり少しおかしい、まだ、高校生になったものに10万円をポンと提供する。それにも関わらず無料商品が充実し、ポイントを使い果たした者への救済措置がある、毎月10万ポイントなど使いきれるものなのだろうか?中にいるかもしれんが、大多数の者はそうでないはずなのだが......
それに、先生方の態度も不信感を煽る。期待するから、これだけの金額を渡すのだと説明されたが、実際には期待のかけらも見受けられないほどこちらに無関心、柴田の言うようにこちらに注意の一つもない。流石におかしい、しかし......結局なぜなのかは分からなかった、星乃宮先生に聞いてみたがはぐらかされただけだったしな。
そう思考にふけっていると、
「そんだけ、俺らに期待されてるってことじゃないか、その期待を裏切らないために頑張るべきだな」
そう言いながら、スポーツ系の短髪に仕上げた、明るく活発そうな男、柴田が俺たちの会話に混ざる。
「……いや、やはり少し気になるが」
「そうですね、僕もやはり少しおかしいと思います」
「そうかなぁ?、気にしすぎだって!
......それに、そんなことよりも、あいつの方がよっぽど問題だと思うけどな」
そう言い、柴田は日向に向けて指をさす。
柴田の言うとおり、やはり気にしすぎ......なのだろうか?とはいえすっきりしないまま、日向の方を向く、確かにあいつが問題なのはそうだからな。どうやら柔軟運動に入ったようだ、凄いな......骨が入っていないのかまるで蛸のように体が曲がっている。
「確かに彼はその......ちょっと、コミュニケーションに問題があるかもしれませんけど、最初に比べれば話しかけてくることも増えましたし、一之瀬さんのおかげで心を開いてきたのではないでしょうか?」
「ちょっと!?そんなもんじゃないだろ、絶対!! それに最初のまま黙ってる方がまだましだったぜ、俺がなんて言われたか知ってるか? 『凧のように軽い男だ、芯というものがないのか?羨ましいことだ』だぞ!! 流石に頭にきたけどよ、やり返さなかった俺を褒めてほしいぜ」
「やり返すほどの度胸がなかった......の間違いじゃないのか?渡辺」
「ち、ちげーし、俺が本気出せば秒でボコボコにしてやんよ」
その目は泳ぎ、とても強そうには見えないが、こういった調子の良いところもこの男の良いところなのだろう。
「渡辺が言うみたいに暴力に訴えるのはどうかと思うけどさ。やっぱり、一回ちゃんと言った方がいいんじゃないのか?調子乗らせてるだけだと思うんだが、渡辺みたいなこと言われたの一人や二人じゃないだろ……」
柴田がそう愚痴る。
そうは言うが、あいつの場合は自分が気になっている一ノ瀬への対応や、彼女が日向に構っているのが気に入らないところも多分に含まれるのだろうな。
「見たところ、一日にそのくらいだからな、大体10人ほどじゃないか? 毎日話しかけている一之瀬と話しかけられている姫野は除くが」
「そのうち僕たちも言われるかもしれないね...なんて言われるのかな?」
「どうせろくな事じゃねぇって!
てかよ暴力じゃないけど、今日水泳だろ? 泳ぎで勝てば話の一つや二つは聞いてくれるんじゃないか?」
渡辺がそう提案する。その顔はいい案が思いついた!というようなきれいな顔ではないが......
「本音はなんだ?」
「あいつが悔しがって泣き叫ぶ姿が見てぇ......」
正直なことだ、まぁ思うだけなら自由だしな、それに......
「はぁ、柴田君?それはどうかと―――」
「いや、案外悪くない案かもしれんぞ。普通に言っても、忠告を素直に聞くとは思えんし、暴力など一ノ瀬が止める止めない以前に論外だ、それに奴が自分に勝った相手を無下にするほどの恥知らずとも思えん」
あいつの実力がどれほどのものか確かめてもいないしな、俺がそういうと周りの奴らも少し考え始める。
「んーそう考えると、確かに良い案かもしれないね、でも僕じゃ力になれそうもないかな、ごめんね」
そう浜口が謝る。確かに、そういう浜口の肉体は不健康そうにも見えないが、鍛えているとは言えず、日向に勝つのは難しいと感じさせる。
「なら、俺と神崎、あとは運動が得意な奴らで挑めばいいんじゃないか?苦手な奴まで巻き込むわけにもいかないしな」
そう柴田が言うと、周りの者たちも頷く。
「ふむ、全員問題ないなら、そうするとしようか。とはいえ授業で何をするかは不明だ。もし競えるような時間が取れたりするようならその時改めて俺が提案しよう」
俺は、そういい周りを見渡す。みんな何か思うところはあるのだろう。十分な闘気に満ちている。
そう俺たちが決意を一つにしていると、女子更衣室の方から、いくつもの楽しげな声が重なって聞こえてくる。どうやら、女子たちも着替えを終えたようだ。
「おい、来たぞ!!」
渡辺がそういうと、何人かの男たちは息を吞む。というか、俺と浜口、そして日向以外の全員だが......
