申し訳ありません、誤って削除したため二話のみ再投稿となります
自分の名前があまり好きじゃない。
神之手。神の手と書いて、そのままカミノテ。我ながら中々物珍しく、そして厳めしい苗字だと思う。
そんな苗字が既に決められてる子どもに対するネーミングは、二択だろう。慎ましく、苗字とバランスを取るために大人しい名前にするか苗字に負けないくらい名前も仰々しくするか。
両親は多分悩んで悩んで、悩んだのだと思う。そして悩んだ結果、どちらとも中途半端になってしまうというのもよくあることだ。真意など、もうとうに居ない人らに聞くこともできないが。
そんなこんなで俺の名前は
間違っても大人しく平凡な名前でなく、かといって苗字に見合うほど厳めしい様子でもない。ただ変わっているだけの名前。
「あ、とーくんおはよう!今日はじゃなく私がご飯を作ったの、食べてく?」
「ああ、うん。ありがとうございます。是非」
そしてその名前に見合うような人間には、俺はなれなかった。普通、平凡よりもちょっと下。そんなものを自己評価で持っているし、それも他者に評価させれば少し甘いくらいな気もする。
だから、この名前はあまり好きじゃない。だけど、今のそんな凡庸自体は、そこまで嫌ってもない。
「まゆの様子はどうですか?」
「最近調子がいいみたい!昨日は部屋からなんとか出られたみたいで、おにいちゃんと外に行きたいって言ってたわ。もちろん、予定が合えばだけど…」
「そっか。なら明日は空けておきます。
いつもありがとうございます、凧谷さん」
「お母さん、でいいのよ。もう、いつも遠慮がちで、悲しくなっちゃう」
「……すみません」
そういえば最近、こういう風に呼び方を咎められてばかりだな、とふと思う。別によそよそしい、だとか遠慮だとか相手に言われたようにしたくないという意図があるわけじゃないのだが、つい口から出てしまう。
「じゃあ、行ってきます」
家の中にいる妹と母に、そう挨拶をしてから登校を始める。背後に窓から覗く視線を感じる。這い出ることのできるあたり、凧谷さんが言っていた通り確かに調子は良いようだ。
その内心とは反比例するように、足は少し重い。その体への反発というようにいつも通りの通学路を、今日は寄り道をしてから歩く。最近少し、貧血気味なような気がして、ならばとちょっとでも健康的にしようというわけだ。それがどれほど意味があるかは知らないが。
貧血気味の原因は、わかっているのだ。
そして困ったことに、だからこそ根本の治療は行えない。
(………)
首筋をさする。指の感覚が伝えるのは決して小さくはない二つの瘡蓋。
さて、今日も学校に行こう。
とてもとても暑い中、それでも向かう足は止まらない。
そうだ、嫌いではない。この平凡さも。
俺の今の現況も、あまり嫌いではない。
…
……
「あら、どうしたのトウくんそんな間抜けな顔をして」
「うわ、弥さ…か、みら、さん来てたのか。そんな覗き込まないでくれよ、間抜けヅラって言うくらいなら」
「間抜けなものってかわいいじゃない」
椅子に座り、背もたれにもたれかかってさらに後ろに反りぼうっとしていたトウの顔を敢えて回り込むように見てきた女性の名前を、妙に辿々しくぎこちなく応えるのを見て、神楽は微笑みながら満足げに言った。
黒い黒い流す髪、その色のまま浸透したような服の真黒、そしてそのどれらよりも黒々とした瞳。
イヤサカカミラは、そう言い終えてから満足して椅子に座る。
「趣味が悪いよ」
「好きなものは好きで、悪いこともないでしょう」
「良い悪いではないかもしれないけど、外聞ってものがあるだろ」
「ならなおのこと問題はないわ、これを聞いてるのは貴方と私しかいないのだし」
「俺からの好感って問題は?」
「もっとも心配の必要なし。なぜなら私の恥ずかしい所は会った初日に見られてるのだから、これ以上考える必要もない。以上」
青年が黙ったのは言い負かされたからではなく呆れたからでもない。自信満々に、以上、と言われてしまえば、きっとこの先何を言ってもこの話は続かないと思ったからだ。
その身勝手さはわかっているし、そしてそれが彼自身、嫌いではない。
嫌い、嫌い。
好き嫌いの話。読んだものの感想くらいは言語化して言うべきじゃないかとふと前日に、彼女に糾弾されたことを思い出し、連想ゲームまがいに青年は一つ話題を思いついた。
「そういえば神楽さんは太陽光は大丈夫なの?」
瞬間、弥栄はおっそろしくつまらないものを聞いたというように顔を歪める。またぞろそのつまらない質問かというように、呆れたようなげんなりとした顔をした。
「ああ、その次はニンニクは嫌いかとでも聞くつもり?そしてその次は心臓を貫いたら死ぬのか、なんてでも言うかしら」
「…なにやら気に障ったならごめん」
「…いいえ、こちらこそ神経質すぎたわ、ごめんなさい。そうね…突然だけどトウくんは、私たちの天敵とされるものはどれくらい知ってる?」
「太陽、流水、十字架に白木の杭…
あとはにんにくと聖餅、それくらいかな?」
「うん、ブラム・ストーカーのおかげで話が早い。なら杭やにんにくや餅はともかく、他の物には共通点があるのだけどわかる?」
「共通点?」
