ブルムンド王国
俺はジュラの大森林を抜けて三日後、ブルムンド王国に到着した。
ここに立ち寄った目的は二つある。
一つ目は、ルベリオスまでの道中に必要な食糧と、当面の日銭を確保すること。
二つ目は、ジュラの大森林についての情報を、冒険者ギルドのギルドマスターであるヒューズに伝えることだ。
後者については、リムルたちとブルムンド王国との間に、友好的な関係を築いてほしいという思惑もある。
「さて、ここで素材を売って、食材でも買うか」
王国の門を抜け、素材の買い取りをしてもらえる冒険者ギルドへ向かって歩き始める。
冒険者ギルドの入口近くまで来たところで、白い仮面を被った黒髪の女性が目に入った。
何となく気になって、しばらく彼女を見ていると――。
「あの……すみません」
「え?」
「すみません。珍しい仮面だと思って……」
「ああ、これですか?」
彼女が自分の仮面に触れる。
その瞬間だった。
「……貴方、日本人ですか?」
「……え?」
俺は思わず聞き返した。
「もしかして、貴女もですか?」
「はい。私はシズエ……井沢静江です。皆からはシズさんって呼ばれています」
「素敵な名前ですね。俺はケイゴ……只野圭吾です。こんなだらしない格好ですが、日本ではお巡りさんをしていました」
そう言って、俺は警察官時代に染み付いた敬礼を見せる。
シズさんは少し驚いたような表情を浮かべた後、ふっと笑ってくれた。
「お巡りさんなんですね。素敵なお仕事ですね。こちらの世界では、何を?」
「えっと……ルベリオスで神殿騎士団に配属されています」
「神殿騎士団……。もしかして、あの子がいる……」
「あの子?」
シズさんの言う「あの子」が誰なのか考える。
ルベリオスで日本人は一人しか見かけていない。
ヒナタはああ見えても、この世界に来た当初は女子高生だったらしい。
もしかして――。
「ヒナタの知り合いですか?」
「!?」
シズさんは驚いたように目を見開いた。
「はい。あの子が最初にこの世界に来た時に知り合った、同郷の人です」
なるほど。
やっぱり、そういうことか。
この時、初めて仮面を外したシズさんの姿を見た。
そこにいたのは、気品があり、穏やかな雰囲気を持った女性だった。
不思議と安心するような……そんな素敵な人だった。
「ああ……立ち話もなんですから、ギルド内の食堂で話しませんか? 奢りますので」
「ええ。でも、悪いですよ」
「大丈夫ですよ。ここのギルマスとは仲がいいので、ちょっとした個室に通してもらえると思います。素顔を気にせず、ゆっくり話せるでしょうし」
「ふふ……そこまで気を使ってくれるなら、お願いしますね」
シズさんの笑顔は……何だろうな。
不思議だ。
まるで、子供の頃に亡くなった祖母を思い出すような……。
安心する笑顔だな。
俺はギルドに入り、受付嬢に声を掛けた。
「ギルドマスターに、ジュラの大森林について話があるんですが。部屋を用意してもらえますか? それと、飯も食べたいので、この方と同席したいんですが」
そう伝え、チップを少し多めに渡す。
すると、受付嬢はあっさりと了承してくれた。
「ねぇ、大丈夫でしょ?」
シズさんが少し苦笑しながら尋ねる。
「お巡りさんが賄賂なんて、いいんですか?」
「別に悪いことはしてないですよ。むしろ、平和的な解決ですよ」
「ふふ……悪いお巡りさんだ」
「否定はしません」
そんなやり取りをしながら、俺たちは個室へと案内された。
受付に一通りの料理と、シズさんの好きな飲み物を注文する。
そして、ようやく本題に入る。
「さて、シズさんはヒナタの何が聞きたいですか?」
「そうね。まずは、貴方とあの子の出会いを聞こうかしら」
「はは……あれは、いまだにトラウマものですよ……」
俺はヒナタと初めて出会った時のことを話した。