日向のやつまだ、準備体操しているんだが、念入りにもほどがあるだろう。トライアスロンをするわけでもないだろうに、そう呆れていると女子たちが姿を現す。
「お待たせー! ごめんね皆、ちょっと時間かかっちゃった」
そう言い現れたのは、紫がかった髪をポニーテールにまとめた、明るく親しみやすい雰囲気を纏う女性、網倉が現れた。健康的な体つきをしておりスクール水着ゆえか、丸見えのその足もモデルのようにスッキリしており、また普段は隠れている胸も強調されている。......思ったよりあるな?前から網倉のことを気になっていると言っていた渡辺が何も言えていないどころか、耐えられないのか目をそらしているぞ。
その後、女子たちが次々とプールサイドへ姿を現した。
「わあ……やっぱり大きいね、ここ」
「ね! 学校のプールとは思えないよね」
「早く入りたいなー」
「......はぁ、だる」
人懐っこい小橋、運動が得意と言っていたゆえか引き締まった体つきの南方、ダウナーな雰囲気を身にまとう姫野などBクラスの女子、ほぼ全員がやって来る。
凄いな、男が息をしていない、まぁ可愛い者が多いから仕方ないところではあるだろう。気のいい奴らではあるが、流石に思春期ではあるらしい。じっと見てはいけないと思っているのか、視線をそらしているのがせめてもの良心を感じさせる。
俺は、一応、社長の息子だ、いろいろ教育されているからそれほどでもない。......そう考えると、何も変わらない、浜口や日向がすこし異端だがな。
―――すると
「あはは、ほら千尋ちゃん、一緒に行こうよ」
「えっ、あ……うん」
一之瀬が現れる。薄緑のショートヘア、小柄で華奢であり弱気そうな雰囲気を感じさせる、白波も一緒に現れる。豊満な体つきではないが、守ってやりたいと思わせる雰囲気、彼女は彼女で一定数の需要が存在するだろう、だが......
「ん~もうみんなーどうしたの?いきなり黙っちゃって、にゃはは、千尋ちゃんがびっくりしちゃうよー、もう」
そう一之瀬がクラスの男子たちに声をかけた。誰も答えられない。全員の思いはただ一つ。
―――デッッッッッッッッッッッッッ
FいやGか?スタイルが良すぎて、もはやわからんな。競泳水着に対するいじめだろうそれは、いや流石に声に出すわけには......
「うお......でっか」
馬鹿が、渡辺!!!死ぬぞ(社会的に)貴様!!!
さっと、様子を伺う、.....大丈夫のようだ、小さくて聞こえなかったようだ。白波の目が光った気がするが気のせいだろう。
それに胸だけではない、普段はピンクブロンドのロングの髪型が、今日は―――
「あ、ありえない.....ポニーテール.....だと」
「くっ、可愛すぎる。死んでもいい」
「馬鹿言うな、死ぬには早すぎる!!! 生きてもっと眺めるんだ!!!」
「なんだ、ただの天使か」
「阿呆言ってんじゃねぇ.....女神の間違いだろ」
そのあまりのギャップ故か、阿鼻叫喚といった有様だった。オレも少し冷静さを欠いていたな、落ち着かねばなるまい。
「もう、みんな大げさだなぁ。私、ただ髪を結んだだけなんだけどなぁ……にゃはは、そんなに褒められると逆に恥ずかしくなっちゃうよ」
本人は、わずかに恥ずかしがるのみ、それすらも可愛さに貢献してしまっているが。
「お、おおげさなんかじゃないと思う」
「そうそう、やっぱり髪型おそろにしてよかったじゃん!男子みんなメロメロだよ~」
「もうっ、千尋ちゃんも麻子ちゃんも、そんなこと言わないでよ~。恥ずかしいってば……」
三人とも、本当に仲が良さそうだ。普段は感情的な女子が苦手な俺でも、ああやって楽しそうに笑い合っている姿を見ると、少しばかり惹かれるものがある。
とはいえ、この褒め殺しに耐えられなかったのか、一之瀬は離れたところに一人でいる日向のもとへ逃げ、何事もなかったかのように話しかけていた。個人的には避難先としては間違ってるとしか言えないと思うが。
「日向くん、もう準備できた? みんなそろそろ集まるみたいだよ。……あ、そうだ! 日向くんって泳ぐの得意なの?」
そういい、少し照れたままなのか、すこし赤みがかった顔で日向に尋ねる。すごい破壊力だ、落ちない男はいないとも言っていい。
「.....敵わないな、それにしても自覚がないのなら質が悪い、クラスを崩壊させたいなら別だが.....慎みという言葉を知らないのか?」
シン―――っと静まり返る、プールサイド。空調の音がむなしく響く。どうやらあいつには関係なかったようだ。仙人か、何かなのかあいつは?