ううんと考えてみる。ただ考えれば考えるほど、先に入ってきてしまっている知識のせいで逆に思考が囚われる。なまじ知識があるせいで幼児よりなぞなぞの答えに辿りつけなくなるように。
「時間切れ。正解は、『きらきら光るもの』。流水の流れは光を反射するし太陽は言わずもがな。そして銀で作られた十字架は目を潰す。光るものを病的に恐れ、そして血を啜るように噛みついてくる。では今度は、そんな諸症状が出る病気を知ってるかしら?」
「…狂犬病?」
「そう、さすがね。だから昔、伝説を作り上げた実像のほとんどが狂犬病の末期症状の患者だったのではないかと言われてるらしいわ。幽霊の正体見たり、ただの難病患者だって」
「なるほど。そして、それを隠れ蓑に本物が生きていったのか。なかなか面白いな」
「隠れ蓑って言い方はちょっと嫌ね。別に私たちはそれを利用してたわけじゃなくて、勝手に周りが勘違いしてくれてただけなのに。
まあともかく、私はそういった病気の罹患者ではない。なので太陽の光も大丈夫。以上よ」
なるほどそれは嘘か真かはわからないが、この話題は与太話として単純に面白い、と感じた。十は実在したかとか真実であったかということよりもつまり、そういうことに色濃く惹かれる性質だった。
「あ、ちなみににんにくの臭いは普通に嫌いよ。
あまり食べてこないと嬉しいわ」
彼女は最後にそう付け足して、後はもう語ることはないと言わんばかりに椅子を持ってきて、優雅に座って黒いカバーを被った文庫本をゆっくりと読み始める。それを聞いているか聞いていないかわからずとも、とりあえずで反応だけはした。
「それなら安心していいよ、元々俺もそんなに好きじゃない」
やはりというか、無反応。だけれどちょっと微笑んだような気がして、そのまま青年も静かに瞑目をし出した。
彼は、なりゆきで現在今いる文芸部の部員とさせられているわけだが、特筆して文や本が好きな訳ではない。特に意味もなくこうして目を閉じていることが好きだった。
「ああ。そういえば」
「あら」
「…わ」
ふと、言わんとしたことを思い出してそうして目を開いた瞬間に、真っ黒の瞳はまた目の前にあった。急に目を開けた青年にびっくりしてか、目をぱちくりと大きく開けて、口も半分に開き。そしてそんな様子にむしろ驚いたのはトウの方だった。
「…悪いけど、昨日もあげたばかりだから今日は勘弁してくれないか。そう連日だと俺が干からびて死ぬ」
「失礼ね。私がそんなにいやしんぼうに見えた?顔を近づけるのは、ただ食事以外にはないように思っているのかしら」
「もしくはドリンクサーバ扱いする時だけかなって」
「本当に失礼!」
「いてて、冗談冗談」
「面白く、ないのだけど!」
長く切り揃えられた爪の先でぐりぐりと頬を穿つように痛めつけられて、青年は慣れないジョークをした対価を払わされた。
そうして赤くなった頬をさすりながら、つい先に目を開けた理由、しようと思った質問を改めてした。
「神楽さんはなぜさっきの質問で、不機嫌になったのか。ちゃんと聞いておこうと思って」
そう。太陽の光は大丈夫か、と聞いた時に露骨に不機嫌になったことについて。それは最初は、聞かれ飽きた内容の質問だから単に顔を顰めたのかと思っていた。確かにそれもあるかもしれないが、だが、違う。もっと別の感情がある。そう思ったからの質問だった。
「……それ、本人に面と向かって言う?不機嫌になった理由なんて、言わない人の方が多いのよ。特にさせてきた人には」
「そうか。確かにそうかも。
ごめん、じゃあ聞かなかった事にしてほしい」
「ああもう、答えないとは言ってないじゃない!
本当に貴方は変わり者で、マイペースなんだから」
それは、まさしくこっちの台詞なんだけどな。そういう言葉を喉の奥でゆっくり飲み込んでから、答えを待った。
「だって、もう一年半も経とうって頃なのよ」
「何が?…ああ、わかった。俺と君が会ってからか」
「直前で思い出して命拾いしたわね。まあともかく、その通り。私と貴方が出会ってからもうそれくらい経つのよ。なのに、なんで、どうして」
「うん」
「どうして、太陽光なんて最初に気になるだろうことを今になって、ようやく今になって質問してくるの?
どれだけ私に興味がないの。かなり腹立つわ」
「えぇ…」
だって、仕方がないではないか。その実、未だに目の前の存在がそういう伝説の存在であることに半信半疑的ですらあるのだから。俺のような人間が、それをなんとか認識しようとしているだけでもむしろ褒めて欲しいものだ。
とは、思うだけ。
ただ、言わずに嘆息で終わらせた。
「ああ、さっきまで忘れていたけれどなんだか思い出して苛々してきたわ。これは埋め合わせの為には明日、一緒にお出かけするしかないかもしれないわ」
「ああごめん。明日は妹と出掛ける約束があるから無理だ」
「……神之手 十。貴方って人は本当にマイペース」
だからそれは、そっちの方だろう。
そんな風に思いながら、フルネームで呼ばれた自分の名前に思いを馳せる。どうにもやはり、その名前はあまり好きでは無い。
だけれど。
今の現況を。
この、不思議な逢瀬と駄弁り会いは嫌いじゃない。
そう思って、口角をほんの少し上げた。