その後、神殿騎士団に入ることになり、他の隊長たちの特訓に連れ回されたこと。
そして、クリスマスに仕返しも兼ねて、ヒナタをステージで歌わせたこと。
たまに稽古をすると、毎度のようにボコボコにされること。
遠征時の野営飯では、おかわりを催促されること。
そして、ピーマンを出した時には、食べ残しこそしないものの、明らかに不機嫌になり、その後の稽古がいつもの五倍くらいキツくなったこと……。
気が付けば、四年間の愚痴話を延々としてしまっていた。
「あっ、そうだ」
俺はスマホを取り出した。
「スマホに、ヒナタがクリスマス会で歌っている時の動画があるんですよ」
「何、この四角い箱は? 動画って初めて聞くわね」
どうやら、シズさんはかなり昔にこの世界へ来たらしい。
ヒナタもガラケー時代にこの世界へ来たらしく、スマホの存在を知らなかった。
ましてや、こんな高画質で映像を記録できるものがあるなんて、知る機会もなかっただろう。
ヒナタにバレたら……。
後にしよう。
「まあ、簡単に言うと、その時の様子を記録する魔法水晶みたいなものだと思ってください」
俺はスマホに保存していた動画を再生する。
映像は、四年前に初めて開催したクリスマス会のもの。
普段は騎士団服しか表向きには見せていないヒナタだったが、この日はクリスマスにちなんで、サンタクロースの赤をイメージしたドレス姿で賛美歌を歌っていた。
緊張しているのか、最初は睨みつけるような表情でステージに上がる。
だが、その歌声は周囲を虜にするほど綺麗だった。
「凄いね……こうやって、あの子の姿が見られるなんて」
「まあ、こんな感じで厳しくはしますけど、何だかんだ慕われてますよ」
「そうね。ケイゴさんも、ヒナタのことを凄く気にかけてくれているみたいね」
「いやいや。カミソリ上司に怯えている、ビビりなおじさんですよ〜。本当、誰かにヨシヨシされたいくらいですよ!」
「そう? 私でよければ、頭を撫でますよ?」
「え?」
思わず固まる。
「いやいや、若い女性におじさんがヨシヨシされるなんて、マニアックすぎますよ」
願望がないと言えば嘘になる。
だが、四十前のおっさんが、こんな若い美人に頭を撫でてもらうって……。
倫理的に……絵面的に……アウトな気がする。
別にわいせつなことをしているわけじゃないのに……。
おっさんの人権のなさに、全おっさんが泣くわ!!
「そっか……。話してなかったね」
シズさんが少し遠くを見るような目をした。
「私は戦争の時代に生きていたの……。空襲が酷くてね」
「空襲……」
俺の表情が変わる。
「もしかして、第二次世界大戦……?」
「ええ」
シズさんは静かに頷いた。
「だから、君たちからしたら私は、おばあちゃんみたいなものだね。見た目が若いのは……恐らく、召喚された時に精霊と契約したからだと思う」
「召喚……」
そこから、シズさんの過去を聞いた。
シズさんは第二次世界大戦当時、まだ五歳だった。
燃え盛る戦火の中にいた彼女は、魔王レオンによって異世界へ召喚された。
そして、上位精霊イフリートと契約し、それ以降はレオンの命令で敵と戦い続けていたという。
だが、ある時――魔王が当時の勇者と戦うことになると聞き、シズさんは逃走した。
その後、勇者に保護され、数年間を共に過ごした。
しかし、やがてその勇者とも離れることになった。
それからは、勇者から受けた恩を返すため、ずっと人助けを続けてきたらしい。
「だから、君たちからしたら、私はかなりのおばあちゃんだね」
そう言ったシズさんに、俺は無意識に手を伸ばした。
そして、その頭をそっと撫でる。
「何言ってるんですか?」
俺は笑った。
「そんなに自分を卑下しなくていいですよ。一人の日本人として、俺は貴女を尊敬します」