それにしても、やはり、あまりにも一方的な会話だ。こちらの問いに答えてるとも思えん。
それにしても距離感を間違えているとしか思えないほど近づき、何度も話しかける一之瀬も一之瀬だが、日向も日向だ。あまりにもいつも通りで、その目には欲の一つすら感じさせない。
それだけなら、むしろ好感が持てたのかもしれない。だが、やはり口が悪すぎる。プラスマイナスゼロどころか、むしろ大幅なマイナスだ。
「なんだぁ?あいつは」
「処す?、処す?」
「は、磔にして.....ひ、火炙りですぅ」
いつもの光景ではあるが、やはり不満に思うのか、怨嗟の声が聞こえ……?うん?今女子がいなかったか?
「そ、そうだよね。ごめんごめん、ちょっと近すぎたかな。にゃはは……」
そう言って一之瀬は誤魔化すように笑い、日向から離れていく。その足取りはどこか重く、とぼとぼと歩く後ろ姿には、妙な哀愁が漂っていた。
日向はその様子に気にも留めず準備体操を続ける、集中しているのか、まるで周りのことなど聞こえていないかのようだ。
「もう帆波ちゃん! だから、いい加減諦めなって、何言っても無駄だよああいう人は、かなりひどいんだから、先生に相談しなっって」
プリプリと怒りながら、網倉はそう忠告する。
『あったまいたい.....二日酔いだわあ.....一之瀬さん、プリント運ぶの手伝ってぇ(泣)」
俺は、あの担任を思い出す、果たして頼ったとして役に立つのだろうか?それに悪い意味で放任主義のこの学校のことだ、このようなことに手助けしてくれるとも思えない。
「ううん……確かに、ちょっと悲しいけど……それでも私は、日向くんにもみんなと仲良くしてほしいな。だって、日向くんはきっと、悪い人じゃないと思うから……にゃはは」
そう言って、一之瀬は困ったように、それでもどこか嬉しそうに笑った。……本当に、お人好しな奴だ。あれだけ露骨に突き放されても、まだ相手を信じようとしている。俺には、とても真似できそうにない。―――ならば。
「一之瀬、話がある……」
そういい、俺は先ほどの話を一之瀬そしてクラスの女子に共有する。
「本当に行けるかなー?あの様子だと難しそうだけど?」
「そうだけどさ、やってみる分にはいいんじゃない?」
「......好きにすれば」
厳しい意見や興味なさそうなものもいるが、概ね肯定的と言っていいだろう。肝心の一之瀬は......
