リムルの集落に来て七日目の朝。
俺はリグルに頼まれて、組手をしていた。
「ハァァァ!」
「おっ、声が出てきてるな。その調子だ!」
最初は数名のゴブリンも参加していたが、初日でボコボコにしすぎたせいか、真面目に続けているのはリグルくらいだった。
「そこだ!」
リグルが俺の脇腹めがけて手刀を繰り出す。
「甘い」
俺は左半身で構えたまま、前に出していた左足を右足へ入れ替えるようにして後ろへ下がり、手刀をかわす。
その瞬間、リグルの腕を掴んで引き込み――。
「せいっ!」
呼吸投げで、そのまま地面へと倒した。
「これもダメですか〜」
「これでも三十年以上、合気道で鍛えてるんだ。七日目のリグルに一本取られるわけにはいかないぜ」
とはいえ、進化したホブゴブリンなだけあって、飲み込みは早い。
この調子なら、数ヶ月もすればかなり良いところまで成長すると思う。
「一週間でこれだけできたら上等だ。あとは基礎練習を反復するだけだな」
「ありがとうございました!」
本当に真面目だな。
皆から信頼されているのも頷ける。
「さて、最後に封印の洞窟を調査して、ここを出るか」
「本当に、このままお別れするのですか?」
「別に、これで終わりじゃないだろ。数ヶ月もすれば、ドランが作った道具を受け取りに行くからな」
俺は昨日の夜、集落の皆と宴を開き、朝方にはここを出ることを伝えていた。
野営飯の作り方、護身術、集団戦の基礎など、教えるべきことは一通り教えた。
調査のほうも、周辺に生息する魔物の生態調査は終えている。
あとは、封印の洞窟の確認くらいだ。
「また来てくださいね! もっと強くなりますから!」
「楽しみにしてるぜ」
俺はオートバジンに跨り、ヘルメットを被る。
そして洞窟へ向かおうとしたところ――。
オートバジンのシートには、すでにリムルが乗っていた。
「リムル、こんな早くから来てたのか?」
「バイクの後ろに乗りたくてな」
「ランガが泣くぞ?」
そんなわけで、俺たちは二人乗りで洞窟内をバイクで駆け回ることになった。
二人乗り自体はこれまで何度もしたが……まさかスライムと乗ることになるとは。
異世界ならでは……なのか?
そんなことを考えながら調査を続けていると、魔鉱石やヒポクテ草をいくつか採取することができた。
「採取するのは構わないけど、大丈夫か? ここから一ヶ月以上かかるんだろ?」
「いや、ドランに作ってもらった『共用型アイテムBOX』を使う」
オートバジンに取り付けたキャリー型のBOXは、試作品として作成したアイテムだ。
原理としては、ドラえもんの四次元ポケットに近い。
ある程度の大きさまでなら、BOXの内部に収納することができる。
ただし、容量は俺の魔力量に左右されるため、今の段階では十個分のアイテムが入るかどうかというレベルだ。
それでも、収納した物の腐敗が進まないというのは大きい。
リムルの力を借りれば、もっと凄いものにできるだろう。
だが、あえてそうはしなかった。
下手に凄すぎる技術を世に出せば、いろんな国の反感を買うことにもなりかねない。
「本当に、俺の力を使わなくていいのか?」
「この前も言っただろ? 信頼が少ない時に、派手な動きはするなって」
「はい……」
「魔物の国が脅威じゃないって信頼されるには、時間がかかるんだ。特に西方諸国で厄介なのは、ファルムス王国だ」
「ファルムス王国か……」
「あそこのエドマリス王は、テンプレみたいに権力に胡座をかいている国王だ。さらに面倒なのは、神聖法皇国家ルベリオスでも司祭の地位にいるレイヒムと繋がりが深いことだ」
「もしかして、ファルムス王国から賄賂を受け取ってるのか?」
「ああ。西方諸国に優先的に神殿騎士団を派遣しているとアピールしていてな。傍から見れば、『ファルムス王国なら商売も安全だ』という印象を与えるのが狙いだ。そのための賄賂ってわけだ」
アイツらの懐が膨らむのは気に入らない。
だが、そのおかげで西方諸国でも大きな経済圏が形成されているのも事実だ。
だからこそ、こちらも簡単に断罪という手段には出られない。
「だから、リムルが西方諸国の新しい玄関口になれば、そいつらもいずれ捕まえられる」
「えぇ〜。俺は皆と楽しく暮らせたら、それでいいんだけどな」
「けど、人と魔物が仲良く暮らすには、いずれぶつかる問題だ」
「それは……そうなんだけど」
「今から対策を考えろとは言わない。だが、頭の隅には入れておけよ」
話を終え、洞窟を出たところでリムルをバイクから降ろした。
「そんじゃ、またしばらくしたら来るから」
「ああ。次に来た時には、驚かせてやるからな」
「またな」
俺はオートバジンを走らせ、森を抜け始めた。
数日後――神聖法皇国家ルベリオス
ヒナタは書類業務に追われていた。
「各地で魔物の被害は増えてるわね……」
「ヒナタ様、お茶が入りました。少し休憩なされてはいかがでしょうか?」
「ありがとう、ニコラウス。いただくわ」
神聖法皇国家ルベリオスで枢機卿を務めるニコラウスは、本来ならヒナタよりも立場は上だ。
しかし、彼はヒナタのことを誰よりも慕っている。