そして、少しだけ力を込めて頭を撫でる。
「……よく頑張りましたね」
シズさんは驚いたように目を見開いた。
だが、やがて――。
「……ありがとう、ケイゴさん」
穏やかな笑顔を浮かべた。
「そうだ。ヒナタに何か伝えたいことはありますか? 手紙か……動画に撮って、映像としてメッセージを残しますか?」
「映像に残すって、さっきのヒナタの動画みたいにですか?」
「そうです」
先ほどの話では、ヒナタがシズさんと別れることになった理由については聞かなかった。
シズさんの性格から考えても、何かトラブルを起こしてヒナタと離れたとは想像しにくい。
ただ……ヒナタが一人で突っ走って離れたというのは、何となく想像がつく。
あいつ、絶対に面倒くさい反抗期の子供だったに違いない。
「困ったなぁ〜。何を伝えたらいいか迷うね」
「別に大したことを言わなくてもいいんですよ。『ピーマンを克服しろ』とか、『給料上げろ』とか、文句でいいんですよ」
「それ、私じゃなくてケイゴさんのだよね。ふふ、伝えましょうか?」
「やめてください! お願いします!!」
俺は、そんなことをした後の恐怖を考えただけで、九十度の角度まで頭を下げてシズさんにお願いした。
「そうね。これ、どうやったら撮影できるのかな?」
「えっと、俺が撮影するので、シズさんはそのまま喋ってもらったら大丈夫ですよ」
俺はスマホを構え、カメラのアプリを開いて動画撮影モードにする。
「そうなんだ。凄いね……それじゃ……」
そこからヒナタに向けて、ビデオメッセージを撮影した。
撮影を終えると、シズさんはジュラの大森林まで行く冒険者がいないか探すみたいだ。
「ジュラの大森林に行くんですか? もしかして、調査ですか?」
「ええ、そんなところ……」
「なら、スライムに会うといいですよ」
「スライム? どうして? 教え子にゲームで、人間に友好的なスライムの話を聞いたけど」
「まあ〜、だいたいそんなところです。女性慣れしてないから、シズさんの言うことなら何でも聞くと思いますよ」
「何それ。私のこと、悪い女だと思ってます?」
「シズさんみたいな素敵な女性になら、ワガママも聞くと思いますよ」
「なるほど。だからヒナタのワガママにも……」
「あー、あー、あー! 聞こえない、聞こえない! すみません、何か言いました?」
「ふふ、何にもないですよ……でも、安心しました」
「……」
「あの子のこと、お願いしますね。ケイゴさん」
先ほどのビデオメッセージでは、具体的なことは何も言わなかった。
そして、シズさんが俺にヒナタの何を期待したのかも分からない。
でも、今の俺に言えるのは――。
「とりあえず、サンドバッグにならないように頑張ります」
「ありがとうね、ケイゴさん」
部屋を出ていく時のシズさんの表情は、少し寂しそうだった。
でも最後には、笑顔を見せて部屋を去っていった。
窓の外を見ると、カバルたちが騒ぎながら、シズさんと話している。
多分、ジュラの大森林に向かうパーティーに入るんだろう。
カバルたちは、ジュラの大森林の調査に行かされることを知って、不貞腐れているのだろう。
「待たせたね、ケイゴさん」
部屋に入ってきたのは、ギルドマスターのヒューズだった。
詳細は分からないが、噂ではブルムンド王国内でもかなり上位の人物から信頼が厚いと聞いている。
だからこそ、リムルたちの情報を渡す価値がある。
「いや、待ってないよ。さっきまで飛び切り美人と楽しい食事をしてたから」
「そうですか……。それじゃ、話を聞きましょう」
最後に、カバルたち三人を、まるで保護者を見るような目で見送っていたシズさんの後ろ姿が――。
俺が見た、最後の姿だった。
そして、あの時……俺も一緒に行けばよかったと――。
後々、俺は後悔することになる。