「えっ……神崎くんたちが?でも……それは駄目だよ。私が日向くんと仲良くしてほしいって言ったからって、みんなを巻き込むわけにはいかないよ。これは私が言い出したことなんだから……にゃはは」
そう言って、一之瀬は少し困ったように笑った。
本当にお人好し、そういうしかないな。
「一之瀬、俺たちだって、あいつのクラスメイトだ。仲良くしたいと思うのは、変だろうか?」
俺がそう言うと、一之瀬は少し驚いたように目を見開いた。
「神崎くん……」
「そうだね。僕も彼とはちゃんと話してみたいんだ。一之瀬さんだけがそう思ってるわけじゃないよ」
浜口が穏やかに続ける。
「俺は、正直あいつのこと苦手だけど……一之瀬だけに任せておくわけにもいかねぇな。だから手伝うぜ……神崎とか柴田がな!」
「人任せかよ……」
思わず呆れたのか、柴田は笑いながら肩をすくめた。
「でも、俺も一之瀬の力にはなりたい」
三人の言葉を皮切りに、他の生徒たちからも少しずつ声が上がり始めた。
「俺も手伝うよ」
「まあ、日向とはあんまり話したくはないけど……」
「一之瀬さんがそこまで言うなら」
日向に対して好意的な意見が出ているわけではない、むしろ、あいつを苦手に思っている者の方が多いだろう。
それでも――一之瀬の力になりたい、そんな思いだけは、思いのほか多くの生徒が共有していた。それは男子だけには限らなかった。
「そうだね、帆波ちゃん、私に出来る事があるなら言ってね! なんでも手伝うから!」
「うっ、わ、私も帆波ちゃんの助けになりたいです......」
網倉、白波をきっかけに女子からも協力の声が上がった。
「みんな……ありがとう!あはは、じゃあ……お願いしてもいいかな? みんなが一緒にいてくれるなら、私もなんだか頑張れそう!」
そう言って笑う一之瀬の顔には、先ほどまで浮かんでいた不安や戸惑いはもうなかった。その笑顔につられるように、周囲からも自然と笑みがこぼれる。
「任せろ」
「任せてよ」
「おう、任せとけ!」
「俺たちに任せろ」
次々と返ってくる声、それが重なり、まるで示し合わせたかのように、
「「「任せろ!」」」
と、クラスの何人もの声が響いた。
ちょうどそのタイミングで、おそらく体育の教師なのだろう。筋肉質な中年男性がプールサイドへ姿を現した。
「よーしお前ら集合しろ! 授業を始めるぞ!」
先ほどまでの熱気を胸に、俺たちは集合する。
「いやー感心、感心。欠席者も見学者もいないみたいだな、この調子で頑張れよ」
「早速だが、準備体操したあとにすぐに泳いでもらおうと持っている。泳ぎが苦手な奴はいるか?」
意外なことに泳げないものはいないらしい、運動は苦手でも泳げないとまではいかないようだ。
「おっ、いないのか、色々流石だな」
……?何が流石なのだろうか?特に思い当たる節はないのだが......
それから、全員で準備体操を始める、男子は真剣にプールを見ている、さっきのことがあったからか? いや視線が固定されているのを見るに、別の事情もありそうだな......
先程までずっとやっていたというのに、日向も取り組んでいる、そろそろ一週間分の準備が終わったんじゃないだろうか旅行にしたら随分と長旅になるが......
そうして、準備体操が終わると軽く泳ぎ授業の説明に入る。
「よし! 本当に全員泳げるようだな、それでは早速競争とする。男女別50M自由型で、1位になった生徒にはボーナスだ、俺から5000ポイントを支給する、逆に1番遅かった生徒には補修を受けてもらう、頑張れよ!」
泳ぎに自信がないものがすこし渋い顔をしているが、それはさておき、競争か好都合だ。俺はそう思い周りの者と頷き合う。
「おっ、やる気があって結構だ。このクラスは40人全員そろっているからな、男女それぞれ四人ずつに分かれ、そのグループで最も速かった、計5人で決勝を行い、勝った奴にポイントだ、わかったか?よしそれならまずは女子から行う」
そうして、グループごとに分かれた後、俺たち男子はプールサイドで女子を応援する。
「しかし、都合がよかったな」
「そうだねぇ、決勝で勝った人の頼みを聞いてもらうってことでいいのかな?」
「それが丸そうだけどな.....なぁ浜口、肝心なところなんだけどよぉ、誰があいつに言うんだ?」
......全員が沈痛な面持ちを浮かべる。
あれほど大口を叩いたのにも関わらず、相手が勝負を受けてくれなかったら目も当てられないからな、一之瀬は責めないだろうが......周りの女子からの評判は地に沈み戻ることはないだろう。
ふぅ、俺は息を吐き言葉を告げる。
「俺が行こう、渡辺が提案したとはいえ、案として進めたのは俺だからな」
少し、緊張するが致し方あるまい。
「ごめんね、神崎くん、僕が言ってもいいんだけど、そもそも勝負に参加できないだろうからね」
「俺は、あいつと話せる気はしないからな、悪いけど任せたわ」
浜口、柴田がそう言い、周りをみても皆同じような表情を受かべている......我こそはというものはどうやらいないようだ。
「分かった、では行ってくる」
少し経つ間に、女子はもう3グループ目に入りそして終わった。
「一之瀬帆波、32.76秒」
一之瀬が勝ったようだな、経験したことがあるのか、かなり早いな......流石だな。
少し勇気を貰えたし、行くとしようか......決して一之瀬の濡れた姿で元気になったわけではない、そう、決して......