だからこそ、ヒナタが本音で話せる数少ない人物でもあった。
そして今、ヒナタが目下悩んでいるのは――ケイゴの次の任務についてだった。
「ケイゴ・タダノについてですか?」
「ええ。昨日、伝書鳩でジュラの大森林についての報告が届いたのよ。……こちらに戻るのも、数週間ってところね」
「しかし、あの者はよく分かりませんね。ほぼ下働きしかしていないような印象を受けますが、遠征時の道具や食事の改善、さらにはヒナタ様の歌を披露するクリスマス会まで……。次々と素晴らしい提案を持ち出したり」
「クリスマス会のことは忘れなさい……」
「仕方ありません。神ルミナス様の『ご神託』なのですから」
それは、ケイゴが神殿騎士団に入った最初の冬の出来事だった。
長期遠征を前に、騎士たちの英気を養うための慰労会として、ケイゴがクリスマス会を企画したのだ。
その中で、ヒナタの賛美歌を披露することになった。
ヒナタは当然のように反対したが、ニコラウスの説得と、神ルミナスからの神託という後押しもあり、最終的には根負けして披露することになった。
その時に集めた寄付金は過去最高額を記録。
さらに騎士団内部でのヒナタへの支持も、うなぎ登りに増えていった。
結果として、クリスマス会は毎年恒例の行事となっていた。
「ですが、そのおかげで外部からの支持者も多く集めることになりました」
「そうね。下手な会合と比べたら、楽に支持者を集められたけど……」
「失礼。ですが、クリスマス会の提案をきっかけに、彼は休暇を利用して各地で調査活動を行うようになりました。その結果、以前よりも正確な情報が集まり始めています」
「ええ……だからこそ」
「優秀すぎる……ですか?」
「ええ。彼の向こうの世界での経歴は、元白バイ隊員で、交番勤務の警察官だったとは聞いているけど……」
「こちらの世界で言えば、ペガサスライダーのような特殊な騎乗技術を持つ騎士だったものの、何らかの不祥事で警備兵に降格した――と説明してくれましたね」
「この調査報告の出来を見る限り、どう考えても履歴と合わないわ……」
「ヒナタ様は、彼を諜報員だと考えているのですか?」
「ええ。彼の所持品である警察手帳を見ても本物だから、警察官というのは嘘ではないでしょうけど……」
ヒナタは書類に目を落としながら、少しだけ眉をひそめる。
「多分……隠れ公安なんじゃないかしら」
「隠れ公安、ですか?」
「私も小説でしか聞いたことはないけど」
ニコラウスはしばらく黙り込む。
「……つまり、表向きは交番勤務の警察官。しかし実際には、裏で国家規模の諜報活動を行っていた人物……と?」
「そういう可能性もあるってことよ」
ヒナタは一枚の報告書を指先で軽く叩く。
「少なくとも、ただの交番勤務の警察官が、異世界に来て数年でここまで周囲を観察して、情報を集められるとは思えないもの」
「なるほど……」
「それに――」
ヒナタはそこで言葉を切った。
「ケイゴ・タダノという男は、自分の能力を必要以上に見せようとしない」
「……それは、確かに気になりますね」
「でしょう?」
ヒナタは小さく息を吐いた。
「だからこそ、次の任務は慎重に選ばないといけないわ」
ヒナタが目を付けたのは、ルベリオスの西側にある砂漠地域――『不毛の大地』だった。
この地域では、行商人が魔物に襲われる被害が多発していた。
冒険者ギルドも依頼を受けて調査に向かっていたが、いずれも帰還していない。
そこで、騎士団に調査依頼が持ち込まれたのだ。
「さて……いつまで隠れて聞いてるつもりかしら?」
「え? ヤバ」
「ちょっと、フリッツ! 押さないでよ!」
「おい、バカ! やめろ、お前ら!」
ヒナタは先ほどの会話をしている間に、盗み聞きしている者たちがいることに気づいていた。
声を掛けると、扉に身を寄せていた面々が、雪崩のように倒れ込んできた。
「いてて〜……げっ! ヒナタ様!」
「すみません! 盗み聞きするつもりはなかったのですが……」
「そのケイゴさんの件が気になって……」
現れたのは、ギャルド、フリッツ、リティスの三名だった。
「あなた方は、仮にも聖騎士団でしょう? 盗み聞きなどして、恥ずかしくないのですか?」
「その件の罰は後にするわ。それじゃ、この任務を三武仙と共に――」
「ヒナタ様? 何でですか? アイツらとケイさんが一緒に?」
「彼らはケイゴを間近で見ていないのよ。あなたたちでは、公平に実力を評価できるとは思えないでしょう?」
「でも、その理屈なら、ケイゴさんのことを最初から否定すると思いますよ」
「それなら、アルノーとバッカスも同行させてくださいよ!」
「あなた方は何を勝手に言っているのですか? 三武仙に聖騎士を同行させるほど、人員に余裕があると思うのですか?」
「ニコラウス、この任務は早期解決すべき案件だから、二人も同行させた方が良いわ」
「しかし、ヒナタ様。各地の魔物への対処も……」
「むしろ、神殿騎士団の実力をつける良い機会よ」
「ありがとうございます、ヒナタ様!」
こうして、三武仙とケイゴ、そしてアルノーとバッカスの任務が始まろうとしていた。