日向は一人、競争を眺めていた、俺は意を決し話しかける。
「日向、少しいいか?」
黒の瞳がこちらを見抜く、恐ろしい、そう感じたのはいつ以来だろうか、それほどその瞳には色が現れない。まるで人形ような無機質さだ、だが臆してばかりもいられない。
「何か用か?神崎」
「あ、あぁ今回の競争だがな、体つきを見ればわかる、俺、そしてお前も決勝に残るだろう。そこでなんだが、他の者とも話し合った、決勝に残った誰か一人がお前に勝てれば1つ言うことを聞いてほしい、確かに、無茶な――」
「構わない」
「おねが――何?」
余りにすんなりと頷いたことに驚き、俺は思わず聞き返す。
「まさか聞こえなかったのか?......悪いが本気で行かせてもらおう、手を抜くなどと期待してくれるなよ?」
日向がそういうと、静かな圧が周りを覆う、先ほどの喧騒が嘘のように遠く、何も聞こえない。
緊張で口が乾くが、何とかつばを飲み込み奴に返す。
「......ありがとう、だがこちらもそう簡単に負けるつもりはない」
俺がそういうと......微かに日向の口角が上がった。
……笑った......のか?
「承知した」
そういうと奴は、再び体をほぐし始める、他に興味がないかのように。その顔もいつものように無表情だった。......見間違いか?
とはいえ、なんとか仕事を終え、俺はもとの場所へ戻る。どうやら女子の決勝はちょうど終わったようだ。
「あっ、神崎くん、どうだった?にゃはは、私は負けちゃった、こずえちゃんが優勝してねー、27.64秒で本当に早かったんだよ!」
一之瀬は負けたことを少しも気にした様子もなく俺に話しかける。
「残念だったな、とはいえこちらは上手くいった、勝負には乗ってくれた」
「そっか! よかったよー! じゃあ、あとは私、みんなのこと頑張って応援するからね!」
一之瀬はほっとしたように胸を撫で下ろすと、ぱっと表情を明るくした。
「あぁ頼む、俺は少し体をほぐしてこよう」
そう言い、俺は一之瀬に別れを告げ、浜口達のところへ行く。
「おっ神崎じゃねぇか、どうだった?......まさか失敗したとか?」
「失礼なことを言うな、渡辺。あいつは勝負を受けた、だから後は俺たち次第だな......」
「そっか、それはよかったよ、僕ができることはないけど応援しているよ」
周りの者も皆、安堵の表情を浮かべている。
「俺は......確か3番目か、日向は何番目だったか?」
「僕と同じ、5番目だねぇ、柴田くんは1番目だから今ちょうど泳いでるよ、ほらあそこ」
そうして、目線だけをプールサイドに移す、なるほど確かに柴田だ、流石の身体能力と言っていいだろう、かなり速い。
―――そして。
「柴田颯 25.82」
女子からも男子からも喜びの声が上がる。さすがの人気ぶりだ、それにタイムも水泳部の者と遜色ない程に速い、思わず教師も水泳部への転向を勧めるがにべもなく断られている。サッカー一筋であるのはあいつらしと言えるがな。
二番目の勝者も運動が得意な者に決まり、ついに俺の番が来た。
スタート台に立つ、プールの向こう側が、やけに遠く感じた。緊張のせいだろうか?俺は一度だけ深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
「位置について」
身体を前へ傾ける。
「よーい――」
次の瞬間、合図が響いた、俺は勢いよく台を蹴る。そして身体を一直線に伸ばし、水面へ飛び込んだ。綺麗なフォームになった、自分でもそうわかる。
周りの声も聞こえない、ひたすらに、腕を大きく前へ伸ばし、水を掴む。呼吸は最小限に抑え、腕だけで進もうとせず、身体を左右に滑らせるようにして水を切っていく。
徐々に速度が乗ってくる、誰がどの位置にいるのか確認したい衝動を抑え、がむしゃらに前だけを見る。
気が付いたときには伸ばした手が壁に触れていた。ようやく周囲から歓声が聞こえる。
「神崎隆二、26.42」
――柴田には負けたか、......いや決勝に上がれば、勝負はできるだけの数字。
とりあえず上がるか、息を整え体を休めるために、浜口たちのもとへ向かう。
「いやー、お疲れ様、僕はとても誇らしいよ」
「かーーっ、運動できるやつは羨ましいぜ!次は俺の番だからな、期待せずに見てろよ!」
渡辺はそう言いプールへ向かう。
「ありがとう、浜口、だが決勝が本番だ。少し休ませてほしい......」
楽な形で座り、俺は競争を眺める、4番目の勝者は惜しくも渡辺ではなかったが、いい勝負だった、そしてついに日向が台へと上がる。さて、どれほどになるか......
――そして、俺は忘れていたのだ......
「......日向優慈 23.16」
――天才とは努力した凡人など容易くひき潰すということを......
その後の結果は語るに及ばない、5000プライベートポイントを入手したのは、日向優慈、奴だった。その時の顔はいつもと同じだ、何もない、感情の一欠片すら浮かんでいないそんな――凍りついたかのような無表情だった。
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Side:日向 優慈
水泳というものには、どうにも苦手意識がある。昔のことだ、準備を怠ったばかりに溺れたことがあって以来、その苦手意識がどうにも拭えない。
それ以来、同じ轍を踏まぬよう、念入りに身体をほぐしてから臨むようにしているが、集中することが多いせいか、周囲の音が聞こえなくなるのが玉に瑕だろう。
授業前に準備運動をしていたのは悪かった、そして確かに音が聞こえてはいなかった......だが、本当に一之瀬にも困ったものだ。おそらく一人になっていたオレに気を遣ってくれたのだろう、相変わらず底抜けの善性を持っている、そう褒めざるを得ない、それ以外には何もいえない。オレの貧者な語彙では彼女の長所をとても語り尽くせないだろうからな。
しかし、あそこまで近づいてくれなければ、話しかけられていることにも気づかなかったかもしれなかったとはいえ、さすがにあの距離はいかがなものだろうか。
自分の魅力がとてつもないものだということを、もう少し理解してほしいものだ。オレは確かに性欲が薄いかもしれないがそれでも覚者ではない。少なくとも、自分が周囲の者たちとはまた違った魅力を持っていることくらいは自覚してもらいたいが。
そして今日の授業は、それだけではなかった。ついに、ついに、一之瀬以外の者からも話しかけてもらえたのだ。神崎だったが……これを機に、話しかけてくる者が増えるやもしれん。これは、俺のコミュニケーション能力が上がったと見てよいのだろうか。
やはり素晴らしい理事長だったな、忠告通り、こちらから話しかけるようにしておいて正解だったとは。
まあ、一之瀬はともかく姫野は相も変わらず、オレのことを徹底して無視しているが。流石のスルースキルだ、最近また、練度が上がってきたように思える......ぜひ教えて欲しいものだ。いや、しかし、あれは生半可な覚悟では得られない代物か。オレ如きが希うというのも、恐れ多いな.......前言を撤回しよう。
まあ、俺のような者を相手にするのも疲れるのだろう。そもそも彼女は面倒を嫌う性質だ。それに加え、人との交流そのものを好んでいない。致し方あるまい。
だが、オレは知っている。彼女もまた、その心の奥底には確かな熱を宿している者だと。それがたとえ心の奥の奥にしまってあるものだとしてもそうであるならば、諦める理由はない。今日も俺は懲りずに話しかけるとしよう。
そして今日といえば、何よりあの勝負だ。こちらから挑むのではなく、まさか挑戦されるとはな。
挑むことは多々あれど、挑まれるというのは実に久しい。ゆえに、全力をもって臨むことができた、実に良い勝負であった。
水泳は決して得手とする分野ではない。それでも、なかなかに楽しめた。特に神崎と柴田。あの二人は、ともに高い身体能力を見せてくれた。
いつか、より親しくなりたいものだが……さて、どうだろうな。
いや、焦ることもないだろう、一歩ずつ、確実に積み重ねていけばいい。
卒業までには、まだ三年ある、こうして目に見える形で成果も現れた、ならば、急ぐ必要などない。
ゆっくりと、己を鍛えていくとしよう。
さて――明日もまた、良き日となるといいのだが。
カルナ語の下に、丁寧語の原文ってほしいですか?冗長になってもいけないと思い省いていたんですが。
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ヤハ【カルナ語検定3級】
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俺は...高円寺でも藤丸でもない!!
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私は好きにした、君も好きにしろ